土曜日, 12月 31, 2011

20111231_詩篇148_黙示録21

■詩篇128:1幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。128:2あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。
★この励ましの言葉のあとに祝福された妻、子供の姿が展開されます。すなわち祝福された家庭の背後には、主を畏れ勤勉な父の存在があると言うことです。家族の養いのために召し出されたお互い男性は、きよい手を上げて守るべきものを守れるように祈りましょう。

■黙示録21:1また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。21:2私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。21:3そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、21:4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」21:5すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
★黙示録もこの章と残すところ22章のみですがついに神様の経綸の完成である新天新地の記述が。あの創世記3章で人が罪を犯し、永遠の死を身に受けるものとなったその時から、神様はご自身の一方的な主権のうちに歴史を導き、救いを備えて下さいましたが、完全な救いがここに実現するのです。もはや涙のない世界。あなたの流した全ての涙の意味をキリストが理解し癒しぬぐい去って下さる世界が訪れます。ヒデ

金曜日, 12月 30, 2011

20111230_詩篇145_黙示録20

■詩篇145:14主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。……145:18主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。145:19また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。145:20すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。
★ここには主とはいかなるお方かが明確で、その結論は「すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。」です。そして、あなたもこのすべての人の中に含まれています。あなたを守られるのは他でもないこのお方主です。

■黙示録20:4また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
★19章のハルマゲドンの戦いの後、ここに記される千年王国がおとずれます。この時キリストは地上において支配し、サタンは行動の自由を奪われ、聖徒たちは繁栄し、世界は平和となり、地は豊かに実を結びます。またこの千年王国の終わりと同時に、再び自由にされたサタンは、キリストに最後の戦いをいどみますが敗北します。不信仰を悔い改め艱難時代に殉教しつつも信仰を告白した聖徒も、ここに記されている通り、憐れみによる復活にあずかり、彼らも千年王国の恵みに生きることに。またこれ以降憐れみによる恵みの救いの道はありません。それぞれ自分の行いによって裁かれる最後の審判の座に立つために甦らされるのです。既に千年王国にあずかる者、神様の経綸を知った者として生きましょう。ヒデ

木曜日, 12月 29, 2011

20111229_詩篇110_エゼキエル36_黙示録19

■詩篇110:4主は誓い、そしてみこころを変えない。「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」110:5あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。
★キリストが大祭司であることは今も変わりません。あなたのために十字架におかかり下さいましたが、甦られ父なる神様の右の座についておられます。ゆえに怒りや誘惑、憤りに目と心を奪われないように。正しい報復は主がやがての日なさいます。あなたが直向きに見つめるべきは、主があなたに託して下さっている御心です。

■エゼキエル33:17あなたの民の者たちは、『主の態度は公正でない』と言っている。しかし、彼らの態度こそ公正でない。33:18正しい人でも、自分の正しい行いから遠ざかり、不正をするなら、彼はそのために死ぬ。33:19悪者でも、自分の悪から遠ざかり、公義と正義とを行うなら、そのために彼は生きる。33:20それでもあなたがたは、『主の態度は公正でない』と言う。イスラエルの家よ。わたしはあなたがたをそれぞれの態度にしたがってさばく。」
★主の態度について「公正ではない」という人の心の動機の中には「自分が栄光を受けたい」との動機が強すぎるのかも知れません。しかし主は選びの民の全てにとって父なのです。

■黙示録19:7私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。19:8花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
★神様に敵対する大バビロンが滅ぼされたときキリストと教会の婚姻の時がもたれます。ではこの世での婚姻は?このキリストと教会の婚姻のひな形です。主に贖われた全ての人は、やがて最高の婚姻を経験します。ヒデ

水曜日, 12月 28, 2011

20111228_エゼキエル33_黙示録18

■エゼキエル33:10人の子よ。イスラエルの家に言え。あなたがたはこう言っている。『私たちのそむきと罪は私たちの上にのしかかり、そのため、私たちは朽ち果てた。私たちはどうして生きられよう』と。33:11彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。─神である主の御告げ─わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』
★今平行して黙示録が開かれていますが、生きることを喜ばれる神様の姿は、アダムとエバが神様のもとを離れた時から、一貫して変わることがありません。私たちは自らのプライドを優先し、時に自らの非を認め、悔い改めることのできない場合があります。しかし神様はご自身ではなく、他者を生かすこと、すなわち私たちが罪に死なないことを優先し行動されます。あなたは何を基準に生きるでしょう。

■黙示録18:2彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。18:3それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行い、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」18:4それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。
★多くの人が、どんなことがあってもまさかこの価値は変わることがないと信頼し、より頼み、あぐらをかいていた大バビロン。それが何を指すかは分かりません。しかし倒れ無に帰するときが来ます。キリストは語られました。「天地は滅びます。しかし私のことばは滅びることがありません」と。ヒデ

火曜日, 12月 27, 2011

20111227_詩篇81_ダニエル3_黙示録17

■詩篇81:9あなたのうちに、ほかの神があってはならない。あなたは、外国の神を拝んではならない。81:10わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。
★主はこの詩篇を通し、モーセに導かれつつも偶像礼拝に流れた民の姿を示し、選びの民の必要と心を満たすことができるのはご自身以外にないことを示されます。あなたは必要をまず誰に訴えますか。

■ダニエル3:28ネブカデネザルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。3:29それゆえ、私は命令する。諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」
★ネブカデネザル王が建てた金の像を拝まないなら……その結果、燃える炉に投げ込まれた彼らでした。しかし、それでも信仰を全うすることを通して、彼らは神様に助け出され、ネブカデネザル王から上の言葉を引き出すことに。信仰ゆえの霊的戦いを避けてはなりません。神様はそれを用いてご自身の御業をなされます。

■黙示録17:14この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」
★「小羊とともにいる者」とはあなたです。ヒデ

月曜日, 12月 26, 2011

20111226_ダニエル1_黙示録16

■ダニエル1:15十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。1:16そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。1:17神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。
★バビロンのネブカデネザル王は捕囚の民としたイスラエルの王族貴族の中から有能な若者を召し集め、結局のところみな骨抜きにして、自ら思い通りに操るために、毎日王の食べるごちそうを彼らに与えます。しかしこの箇所はその王の思惑を見抜き、それに乗らなかったダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのことがこの章に記されます。世はあの手この手を使って選びの民の霊的いのちを奪おうとします。目覚める必要があります。そうでなければ天の父の心を受け取った者としての貢献をすることはできません。

■黙示録16:15─見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである─16:16こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。
★今や聖霊と教会が地上か引き上げられた7年の艱難時代も終わり、ハルマゲドンの戦いが始まろうとしています。空中まで教会を迎えるために7年前に来られたキリストは、今度は地上にまで来られ、オリブ山に立たれます。そこで反キリストの勢力と戦います。主は最後まで悔い改めの時を備え、罪人が立ち返るのを願われるお方。まさに反キリストの王達にとっては永遠に生きる者となる最後のチャンスです。お互いは王になってはいけません。王なるキリストによって生かされている存在です。悔い改めることの尊さを覚えましょう。永遠を開く扉は唯一悔い改めと信仰以外にないのです。ヒデ

日曜日, 12月 25, 2011

20111225_哀歌3_黙示録15

■哀歌3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。3:24主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。3:25主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
★どんな試練も恵みに変えるキリスト者の祈りと生活がここに。主との交わりはおつとめではなく命です。飢え渇き、せつに主を求めさせて頂きましょう。

■黙示録15:3彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。15:4主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。」
★最後の7つの災害、神様の激しい怒りの七つの鉢が地にぶちまけられる前の光景です。御使い達は主を褒めたたえていますが、新天新地の完成の前には痛みがあったことを覚えましょう。関係を傷つけ、汚し、踏みにじるもの、それが罪です。その回復のためには高慢の悔い改めと、御子の血潮による赦しを受け取ることが土台です。これ無しに決して新天新地への門は開かれないことを覚えましょう。ヒデ

土曜日, 12月 24, 2011

20111224_黙示録14

■黙示録14:9また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、14:10そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。14:11そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。14:12神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」14:13また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」
★この時すでに聖霊と教会は主の元に引き上げられています。ここに描かれているのは反キリストが地上を治める艱難時代の出来事です。何より注目はこの後「鎌をもって刈り取れ」の命令が御使いによって下されますが、そこで異邦人の救いは終わると言うことです。この後異邦人が救われるチャンスはないのです。長く続いた神様の恵みと憐れみの忍耐から、傷つけられ殺され不当な扱いでその人生を終わらざるを得なかった人々の血と涙に酬いるための正しい裁きが始まるのです。容赦のない裁きです。真実な、正義に基づいた裁きです。だからこそ、この場面が異邦人にとっての最後の救いのチャンスです。問われるのは偶像礼拝。あなたは真の神様以外のものを神として拝んでいませんか。ここではもう救いのためには殉教以外にありませんが、教会として引き上げられなかった人々のためにも「聖徒」と呼んで下さるお方が、この父なる神様以外、どこにあるでしょうか。今この時、「主よ信じます」と祈る恵みに生きましょう。ヒデ

金曜日, 12月 23, 2011

20111223_詩篇48_エレミヤ42_黙示録13

■詩篇48:10神よ。あなたの誉れはあなたの御名と同じく、地の果てにまで及んでいます。あなたの右の手は義に満ちています。48:11あなたのさばきがあるために、シオンの山が喜び、ユダの娘が楽しむようにしてください。
★さばきがあるために楽しめるように……そのためには、条件として、裁く権限が与えられている人に対して負債のない生活と存在であることが求められることになるでしょう。果たしてその条件を神様に対して果たし得る人があるでしょうか。ひとりもありません。だからこそ神様はクリスマスにキリストを遣わして下さいました。

■エレミヤ42:13 しかしあなたがたが、『私たちはこの国にとどまらない』と言って、あなたがたの神、主の御声を聞かず、42:14『いや、エジプトの国に行こう。あそこでは戦いに会わず、角笛の音も聞かず、パンにも飢えることがないから、あそこに、私たちは住もう』と言っているのなら、42:15今、ユダの残りの者よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『もし、あなたがたがエジプトに行こうと堅く決心し、そこに行って寄留するなら、42:16あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの国であなたがたに追いつき、あなたがたの心配しているききんが、あのエジプトであなたがたに追いすがり、あなたがたはあそこで死のう。
★勘違いしてはなりません。何の戦いも飢えもないことが幸いな生涯ではありません。間違った価値観に基づいて生きるために、大事な人生を棒にふることがないように。

■黙示録13:8地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
★反キリストが7年の間だ世を支配する艱難時代の光景です。この時、悔い改めて主を信じようとするなら、殉教以外ありません。今こそが本当に救いの日、恵みの時なのです。ヒデ

木曜日, 12月 22, 2011

20111222_2歴代36_黙示録12

■2歴代36:23「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神、主がその者とともにおられるように。その者は上って行くようにせよ。』」
★信じがたいことです。神様は破壊された神殿建設のために異邦人であるペルシャの王クロスさえ用いられます。偶像礼拝のため、イスラエルはエジプトへ、バビロンへと青銅の足かせにつながれ連行されていた時のことです。神様の選びの民に対する、憐れみと、諦めない愛に驚かされます。これ以降イスラエルはどんなに苦しい時にも偶像礼拝をしない民となりますが、その背後には、この神様の憐れみ深さと、イスラエルの罪深さにたいする徹底したした自己認識があったのです。徹底しない罪深さに対する自己認識こそが問題です。それが人を神様から引き離します。あなたはもう、このところをお通りになりましたか。

■黙示録12:9こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。……12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
★やがて訪れる7年間の艱難時代の出来事です。地上から聖霊は引き上げられ、さらにサタンは地に投げ落とされと、今の私たちでは想像できないほど、悲惨極まりない時を世界はくぐることに。それにしてもそこに残された「兄弟たち」とは誰でしょう。口先だけの信者、ただつきあいによっての信者でしょうか。私たちはキリストに対する主体的信仰が問われているのです。十字架に対するあなたの信仰の確信に揺らぎはありませんか。ヒデ

水曜日, 12月 21, 2011

20111221_エゼキエル31_黙示録11

■エゼキエル31:3見よ。アッシリヤはレバノンの杉。美しい枝、茂った木陰、そのたけは高く、そのこずえは雲の中にある。31:4水がそれを育て、地下水がこれを高くした。川々は、その植わっている地の回りを流れ、その流れを野のすべての木に送った。31:5それで、そのたけは、野のすべての木よりも高くそびえ、その送り出す豊かな水によって、その小枝は茂り、その大枝は伸びた。31:6その小枝には空のあらゆる鳥が巣を作り、大枝の下では野のすべての獣が子を産み、その木陰には多くの国々がみな住んだ。
★だからと言ってレバノンの杉は自ら誇ることはできません。どうしてでしょう。それは全て上より、神様の恵みによって備えられた環境あってのことでした。「誇るものは主を誇れ」と語った主の弟子パウロの言葉を思い出しましょう。

■黙示録11:17 言った。「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。11:18諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
★そう神様は義なるお方ですから、正しい裁きをなさらず、物事をそのまま放置し続けることはなさいません。死者さえ裁きのために甦らされ、御名をかしこみ畏れるものに対しては、神様ご自身が豊かな報いをもって酬い返して下さいます。主が来られます。神様に会う備えをさせて頂きましょう。ヒデ

火曜日, 12月 20, 2011

20111220_エゼキエル28_黙示録10

■エゼキエル28:11……あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。28:13 あなたは神の園、エデンにいて…。28:14わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。28:15あなたの行いは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。28:16あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。
28:17あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。……28:18あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。28:19国々の民のうちであなたを知る者はみな、あなたのことでおののいた。あなたは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」
★天使長のひとりルシファーがいかに堕落したか、その動機が記されます。あなたを永遠に滅ぼすものそれは高慢です。その思いは悔い改め手放すのです。

■黙示録10:5それから、私の見た海と地との上に立つ御使いは、右手を天に上げて、10:6永遠に生き、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。10:6……ラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」
★この章には「言ったことは封じて、書きしるすな」との箇所も。が、確実なことは、告げられたことは、必ずその通りになること。信じましょう。主のお出では、もうそこまで来ています。ヒデ

月曜日, 12月 19, 2011

20111219_エゼキエル22_エゼキエル23_黙示録9

■エゼキエル22:21わたしはあなたがたをかり集め、あなたがたに向かって激しい怒りの火を吹きつけ、あなたがたを町の中で溶かす。22:22銀が炉の中で溶かされるように、あなたがたも町の中で溶かされる。このとき、あなたがたは、主であるわたしがあなたがたの上に憤りを注いだことを知ろう。」
★主がこのように語らなければならないイスラエル。その状況は偶像礼拝によって人々の心は汚され、愛は倒錯し、幼子を偶像にささげる有様です。主の怒りは、まさにそこに下されました。しかしその怒りも彼らを愛しきよめるため。本当に主が呵責のない怒りを下されたのは十字架のキリストの上。父なる神様は人類のすべての罪をキリストの上に置き、呵責のない裁きと怒りを下されたのです。それは「もはや裁きはおわった」と、全世界に宣言するため。父なる神様は語られます。「私はもはやあなた方の罪を思うことをしない」と。キリストが受けて下さったその傷によって全ての人は救われるのです。

■黙示録9:20これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、9:21その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。
★御使いのラッパによってもたらされた第一の裁きの結果です。聖霊によって教会が地上から取り上げられたのちの艱難時代は、死さえ逃げて行く時代で、真に悔い改め、神様に立ち返るためには殉教以外、道はありません。ここに記された殺されずに残った人とは、罪が完全にその人を覆い、神様が見えなくなっている人。いのちを取られても決して神様だけには頭を下げたくない人々です。この状況に置かれる前に全ての人は主の名を呼ばなければなりません。主の名を呼ぶものは全て救われるのですから。ヒデ

日曜日, 12月 18, 2011

20111218_詩篇111_エゼキエル20_黙示録8

■詩篇111:9主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。111:10主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。
★主から送られた贖いのプレゼント。そこには御子のいのちがかけられました。受け取りましょう。それ以外に人の救いがないからです。御子のいのちの代価によってもたらされた贖いは人の罪を赦し、その霊を解放し、その人の知恵を上からのよきもので満たされます。

■エゼキエル20:13それなのに、イスラエルの家は荒野でわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず、それを行えば生きることのできるそのわたしの定めをもないがしろにし、わたしの安息日をひどく汚した。だから、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを絶ち滅ぼそうと考えた。
★それなのに、それなのにと繰り返し語られる章です。神様がイスラエルをどれ程愛しておられることか。それなのに民は心を頑なにし偶像を心に抱こうとするか。父なる神様のご自身の民への愛がいかばかりのものか受け取りましょう。そして全ての偶像から聖別されましょう。

■黙示録8:10第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。8:11この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。
★チェルノブイリとは「苦よもぎ」の意なので、かつて、原発事故はこのラッパの裁きの預言の結果だと語られていた時代のことを思い出しました。いずれにしても主の再臨はそう遠いものではありません。世界に福音が宣べ伝えられたその時、主は再び来られます。主に会う備えをするのです。ヒデ

土曜日, 12月 17, 2011

20111217_エゼキエル18_黙示録7

■エゼキエル18:2「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。
★濃いぶどう……子供の歯が浮くとは、父の行為が子に結果を及ぼすという、連帯責任を教えるユダヤのことわざですが、民はエルサレムの審判は、先祖の罪の結果で私たちの責任ではないと、このことわざを使って弁解していました。その時、主はエゼキエルを通して、「罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行うなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。…─神である主の御告げ─彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」と語られました。父の心を知ってその愛と赦しに生きましょう。

■黙示録7:13長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。7:14そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。……7:16彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
★御使いの「このひとたちは誰ですか」の答え、それはあなた、主が涙をぬぐって下さるのはあなたですよ。ヒデ

金曜日, 12月 16, 2011

20111216_詩篇70_エゼキエル16_黙示録6

■詩篇70:1神よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けてください。70:2私のいのちを求める者どもが、恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き卑しめられますように。70:3「あはは」とあざ笑う者どもが、おのれの恥のためにうしろに退きますように。
★悲しみ悔しさ苦々しさは、心の内に溜めても、人にぶつけて解決になりません。この詩篇の記者のように神様の前に注ぎ出すのです。

■エゼキエル16:59まことに、神である主はこう仰せられる。わたしはあなたがしたとおりの事をあなたに返す。あなたは誓いをさげすんで、契約を破った。16:60だが、わたしは、あなたの若かった時にあなたと結んだわたしの契約を覚え、あなたととこしえの契約を立てる。
★神の民とされたイスラエルであるにもかかわらず、繰り返し繰り返し、まことの神様以外のものにより頼む姦淫の罪を犯す姿が。その節操のなさはあわれなほどです。そんな民をも救われる神様。それはまさにご自身偽ることのない真実な神様のご性質ゆえ。どんなことがあっても契約を反故になさらない神様により頼む人は幸いです。

