金曜日, 12月 31, 2010

20101231_ヨブ41-42_マラキ03-04_黙示録21-22

■ヨブ42:10ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された。
★苦難の中、3人の友の自己満足の説得によってどれほどヨブの心は傷付いたことか。しかし主は彼らに「私の怒りはおまえたちに向かって燃える。それは、おまえたちがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。今、おまえたちは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、お前達のために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはお前達のために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」と語られます。即ち主は必ずつじつまを合わせられるお方です。あなたがもし、いわれのないさげすみの中に置かれたとしても、悪に対し悪をもって酬いてはなりません。神様は「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。』」と、主はあなたの義を輝かせ、悪に酬いて下さるお方です。

■マラキ4:5見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。4:6彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
★父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる、聖書の関係回復の奥義に精通したエリヤとは誰でしょう。あなたです。父の心をもった癒しの器としてあなたを立て上げようとする父の心を知って下さい。人の痛みを理解できる苦しみを、主がもしあなたにゆるされたことがあるなら、それはこの事の為ではないですか。共に立ち上がりましょう。マラキは「その人の上には義の太陽が上り、その翼には、いやしがある」と語ります。ヒデ

木曜日, 12月 30, 2010

20101230_ヨブ40_マラキ02_黙示録19-20

■ヨブ40:3ヨブは主に答えて言った。40:4ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです。40:5一度、私は語りましたが、もう口答えしません。二度と、私はくり返しません。
★これは全能者なる神様の臨在に触れ、その苦悩から放たれたヨブの神様への応答です。詩篇の記者もまた「万軍の神よ、われらをもとに返し、われらの救われるため、み顔の光を照してください。主とそのみ力とを求めよ、つねにそのみ顔を尋ねよ。」と、その苦悩からの脱出法を語ります。苦しければ苦しいほどに、何を求めることが幸いでしょう。それはまさに神様の御顔でしょう。父なる神様は裁きのためではなく、救いのためにあなたにみ顔を現して下さるお方。主の御名を崇め、主のみ顔を求め続けましょう。主の臨在があなたの救いです。

■マラキ2:10私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか。ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り合い、私たちの先祖の契約を汚すのか。
★愛し合う関係ではなく、傷付け合う関係に人が流れることに、どれほど父なる神様は心を痛められることでしょう。あなたのこの一年は関係の修復のために心砕いた一年でしたか。それともそうしたことに無関心で、我が道を歩まれましたか。最後に残るのは関係しかないことを知る人は幸いです。

■黙示録20:2彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、20:3底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
★ここには神様が地獄を造られた目的が明確です。人を誘惑し、人を滅ぼそうとするサタンをしばる為です。あなたは決して地獄にいってはなりません。キリストを仰ぎましょう。それが天国への道を歩む唯一の方法です。ヒデ

水曜日, 12月 29, 2010

20101229_ヨブ39_マラキ01_黙示録17-18

■ヨブ39:14だちょうは卵を土に置き去りにし、これを砂で暖めさせ、39:15足がそれをつぶすことも、野の獣がこれを踏みつけることも忘れている。39:16だちょうは自分の子を自分のものでないかのように荒く扱い、その産みの苦しみがむだになることも気にしない。39:17神がこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ。
★更に主はこの章でヨブに語りかけます。「あなたは岩間の野やぎが子を産む時を知っているか。あなたはこれらがはらんでいる月を数えることができるか。だれが野ろばを解き放ったのか。その力が強いからといって、あなたは野牛により頼むだろうか。また、あなたの働きをこれに任せるだろうか。」更に主は、「馬は、鷹は」と問いかけられます。こうしてヨブは知っていることはわずかで、むしろ知らないことの方が多いことを自覚させられます。その中で生かされているヨブ。神様への畏れの思いが深められる中、さてヨブはこのお方に何と答えるのでしょう。神様のヨブへの語りかけがなお続きます。

■マラキ1:2「わたしはあなたがたを愛している」と主は仰せられる。あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。
★旧約最後の預言マラキの警告です。「終わりの時代は神様への恩が軽んじられ、愛が冷える」と。父なる神様のあなたへの愛とは当たり前の愛ではなく、特別な愛です。あなたの目は既にこのことに開かれていますか。

■黙示録18:10彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』
★災い、滅びは一瞬です。そしてそれを来たらす最も恐るべきは高慢です。高ぶる者を退け、遜る者に恵みを備えたもう神様は、昔も今も変わることはありません。今日も感謝を持って一年を閉じる為に用いましょう。ヒデ

木曜日, 12月 23, 2010

20101228_ヨブ38_ゼカリヤ13-14_黙示録15-16

■ヨブ38:1主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。38:2知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。38:3さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
★遂にヨブへの主の顕現です。「私が地の基をすえた時あなたはどこにいたか。海の源を定めた時、その淵の底を歩いたことがあるか。雪の倉に入ったことがあるか。あなたはプレアデスの鎖を結び、オリオンの綱を解き、北斗とその子星を導くことができるか。」この主からのヨブへの語りかけによって、どれほどヨブは慰められたことでしょう。そう、神様は人ではなく全能者。それをヨブはこの時体感し、全能者と人の違いを受け入れ、神様の語りかけによって満足したのです。十字架上の苦しみでキリストが最も苦しまれた苦しみとは何だったでしょう。それは「我が神、我が神どうして私をお見捨てになったのですか」と、神からの反応がないことでした。あなたはこれほどの苦しみを味わわれたことがあるでしょうか。そう思うと、神様からの叱責、警告、注意も、考えてみればみな神様が私に語って下さる恵み、それは神様のあなたへの愛なのです。さてヨブはこの全能者との出会いを通してこれから、いかに変えられて行くのでしょうか。

■ゼカリヤ13:1その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。13:2その日、─万軍の主の御告げ─わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。
★「その日」を主は、あなたのためにも備えて下さいました。既に開かれた泉を受け取ったでしょうか。これからでしょうか。いずれにしても感謝です。主はあなたを顧みておられます。そして神様の約束はあなたの生涯に必ず成就するのです。神様は既にあなたを祝福しておられます。ヒデ

20101227_ヨブ37_ゼカリヤ12_黙示録14

■ヨブ37:14これに耳を傾けよ。ヨブ。神の奇しいみわざを、じっと考えよ。
★主は伝道者の書の中で「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ」と私たちに語らせられますが、ここでもエリフはヨブの心を神様に向かせようと、背後で執り成し、励まします。そうして次の章でヨブは神様の語られる御声を聞き分けることができたのです。人の心を神様へと向かわせたエリフ。その背後には彼自身、神様に心を向けていた人であったことを忘れてはなりません。

■ゼカリヤ12:8その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。
★あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、私たちをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身は、あなたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるお方です。

■黙示録14:13また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」
★私たちが、価値ある貢献をもって主に仕えさせて頂けるのは、地上の生涯を生かして頂いている今です。聖書はやがて「夜が来る。すると誰も働けなくなる」と語ります。ですから、主の弟子パウロは「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」と語りました。2010年最後の週となりました。恵みの感謝と、新たな年いかに主に仕えるべきか待ち望みと、決断の週となりますように。ヒデ

20101226_ヨブ35-36_ゼカリヤ11_黙示録12-13

■ヨブ36:20国々の民が取り去られる夜をあえぎ求めてはならない。36:21悪に向かわないように注意せよ。あなたは悩みよりも、これを選んだのだから。
★エリフのヨブへのことばの底流には思いやりが流れています。エリフは語りかけます。「自分から進んで神様のさばきを招くようなことは避けるように。」また神様に挑戦し、神様を厳しく責めることのないようにと。エリフのことばは、ヨブが自らを語ることばの受容と励ましからのスタートです。キリストは「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう」と語ります。

■ゼカリヤ11:4私の神、主は、こう仰せられる。「ほふるための羊の群れを養え。11:5これを買った者が、これをほふっても、罪にならない。これを売る者は、『主はほむべきかな。私も富みますように』と言っている。その牧者たちは、これを惜しまない。
★イスラエルの偽りの指導者への叱責です。転じて教会のリーダー、牧師への警告です。牧師が高慢に陥り罪を犯すことがないように、背後のお祈りをよろしくお願いします。神の僕の立てられた目的は、羊をコントロールし、羊によって私腹を肥やすことではなく、その人に萎えた部分があるならば、その癒しと回復のために、共に主のみもとに近づき、その人が、その人として遣わされた所で輝くことを助ける働きです。あなたは誰にも利用されてはならない、神様の誇りの作品、またこの世で光り輝く教会です。

■黙示録12:11兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
★主があなたに為して下さった証しとは力あるもの。それによって悪魔があなたに巻き付けようとする絶望の鎖を打ち砕くことができるのです。さあテストです。「私は弱い、しかし主は強い方。」を例文とするなら、あなたは「私は○○、しかし主は□□」の○と□にどんな言葉を入れますか。さあ悪魔の鎖を打ち砕きましょう。ヒデ

20101225_ヨブ34_ゼカリヤ10_黙示録10-11

■ヨブ34:33あなたが反対するからといって、神はあなたの願うとおりに報復なさるだろうか。私ではなく、あなたが選ぶがよい。あなたの知っていることを言うがよい。
★前章に続いてエリフのヨブへの語りかけです。この章でもエリフは独断的な決めつけを回避し、ヨブの主体的判断と思いを述べることを求めています。それに対して3人の友のかつての言葉は「見よ。神は潔白な人を退けない。悪を行う者の手を取らない。ついには、神は笑いをあなたの口に満たし、喜びの叫びをあなたのくちびるに満たす。あなたを憎む者は恥を見、悪者どもの天幕は、なくなってしまう」でした。断定的な決め付けがいかに愚かかを心に覚えましょう。聖書は語ります。「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである」と。

■ゼカリヤ10:6わたしはユダの家を強め、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが、彼らの神、主であり、彼らに答えるからだ。
★主はユダの家(南ユダ王国)ヨセフの家(北イスラエル王国)共に回復すると約束されます。もちろんあなたも私もその中に含まれます。

■黙示録11:1それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。11:2聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。
★礼拝者として測れ(数えよ)とはあなたが神様に保護されている証しです。同時に神様は測ってはならないと、なお救われる人が加えられることを望まれるお方です。やがて働けない夜が来ます。このお方の心を受けとめ、今日も主に遣わされた教会として生きましょう。ヒデ

20101224_ヨブ33_ゼカリヤ09_黙示録07-09

■ヨブ33:8確かにあなたは、この耳に言った。私はあなたの話す声を聞いた。33:9「私はきよく、そむきの罪を犯さなかった。私は純潔で、よこしまなことがない。33:10それなのに、神は私を攻める口実を見つけ、私を敵のようにみなされる。33:11神は私の足にかせをはめ、私の歩みをことごとく見張る。」
★エリフはここで、これまで3人の友人に向かって語って来たヨブの言葉を要約します。ヨブ自身もそれは納得するものでした。人は以外と人の話を聞いているようで、本当は聞いておらず、次ぎに返す言葉を考えたり、いかに相手をコントロールしようかと言葉じりを探す時間に使ったりで、本当のところ聞いていないのです。しかし、聞くとはあなたがどう思うかの前に、その人がどう考え、どう感じているかを受けとめることです。不思議です。そうする時に、あなたが相手に語らなくとも、神様ご自身がその人に語って下さるのです。エリフの姿勢に倣いましょう。彼はヨブと同じ所に身を置き(6)決して自ら神になろうとはしませんでした。

■ゼカリヤ9:9シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
★キリストが人となって来られる550年前、既に神様は預言者ゼカリヤを通して、キリストの十字架前のエルサレム入場を預言されました。そしてその通りに事が成就したのです。しかもそのお方はあなたの将来に計画を抱かれます。その計画は災いではなく、あなたに将来を与え、平安と希望を与える計画です。安んじましょう。

■黙示録7:16彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
★あなたの目の涙をぬぐって下さる方に目を向け、さあ一日を始めましょう。主は今日もあなたを祝福されます。ヒデ

20101223_ヨブ31-32_ゼカリヤ08_黙示録05-06

■ヨブ32:13だが、おそらくあなたがたは言おう。「私たちは知恵を見いだした。人ではなく、神が彼を吹き払った」と。32:14彼はまだ私に向かってことばを並べたててはいない。私はあなたがたのような言い方では彼に答えまい。
★4人目の人物、エリフの登場です。彼はここでヨブの友人とは異なる視点から論じるつもりを前置きし、「神様以外にヨブを納得させ得る者はいない」との意味の「神が彼を吹き払った」の言葉を語り、ヨブの心を神様ご自身に向けさせます。確かにそれは今までの経験から得られるところの常識的な知恵と説得とは異なるもので、その人自身が神様からの語りかけに集中できるよう助けるものでした。
本当のカウンセリング、励ましとは何でしょう。聖書はここで、それはその人自身が神様の語りかけを聞けるように助けることで、決して自ら神に変わって説得したり、分析することではないことを示します。そう、痛んだ人に仕えるために主はこう仰います。「その子をわたしの所に連れてきなさい」と。

■ゼカリヤ8:23万軍の主はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う。」
★「私たち(異邦人)もあなたがた(選民イスラエル)と一緒に行きたい」とは旧約の祝福です。では新約の恵みとは何でしょう。それは「全世界に出て行って(クリスチャン)」で、あなたこそが神様の宮であることです。出て行って新たな関係を築き、また、すでにある関係を深めるために、あなたの中で躊躇させるものがありますか。もしあれば、あなたにも主の癒しが必要です。主はそこに命を注ぎ、あなたが関係を楽しめる者となるために来て下さったのです。主の愛がまだ届いていないあなたの心の深い部分に、このクリスマス、主の愛が豊かに豊かに届けられますように。ヒデ

水曜日, 12月 22, 2010

20101222_ヨブ29-30_ゼカリヤ06-07_黙示録03-04

■ヨブ30:8彼らはしれ者の子たち、つまらぬ者の子たち、国からむちでたたき出された者たちだ。30:9それなのに、今や、私は彼らのあざけりの歌となり、その笑いぐさとなっている。
★かつて滅びるばかりであった所をヨブがあわれみを掛け、使用人とした人たちでさえ今やヨブに仕える気持ちを失います。その苦悩を上のことばでヨブは表現します。主にある者は義理と人情に生きる必要は毛頭ないでしょう。しかし恵みに対する感謝を捨てることは信仰を捨てることを意味し、不信者以上に悪いと語ります。試みの中にある人にあなたはどんな形で励ましを与えることができるでしょう。全ての人にではないでしょう。しかし、確かにあなたは、ある人に対しては、その人の将来さえ変わるほどの鍵を握っているキーパーソンに違いありません。あなたの存在が励ましと慰めのために用いられますように。

■ゼカリヤ6:12 彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。6:13彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。』
★やがて成就するイエス・キリストの預言です。若枝とはキリスト。では神殿とは……?それはあなたです。そう、主はあなたとあなたの生涯を再建して下さるのです。欠けを補う方法ではなく、あなたの従順を用いて新たに造りかえる方法です。そしてその神殿は永遠に続きます。

■黙示録4:10二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
★これこそが、まさにあなたがやがて神様の前に出たときの光景であることを願います。ゆえに主は「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい」と語られます。それを保つ秘訣は純粋な信仰ときよい愛です。ヒデ

月曜日, 12月 20, 2010

20101221_ヨブ28_ゼカリヤ04-05_黙示録01-02

■ヨブ28:20では、知恵はどこから来るのか。悟りのある所はどこか。
★地上には確かに価値あるものは数多くあるでしょう。しかしヨブは上の問に答えるならば、それは神様が人に仰せられたではありませんか「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである」と語ります。このことを箴言では「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」と更に強調します。何かを拾うため、下に目を向ける生き方もあるでしょう。しかし天を仰ぎましょう。本当にあなたを生かす良きものは上から、主か来るのです。

■ゼカリヤ4:6すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。
★ゼルバベルとは、ペルシャのクロス王の勅令によってバビロンからエルサレムへ帰還する4万2千の民のリーダーとして立てられ人物です。厳しい状況の中にあるリーダーに対する神様の語りかけは明確で、「わたしの霊によって」です。題目ではなく求めるべきは神様で、このお方によってこそ、人は強められ立ち上がれるのです。

■黙示録1:7見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
★あなたはキリストが再び来くると言う教えをご存知ですか。これは主ご自身が、天に帰られる前に「用意が出来たならば私はまた来る」と語られた言葉に由来し、その信ぴょう性は確実です。だからこそ聖書は「神に会う備えをせよ」と語ります。黙示録を通してそうしましょう。再び来られる主への希望があなたの心に大きく大きく広がりますように。ヒデ

20101220_ヨブ25-27_ゼカリヤ02-03_ユダ01

■ヨブ26:7神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。
★コペルニクス的発想の転換とも言われますが彼が地動説を唱えたのは1490年代のこと。何とその3000年近く前にヨブはすでにこの事を神様から啓示として示され、語っていたとは驚きです。この所から改めて神様は全能者であられ、ご自身に望みを置く者の生涯に、不思議と真理の啓示をもって、ご自身助け出して下さる方であること示されます。ヨブのように、このお方にこそ拠り頼みましょう。神様は私たちの隠れ場、いと近き、そこにある助けです。

■ゼカリヤ2:1私が目を上げて見ると、なんと、ひとりの人がいて、その手に一本の測り綱があった。2:2私がその人に、「あなたはどこへ行かれるのですか」と尋ねると、彼は答えた。「エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るために。」
★旧約時代の王ベルシャザル王は測り縄で神様から測られ、足りないと宣告された人物の一人です。果たして測られても、なんのほころびもなく、神様の前に立つことのでき人があるのでしょうか。ひとりもありません。だからこそゼカリヤは、「さあ共に主を仰ごう」と私たちに語るのです。仰いで主の恵みを受け取りましょう。

■ユダ1:24あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、
★神様はユダを用いてもやはり信仰の望みは人にではなくご自身にあることを示されますす。主の弟子ペテロも同じように「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と語りました。自ら握りしめる信仰ではなく、神様が握り続けて下さることを信じる信仰に生きましょう。ヒデ

土曜日, 12月 18, 2010

20101219_ヨブ23-24_ゼカリヤ01_2・3ヨハネ

■ヨブ23:10しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。
★口語訳聖書ではこの箇所を「しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、わたしは金のように出て来るであろう」と訳します。それはまさにパウロの「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(1コリント10:13)の告白に通じます。そうです。キリストにある者はどんな八方塞がりに見える場合でも天への道は塞がれることはありません。そして、キリスト者とは自分がまだどんな者かをも知らない幼稚なものではなく、自らを知りつつも、燻し銀のように錬られきよめられた存在と言うのです。主の御手におちいりましょう。そこが最もあなたにとって安全です。

