火曜日, 2月 28, 2017

20170228_1列王記4

■1列王記4:25 ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバまで、みな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して住むことができた。
 4:34 ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。
★国を治めるための知恵を求めたソロモンを主は喜ばれ、まさにイスラエルは平和と繁栄を目に見える形で表す国となりました。主を畏れることの豊かさがここにあります。

月曜日, 2月 27, 2017

20170227_1列王記3

■1列王記3:5 その夜、ギブオンで【主】は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
 3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
 3:11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
 3:12……見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
 3:13 そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。
★何を求めるかによって人の値打ちははかられます。

日曜日, 2月 26, 2017

20170226_1列王記2

■1列王記2:17 彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断らないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを私に与えて私の妻にしてください。」
★アビシャグとはダビデ王が年老い身体が温まらなくなったとき、ダビデ王に仕えるようにと命じられた者でした。そのアビシャグを求めるとは、かつて王位を狙って人々を集めたアドニヤがもう一度王座を模索する試みでした。人を物とし、自分の為に利用しようとするソロモン王の異母兄弟アドニヤ。その結果彼は自らの人生に死を招きます。願ったその日がそれでした。

土曜日, 2月 25, 2017

20170225_1列王記1

■1列王記1:52 すると、ソロモンは言った。「彼がりっぱな人物であれば、彼の髪の毛一本でも地に落ちることはない。しかし、彼のうちに悪があれば、彼は死ななければならない。」
 1:53 それから、ソロモン王は人をやってアドニヤを祭壇から降ろさせた。彼がソロモン王の前に来て礼をすると、ソロモンは彼に言った。「家へ帰りなさい。」
★アドニヤは命の危険と厳罰におびえますが、ソロモンは兄を追放するだけで、家に帰らせます。新王ソロモンには競合者を殺す力があり、それは陰謀が成功した時アドニヤ自身がやりそうなことでした。しかし、ソロモンは示すべきことが何もないかのように振舞い、それによって自分の権威と権力を示します。個人的な攻撃をした人を赦すのは、時に激しく復讐するよりも強さを示します。権力や権威を証明しようとすると、かえって恐れと自信のなさをあらわにすることになる場合もあります。ソロモンがアドニヤを処刑したのは、アドニヤが再び王権奪取を試みた後でした。(2:13-25)

金曜日, 2月 24, 2017

20170224_2コリント13

■2コリント13:8 私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。 13:11 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。
★パウロがコリントの教会に手紙を書き送った理由がここで改めて記されます。ひとつになること。これがパウロの結論で、そのために第一、第二の手紙を記しました。主もまた最後の晩餐において「17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです」と執り成してくださいました。人の関係においては待っていてもひとつになることはありません。主の愛にあって理解し合う努力が求められます。我が思いではなく、主の思いを優先しひとつとなるために祈り行動しましょう。

木曜日, 2月 23, 2017

20170223_2コリント12

■2コリント12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
 12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
★主ご自身が私に託してくださった使命、人生を生きるためには必要十分なものは既に与えられています。見るべきは人ではなく、主ご自身。主を見上げる者のために、主はさらに必要なものも備えてくださいます。主ご自身と一緒に。

水曜日, 2月 22, 2017

20170222_2コリント11

■2コリント11:29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。11:30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
★主への愛がパウロを突き動かし、教会を愛する働きへと導きました。愛が人をへりくだることを可能にし、勇気ある者とし、人を大胆にします。
主に愛され、遣わしてくださる光栄だけであなたの心が満たされ、おしみなく主の恵みを分かち合う者でありますように。

火曜日, 2月 21, 2017

20170221_2コリント10

■2コリント10:12 私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。10:17 誇る者は、主を誇りなさい。10:18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。
★にせ教師たちは、自分を神様の基準に照らして見ることをせず、他の人と比較することによって、自分の善良さを証明しようとしていました。
人と比較して、自分のほうがすぐれていると考え思い上がるにせ教師。しかし神様の基準に照らして自分の力量を計るとき、人は思い上がる根拠のないことが明らかになります。他の人の功績を気にしないようにしましょう。むしろ私の人生に神様が望んでおられることを心に思い巡らしましょう。