■黙示録6:3小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が、「来なさい」と言うのを聞いた。6:4すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。
★聖霊が取り去られたこの世とは何と恐ろしいことでしょう。人々の心の愛は完全に失われ、殺戮と復讐が繰り返されることになるのです。なんとしてもキリストの再臨に備えなければなりません。キリストの手によってこの封印が解かれる時は誰も知らず、今はまさにその備えのために与えられた時間なのですから。ヒデ

木曜日, 12月 15, 2011

20111215_エゼキエル14_黙示録5

■エゼキエル14:13「人の子よ。国が、不信に不信を重ねてわたしに罪を犯し、そのためわたしがその国に手を伸ばし、そこのパンのたくわえをなくし、その国にききんを送り、人間や獣をそこから断ち滅ぼすなら、14:14たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。神である主の御告げ
★紀元前586年のエルサレム滅亡の時のことです。この時イスラエルはバビロン帝国に攻略され、民は連行されて行きます。神様は預言者エゼキエルを通してその原因を偶像礼拝によるものと指摘します。恐ろしいものです。国さえ滅ぼすことのできる罪は、偶像礼拝と姦淫しかないのです。ここで旧約の3義人と呼ばれるノア、ダニエル、ヨブがあえて引用されているのは「人ではなく、あなたはどうですか」と神様が問われるためです。偶像礼拝、それは断固止めなければなりません。

■黙示録5:6さらに私は、御座─そこには、四つの生き物がいる─と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七つの目があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。5:7小羊は近づいて、御座にすわる方の右の手から、巻き物を受け取った。
★ここには私たちの知っているイエス様とは違うイエス様のお姿が。7つの角と7つの目。全知全能、完全な義をもって裁かれる主を見たとき、弟子ヨハネにはこう映ったのです。いよいよ巻物の封印が解かれる裁きの始まりです。もはやこの時教会は聖霊様と共に地上か引き上げられ、父なる神様のもとにあります。地上では反キリストと呼ばれるものが支配し始め、地上に残された人々が悔い改めを願うなら殉教しかない状況となるのです。ああ今主を信じることができたお互いとは何と幸いなことでしょう。ヒデ

水曜日, 12月 14, 2011

20111214_エゼキエル11_黙示録4

■エゼキエル11:17それゆえ言え。『神である主はこう仰せられる。わたしはあなたがたを、国々の民のうちから集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを連れ戻し、イスラエルの地をあなたがたに与える。』11:18彼らがそこに来るとき、すべての忌むべきもの、すべての忌みきらうべきものをそこから取り除こう。 11:19わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
★偶像礼拝のためにバビロン帝国に連れ去られたイスラエル。しかし神様は預言者エゼキエルを通して主の一方的な恵みによる回復を語られます。その方法は戒めを心に書き付けるというものでした。律法が私たちの外にある時、それは、私たちを支配し、律法主義か律法破りの罪人へと私たちを引き下ろしますが、心の内側にある時、私たちは内に律法を持つ者として自由が与えられるのです。

■黙示録4:1その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」
★この黙示録の4章以降におこる7つの巻物、7つのラッパ、7つの鉢の裁きを、主に贖われた者たちは、やがて主が再び来られた時、天に引き上げられた場所、すなわち、天で見ることになります。決してこの災いを地上で体験する者となってはなりません。この災いから免れる唯一の方法は、キリストが十字架の上で完成して下さった救いを信じ受け取ることです。主はもう一度来られます。全世界の民を正しく裁かれるために。今、主の名を呼び求めましょう。なぜなら、主の名を呼び求める人は全て救われるからです。ヒデ

火曜日, 12月 13, 2011

20111213_黙示録3

■黙示録3:20見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。3:21勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。3:22耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
★信じられないことがここには記されています。キリストが教会から閉め出され、中に入れず外に立って戸を叩いているというのです。教会とは建物ではありません。クリスチャン一人一人であり、またその交わりですが、そこからキリストが閉め出されているというのです。終末時代の教会をキリストが預言した内容、それがこのラオデキヤ教会のこの箇所ですが、残念なかぎりです。経済的には、確かに豊かになったのかも知れません。しかし、だからといて神様を求めなくなり、神様の御心に対して鈍感になり、自己満足のレベルの信仰生活にあぐらをかくとしたならば……。キリスト者とは、ご自身のいのちをかけて救って下さった主の愛に感動し、自らをささげて、直向きに、その愛に応答しようとする者ではないでしょうか。主は愛するものを叱ったり、懲らしめたりなさるお方です。あなたの主への愛は最初のままですか。ヒデ

月曜日, 12月 12, 2011

20111212_エゼキエル3_黙示録2

■エゼキエル3:18わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。3:19もしあなたが悪者に警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。
★神様が預言者エゼキエルに語られた言葉です。なぜ悪者の行いの責任をエゼキエルが問われるのでしょうか。神様は3:17「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人としたからだ」と語られます。キリストのいのちの代価によって贖われたキリスト者も同じように時代の見張り人とされました。世に対して無関心であってはなりません。重荷を持ち、執り成し、愛し、必要があれば警鐘を鳴らさなければなりません。あなたは世の塩、世の光です。

■黙示録2:1エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。……2:3あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。2:4しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。2:5それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。
★キリスト者がキリスト者であるゆえんは「あなたは私を愛するか」と問われる主に「はい主よ。私があなたを愛することはあなたがご存じです。」との告白にかかっています。熱心さや頑張りが度を超してキリストを通り過ぎることがありませんように。ヒデ

日曜日, 12月 11, 2011

20111211_詩篇143_詩篇144_黙示録1

■詩篇143:7主よ。早く私に答えてください。私の霊は滅びてしまいます。どうか、御顔を私に隠さないでください。私が穴に下る者と等しくならないため。143:8朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。143:9主よ。私を敵から救い出してください。私はあなたの中に、身を隠します。143:10あなたのみこころを行うことを教えてください。あなたこそ私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださるように。
★ぜひこの詩篇全体を何度か朗読なさることをお勧めします。ここにはあなたが悩みの時にもあなたを立ち上がらせる力と信仰に満ちた祈りがあります。寂しい所でこの祈りを心を込めて主にささげましょう。

■詩篇144:2主は私の恵み、私のとりで。私のやぐら、私を救う方。私の盾、私の身の避け所。私の民を私に服させる方。144:3主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。144:4人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです。
★そんなお互いが今日も神様の恵みによって生かされています。感謝の礼拝をささげさせて頂きましょう。

■黙示録1:7見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
★今日から黙示録。まずは主の再臨の宣言です。主が来られます。嘘ではありません。この言葉を鼻で笑ったイスラエルは、そのとき胸を打って嘆くのです。あなたはその輪に入ってはなりません。ヒデ

土曜日, 12月 10, 2011

20111210_エレヤミ51_3ヨハネ1

■エレミヤ51:15主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。51:16主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。51:17すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。……51:20「あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ。わたしはあなたを使って国々を砕き、あなたを使って諸王国を滅ぼす。
★神様を畏れることなく侮るバビロンに対して、主はエレミヤを通して上の警告をあたえ、さらにイスラエルの民に、私は必ずあなたを回復し用いると約束されます。神様の召しと選びとはとこしえに変わることがありません。そしてあなたは神様の恵みによって選ばれ召し出されたのです。召された特権を感謝し今日一日のために心からの祈りをささげましょう。

■3ヨハネ1:2愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。1:3兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。1:4私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
★パウロはなんら照れ隠すこともなく、教会を愛する自らの思いを率直に伝えることができました。なんと自由な解放された霊を、主の恵みによって回復された人物でしょう。聖霊は信じる者の内に父の心、母の心を注いで下さるお方です。そうです。神様の御心は贖い出されたクリスチャンひとりひとりが、人を救いに導き、霊的な親として、魂の成長に関わることによって、かかわるその人自身がキリストに似た者として成熟に向かうことです。あなたは誰の救いのために仕えようとしていますか。ヒデ

金曜日, 12月 09, 2011

20111209_エレヤミ38_2ヨハネ1

■エレミヤ38:19しかし、ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「私は、カルデヤ人に投降したユダヤ人たちを恐れる。カルデヤ人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするかもしれない。」38:20エレミヤは言った。「彼らはあなたを渡しません。どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです。
★この時までに既に相当のユダヤ人がバビロンに投降していましたが、彼らにとって、ゼデキヤ王のバビロンへの抵抗は不利に働いたので、ゼデキヤ王は自分が降伏するなら、妬みをかった人々にきっと殺されるに違いないと恐れていたのです。そこにはエレミヤをとおして語られた神様の「大丈夫だ」との御声があったにもかかわらずです。私たちも神様に信頼するのか、自分の蒔いた種ゆえにそれに支配され、恐れに支配されるか、いずれを受けるか選択が迫られる時があるのです。神様を畏れ、恐れを打ち砕く決断をする者とさせて頂きましょう。

■2ヨハネ1:9だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
★キリストの教えにとどまるとは、恵みの中にとどまる事で、その人には御父と御子の祝福が流れます。でも、もったいなく、また残念なことが時にあります。はじめは「私ではなく、神様の恵みです。」と謙虚に応える魂が、いつの間にか「私がやった」と、神様にお返しすべき栄光を自分が受ける誘惑に駆られ、せっかくの神様の祝福を失う魂を見ることがあるのです。神様から受ける報いの二重取りは決してありません。しかも神様は高ぶる者を退け、へりくだるものに恵みを与えられるお方です。どんな時にもキリストの内に留まりましょう。それこそが命なのです。ヒデ

木曜日, 12月 08, 2011

20111208_エレヤミ33_1ヨハネ5

■エレミヤ33:3わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
★「あなたの知らない、理解をこえた大いなる事」とは神様をあなどるイスラエルへの審判とその後に来る回復についてです。その回復の様とは、「33:9 この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。」と、まさに理解を越えた驚くべき内容です。神様はあなたを愛しあなたを祝福するとの確固たる約束です。それを留めるものは唯一、罪以外にありません。十字架を仰ぎ赦しの中を歩みましょう。

■1ヨハネ5:11そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。5:12御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。5:13私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
★何のためにヨハネはこの手紙を記したのか。キリストを信じた人の内には永遠のいのちが既にあることを悟らせるためです。残念です。キリスト者の中にはキリストを信じても天国に行ける確信を持てていない人が当時あったと言うのです。あなたはどうですか。この確信こそがクリスチャンの究極の希望であり力、悪に支配されないために寄って立つ砦です。曖昧にすべきでありません。主からのチャレンジとして自分の確信を吟味しましょう。あなたが自由を生きるためです。ヒデ

水曜日, 12月 07, 2011

20111207_エレヤミ32_1ヨハネ4

■エレミヤ32:42まことに、主はこう仰せられる。「わたしがこの大きなわざわいをみな、この民にもたらしたように、わたしが彼らに語っている幸福もみな、わたしが彼らにもたらす。32:43あなたがたが、『この地は荒れ果てて、人間も家畜もいなくなり、カルデヤ人の手に渡される』と言っているこの国で、再び畑が買われるようになる。
★自分の息子さえ、自分の願望の成就のために生け贄にするイスラエルの偶像礼拝におぼれる様がこの章には描かれます。今まさにバビロンの王に自らの土地が奪われようとするその時、ひとりの人物はエレミヤのところに来て「私の土地を買って下さい」と。なんと都合のよい話し。しかし神様はエレミヤに「買い取りなさい。やがて私はこの国を再興する。そのための預言だ。彼らが私から離れることがいかに愚かなことを悟って私のもとに帰って来るとき、土地が売買されるほど国に自由がもたらされる時がくるのだ」と語られました。選ばれた民を捨てないため、どんなことをしても関わり愛そうとする神様がおられます。

■1ヨハネ4:9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。……4:12いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
★これほどまでに愛して下さった神様の愛に酬いる生き方は兄弟を赦し愛する生き方です。まだ裁いたままになっていて和解のために近づいたことがない。そんな関係があなたにはありませんか。聖霊様に励まされ一歩踏み出しましょう。誰かのためではありません。あなたが崇め慕うキリストにあなた自身が似るためです。主はユダに対してさえ「友よ」と呼びかけられ近づかれました。ヒデ

火曜日, 12月 06, 2011

20111206_エレヤミ29_1ヨハネ3

■詩篇29:11わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。29:12あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。29:13もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。─
★イスラエルに望む試練。しかしそこには隠された神様の愛が。なんとか立ち返って欲しい。神様ご自身を見出して欲しいとの。神様は「捜し求めるならあなたがたに見つけられる」と語られます。神様があなたを母の胎に造られた最初から、あなたへの計画は祝福でした。それを受け取って欲しいとの神様の願いです。神様を離れてその計画は成就しません。神様に飢え乾きましまう。神様に聞きましょう。

■1ヨハネ3:17世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。3:18子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。3:19それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。
★主は「神を愛し、隣人を愛するこの二つの戒めが大切です」と語られましたが、律法は隣人を愛する一語(ガラ5:14)をもって成就されます。「自分と神様との関係、確かにそれは大切です。しかし隣人愛がなければ何の意味も無いのです。神様はあなたが内面の癒しにとどまることなく、世に愛による影響を与える人となることを願っておられるお方です。ヒデ

月曜日, 12月 05, 2011

20111205_詩篇118_エレヤミ24_1ヨハネ2

■詩篇118:6主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。118:7主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。118:8主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。118:9主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。118:10すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。118:11彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。
★よき励ましの言葉、主への信仰の告白ですね。それにしても作者は何のためにこの告白をしたのでしょうか。自分の生活を守るために決めた枠を越えて入って来ようとするもののためでしょうか。それとも神様の恵み深さを宣べ伝えようと働くその状況においてでしょうか。

■エレミヤ24:5「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。この良いいちじくのように、わたしは、この所からカルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。24:6わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。
★主は関わられるお方です。何の為に関わられるのか。あなたを良い者としたいと願うためです。あなたへの主の動機は愛、期待です。

■1ヨハネ2:1私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。
★人が死んだら全ての人が立つことになる神様が定めた審判の席において、最大の救いはキリストを受け入れた者の弁護者としてイエス様がたって下さる事。「私は彼のその罪のためにも十字架に掛かったのです」。その時はじめて本当の意味で人はキリストの救いの大きさと豊かさを知ることになるでしょう。ヒデ

日曜日, 12月 04, 2011

20111204_詩篇67_1ヨハネ1

■詩篇67:1どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。67:2それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。67:3神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。
★神様の祝福を願い求めるイスラエルの姿がここに。その目的は「あなたの御名が全世界で崇められるためです。」とイスラエルは語ります。最もきよい祈り、大義の中に人間の罪深さは潜みます。自らの欲のために、聖なる神様のを御名を利用することがありませんように。神様はかかげられる大義と同時に私たちの動機も尋ねて下さり、約束の民が滅びることのないように導いて下さるお方です。主の愛と導きに感謝。

■1ヨハネ1:6もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。1:7しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。1:8もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。1:9もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
★9節の「その罪」とはどんな罪かを知ることは重要です。一般的な罪でも、誰かの罪でもありません。直球です。あなたが今神様と人の前に隠し持っているあなたの心にあるその罪です。主はなぜそれを指摘なさるのでしょう。赦す用意と根拠があるからです。永遠の滅びではない、永遠のいのちをあなたに選びとって欲しいとの願いがあるからです。あなたは主に愛されています。ヒデ

土曜日, 12月 03, 2011

20111203_詩篇105_ヨハネ21

■詩篇105:1主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。105:2主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。105:3主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。105:4主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
★神様によって造られた人間は、本来何を中心に生活すべきでしょう。主です。主に歌い、主にほめ歌を歌い、奇しいみわざに思いを潜め、主の名を誇りとし、主ご自身を慕い求めるなら、その人は主から必ず祝福されます。ハマルティアとはヘブル語の罪の意味ですが、語源は的を外すという内容です。そしてソロモンは箴言を最後に「伝12:13結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」と外してはならない的をまとめました。

■ヨハネ21:9こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。
★一時主の復活を喜ぶも、結果的にガリラヤに帰り漁をしている弟子たちに主が現れて下さった場面です。なぜガリラヤにと言うなら、「わたしはその人を知らない」と、3度主を裏切ったことが重荷となっていたペテロの心がそうしたのでしょう。主を裏切ったその時もペテロの前には炭火がおこしてあって、それに当たるふりをして主の弟子であることを彼はかくしていました。そんなペテロの重荷と悲しみを知ってか、主はこのところでも炭火をおこして待ち「あなたは私を愛するか」と尋ねて下さいました。裁くためではありません。愛するため。赦すため。励ますためでした。主はあなたの全ての過ちをしておられます。しかし責めてはおられません。そのための十字架です。ペテロ同様「主よ、あなたは私があなたを愛していることをご存じです」と申し上げましょう。そこから新しい人生が始まります。ヒデ

金曜日, 12月 02, 2011

20111202_エレミヤ35_ヨハネ20

■エレミヤ35:15わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送って、さあ、おのおの悪の道から立ち返り、行いを改めよ。ほかの神々を慕ってそれに仕えてはならない。わたしがあなたがたと先祖たちに与えた土地に住めと言ったのに、あなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。35:16レカブの子ヨナダブの子たちは、先祖が命じた命令を守ってきたのに、この民はわたしに聞かなかった。』
★預言者を通して神様が嘆きを語られます。人が定めた戒めでさえレカブの子孫たちはこれを重んじるのに、どうしてあなたがたは私の言葉を重んじないのかと。神様は目に見えないので、その定めをまもり続けるのに困難が生じるのでしょうか。イエス様は、ある時「あなたがたは神のことばを差し置いて、人間の言い伝えを優先し、神の権威を無効にしている」と語られました。何にもまさって優先して受け取るべきは神のことばです。

■ヨハネ20:27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
★なんとトマスは幸いでしょうか。最初に復活の主が現れたとき彼はその場にいなかったのです。喜びにあふれる他の弟子たち。しかし、彼はその中に心を開いて入ることが出来ませんでした。「わたしのいないときになぜ主は現れたのか?」そんな、さみしさや嫉妬にも似た気持ちが働いたのかも知れません。思わず「私の指を、手を釘あとに差し入れなければ信じない。」。しかし自分の気持ちを正直に訴える彼の前に主は現れて下さいました。主の前に自分を偽ることなくでる人は幸いです。その人に復活の主は出会って下さいます。ヒデ