■ゼカリヤ1:3あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。-万軍の主の御告げ-そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。
★描かれたモナリザの微笑みが日毎に変わるわけではありません。それを見る自分の気分が変わるので、変わるように見えるのです。神様の愛も同様で、決してあなたを見放すことも、見捨てることもなさいません。ただ私たちの心がコロコロと変わるのです。だからこそ、変わらない主の愛と真実に支えられる必要があるのです。主を求めましょう。主は最初から変わることなくあなたに近くいて下さいます。

■3ヨハネ2愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
★使徒ヨハネのくちびるを通して語られた主のあなたへの語りかけです。いいですねーっ。あなたは主に愛されています。ヒデ

金曜日, 12月 17, 2010

20101218_ヨブ22_ハガイ01_1ヨハネ05

■ヨブ22:21さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。22:22 神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。22:23あなたがもし全能者に立ち返るなら、あなたは再び立ち直る。あなたは自分の天幕から不正を遠ざけ、22:24宝をちりの上に置き、オフィルの金を川の小石の間に置け。22:25そうすれば全能者はあなたの黄金となり、尊い銀があなたのものとなる。
★3巡目のヨブを訴えるエリファズの言葉にもう嫌気がさします。言っていることは最もでしょう。しかしエリファズよ、お前の言う言葉と、神様が義人と仰るヨブと何の関係があるのかと言いたくなります。人間とは一旦思いこんだらどこまで自分を自己肯定し、相手をねじ伏せたら気が済むのでしょうか。ヨブが「エリファズ様。私が悪うございました。」とでも言って頭を下げれば、それで満足なのでしょうか。しかしこれが現実の人間の姿です。

■ハガイ1:14主は、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの心と、民のすべての残りの者の心とを奮い立たせたので、彼らは彼らの神、万軍の主の宮に行って、仕事に取りかかった。
★彼らが取りかかった仕事とは何でしょう。神殿建設です。キリストは神の宮であるあなた自身を神の宮として建て上げようとしておられます。あなたはそれを喜び、歓迎し協力していらっしゃいますか。あなたの人生の主権者として主を認め、主の語りかけに喜びをもって同意し、従いましょう。そこから奇蹟の生涯が始まります。

■1ヨハネ5:3神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
★どんなに小さく力なく親を助けることのできない子供でも、父を喜ばすことができます。それは父の言いつけを守ることです。しなければ受ける罰のためではありません。愛のゆえにそうするのです。それが神様の愛を知った者の歩みです。あなたはもう奴隷生活から解放されましたか。ヒデ

20101217_ヨブ21_ゼパニヤ03_1ヨハネ03-04

■ヨブ21:1ヨブは答えて言った。21:2あなたがたは、私の言い分をよく聞け。これをあなたがたの私への慰めとしてくれ。21:3まず、私が語るのを許してくれ。私が語って後、あなたはあざけってもよい。
★「天は彼の罪をあらわし、地は彼に逆らって立つ。彼の家の作物はさらわれ、御怒りの日に消えうせる。」と語る、ツォファルの蔑みの言葉を受けて、ヨブが上の言葉を返します。試みの中にある者の語る言葉に耳を傾けることなく、自分勝手に分析し、さもそれが最高の提案のように語る愛のない言葉に、ヨブはほとほと疲れます。あなたは愛する人の語る言葉に先ず耳を傾けていますか。人を生かし励ますために、自分勝手な分析は何の役にも立ちません。

■ゼパニヤ3:17あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
★この御言葉が実現したあなたは、主にあって何と素晴らしい存在でしょう。主はあなたによって喜び、楽しまれるのです。そしてあなたこそ神様の臨在を持ち運ぶ「教会」です。どうか、神様が喜びを持って置かれたその場所で、あなたが豊かに輝きますように。

■1ヨハネ3:20たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
★「神様は私たちの心よりも大きなお方。」あなたはこの真理を受け取っているでしょうか。それともこの恵みから離れ、自分の欠点や汚れをみて、自分に失望落胆し自分を裁いてしまっていますか。だとするならそれはサタンです。だまされてはなりません。主は最初にあなたに声をかけられた時から、いえその前から、あなたの全てを知られ、その上であなたを赦しておられます。仰ぐのです。主の愛に飛び込むのです。そしてその主の愛の中であなたは生きるのです。ヒデ

木曜日, 12月 16, 2010

20101216_ヨブ20_ゼパニヤ02_1ヨハネ01-02

■ヨブ20:2それで、いらだつ思いが私に答えを促し、そのため、私は心あせる。20:3私の侮辱となる訓戒を聞いて、私の悟りの霊が私に答えさせる。
★「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」「このいわれのない苦難の中で、私に苦難をゆるされた神御自身は、あなた方が何と言おうと必ず救い出して下さる」とヨブが語ったとき、ナアマ人ツォファルが最初に語ったことばが上の言葉です。ツォファルにとってみれば売り言葉に買い言葉で、彼の内にある怒りの霊を留めることができず、ヨブに自らの感情と思いをぶちまけるのです。自分の方が絶対に正しいと、自らを神様の立場に置いた者のなせるわざです。売り言葉に買い言葉で人は罪のない人を傷付けます。だからこそ十字架が必要です。一度自分の思いを十字架につけ、言葉のとげを主の恵みによって抜いて頂いて語るのです。

■ゼパニヤ2:15これが、安らかに過ごし、心の中で、「私だけは特別だ」と言ったあのおごった町なのか。ああ、その町は荒れ果てて、獣の伏す所となる。そこを通り過ぎる者はみな、あざけって、手を振ろう。
★エチオピアに臨んだ主の裁きです。あなたは「私だけは特別だ」と「私も特別だ」の違いが分かりますか。その違いが主の裁きを身にもたらすのです。

■1ヨハネ2:28そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現れるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。
★ヨハネが語る重要なメッセージのひとつに「キリストにとどまる」があります。そう、あなたは生涯、キリストに留まり、通り過ぎて、キリストを卒業してはならないのです。サタンの誘惑はエバを誘惑したときと同様、まずあなたを神の言葉から引き離そうとさせ、次ぎに神の言葉を否ませるのです。だまされてはなりません。離れてはなりません。キリストにとどまる以外、あなたを恵みのいのちに保つ秘訣はないのですから。ヒデ

水曜日, 12月 15, 2010

20101215_ヨブ18-19_ゼパニヤ01_2ペテロ03

■ヨブ19:25私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。19:26私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
★2度目のビルダデの「ヨブは自分の民の中に親類縁者がなくなり、その住みかにはひとりの生存者もなくなる」の言葉を受けてヨブが語った、ヨブ記の中で最も重要な聖句の一つと言うことのできる御言葉です。元来は確かに「贖う者」は親族縁者でしょう。しかし、このいわれのない苦難の中で、私に苦難をゆるされた神御自身が必ず救い出して下さるのだと、まさに神様から預言的な言葉をヨブは授かるのです。そうです。あなたの人生とその苦難に責任を取って下さるのは人ではありません。神様ご自身です。そして、このお方はあなたを弁護して下さる為に地の上に立たれます。その成就の一つが御子の受肉、クリスマスです。ヨブのごとく、このお方に望みを置きましょう。

■ゼパニヤ1:18彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。そのねたみの火で、全土は焼き払われる。主は実に、地に住むすべての者をたちまち滅ぼし尽くす。
★神の選びの民「イスラエル」の回復を願う主の叱責です。人はいざと言うとき自らを救い得ない、命のないものになんと望みを置く者でしょう。激しい叱責の中に「目覚めよ。悟れ」との主の愛が込められていることを受け止めましょう。

■2ペテロ3:16その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
★聖書は自分自身を滅びに至らせる原因について、それはその人の心が定まっていないことだと指摘します。あなたは既に心を定めましたか。自分ではなく、まず神様を愛することをもって心を定めましょう。そこからあなたを生かす祝福は流れます。ヒデ

火曜日, 12月 14, 2010

20101214_ヨブ16-17_ハバクク03_2ペテロ01-02

■ヨブ16:19今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。16:20私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。16:21その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。
★エリファズの呵責のない2度目の叱責の中、ヨブの心は更に神様へと向けられます。そして先には「神は私のように人間ではないから、私は『さあ、さばきの座にいっしょに行こう』と申し入れることはできない。私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない」と語っていたヨブが、ここでは神様と自分との間をとりなして下さる仲介者の存在を語るのです。ここから学べることは、神を仰ぎ続けようとする者に、神様は救い主に対する啓示を新たに更新し続けて下さるということ。御言葉は試練と同時に脱出の道を備えて下さる主を明確に示します。信頼し近づきましょう。

■ハバクク3:12あなたは、憤って、地を行き巡り、怒って、国々を踏みつけられます。3:13あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます。
★主は、ご自身、油注いだもの「神様の特別の選びの器として祝福を与えた者」のために戦って下さるお方。そしてあなたの頭には既に油が注がれています。

■2ペテロ1:18私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。
★変貌山でモーセとエリヤとイエス様が語り合う光景に遭遇したペテロ。「キリストの威光の目撃者なのです」と、キリストの再臨について語るペテロの確信はこの出来ごとにあります。頭の中での理解から更に体験の恵みへと引き上げられたペテロ。体験に勝る力はそう多くありません。御言葉への従順を通し、今日も一日神様を体験しましょう。ヒデ

月曜日, 12月 13, 2010

20101213_ヨブ15_ハバクク02_1ペテロ03-05

■ヨブ15:2知恵のある者はむなしい知識をもって答えるだろうか。東風によってその腹を満たすだろうか。15:3 彼は無益なことばを使って論じ、役に立たない論法で論じるだろうか。15:4 ところが、あなたは信仰を捨て、神に祈ることをやめている。15:5 それは、あなたの罪があなたの口に教え、あなたが悪賢い人の舌を選び取るからだ。15:6 あなたの口があなたを罪に定める。私ではない。あなたのくちびるがあなたに不利な証言をする。
★友人のヨブへの励まし?(説得・強迫)が一巡した後、再びエリファズのヨブへの励まし?(叱責)です。ヨブの慰めの為か、自分の義の正しさの証明の為か分かりません。聖書は初めの愛にもどること、留まることの尊さを教えます。

■ハバクク2:4見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
★私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者として召し出されました。信仰に立った決断を今週も心掛けましょう。

■1ペテロ5:6ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。5:7あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
★自分で今の地位を高く引き上げよう。将来について心配しよう、としないようにしましょう。なぜなら主がそのことをして下さるのですから。主があなたに求めておられる主への信頼の中を今週も歩ませて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 12月 12, 2010

20101212_ヨブ14_ハバクク01_1ペテロ02

■ヨブ14:14人が死ぬと、生き返るでしょうか。私の苦役の日の限り、私の代わりの者が来るまで待ちましょう。14:15あなたが呼んでくだされば、私は答えます。あなたはご自分の手で造られたものを慕っておられるでしょう。
★ヨブが生きたこの時代。復活の信仰が明確に啓示されていた訳ではありません。その中でも彼は前章に続き、繰り返し「あなたが呼んでくだされば、私は答えます」と神様に望みをおきます。詩篇の記者は「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」と告白しました。心を注ぎだして神様に向かう、これほど人が単一な心、二心なく純粋な者として神様の前に近づく方法はないでしょう。あなたが心を注ぎだして神様に近づいたのはいつでしょう。主はその姿勢を何にもまして喜ばれます。

■ハバクク1:12主よ。あなたは昔から、私の神、私の聖なる方ではありませんか。私たちは死ぬことはありません。主よ。あなたはさばきのために、彼を立て、岩よ、あなたは叱責のために、彼を据えられました。
★バビロンに征服されるイスラエル。しかしハバククのそのことに対する捉え方は「叱責」、即ち回復で、まさにその通りです。神様の選びと召しは変わる事がありません。たとえ神様があなたに叱責のメッセージを送られることがあっても、それは同様です。神様はあなたを愛しておられます。

■1ペテロ2:24そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。2:25あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
★そうです。立ち帰ったのです。「失われている」とは、本来あるべきものが、あるべき所にないこと。しかしあなたは本来あるべき神のもとに立ち帰ったのです。全ての祝福の源である神様の御腕の中心に今、立っているのです。仰ぎましょう。胸を張りましょう。神様があなたの見方です。ヒデ

土曜日, 12月 11, 2010

20101211_ヨブ13_ナホム03_1ペテロ01

■ヨブ13:13黙れ。私にかかわり合うな。この私が話そう。何が私にふりかかってもかまわない。13:14それゆえ、私は自分の肉を自分の歯にのせ、私のいのちを私の手に置こう。13:15見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。
★「黙れ」と、ヨブがその苦しみを、人を無意識の内にも傷付ける3人の友にはき出すことが出来たことを、思わず、よかったと思います。いったいどれほどのヨブの苦しみでしょう。確かに3人はヨブの痛みを知る必要があったでしょう。また、こうしてヨブが自分をはき出す機会がなければ、ヨブの内にある余りに深い悲しみと絶望、怒りはヨブ自身を滅ぼすこととなったでしょう。その上で彼は更に「ただ二つの事を私にしないでください。そうすれば、私は御顔を避けて隠れません。それは苦悩をもたらすあなたの御手と威圧的恐怖、それで私をおびえさせないでください。神様、呼んでください。私は答えます。」と、その心を神様に向かわせるのです。そして神様に向かおうとするヨブにひとつも無駄なことはありません。神様はやがて万事を益として下さいます。ヨブのように逃げないで、神様に向き合おうとする人は、決して不幸でないことを深く心に刻みましょう。

■1ペテロ1:21あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。
★多くの人はキリストを信じた後、こんなにも尊い救いにあずかったのだから、これから主を悲しませることのないようにと、注意深い生活に心掛けることでしょう。しかし殆ど間違いなく、人は誰でも失敗を経験するものです。そして自分を見て「やっぱり私はダメだ」と落胆するのです。しかしイエス様はその事さえも知り、既に受け止め赦して下さっているお方です。あなたは主が、裏切ったペテロに「あなたの信仰がなくならないように祈った」との箇所をご存知ですか。いいですか。既にあなたの生涯は、あなたにではなく、神様にかかるものとなったのです。即ち主を告白するあなたは、必ず主の真実と愛によって支えら守られるのです。このキリストにあって安んじましょう。ヒデ

金曜日, 12月 10, 2010

20101210_ヨブ12_ナホム01-02_ヤコブ05

■ヨブ12:1そこでヨブが答えて言った。12:2確かにあなたがたは人だ。あなたがたが死ぬと、知恵も共に死ぬ。12:3私にも、あなたがたと同様に、悟りがある。私はあなたがたに劣らない。だれかこれくらいのことを知らない者があろうか。
★キリストは弟子ユダの裏切りを「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた」と旧約聖書詩篇を引用して、その心境を語りましたが、3人の友の説得の言葉が一巡した時、ヨブの心境も同じでした。しかしこの時ヨブに必要で、彼が求めたものは、説得ではなく、同情であり、理解でした。「世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。」(旧約聖書箴言)いかがでしょう。あなたは、あなたを必要とする人々にとって良き友となっているでしょうか。立ち止まって主の語りかけに耳を傾けましょう。

■ナホム1:3主は怒るのにおそく、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方。主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり。
★ヨナの宣教によって悔い改め、神様の裁きを免れた町ニネベ。しかし、その悪が悔い改めの可能性がないほどのものとなって、もう一度のぼってきたとき、神様は預言者ナホムを立て、それを叱責されます。間違ってはいけません。神様はあなどられるお方でも、偏り見られるお方でもありません。そしてキリストは世の終わりにもう一度地の上に立たれます。どうか正しいキリストの裁きが、あなたに災いではなく、祝福をもたらすものでありますように。

■ヤコブ5:7こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。5:8あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
★「主の来られるのは近い」。そうあなたの為に、主の来られるのは近いのです。勇気を主から受け取りましょう。そして悪に負けてはなりません。今日あなたの顔は主にある笑顔と感謝に満ちてますか。行ってらっしゃい。ヒデ

木曜日, 12月 09, 2010

20101209_ヨブ11_ミカ07_ヤコブ03-04

■ヨブ11:1ナアマ人ツォファルが答えて言った。11:4あなたは言う。「私の主張は純粋だ。あなたの目にも、きよい」と。11:5ああ、神がもし語りかけ、あなたに向かってくちびるを開いてくださったなら、11:6神は知恵の奥義をあなたに告げ、すぐれた知性を倍にしてくださるものを。知れ。神はあなたのために、あなたの罪を忘れてくださることを。
★エリファズが教条主義者、ビルダデが建て前主義者であるとすればツォファルは感情露出型で、もはやヨブへの同情心は全く見られず本人は気づいていませんが暴力を振るう始末となっています。暴力とは何でしょう。
それはノーと言える関係、フェアーな関係かどうかです。腕力、能力、経済力、言葉の巧みさ、知識において、ああかなわないと感じさせ、怒らせたら怖いとの恐怖心を相手に植え付け、コントロールしようとしたら、もはやフェアーな関係は保てません。それは既に暴力なのです。身体的暴力と目に見えない暴力、いずれも、主の十字架の愛とキリストの身体なる教会、共同体の愛はその心に癒しをもたらします。

■ミカ7:8私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。
★ミカのように敵に対し萎縮ではなく、信仰の宣言により立ち上がろうとする信仰があなたを強め、信仰の成熟へと向かわせます。さあ今、声に出して宣言してみましょう。「闇の中に座っていても、主が私の光だ」と。

■ヤコブ4:7ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
★いいですか。本当の真理はあなたの全てにおいて、神様には既に赦しの用意があることです。しかしサタンはそれを隠し、恐れであなたの心を支配し、問題の本質に向き合えなくさせ、蓋をさせてコントロールしようとするのです。だまされてはなりません。あなたはその恐れを信仰によって打ち砕くことが可能です。逃げではなく、キリストと共に問題の本質に向き合うのです。すでに光は闇の中に輝いています。ヒデ

水曜日, 12月 08, 2010

20101208_ヨブ10_ミカ06_ヤコブ02

■ヨブ10:7あなたは、私に罪のないことを知っておられ、だれもあなたの手から救い出せる者はいないのに。10:8あなたの御手は私を形造り、造られました。それなのにあなたは私を滅ぼそうとされます。10:9思い出してください。あなたは私を粘土で造られました。あなたは、私をちりに帰そうとされるのですか。
★「あなたは、私に罪のないことを知っておられ……」と、この苦しみの中にもヨブは神様の真実に拠り頼みつつ主に語りかけます。そして、ヨブ記の結末は、主ご自身がヨブの前に現れ、語りかけて下さり、一挙にヨブは苦悩のトンネルを抜け出すことに。しかし彼はまだこの時点では全く先が見えないのです。その中で神様に信頼し続けようとするヨブ。あなたはヨブのこの姿から何を学ぶでしょう。