月曜日, 2月 20, 2017

20170220_2コリント9

■2コリント9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
 9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
 9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
★神様から託されたものをおしみなく神の事業のために投資しましょう。神様はあふれる恵みをもって報いかえされます。

日曜日, 2月 19, 2017

20170219_2コリント8

■2コリント8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
★イエス様が1世紀のパレスチナの水準に照らして貧しかったという証拠はありません。しかしイエス様は、神としてのご自分の権利を捨て、人となることによって貧しくなられました。イエス様は人となったとき、ご自身の永遠の御力は捨てられませんでしたが、ご自分の栄光と権利を捨てられました(ピリピ2:5-7)。またイエス様は御父の御心に従って、ご自分の力と知識を制限されました。しかしそれによって、私たちは救いと永遠のいのちを受け、「富む者」とされたのです。

土曜日, 2月 18, 2017

20170218_2コリント7

■2コリント7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
★上の状況はパウロがコリントの教会の人々に書き送った手紙によってもたらされました。手紙を記すためには、問題解決のために思い巡らすことがなければ、愛がなければ、勇気がなければできません。しかも、問題から目をそらす内容ではなく、問題を指摘せざるを得ない内容でした。また、書き送られたその手紙が明らかにされていないことにも教えられます。パウロは公の場でコリントの人々を恥にさらすようなことはせず、まさに動機は愛のゆえのそれでした。「愛がなければ一切は無益」を胸に刻みつけられます。

金曜日, 2月 17, 2017

20170217_2コリント6

■2コリント6:16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
★分裂の危機に直面するコリント教会の問題の解決のために、パウロはコリントの人々が何でないかよりも、何であるのかを強調します。目を向けるべきところは恵みです。人間の肉の努力による解決ではなく、神様の恵みによる解決。これが教会が目指すべき方向性です。

木曜日, 2月 16, 2017

20170216_2コリント5

■2コリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
★今日の御言葉5:17はどういう意味でしょう。内にいただいた御霊の働きにより「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです」を実現可能なものとされ、与えられた新しいいのちにより、新しい使命を生きれるものとなったと言う意味です。その目的は「5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」に裏打ちされた和解の勤めです。神様は和解を求める者のみに将来の扉を開くカギを託されます。和解のために祈り労する者でありましょう。

水曜日, 2月 15, 2017

20170215_2コリント4

■2コリント4:5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

火曜日, 2月 14, 2017

20170214_2コリント3

■2コリント3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
 3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
 3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

月曜日, 2月 13, 2017

20170213_2コリント2

■2コリント2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。 2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
★かおりの中には人工的に作り出せるものもあるでしょうが、ここに記されたかおりとはいのちの営みを通して自ずとにじみ出るものです。キリスト者生涯において前者は偽善であり、後者は主を愛する者に上より与えられるものです。自分の香りがどんなものか気をもむ必要はありません。ただ主を愛すればよいのです。それでも人があなたから遠ざかり、それが気になるときは、やはりあなたの主への愛を問い直しましょう。欲と偽善に陥ってはなりません。

日曜日, 2月 12, 2017

20170212_2コリント1

■2コリント1:6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。
 1:7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
★共に痛みを分かち合うことができる。そして試練を乗り越えることができる。これが教会の強みです。あなたは教会に属していますか。キリストの身体なる教会の一部として生きていますか。バプテスマを受けましょう。教会として生きる者に対して、主は火の中、水の中をくぐるときにも私は常にあなたと共におる。(イザヤ43:1-4)と約束くださいました。

土曜日, 2月 11, 2017

20170211_1コリント16

■1コリント16:13 目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。16:14 いっさいのことを愛をもって行いなさい。
★パウロによってコリントの人たちは、次のように指導されました。(1)目を覚ましていなさい。滅ぼそうとする霊的な敵に絶えず用心深くする。(2)堅く立つ。初めに教えられた福音に堅く立つ。(3)男らしくありなさい。にせ教師たちに反対し、信者たちの中にある罪に対処する。(4)聖霊によって与えられた力によって強くある。(5)いっさいのことを愛をもって行いなさい。愛がなければ、高慢になり、問題を引き起こす人になる。今の時代、キリストの再来を待ち望む私たちも同じ指示に従うことが神様からの祝福を受け取る道です。