木曜日, 12月 01, 2011

20111201_エレミヤ25_ヨハネ19

■エレミヤ25:5主は仰せられた。「さあ、おのおの、悪の道から、あなたがたの悪い行いから立ち返り、主があなたがたと先祖たちに与えた土地で、いつまでも、とこしえに住め。25:6ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そうでないと、わたしもあなたがたにわざわいを与える。
★神様が忌み嫌われるもの、それは偶像礼拝。このことはこの箇所も、聖書全体を通しても明白です。ただ偶像の形はそれぞれ違います。要は真の神様以外でその人が依存し神にしようとするもの。しかも目に見えるものばかりでなく、目に見えないものも偶像となり得ます。神様はその罪と愚かさを止めさせるために、時に私たちの人生を震われます。頼りにならないものを神とし、その人が永遠に滅びる事がないためです。

■ヨハネ19:26イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。19:27それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。19:28この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
★十字架上のイエス様の言葉です。「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られた主は「女の方、そこにあなたの息子が。そこにあなたの母がいます」と語られます。イエス・キリストは十字架上で罪の赦しと神の家族の回復、関係の回復のために祈られたのです。罪とは関係が切れる断絶です。キリストはその断絶を、ご自身のいのちの犠牲と愛によってひとつとするために来られました。和解の道を選び取る人は幸いです。ヒデ

水曜日, 11月 30, 2011

★20111130_詩篇112_エレミヤ22_ヨハネ18

■詩112:4主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。112:5しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う人は。112:6彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。112:7その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。
★情け深く誠実であること。人と接することにおいてどれほどその人は相手に安心感という益をもたらすことでしょう。しかし相手への益だけではありません。むしろ自分自身に帰ってくる益の方が大きいことをここから学びましょう。ゆえに詩37:3では「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。」と勧めます。

■エレミヤ22:21あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。
★生き方への評価であるなら預言者エレミヤに感謝の思いも湧くでしょう。しかし、こんな指摘であるなら聞きたくもありません。しかし本当に私たちに必要なのは心地よい言葉ではなく真実なことばです。「若いころから」と言うなら既に習慣化されています。もう自分では変われないと言うことです。主に叫びましょう。主に触れて頂きましょう。そこに希望があるのです。

■ヨハネ18:39しかし、過越の祭りに、私があなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」18:40すると彼らはみな、また大声をあげて、「この人ではない。バラバだ」と言った。このバラバは強盗であった。
★「この人ではない。バラバだ」とは、無実なキリストを「十字架に付けろ」の意です。そこに人の罪性が。罪は人を思わぬ方向につき動かし、その人に後悔と滅びを与えます。やはり私たちには救い主が必要です。ヒデ

火曜日, 11月 29, 2011

20111129_詩篇93_エレミヤ18_ヨハネ17

詩篇93:5あなたのあかしは、まことに確かです。聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ、いつまでも。
★「あなたの家」とは新約の教会、すなわちキリストにある共同体を意味します。その交わりはきよいことがふさわしいと言うのです。「聖」とは単一な、混じりけがないと言うことです。たとえ日本人は本音と建前を上手に使い分け「和」を保つことが得意であったとしても、それは神様の御心ではありません。教会が機能不全家族となりませんように。透明な関係を築き、人生を共有できますように。

■エレミヤ18:2「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたに、わたしのことばを聞かせよう。」18:3私が陶器師の家に下って行くと、ちょうど、彼はろくろで仕事をしているところだった。18:4陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。18:5それから、私に次のような主のことばがあった。18:6「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。─主の御告げ─見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。
★そうですあなたは主の手の中にあって生かされているのです。恵みです。憐れみです。

■ヨハネ17:15彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。17:16わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。17:17真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
★キリスト者とは世に遣わされる者との視点で主は弟子たちに関わり、この最後の晩餐で上のようにとりなして下さいました。この世に飲まれる者ではなく、この世にキリストにあって影響を与えるものでありますように。ヒデ

月曜日, 11月 28, 2011

20111128_詩篇96_エレミヤ17_ヨハネ15

■詩篇96:13 確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。
★主の再臨の預言です。2000年前十字架で救いを完成するために来られた主は、今度は正しい裁きを行うために再び来られます。さらに神様の経綸は艱難時代、千年王国、新天新地と続くのです。裁きとは正しく酬いを受けることでもあります。主にあるものはゆえに畏れるに及びません。あなたは既にキリストの愛を受け取って神様の者とされましたか。

■エレミヤ17:5主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。17:6そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。17:7主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。17:8その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。
★この真理を悟っていたエレミヤは「私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。」と祈りました。

■ヨハネ16:33わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
★なぜ世では艱難が?人類が犯し続けた罪の蓄積ゆえです。世は闇ですが、あなたはキリストにあって光とされたゆえとも言えるでしょう。闇は光を好みません。しかし勇気をもって主と立ち上がるのです。世を愛しておられる神様の存在を証しするために。ヒデ

日曜日, 11月 27, 2011

20111127_エレミヤ15_ヨハネ15

■エレミヤ15:16私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。15:17私は、戯れる者たちの集まりにすわったことも、こおどりして喜んだこともありません。私はあなたの御手によって、ひとりすわっていました。あなたが憤りで私を満たされたからです。
★預言者エレミヤが神様の言葉に対していかに関わろうとしていたかが明確にあらわされた箇所です。エレミヤは御言葉が自分の血となり肉となるようにと深く黙想したのです。味わいましょう。あなたの内に御言葉によって信仰が芽生えるまで。

■ヨハネ15:4わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。15:5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
★キリスト者にとって「キリストにつながる。キリストにとどまる。」とは成熟の生涯のために非常に大切なメッセージです。なぜならキリスト者は自分の力で御霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、忠実、柔和、自制」を結ぶことができないからです。私ではなく、キリストです。そうは言いつつも自分がときどき見え隠れする人がいます。そうではなく、自分を十字架につけ、キリストの栄光を慕い求めつつ父なる神様に栄光をお返しする生涯を全うしましょう。ヒデ

土曜日, 11月 26, 2011

20111126_エレミヤ10_ヨハネ14

■エレミヤ10:23主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。10:24主よ。御怒りによらず、ただ公義によって、私を懲らしてください。そうでないと、私は無に帰してしまうでしょう。10:25あなたを知らない諸国の民の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって、これを絶滅させ、その住まいを荒らしたからです。
★自分の弱さを認め、神様の憐れみを求め、裁きは主に訴え、ゆだねる。これが人のあるべき姿です。この生き方をするなら誰に知られなくても神様が尊んで下さいます。反対に自分を過信し、神様を侮り、自ら裁き主としておごり振る舞うなら、もうし滅びしかありません。当然です。しかし罪に霊が支配されると、この当然のことが分からなくなるのです。

■ヨハネ14:1「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。14:2わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。14:3わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
★感謝ですね。主によってあなたのための永遠の住まいが備えられるとは。でも考えてみるとそもそもそれが神様の全ての面における人への配慮だったのですよ。人を造られ主はただ身勝手に人を創造し、どうにもこうにも住めない場所に人を置いたわけではありませんでした。ただ人の罪が人を住み難くさせたのです。キリストにあっては将来に対して思い煩う必要はありません。委ねましょう。神様が最善をなして下さいます。ヒデ

金曜日, 11月 25, 2011

20111125_エレミヤ7_ヨハネ13

■エレミヤ7:3イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。あなたがたの行いと、わざとを改めよ。そうすれば、わたしは、あなたがたをこの所に住ませよう。7:4あなたがたは、『これは主の宮、主の宮、主の宮だ』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。7:5もし、ほんとうに、あなたがたが行いとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行い、7:6在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、7:7わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。
★主が私たちに願っておられることは行いと生き方です。しかしこれが変えられることほど難しい事はありません。ではどうすれば変わることができるのでしょう。答えは一つです。イエス様に出会うことです。その時人は変わります。あなたはザアカイのことをご存じですか。ルカ19:1-10。人は真にイエス様に出会えれば変われるのです。

■ヨハネ13:6こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」13:7イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」13:8ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
★自分の汚れは自分できれいにしてから神様と交わる、そうではありません。自分でできないから神様に関わって頂く。救いとは神様がイエス・キリストを通して差し出して下さった愛を受け取ることです。その時あなたは変われます。ヒデ

木曜日, 11月 24, 2011

20111124_エレミヤ5_ヨハネ12

■エレミヤ5:28彼らは、肥えて、つややかになり、悪事に進み、さばきについては、みなしごのためにさばいて幸いを見させず、貧しい者たちの権利を弁護しない。5:29これらに対して、わたしが罰しないだろうか。─主の御告げ─このような国に、わたしが復讐しないだろうか。5:30恐怖と、戦慄が、この国のうちにある。5:31預言者は偽りの預言をし、祭司は自分かってに治め、わたしの民はそれを愛している。その末には、あなたがたは、どうするつもりだ。」
★あわれみを忘れ、偶像礼拝に走るイスラエルの民に対する叱責を神様は預言者エレミヤを通して語られました。ガラテヤ5:14では、「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもって全うされるのです。」とも語られます。憐れみの心、隣人愛は人生のオプションではありません。この天において偶像礼拝者にならない人は幸いです。

■ヨハネ12:35イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。12:36あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。
★十字架を前にした群衆とのやり取りの主の言葉です。この少し前主は「父よ。御名の栄光を現してください。」と祈られましたが、そのとき、天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」との声がありました。そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言いますが、イエス様は「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。」と父なる神様の御声を紹介されました。闇の支配の前にキリストを信じましょう。ヒデ

水曜日, 11月 23, 2011

20111123_エレミヤ4_ヨハネ11

■エレミヤ4:1「イスラエルよ。もし帰るのなら、主の御告げ─わたしのところに帰って来い。もし、あなたが忌むべき物をわたしの前から除くなら、あなたは迷うことはない。4:2あなたが真実と公義と正義とによって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、主によって誇り合う。」
★エレミヤはイスラエルが神様に真に立ち返るなら、周りの国々も主にある祝福と誇りを回復すると預言します。そう立つべき人が立つべきところに立つとき、秩序が回復し、神様の祝福はその人を通して流れ始めると言うのです。あなたはそのカギを握る神の皇太子イスラエルとして召し出されています。

■ヨハネ11:39イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」11:40イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
★「その石を取りのけなさい」とは、主がマルタとマリヤの兄弟ラザロを甦らせる時に語られた言葉です。そこに集った人々は主が語られたとおりに、既に蓋をしたその墓石を取りのけます。するとどうでしょう。「ラザロよ出て来なさい」との主の言葉の通り、ラザロはよみがえり、人々の前に姿を現したのです。しかし人々の当初の反応はどうでしたか。「無理です。不可能です。死んで四日も経っているのですから」でした。「石を取りのける」とは、その思いを、不信仰を取り除くと言うことです。主が命じられるなら無から有が創造され、嵐は静まり、死人は甦るのですから。あなたも「子よしっかりしなさい。あなたの罪は赦されたのだ」との御声によって、罪赦され、永遠のいのちを生きるものとされたのではありませんか。主が語られる不信仰を取り除きましょう。ヒデ

火曜日, 11月 22, 2011

20111122_エレミヤ1_ヨハネ10

■エレミヤ1:11次のような主のことばが私にあった。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」1:12すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」
★「私はあなたを万国の預言者とした」と、主が召し出された、若き預言者エレミヤに語られた言葉です。「あなたは何を見ているのか」と問われますが、それで人の関心がどこにあるかが分かります。ある人は貯蓄・金融関係に。またある人は芸能関係、さらに健康、趣味・娯楽、政治・世界情勢と。その中でエレミヤは「見張り」の象徴的意味を持つアーモンド「神様の経綸・計画」に目を留め関心を払っていました。昨日も「夜が来る。すると誰も働けなくなる」との主の御声を聞きました。いま生かされている命は恵みによって頂いている命です。チャンスを生かし天に宝を積む業に生きるものでありましょう。

■ヨハネ10:37もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じないでいなさい。10:38しかし、もし行っているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」
★主を信じず、殺そうする宗教指導者たちに主が語られた言葉です。彼らはイエス・キリストが主張する「私と父とは一つである」が受け入れられないのです。すなわちそれはイエス様の神性・イエス様が神様であることが受け入れられないと言うことです。常識で考えても、たとえ非常識に立って考えたとしても、確かにあり得ないことです。しかしそれが、おこったのです。ただ神様が愛、一人も滅びることを願わないお方ゆえです。キリストの言葉と行いがもう一度神様から出たものかどうか目を閉じ黙想してみましょう。ヒデ

月曜日, 11月 21, 2011

20111121_ゼパニヤ3_ヨハネ9

■ゼパニヤ3:14シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。3:15主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。3:16その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。3:17あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
★あなたのことを愛し、あなたを喜びとしておられる主がいます。あなたは自分のことが好きではないですか。もしそうなら、好きでないところ、自分でも自分が受け入れられないところを正直に主の前に心を注ぎだしてみて下さい。主はそれでもあなたのことをありのまま、わたしの楽しみと語られます。

ヨハネ9:2弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」9:3イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。9:4わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
★神様のわざが現されるために、神様はあなたをそのまま生かされました。人生の意味はまず神様に問わなければなりません。自分だけでいくら考えても答えは出て来ません。十字架を見上げましょう。父なる神様の愛を受け取りましょう。夜がきます。それでも、あなたはその時も働くことができる存在。人々に希望と慰めを与えることのできる存在とされています。ヒデ

日曜日, 11月 20, 2011

20111120_ヨハネ8

■ヨハネ8:57そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」8:58イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
★イエス様と律法学者が激突した結論部分です。律法学者たちは主が悪霊につかれていると主張します。主は、私は天の父を重んじているんだと、そして私の言葉を守る者はいつまでも死なないと。この時律法学者たちは主が語られた「私の言葉を守る者はいつまで死なない」にかみついたのです。その上主は「アブラハムは私がやがて受肉し、人々の前に立つこの日を楽しんだ」とまで語ったのです。宗教家たちが語る「イエスよお前は50にもならなのにアブラハムを見たのか」とは最もです。しかし主は「そうではない。私がアブラハムを見たのではなく、アブラハムが2000年前この私を見たのだ」「アブラハムの生まれる前から私は『有ってあるもの』だ」と。すなわちモーセに自身の名を明らかにした神なのだと語られたのです。イエス・キリストとは単なる宗教家指導者ではありません。こうした主張をした上で本当のところイエス・キリストがもし神様でなく人であったとしたら、まさに地上最強のペテン師です。地上最強のペテン師か神様か、そのどちらかです。そしてイエス様は神様なのです。「私はアブラムのうまれる前からいる」と語られる言葉と存在の中に救いがあることをかみしめる人は幸いです。ヒデ

土曜日, 11月 19, 2011

20111119_2列王23_ヨハネ7

■2列王23:24さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、それに、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。これは、祭司ヒルキヤが主の宮で見つけた書物にしるされている律法のことばを実行するためであった。23:25ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。
★イスラエルの歴史の中で偶像礼拝に対してこれほど徹底的な姿勢をとったのはヨシュア王以外にありません。それにしても人は何故偶像を造るのでしょうか。その人の心の深いところを掘り下げるなら隠された恐れと高慢に行き着くのです。しかし、本当の意味で恐れを取り除き、高慢を砕いて下さるお方は「恐れるな」と近づいて下さる、真の神「イエス・キリスト」以外にありません。心に造る偶像を捨て、キリストのもとに行きましょう。

■ヨハネ7:37さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。7:38わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」7:39これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
★恐れやあきらめの心を取り除きあなたの心にいのちと喜びを注がれるお方は偶像ではありません。知って下さい。そのお方は聖霊様です。このお方は父なる神様、子なる神様と共に天地を造られたお方で、人々の心にキリストが神たることを証しする霊です。飢え乾き求むべきはこのお方聖霊様です。このお方を認めましょう。心の内に歓迎しまょう。あなの人生が変わります。ヒデ

金曜日, 11月 18, 2011

20111118_ヨハネ6

■ヨハネ6:37父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。6:38わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。6:39わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
★飼う者のない羊のような人々の姿を見た主は、ガリラヤ湖畔で御言葉を語られ、彼らを慰められましたが、そののち少年が差し出した5つのパンと2匹の魚を用いて、2万人近い人々を養われました。その恵みに与った人々の反応はというと主の追っかけです。「このお方に従ったら食いっぱぐれがないに違いない」そう思ったかどうかは別として、民は「モーセは荒野でマナを降らせて下さいましたが、従う者にあなたは何を下さるのですか」と主に迫ります。その時の答えが冒頭の御言葉で「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」でした。そう、決して主はあなたを捨てられることはありません。またあなたが罪を犯したから息苦しくなり、主の元を離れようと、どんなにあなたが身を隠しもがいても、あなたは主の遠くへ行くことはできません。あなたは赦されているのです。愛されているのです。決して主はあなたを捨てられることはありません。主はその証明としてご自身のいのちを十字架に捨てられたのです。ヒデ

木曜日, 11月 17, 2011

20111117_ナホム1_ヨハネ5

■ナホム1:14主はあなたについて命じられた。「あなたの子孫はもう散らされない。あなたの神々の宮から、わたしは彫像や鋳像を断ち滅ぼす。あなたはつまらない者であったが、わたしはあなたの墓を設けよう。」
★神様から離れた人間。どれほどの価値があるのでしょう。主はつまらないもの、いのちの失われた存在であることを曖昧にはなさいません。しかし同時に、いのちの関係を断ち切る偶像、すなわち罪を取り除き回復の恵みを与えて下さるお方です。墓を設けるとは、死に場所を設けると言うこと。いったいどれ程の人がその生涯において、自分のいのちを懸けても惜しくないほどに悔い無き、価値あるものに出会うことでしょう。主はあなたにそのいのちの捨て場所を与えて下さるお方です。日野原重明先生は「いのちは時間、与えられたミッションに生きる為に与えられた恵み」と語られます。

■ヨハネ5:39あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。5:40それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
★イエス様が人々に向かって語られたメッセージの結論部分です。主は旧約聖書は私のことが書かれてあると宣言なさいました。すなわちアブラハムに現れ、イサクに現れ、ヤコブに現れモーセに現れた神は私だと。そうです。主は父なる神様と共に、ことばなる神として「光あれ」と、その宣言によって光を創造され、約束の民にご自身を現して来られたお方、そのお方がクリスマスに受肉なさったのです。聖書の中に命があるのではありません。聖書の中に証しされたこのお方、イエス・キリストの中にいのちがあるのです。キリストに近づきましょう。いのちの関係を信仰によって開いて頂きましょう。神様の愛はその信仰のパイプを通してあなたの内に豊かに注がれます。ヒデ

水曜日, 11月 16, 2011

20111116_2歴代33_ヨハネ4

■2歴代33:1マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王であった。33:2彼は、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねて、主の目の前に悪を行った。33:3彼は、父ヒゼキヤが取りこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。……33:21アモンは二十二歳で王となり、エルサレムで二年間、王であった。33:22彼は、その父マナセが行ったように、主の目の前に悪を行った。彼は、その父マナセが造ったすべての刻んだ像にいけにえをささげ、これに仕えた。
★神様の選びの民の行いが聖書に覚えられているのと同様、私たちの行いも天に覚えられています。その上で罪を消し去って下さるのがイエス・キリストの血潮です。「御子イエスの血が全ての罪からきよめるのである」の通りです。ハレルヤ。