■ミカ6:8主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。
★神様を愛することは、人の前の生き様としてあらわれるもの、とミカは語ります。まことの礼拝者は、その生活において自ずと愛の実践者となるのです。クリスマスを前に探られ、慰めの人とさせて頂きましょう。

■ヤコブ2:22あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
★「神の友」と呼ばれたアブラハムの信仰から学べる箇所です。信仰とは机上の学びで終わるものであってはなりません。生涯の中で信じたとおりに生きようとし、その中で助けて下さる神様を体験し、真心からの感謝の礼拝へと導かれることです。信じて行動に移した時、結果の如何は問題ではなく、それを失敗とは呼びません。むしろ自己保身のため踏み出さないこと、それこそが最大の失敗です。さあ今日も誰も歩いたことのない道を、主を信じ、主と共に歩み出しましょう。ヒデ

火曜日, 12月 07, 2010

20101207_ヨブ09_ミカ05_ヤコブ01

■ヨブ9:32 神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう」と申し入れることはできない。9:33 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。
★二人目の友ビルダデへのヨブの反論です。
ヨブは先ずビルダデの言葉に「まことに、そのとおりであることを私は知っている。しかし、どうして人は自分の正しさを神に訴えることができようか」。「神はただひとりで天を張り延ばし、海の大波を踏まれる。神は大いなることを行って測り知れず、その奇しいみわざは数えきれない。」と3人の友よりも深い神理解を示しつつ、上の言葉を語りました。
それはまさに預言的な言葉で「人間同士の争いは仲介者に和解の労を依頼できるが、神様との間の仲介者は考えられない」との意味でした。しかしその考えられないことがクリスマスにおこったのです。み位を捨てて人となって下さったキリストがご自身の命を懸けてその仲介役を全うして下さったのです。あなたは今試練の中にいますか。しかし、聖書はその中でしか悟り得ない真理や言葉のあることをここに示します。

■ミカ5:2ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
★「救い主はベツレヘムに」とのこの預言どおりキリストはこの町で誕生されます。この小さな町を忘れない主は、あなたをも間違いなく顧みておられます。仰ぎましょう。そして主の愛を全身で受け取りましょう。

■ヤコブ1:2私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。1:3信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
★主の実弟、十字架のあと弟子となったヤコブの告白です。ヒデ

月曜日, 12月 06, 2010

20101206_ヨブ08_ミカ03-04_ヘブル13

■ヨブ8:5もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、8:6もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。
★「もし、あなたが……、もし、あなたが……」と繰り返して語る人物は、エリファズと同じく1週間は何も言わずヨブに寄り添ったヨブの友ビルダデです。しかし彼はエリファズとヨブが交わす会話を聞いた為か、さながら最初から叱責するかの如くです。私が、ヨブを悔い改めに導かなければとの強い思いがあったのでしょうか。しかしどんな時にも鼻から息をする私たちのスタートは、聖霊様の助けを仰ぎつつの傾聴です。自分を神の立場に置くことのないように。

■ミカ4:13シオンの娘よ。立って麦を打て。わたしはあなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅とする。あなたは多くの国々の民を粉々に砕き、彼らの利得を主にささげ、彼らの財宝を全地の主にささげる。
★主の選びの民に対する回復の預言です。イスラエルは確かに苦悩のバビロン捕囚を通りますが、その苦難の中で今まで不可能だった偶像礼拝から手を切ることになるのです。主に選ばれたあなたの生涯にもそのことは起こります。その根拠は召されたお方の真実のゆえで、主の真実と恵みは必ずあなたの生涯に勝ち得て余りある人生をもたらします。自分ではありません。主の言葉を信じて仰ぐのが信仰です。主の母マリヤは「お言葉どおりこの身になりますように」と告白し、わが身になされる神の言葉の成就を見たのです。

■ヘブル13:20永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、13:21イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
★まさにアーメン。あなたを完全にして下さるお方は主以外にありません。ヒデ

日曜日, 12月 05, 2010

20101205_ヨブ06-07_ミカ02_ヘブル12

■ヨブ6:8ああ、私の願いがかなえられ、私の望むものを神が与えてくださるとよいのに。6:9私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、6:10私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。
★友エリファズの説得に対するヨブの反論です。原因の分からない苦悩。それほどに人の心を萎えさせ苦しめることのないことがここでも描かれます。それに対して、原因が明確な罪のゆえに負っている苦悩とは、反面なんと感謝なことでしょう。キリストはその為に贖いを完成し、その罪を告白し十字架を仰ぐなら罪赦され、その苦悩から明確に解き放たれることが出来るのですから。だからこそ今日という日に、主の御声を聞いたならその語りかけを虚しくしてはならないのです。恵みの中にあることを改めて感謝しましょう。

■ミカ2:13打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真っ先に進まれる。
★打ち破る者とは敵国から神の民を解放する神様ご自身です。即ち主はあなたの前に置かれた門、あなたの自由な前進を留める門を打ち破って下さるお方です。主が先頭に立たれるので、あなたは必ず勝利し、門から出て行きます。この預言的な言葉を受け取るあなたの生涯に必ずそれがおこります。ハレルヤ。あなたの将来には希望があります。

■ヘブル12:26あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」12:27この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。
★やがて神様の前に立つとき、人間が欲と肉で築いたもので何一つ残るものはありません。霊にいのちを蒔きましょう。ヒデ

土曜日, 12月 04, 2010

20101204_ヨブ05_ミカ01_ヘブル11

■ヨブ5:17ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。5:18神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。
★ヨブの友エリファズの説得の続きで、彼の言うことはもっともです。そして彼は「神は悪賢い者のたくらみを打ちこわす。結果、彼らは、何の利得も得られない。神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。」とさえ語り、ヨブの心の傷口に塩をすり込む様な言葉へと進みます。しかしヨブの苦悩の原因は別の所にあり、罪の結果ではありません。的を得ない、言葉数の多いことがいかに人を傷付けるかを心に刻みましょう。あなたは人を説得し、相手を変えようとすることに焦点を置いた人生を歩んではなりません。むしろその人を理解しようと努め、寄り添い友となることに焦点を置いて生きるのです。

■ミカ1:3見よ。主は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。
★ミカはキリスト誕生の740-680年前ごろ、即ちイザヤと同年代に活躍した預言者です。彼はキリスト降誕の地と、神の公義を生きることの尊さを民にあらわしました。あなたは託された生涯で何を中心にあらわしますか。

■ヘブル11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
★このヘブル人の著者は、根拠なしにこの言葉を語ったのではありません。アベル、エノク、ノア、アブラハム、……と16人とそこにまだ含まれていない人たちの名をあげて、信仰による歩みの確実性を語るのです。あなたは神様を脇に置いた、神抜きの計算の生涯を生きてはなりません。神様を期待し、神様を見上げる生涯を生きるのです。その生涯で神様が働かれる領域を豊かに備えるのはあなた自身のテーマです。あなたの信じたとおりになりますように。ヒデ

金曜日, 12月 03, 2010

20101203_ヨブ03-04_ヨナ04-03_ヘブル10

■ヨブ4:7さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。4:8私の見るところでは、不幸を耕し、害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ。
★ヨブはそもそも神様ご自身が義人であることを認める者。そして、その降りかかった災いも神様を訴えるサタンのゆえに神様が「彼の命には触れるな」と、制限を加えた上で許されたもの。しかしそれを知らされていないヨブの心には「私の生まれた日は滅びうせよ。男の子が胎に宿ったと言ったその夜も。その日はやみになれ」との思いさえ湧きあがります。その原因が分からない苦悩ほど人を痛めることのないことを覚えます。
初めの御言葉は、その中で友人エリファズがヨブに語った言葉です。友人として1週間寄り添いながら一言も語らなかったエリファズが口にした言葉です。「さあ思い出せ。だれが罪がないのに滅びた者があるか……」は確かに原則です。しかしその友情さえも今はヨブを苦しめるのです。苦難の中にある友への友情をきよめて頂きましょう。また、原因の分からない苦悩の中におかたれたとき、一旦深く自らを内省した後は、神様を仰ぐことの尊さをも心に留めましょう。イエス・キリストの弟子パウロは「私は自分で自分をさばくことさえしません」と語りました。神様の御手の中にただ陥るのです。

■ヨナ4:2主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
★罪とは何でしょう。その本質は神様の恵みにさえ、突き上げるような思いが涌きあがるヨナのその心です。預言者ヨナのその心さえ痛んでいたのです。人は皆キリストにある十字架の癒しが必要です。

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。ヒデ

木曜日, 12月 02, 2010

20101202_ヨブ01-02_ヨナ02-03_ヘブル08-09

■ヨブ1:21そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
★しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」と。この二つの御言葉は自然災害によって10人の子供を亡くし、更には自分の身に腫瘍を病み、妻から「もう信仰なんていい加減にしなさいよ。こんなに苦しい目に合わされているのに。信仰を捨て、神を呪って死になさい」と言われた時、語ったヨブのことばです。真に神様を畏れる正しい人ヨブは、こうしていかなる状況の中においても罪を犯しません。それはまさに神様がヨブに抱いた評価そのものでした。ヨブ記の結末は何でしょう。それは「神様を恐れる人の為には、神様が責任を持って、その生涯を全うし、必ず祝福を回復して下さる」です。そしてヨブは「もし神、我を試み給わば、我燻し銀の如くにいできたらん」と歌うのです。もしあなたが今試練のただ中にあるならば、立ち止まり、主を見上げましょう。そしてヨブの告白を我が告白としてささげましょう。そこから天は開けます。

■ヨナ2:4私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。
★「私を海の中に放り込みなさい。そうすれば嵐は止みます。それでも私は神には従いたくないのです」と語っていたヨブ。そのヨブが嵐に揉まれる試練の中で上の言葉を語るのです。なぜ神様は試練を許されるのか。この箇所はその答えを示します。

■ヘブル9:27そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
■主は必ず再び来られます。今日も主に合う備えとして、心からの一日を主の前に、主と共に生きましょう。ヒデ

水曜日, 12月 01, 2010

20101201_エステル09-10_ヨナ01_ヘブル06-07

■エステル9:28また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。
★プリムとはプル(くじ)の複数形で、人の投げるくじは、神様の御手の中にあり、神様はすべてをよきに変えたもう、との信仰告白をユダヤ人はプリムの祭りに込め、その恵みを子孫に伝えようとしたのです。まさにどんでん返しの一日、滅ぼされる者が神様の恵みによって国を治める者へと高められたのです。どうでしょう。あなたは、主があなたの生涯に与えて下さった記念すべき日を、感謝の日として捧げ、友や家族と共に喜びを分かち合っているでしょうか。

■ヨナ1:12ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」
★今にもイスラエルを滅ぼそうとすきを伺うアッシリヤの主要都市ニネベ。しかしなぜか神様は愛国心に富む預言者ヨナに、ニネベに言って悔い改めを説くことを促します。ニネベなど一日も早く滅びてしまえばよいと思うヨナは、そこで神様の命に背を向けてニネベとは正反対のタルシシュ行きの船にのるのです。罪とは何でしょう。「私を海の中に投げ込みなさい、たとえ私は死んだとしてもその神様の御心には従いたくない。」にあらわれます。人はここから神様の恵みによって変えられ、神様の愛を表す人となるのです。

■ヘブル7:25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
■だからこそ、あなたははばかることなく主の赦しの御手の中に憩うことができるのです。主は完全なお方。飛び込みましょう。そして一人ではない神様に支えられる生涯を始めるのです。ヒデ

火曜日, 11月 30, 2010

20101130_エステル07-08_オバデヤ01_ヘブル03-05

■エステル8:15モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。8:16 ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。
★うぬぼれと高慢不遜の固まりハマンは自分の前でひざまづかないモルデカイを高い塔につるし、ペルシャの全ユダヤ人を虐殺しようと試みましたが、結果は自らが造ったその塔に吊され、ペルシャの国の全ユダヤ人の立場が守られる祝福へと変えられました。エステル記には一度も「神様」との記述はありません。しかし、「神様」により頼み、正義と愛を求めて行こうとするその時に、神様は生きてみわざをあらわされます。その為にエステルは鍵を握る存在として、神様によって王宮におかれたのです。あなたもその一人です。
今置かれたその場所で神様があなたに求めていることはなんでしょう。さあその時の為に、今日も変わらず神様を畏れ愛する生き方を積み上げさせて頂きましょう。あなたは主の前に喜びと誇りの存在です。

■オバデヤ1:15主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。
★「人は蒔いた物を必ず刈り取ることになる。」この霊の法則を、神様は預言者オバデヤを通しても語られます。一章しかないオバデヤ書の中心メッセージです。欲にではなく命と御心の為にあなたの生涯が蒔かれ、そこから良きものを刈り取られますように。

■ヘブル4:2福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
■「信仰によって結びつけられなかったから……」興味深い御言葉です。今日一日味わって下さい。何をどう結びつけたらあなたの為に益となるのでしょう。ヒデ

月曜日, 11月 29, 2010

20101129_エステル05-06_アモス09_ヘブル01-02

■エステル6:6ハマンが入って来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」
★あなたの友人でうぬぼれの意味を知らない人がもしいるなら、このハマンの話をすればよいでしょう。王女となったエステルの育ての親モルデカイの功績をたたえようとアハシュエロス王が、「王が栄誉を与えたいと思う者には……」と語ったとき。ハマンはそれを自分の事と思いこみ「その人のためには、王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。そしてその人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その人の前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、触れて下さい。」と語るのです。
しかしその結果ハマンは自分が蒔いたうぬぼれの実を刈り取らされ、モルデカイの馬車を引く役に。確かに聖書は上座から下座に引き下ろされる人と、反対に下座から上座へと神様によって引き上げられる人のあることを教えます。うぬぼれは人生を愚かにします。主を仰ぎ、主への感謝を数えて守られましょう。

■アモス9:15わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」とあなたの神、主は、仰せられる。
★主とは取り扱われるお方、なぜでしょう。それはあなたを揺るぎない者とするためです。だからあなたは主の御手を信じて飛び込むのです。

■ヘブル2:18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
■クリスマスを前にして、ここに受肉の大きな意味が開かれます。そうキリストはあなたの為に決心し、この地に来て下さいました。あなたはこの年のクリスマス、どんな決心をなさいますか。アドベントはその実行に向けた準備の時。主の祝福をお祈りします。ヒデ

日曜日, 11月 28, 2010

20101128_エステル03-04_アモス08_ピレモン01

■エステル4:16「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
★捕囚の民イスラエルを嫌うハマンがペルシャ帝国第2の位に。彼は王から帝国中の全ユダヤ人虐殺の許可を取り付けます。そして上の御言葉はその時エステルが、育ての親モルデカイに「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」と語られた言葉の応答として返した言葉です。
誰でも人は神様の摂理の中で、事の大小はありましても「この時のため」といった状況におかれます。その理由は、目には見えませんが神様がおられ、神様は、あなたがその生涯を用いて神様の栄光を現せるようにと時を定めておられるからです。「たとえ死ななければならないのでしたら……」と、あなたも神様が下さったそのチャンスをのがしてはなりません。しかも、そこには「この時」でなくても取り返しのつくものと、「この時」でなければ意味をなさなくなるものもあるのです。そして主は語られます。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」と。

■ピレモン1:12 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
★パウロはピレモンにこの手紙を書き送りましたが、神様は「わたしの心そのものです」と、あなたをこの世に送り出されます。大丈夫あなたは今日も一人ではありません。あなたを愛し守って下さる主が共にいて下さいます。さあ今日も神様と一緒にはじめさせて頂きましょう。たとえそこに困難があったとしても。主が丁度良い時にあなたを高くして下さいますから。ヒデ

土曜日, 11月 27, 2010

20101127_エステル02_アモス07_テトス01

■エステル2:17王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。
★アハシュエロス王は、エステルの頭の上に王冠を置き、彼女を妻としましたが、主はあなたを選び、あなたの頭の上に、キリストの花嫁としての王冠をおいて下さいました。エステル記にはどこにも神様の名前は出てきません。が、そこには確かな神様の導きが流れ、あなたの人生も同様です。その為エステルの生き様に心を向けましょう。御言葉は彼女について「エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」と記します。どうがあなたの飾りがこの世の物ではなく、神様への従順をもって飾られますように。

■アモス7:8主は私に仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が「重りなわです」と言うと、主は仰せられた。「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。
★神様は正しい裁きをなさるお方。ゆえに私たちの生涯にも「量りなわや重りなわ」を投げ込まれるお方です。キリストの十字架を感謝しましょう。

■テトス1:15きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
★「人の問題は動機にある」と、ここで聖書は語ると共に、その動機は信仰によってきよめられることを記します。動機が汚れていれば、神と人への愛を動機としていなければ無益だと言うのです。そして動機を御子イエスの血はきよめます。愛か欲か、この問いかけを通して神様はあなたを命ある者として下さるお方。仰ぎましょう。そして主に告白しましょう。赦しときよさは他でもないあなたへの神様からのプレゼントなのです。ヒデ

金曜日, 11月 26, 2010

20101126_エステル01_アモス06_2テモテ03-04

■エステル1:16メムカンは王と首長たちの前で答えた。「王妃ワシュティは王ひとりにではなく、すべての首長とアハシュエロス王のすべての州の全住民にも悪いことをしました。
★本当にそうでしょうか。なぜ127州を治めるアハシュエロス王の命とはいえ、酔った勢い、しかも宴会の席で妻を守るべき夫から、その美しさを見せびらかすためにと、屈辱的な恥ずべき舞を踊れとの命に従順しなければならないのでしょうか。しかし王妃ワシュティは結果、時代の流れの波に飲み込まれてしまうのです。自らの良心だけでは太刀打ち出来ない時代、だからこそ、その決断に生涯悔いを残さないように、あなたは神様を信じるのです。神の御心に基づく決断はたとえそれがどんな結末になろうとも、私はするべきことをしたと、困難の中でむしろ感謝の心がおこって来るでしょう。しかも神様はあなたを丁度良いときに高くして下さることができる全能のお方です。

■アモス6:6彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅のことで悩まない。6:7それゆえ、今、彼らは、最初の捕らわれ人として引いて行かれる。身を伸ばしている者どもの宴会は取り除かれる。
★酒が問題ではありません。本来、先祖から受け継いだ神様を畏れるその良き生き方が失われようとする中にあっても、何の危惧もなく、また痛みを共有しようとするでもなく、目先の欲に踊らされる彼ら。主はそれを叱責なさるのです。本来あなたが傍らに立ち励ますべき人はあなたの周りにいませんか。

■2テモテ3:16聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
★もう一度確認しましょう。大切な1節です。聖書の言葉は人間の言葉の寄せ集めですか。いいえ。神様が全ての人とご自分の教会のために下さったもの。だからあなたを救うのです。すなわちあなたは土台ある生涯へと導かれました。主の御名をほめたたえましょう。ヒデ