金曜日, 2月 10, 2017

20170210_1コリント15

■1コリント15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
 15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
★分裂の危機に瀕したコリント教会の再生のために心を砕くパウロは、手紙の最終節に差し掛かったところで、復活と天国の希望を語ります。
15:19 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」と。
よみがえりの主を仰ぎましょう。そして生かされている今を大切にしましょう。生き方を通して天国の希望を証しするあなたの証しはひとつも地に落ちることはありません。

木曜日, 2月 09, 2017

20170209_1コリント14

■1コリント14:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。14:2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
14:2教会を分裂させようとする様々な力が働いているコリントの教会の問題点と解決策をひとつひとつ提示するパウロは、ここに来て異言について取り上げます。異言(知られていないことば)を話す賜物がなぜコリント教会では問題となったのでしょうか。それは、コリントの信者たちが、異言の賜物を霊的な一致のための手段としてではなく、霊的な優越のしるしとして用いたためでした。御霊の賜物は、それらが教会のすべての人を助けるために適切に用いられるときにのみ有益で、自分を気持ちよくするためを優先すると、その賜物の使用で礼拝に混乱を引き起こします。異言を話すことは聖霊の正当な賜物ではありますが、やはり愛が土台となっていなければ一切は無益です。

水曜日, 2月 08, 2017

20170208_1コリント13

■1コリント13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
★愛はいつまでも残ります。道徳的に堕落したコリントでは、愛は、さまざまな概念を含む、意味のないことばになっていました。賜物はそれぞれ違いますが、愛は神様がすべての人に与えようとされたものです。愛は、すべての人の特性のうち最も重要なものであり、神様ご自身のご性質であり(1ヨハネ4:8)、他者への無私の奉仕を含んでいます。信仰は、神の教えの基礎であり、要旨です。希望は、態度であり、焦点、そして愛は行動です。信仰と希望が調和するなら、私たちは愛を全うすることが可能になります。どれほどの愛をもって主が愛してくださったかを知るお互い。願わくはお互いの信仰が、他の人たちを愛することによって完全に表れるものとなりますように。

火曜日, 2月 07, 2017

20170207_1コリント12

■1コリント12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
★偶像礼拝にささげた肉、父の妻を辱める性、同性愛、結婚における権威と従順、平等と役割、愛餐で弱い立場の人が辱められる問題等、パウロはここに至るまで、それらひとつひとつに目を向け、教会が分裂することによって主の御名を汚すことのないように助言します。そしてここに来て、教会を分裂に至らせる、もう一つの問題について光を当てます。ひとりひとりに与えられた賜物理解です。何のために与えられた賜物か。自分の為か、他者を生かし教会の徳を高めるためのそれか。弱い者は寄り添い合おうとしますが、力を持つ者は自分の豊かさ、力に溺れ、自分をコントロールしきれず、教会を分裂の危機に追いやろうとしす。要注意です。

月曜日, 2月 06, 2017

20170206_1コリント11

■1コリント11:3 しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。
★神様はすべての人をご自身のかたちとして創造されたので、すべての人には平等な価値があり、婚姻関係での服従は、相互のかかわり合いと協力を意味します。神様は対等の人々の間での服従を求めておられます。神様は男をよりすぐれているとはされません。神様は夫と妻に、共に働く道を備えられます。イエス・キリストは、父なる神と等しくあられましたが、救いの計画を実行するために父なる神様に服従されました。同様に、妻は神様の前には男と平等ですが、結婚生活や家族のために夫に従うことは大切です。対等の関係での服従は、進んで服従することであり、力ずくなら間違いで、男は責任が問われます。教会の人たちや配偶者に快く服従することを通して私たちは神に仕えることができます。私たちは創造の秩序を理解し、権威と服従の問題によって、結婚生活における一致が破壊されないようにしなければなりません。結婚生活を強くし、神の栄光をたたえるために、与えられた賜物を用いましょう。