■ヨハネ4:3主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。4:4しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
★イエス様は目的地としたガリラヤに行くため、わざわざ遠回りまでして、なぜサマリヤに行かなければならなかったのでしょう。人生を踏み外し人目を避け、自分でも自分自身を受け入れられなくなっていた一人の婦人に神様の愛を注ぐためでした。主は井戸の傍らで「私に水を飲ませてくれませんか」と語りかけられましたが、最終的に5回の結婚と今なお6人目の男性と共に過ごしていても満たされなかった婦人の心は変えられ、あふれる喜びを自分の中に留められない程になったのです。アダムの子孫である人はみな罪と傷を負っています。主はそれを赦し癒すために尋ねて下さるお方です。遠回りではありません。あなたに赦しと命を注ぐこと、それが主の願いであり、そのために主は来て下さったのです。ヒデ

火曜日, 11月 15, 2011

20111115_イザヤ65_ヨハネ3

■イザヤ65:17見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。65:18だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。65:19わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
★神様からの言葉をたまわった預言者イザヤはキリスト誕生の750年前にすでに新天新地の約束を語っています。ここに記されている通りです。陸上競技者はどんなに速く走ることができたとしても、自分が入るべきゴールを知らなければ勝利することは出来ません。主はあなたのためにゴールを明確にしておられます。やがてこの世には終わりが来ます。この世の何かをあなたの人生のゴールにしてはなりません。永遠に存在される神様に望みを置きましょう。

■ヨハネ3:17神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。3:18御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。3:19そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。……3:21しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
★神様との交わりを慕い求めて一人静まりたいと願うのは別です。しかし人がそれ以外の理由で交わりを避けようとするとき要注意です。その背後に罪や癒されるべき傷が今なお痛んだまま存在している場合があります。御子イエス様はあなたを救うために来られました。主に向かって心を開き、近づき続けましょう。ヒデ

月曜日, 11月 14, 2011

20111114_イザヤ64_ヨハネ2

■イザヤ64:1ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。……64:3私たちが予想もしなかった恐ろしい事をあなたが行われるとき、あなたが降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。64:4神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。64:5あなたは迎えてくださいます。喜んで正義を行う者、あなたの道を歩み、あなたを忘れない者を。ああ、あなたは怒られました。私たちは昔から罪を犯し続けています。それでも私たちは救われるでしょうか。
★2000前に主が来られたことを初臨、これからやがて来られることを再臨と表現します。そして主の再臨の預言は初臨の預言よりもまさって多く300以上あります。そのお方はあなたを迎えるため、歴史を完成へと進ませるために来られます。そして「でも私たちは救われるでしょうか」との問いにあなたは言わなければなりません。「主が代価を払われたので大丈夫です」と。

■ヨハネ2:9宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、──しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた──彼は、花婿を呼んで、2:10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
★結婚披露宴でもてなすぶどう酒がなくなるとは花婿花嫁にとって悲劇でした。その悲劇を主は救われますが、用いた材料は水と二人を愛する者たちの従順でした。主の奇跡に与る人がいます。主の奇跡の現れのために隠れたところで直向きに労する人がいます。どちらも幸いです。あなたはこの両方の味を知っていますか。両方知ることが大切です。ヒデ

日曜日, 11月 13, 2011

20111113_イザヤ60_ヨハネ1

■イザヤ60:19太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。60:20あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。
★主の預言はやがてそのことが起こった時すたれます。預言よりも、起こり現れたそのことの方があまりにも尊く栄光に満ちているからです。同様に主ご自身が信じる者の光となる時が来ます。確かに信じるお互いは既に心の中にその光を頂いています。けれど本当にやがての日、主が新天新地の光となる時がくるのです。あなたの涙をぬぐわれるお方がいます。その方は来られます。見あげましょう。主にあったお互いの霊を奮い立たせて頂きましょう。

■ヨハネ1:29その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
★キリストを「言」と表現し、永遠のはじめからおられたお方として紹介するヨハネの福音書の書き出しです。その「言なるお方が人となって私たちの間に住まわれた」とマリヤの処女降誕を展開するヨハネですが、では何のためにキリストは来られたのか。その答えを一言であらわした言葉が上の御言葉です。私たちの罪の自ら担い、神への贖いの献げ物として死ぬために来られたキリスト。彼はあなたの罪のために刺し通され、あなたの咎のために砕かれたのです。あなたはその打たれた傷によって癒されます。疑うナタナエルに主の弟子ピリポは来てみなさいと語ります。あなたはことばなるキリストの前にもう既に行かれましたか。キリストの言葉に触れることを通して心に感動を覚えるなら、それはもはや聖霊様があなたの心に触れておられるのです。ヒデ

土曜日, 11月 12, 2011

20111112_詩篇103_イザヤ58_2ペテロ3

■詩篇103:8主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。103:9主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。103:10私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。103:11天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
★主のいのちの代価によって贖われた者として主に似る者として頂けるなら何と感謝でしょう。主はいつまでも怒ってはおられないお方です。あなたはどうですか。いつまでも一つのことを根に持ち怒り、憤り、争ってはいませんか。赦しのために取りなす。それが主の霊を受けた者に最もふさわしい姿です。

■イザヤ58:6わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。58:7飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。58:8そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。
★イザヤは真の宗教とは単なる儀式ではなくライフスタイルであることを諭します。そう私たちは生き方が問われているのです。

■2ペテロ3:9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
★一人も滅びることを願わない父の心に生きる人は幸いです。ヒデ

金曜日, 11月 11, 2011

20111111_イザヤ53_2ペテロ2

■イザヤ53:4まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。53:5しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
★イザヤに与えられた主の預言です。キリストが十字架にかけられる750年前の出来事です。しかし、まるで十字架を目の前で見ているような預言です。主は十字架によって私たちの病を引き受け、当然支払うべき罪の代価を払い終わって下さいました。ゆえに癒された、赦され解放されたのです。あなたはこれを自分のこととして受け取る必要があるのです。その時この預言が成就します。

■2ペテロ2:20主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。2:21義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。
★ペテロは主の十字架と復活の福音を受け入れつつも罪を犯し、恵みからそれて行く教会に上の言葉を贈ります。福音とはそもそも恵みです。本来受ける資格のないものにも与えられる恵みです。与えられる福音に価値がないわけではありません。御子の命がかかった福音で、あまりの価値にお金で換算できないので、ただで受けたのです。それを軽んじる魂とは、まさに霊の目が閉ざされているとしか言いようがありません。その当然の結果として彼は滅びを刈り取ることになるのです。知らずに犯す罪よりも、知って犯すあなどりの方が遙かに求められる代償は大きいのです。間違ってはいけません。ヒデ

木曜日, 11月 10, 2011

20111110_詩篇92_イザヤ52_2ペテロ1

■詩篇92:13彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。92:14彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。92:15こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。
★今朝は熟年の皆さんへのチャレンジです。あなたのくちびるに溢れる言葉はどんな言葉が多でしょう。愚痴ですか。つぶやきですか。それとも主への感謝ですか。背中を伸ばし、胸をはりましょう。あなたは主の誇りです。

■イザヤ52:11去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。52:12あなたがたは、あわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ。
★「主の器をになう者として自分をきよく保て」と語られる時、あなたは何を連想しますか。その人の持つセルフイメージによって答えは大きく異なるかも知れません。責めを感じる必要はありません。受け入れられるためにではありません。すでに愛され受け入れられいるからこそです。既に主はあなたを守っておられます。

■2ペテロ1:16私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。1:17キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
★ペテロの変貌山での体験です。彼はモーセとエリヤとともにいる主を見たのです。同様に主は栄光の体をもって再び来られます。ヒデ

水曜日, 11月 09, 2011

20111109_イザヤ46_1ペテロ5

■イザヤ46:3わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。46:4あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
★「なお」とは、今までもそうで、これからもそうするということです。何をそうするのでしょう。主があなたを背負われることです。押しのける者ヤコブは決して彼を諦めない神様の恵みと御手によってイスラエル(神の皇太子)とされました。あなたと、その人生に対しても主はヤコブ同様夢見て下さり、担って下さり、そして完成して下さいます。あなたもそんな主に同意して、自分自身とその生涯を生きた備えものとして主の前に差し出すのです。

■1ペテロ5:6ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。5:7あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。5:8身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
★ペテロはこの勧めを、「若い人たちよ」と語ったあとに記します。若い時は横にいるライバルや同年代の人のことが格別気になりやすいからでしょうか。友として励まし合う事は素晴らしいですね。しかし、目の前の相手との競争ばかりに縛られていては、あなたの内にある神様が下さっている宝に気づく時間もないですね。心配は無用です。高くしてくださるのは神様です。思い煩うよりもむしろ、さあ主を見上げ、主に信頼し、み前の直向きな一歩を始めましょう。ヒデ

火曜日, 11月 08, 2011

20111108_イザヤ43_1ペテロ4

■イザヤ43:1だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。43:2あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。……43:4わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している……。
★神様のご自身の民に対する愛が余すところなく注ぎ出されます。主はここで出エジプトの出来事を取り上げ民の心に語りかけようとなさいますが、あなたも人生の中で一度や二度絶体絶命のピンチを経験したことがあるのではないですか。その中で今あるのは、その背後に主がおられ、主が助けて下さったからではないですか。

■1ペテロ4:7万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。4:8何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。4:9つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。4:10それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
★神様はこのみことばを通してこの時代、強くご自身の思いを語りたいと願っておられるのではないでしょうか。天地創造を始められた主は、その完成、新天新地に向けて働かれ、経綸的には今まさに教会時代から、キリストの再臨を経て、艱難時代にさしかかろうとしています。キリストが語られた「天地は滅びます。しかし私の言葉は滅びることはありません」は単なる脅しではありません。だから、備えるのです。祈り合い、愛し合い神様の前に立つものとして。ヒデ

月曜日, 11月 07, 2011

20111107_イザヤ40_イザヤ41_1ペテロ3

■イザヤ40:28あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。……40:30若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。40:31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
★疲れない者とは「主を待ち望む者は」です。あなたは疲れていませんか。静まっていますか。待ち望んでいますか。

■イザヤ41:8しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。41:9わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」41:10恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
★まさにこのことばも我々が深く心に受け止めるため聞くべき言葉です。主は決してあなたを捨てることなく守ると約束なさいます。そのためにこそアブラハムすえとして、主はあなたを召し出したのですから。

■1ペテロ3:8最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。3:9悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
★召し出された理由についてペテロはイザヤ41章と同じ理由をあげます。それ以外にないからです。主の愛を感謝しましょう。主はあなたを愛しておられます。ヒデ

日曜日, 11月 06, 2011

20111106_詩篇75_1ペテロ2

■詩篇75:2「わたしが、定めの時を決め、わたしみずから公正にさばく。75:3地とこれに住むすべての者が揺らぐとき、わたしは地の柱を堅く立てる。75:4わたしは、誇る者には、『誇るな』と言い、悪者には、『角を上げるな。75:5おまえたちの角を、高く上げるな。横柄な態度で語るな』と言う。」75:6 高く上げることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。75:7それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。
★「わたし」と語られ「誇るな。角を上げるな。公平に裁く。」と語られるお方は主です。あなたではなく主です。このお方への従順を学びましょう。そこにこそ揺るぎない信仰と感謝がうまれます。

■1ペテロ2:22キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。2:23ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。2:24そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。2:25あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
★あなたはここでペテロが語った言葉をそっくりそのまま「アーメン」と告白出来ますか。ならば感謝しましょう。お金をいくら積んでも到底得ることのできない宝を既にあなたは手にしています。永遠の命です。それとも告白出来ませんか。ならばあなたの目は霊的意味において開かれる必要があります。そのために飢え乾きがおこされるように、やがて満たされるように祈りましょう。そこからあなたの永遠は始まり、そのいのちは輝きを放ち始めます。ヒデ

土曜日, 11月 05, 2011

20111105_詩篇76_イザヤ37_1ペテロ1

■詩篇76:2神の仮庵はシャレムにあり、その住まいはシオンにある。76:3その所で神は弓につがえる火矢、盾と剣、また戦いを打ち砕かれた。
★主は主を受け入れた人の心の内に住み、内にある戦いを止めさせて下さるお方。止めるようにと導かれるお方です。「黙れ、静まれ」と嵐を静められる神様に自分自身をゆだねる決心をする人は幸いです。

■イザヤ37:16「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。37:17主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばをみな聞いてください。37:18主よ。アッシリヤの王たちが、すべての国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。37:19彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。37:20私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。」
★アッシリアの王がユダに攻め入ろうとした時、ユダ王国の王ヒゼキヤが神様の前に注ぎだした祈りです。主は祈りを覚えられるお方。この祈りのゆえに、主はご自身の御手を動かし、攻め入ろうとするアッシリアの内側に問題を起こさせ、セナケリブ王を自国に連れ戻されました。絶体絶命からの回復です。あなたの強さ、弱さが問題ではありません。主に心注ぎだして祈る祈りが、あなたの内にあるかないかが問題です。

■1ペテロ1:22あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。
★真理に従うことによって与えられた尊い宝があなたの内にある。ハレルヤ!ヒデ

金曜日, 11月 04, 2011

20111104_2歴代32_ヤコブ5

■2歴代32:20そこで、ヒゼキヤ王とアモツの子預言者イザヤは、このことのゆえに、祈りをささげ、天に叫び求めた。32:21すると、主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべての勇士、隊長、首長を全滅させた。そこで、彼は恥じて国へ帰り、彼の神の宮に入ったが、自分の身から出た子どもたちが、その所で、彼を剣にかけて倒した。
★上の御言葉は、アッシリアの王セナケリブが南ユダ王国に入り城壁のある町々に陣をはり、「ヒゼキヤは、『私たちの神、主は、アッシリヤの王の手から私たちを救い出される』と言って、おまえたちをそそのかし、飢えと渇きで、おまえたちを死なせようとしているではないか。おまえたちは、私と私の先祖たちが地のすべての国々の民に対して、何をしてきたかを知らないのか。地の国々の神々が彼らの国を私の手から救い出すことができたか。今、おまえたちは、ヒゼキヤにごまかされるな。」と語った時に取った行動です。結果、神様はヒゼキヤと預言者イザヤの祈りに応えてユダ王国を守って下さいました。サタンは様々な言葉と誘惑によってあなたの神様への信頼をなくそうとします。しかしだまされてはなりません。勝利は常に神様の側に立つ者に与えられるのです。

■ヤコブ5:12私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。
★終末の近いことを感じた主の兄弟ヤコブの言葉です。彼は、真実に対して、ことばを付け加えることも、取り除くこともしなくてよいと語ります。そうでなければ知らぬまにサタンに陥れられるのです。それだけ終末は、神様の恵みも多いと共に誘惑も多いのです。欲にひかれてはなりません。

木曜日, 11月 03, 2011

20111103_2歴代31_ヤコブ4

■2歴代31:20ヒゼキヤはユダ全国にこのように行い、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行った。31:21彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした。
★25才で王になたヒゼキヤ。彼は主の宮を聖別し先祖たちが持ち込んだ偶像および汚れたものを一掃します。神様がその御顔を聖所から背け、国に注がれていた祝福が失なわれたからです。彼がこの宗教改革に取り組むにあたり聖書は「決心した」と記します。そうです。改革のためには勇気ある決断が必要です。そして自分自身から始めることが必要です。そのため改革の費用は王の所有の蔵から宝を持ち出しと語ります。少しずつかも知れません。しかし確実にその輪は広がり、遂に彼はその目的を果たします。果たすべき使命を諦めてしまってはなりません。できないことを数えるのではなく、実現した時、かなえられる主の祝福を夢見て、なすべきことを一つ一つ積み上げましょう。

■ヤコブ4:5それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。4:6しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」4:7ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。4:8神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
★へりくだって神様に近づく。聖書が繰り返し語る祝福の生涯のための中心メッセージです。ここに生き続けようと心砕く人は幸いです。ヒデ

水曜日, 11月 02, 2011

20111102_詩篇46_ヤコブ3

■詩篇46:1神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。46:2それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。46:3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。
★作者はなぜ天変地異の中にあってもこの詩をもって自らを支え、神様の栄光を拝することができたのでしょうか。それは「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」との御声を聞き、聖なる住まいに座しておられる主を霊の目をもって見たからです。「やめよ」とは「むだな企てをやめ、静まれ」の意味です。サタンは天変地異をもって人の心の中に動揺を与え、神様への信仰を失わせようと働きます。だまされては、惑わされてはなりません。主は必ずそのあなたの課題からあなたを助け出されるお方です。

■ヤコブ3:17しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。3:18義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
★ヤコブは召し出された人々が祝福の中を歩むため、よき御霊の実を刈り取るために「しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。」と語り、祝福のカギが何かを示します。「言葉づかい」です。「やめよ」と語って下さる主の前にしばし静まり、普段自分が語る言葉をから、自らの内面を顧みましょう。神様にある言葉は人に希望を与え、人を慰め、癒し、平和をもたらします。ヒデ

火曜日, 11月 01, 2011

20111101_イザヤ33_ヤコブ2

■イザヤ33:1ああ。自分は踏みにじられなかったのに、人を踏みにじり、自分は裏切られなかったのに、人を裏切るあなたは。あなたが踏みにじることを終えるとき、あなたは踏みにじられ、あなたが裏切りをやめるとき、あなたは裏切られる。33:2主よ。私たちをあわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。朝ごとに、私たちの腕となり、苦難の時の私たちの救いとなってください。
★力にものを言わせる生き方と、神様を畏れる者の生き方の対比です。力にものを言わせる誘惑に駆られる者の内面を掘り下げたら、そこには高慢か恐れが出てくることでしょう。この二つはまさに神様に取り扱って頂くべきテーマです。主の御もとには柔和と平安、そこからうまれる感謝と希望が満ちています。あなたは力にものを言わせようとする道を選択してはなりません。それはほろびです。

■ヤコブ2:14私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
★当時教会には「主を信じる」と告白しても、貧しい者は軽んじ、裕福そうに見える人々は優遇するといった卑怯な思惑が生じはじめていました。そこで主の実弟であり弟子ヤコブは人を生かす信仰とは何かを率直に正します。確かに人は主を信じただけで救われます。信仰義認です。しかし聖書の言う信仰とは、信仰と従順を別々に切り離すことができるようなものではなくひとつで、だからこそ行いによって自分の信じるものが何かを見せることができたのです。アブラハム、ラハブしかりです。信仰と従順を切り離そうとする誘惑に陥ってはなりまんせん。それは偽善であり罠です。あなたを救う何の力にもなりません。ヒデ