木曜日, 11月 25, 2010

20101125_ネヘミヤ13_アモス05_2テモテ02

■ネヘミヤ13:2それは、彼らがパンと水をもってイスラエル人を迎えず、かえって彼らをのろうためにバラムを雇ったからである。しかし、私たちの神はそののろいを祝福に変えられた。
★自由を与えられた人間はそもそもロボットではなく失敗するものであり、アダム以来罪を犯す者となりました。しかし神様はそれを祝福へと変えて下さるお方と聖書は語ります。今あなたは過去の一度の失敗や過ち罪にしばられて、「私はダメだ」とのレッテルの中に自らを置き、諦めた生活をしていることはありませんか。それは訴える者、悪魔サタンの働きです。神様はその呪いを祝福に変えて下さるお方です。十字架はその為の神様の恵みのみわざです。何によって縛られているのか恐れず神様の前に告白しましょう。主は流された十字架の血潮によってあなたを赦し、あなたの内に神様の命を注がれます。そしてあなたは生きるのです。あなたは過去の失敗に縛られた生活をしてはならない、神様にとってかけがえのない神様の子供です。

■アモス5:4まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」
★神様以外の何かによって自分を救おうとするイスラエルに対し、神様は「あなたが求めるべきは私だ。」と語られます。恐れる必要はないのです。神様はあなたのためにキリストを惜しみなくお与え下さった父の心をもった天のお父様です。近づきましょう。

■2テモテ2:1そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
★キリストにある恵みによって強くなるのでなければ人は何によって強さを求めるでしょう。腕力。能力。才能。知識。財力。しかしこれらは神様から離れるなら即暴力に変わります。人との比較ではなく御言葉の光と規準によって自分自身を見るのです。そして神の恵みに寄り頼むのです。それがあなたを罪から守る生き方です。ヒデ

水曜日, 11月 24, 2010

20101124_ネヘミヤ12_アモス04_2テモテ01

■ネヘミヤ12:43こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。
★女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。素晴らしい御言葉です。あなたの喜びはどこまで届いているでしょう。与えられている喜びを外に表現する自由が与えられているでしょうか。またあなたの属するキリストにある共同体は、女も子どもも、その喜びを表せるほどに、安全な守られた場所となっているでしょうか。安全な場所は自然には生まれません。勝ち取ったのです。召された男たちが中心になり一つ心となって、イスラエルの城壁を築くことを通して。男の使命はここにあります。立ち上がりましょう。女性達よ、男の為に祈って下さい。主にある男達が一つとなって神様の事業にあたることができるように。男が一つになったらどんなに大きな素晴らしいことがおこるかわかりません。その喜びの声がはるか遠くまで響きますように。

■アモス4:12それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
★この章には「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。」と5回繰り返されています。神様がその愛によって、何とかイスラエルを立ち帰らせようとしてもです。日毎に神様にまで立ち帰って、神様の元からこうして遣わされる恵みは何にも勝ったあなたの財産です。その心を与えて頂いた主に感謝しましょう。主が今日も一日あなたを守って下さいます。

■2テモテ1:7神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
★だれであれ臆病の霊に支配されそうになる時はあります。その時はこの御言葉によって奮い立ちましょう。そして主にある威厳と穏やかさを回復され、事に当たりましょう。そのために今日も祈るあなたを主は喜ばれます。ヒデ

火曜日, 11月 23, 2010

20101123_ネヘミヤ11_アモス03_1テモテ06

■ネヘミヤ11:1民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。11:2すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。
★城壁再建後のエルサレムを守るために自ら進んで犠牲を払おうとする者を、民は祝福したことが記されます。そしてキリストは「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と、犠牲を払って神の民と共に歩もうとする者を、心に刻まれるお方であることが紹介されます。さて、あなたは何のために犠牲を払われるでしょう。

■アモス3:2わたしは地上のすべての部族の中から、あなたがただけを選び出した。それゆえ、わたしはあなたがたのすべての咎をあなたがたに報いる。3:3ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。
★神様はご自身「主であるわたしは、ねたむ神である」と語られます。なぜでしょう。それは約束した者への誠実な愛ゆえです。イエスと共に歩むことを約束したあなたの為には主は命をかけて下さるお方で、既に十字架でそうして下さいました。これからもあなたに注がれるその愛は少しも変わることがありません。

■1テモテ6:6しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。6:7私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。6:8衣食があれば、それで満足すべきです。
★パウロは愛弟子テモテに足ることを知る人生の尊さを教え諭します。そう、足ることを知らなければ貪る人生となり、感謝のない人生で、それは即ち誘惑と罠に陥る人生となるのです。だから人は何にもまして先ずキリストの愛で心満たされる必要があるのです。だからこうして日毎にご自身に近づくあなたを主は喜ばれます。主の誇りであるあなたを今日も一日祝福します。行ってらっしゃい。ヒデ

月曜日, 11月 22, 2010

20101122_ネヘミヤ10_アモス02_1テモテ04-05

■ネヘミヤ10:39この部屋に、イスラエル人とレビ人たちは、穀物や、新しいぶどう酒や油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の器具があり、また、当番の祭司や門衛や歌うたいもいる。こうして私たちは、私たちの神の宮をなおざりにしないのである。
★思えば人の神様への態度とは一番か、あるいはなおざりかの、どちらかで中間はありません。その中で、こうしてあなたの心に朝ごとにみ言葉に近きたいとの思いが与えられていること自体、神様の恵み奇蹟です。ただ主に感謝しましょう。

■アモス2:6主はこう仰せられる。「イスラエルの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが金と引き換えに正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売ったからだ。
★昨日の箇所は、イスラエルに向かって罪に罪を重ねる国々への叱責でした。しかし主はこの箇でイスラエルそのものの罪に向かいます。関わって下さるのは愛ゆえです。あなたに対して無関心でいれることなどあり得ない、それが主の心です。あなたの生涯への主の介入を喜びましょう。

■1テモテ5:20罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。5:21 私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行いなさい。
★罪に対して人情的な対応に流されることは良いことでしょうか。いいえ、聖書は罪を曖昧にすることによって、その人の悔い改めのチャンスを奪ってはならないと警告します。あなたは問題の解決にどんな手段を用いますか。いつまでも悔いの残らない神様にある方法を選び取りましょう。そのためにもみ言葉に親しむことは大切です。ヒデ

日曜日, 11月 21, 2010

20101121_ネヘミヤ09_アモス01_1テモテ01-03

■ネヘミヤ9:36ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。
★神様の御手を動かし、民の心を動かした、神様の前における神の人ネヘミヤの真摯な告白です。しかし自然にうまれた告白ではありません。この章を読んで頂ければ分かると思います。それは、たとえ旧約聖書をまだ一度も読んだことがない方であっても、ここを読めば、ほぼ旧約聖書の出来事と、神様の愛が理解できるほどの内容です。ゆえに、うわべだけの言葉ではなく、できる限りをもって相手や出来事を理解しよう、受けとめようとする心の大切さを覚えます。あなたは共に歩きたい、救いたいと願う大切な人の置かれた環境や言葉を見、聞こうとしていますか。

■アモス1:3主はこう仰せられる。「ダマスコの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが鉄の打穀機でギルアデを踏みにじったからだ。
★神様が預言者アモスに語られた聖書です。この章には「……犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪……」と5回繰り返されています。それは神様は罪に罪を重ねて、あなたを傷付けようとするものを見ておられると言うことです。報復は主に委ねましょう。あなたのために主は立ち上がり戦って下さるお方です。

■1テモテ1:5この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。
★あなたが神様を求める理由は何でしょう。ここにはそのゴールが明確です。愛の人となることです。主イエス様はそのために十字架の上でご自身の命の代価によって和解の救いを拓いて下さいました。神様との和解、人との和解のために心を砕きましょう。その労苦は永遠の次元において決して無駄になることはありません。ヒデ

土曜日, 11月 20, 2010

20101120_ネヘミヤ08_ヨエル03_2テサロニケ03

■ネヘミヤ8:9総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって言った。「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。
★どんなに留めようとしても留めることができず、ほおを伝って溢れ流れる涙。その彼らの姿に、彼らの喜びの大きさを思います。囚われの中から、主の恵みによって引き出され、礼拝を捧げるためにみんなで築き直した城壁と神殿。彼らが神殿建設の為に払った犠牲と奉仕はこうして豊かに報われたのです。ゆえに聖書は「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはない」と語ります。自分の命を守ろうとしてはなりません。むしろ注ぎ出すのです。この世で一番幸せな人。それは自分の命を捨て場所を発見した人であることを心に刻みましょう。

■ヨエル3:21わたしは彼らの血の復讐をし、罰しないではおかない。主はシオンに住む。
★聖書は血の復讐について、「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」と記します。人は必ず蒔いた物を刈り取ります。あなたは決して自ら血の復讐をもって、滅びを自分の生涯で刈り取ってはなりません。

■2テサロニケ3:6兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。
★なぜですか。御言葉は「彼が恥じ入るようになるたに」と語ります。間違ってはならないこと、それは決してあなたは神様でもなく相手は敵でもないからです。共依存ではなく相互依存の関係に生きる、豊かな人生を築いて行かれますように。ヒデ

金曜日, 11月 19, 2010

20101119_ネヘミヤ07_ヨエル02_2テサロニケ01-02

■ネヘミヤ7:1城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。7:2私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。
★遂に城壁が再建されたとき、門衛が立てられます。都を敵から守るため、要となる職の任命です。一体どんな能力、賜物豊かな人材でしょう。しかし任命の実際の規準は、「誠実さ」、また何にも勝って「神を恐れる人」でした。聖書は「神を畏れことが知識のはじめ」とし、その人には成長の可能があることを示唆します。キリストは「従って来なさい。……わたしがあなたをつくる」と語られます。しかも神を退けた知識や才能は、やがて崩れ去りますが、主を畏れる者の生涯は永遠に残るのです。何ができる人になりたいかではなく、どんな人でありたいかを自分自身に問いかけ、主に祈り求める人は幸いです。

■ヨエル2:28その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
★これが神様の約束です。あなたの上にも聖霊の祝福が注がれています。心を開き受け取りましょう。歓迎してお迎えするのです。こうしてあなたの内なる霊は強められ、あなたは夢を語る人となるのです。

■2テサロニケ1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。
★主にある者の苦しみは永遠ではありません。かならず終わりが来ます。しかも主からの酬いとしての安息の約束があるのです。更にあなたは気づいていらっしゃいますか。その苦しみの中で、ほら、あなたはそんなにもキリストに似る者とされているではありませんか。主にとってあなたは誇りの存在ですよ。決して決して忘れないで下さい。ヒデ

木曜日, 11月 18, 2010

20101118_ネヘミヤ05-06_ヨエル01_1テサロニケ05

■ネヘミヤ6:15こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。
★確かにネヘミヤはこの時、城壁再建のリーダーとして事を成し遂げました。しかしそこに至までの道のりは平坦ではありません。開封した手紙、すなわち内容が人々にも知れ渡り、あえてうわさが流れるように、とした上で「ネヘミヤよ。あなたとユダヤ人たちはペルシャ帝国の王に反逆するために城壁を築き、彼らの中で王になろうとしている。その動機がペルシャの王に伝わったらどうなることか。さあ相談しよう……」との反対者による強迫や、その他です。しかし彼は「主よ、今私を力づけて下さい。」と、主によって自ら奮い立ち、事を成し遂げました。絶対に応答しなければそこから先の進展は無いようにさえ見える誘惑。けれども聖書は「人を恐れると罠に陥る」と警告します。あなたの本来成し遂げるべきことはなんでしょう。ネヘミヤの生き様に学べますか。みこころに従う決断と行動の背後には、それを完成へと導かれる主がおられることを知りましょう。主は勇気をもって踏み出すあなたの一歩を決して辱められることはなさいません。

■ヨエル1:4かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。
★神様の裁きを類比的、詩的に預言するヨエル。神様は常に悔い改めと執り成しのチャンスを下さいます。時代の見張り人、祭司として神様はあなたを立てられました。

■1テサロニケ5:9神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
★この御言葉。アーメン!アーメン!アーメンです。だからこそ父なる神様は、私たちの罪を十字架に掛かられたキリストの上に置き、その上で仮借のない裁きと怒りを下されたのです。あなたに対する永遠の裁きは終わったのです。だからこそ、私たちは御手を広げて待って下さっている、父なる神様の御腕の中に飛び込むのです。この信仰こそがあなたを全ての恐れと絶望から救います。主の救いを感謝して受け取りましょう。ヒデ

水曜日, 11月 17, 2010

20101117_ネヘミヤ04_ホセア14_1テサロニケ03-04

■ネヘミヤ4:11一方、私たちの敵は言った。「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。」
★城壁再建を喜ばないサマリヤの総督サンバラテと反対者の言葉です。「彼らの内に入り込んで……」。万里の長城が破られたのも、内側で賄賂を受け取った兵士の為。また宣教地から帰ったある宣教師に「最も困難は」と聞いたときの答えは「自分自身」と。敵、すなわちサタンの攻撃とは目に見える部分のみならず、その破壊の大半の働きは、高慢、妬み、裁き合いによって一致を崩そうとするものです。神の民と一致できないほど、あなたは偉くなっても、強くなってもなりません。それらは祝福ではなく、見えないうちに忍び寄るサタンの策略そのものです。御霊による祈りと謙遜によってサタンの業を打ち砕きましょう。

■ホセア14:9知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。
★神様が預言者ホセアによって語らせた最後の言葉です。十字架によって「私は道であり、いのちであり、真理なのです。」と、「道そのもの」となって下さった主を踏んで、あなたは天国へ向かうのです。平らなる道の背後には主の命の犠牲がありました。

■1テサロニケ4:16主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
★キリストは初臨、すなわち2000年前、救い主として地に立たれました。しかし世の終わりには裁き主として、再び地の上に立たれると語ります。即ち再臨です。あなたが与えられた尊い信仰で否んではならないこととは、すなわちイエスが神御自身と言うことです。このお方が神御自身だからこそ、あなたはこのお方に錨を降ろし、どんな時代の荒波の中にあっても安息を保つのです。ヒデ

火曜日, 11月 16, 2010

20101116_ネヘミヤ03_ホセア13_1テサロニケ01-02

■ネヘミヤ3:5 その次に、テコア人たちが修理したが、そのすぐれた人たちは彼らの主人たちの工事に協力しなかった。
★バビロン捕囚から帰ることのできた民によるエルサレム城壁再建の話の継続です。この3章は全部で32節。その中に「次ぎに、そのあとに、誰々が修理した。」と28回繰り返されます。それはまさに、みんなの協力なくして城壁の再建のあり得ないことを教えています。そこで唯一協力しなかったのが上の「すぐれた人たち」でした。神殿再建の命は神様からのもの、彼らに与えられている特別の能力も神様からのもの。しかし彼らは「自分」を主張するためにその能力を用い、城壁再建の為には協力しなかったのです。主から特別の能力が与えられている人は、より一層の謙遜さと祈りをもって、他のものではなく神様にその才能を捧げることが求められます。御心の妨げとなってはなりません。

■ホセア13:14わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。
★「あわれみは……隠されている。」とは、「神様が心を変えることはない」との意味です。十字架による神様の愛を知った使徒パウロはこの事を「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」……「神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」と語ります。まさにあなたへの愛を神様は決して変えることはなさいません。

■1テサロニケ2:3私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。2:4 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
★人の前にではなく神様の前に生きましょう。主があなたを支えて下さいます。ヒデ

月曜日, 11月 15, 2010

20101115_ネヘミヤ01-02_ホセア12_コロサイ03-04

■ネヘミヤ2:20そこで、私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」
★人が神様の事業に取りかかろうとすると様々な反対をうけます。ここでは主に敵対する者たちが「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」と訴えます。そうサタンの霊は「お前はだめだ。お前になんか出来るはずがない。何をお前は思い上がっているのか。もし取り掛かっても失敗して恥をかくぞ。後から後悔するぞ。止めとけ」と、あなたの良き志しを萎縮させようとするのです。その時、ネヘミヤは上の言葉のように「天の神ご自身が成功させて下さるのだ」と語りました。信仰の宣言によってサタンの霊から解き放たれましょう。

■ホセア12:6あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。
★同じ事を主は預言者ミカを用いて「人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」とも語ります。為すべき事を為すのが人の分。主はその人を助けられます。

■コロサイ3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
★自分の事は棚の上にあげておいてと、主はその生き方を求められません。むしろ「主が私を赦して下さったように」と、あわれみの心で生きることを願われます。あなたが主につながっているかどうか、あなたは自分が見えているかどうか。主はそれを見られます。あなたは自分を怒りと高慢によって滅ぼしてはなりません。ヒデ

日曜日, 11月 14, 2010

20101114_エズラ10_ホセア11_コロサイ02

■エズラ10:4立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」
★バビロンから帰還し、神殿再建のために立ち上がったイスラエルの民と指導者エズラ。そして再建のために用いられた材料とは。エズラの仕えるリーダーシップと、民の立てられたリーダーを喜び従順する姿勢でした。一致には驚くばかりの力が現れます。御心に従って一致するか、神様への敵対をもって一致するか。天と地の違いです。あなたは主にある一致の為に心を砕こうとしていますか。ある人は「早く行きたいなら一人で行きなさい。しかし遠くまで行きたいなら一緒に行きなさい」と語ります。

■ホセア11:9わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者であるからだ。わたしは怒りをもっては来ない。
★売り言葉に買い言葉。叩かれたら叩き返す。しかも2倍にして、と。人間は妬みや憎しみをコントロール出来ない罪深さを否めません。しかしここで主なる神様は「私は人ではない」と語られます。ここに希望があるのです。神様はあなたの為に最も良いものを惜しみなく下さるお方。悔い改めをもって、偏見のフィルターを取り除きましょう。そして受け取るのです。キリストを通して与えられた父なる神様の愛と、無尽蔵の富と祝福を。

■コロサイ2:14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
★店で何かを注文すると、その品物と請求書がテーブルに置かれます。精算のためレジに行き精算を済ませると、その脇に置かれた千枚通しに請求書は刺し通されるのです。支払済みという意味です。同様にキリストは十字架の上で刺し通され、あなたの債務を支払って下さいました。もう恐れる必要はなく自由です。これが福音の本質です。ヒデ

土曜日, 11月 13, 2010

20101113_エズラ09_ホセア10_コロサイ01

■エズラ9:15イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」
★これは指導者エズラの嘆きで、主のあわれみによってバビロンの奴隷状態から、エルサレムに帰ってきた民が、忌み嫌うべき事を行う民と一つとなってはならない、と昔から語られているにも関わらず、現実荒廃の状況の中にある時のものです。彼は語るべき言葉を失い、我が事のように、ただ主の前に執り成します。主を信じた者の歩みとはいかなるものでしょう。それは破れ口に立って、単に人の罪を裁くのではなく、共同体の痛みを共に負いつつ、執り成す者であることを覚えましょう。