日曜日, 2月 05, 2017

20170205_1コリント10

■1コリント10:25 市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。10:26 地とそれに満ちているものは、主のものだからです。10:27 もし、あなたがたが信仰のない者に招待されて、行きたいと思うときは、良心の問題として調べ上げることはしないで、自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい。
★市場に売っている肉は、それが偶像にささげられたかどうか尋ねることはしないで、どれでも買いなさいということ。それはどうでもよい問題であり、誰の良心も悩まされる必要はありません。自分の行動について、あまりに心配するようになると律法主義的になり、人生を楽しむことができなくなります。神様は私たちに、すべてのものを楽しむために与えられました。問題には対処すべきですが、問題を探しに行く必要はありません。

土曜日, 2月 04, 2017

20170204_1コリント9

■1コリント9:22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
 9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
★幾人かを救うために、人の救いに仕えことの困難さを覚えます。と同時にパウロの人生の目的が明確なことを思います。託された使命が何であるかを明確に掴んでいる者こそが、命を使う生き方が出来、悔いの無いない人生を送れることを教えられます。

金曜日, 2月 03, 2017

20170203_1コリント8

■1コリント8:1 次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。 8:2 人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。 8:3 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。
★市場で売られている肉の多くは、偶像にささげたあと回収したいけにえの肉でした。そのような肉を食べることによって、自分は偶像崇拝に参加することになるのではと不安になる信者もいました。しかし実際は世に偶像と呼ばれる神々があっても本当に存在する神は唯一なので偶像にささげられた肉を食べたとしても問題にはなりません。しかし愛は知識よりも重要です。知識を持つ人の多くは、神様や他の人に耳を傾けたり学んだりすることにより謙虚な姿勢が求められます。私たちは神様を愛することによってのみ神様の知識を手に入れることができますし(ヤコブ3:1718)、また愛を示すことによって神様を表すときにのみ、私たちは神様を知り、神様に知られることができます(1ヨハネ4:78)。知識を誇りたくなる高ぶりの心は十字架に付けましょう。

木曜日, 2月 02, 2017

20170202_1コリント7

■1コリント7:23 あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。
★コリント教会は、彼らの文化の不品行のゆえに混乱していました。ギリシヤ人の中には不品行を拒絶する者もいましたが、彼らは同時に性行為と結婚生活自体も否定するあやまちに。そうした状況でコリントのクリスチャンたちは、パウロにいくつかの質問をします。「性行為は人を堕落させるものだから、結婚していても慎むべきではないか」「配偶者が救われていないなら、離婚するべきか」「結婚していない人々ややもめは、結婚しないままでいるべきか」。
パウロは「さしあたりは、そのままでいなさい。神があなたを置いたその状況において満足しなさい。あなたが結婚しているなら、独身になろうと努めないようにしなさい。あなたが独身なら、結婚しようと努めないようにしなさい。神の道を続けて生きなさい。そうすれば神はどうしたらよいか、あなたに示されるだろう」と。
パウロは自分の考えと神様の命令を混同することなくコリントの教会に原則をもって助言を与え、やがてコリントの教会が自立できるように導きました。

水曜日, 2月 01, 2017

20170201_1コリント6

■1コリント6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
 6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
★多くの人々は、自分のからだをもって何でもしたいことをする権利が自分たちにはあると考えます。それを自由と理解しているからです。しかし本当のところその考えは自分自身の欲望のとりこにされます。人はクリスチャンになるとき、内に聖霊を頂きます。神様が私たちを「代価を払って」買い取られたとは、競売で買われた奴隷に当てはまる言葉で、キリストの死は確かに私たちを罪から解放しましたが、同時に私たちはキリストに仕える義務を負う者とされたと言うことです。神様のものであるので、あなたは神の規範に違反してはなりません。「もはや自分自身のものでない」を正しく理解する人は幸いです。