月曜日, 10月 31, 2011

20111031_ヤコブ1

■ヤコブ1:2私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。1:3信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。1:5あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。1:6ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。1:7そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。1:8そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
★マリヤの子であり主の実の弟であるヤコブの手紙です。彼はさらに「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」と続けます。試練と信仰とは何かを彼はテーマとしましたが、試練とは神様が下さったチャンスであり、信仰とはその試練の中で働かせ、神様からの祝福を受け取る手段と紹介します。面白いですね。既に「心に植え付けられている御言葉をもう一度受け入れよ」などと。言葉を換えると御言葉を知っていること、心で「良いなーっ」と思っているレベルと違うと言うことです。信じて受け入れてそこに立ち、それに基づいて行動することが大事なんだと言うのです。信じているのにそれに基づいた行動でなければ二心の者で、その人は神様を祝福を期待できないと語ります。あなたは心に植え付けられている御言葉を素直に受け入れそれに基づいて生活していますか。ヒデ

日曜日, 10月 30, 2011

20111030_イザヤ25_ヘブル13

■イザヤ25:8永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。25:9その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」
★幼い時、信頼していた人から「男のくせに泣くな」と言われ、わいてくる悔しさと悲しみ、また憎しみから「二度と泣くものか」と決心し、結果人は人生に喜びと涙を忘れてしまう事さえあります。すなわち人生の一部分で人であることを自分自身、否定してしまうのです。しかし主は、あなたの涙を受け止めて下さるお方。あなたの良いところはもちろん、欠けたところもありのまま受け止め、あなたの目から涙をぬぐい、あなたの心に喜びと希望を返して下さるお方です。

■ヘブル13:5金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」……13:8イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
★あなたをどんなことがあっても捨てられず、保たれる方があります。そのお方が主キリストの父なる神様です。このお方は変わりません。いつも同じ姿勢と愛をもってあなたに関わって下さいます。父なる神様があなたを裁きの目で見ておられますか。いいえあなたの内に責められるべき罪があるのではないですか。あなたを喜んでおられる父なる神さまを感じますか。ずっと神さまは、あなたのことを誇りの息子、娘と思っておられました。でもよかったですね。あなたの内に父なる神様への感謝と愛が満ちあふれているのですね。キリストは変わりません。常に真実です。ヒデ

土曜日, 10月 29, 2011

20111029_ヘブル12

■ヘブル12:1こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。12:2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。12:3あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。
★まとわりつく罪を捨てて、「信仰の創始者であり完成者であるイエスを仰ぎつつ走ろうではないか」とここは勧めます。聖書はまことの神様を信じる信仰をつくって下さり完成して下さるのはイエス様だと教えます。信仰とは自分の努力で頑張ったり、造り出したりするものではないのです。イエス様を見あげるときに与えられ、うまれるものです。嵐の湖の上を主が歩いて弟子たちの船に近づいたとき、弟子たちは恐れました。しかしそれが主だと分かったとき、ペテロはどうしたでしょう。「私に命じてあなたの御もとに行かせて下さい」と。主は「来なさい」と語られましたが、嵐の中でも主を見続けたペテロはどうなりましたか。おぼれることなく水の上を歩いて主の御もとに近づくことができました。しかし船に向かってイエス様と共に帰るとき、イエス様ではなく嵐の激しさに目を留めるやいなやおぼれそうになりました。あなたの心に信仰をつくり、それを完成して下さるお方は主です。あなたが一心に目を注いでも間違いのないお方は主です。このお方を仰いで進みましょう。その時あなたは生きるのです。仰ぎ見る者は生くべし。ヒデ

金曜日, 10月 28, 2011

20111028_ヘブル11

■ヘブル11:1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。……11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
★信仰によって、信仰によってと繰り返し繰り返し旧約の聖徒たちの信仰が紹介される箇所で、信仰の力の偉大さが余すところなくこのところに紹介されます。あなたは信仰は力であることを知っていらっしゃいますか。しかもそれは神様の力を引き出すパイプ。また神様から与えられる恵みでもありますが、全能者に対して無力である人間が唯一、神様と関係を築かせて頂ける手段でもあります。何も神様に与えるものを持ち合わせない人。しかし神様はそんな人である私たちが、神様の全能と、そのご性質である愛と真実に寄り頼み近づく時、それを喜こび、惜しむことなく命と祝福を注いで下さいます。ゆえに信仰がなくては喜ばれることができません。人間とはギリシャ語で「アンソローポス」。すなわちそれは上を仰ぐ者との意。仰ぎましょう。神様が喜んで下さいます。従いましょう。神様が成し遂げる力を注いで下さいます。そしてそんなあなたを神様はご自身の友と呼んでくださるのです。ヒデ

木曜日, 10月 27, 2011

20111027_ヘブル10

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:37「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。10:38わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」10:39私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
★「私たちに必要なものは忍耐です」と、なぜでしょう。それはキリストが「わたしはあなたのみこころを行うことを喜びます」と父なる神様に語られ、みこころに従って、ご自身のからだをただ一度十字架にささげられたことにより、私たちはもはや聖なるものとされているからです。あなたは神様の目には既にきよい者とされています。御子のいのちの代価が払われたからです。あなたを訴える者はもはや外にはないのです。しかし、内なるあなた自身が、まだきよめられていないあなた自身を訴えることがあるでしょう。そのために忍耐が必要です。そのために自分自身に蓋をするのではなく、自分の弱さを認め神様の前にそれを持ち出す勇気が必要です。その作業は自動的かつ機械的なものではなくあなた自身が自由意志を働かせ同意する必要があるのです。神様の恵みはもしあなたが心を開くなら、あなたが信じ切れない領域にまで届く豊かさを持っています。約束のものを頂くために勇気を持ちましょう。聖霊様の語りかけに敏感になりましょう。たがいに励ましあい祈り合いましょう。聖霊様の恵みがあなたの存在の一番深い領域まで豊かに満ちあふれますように。ヒデ

水曜日, 10月 26, 2011

20111026_イザヤ11_イザヤ14_ヘブル9

■イザヤ11:1エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。11:2その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。11:3この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、11:4正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。11:5正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。
★ダビデの子孫として誕生する主キリストの預言です。その見えるところによって裁かず、その聞くところによって判決を下さない。難しい事ですね。あなたは人に関わるとき善意で関わろうとしますか。それともレッテルを貼りたくなりますか。何よりもまず私自身が無意識の中で掛けてしまい、かつ、今も気づかないまま掛けている色眼鏡のある可能性を認めることは大切です。人は思い込みと、自身の内なる傷で反応し、人を裁くことがあるのです。

■イザヤ14:27「万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを戻しえよう。」

■ヘブル9:26……しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。9:27そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
★キリストは必ずあなたの前に立たれます。いえあなたがキリストの前に立つときが来るのです。準備はできていますか。ヒデ

火曜日, 10月 25, 2011

20111025_イザヤ9_ヘブル8

■イザヤ9:6ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。9:7その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
★神たるキリストが受肉なさる預言です。神様は預言者イザヤをとおして救い主に関する多くの預言を人類に与えられましたが、その中でも最も有名なものの一つがこの預言です。みどり子としてうまれるキリスト。しかしそのお方は神ご自身であり、主権者。さらにワンダフルカウンセラー。このお方は傷んだ芦を折ることなく、くすぶる灯心を消すことのないお方。そうあなたの命を守られるお方です。
■ヘブル8:7もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。8:8しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。
★はじめの契約すなわちモーセの律法と、キリストによる新しい契約が対比されている箇所です。キリストの血が、この新しい契約の基礎として十字架の上でながされました。キリスト者はこの契約に仕える者です。今やキリストが十字架上でひらかれた契約の血潮は、全世界に向かって、「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめるのである」と宣言しています。あなたの罪は赦されます。それがたとえ緋のように赤くとも。あなたの傷は癒されます。主はあなたの罪と病をも十字架の上で担われました。その打たれた傷によってあなたが癒されるために。信じ受け取り、新しい命に生きましょう。ヒデ

月曜日, 10月 24, 2011

20111024_ミカ5_ヘブル7

■ミカ5:10その日、主の御告げ──わたしは、あなたのただ中から、あなたの馬を断ち滅ぼし、あなたの戦車を打ちこわし、5:11あなたの国の町々を断ち滅ぼし、要塞をみなくつがえす。5:12わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする。5:13わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。5:14わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。
★あなたの中には除かれるべき誇り(馬・戦車)、決して非を認めない頑なな心(要塞)、真実を誤魔化し責任転嫁しようとする心(呪術師・占い師)、自分を神とし主を認めない心(刻んだ象・石の柱)がありますか。あれば主はそれを取り除かれます。理由は、あなたの人生をそれらはしばり虚しくするからです。

■ヘブル7:24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。7:25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
★神たるキリストがなぜ人となり、祭司として父なる神様への献げ物をしなさければならなかったのか。理由は人間の場合、たとえ祭司といえども不完全で、ゆえに年々献げ物を繰り返さざるを得ず、また罪の贖いをなすことができないゆえでした。しかしキリストは十字架の上にご自身をささげることによって、ただ一度で罪の贖いを成し遂げられたのです。だからキリストはご自分によって神様に近づくあなたを完全に救うことができます。キリストは永遠に存在される神様ご自身であなたのために愛と真実をもって執り成しをしておられます。ヒデ

日曜日, 10月 23, 2011

20111023_ミカ4_ヘブル6

■ミカ4:1終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。4:2多くの異邦の民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
★そうです。主はご自身の道をあなたにも示して下さいます。あなたは迷うことはありません。また主はあなたの歩幅に合わせて共に歩いて下さるお方です。「あしあと」と言う詩はごぞんじですよね。ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出されていた。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」
■ヘブル6:10 神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。
★持ち運んで下さるお方に従いましょう。ヒデ

土曜日, 10月 22, 2011

20111022_詩篇100_ホセア13_ヘブル5

■詩篇100:1全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。100:2喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。100:3知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。100:4感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
★「喜びをもって感謝しつつ御前に近づけ」と勧められますが、あなたは何を根拠に主を喜び、また感謝しますか。この朝立ち止まって考えてみませんか。今日あなたがしなければならない大切な決断があるなら、立ち止まることはそれを助けることになるでしょう。

■ホセア13:2彼らは今も罪を重ね、銀で鋳物の像を造り、自分の考えで偶像を造った。これはみな、職人の造った物。彼らはこれについて言う。「いけにえをささげる者は子牛に口づけせよ」と。13:3それゆえ、彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露のように、打ち場から吹き散らされるもみがらのように、また、窓から出て行く煙のようになる。
★ここに偶像礼拝者の愚かさと結末が警告されます。何より偶像は自分のために刻み、やがてそれに取り憑かれ、心が無感覚になり、命を失い、滅びます。そう断固止めなければならないのです。

■ヘブル5:8キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、5:9完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、5:10神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
★キリストは私たちの弱さを思いやることのできない方ではありません。いつも生きていてあなたを救うことができます。あなたは求めたことがありますか。このお方を。ヒデ

金曜日, 10月 21, 2011

20111021_詩篇73_ホセア10_ヘブル4

■詩篇73:21私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、73:22私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。73:23しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。73:24あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。73:25天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。
★これを新約聖書で表現すれば「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)でしょう。「我がまま」な思いを主の恵みのゆえに十字架につける。ここからこそが祝福のクリスチャンライフのスタートです。

■ホセア10:12あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。
★贖われた者としての託された人生と賜物、それは収穫に備えて種を蒔く人生です。もはやあなただけの人生と賜物ではありません。勤しみましょう悔いのない人生に向けて。

■ヘブル4:15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
★あなた自身とあなたの置かれた環境を理解し思いやって下さるためにキリストはおとめマリヤのお腹を借りて受肉されました。感謝。ヒデ

木曜日, 10月 20, 2011

20111020_ホセア6_ヘブル3

■ホセア6:1「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。6:2主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。6:3私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」
★主は引き裂かれるお方。なぜでしょう。主はまた「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」(マタイ10:34)とも語られます。そう主は問題の本質を隠したまま触れないで、結局のところその人にとって何の解決にも祝福にもならなかったと言うような関わりを方を願われないのです。あなたを本当に愛しておられるのです。思わぬ主が裂かれたならば、何故なのか、その理由を静まって主に聞いてみましょう。

■ヘブル3:12兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。3:13「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。3:14もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。3:15「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。
★どんな人が主の祝福を損なうのでしょう。託された時間を無駄に使い、心を頑なにし、信仰を失う人です。私たちは勇気を持たなくてはなりません。ことの本質に向き合い、その解決を主以外にではなく、主に求め近づく勇気を。ヒデ

水曜日, 10月 19, 2011

20111019_ホセア2_ヘブル2

■ホセア2:14それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。2:15わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。
★淫行の罪を犯した妻ゴメルを受け入れよと語られる主の御声に基づいて預言者ホセアは彼女を迎えます。妻ゴメルは夫ホセアをとおして示される主の愛にふれて「アコル」すなわち「苦悩」の谷を望みの門とします。われたガラスを風呂敷で包めばガラスは風呂敷を確かにかき裂きます。しかしそのようなホセアの愛によってゴメルは変えられ、私たちは主の愛によって癒されました。その打たれた傷によってあなたがたは癒されたとは真実です。

■ヘブル2:16主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。2:17そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。2:18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
★単に助けて下さるだけではありません。その弱さ、苦しみ、悲しみ、痛みを理解して下さってその上で助けて下さるのです。その上聖書は「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(7:25)と「いつも完全に」救って下さる事が付け加えられます。このお方を仰ぐことが信仰です。感謝しましょう。信じましょう。そして従いましょう。ヒデ

火曜日, 10月 18, 2011

20111018_ヘブル1

■ヘブル1:1神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、1:2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。1:3御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
★御子とはもちろんイエス・キリストです。このお方が「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」(詩篇40:7-8)と、子なる神ご自身でありながら、父なる神様の心を知った者としておとめマリヤのお腹をかりて受肉なさったのです。目的は御心を成し遂げるために。しかしそもそもこのお方は永遠のはじめから父なる神様と共に存在しておられた方であり、天地創造の時には父なる神様の傍らにあって「光あれ」と命じられ、光を創造なさった神様ご自身でした。そのことを明らかにするためにヘブル人の手紙の著者は冒頭の御言葉のように手紙を書き始めたのです。あなたはご存じですか。イエス・キリストが父なる神様と世の始まる前から共におられた神様ご自身であることを。
ヒデ

月曜日, 10月 17, 2011

20111017_2歴代26_イザヤ6_ピレモン1

■2歴代26:18彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。「ウジヤよ。主に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。あなたには神である主の誉れは与えられません。」
★祭司たちに上の様に言われたイザヤは怒ったと聖書に記されていますが、どうして怒る必要があったのでしょうか。宗教改革まで断行したウジヤなのに。彼はその勢力が増し加わったとき高ぶったのです。託された力を管理するとは何と難しい事でしょう。あなたにはどんな力が託されていますか。

■イザヤ6:5そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
★主を見た預言者イザヤの告白です。この後神様は彼を恵みによってきよめ大きく用いられます。神の臨在に触れることこそが人を高慢、滅びから救います。ウジヤ王が高慢ゆえ主に打たれ亡くなった年、国の衰退を憂い主の前に近づくイザヤにおこったことでした。

■ピレモン1:10獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。1:11彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。1:12そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
★「彼は私の心そのもの」。このパウロの憐れみに満ちた告白に父なる神様の心を見ます。父なる神様は同じ心を持ってあなたをこの世に送り出されました。あなたは主の心そのものの誇りの存在です。ヒデ

日曜日, 10月 16, 2011

20111016_詩篇115_イザ5_ユダ1

■詩篇115:2なぜ、国々は言うのか。「彼らの神は、いったいどこにいるのか」と。115:3私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。115:4彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。115:5口があっても語れず、目があっても見えない。115:6耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。115:7手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。115:8これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。
★結局偶像とは罪人が自分のやりたいことを肯定するための言い訳としてつくるもの。その腹は貪欲と汚れで、結局のところ自分を神とするためです。やめましょう偶像礼拝は。

■イザヤ5:7まことに、万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。5:8ああ。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている。
★主はイスラエルにどれ程の夢を見、愛情を注ぎ込まれたことか。あなたに対しても同様です。偶然ではなく意図をもってそこにあなたを植え付けられたのです。仰ぎましょう。

■ユダ1:19この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。1:20しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
あなたは生まれつきのままの人ですか、それとも御霊の人ですか。ヒデ

土曜日, 10月 15, 2011

20111015_イザヤ1_テトス3

■イザヤ1:18「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。1:19もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。1:20しかし、もし拒み、そむくなら、あなたがたは剣にのまれる」と、主の御口が語られたからである。
★神様から言葉を頂き、それを民に取り次ぐべく召された預言者イザヤの言葉です。「雪のように白くなる」とは「罪が完全に消し去られることができる」と言うことです。なんと言う驚くべき恵みでしょう。しかし一体どれ程の人がこの真理を知り、そこに生きていることでしょうか。多くの場合、人々は犯した罪の正しい処理法を知らず、ひた隠しにし、与えられたその尊い人生そのものを腐らせてしまいます。主の前で持ち出すのです。キリストも私のもとに来なさい、休ませてあげようと語られています。

■テトス3:8これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。
★パウロが確信を持って話すように願う有益なこととは何でしょう。神様に背を向けた結果、罪に死ぬものとなった人間、しかしキリストの十字架の贖いをとおして、神様は私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださった。これがいつの時代、どの国に生まれても有効な福音です。この福音を信仰によって受け取る時あなたは救われます。ヒデ

金曜日, 10月 14, 2011

20111014_詩篇104_アモス9_テトス2

■詩篇104:6あなたは、深い水を衣のようにして、地をおおわれました。水は、山々の上にとどまっていました。104:7水は、あなたに叱られて逃げ、あなたの雷の声で急ぎ去りました。104:8山は上がり、谷は沈みました。あなたが定めたその場所へと。104:9あなたは境を定め、水がそれを越えないようにされました。水が再び地をおおうことのないようにされました。
★創世記1:7を思い出して下さい。神様は大空の上の水と下の水を分けられました。ここにもその事が。ノアの洪水を通して山々の上にとどまっている水は40日40夜の雨となって地に降り注がれましたが、ここでは「水はあなたに叱られて逃げ」と詩的に歌われます。神様の壮大な創造のご計画と御力をほめたたえましょう。あなたはこの主の御手によって母の胎に造られたのです。

■アモス9:8見よ。神である主の目が、罪を犯した王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、わたしはヤコブの家を、全く根絶やしにはしない。
★この神様の語りかけをあなたはどう受け取りますか。「もうけ」と取りますか。それとも畏れますか。こののち御言葉は9:10「わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ」と続きます。