■ホセア10:12あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。
★「耕地」とは休耕田とも訳せる言葉。どうでしょう。外ではなく先ずあなた自身の内側で、諦めてしまっていること、投げ出したままになっていることはないでしょうか。主は「開拓せよ」と語られます。かつては自分の力でそれをしようとしたかも知れません。しかし主はここで「私と一緒にそれに当たるんだ」と改めて恵みの励ましを下さいます。主があなたの味方なら一体誰があなたに敵することが出来るでしょう。信じ立ち上がりましょう。

■コロサイ1:6この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
★福音とは理解され受け入れられたときにあなたの生涯を変える力があるとパウロは語ります。十字架による完全な罪の赦しと復活の希望。聖霊なる神様がこの真理を私たちの内に開いて下さいますように。ヒデ

金曜日, 11月 12, 2010

20101112_エズラ08_ホセア09_使徒28

■エズラ8:22私は道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを王に求めるのを恥じたからである。私たちは、かつて王に、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたからである。
★これは再建された神の宮で使う奉納物、金、銀の器を、バビロンからエルサレムに運ぶときの出来事です。当初エズラはアルタシャスタ王の部隊に保安の要請をと願いましたが、やがて自らのその姿勢を恥じ「私たちを守られるのは神様」との信仰を明確にしたのです。そして彼は断食をもって神様により頼もうとし、この事業に携わる者達にも要請します。結果、主はエズラの信仰に応えて無事に旅路を守られます。ここから人生の優先順位、真の信仰姿勢、頼むべきは誰かを教えらます。そして聖書は「彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」と記します。

■ホセア9:1イスラエルよ。国々の民のように喜び楽しむな。あなたは自分の神にそむいて姦淫をし、すべての麦打ち場で受ける姦淫の報酬を愛したからだ。
★これは預言者ホセアを通して、主がやむにやまれぬ思いと痛みの中で語られた御言葉です。イスラエルの国さえ滅びに至らせた偶像礼拝と姦淫。国を滅ぼすほどの罪は、これ以外ないと主は語られます。添えて与えられる人生の原点は、先ず神の国とその義を求めること以外にありません。

■使徒28:30こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、28:31大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
★これは使徒の働きの最後の御言葉で、カイザルの前に立つまでのパウロの姿です。これで「使徒の働き」を記す筆は置かれたのでしょうか。いいえ、ここから先の「使徒の働き」はあなたの人生に引き継がれました。ひとりではありません。共に働いて下さる聖霊様が一緒です。ヒデ

木曜日, 11月 11, 2010

20101111_エズラ07_ホセア08_使徒27

■エズラ7:6エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。
★バビロン捕囚の苦しみを経験したエズラを主は神殿再建のために大きく用いられます。更に聖書は「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。」と語ります。耐えられない苦しみの中にある方がいらっしゃいますか。神様は今あなたを慰めの器として大きく成長させて下さっています。聖書はハッキリと「ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださる」と約束します。苦しみは神様のみ前に、決して決して無意味ではありません。

■ホセア8:14イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす。
★主は私たちの造り主。私たちは糸の切れた風船ではありません。主に握られた凧です。そして主はその握っている糸を決して放すことはなさいません。その主によってあなたは高く舞うのです。

■使徒27:24こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
★「必ず……の前に立つ」キリストによって贖われたあなたもやがて必ず神様の前に立ちます。しかし恐れることはありません。主があなたを弁護し守って下さいます。既にあなたの将来の祝福は決定されています。さあ胸を張りましょう。キリストを誇りましょう。今日も感謝の一日を過ごしましょう。ヒデ

水曜日, 11月 10, 2010

20101110_エズラ05-06_ホセア07_使徒25-26

■エズラ5:11 すると、彼らは次のように私たちに返事をよこして言いました。『私たちは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建てられていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。
★ペルシャの王ダリヨスに報告するためにパレスチナ一帯を管理する書記官タテル・ボズナイは「誰の命によって神殿を再建するのか」と尋ねます。その時の民の答えが上の御言葉です。「イスラエルの大王の命」。即ち主なる神様の命によって。その後ダリヨス王はペルシャの記録を調べさせますが、「神殿を再建させ、ユダヤ人に王家の祝福のために祈るようにさせよ。」との文書を見つけ、継続を命じ遂に神殿は完成したのです。確認しましょう。私たちは「誰の命によって」と問われるとき「主の命によって」と語ることが許されている者です。そしてそれがまさに「主の命」によるものならば、必ず主が責任を持って成し遂げて下さるのです。あなたは何でも自分で責任を取らなければ……と抱え込む人生を歩んでいませんか。主は「あなたがたを休ませてあげよう」と語られます。

■ホセア7:14彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。彼らは、穀物と新しいぶどう酒のためには集まって来るが、わたしからは離れ去る。
★求めるべき、近づくべきは主のみもと。そこにこそ慰めと平安、何より解決があるのです。主もまたそれを願われます。今日も変わらずあなたは、主にとっての喜びの対象です。

■使徒26:18それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』26:19こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、……宣べ伝えて来たのです。
★人生でいつ証詞の機会が訪れるか分かりません。用意は出来ていますか。いえ人生そのものが証詞です。パウロはそれを心に刻み歩みました。あなたは今日どの様な状況におかれるでしょう。主はそこであなたを助けられます。ヒデ

火曜日, 11月 09, 2010

20101109_エズラ03-04_ホセア06_使徒23-24

■エズラ3:11そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。
★神殿再建を志し遂に主の宮の礎が据えられました。ソロモンが建てた最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、余りの感慨に大声を上げて泣き、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げました。いずれにしても主への讃美と共に歩む民は決して滅びることはありません。しかし時には妬みの嫌がらせや、試練も経験します。この後、近隣の国々は妬み、神殿再建を命じたクロスからアルタシャスタ王に変わったとき「ユダヤの民は神殿建設が進み城壁が完成した時には王に謀反を起こそうと計画しているのです。どうぞ再建中止の命令を出して下さい」と、その結果、計画が中断させられる時も。しかし主への讃美と共に歩むとき全ての事は必ず成就します。それはあなたの人生においても例外ではありません。

■ホセア6:11ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。
★6章の最初は「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。」との呼びかけから始まります。なぜでしょう。その根拠が11節の繁栄を元どおりにするための刈り入れです。人は蒔いた物を必ず刈りとる事に、命に蒔けば祝福を、悪に蒔けば滅びを刈りとることになるのです。だから滅びの刈り取りの前に十字架を立て守って頂くのです。主に立ち帰りましょう。そここそが真のあなたの隠れ家です。

■使徒24:15また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。24:16そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
★これがパウロの生き方。人生は短いです。今日も主にある最善の中を主と共に歩みましょう。祝福をお祈りします。ヒデ

月曜日, 11月 08, 2010

20101108_エズラ01_ホセア05_使徒21-22

■エズラ1:3あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
★これは主がその霊を奮い立たせられたペルシャの王クロスのことばです。エズラ記は南ユダ王国が神様に背いた結果、神様の裁きを受け、バビロンに捕囚となった記事をもって終わる歴代誌に続き、引かれて行った捕囚の民が、パレスチナに帰還する所から始まります。そのために異国ペルシャの王クロスさえも用いられたのです。今日から始まるエズラ記で受け取るメッセージとは何でしょう。神様は、ご自身神の宮を建て上げることを必ず成し遂げられる、神様は神の宮に仕える一人びとり、たとえどこに於いてもその名を覚えておられると言うことです。そして新約の現代、神の宮の原点とは他でもないあなたです。神様は、必ずあなたを神様の御計画に基づいて完成させて下さいます。

■ホセア5:11エフライムはしいたげられ、さばかれて打ち砕かれる。彼はあえてむなしいものを慕って行ったからだ。
★なぜ人は「あえてむなしいものを慕って」本来為すべき大切なことを、時に失うことがあるのでしょう。立ち止まりましょう。心を開き、神様み声を注意深く聞きましょう。そうして、人生を虚しくする滅びから立ち帰るのです。

■使徒22:16さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
★あなたはこの「さあ……」の励ましに従ってバプテスマに預かりましたか。まだの方がいらっしゃったなら是非バプテスマに与ることをお勧めします。主はバプテスマを通してあなたの罪を赦し、洗い流して下さいます。パウロもこれを受けました。その時、あなたは今まで経験したことのない、あなたの一番深い霊の部分から喜びと平安が込み上げて来るのを体験なさる事でしょう。祝福をお祈りします。ヒデ

日曜日, 11月 07, 2010

20101107_2歴代36_ホセア04_使徒20

■2歴代36:13彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。
★ゼデキヤ王と祭司長、そればかりか当時のユダの民衆について、聖書を「はうなじのこわい者と」と記します。ゆうずうの聞かない、遜ることの出来ない頑なな民だと言うのです。まさにその生き方の結末が囚われの身。バビロン捕囚と言えるでしょう。しかし神様は「わたしは何人の死をも喜ばない。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」と語られます。あの放蕩息子が帰ってきたとき走り寄って接吻した父の姿を心に刻みましょう。

■ホセア4:6わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。
★「わたしもまた、あなたの子らを忘れよう」と、神様に忘れられたら大変です。この語りかけ自体、神様の愛と恵みの警告です。どんなときにも立ち帰って生きることができるように、それが神様のあなたに対するはらわたです。神様がどうしてあなたを退けて平気でいることができるでしょう。神様によって与えられた心は閉ざすためではなく、常に神様に向かって開き、祝福と命を受け取るためであることを覚えましょう。

■使徒20:35このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
★「受けるより与えるほうが……」と、この有名なみことばはパウロが他の弟子より伝え聞き、今や自らが実感し語る言葉です。当然自らに何も分かち合うものがないために、受けることに心が向かうより、与える事に心が向かう方が幸いです。与える為には富まなければ不可能です。まず今日も主によって心満たされ遣わされましょう。ヒデ

土曜日, 11月 06, 2010

20101106_2歴代35_ホセア03_使徒18-19

■2歴代35:22しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって、彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために行った。
★この章は、バアルの祭壇とその預言者をことごとく討ち滅ぼし、宗教改革をみごと成し遂げたヨシア王の前章に続く記録です。彼は神殿を修復し、かつてなかった規模の全焼のいけにえを民と共に捧げ、神様を誉め讃えます。そしてその生涯の最後は、民に愛され、先祖たちの墓に葬られます。けれどもエジプトの王が、アッシリヤ帝国がバビロンとメディヤの連合区によって瀕死の状況となったのをよいことに、攻めようとする時、彼は関係のない立場であるにも関わらず、でしゃばり変装し戦地に出かけます。その結果、射手たちが何気なく放った弓によって命を落とす羽目になるのです。成功や物事の達成は確かに祝福ですが、合わせて最も大きな誘惑に巻き込まれる可能性も否めません。「はいをはい、いいえをいいえ、としなさい。」と語られ「それ以上に出ることは、悪から来るのである」と主が正して下さったのはそのためです。

■ホセア3:5その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。
★これこそが主が約束の民イスラエルとあなたに抱いておられる視点です。また別の箇所で主は「しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである」とも語られます。先走りして自らさばかないようにすることは大切です。既に主はあなたを赦しておられます。それを信じて受け入れるのが福音です。

■使徒18:11そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
★あなたは1年半を長いと思いますか。それとも短くて、それじゃあ何も出来ない期間と考えますか。パウロは1年半を腰を据えて事を為す期間と捉え、出来ることを為したのです。あなたはどのように受け取られるでしょう。主があなたの信じたとおりになして下さいますように。目標やビジョンを抱きつつも、思い煩うことなく、今日一日生きることを主がゆるし給うその時まで誠実に続けさせて頂きましょう。ヒデ

金曜日, 11月 05, 2010

20101105_2歴代34_ホセア02_使徒16-17

■2歴代34:14彼らが、主の宮に携え入れられた金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤは、モーセを通して示された主の律法の書を発見した。
★バアルの祭壇とその預言者をことごとく討ち滅ぼし、宗教改革を断行したヨシュア王。彼は合わせて神殿の修理を命じますが、何と言うことでしょう。その時モーセーの律法、申命記が発見されるのです。神の言葉を聞いたヨシュア王は、衣を裂きその光に従い悔い改め、民に対しても悔い改めを促します。しかしそれまで律法の書、申命記はどの様に扱われていたのでしょう。まさに神様の言葉を軽んじ、選びの民イスラエルでありながら滅びに向かう姿の原因がここに。
悔い改めるヨシュア王に主は「あなたが、この場所とその住民についての神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。」と励ましを与えます。ならば、日毎に神のことばを重んじるあなたに対して主はどうでしょう。もちろん主はあなたを喜び楽しんでおられます。感謝して主との交わりに生き続けましょう。

■ホセア2:15わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。
★「アコル」とは災い。主は恵みによって今ある災いのその場所を、希望の門に変えるとホセアを通して約束されます。あなたのアコルは何でしょう。主の前に持ち出しましょう。それも主は希望の門として下さいます。

■使徒16:5こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。
★ここには初代教会の姿が鮮やかです。「日毎に人数が……」。そこには普段の日のキリスト者の活動と、そのフィールドが生活の場であることを示唆します。どこで主を仰ぎ、主はあなたを助けて下さるのでしょう。そう、遣わされたその場所です。パウロはこの後「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」と語ります。ヒデ

木曜日, 11月 04, 2010

20101104_2歴代33_ホセア01_使徒14-15

■2歴代33:11そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。
★主はなぜ南ユダの王マナセを青銅の足かせにつないでバビロンに連行されたのでしょう。その原因は、マナセがベン・ヒノムの谷で、自分の子どもたちに火の中をくぐらせ、卜占、まじない、呪術、霊媒や口寄せをまでして、悪を行い、主の怒りを引き起こした為です。更にもう一つの理由は、彼が真の神様を知るようになるためです。御言葉は「悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った」とあります。試練が全てこの理由ではありません。しかし主は試練の中で御自身を見上げる者のために、必ず脱出の道を備えて下さるお方です。

■ホセア1:10イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。
★危機の時代に立てられた預言者ホセアのメッセージは、まさに主にある回復のメッセージです。主はあなたが絶望と感じているその場所で、あなたを希望に満たすことの出来るお方です。見上げましょう。

■使徒15:28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
★ここには神様である聖霊様が、いかに主を信じる者の人格を尊んで下さるお方であるかが鮮やかです。独断ではない私たちの同意を重んじて下さるのです。ロボットではない主に真心をささげることが出来るのです。強いられてではなく主体的に主と共に歩む今日一日とさせて頂きましょう。あなたの人生をこのお方以外に奪われ、奴隷とされてはなりません。内にある自由を主と共に守り抜きましょう。ヒデ

水曜日, 11月 03, 2010

20101103_2歴代32_ダニエル12_使徒13

■2歴代32:4そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をふさいで言った。「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」
★これはアッシリヤの王セナケリブが南ユダ王国に攻め入ろうとした時、ヒゼキヤ王が勇士たちを励まし、泉の口を塞いだ行為です。泉の水しか手にできない当時、攻め込もうとしたアッシリヤ軍はこのことによって苦しめられます。更に神様の助けを得たヒゼキヤ王と勇士達は結果、国を守り抜くことができました。聖書は「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」と、泉を誰が支配するかによって勝敗が決定することを警告します。あなたの心の思いと願いを主におささげし、主に守って頂きましょう。そうするあなたの生涯は常に主にある勝利で支えられるのです。

■ダニエル12:13あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」
★この言葉は主がダニエルに語られた最後の預言です。主は「ダニエルよ。最後まであなたの道を行け」と励まされました。そして同じ主はあなたに対し「最後までキリストにあるその生き方を全うしなさい。私が必ず約束の地に導く。あなたの名は既に命の書に書きしるした」と励まして下さるお方です。何があろうと大丈夫。勝利は既に主と主の内にあるあなたの側にあるのです。

■使徒13:2彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。
★昨日バルナバがサウロを励ました事を学びました。そしてこの章の最初と最後の相違は「バルナバとサウロ」が「サウロとバルナバ」となることです。主にある成熟とはまさにこのバルナバの姿です。あなたは人を育て励まし、その人が自分よりも用いられる事を喜べるように歩んでいますか。いつまでも残る宝は物ではなく、あなたが築く主にある関係です。上からの励ましを頂いて、今日も良き関係を築かせて頂きましょう。ヒデ

火曜日, 11月 02, 2010

20101102_2歴代31_ダニエル11_使徒11-12

■2歴代31:3また、主の律法にしるされているとおりに、朝夕の全焼のいけにえ、安息日、新月の祭り、例祭ごとにささげる全焼のいけにえのため、王の分は王の財産から出した。
★「王の分は王の財産から出した」と、南ユダ王国の宗教改革を断行したヒゼキヤの決断です。かつてダビデ王も「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼の生け贄をささげたくありません。」と語ります。何より私たちの主イエス様は、御自身の命を捧げて私たちの罪の贖いのみ業を完成して下さいました。真心の礼拝には犠牲が伴います。けれどもあなたが示す模範は決して虚しく地に落ちる事はありません。主は必ずあなたの生涯に祝福の刈り取りを下さるお方です。

■ダニエル11:40終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
★北の王とは反キリストで、南の王とは反キリストに対抗する者の預言です。聖書は世の終わりの戦い。ハルマゲドンを預言します。人の心もキリストにある真の平和に至るまでには戦いがあります。心の王座から自ら退きキリストを王として迎える時、私たちの生涯は秩序と祝福へと回復します。

■使徒11:25バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、11:26彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
★主の前に回心はしましたが、その存在を恐れられ敬遠されていたサウロ。にも関わらずバルナバはサウロを捜しにタルソまで出かけます。何の為ですか。彼の賜物、彼の能力を認め、彼に居場所を与え、彼を生かすためでした。生涯最後まで残るのは麗しい主にある関係です。人を励ますこと、人を立て上げる事に目を向けましょう。それが人生を豊かにする秘訣です。聖書はバルナバについて「彼は立派な人で、聖霊と信仰に満ちている人であった」と語ります。ヒデ

月曜日, 11月 01, 2010

20101101_2歴代30_ダニエル10_使徒10

■2歴代30:9あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたの兄弟や子たちは、彼らをとりこにした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう。あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」
★上の御言葉は29章に続いて、ユダ王国の宗教改革に取り組むヒゼキヤ王の言葉です。その人の神様理解とその確信は、個人に留まることなく家族、友人、学校、職場、社会にとその影響は広がります。その上でヒゼキヤの神様理解は「神様は立ち帰る人に憐れみ深いお方です」でした。積極的、肯定的に神様の赦しと恵みを受け取りましょう。その信仰はあなたのみならず、必ずあなたの愛する人を救い、祝福することになるのです。