■テトス2:11というのは、すべての人を救う神の恵みが現れ、2:12私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、2:13祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。
★神様が私たちに悟らそうとしておられることが上の御言葉です。主に会う備えをしましょう。主は来られます。ヒデ

木曜日, 10月 13, 2011

20111013_詩篇86_アモス5_テトス1

■詩篇86:11主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
★イスラエルの王ダビデの祈りです。敵に命を狙われる時、大きな決断をしなければならないとき、誰かによって陥れられようとする時、彼は上の祈りを祈りました。「私の心を一つにして下さい」とは、きよくして下さいの意味です。二心でない、混ざりけのない心で神様の御心を選び取ろうとしたのです。人生において一番大きな課題は私たちお互いの心です。ダビデの祈りから学びましょう。

■アモス5:4まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」
★預言者アモスを通して主が選びの民に語った言葉です。民は試練の中、ベテル、ギルガル、ベエルシバと祭壇のある地へ行こうとしましたが、ささげられる礼拝は形式的なもので真に神様を求めようとしてのそれではなかったのです。語られたらそこに従う決心をして主の御声を聞くことの尊さを覚えましょう。神様は「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」と語られます。

■テトス1:15きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。1:16彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。
★ただ恵みによって救われました。しかし救われた者として、自らの言動を吟味することは大切です。ヒデ

水曜日, 10月 12, 2011

20111012_詩篇80_アモス3_2テモテ4

■詩篇80:4万軍の神、主よ。いつまで、あなたの民の祈りに怒りを燃やしておられるのでしょう。80:5あなたは彼らに涙のパンを食べさせ、あふれる涙を飲ませられました。80:6あなたは、私たちを隣人らの争いの的とし、私たちの敵は敵で、私たちをあざけっています。80:7万軍の神よ。私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。
★イスラエルの驚くべき良きところ。それは祝福を失った理由を弁えていること。帰るべき神様を知る民の幸いを思います。

■アモス3:7まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。3:8獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。
★牧者であり、農夫であったアモス。彼は職業的預言者集団に属していたわけではありません。神様が直接召し出されたのです。あなたも同様です。新約の預言者として語るべき言葉を民に語り、祭司として神様の前に取りなしましょう。

■2テモテ4:2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。4:3というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、4:4真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
★まさに終末、今がそうしたときかも知れません。自分の都合で神様の言葉をより分けることがありませんように。ヒデ

火曜日, 10月 11, 2011

20111011_2列王13_2テモテ3

■Ⅱ列王13:18ついでエリシャは、「矢を取りなさい」と言った。彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。13:19神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」
★神の預言者エリシャの死を前にした出来事です。当時のイスラエルの王ヨアシュが敵国アラムの攻撃を憂いエリシャに寄り頼んだとき、エリシャが語った言葉が上の言葉です。「もっと打つべきだった」これは霊の戦いの原則です。祝福と勝利を勝ち取るためには繰り返し繰り返し求め続ける事。大切なことは「大切なことを大切にし続けること。」誰かに言われたからではなく、主を愛する愛ゆえに主体的に熱心に飢え渇く人は幸いです。

■2テモテ3:12確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。……3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。3:16聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。3:17それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
★「聖書とは何か」をここに記されている内容に基づいてあなたの言葉で表現して下さい。そう聖書とはそういうものです。聖霊様によって開かれる書。祈りつつ、聖霊様の語りかけに耳を傾けつつ、心を開いて読みましょう。人の言葉は耳に届きますが、神のことばは聖霊の感動をもって直接心に届きます。ヒデ

月曜日, 10月 10, 2011

20111010_2テモテ2

■2テモテ2:8私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。2:9私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。2:10ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。2:11次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。2:12もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。2:13私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」
★主の弟子パウロの愛弟子テモテに対す勧めです。人となり、贖いを完成し復活なさったキリストの中にこそ人生勝利の秘訣が。パウロはこのキリストをいつも思っていなさいと書き送ります。この時パウロは捕らえられ獄中の身でしたが、このお方キリストにあって自由を得、「私はつながれていても、神のことばはつながれていない」と霊的勝利を歌います。ある人は状況や環境、能力に全く縛られ、それに支配されて夢と機会を失います。しかしパウロは「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである」と彼に懸けた人生を全うします。どちらを選びますか。その選択はあなたに委ねられています。ヒデ

日曜日, 10月 09, 2011

20111009_ヨエル2_2テモテ1

■ヨエル2:28その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。2:29その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。2:30わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。血と火と煙の柱である。2:31主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。2:32しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。
★信じ待ち望む弟子たちの上に聖霊がくだり、教会は誕生しましたが、その時くだった聖霊様は今も少しも変わることなく信じる私たちの心に働きかけ、私たちを導き、ご自身の力強い業を進めて行かれます。もしそれを留めるものがあるとするなら、私たちの心の中に巣くう不信仰です。バプテスマのヨハネは「悔い改めて福音を信ぜよ」と語りました。信じて一歩踏み出す。それが信仰です。

■2テモテ1:12そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。
★主の弟子パウロはなぜこんなにも確信に満ちた歩みができたのでしょう。じつはこの箇所にはその秘訣が。彼はここで自分が信じている方がどんなお方かをよく知っていると語ります。あなたはどうですか。このお方をどのくらい知っているかによってその人の確信は変わります。私たちの信仰はこのお方に掛かっていることを知る人は幸いです。ヒデ

土曜日, 10月 08, 2011

20111008_2歴代24_1テモテ6

■2歴代24:17 エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。24:18彼らはその父祖の神、主の宮を捨て、アシェラと偶像に仕えたので、彼らのこの罪過のため、御怒りがユダとエルサレムの上に下った。24:19主は、彼らを主に立ち返らせようと預言者たちを彼らの中に遣わし、預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった。24:20神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤを捕らえたので、彼は民よりも高い所に立って、彼らにこう言った。「神はこう仰せられる。『あなたがたは、なぜ、主の命令を犯して、繁栄を取り逃がすのか。』あなたがたが主を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた。」24:21ところが、彼らは彼に対して陰謀を企て、主の宮の庭で、王の命令により、彼を石で打ち殺した。
★人にとって最も恐ろしいことがここに。神様の前に罪を犯したヨシュア王の前に預言者が遣わされましたが、彼はそれに耳を貸さず遂に預言者「神の御声」を殺します。それは預言者をではなく、実は自らを殺す自殺行為。この後ヨシュアはわが子を殺し、自ら重病を病み、遂には家来たちに見捨てられ命を落とします。心に語られる神のことばを殺してはなりません。

■1テモテ6:6しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。6:7私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。6:8衣食があれば、それで満足すべきです……6:11……神の人よ。あなたは、……正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。
★キリストは心を神様の愛と感謝でいっぱいに満たすために来られました。ヒデ

金曜日, 10月 07, 2011

20111007_1テモテ5

■1テモテ5:8もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。
★エペソ書5:22-6:9を見るとキリスト者がどこに遣わされて行くべきものかが紹介されています。妻たちよ……。夫たちよ……。子供たちよ……。父たちよ……。奴隷たちよ……。主人たちよ……と。そう、キリスト信仰とは、教会として皆で集い励まし合うと共に、ひとりびとり神様から「あなたがたは地の塩です。世の光です」と、その使命と責任を果たすべき場所でキリストを生きるために遣わされるものであることが教えられています。そして最も大きなミッションはキリストの愛をもって家族に仕えること。家族を愛すること。あなたが最優先にキリストを生きる様にと紹介されている場所が家族であり、次に職場や学舎等社会です。キリスト者とは決して世捨て人ではありません。キリストによって、その愛に満たされて、遣わされていくべき場所に遣わされるべき存在です。主の弟子パウロが記した手紙の中でこのテモテ5章ほどに気ままなキリスト者に対して厳しい言葉をもって記された書はありません。ここまで記すのかと思う程です。パウロの言葉の裏にある愛を読み取りましょう。そしてそこに生きましょう。やがての日、恐れなく主の前に立ち、主からの冠を得るためです。ヒデ

木曜日, 10月 06, 2011

20111006_1テモテ4

■1テモテ4:12年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。4:13私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。4:14長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。4:15これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。4:16自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。
★神様を信じるとは人の前にではなく、神様の前に生きることなんだとパウロが愛弟子テモテを諭そうとしている箇所です。既にこの時代は「……してはならてい。……しなければ救われない」と、恵みによる信仰からそれて、自らの行いをもって神様の前に出ようとするやからが幅を利かそうとする、そうした中での助言でした。結局その違いは信仰を通して自分を誇る者となるのか、それとも神様を誇る者となるのかの違いとなってあらわれます。隠れているもので現れないものはありません。神様は、人が神様の前に蒔いたものを必ず刈り取らせて下さるお方。そのことを通して信じる者に報いて下さるお方です。人を恐れると罠に陥ります。今日もこれからも神様の前に悔いのない生き方をささげさせて頂きましょう。ヒデ

水曜日, 10月 05, 2011

20111005_2列王6_1テモテ3

■2列王6:5ひとりが材木を倒しているとき、斧の頭を水の中に落としてしまった。彼は叫んで言った。「ああ、わが主。あれは借り物です。」6:6神の人は言った。「どこに落としたのか。」彼がその場所を示すと、エリシャは一本の枝を切って、そこに投げ込み、斧の頭を浮かばせた。
★イソップの金の斧の話しではありませんがエリシャが預言者学校の建築において不思議をなす場面です。人間的には考えられない次元です。主はもとめられた税のために(マタイ17:27)「しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。と語られたことがありました。あなたはここからどんなメッセージを受け取りますか。

■1テモテ3:6また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。
★教会の監督の職につきたいなら、執事になりたいなら、婦人執事になりたい人がいるならと、パウロは愛弟子テモテにあてた手紙を通してその基準を示します。注目したいのはここには悪魔が何故に堕落し、自らの身に裁きを受ける者となったを明らかにしています。原因は高慢です。主に仕え、教会に仕えたいとの思いは尊いこと。しかし悪魔はその動機の中に巧妙に高慢の思いを忍び込ませ、神の人を滅ぼし、その業を無価値なものにしようとします。私に限って大丈夫と思っているその人は最も危険です。私は危ないかもと思う人は更に要注意です。すなわちこの誘惑に無関係な人は一人もないのです。キリストの中に留まり、主の恵みを数えましょう。主への感謝がこの誘惑に対する最大の防御策です。ヒデ

火曜日, 10月 04, 2011

20111004_2列王4_1テモテ2

■2列王4:6器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。4:7彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」
★預言者エリヤの後継者としての霊を受けたエリシャは次々と主の業をなしてゆきます。夫を失った妻と子が生きていけるように油を器いっぱいに満たしたり、閉ざされた胎の夫人の胎を開き、子を産めるように祝福したり、煮物の中の毒を取り除いたりと。なぜそのような事ができたのでしょう。彼ではありません。彼の上に注がれた聖霊の力です。キリストは昇天まえ弟子たちの前で「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(1:8)と約束されました。

■1テモテ2:1そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。2:2それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。2:3そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
★過去に権威者から傷つけられた事がある場合(概ね父親からが多いですが)、権威者に従順を示すことが困難です。理屈を越えて反発の感情が先行してしまうのです。あなたは穏やかな気持ちで上に立てられた人の祝福を祈れますか。アーメンなら感謝。難しければ聖霊様に聞いて、傷んだ部分に癒やしといのちを求めましょう。ヒデ

月曜日, 10月 03, 2011

20111003_2列王2_1テモテ1

■2列王2:9渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。2:10エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」
★バアルとアシタロテの預言者450人と戦いイスラエルに勝利をもたらした預言者エリヤの召天間際の出来事です。師の死期を感じていた弟子エリシャはエリヤがどこに行くにも彼のもとを離れません。エリヤはベテルからエリコに、エリコからヨルダンにと進みますが一緒でした。そして神様が、従順をもってエリヤに従おうとするエリシャにエリヤの霊を授けられたのです。あなたは従順をもってキリストに従っていますか。その時キリストの霊があなたにやどります。

■1テモテ1:15「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。1:16しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
★今度は使徒パウロが愛弟子テモテに送った手紙です。パウロの、主から受け取った自己認識と召命観が記されます。そしてテモテもその道に進むのです。不思議ですね。本当に人とは尊敬し従順する人に似るのですね。今私たちの生き方が問われています。ヒデ

日曜日, 10月 02, 2011

20111002_コロサイ4

■コロサイ4:15どうか、ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言ってください。4:16この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラオデキヤから回って来る手紙を読んでください。
★パウロがコロサイ地方で主を信じるクリスチャンに書き送った手紙の最後の部分です。あなたがたのところで読まれたならラオデキヤ人の教会でも……とは、存在する教会はどこにあろうと唯一、キリストの教会であると言うことです。それぞれにキリストに愛され、キリストが語り導かれる教会です。にも関わらず、励まし合い、支え合いではなく、競争、批判、無関心、分裂がおこるとはどうしてでしょう。それがまさに人間の罪。またキリストではなくそれぞれの教会が自分を主としているからではないでしょうか。それぞれ自分の役割を心得ている共同体には調和があり働きも前進します。一人一人が自分の腹にではなく主に聞くことの尊さを思います。さてパウロはここで6回よろしくと語りかけ、4:6「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」と語ります。パウロの持つ価値観と生き様から学びましょう。ヒデ

土曜日, 10月 01, 2011

20111001_1列王21_コロサイ3

■1列王21:27アハブは、これらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し、また、打ちしおれて歩いた。
★ナボデのブドウ畑が欲しくてそれを申し出たイスラエルの王アハブ。「あり得ない」との答えを受けて彼はふて寝してしまいます。それを知った妻イゼベルはどうしたでしょう。ふて寝する夫を諭すのではなく、あなたは「王でしょう」と彼の権威を用いてよこしまな者に「ナボデは神と王を呪った」と言わさせ殺し、「さあナボデは死にました。自分のものにしなさい」と夫に語ります。もちろん悪妻イゼベルは最悪です。しかしそれ以上に幼児性を内に抱えた王アハブも問題です。彼がすべきことは預言者エリヤの指摘で悔い改めるよりもその前に、王として国を守るためにしっかりと立つことでした。結局互いを建て上げる夫婦と言うよりも、利用し合う夫婦だったのです。人はこの自分の内にもつ幼児性に光が当てられ、それに気づき、主による癒やしを受け取る必要があります。

■コロサイ3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
★教会の魅力とは何でしょう。共同体の中で自ら主に赦して頂いた者であることをお互い自覚している故に、愛によって知恵を尽くし、互いに教え、互いに戒め合えることではないでしょうか。比較的相手を受容することは難易度が低いかも知れません。しかし互いに戒めとなるとどうでしょう。遠慮が働き、時を逸してしまうかも知れません。しかし、聖書は互いに戒めです。確かに狭き道、しかし愛が全うされる道を選びましょう。主の愛に応えるために。ヒデ

金曜日, 9月 30, 2011

20110930_1列王17_コロサイ2

■1列王17:1ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」17:2それから、彼に次のような主のことばがあった。17:3「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。17:4そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
★クリスチャンとは旧約の預言者としての使命が託されていることを知っていますか。「あなた方は地の塩です」とある通りです。偶像礼拝を国に持ち込み圧政をなすアハブに対してまさにいのちがけで毅然とエリヤは臨みます。そして神様はそんなエリヤに烏を通して助けを用意して下さっていたのです。畏れるべきは神様。憎むべきは罪。これはいつの時代も変わりません。

■コロサイ2:13あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、2:14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
★レシートチェッカーを連想します。レストランで何を注文するのもその人の自由です。しかし最後に全ての人に求められるもの、それが精算です。精算が終われば支払い済みととしてそのレシートはレシートチェッカーに刺し通されます。すなわちキリストによってあなたの罪の支払いは完全に支払われたのです。主の恵みの中に生きましょう。ヒデ

木曜日, 9月 29, 2011

20110929_コロサイ1

■コロサイ1:13神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。1:14この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。1:15御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。1:16なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。1:17御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
★驚かれましたか。それとも既に知っていらっしゃいましたか。御子イエス・キリストとが神ご自身でいらっしゃったこと。更に聖書はすべての者がこのお方のために、このお方によって造られたと語っています。そう、このお方は神なのです。では神様であるお方が何故人に、そんなばかな?それは死者の中から最初に生まれたお方として、その十字架の血によって平和をつくり、ご自身によって万物を、神様と和解させてくださるためでした。私たちはかつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にありましたがこのお方の死によって、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立てる者とされたのです。聖書はこのキリストの支配の中にどどまりなさい。キリストは「わたしの内にいなさい。わたしにとどまりなさい」と語られます。「キリストのうち」は恵みの世界。しかしそこから一歩でるなら、完全な物差しである律法をたてに私たちは計られ、その足らないところをサタンに容赦なく糾弾される世界に身を置く以外ありません。キリストのうちに留まりましょう。そしてゆたかな赦しと恵みの中を感謝をもって歩みましょう。ヒデ

水曜日, 9月 28, 2011

20110928_ピリピ4

■ピリピ4:4いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。4:6何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。4:8最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。
★どんな時にも心に平安を頂き、その思いを守って頂く秘訣がここに。それは神様に自分の思いと願いを知って頂くことです。心とは「マリヤはそのことを心に留めていた」と主の母マリヤの様に思いを蓄えておく場所でもありますが、神様に思いを伝える働きもありります。そしてあまり大きな心配を自分の中だけに留めれば人は病むのです。すなわち心はいつも神様とつながっており神様に思いを受け止めて頂き、神様からの愛といのちを満たして頂くものとして作られ与えられているのです。心を神様に向けましょう。そして思いを知って頂きましょう。祈りを通して、天の父なる神様が確かに私の心を受け止めて下さったとの体験を味わい信仰生活を送る人は幸いです。ヒデ

火曜日, 9月 27, 2011

20110927_ピリピ3

■ピリピ3:11どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。3:12私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。3:13兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、3:14キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。3:15ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。3:16それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。3:17兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
★獄中にあっても「常に喜んでいなさい」とピリピのクリスチャンを励ます、ここに成熟した信仰者のあり方がパウロによって記されます。多くの牧師は「私を見てはいけません。主を見ましょう。」とよく語ります。しかしパウロは「私を見ならうものとなってください。」と逃げません。ここから主を信じるとは、ことばではなく生き方であることを感じます。「私は既に得たとは思っていない。ただキリストの復活にあずかるために捕らえようと追求しているんだ」と言うパウロの直向きさ、それが成熟した者の生き方です。主の恵みの中で歩ませて頂くよう悔い改め、主の恵みを背中で示す者としてさせて頂きましょう。ヒデ

月曜日, 9月 26, 2011

20110926_ピリピ2

■ピリピ2:4自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。2:5あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。2:6キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、2:7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、2:8自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。2:9それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。2:10それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、2:11すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。2:12そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。2:13神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。2:14すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。2:15それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、2:16いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
★パウロはクリスチャンの高慢に対して主がへりくだって下さった受肉を示しその霊を導きます。この世で光として輝くために召しだされたお互いです。一致のために心砕く者でありましょう。ヒデ