■ダニエル10:19言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」
★主はダニエルに「神に愛されている人よ」と語られます。それは同様に主があなたに語られる言葉です。「神に愛される人よ」。この語りかけを、日毎に心の底から感謝して受け取りましょう。あなたの生涯は変わります。

■使徒10:34そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、10:35どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。
★異邦人への福音宣教に疑問を持つペテロ。そんなペテロのために、主は敬虔に主を信じるイタリヤ隊の百卒長コルネリオを遣わして下さいます。主は愛する者の偏見、間違いを少しずつ明らかにし、正しい道に導いて下さるお方です。あなたはまだ気づいていないどんな慣習や間違った文化に囚われているでしょう。主が更なる解放と自由の中にあなたを導いて下さいますように。ヒデ

日曜日, 10月 31, 2010

20101031_2歴代29_ダニエル09_使徒09

■2歴代29:4さらに、彼は祭司とレビ人を連れて来て、東側の広場に集め、29:5彼らに言った。「レビ人たち。聞きなさい。今、あなたがたは自分自身を聖別しなさい。あなたがたの父祖の神、主の宮を聖別し、聖所から忌まわしいものを出してしまいなさい。
★25歳で王となり29年間ユダを治めたヒゼキヤの言葉です。彼は父祖ダビデが行った通りに、主の目の前に適うことを行うことに心がけます。そしてレビ人と祭司に自分自身と神の宮の聖別を命じます。既にキリストの契約の血潮は十字架の上で流されました。そして私たちは新約の祭司です。光にさらしたもの。口で言いあらわしたものは全て光となり、神様の愛と赦しと癒しの霊によって益にかえられます。飛び込むのです。絶えずキリスト血潮の恵みの中に。

■ダニエル9:26その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
★口語訳では「その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません……。」と訳されています。この、キリスト誕生600前のこの時代、既に十字架の預言はされています。そうあなたとあなたの愛する人が神様の愛で生きるために。

■使徒9:17そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
★「兄弟サウロ」と呼びかけましたが、アナニヤはクリスチャンを捕らえ牢に閉じこめたサウロをどれほど憎く思った事でしょう。しかし主が「アナニヤよ。目の見えなくなったサウロの所へ行って……」と語られたとき、「兄弟よ」と語るのです。決して「それみた事かサウロよ」ではありません。ここにキリストにある者の命が鮮やかです。主にある奇蹟と祝福は常に赦しから始まります。主はその主人公となるためにあなたを召し出されました。ヒデ

土曜日, 10月 30, 2010

20101030_2歴代28_ダニエル08_使徒08

■2歴代28:23彼は自分を打ったダマスコの神々にいけにえをささげて言った。「アラムの王たちの神々は彼らを助けている。この神々に私もいけにえをささげよう。そうすれば私を助けてくれるだろう。」この神々が彼を、また全イスラエルをつまずかせるものとなった。
★20歳で王となり16年ユダを治めたアハズ。しかし彼は主の目に適うことを行わず、人身犠牲を捧げ、死んだ時には代々のイスラエルの王達の墓にさえ、入れられることがありませんでした。なぜでしょう。その原因が上の御言葉です。アハズは一体何を見ていたのでしょう。人身犠牲によって暴力と恐怖の条件付けで民をコントロールできる神が自らを助けると見たのでしょうか。大きな誤解で愚かです。何を羨むか。それによってあなたが何を見てるか分かります。朽ちるものにではなく朽ちないイエス様の愛にこそ目を注ぎ、その愛への応答に生きることの尊さを憶えましょう。

■使徒8:26ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)8:27そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、8:28いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
★神様は辻褄を合わせて下さるお方。でなければ、信仰復興の祝福が鮮やかに起こっているサマリヤを離れて、どうして荒廃しているガザに行けとなど、お命じになるでしょう。そしてピリポが神様の言葉に従順した時、その理由を彼は悟ることになったのです。将来の希望を失ったエチオピアの女王カンダケの高官が、ピリポを通してそこで、主の愛に触れられるとは。また主は、この一人の宦官の痛みを受け止め、助けを送って下さるお方です。今どんな痛み、悲しみ、憂い、困難がありますか、けれども主は必ずあなたにも、あなたのために助けを送って下さいます。さあ目を上げ、告白しましょう。「私の助けはどこからくるのだろうか。私の助けは天地を創られた主から来る」と。ヒデ

金曜日, 10月 29, 2010

20101029_2歴代26-27_ダニエル07_使徒07

■2歴代26:16しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入った。
★彼とは、イザヤ書6章で「ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。」と預言者イザヤが語ったあのウジヤです。人は苦しい試練や挫折の中にある時と、成功の中にある時、どちらの方が失敗や罪を犯すのでしょうか。その答えは「共に」です。しかし、絶頂にある時、人は更に注意が必要です。その中で人は分を越えて思い上がる事があるのです。主の弟子パウロは「分を超えないことを学んだ」と語ります。誰でも強くなれば、成功を収めれば、私も捨てたものではない。行ける。できる。との勇気がわいて来るのは当然です。しかしあなたの成功の背後には神様の恵みと哀れみがあり、即ち「神様に有って」なのです。決して分を超えてはなりません。あなたを丁度よい時、高く引き上げて下さるお方は神様です。

■ダニエル7:27「国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。」
★これは預言者ダニエルが見た幻です。またダニエルは別の箇所で彼が見た幻を「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」とも語ります。このお方こそ、正しい裁きを待ち望むあなたのためにやがて再び来られる主イエスキリスト様です。

■使徒7:56こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
★証言台に立たされたステパノの言葉です。この時、聖霊様は彼の唇を用いて旧約聖書の全体の流れと本質を紹介して下さいました。あなたも7章に触れて下さい。主があなたの為に天を開き、そこにあなたの為にいて下さるイエス様の姿を見させて下さることでしょう。ヒデ

木曜日, 10月 28, 2010

20101028_2歴代25_ダニエル06_使徒05-06

■2歴代25:9 アマツヤは神の人に言った。「では、イスラエルの軍勢に与えた百タラントはどうしたらよいのか。」神の人は答えた。「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」。
★あなたはギャンブラーではないでしょう。しかし25歳でユダの王となったアマツヤはかつて失った百タラントをとりもどすことに心捕らわれてしまいます。結果その心が神様から全く離れているにもかかわらず、それに気づかず圧政を行い、国民の謀反によって命を落とすのです。主はかつて神の人を通し彼に「神には、助ける力があり、つまずかせる力もあるからです」と忠告下さったにもかかわらずです。「あの失った損失を取り戻さずにおれようか」と、心捕らわれているものがあなたにありますか。要注意です。神の人の答えの通り、私たちの心は先ず神様に向けられるもの。その時、損失を取り返すに遙かに勝る祝福に、あなたの人生は包まれるのです。

■ダニエル6:5そこでこの人たちは言った。「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。」
★メディアの王ダリヨスに特別に重んじられる大臣ダニエルを他の太守大臣達は妬み、変わらぬ姿勢で神様を礼拝する、そのダニエルの姿を罪に定める法律の制定で彼をライオンの穴に投げ込みます。しかし主は、真実込めてご自身を愛する者を、たとえ光の見えない絶望の洞穴からも助け出されるお方です。神の言葉はその事を「ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」と語るのです。主を愛そうとするあなたの主への愛は何者にも変えがたい価値があります。その愛が今日もあなた自身を救います。感謝しましょう。

■使徒6:15議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。
★この時人々はステパノに目を注ぎました。しかしそれ以上に今日も変わらずあなたに目を注いで下さるお方がおられます。主です。そのお方によってあなたは輝けます。行ってらっしゃい。主があなたと共におられます。ヒデ

水曜日, 10月 27, 2010

20101027_2歴代24_ダニエル05_使徒03-04

■2歴代24:2ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、主の目にかなうことを行った。
★人間の弱さを思います。責任を負い合える透明な関係を築ける友のある祝福を思います。あなたは信仰の友のために心がけた生活をしていますか。

■ダニエル5:24それで、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。5:25 その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。』5:26 そのことばの解き明かしはこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。5:27『テケル』とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。
★神様は私たちの生涯を量られるお方。それで足りなかったのです。ですからキリストを下さいました。この時、カルデヤ人の王ブルシャツァルは、その神様の言葉を退け、メディア人ダリヨスによって命を落としました。自らを正しく量れるはかりは唯一神の言葉であることを知る人は幸いです。

■使徒4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
★思い違いをしないようにしましょう。神様の恵みは与えられていないのではなりません。豊かに与えられているのです。それがキリストです。このお方の中に一切の宝と富と知恵が満ちているのです。そしてその祝福はこのお方の命につながることによって受けるのです。心を開きキリストを迎え入れるあなたと主は今日も親しく歩んで下さいます。ヒデ

火曜日, 10月 26, 2010

20101026_2歴代23_ダニエル04_使徒02

■2歴代23:11こうして彼らは、王の子を連れ出し、彼に王冠をかぶらせ、さとしの書を渡して、彼を王と宣言した。そしてエホヤダとその子たちが彼に油をそそぎ、「王さま。ばんざい」と叫んだ。
★ここにはユダの国を愛する勇気ある祭司たちの姿が描かれます。アハズヤ王の母アタルヤはバアル礼拝によって国に混乱をもたらします。が、我が子が死んだとき、直ちに王の一族をことごとく殺し、自ら王となり国を支配しようとします。しかし祭司エホヤダは唯一アタルヤから逃れた王の子供を、神の宮に6年間隠し、時満ちてこの時、彼を王とし、国を偶像礼拝をもって滅ぼそうとするアタルヤから取り戻します。いつの時代も神を畏れ勇気をもって立ち上がる人が時代を創ることを覚えましょう。

■ダニエル4:33このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。
★ここはネブカデネザルがバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、心の中で「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」と思ったとき、ダニエルが彼のためにした夢の解き明かしの通り、理性を失い、気の違った者となってしまうのです。神様は高ぶりで人が滅びることの無いように、その高ぶりに限界を定めて下さるお方。主は「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」と語られます。

■使徒2:3また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。2:4すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
★教会の誕生となったペンテコステの日の出来事です。聖霊とはひとりひとりの上に留まり、壊れた関係の回復の為に力を与えて下さるお方です。それはあなたにおいても例外ではありません。勇気を持って平和を作り出す者とさせて頂きましょう。ヒデ

月曜日, 10月 25, 2010

20101025_2歴代21-22_ダニエル03_使徒01

■2歴代21:7主は、ダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束されたからである。
★どれほどに神様は憐れみ深いお方でしょう。主はダビデと結ばれた契約のゆえに……と、ダビデの家系に憐れみをかけられます。しかしヨラム王はユダの山々に高き所を造り、エルサレムの住民に淫行を行わせ、ユダを迷わせる事を止めなかったので、主は「それ故あなた自身大病を患い、内臓が外に出るまでになる」と預言者を通して裁きを宣告なさるのです。神様の憐れみを軽んじることはなんと愚かなことでしょう。聖書は「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、捨てる者はあわれみを受ける。」と語ります。

■ダニエル3:18しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
★ここには信仰とは命をかけて全うするものと、信仰の本質が明確です。バビロンの王ネブカデネザルは自ら立てた金の像を国の全ての人々に拝ませようと強要し、そうしないなら火の中に投げ込むと脅します。が、上の御言葉のようにダニエル達はそれを拒んだのです。しかしどうでしょう。展開は大逆転です。火の中に落ち込んでも御使いに守られている彼らを見た王は主を恐れ、彼らの信仰を認めるに至のです。信仰とは自らの持てる純情を神様に精一杯捧げること。妥協は神様の祝福を失います。自らが自らを救うのではなく、信仰によって、自らを助け出して下さる神様を経験させて頂きましょう。

■使徒1:8しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
★あなたに今日を生きる力を下さるお方は誰でしょう。聖霊様です。このお方に心を開き、このお方と共に今週も神様の祝福の中を歩ませて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 10月 24, 2010

20101024_2歴代20_ダニエル02_ヨハネ20-21

■2歴代20:15彼は言った。「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。
★これは神様を畏れる南ユダ王国のヨシャパテ王に、神の霊に導かれたレビ人ヤハジエルが語った言葉です。このレビ人を通しての主の言葉をヨシャパテは聞く前、不意に攻めて来たモアブとアモンの連合軍を前にして「私たちの父祖の神、主よ。あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。私たちは苦難の中から、あなたに呼ばわります。あなたは聞いてお救いくださいます。」と、素晴らしい祈りを捧げ、主の救いを経験しました。まさにそれは「これは主の戦い」と語られたとおり、この時ヨシャパテの敬虔さを用いて主がアモン人とモアブ人を滅ぼす為になした事でした。
しかし世の中には目の前におこる事の全てについて自分との関係に結びつけなければ納得できない人もあります。良いことも悪いことも。しかしその生き方は疲れるのです。たとえ目の前に悪いことが起こっても、主があなたを信任し、主がご自身勝利を取られるためにおこる出来事もあるのです。重荷を負いすぎないように。自分を責めすぎないように。あるいは何でも「この成功は自分が……をしたから」とおごりすぎないように。主の戦いがあることを認め、目の前の事を主の御手に委ねることも、時に大切であることを知る人は幸いです。

■ヨハネ21:17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
★主を知らないと3度否んだペテロ。あなたはどんなことがあっても、もう取り返しがつかないと諦め、自分自身で自分を赦していないことはありませんか。主はそれを赦すために十字架にかかられ、あなたの為に食事を用意して下さるお方なのです。信じて飛び込みましましょう。ヒデ

土曜日, 10月 23, 2010

20101023_2歴代18-19_ダニエル01_ヨハネ19

■2歴代19:6さばきつかさたちにこう言った。「あなたがたは自分のする事に注意しなさい。あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからです。この方は、さばきが行われるとき、あなたがたとともにおられるのです。
★これは祭司たちを励ます南ユダ王国、アサ王の息子、ヨシャパテ王の言葉です。なぜこんな事を彼は言ったのでしょう。それは彼の目の前で、偶像礼拝の罪を犯しつつも敵国ラモテ・ギルアデとの戦いに臨み、そこで命を落とした北イスラエルの王アハブを見たからです。彼は王であることを隠すために変装までして戦いに臨みます。が、たまたま飛んで来た矢が、彼の胸当てを刺し貫き倒れます。「人ではない神様がこの事をなさった」。その経験がヨシャパテ王に先の言葉を語らせます。そう。神様は生きておられます。この正しい酬いをなして下さるこのお方の前に生きましょう。

■ダニエル1:19王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。
★今日からダニエル記です。異国の地で孤独を味わっていたダニエルたち。しかし不思議です。彼らの前に信じられない祝福の扉が。祝福の扉は自ら開くもの。その考えも確かにそうでしょう。しかしもっと確実な考えとは、祝福の扉は主が開かれるもの。たとえどのような立場や境遇の中にあろうとも、まず神の国とその義を求める所から始めましょう。

■ヨハネ19:11イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
★十字架の前の主の言葉です。「人は天からの権威がなければ何の力もない」。まさにその通り。自分で自分を高くしようとするなら、人は権威主義に陥り、祝福の命の流れと関係を破壊します。どうかあなたの生き方が、丁度良いときに神様によって高くされる生き方を求める、それでありますように。ヒデ

金曜日, 10月 22, 2010

20101022_2歴代16-17_エゼキエル48_ヨハネ17-18

■2歴代16:9主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」
★今朝は主からの教訓を受け取りましょう。神様を畏れ宗教改革を断行し、それに反発する近隣諸国との戦いに南ユダ王国のアサ王は「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」と、国に勝利をもたらしました。しかし兄弟国であった北イスラエルが迫り来る時、彼は神様にではなく異教ダマスコのベンハダデ王に貢ぎを送り助けを求めます。冒頭の御言葉はその時、神様がアサ王に与えた叱責です。
人は緊迫した恐怖や、余りに近い関係にあっては感情的になり、冷静な判断を欠き易いものです。しかし主は生涯を通して私に寄り頼む者でありなさいと語られます。そして信じる者の生涯に豊かな助けと祝福を注いで下さるのです。

■ヨハネ17:15彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
★主は弟子たちをどれほど愛しておられた事でしょう。主はこの最後の晩餐のしばらくの後、ご自身十字架に掛かられる事を自覚して「彼らを御名の中に保って下さい」と父なる神様に執り成します。しかし同時にはじめの御言葉の様にも執り成されたのです。ここに主の者とされた存在の地上での目的が明らかにされました。そう光は闇の中で輝いてこそ価値があり、闇が深ければ深いほどあなたへの主の執り成しは深いのです。一人ではありません。主があなたと共におられ、「そこで」あなたを助けて下さいます。それは今日あなたが直面するその所でです。ヒデ

木曜日, 10月 21, 2010

20101021_2歴代14-15_エゼキエル47_ヨハネ15-16

■2歴代14:11アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」
★イスラエル王国を北イスラエルと南ユダに分裂させてしまったレハベアム王の「さそりによって……」との高圧的な態度。その後を受け、偶像礼拝の罪によって悪政を行ったアビヤ。その後、南ユダの王として立てられたのがアサ王でした。彼は先の二人の王を反面教師として神様を畏れ宗教改革を断行したのです。それに反発する近隣諸国との戦いに、「主よ。力の強い者を助けるのも……」と語ったのです。
あなたが主に従おうとする時、ときに煙たがり対抗する動きが起こるかも知れません。その時の勝利の秘訣がここにあります。救命ボートの底に穴があっては、人を救命するどころか、自らも溺れさせてしまいます。主を畏れる者にとってこの世の汚れへの妥協は厳禁です。しかしあなたはこの世にあって自らを救い、今は心閉ざすその人の救いのためにも神様が召し出して下さいました。

■ヨハネ15:16あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
★私は他でもないあなたに語ります。与えられた命を粗末にしてはなりません。神様の前における自分の誇りを失ってはなりません。あなたには価値があるのです。あなたの代替えは神様に無いのです。死んではなりません。この神様の愛によって心の中の恐れと混沌を打ち砕き退けるのです。そしてあなたはやがて必ず、主にあって豊かな実を結ぶのです。今この事実を心を開いて受け取りましょう。ヒデ