日曜日, 9月 25, 2011

20110925_ピリピ1

■ピリピ1:15人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。1:16一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、1:17他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。1:18すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。
★「いつも主にあって喜びなさい」と。喜びの書と呼ばれるピリピ書ですが、自分たちのグループでない者が福音を語った時、かつて12弟子たちは。「先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。」と語ります。が、パウロはここで「党派心からであろうと見せかけであろうと私は喜ぶ」と語ります。その心の広さの違いは何でしょう。自分の人生の評価の中心をキリストとするか、あるいは自分とするかの違い。また人を導くキリストの力への信頼でしょう。人の歓心を買うことに東奔西走する人生はむなしいものです。人生の焦点をキリストに合わせましょう。そして「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」と告白しましょう。やがての日あなたは御使いを通して、大きな冠をその頭にかぶらせられることでしょう。ヒデ

土曜日, 9月 24, 2011

20110924_エペソ6

■エペソ6:10終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。6:11悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。6:12私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。6:13ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。6:14では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、6:15足には平和の福音の備えをはきなさい。6:16これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。6:17救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。6:18すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
★クリスチャンの戦いは、人間的な血肉の戦いではなく、霊的な、すなわち人を高慢に落とし入れ、自分以外の人を見下し、軽んじ、人の足らない所に目を留めさせ、「あそこが出来ていない。ここが出来ていない。」と一致させないために裁かせようとする、悪の霊との戦いです。ゆえに「あなたがたの救われたのは実に信仰により恵みによるのです。」に留まらなければ決して勝つことが出来ません。しかも、クリスチャンを守る武具は後ろを守るものは何もないんですね。背を向けてはなりません。「先に相手が……したら。」ではなく、あなたの方から愛と赦し、一致の道を選びとって行きましょう。大能の主が共にいて下さいます。ヒデ

金曜日, 9月 23, 2011

20110923_伝道12_詩篇94_エペソ5

■伝道12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。12:14神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。
★神様を侮るのではなく、神様を敬う。ここに人として生きる道が。神様への従順が困難に思えるのは知識が足りないからではありません。それはもう聞かされていること。知識の問題ではなく、罪のゆえに人は神様に従えない者となったと聖書全体は語ります。ゆえにキリストは私たちの罪を背負って十字架に。この神様の愛を心に受け取りましょう。その時人は従順を生きる者へと変えられます。

■詩篇94:12主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。94:13わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜るからです。その間に、悪者のためには穴が掘られます。94:14まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。
★見放されず、お見捨てにならない約束は永遠です。心を神様に向け感謝をささげましょう。その時主の愛と命があなたの心に注がれます。

■エペソ5:22妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。…… 5:25夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
★結婚式の誓約の時に引用される御言葉ですが、教会とされたお互いがどこで新約の祭司として生きるべきかを教えた箇所です。会堂の中だけ、日曜日だけではありません。ヒデ

木曜日, 9月 22, 2011

20110922_伝道7_エペソ4

■伝道7:10「どうして、昔のほうが今より良かったのか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。……7:16あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。7:17悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。…… 7:20この地上には、善を行い、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから。
★この地上に正しい人は一人もいないので「正しすぎても、悪すぎてもいけない。」とは非常に深い真理です。自分を棚の上に上げて神になってはならないとソロモンは語ります。人の裁きの思いを常に狙い、落とし入れようとするサタンの存在を知っていたソロモンでした。

■エペソ4:25ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。4:26怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。4:27悪魔に機会を与えないようにしなさい。
★エペソ4章はキリストにある一致が強調され、それが世から召し出された教会の目的であることが語られます。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(4:13)の通りです。その実現にむけた具体的取り組みが怒りのコントロールです。不正に対する怒りは当然の感情で、義憤を抱けない腰抜けになってはなりません。しかし、その感情を握りしめ、自分を神の裁きの御座に座するものとしてもならないのです。動機は常に愛であるこを主は求められます。ヒデ

水曜日, 9月 21, 2011

20110921_詩篇18_伝道5_エペソ3

■詩篇18:29あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます。18:30神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。18:31まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。18:32この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。
★主への信仰の告白の詩篇です。ダビデはどれ程に主を信頼していたことでしょう。この詩篇はそれがビンビンと伝わります。あなたの場合はどうでしょう。揺るぐことのない主への信頼はその人の人生を拓き救います。

■伝道5:18見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。5:19実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
★追うべき十字架を黙々と追うことは大切です。合わせて人生を楽しむことも大切です。楽しんでいますか。神様がそれをゆるしておられる一度しかないあなたの人生。

■エペソ3:17こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、3:18すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、3:19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。★ヒデ

火曜日, 9月 20, 2011

20110920_詩篇45_伝道3_エペソ2

■詩篇45:6神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。
★世々限りなく続く神の国の支配において変わらない基準は公正です。「なぜ」と、今あなたには見えず、戸惑いとなっていることもあるでしょう。しかしそれが明らかになる時が来、納得が与えられる時が来るのです。いのちさえも与え尽くして下さったキリストの恵みと父なる神様の愛を人生の土台に据えましょう。悪魔は何とか人の心に神様への不信の思いを注ぎ込み、その人生を台無しにしようと働きます。

■伝道3:11神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。3:12私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。3:13また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
★やはりここでも全ての事が開かれていない中、私たちの明日を開くのは神様への信頼であることが語られます。信頼できる恵みを感謝しましょう。

■エペソ2:20あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。2:21この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、2:22このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
★知って下さい。あなたが教会です。あなたが神様の喜び、世界の希望です。主は二つのものを一つに和解させるため、あなたを召し出されました。ヒデ

月曜日, 9月 19, 2011

20110919_詩篇33_箴言30_エペソ1

■詩篇33:9まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。33:10主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。33:11主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。33:12幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。
★あなたは過去の呪いに囚われる必要はありません。主はそれを無効にされました。そうするために主は__c19__を選ばれたのです。

■箴言30:7二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。30:8不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。30:9私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。
★この祈りを生涯の祈りとして捧げ続ける。敬虔の生涯の秘訣はここにあるのではないでしょうか。

■エペソ1:10時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。1:11この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。
★あなたは召し出されました。キリストにあって全てのものを一つにしようとなさる神様のご計画に。キリストの心を心として今日も歩ませて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 9月 18, 2011

20110918_詩篇60_箴言29_ローマ16

■詩篇60:11どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。60:12神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。
★幼い時から神様に望みを置き続けて来たダビデ。しかしサウル王の妬みから生じる殺意の前にはさすがのダビデも弱り果てる時も。幾多の苦しみを経験したダビデは結果、人の救いはむなしいと告白し、とことん神様の救いを待ち望むものとされました。私たちもこのダビデの信仰にならいましょう。

■箴言29:25人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。29:26支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。
★恐れるべきは神様であることが明確に記されている箴言です。あなたは何を恐れますか。

■ローマ16:3キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。16:4この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
★ローマ人への手紙を閉じるに当たってパウロは17回「誰々によろしく。誰々によろしく」と感謝と気遣いをあらわします。知恵と才能。そればかりか生まれながらにローマ市民権さえ持つ者と恵まれたパウロ。かといって彼は主の働きを一人でしたわけではありませんでした。その表れが繰り返される「よろしく」との感謝です。罪は人を高慢にし孤立させます。しかし福音は互いの存在の尊さに目を開かせ、思いやりと尊敬の思いを増し加えさせ、ついには事を成し遂げさせます。福音の豊かさの中に歩みましょう。ヒデ

土曜日, 9月 17, 2011

20110917_箴言25_箴言27_ローマ15

■箴言25:9あなたは隣人と争っても、他人の秘密を漏らしてはならない。25:10そうでないと、聞く者があなたを侮辱し、あなたの評判は取り返しのつかないほど悪くなる。……25:15忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。……25:17隣人の家に、足しげく通うな。彼があなたに飽きて、あなたを憎むことがないようにせよ。
★そもそも争いの原因は何でしょう。その把握の曖昧な時、争うべき争そい方が不明瞭となり、感情が先走り「他人の秘密を漏らす」と言う、超えてはならない反応となるのかも知れません。蒔いたものは必ず刈り取ります。このことで取り返しのつかない失敗をすることのないように。

■箴言27:14朝早くから、大声で友人を祝福すると、かえってのろいとみなされる。…… 27:17鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。……27:21るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。27:22愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦といっしょについても、その愚かさは彼から離れない。
★人の愚かさを賢さへと導く神のことばを愛する幸いを覚えましょう。

■ローマ15:19また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。
★パウロの生涯に顕著に現れたしるしと不思議。その背景には宣教の動機が。神様の御心を成し遂げることを人生の目的の中心に据えましょう。その時奇跡の生涯があなたの前に開かれます。ヒデ

金曜日, 9月 16, 2011

20110916_箴言22_ローマ14

■箴言22:22貧しい者を、彼が貧しいからといって、かすめ取るな。悩む者を門のところで押さえつけるな。22:23主が彼らの訴えを弁護し、彼らを奪う者のいのちを奪うからだ。22:24おこりっぽい者と交わるな。激しやすい者といっしょに行くな。22:25あなたがそのならわしにならって、自分自身がわなにかかるといけないから。
★聖書は「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」(ローマ12:10)と語ります。あなたは神様が恵みによって注いで下さっている憐れみを受け取った者として、他者に対し敬意をもって接する人ですか。それとも怒りっぽく激しやすい人ですか。主は「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かす。」(イザヤ57:15)と語られます。

■ローマ14:4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
★主の恵みの力の偉大さを思いましょう。あの人も立つと言うことは、あなたも立ち上がることができると言うことです。自分の事を勝手に裁いて「自分はだめ」とあなた自身を御心の脇に置いてしまっていることはありませんか。正しくかつ健全な信仰は、自分ばかりを見る信仰ではなく。あなたの人生を完成させる力を持つ主に望みを置く信仰です。確かに信仰は人それぞれで、弱い信仰の人もあれば強い信仰の人もあるでしょう。しかし、主が願っておられる信仰は弱い人の良心を重んじる成熟した信仰でおごる必要はありません。愛の内を歩みましょう。ヒデ

木曜日, 9月 15, 2011

20110915_箴言19_ローマ13

■箴言19:11人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。19:12王の激しい怒りは若い獅子がうなるよう。しかし、その恵みは草の上に置く露のよう。……19:14家と財産とは先祖から受け継ぐもの。思慮深い妻は主からのもの。
★赦しの持つ力、思いやりのもつその力の偉大さを思います。あなたの心の中にある憐れみの心の大きさとはどの位でしょう。妻の、夫の、子供の、親の欠けと、むしろ妻への、夫への、子供への、親への感謝と、どちらが大きいですか。あなたは普段つぶやき怒っている人ですか。それとも感謝の心に満ちた人ですか。柔和な人は地を受け継ぎます。

■ローマ13:11あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。13:12夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。13:13遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。13:14主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
★「眠りから覚めるべき時」とは「主の再臨の間近な時」の意味です。まさにマタイ24の主の預言の通り、天変地異の起こっているこの時と言えるでしょう。それにしても主の者とされた人であっても「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活」と、こうした事で人に憂いを与える人がいるんですね。あなたの大切な人はあなたのことを喜んでいますか。それとも憂えていますか。キリストを着ましょう。ヒデ

水曜日, 9月 14, 2011

20110914_箴言18_ローマ12

■箴言8:12人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。18:13よく聞かないうちに返事をする者は、愚かであって、侮辱を受ける。18:14人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。……18:16人の贈り物はその人のために道を開き、高貴な人の前にも彼を導く。18:17最初に訴える者は、その相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。18:18くじは争いをやめさせ、強い者の間を解決する。
★誤解されることがあっても、おとしいれられそうになったとしても焦ってはなりません。あなたが神様の光の前に歩んでいるなら、やがてことが明らかになります。「最初に訴える者は、その相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。」の知恵の中に歩みましょう。

■ローマ12:15喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。12:16互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。12:17だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。12:18あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。12:19愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」……12:21悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
★キリスト信仰とは悔い改めと従順をもって、我が思いのままの人生からキリストに向かって歩む人生を選び、そこに生きようとすることです。あなたは神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する道を選択していますか。ヒデ

火曜日, 9月 13, 2011

20110913_箴言13_箴言15_ローマ11

■箴言13:13みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、命令を敬う者は報いを受ける。13:14知恵のある者のおしえはいのちの泉、これによって、死のわなをのがれることができる。13:15良い思慮は好意を生む。裏切り者の行いは荒い。13:16すべて利口な者は知識によって行動し、愚かな者は自分の愚かさを言い広める。
★みことばをさげすむ者のおごりは単にそれだけに留まらず、人生を滅びへと向かわせます。すなわち神様をあなどってはなりません。

■箴言15:12あざける者はしかってくれる者を愛さない。知恵のある者にも近づかない。15:13心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。15:14悟りのある者の心は知識を求めるが、愚かな者の口は愚かさを食いあさる。
★心に高ぶりがあるとき人の愛が見えません。人は互いに支えあって生きていることが見えなくなるためです。かつ、いったん坂道を転げはじめるとその滅びは急激です。おごり高ぶりは悔い改め、十字架につけ捨てましょう。

■ローマ11:19枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。11:20そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。 11:21もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
★ユダヤ人がなぜ捨てられたのか。あなたが救われるため。そのとおりです。しかし神様は実は台木であるユダヤ人を私は捨ててはいないと語られます。うぬぼれは捨て、自分の行いによる誇りは捨てなければなりません。お互いの人生の土台は神様の恵みと憐れみによって支えられていることに目が開かれるとき、人の心に命と喜びが注がれます。ヒデ

月曜日, 9月 12, 2011

20110912_箴言10_箴言12_ローマ10

■箴言10:11正しい者の口はいのちの泉。悪者の口は暴虐を隠す。10:12憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。10:13悟りのある者のくちびるには知恵があり、思慮に欠けた者の背には杖がある。
★「背には杖がある」とは罰として背中を杖で打ちたたかれると言う意味です。神様の知恵を求めましょう。(ヤコブ3:17)では「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」と語ります。すなわちそれは聖霊によって注がれる知恵です。

■箴言12:18軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。12:19真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。12:20悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。
★人をいやす言葉には必ず愛と偽りのない神様から与えられた知恵が含まれています。聖霊によって心が満たされるように求めましょう。それはいざと言うときあなた自身も救います。「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。」(マタイ10:19)のとおりです。

■ローマ10:9なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10:10人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
★彼に信頼する者は失望させられることはありません。神様への信頼が人を救います。ヒデ

日曜日, 9月 11, 2011

20110911_箴言8_箴言9_ローマ9

■箴言8:22主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。8:23大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。8:24深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた。8:25山が立てられる前に、丘より先に、わたしはすでに生まれていた。8:26神がまだ地も野原も、この世の最初のちりも造られなかったときに。8:27神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。……8:30わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、8:31神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。
★さてここに記された神の知恵とは何でしょう。それは受肉前のキリストを表しています。
1コリント2章はここを受けた形で神の知恵たるキリストの姿が描かれています。神の知恵を求めましょう。なぜならそれはキリストご自身だからです。

■箴言9:10主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。

■ローマ9:20しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言えるでしょうか9:21陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
★この箇所を読んで、あなたは頼みもしないのにと言いますか。それともあなたを造って下さった神様に感謝をおささげしますか。箴言8章を見ても神様の創造の動機が愛で有ることは分かります。ヒデ

土曜日, 9月 10, 2011

20110910_箴言4_箴言6_ローマ8

■箴言4:23力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。4:24偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。4:25あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。
★23節は有名です。守るべきはあなたの心です。命はそこからわき上がります。そして主は委ねられた御心を成し遂げるために、エルサレムに向かって真っ直ぐに顔を向けられ歩まれました。(ルカ9:51)

■箴言6:20わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。6:21それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。6:22これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。
★父と母を敬うことが祝福の原則ですが、中には「絶対に赦せない。なぜ赦す必要があるのか」と憤りたくなる両親の場合もあるかも知れません。しかしそう聖書が語るのはあなたの為なのです。あなたの心が神様以外のもので縛られ捕らわれ不自由になることの有りませんように。

■ローマ8:11もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
★こういうわけで今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。そしてあなたの内におられる御霊は言いようもない深いうめきによって取りなして下さいます。ヒデ

金曜日, 9月 09, 2011

20110909_箴言1-3

■箴言1:7主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。1:8わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。1:9それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである。
★「主を恐れることは知識の初めである。」と箴言を代表する言葉がまず最初に、更に1章の締めくくりは「1:32わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。1:33しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」で閉じられます。神様への畏敬の念が最初に据えられるべき人の人生の土台であると。あなたは最近いつそれを感じ、神様の前に頭を垂れたでしょうか。

■箴言2:1わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、2:2あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、2:3もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、2:4 銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、2:5そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。
★主を恐れるための最初のステップは御言葉に心を向けることです。なぜなら聖書はそのお方の言葉だからです。

■箴言3:5心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。3:6あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
★さて次のステップはこのお方の御声に信頼しどこにおいても従順すること。私を迷いのない真っ直ぐな人生へと導くもの差しはあなたの経験でも知識でもなく神の言葉です。ヒデ

木曜日, 9月 08, 2011

20110908_1列王11_ローマ6

■1列王11:29そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。……11:30アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、11:31ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。
★40年イスラエルを治めたソロモンが、何故このようなことに。聖書は「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。…その妻たちが彼の心を転じた。」とあります。神様の祝福を受ける中、小さな不従順とおごりが彼の生涯を思わぬ形で狂わせます。誰であっても人には越えてはならない一線があります。

■ローマ6:3それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。6:4私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
★バプテスマは大切です。それを重んじられたのは主です。あなたは既に受けましたか。その意味は、キリストと共に罪に死に、新しいいのちにキリストにあって甦らされる生涯の始まりです。入学試験を受け合格通知が届けば誰もその資格を自分のものとするために手続きをします。同様にバプテスマは祝福の生涯の扉をあなたの前に開きます。躊躇することなく感謝をもって与りましょう。ヒデ

水曜日, 9月 07, 2011

20110907_詩篇136_ローマ5

■詩篇136:11主はイスラエルをエジプトの真ん中から連れ出された。その恵みはとこしえまで。
★この詩篇には、「……。その恵みはとこしえまで。」と契約に記された神様の恩恵は永遠であることが26回繰り返され、ほめたたえられます。その内容は天地創造から始まり、イスラエルの荒野時代からカナン定着まで取り上げられます。あなたはどの部分が心に響きますか。私は「136:23主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。」です。思えば、私たちは人生様々なところを通らされます。しかしいずこにおいても主は「私は決してあなたを離れず、捨てない」との真実な恵みをもって支えて下さるお方です。私たちもいくつ「……。その恵みはとこしえまで。」と挙げれるでしょう。さあ26回に向かって挑戦です。

■ローマ5:20律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。5:21それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。
★父なる神様は私たちに永遠のいのちを得させるために、私たちがまだ罪人であった時、キリストを十字架にかけ、私たちに対する愛を明らかにされました。そのためキリストは神ご自身であられたにもかかわらず、人となってこの地に来て下さいました。乙女マリヤのお腹を借りて。知性においては理解出来ず、あり得ないことです。しかし神様はそれをよしとなさいました。まさに恵み深いお方ゆえに。あなたを捨てないお方があります。とことん憐れまれるお方があります。このお方の愛で心を満たし今日も生きるのです。ヒデ

火曜日, 9月 06, 2011

20110906_2歴代志7_詩篇135_ローマ4

■2歴代7:9 彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
★アラムの軍勢に取り囲まれたイスラエルは、サマリヤに隠れこんで反撃の時を待ちます。しかし戦いが長期にわたり、遂に食料も底をつき、もはや死を待つばかりと、そんな状況にまでイスラエルは陥ります。その時、どうせ死ぬなら、敵国アラムの憐れみを求めてみようと、ツァラアトにおかされ4人が出かけます。しかしその時彼らが目にしたものは、不思議な神様の方法で、慌てふためいて逃げたアラムの陣営の有様と、そのままにされた穀物でした。そのとき彼らは上の御言葉を語ります。Good Newsは常に神様の恵みの計らいによるものです。分かち合うべきことを覚えましょう。受けるより与える方が幸いです。

■詩篇135:4まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた。

■ローマ4:19アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。4:20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、4:21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。4:22だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
★信仰とは神様への直向きな信頼と従順です。自分にではなく、なして下さる主に目を注ぐのです。ヒデ

月曜日, 9月 05, 2011

20110905_1列王8_詩篇99_ローマ3

■1列王8:38だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、8:39あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。
★神殿建設が遂に完成したときソロモン王は感謝をもって神様の前にひとつひとつの祈りをささげます。その特徴は「あなたの御住まいの所である天で聞いて……」で、人が造ったものなどに、到底お入れできない神様であることをわきまえた謙遜なそれでした。祈りにはその人の心が表れますね。あなたにとって神様とはどんなお方でしょう。祈りの中にそれを告白してみませんか。

■詩篇99:7主は、雲の柱から、彼らに語られた。彼らは、主のさとしと、彼らに賜ったおきてとを守った。

■ローマ3:25神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。3:26それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
★今まで見逃して来られた神様の罪に対する正当な怒り「義」は何によって満たされたのでしょう。十字架上のキリストの上に呵責のない神様の裁きが下されたからです。その打たれた傷によってあなたは癒されるのです。ヒデ

日曜日, 9月 04, 2011

20110904_詩篇98_ローマ2

■詩篇98:9確かに、主は地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、公正をもって国々の民を、さばかれる。
★聖書の最後の黙示録で神様は「もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」と語られますが、まさにこの詩篇に記されている通り主は再び来られます。あなたは思われませんか。なんと聖書は繰り返し繰り返し、かくも主の再臨と、終末について語っているものかと。目的は、お互いが、そのことは知っていると、慣れっこになるためではなく、身を慎み努めて祈る為です。主は来られます。またそのお出では近いです。

■ローマ2:6神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。……2:11神にはえこひいきなどはないからです。……2:16私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。
★「キリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日」と、このことが主の再臨の時に成就します。何を基準に裁かれますか。「行い」です。それは一人も偏り見ることのないためです。その結果、自分の行いによって天国に行ける人は?誰もいません。だからキリストが十字架の上で、まさに命をかけてあなたのために信仰による救いを開いて下さったのです。既にいのちの代価が払われました。信じて救いを受け取りましょう。そこから不思議の生涯ははじまります。ヒデ

土曜日, 9月 03, 2011

20110903_1列王6_詩篇97_ローマ1

■1列王6:12「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。6:13わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」
★「彼らの中に住み、捨てることはない」とは、父ダビデ王に与えられた神殿建設のビジョンを受け取ったソロモンに対する主からの約束です。キリストは、十字架でご自身の命を懸けて、神殿建設、すなわち教会に必要な代価を払って下さいました。そしてキリストの志を受け取ったあなたにも主は語られます。「私は決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と。(ヘブル13:5)

■詩篇97:9まことに主よ。あなたは全地の上に、すぐれて高い方。すべての神々をはるかに抜いて、高きにおられます。97:10主を愛する者たちよ。悪を憎め。主は聖徒たちのいのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。
★全てを超越しておられるお方。オールマイティーの表現を用いるのに相応しい方はこの方以外にはありません。

■ローマ1:2この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、1:3御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、1:4聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
★福音とは何か、御子に関することです。教えがあなたを救い解放するのではありません。キリストご自身に目を注ぎましょう。ヒデ

金曜日, 9月 02, 2011

20110902_詩篇101_2テサロニケ3

■詩篇101:2私は、全き道に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。101:3私の目の前に卑しいことを置きません。私は曲がったわざを憎みます。それは私にまといつきません。……101:8朝ごとに、私は国の中の悪者をことごとく滅ぼします。それは主の都から、不法を行う者をことごとく断ち切るためです。
★主の弟子パウロは、御名によって命じる祈りの尊さ(使徒16:18)を分かち合います。ダビデもここでその尊さを歌っています。彼は朝ごとに、悪しき霊の力が彼の働きの上に影響を与えないようにと「裁ち切りの祈り」をささげます。また「悪を行う者どもよ。私から離れて行け。私は、わが神の仰せを守る。」(詩119:115)とも祈りました。あなたも御名の力により頼み、この祈りにチャレンジしてみませんか。

■2テサロニケ3:6兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。3:7どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、3:8人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。
★パウロはここでも祈りではありませんが、御名の権威によって命じています。その背後にはやはり祈りがあるのです。主ご自身が、またあなたを愛する人が、あなたに命じる時、そこには隠れた所で積み上げられた執り成しの祈りがあることを知る人は幸いです。ヒデ

木曜日, 9月 01, 2011

20110901_1列王紀3_詩篇78_2テサロニケ2

■1列王3:9善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
★これは「あなたに何を与えようか。願え」との主のことば対してソロモンが求めた答えでした。その結果ソロモンは大いに祝福されます。以下その時の神様の言葉です。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、3:12今、わたしはあなたの言ったとおりにする。3:13そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。」人は求むべきものがあります。

■詩篇78:39神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。
★罪深い愚かさを繰り返し繰り返し重ねるイスラエル。しかし主はいったいどこまで、また、いつまでと思うほどに民を憐れまれます。その理由が上の御言葉です。主はあなたが弱い者であることを知って下さっています。

■2テサロニケ2:3だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。
★主は必ず再び来られます。しかしそれには順番があります。まずは高慢の霊につかれたものが、すべて神と呼ばれるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、自分こそ神であると宣言します。捨てるべきは高慢です。ヒデ

水曜日, 8月 31, 2011

20110831_1歴代志29_詩篇95_2テサロニケ1

■1歴代29:29ダビデ王の業績は、最初から最後まで、予見者サムエルの言行録、預言者ナタンの言行録、先見者ガドの言行録にまさしくしるされている。29:30それには、彼のすべての統治、彼の力、また、彼およびイスラエル、それに各地の諸王国が過ごした時代についてしるされている。
★イスラエルの王となったダビデの生涯最後の記述です。彼のしたことは国を統一し、神の国の拡大の為の神殿建築の備え、そして後継者へのバトンタッチでした。これらのことは先見者ガドの言行録となりましたが、あなたは与えられた人生でどんなことをなすでしょう。神様に覚えられる貢献の価値観に生きることが大切です。

■詩篇95:7主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、95:8メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。
★主の前にふさわしくないことは心を頑なにすること。恵みに心を開くのです。

■2テサロニケ1:8そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。1:9そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。1:10その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の──そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです──感嘆の的となられます。
★「そのとき」とは主が再び来られる「再臨」を意味します。主は来られます。確かに。その時、あなたの全ての労は酬われます。試練の中でのあなたの従順は「再臨」の警鐘として主が用いられます。ヒデ

火曜日, 8月 30, 2011

20110830_1歴代志28_詩篇91_1テサロニケ5

■1歴代28:9わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。28:10今、心に留めなさい。主は聖所となる宮を建てさせるため、あなたを選ばれた。勇気を出して実行しなさい。」
★ソロモンは何と偉大な父ダビデを頂いたことでしょう。しかし私たちのために天のお父様はイエス様をお与え下さいました。このお方の御声に聞き、このお方の生き様に従うなら間違うことはありません。

■詩篇91:14彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。91:15彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。
★ソロモンにも勝る神様からの約束がここに。あなたは愛されています。声に出して告白してみませんか。「主よ感謝します。これらもあなたを愛し、あなたに従います」と。

■1テサロニケ5:9神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
★信仰とは自分の努力にではなく、上の御言葉の様に、救いの計画を定めて下さった神様の真実にかかっています。その救いの中にあなたは定められたのです。恐れることはありません。信頼して踏み出しましょう。ヒデ

月曜日, 8月 29, 2011

20110829_1テサロニケ4

■1テサロ4:14私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。4:15私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。4:16主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、4:17次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
★かつて御使いは「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒行伝1:11)とイエス様の昇天を見ていた弟子たちに語られましたが、その通りに主は再び来られます。その順番は1.まず主が雲に乗って来られ。2.聖霊の働きによって主にあって既に死んでしまっていた人々の体が主と同じ栄光の体に変えられ。3.今地上で生きている主にある人々の体が聖霊の働きによって同じく主と同じ栄光の体に変えられ。4.これらのことがおこった次の瞬時、私たちは空中におられる主の御もとに引き上げられ、いつまでも主と共に生きることになります。これは作り話ではありません。主が語られた言葉です。そしてこれを可能にするのはあなたの力ではありません。あなたの内におられる聖霊様の力によってです。主は必ずあなたを迎えに来ます。私たちが聖く憐れみ深く生活すくべき最大の理由がここにあります。主は来られます。ヒデ

日曜日, 8月 28, 2011

20110828_1歴代22_1テサロニケ3

■1歴代22:19そこで今、あなたがたは心を尽くし、精神を尽くして、あなたがたの神、主に求めなさい。立ち上がって、神である主の聖所を建て上げ、主の御名のために建てられた宮に、主の契約の箱と神の聖なる器具を運び入れなさい。」
★イスラエルを統一するに至るまでに自らを省みて下さった主の恵みに応えて、ダビデは神殿建設のための備えを滞りなく行います。そして上記の御言葉を民への励ましとして語ります。これが旧約の神の民に課せられた使命です。では新約の祭司として召されたお互いの使命はなんでしょう。目に見える神殿ではなく、心の内にキリストを主とあがめ迎え入れることです。主の弟子ペテロは「ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。」と励まします。

■1テサロ3:7このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。3:8あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。
★テサロニケの人たちの中にも、まもなくキリストは再臨するのだから働く必要はないと考える人々や、あるいは、すでに死んだ者はキリストの再臨にあずかれないのだからと考え、悲しみの中、自暴自棄になる人々もありました。そんな中、パウロは上の御言葉を送って主の民を励ましたのです。確かに、信仰の故の試練、孤独な戦いもあるでしょう。しかし、あなたがたの心を強め、ご自分がすべての聖徒とともに再び来られるとき、父なる神の御前で、あなたを聖く、責められるところのない者としてくださるお方は、やがてパウロ同様「我がいきがい、誇りよ」とあなたに必ず語って下さいます。ヒデ

土曜日, 8月 27, 2011

20110827_詩篇30_1テサロニケ2

■詩篇30:10聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。30:11あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。30:12私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。
★「聞いて下さい。主よ。」と、ダビデはまるで幼子が父親の関心を引くために揺り動かしながら語りかけるように主に語ります。しかもそれは神様に感謝を伝えるためです。ダビデの神様との心の距離を感じ取りましょう。「心がつながっている」との実感。ここに安心感があり喜びがあり、生きている感謝がわいて来ます。あなたはつながるべき人と心をつなげるために心を砕いていますか。

■1テサロニケ2:19私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。2:20あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。
★上の様に語るパウロはテサロニケの人たちに対して、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまい、ただ神様の福音を語るだけではなく、彼自身のいのちまでも、喜んで与えたいと願いつつ接しました。人が人として成熟するために最も効果的な方法は、人の成長に関わることです。それは親が親になるために最も効果的な方法が理屈をこえて、実際に子供をもうけ、その子供の成長にかかわることによって与えられると同様に。知識は人を成熟へと動機付けできても、実際にその人を成熟へと引き上げることができるのは関わること以外にありません。とにかく関わるべき人に、関わりましょう。あなたもパウロのような親の心を持つ人になれます。ヒデ

金曜日, 8月 26, 2011

20110826_2サムエル22_1テサロニケ1

■Ⅱサム22:7私は苦しみの中に主を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは、御耳に届いた。22:8すると、地はゆるぎ、動いた。また、天の基も震え、揺れた。主がお怒りになったのだ。22:9煙は鼻から立ち上り、その口から出る火はむさぼり食い、炭火は主から燃え上がった。22:10主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。22:11主は、ケルブに乗って飛び、風の翼の上に現れた。
★上の歌はサウル王の手から救い出されたダビデが歌った主への感謝で、主はダビデの叫びに応えて、ご自身、天を押し曲げて下り、ダビデを助け出して下さいました。同じ主は次回、あなたを救い出すために、まさにこの言葉の通り、天を押し曲げ、暗闇をその足の下にして来られます。このお方にお会いする備えが必要です。

■1テサロニケ1:1パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたの上にありますように。1:2私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、1:3絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。
★パウロはテサロニケの人々の素晴らしい信仰に驚きを隠しません。何がそうさせたのか。その秘訣はテサロニケの人々が主の再臨のメッセージを差し引くことなく受け止めたところにあると言えます。あなたは救い主キリストが再び来られるその時、どんな形でこられるかご存じですか。関心があれば是非テサロニケの手紙を完読して下さい。真理はあなたを自由にし、何のために生かされている命かを明確にし、あなたの命を強めます。ヒデ

木曜日, 8月 25, 2011

20110825_詩篇55_マタイ28

■詩篇55:22あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
★主にゆだねるべきものとして、ここでは「重荷」ですが、詩篇37:5には「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」と、「道」も委ねるべきものとして紹介します。ゆだねるの反対は握りしめるで、神様がお互いの人生、考え、計画に介入されることを許さない生き方です。意外と人は神様を信じていても、これだけは自分の思いや考え通りを何としても明け渡したくないと言うことがあるものです。決して多くはありません。一つです。そしてそれが結果的に人生を重くする場合があります。主はそれをゆだねよと語られます。あなたはどうですか。

■マタイ28:18イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。28:19それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、28:20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
★全ての権威を与えられたお方の「世の終わりまでともにいます」は有名ですが、ではそのお方が一番近くいて下さる時とはどんな時でしょう。あなたが主の御心・宣教に、一歩踏み出すときです。このことのために、先日のお勧め通り、既に神殿の隔ての幕は裂けたのです。出て行きましょう。遣わされた祝福の祭司として、そこで主はあなたを用い、御業をあらわされます。ヒデ

水曜日, 8月 24, 2011

20110824_詩篇56_マタイ27

■詩篇56:12神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。56:13あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。
★やがてイスラエルを治める王となるダビデ。しかし妬みに駆られるサウル王に追われて敵国ガテの王アキシュのもとにさえ気が違った者として逃れなければならないとは。けれどダビデはそれさえも「それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした」と、恵みによって自分のうちに受け止め王としての備えに変えます。あなたはあれが足りない、このためにだめだと不平をもらす人ですか。それとも感謝によってあなたの生涯に起こることどもを恵みに変える人ですか。

■マタイ27:51すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
★「血を流すことなしに罪の赦しはあり得ない」の律法の成就のために、ご自身の命を懸けた主の十字架上の執り成しによって、遂に神殿の隔ての幕が人手によらず取り除かれます。神の臨在を象徴する至聖所はどこに行ったのでしょう。旧約時代イスラエルの民はまさにそれを中心に生活し、そこに祝福があるから「来なさい。なぜならここに主の臨在と祝福があるから」のメッセージに歩んでいました。ではキリストの贖いが完成した今は、あなたが至聖所、すなわち主の教会です。だから主の臨在を持ち運ぶ祭司として「行って」なのです。地の塩、世の光として今日も主の教会として、主と共に、置かれたところに主の臨在をもたらすために遣わされましょう。ヒデ

火曜日, 8月 23, 2011

20110823_詩篇71_マタイ26

■詩篇71:15私の口は一日中、あなたの義と、あなたの救いを語り告げましょう。私は、その全部を知ってはおりませんが。71:16神なる主よ。私は、あなたの大能のわざを携えて行き、あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。
★試練の中に置かれたダビデ、しかし「私は、その全部を知りませんが……」との神様の恵みに対する謙虚な姿勢は彼の生涯を守ります。時に全部知らなければ満足しない誘惑に駆られ、自分を神にしようとしている危険にさらされているにもかかわらず、それに気づかず、その人生を台無しにする人もあります。この朝も神様は高ぶる者を退け、遜るものに恵みを給うお方であることを心に刻みましょう。

■マタイ26:63しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」26:64イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
★弟子たちとの最後の晩餐の後、ゲッセマネの園で祈りをささげられるイエス様でしたがユダの裏切りによって捕らえられ、大祭司の中庭にまで引っ張り出されました。そこで上の質問を受けたのです。「あなたの言うとおりである。……」と、その答えの明確さに驚きますが、キリストが神ご自身でなければ、まさに世を惑わす者、自らを神とする者以外のなにものでもありません。しかし主は本当に神様ご自身なるお方なのです。このお方が再び来られます。そして全てのことを正しく裁かれます。このお方に会う備えをしましょう。ヒデ

月曜日, 8月 22, 2011

20110822_詩篇32_マタイ25

■詩篇32:1幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。……32:3私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。32:4それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。32:5私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。
★上の詩篇はダビデが兵士ナタンの殺害とその妻バテシェバを辱めた罪の指摘を預言者ナタンに受けたときの経験です。神様はあなたの罪を指摘されます。しかしそれはあなたを奴隷にするためにではありません。またあなたを陥れるためでもありません。むしろ解放するためです。

■マタイ25:40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』……25:45すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
★王が来られます。その王とはあなたのために十字架に掛かり血潮を流し完全な罪の赦しを完成された主イエス・キリストです。2000年前には救い主として来られました。しかし今度来られるときには裁き主として来られます。このお方、すなわち神様に会う備えをしなければなりません。そしてあなたは愛と貢献の人生の価値観に生きるゆえに、このお方から『最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』との御声を聞くのです。ヒデ