水曜日, 10月 20, 2010

20101020_2歴代12-13_エゼキエル46_ヨハネ13-14

■2歴代12:7主が、彼らのへりくだった様子をご覧になると、シェマヤに次のような主のことばがあった。「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう。シシャクの手によって、わたしの怒りをエルサレムに注ぐことはやめよう。12:8ただし、彼らは彼のしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである。」
★なんと言う憐れみ深い神様のご配慮でしょう。御言葉はソロモンの後を受けて王となったレハベアムに対して「レハブアムの王位が確立し、彼が強くなるに及んで、彼は主の律法を捨て去った。」と記します。が、彼が悔い改めた時、上のような導きを主はお与え下さったのです。従順に従う人のためには「彼が思い知るため」などと言う特別な配慮を、主はする必要はありません。しかし主は彼の為に……。何と言う主の愛でしょう。見ないで主の愛を信じることのできる幸いな人とは誰でしょう。

■エゼキエル46:13あなたは毎日、傷のない一歳の子羊一頭を全焼のいけにえとして、主にささげなければならない。これを毎朝ささげなければならない。
★この言葉のごとく朝ごとに主の御前に近づくあなた。主はあなたを喜んでおられます。

■ヨハネ14:6イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
★最後の晩餐で弟子たちに主が語られた有名な御言葉です。道は何のために作られるものでしょう。偶然に出来上がるものではありません。それは目的地まで人が到達できるよう助ける為に作られ、人はその道の上を踏んで目的地まで迷わず至ことができるのです。即ち主は語られます。さあ私を踏んで天国へ行きなさいと。主はその為に、仕えられるためではなく、あなたに仕える為に、み位を捨てて来て下さったのです。そしてあなたはこの主の愛の中を、御国に至まで歩むのです。ヒデ

火曜日, 10月 19, 2010

20101019_2歴代10-11_エゼキエル45_ヨハネ12

■2歴代10:7彼らは王に答えて言った。「もし、あなたがこの民に優しくし、彼らに好意を示し、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」
★これはソロモン王の亡き後、息子レハベアムが代わってイスラエルの王となった時、くびきの軽減を求めてやって来たヤラベアムに対して示した長老達の指針です。しかし若きレハベアム王は長老達の助言ではなく、自らの力を誇示し、威圧して国を支配するようにとの若者達の考え『私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりを使うつもりだ』を採用したのです。その結果イスラエル12部族は完全に2つに分裂し、現在に至るまで関係の修復を見ていません。力あるものはそれで良いかも知れません。しかし弱き者は常に強者の争いによって傷つくのです。協調の何と尊いことか。「あわれみは、さばきにうち勝つ」と主は語られます。

■エゼキエル45:10正しいはかり、正しいエパ、正しいバテを使え。
★エパとは穀物を量る単位。バテとは液体を量る単位。人は量るはかりで量り返されます。正しいはかりに立つことはあなたを救います。

■ヨハネ12:24まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。12:25自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。12:26わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
★消えて無くなるためにではありません。復活の命に甦るため自我をキリストに委ねるのです。人を恐れるのではないのです。神を畏れるのです。その時、主があなたの生涯を責任をもって導いて下さいます。主にとってあなたはなくてはならない存在です。ヒデ

月曜日, 10月 18, 2010

20101018_2歴代9_エゼキエル44_ヨハネ11

■2歴代9:6実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、彼らの言うことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはあなたの知恵の半分も知らされていなかったのです。あなたは、私の聞いていたうわさを上回る方でした。9:7なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできるこの、あなたの家来たちは。
★これはソロモンの知恵の素晴らしさを伝え聞いたシバの女王が、実際にソロモンに会って、心にある質問の回答を彼から受けたときの感想です。何と言う驚くばかりの知恵と成功。しかしこの歴代志、この章の一番最後に「ソロモンは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をその父ダビデの町に葬った。彼の子レハブアムが代わって王となった。」と彼の生涯を閉じるのです。人生で最も大切なこと、それは神に会う備えであると言わんばかりです。あなたはもうなさいましたか。神様に会う備えを。

■ヨハネ11:39イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」
★これは主が愛したマリヤとマルタの弟ラザロの死の報告を受け、彼の墓に訪れた時、一番最初に主が語られた言葉です。「石を取りのけなさい」。けれども人々の反応は「ラザロが死んでもう4日もたちますから無理です」でした。最もな話です。しかし、キリストとは誰でしょう。神様御自身であり「わたしはよみがえりであり命です」と、語られた通りに生殺与奪の権を御手に握っておられるお方です。そして唯一このお方の栄光を妨げるのが、私たちの内に巣を作ろうとする不信仰の岩なのです。神様の恵みの御力によって取り除かせて頂きましょう。そして主の栄光を今週も拝させて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 10月 17, 2010

20101017_2歴代8_エゼキエル43_ヨハネ9-10

■2歴代8:7イスラエルの出でないヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民全員、8:8すなわち、イスラエル人が滅ぼし尽くさなかった人々の跡を継いでこの地に生き残った彼らの子孫に当たる人々を、ソロモンは苦役に徴用した。今日もそうである。8:9しかし、ソロモンはイスラエル人を自分の仕事をさせる奴隷にはしなかった。
★「しかしソロモンは奴隷にしなかった。」これが神様を畏れたソロモンがイスラエルの同胞のみならず異邦人に対してもとったスタンスです。あなたは決して人を奴隷にしてはなりません。人を奴隷にしたなら、一生その人の面倒は、奴隷にした人が見ることになるのです。そればかりか人を奴隷にするなら、した人は必ず罪に支配され、罪の奴隷となるのです。肉体的な力に於いても知性に於いても、何かの秀でた能力においてもです。そうした力は決して相手を威圧し、支配するために与えられるものではありません。むしろ助けるためです。ソロモンが立ったこの真理によってあなたは隣人を助け、自らも救うのです。

■ヨハネ10:32イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」10:33ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
★ここにはイエス様が十字架に付けられた理由が明確です。自らを神としたから。いえ正確には神でありながら、自分を人間となさったのです。何のために、それはあなたと私を救うため。身代わりとなって当然私たちが受けるべき刑罰としての死を、身代わりに受けて下さるためでした。その打たれた傷によって私たちは赦されたのです。主に感謝しましょう。ヒデ

土曜日, 10月 16, 2010

20101016_2歴代7_エゼキエル42_ヨハネ8

■2歴代7:13もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、7:14わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
★神殿奉献の祈りをソロモンが祈り終えると、主は御自身の栄光をその宮に満ち溢れさせ、天からの火をもって、全焼のいけにえを焼き尽くされ、上の約束をソロモンに示されたのです。内容は、聞く、赦す、癒す、確立するです。かつて時代、この神殿の祈りに目を留められた主は、今やキリストの十字架を通してささげる祈りに目を留められ、耳を傾けられ事を為して下さいます。「神よ、私はこの取税人のような罪人でないことを感謝します」と祈ったパリサイ人ではなく、「罪人のこの私をおゆるし下さい」と祈った、取税人の祈りをお聞き下さった主は、今も変わることなく生き働いて下さることを心に刻みましょう。

■ヨハネ8:58イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
★イエス様のお生まれになった二千年前に、神様の語りかけに従って約束の地を見ずして出で立った信仰の父アブラハム。キリストは彼が生まれる前から「私はある」(エゴーエイミ)と語られました。「私はある」とは誰でしょう。イスラエルをエジプトの苦役から脱出させるためにモーセに現れた主ご自身です。主はモーセが「私が民の前で出エジプトの計画を説明した時、ではモーセよ、あなたに現れた神様の名前は何と言うのかと問われたたら、何と答えたらいいですか」に対して、御自身「私はある」だと語られました。私たちはこのお方によって「有らせられている存在」。しかしこのお方は常に「有ってあるお方」。キリストは神御自身。この事実に他の宗教にはない救いがあるのです。アブラハムに御自身を示し、十字架から甦られた主は、今も生きておられます。ヒデ

金曜日, 10月 15, 2010

20101015_2歴代5-6_エゼキエル41_ヨハネ7

■2歴代6:42神、主よ。あなたに油そそがれた者たちの顔を退けないでください。あなたのしもべダビデの忠実なわざの数々を思い起こしてください。」
★遂に神殿が完成し契約の箱を神殿に担ぎ込む時が。ソロモン王が祈った祈りの最後の部分が上の祈りです。彼はその前に「主よもし民があなたを忘れて……しかし立ち帰った場合、どうぞ天からそれを聞いて癒して下さいますように。……」と民をダビデの名によって執り成しました。では私たちを祈りによって執り成して下さるお方は誰でしょう。ダビデの子孫として生まれ、私達の為に十字架の上で死んで3日目に甦られ、天に上られた主イエス様です。私たちの救いの為に、ただ一度「願わくはこの杯を取り除いて下さい(十字架に掛かられること)」との祈りは、退けられましたが、それ以外一度もこのお方の祈りが聞き届けられなかったことはありません。あなたはこのお方の祈りの中に守られているのです。

■ヨハネ7:37さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。7:38わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
★これは、ご自身を信じる者が後になってから受ける御霊をさして主が語られたことばです。主はここで私たちが求めるべきものが何かを明確に指し示されたのです。それは聖霊様です。聖霊様とは何ですか。三位一体の神様御自身です。キリストに代わってあなたの心に住んで下さるお方。あなたを真理へと導いて下さり、甦られた後、主が閉ざされていた扉を通り抜けて弟子たちに現れて下さったように、あなたの身体を栄光の身体に変え、あなたの身体の傷んだ所をも癒して下さるおかたです。聖霊様来て下さい。私の内に満ちて下さいと大胆に祈りましょう。これこそがあなたの生涯が栄光に輝く秘訣です。ヒデ

木曜日, 10月 14, 2010

20101014_2歴代3-4_エゼキエル40_ヨハネ6

■2歴代4:19 ついで、ソロモンは神の宮にあるすべての用具を作った。すなわち、金の祭壇と供えのパンを載せる机、4:20内堂の前で火をともすための燭台と、その上のともしび皿を規格どおりに純金で作った。
★ソロモンが如何に父ダビデ王から託された神殿を建て上げたかの記述です。そしてその象徴とも言うべき言葉とは上の御言葉に記された「規格どおりに」、「純金で」です。彼がいかに主の御心に注意深く沿って、また最高のものを神様にささげさせて頂きたいとの思いの内にこの事をなしたか。礼拝とは私たちの霊の一番深い部分を神様の前に開き、それをおささげし、主の語られたことに従いますと告白する行為です。主は今日も「誰か命を懸けて私に近づくものはいないか」と語られます。自分の頑張りによってではなく、主の愛のゆえに「そうさせて下さい。そうします」とささげて一日を始めましょう。その酬いはあまりに豊かです。

■ヨハネ6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
★主がなされる癒しと、語られるみ言葉を求めてどれほど多くの人が主のもとに集ったことか。しかしあっという間に時間がたち、ガリラヤ湖畔はもう日が傾こうとしているではありませんか。「主よ、食べるものも宿泊する場所もありません。彼らを解散させて下さい」と弟子たち。その時わずかに差し出された少年の5つのパンと2匹の魚。主はそれを天に向けて差し出し、感謝をささげて分けられたのです。その時なんと2万人近い人が満腹に。問題に直面したとき、ないものではなく、まず与えられているものに目を向け感謝をささげましょう。奇蹟と主の御業はそこから始まります。ヒデ

水曜日, 10月 13, 2010

20101013_2歴代1-2_エゼキエル39_ヨハネ5

■2歴代1:10 今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」
★これはダビデの後イスラエルの王位を継いだ息子ソロモンが、主の神殿を建て終え、真心からの礼拝を捧げたその夜「あなたに何を与えようか。願え」との主に応答して語った言葉です。その求めは自分の富や名声、長寿ではなく、神を愛し、民を愛するもの故に、彼の願いに添えて、富みも名声も長寿も与えられることになったのです。人の価値とはその人の求めに大きくあらわれ、いざと言うとき本音が出ます。ただこの事を心に留めましょう。主は決して心が狭く出し惜しみなさる方ではありません。むしろ多くを与えたくてしかたがない方。しかし、それを受け取る事のできる人を探しておられるのです。器の備えのない人に多くを与えたなら、むしろそれが誘惑となり、その人を滅ぼすことになるのです。人はその願いによって計られるのです。

■ヨハネ5:39あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。5:40それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
★敵対しようとする宗教家の前で主イエス様が高く差し伸ばした聖書とは、それは旧約聖書。新約はキリスト以降、教会によって編纂され、この時はまだ存在しません。にも関わらず、主はこの旧約聖書は私の事が書かれ「モーセが描いた神とは私だ」と驚きの発言をなさるのです。そう。キリストは、ご自身、歴史を父なる神様と共に導いたお方であり、歴史を貫いて存在し続けた神自身であると語られたのです。キリストはペテン師か神か?けれど信じがたいほどの事ですが事実なら、ここには無限の希望が。だからキリストは招かれます。「いのちを得るために私のもとに来なさい」と。信じましょう。そしてこのお方にあって共に歴史を創りましょう。ヒデ

火曜日, 10月 12, 2010

20101012_1歴代29_エゼキエル38_ヨハネ4

■1歴代29:28彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ。彼の子ソロモンが代わって王となった。29:29ダビデ王の業績は、最初から最後まで、予見者サムエルの言行録、預言者ナタンの言行録、先見者ガドの言行録にまさしくしるされている。
★ついに歴代志最後のダビデの生涯についての記述です。「彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ」。何と祝福された生涯だったでしょう。その秘訣について思わず彼が語った言葉をこの章は残します。「私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。」詩篇では「あなたは心の内にまで真実を求めて下さいます」と語ります。神様は人を、何をしたかの前に、どんな動機によってしたかで計って下さるお方です。だからあなたは失敗を恐れる必要はありません。主はあなたがささげるその真心を喜んで受け入れ祝福して下さるお方です。

■ヨハネ4:13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。4:14しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
★主はこうして一人の婦人に語りかけ、その婦人が「その水を下さい」と求めた時、あなたの重荷と憂い、何より罪を私の前に持ち出すのですと示されました。私たちの心は神様につながり、神様を仰ぐなら自然と命の泉が湧きあがるもの。しかしその心に栓をして、命の流れを留めてしまうのが罪なのです。あなたは自分の人生の悲しみを一人で抱え込む必要はありません。あなたを受け止め癒して下さる主が今日もあなたの前にいて下さいます。クリスチャンとは常に主に本当の事を知って頂いた喜びの中に生きる者。心を開き主に語りかけながら今日も一日始めましょう。ヒデ

月曜日, 10月 11, 2010

20101011_1歴代28_エゼキエル37_ヨハネ2-3

■1歴代28:20それから、ダビデはその子ソロモンに言った。「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。
★今だ誰も経験したことのない神殿建築に臨もうとするソロモン。そしてそれを励ます父ダビデ。神様から特別の知恵の賜物を頂いていたソロモンでしたが、それにも勝るとも劣らない彼への賜物、それが父ダビデを通しての励ましです。この、父ダビデの我が子に対する励ましの豊かさに目を留めましょう。そしてあなたが父と呼ばれる人ならば躊躇することなく、あなたの子供にこの励ましを与えましょう。そして私は主の教会に立てられた牧師として、今あなたに心を込めて語ります。「あなたは確かに主の誇りであり、我が誇り。主は御自身の栄光のためにあなたを召し出されたのです。忘れないで!」

■エゼキエル37:10私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。
★躊躇なく求むべきは聖霊様。このお方があなたとあなたの生涯を支配して下さるようにと祈りましょう。救い主イエス様は「子が卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、聖霊を下さらないことがありましょう。」と約束して下さいました。

■ヨハネ2:3ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
★人をもてなし酔わせるぶどう酒が結婚式でなくなるとは。しかしあり得ないことがおこるのが人生です。あなたはその時どうしますか。主の母マリヤは主に訴え、水がぶどう酒に変えられる信じがたい奇蹟を見たのです。主に求めましょう。人生の危機は主に近づくチャンスです。そして不足は満足と感謝へと変えられます。ヒデ

日曜日, 10月 10, 2010

20101010_1歴代27_エゼキエル36_ヨハネ1

■1歴代27:1イスラエル人、すなわち、一族のかしらたち、千人隊の長、百人隊の長たち、および彼らのつかさたちは、王に仕えて一年のすべての月を通じ、月ごとの交替制にしたがって、各分団のすべての事に当たったが、その人数は一つの分団が二万四千人であった。
★この章には王の政治を補佐する役人の奉仕の組み分けが記されます。月ごと、一つの分団の規模は二万四千人、それは国を敵から守り、更に広げ、国内を治めるために必要でした。そして主イエス・キリストが示された神の御国のためにも、その為に立ち上がる分団とリーダーが必要です。あなたは御国の為にどんなチームに所属し、時を聖別し、王なるキリストに仕えますか。そこにはあなたの霊を健やかにする喜びと祝福があるのです。立ち上がりましょう。そして与えられた命を、永遠に関わる事業のために注ぎ出しましょう。

■エゼキエル36:25わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、36:26あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。36:27わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。
★これはイエス・キリストによってもたらされる救いの預言です。受け取る秘訣は心を開いた悔い改めと信仰です。

■ヨハネ1:5光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
★今日からヨハネの福音書です。光とは預言された救い主キリスト。やみとは神に反抗する悪の霊的な根源悪魔サタンです。キリストは生涯を通じて彼と戦い、ついに十字架の上でその闇の力を打ち砕きます。福音書はその戦いの記録。そしてキリストに心開くあなたもキリストと共に闇の中で輝く存在となるのです。あなたにも戦いがありますね。でもこのお方と一緒なら大丈夫です。ヒデ

土曜日, 10月 09, 2010

20101009_1歴代26_エゼキエル35_ピリピ3-4

■1歴代26:12門衛のこれらの各組に対し、主の宮で仕える任務が、彼らのかしらごとに、彼らの兄弟たちと全く同じように割り当てられた。
★ここには契約の箱を安置し、祭司がささげ物をした、会見の天幕を守るイスラエル部族の構成が記されます。彼らは神に仕える場合、チームで仕えていたことを覚えましょう。どの部族にも分け隔てなく門衛の務めがくじによって与えられたのです。神様は御自身を愛するものが一致の中で仕えて行こうとする時、そこに大きな力を注ぎ、御自身の栄光をあらわされるお方です。あなたはチームの一員として神様に仕えられるよう普段から祈っていますか。まず家庭から始めましょう。イスラエルの場合も始まりは部族単位でした。

■エゼキエル35:12 おまえはイスラエルの山々に向かって、『これは荒れ果てて、われわれのえじきとなる』と言って、侮辱したが、主であるわたしがこれをみな聞いたことを、おまえは知るようになる。35:13おまえたちは、わたしに向かって高慢なことばを吐いたが、わたしはそれを聞いている。
★これはイスラエルを軽んじ侮辱したセイル、即ちエドム人に向かって語られた主の言葉です。主は御自身にささげられる感謝、つぶやき、高慢、祈りをみな聞いておられるお方です。そしてあなたは日々このお方の前で生きているのです。

■ピリピ3:12私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
★ここには「私は、私を強くして下さる方によってどんなことでもできるのです」と語った主の弟子パウロの価値観が明確です。端的に言うなら謙虚さと、受け止めた神様の真実に寄り頼もうとする姿勢。そして、その全ては主の赦しを、迫害者パウロが受け取った所からスタートしたのです。勝利ある人生のスタートはここが原点であることを心に刻みましょう。主の真実とご愛は、あなたの人生を必ず完成へと導かれます。ヒデ

金曜日, 10月 08, 2010

20101008_1歴代24-25_エゼキエル34_ピリピ1-2

■1歴代25:1また、ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者とした。その奉仕に従って、仕事についた者の数は次のとおりである。
★神の言葉を取り次ぐ預言者が自由に活動できる事は、その国の平和のあらわれです。そうでない場合、聖書は「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来る」と警告します。またバプテスマのヨハネの首を切ったヘロデ王は「ヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。」と彼の内面の混沌をあらわします。勇気ある信仰の決断をもって神の言葉に従う時、あなたは奇蹟を見るのです。

■エゼキエル34:31 あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。神である主の御告げ。
★私たちが人であることを知っていて下さる主の御名を崇めましょう。

■ピリピ2:6キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、2:7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、2:8自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
★ここにはキリストがなして下さったことが明確です。そのキリストを父なる神様は甦らせられたのです。同様に神様の御心に基づいて遜るあなたを、父なる神様は復活の命で支え、丁度よい時に高く引き上げて下さいます。一粒の麦は地に落ちて死んだら実を結びます。人は罪深い自我に死ぬとき、父なる神様の御力によって霊的な復活を経験します。そしてキリストにあって一度死んだら怖いものはなくなるのです。この霊の法則に生きましょう。ヒデ

木曜日, 10月 07, 2010

20101007_1歴代23_エゼキエル33_エペソ5-6

■1歴代23:1ダビデは老年を迎え、長寿を全うして、その子ソロモンをイスラエルの王とした。23:2ついで、彼はイスラエルのすべてのつかさ、祭司、レビ人を集めた。……23:5そして、四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者となりなさい。」。
★ここにはダビデが生涯の最後に為した事業が記されます。レビ人の構成と使命、仕事内容の確認です。それは、かつて受けた祝福に感謝して「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。」と、主にささげた感謝の具体的な応答でした。切り出された岩、掘り出された穴を心に覚え、主の恵みに対する感謝の応答の生涯を全うしましょう。

■エゼキエル33:14わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼が自分の罪を悔い改め、公義と正義とを行い、33:15その悪者が質物を返し、かすめた物を償い、不正をせず、いのちのおきてに従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない。33:16彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公義と正義とを行った彼は必ず生きる。
★これが良き訪れ。救い主キリストがなしてくださった御業です。

■エペソ5:11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。……5:14明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
★明るみ出された全てに対して聖書は「御子イエスの血は全ての罪からきよめる」と宣言します。物事を明るみに出す生き方によって、主の助けを受け入れることを告白し、破れた関係の修復にキリストと共に生きましょう。そうして蒔かれた命の種は必ず生涯の祝福となってあなたの生涯を励まします。ヒデ

水曜日, 10月 06, 2010

20101006_1歴代22_エゼキエル32_エペソ3-4

■1歴代22:11 そこで今、わが子よ、主があなたとともにおられ、主があなたについて語られたとおり、あなたが、あなたの神、主の宮をりっぱに建て上げることができるように。22:12ただ、主があなたに思慮と分別を与えて、あなたをイスラエルの上に任命し、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。
★これはイスラエル王位を受け継ぐソロモンの励ましに父ダビデが語った言葉です。そしてリーダーの最も大切な働きが何かがここには明確です。聖なるビジョンを共有し、励ましを与えること。ダビデはその生涯の終盤まで王として君臨しましたが、世代交代のための準備は怠ることなく進めていました。どんな国においても世代交代は永遠の課題です。あなたが御心にかなうビジョンを持ち、人を育てる良きリーダーでありますように。

■エペソ4:25ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
★人が隣人にささげることのできる最高のプレゼントとは何でしょう。それは正直な自分を分かち合うこと。相手を優劣のない自分と対等の人として認め、心を開いて自分の思いや考え、時には弱ささえ分かち与えることです。それは人類に罪が入るまで神様が人にご計画して下さった「相互依存」の関係、互いになくてはならない「助け手」の関係でした。ところが罪は「相互依存」の関係を破壊し、人類に「共依存」(アルコール依存症など問題を抱える家族がいる場合、面倒を見続け、相手に必要とされるとことを自己評価のよりどころとして、その関係に依存する状態)の関係をもたらしたのです。共依存関係は、その関係に優劣やさげすみが生まれ、諦めさえ生じ、心の底から自分を喜びの内に相手にプレゼントする事ができません。だからこそキリストにある赦しと癒し、また、あなたも私もキリストの身体としてなくてはならない存在との価値観が必要です。あなたが心を開いて他者との関係を築くことを可能にする安全地帯。その担保はキリストの愛と赦しの中にこそあるのです。今日もこのお方の愛の中から始めましょう。ヒデ

火曜日, 10月 05, 2010

20101005_1歴代20-21_エゼキエル31_エペソ1-2

■1歴代21:1ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。
★神様と民に愛され、イスラエルに統一王国と平安をもたらしたダビデ。ところがどうしたことか彼が高慢、おごり、不遜の誘惑に陥り、自らの成功と偉大さを確認する目的で王国の規模を数えさせようとしたのです。これは驚くべき、しかも誰もが真摯に受け取るべき警告です。すなわち人は成功の中でも、いえ成功の中でこそ、その誘惑は衝動となって強まり人の心を襲うのです。お金、異性、地位プライド。「あなたは大丈夫ですか」とは言いません。なぜならこのことに付いて誰も大丈夫な人はいないからです。そこで神様の語りかけに耳を傾けるのはもちろんですが、家族やあなたを愛する友の語りかけにも耳を傾けましょう。ヨナタン亡き後、残念かな、ダビデは直言も辞さない友を持たなかったのです。誰も主と愛する者を傍らにおいて王様となってはなりません。

■エペソ2:19こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。2:20あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。2:21この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、2:22このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
★ここには主を信じるあなたがどんな存在かが明確です。神様が父となって下さり、孤独から解放される神の家族に加えられ、あなた自身がキリストを心に宿す、倒されない神様の生ける宮となるのです。そんなあなたに主は「彼は必ず立つようになる。私は彼を立たせることができるからである」と語られます。大丈夫です。今日も主の御目の中心にあなたが置かれています。ヒデ

日曜日, 10月 03, 2010

20101004_1歴代18-19_エゼキエル30_ガラテヤ5-6

■1歴代19:4そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげをそり落とし、その衣を半分に切って腰のあたりまでにし、彼らを送り返した。
★人は誰でもいろんな意味におけるメガネを掛けていると言われますが、さああなたメガネはどんなメガネでしょうか。かつてサウル王に命を狙われ苦しんだダビデ。それを助けてくれたアンモン人ナハシュ。ゆえにダビデはその子ハヌンに感謝と真実を尽くすために彼のもとに家来を遣わしたのです。しかし、その結果が上の御言葉です。父ナハシュ亡き後アンモン人の王となったハヌンに仕える司達は「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬っているとでもお考えですか。この地を調べ、くつがえし、探るために、彼の家来たちがあなたのところに来たのではありませんか。」と父に代わって王となったハヌンに語り。国に滅びを招いたのです。度を越えた偏見、妬み、敵対心、高慢、怒りは取り扱われ、癒されなければ自らに滅びを招くことを覚えましょう。

■ガラテヤ6:2互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
★キリストは十字架に掛かる直前に弟子たちに向かってこう語られました。「私は新しい戒めをあなた方に与える。あなたがたは互いに愛し合いなさい」と。パウロはここで、人には負うべき重荷と、負うべきでない重荷のあることを伝えます。負うべきでない重荷とは人を滅ぼす罪で決してそれを心に持ち続けてはいけません。では負うべき重荷とは何でしょう。互いに愛し合うことです。その為に主はあなたを教会へと招いて下さったのです。関係を通して痛んだ心は、あなたが心開くなら、神の家族の関係を通して癒されます。そうして受けた愛と癒されたあなたの命は、遣わされたこの世で祝福となるのです。新しい戒め、愛を学びましょう。教会として学びましょう。主はあなたを待って下さっています。ヒデ

20101003_1歴代17_エゼキエル29_ガラテヤ3-4

■1歴代17:16ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。17:17神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。あなたは私を、高い者として見ておられます。
★ダビデが「私が杉材の家に住んでいるのに、あなたの契約の箱は天幕の下にあります。」と語った時、主は彼の息子ソロモンに神殿建築の許可を与えると共に、子々孫々の祝福の約束を下さったのです。それで思わず上のことばを語るのです。昔も今も主の祝福に預かる生き方は変わりません。神様は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを下さいます。何をするかの前に、どんな心で生きているかが、思わぬ所で私たちの生涯をわける事を心に刻みましょう。

■ガラテヤ3:13キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★パウロはガリラヤ地方で主を信じた人々のために、人の救いはキリストの十字架を見あげる信仰によって、ただ恵みとして受け取るべきものであることを語ります。そしてキリストの十字架の根拠は、旧約聖書に既に証しされているものと強調するのです。良き行いによって救いを勝ち取る事ができるなら、キリストが自ら進んで十字架に掛かられる必要はありません。しかもキリストが十字架の上で「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られたのは、旧約聖書の成就を目的としたものでした。「木に掛けられる者は呪われ、血を流すことなしに罪の赦しはあり得ない」と。その旧約聖書の掟の中で主は、罪のない自身の血を示しつつ、父なる神様の前に完全な救いを拓いて下さったのです。この犠牲の中でどうしてあなたが祝福されないはずがあるでしょう。あなたが恵みを保つのではなく、このキリストの恵みがあなたを保ち、あなたを祝福の人生へと導くのです。信じましょう。ヒデ

土曜日, 10月 02, 2010

20101002_1歴代16_エゼキエル28_ガラテヤ1-2

■1歴代16:43民がみなそれぞれ自分の家に帰ってから、ダビデは自分の家族を祝福するために戻って行った。
★王ダビデは遂に奪われていた契約の箱を取り戻したとき、それをエルサレムに張った天幕の真ん中に安置しました。そして神様の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえを捧げ、その後、主の名によって民を祝福し、イスラエルのひとりひとりに、丸型のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えたました。今日の御言葉はその後の事。彼はその後、家族のもとに帰って家族を祝福することを忘れませんでした。即ち外に向かっても内側においても、神様の恵みに対する感謝と果たすべき責任を忘れなかったのです。会社で学校で地域で、私はすべき事をしている。だから家に帰ってまではとの思いを、あなたは見直す必要が有りそうですか。神様の祝福はあなたを通して流れます。

■エゼキエル28:17あなたの心は自分の美しさに高ぶり、の輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。
★ここはサタンの堕落した動機が記された箇所。彼はもともと知恵の天使長ルシファーです。神様が天地創造全体の御計画の進展のために、恵みとして彼に驚くばかりの知恵を与えられたのです。しかし彼は自分でその知恵を勝ち取ったかのように、与え主から離れ、自己実現のためにその知恵を用い、栄光を自分に帰そうとしたのです。しかしそれは与えられた知恵でした。あなたの知恵を腐らせてはなりません。

■ガラテヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
★暗記する価値あるみ言葉です。キリストを告白したあなたの内にはキリストの霊が宿られました。一人ではありません。耳を傾ける時、このお方が絶えずあなたに語りかけ、導き支え、あなたの人生を完成して下さるのです。信じ従いましょう。ヒデ

金曜日, 10月 01, 2010

20101001_1歴代15_エゼキエル27_ルカ24

■1歴代15:2そのとき、ダビデは言った。「レビ人でなければ、神の箱をかついではならない。主は、主の箱をかつがせ、とこしえまでも、ご自身に仕えさせるために、彼らを選ばれたからである。」
★ペリシテの地より契約の箱を持ち帰る途中、主は契約の箱に手を差し伸べたウザを打たれ彼の命を取られました。そのことを畏れたダビデ王とイスラエルの人々。しかし、ウザは神様に仕えるようにと、神様から聖別されたレビ人ではなく、また肩に担いで運ぶべきこの箱を牛車に載せて運んでいたのです。それに気づいたダビデはその教訓を生かして上の御言葉のように語ります。プライドがきづ付けられる失敗によって事を投げ出してしまうのではなく、そこから教えられたことをもって再び立ち上がる彼の生き方こそ時代をつくります。恥は我がもの、栄光は主のもの。主はあなたが勇気を持って立ち上がることを期待しています。さあ立ち上がりましょう。

■ルカ24:6ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
★主は遂に「父よ彼らをお赦し下さい。父よ我が霊を御手に委ねます」と、私たちを罪から救うために、私たちに代わって父なる神様からの罰を受け十字架の上で息を引き取られ、十分な死体処置をする間もなく弟子の手によって墓に納められました。それを憂いた主にある婦人たちが安息日の明けるのを待って主が納められた墓に行ったとき「ここにはおられません」と語る御使いの声を聞くのです。「ここ」とはどこでしょう。それは墓の中、死の中、絶望の中です。サタンは何とかその中にキリストを閉じ込めようとしましたが、不可能でした。そう主は甦られたのです。そして御自身を信じる人々をキリストは甦らされるのです。あなたは今どんな深い絶望の淵を歩んでおられるでしょうか。しかし、主は必ずキリストにあるあなたを甦らされるのです。信じましょう。感謝しましょう。あらん限りいっぱいに心を開いて主を受け入れましょう。あなたは必ず甦るのです。ヒデ

木曜日, 9月 30, 2010

20100930_1歴代13-14_エゼキエル26_ルカ23

■1歴代13:3私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。」13:4すると全集団は、そうしようと言った。すべての民がそのことを正しいと見たからである。
★ここはサウル王の後イスラエルの王となったダビデが、なおペリシテ人に略奪されたままになっている契約の箱の事を憂い、民に「その箱を持ち替えろう」と語りかけた場面です。最も正しいことを正しいとし、神様への愛と人々の祝福の為に、勇気と決断と意志をもって語りかける事のできるダビデの素晴らしさを思います。あなたも神様にある平和を作り出す為に、主のご計画によって召し出されました。あなたが御心に立ち上がるなら、主がそれを支えて下さることをあなたはご存知ですか。

■エゼキエル26:20わたしがおまえを穴に下る者たちとともに昔の民のもとに下らせるとき、わたしはおまえを穴に下る者たちとともに、昔から廃墟であったような地下の国に住ませる。わたしが誉れを与える生ける者の地におまえが住めないようにするためだ。
★何たる恐怖。ここには主が神であることを認めない者が行くことが定められている地獄が明確です。救いの道が示され、神を畏れることを教えられている恵みを改めて噛み締め、感謝して受け取った恵みの中を歩みましょう。

■ルカ23:33「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
★直球勝負です。「イエスを十字架につけた」とありますが、誰がキリストを十字架に付けたのでしょう。他の誰でもないあなたです。そんなばかな失礼な、と心外なさいますか。それともアーメンと頷かれるでしょうか。しかしこれ以外に救いを受け取る方法が無いのです。主はアーメンと告白する全ての人のために、いえそれを否む人の為にさえ、十字架の上で「父よ。彼らをお赦しください。」と執り成して下さいました。主の赦しを受け取りましょう。そしてあなたは生きるのです。ヒデ

水曜日, 9月 29, 2010

20100929_1歴代12_エゼキエル25_ルカ22

■1歴代12:17そこで、ダビデは彼らの前に出て行き、彼らに答えて言った。「もし、あなたがたが穏やかな心で、私を助けるために私のもとに来たのなら、私の心はあなたがたと一つだ。もし、私の手に暴虐がないのに、私を欺いて、私の敵に渡すためなら、私たちの父祖の神が見て、おさばきくださるように。」
★上の言葉はサウルの王としてのあり方に納得が行かず、サウルに追われるダビデを慕い、訪れた勇士達に語ったダビデの言葉です。リーダーは自らの立場を明確にし、語るビジョンによって一致することの大切さを覚えましょう。決断力、実行力、あなたは他に何を加えますか。あなたが遣わされたその場において、祭司、預言者、王として主の祝福を注ぎ出す器でありますように。

■エゼキエル25:17わたしは憤って彼らを責め、ひどい復讐をする。彼らは、わたしが彼らに復讐するとき、わたしが主であることを知ろう。」
★主はかつて「私のしようとしていることをアブラハムに隠しておいてよいであろうか」と、どれほど彼を愛しているかを示されました。同様に主はここにおいても選びの民の前に御自身の考えを明らかにしておられます。そうです主はあなたを尊び愛して下さっているのです。

■ルカ22:32しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
★ここには弱さを覚える時にも共にいて下さる主の姿が明らかです。弱さを覚えることがあるのはあなただけでしょうか。いいえ。あなただけでは決してありません。むしろ主はあなたのその経験を通して、真の弱さの中にある人を助け励まそうとしておられるのです。そのためにも主と深く交わり遣わされましょう。あなたに対する主の信頼は絶大です。ヒデ

火曜日, 9月 28, 2010

20100928_1歴代11_エゼキエル24_ルカ21

■1歴代11:19言った。「そんなことをするなど、わが神の御前に、絶対にできません。これらいのちをかけた人たちの血が、私に飲めましょうか。彼らはいのちをかけてこれを運んで来たのです。」彼は、それを飲もうとはしなかった。三勇士は、このようなことをしたのである。
★ペリシテ人との激戦の中で思わずダビデ王が「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ。」と語ったとき、王のその願いを受けて、命を懸けてそれを実行したのがこの3勇士です。これ以降さまざまな場面で他の勇士も活躍しますが、その結論は常に「あの3人にはおよばなかった」との記述です。ダビデ王同様、主は命を懸けてその使命を成し遂げようとする人を御自身の胸に刻みつけ、その志を助けて下さるお方です。人の価値と人生の豊かさは、いかに多くを所有し消費したかではなく、いかに貢献したかで計られることを心に刻みましょう。

■ルカ21:33この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★これは有名なキリストの言葉ですが、語られた背景には「そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです」との再臨の強調と「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」との励ましがあるのです。さて、キリスト者の希望はどこにあるのでしょうか。その答えは、事実であるキリストの再臨と、その時なされる公平な神様の審判に備え、そこに立つ備えと励ましを、共にいて下さるイエス様から受ける事ができることです。ゆえにキリストは語られました。「見よ。私は世の終わりまであなたと共にいる」と。さあ、真実を語って下さるこのお方と共に、今日も一日始めましょう。ヒデ

月曜日, 9月 27, 2010

20100927_1歴代10_エゼキエル23_ルカ20

■1歴代10:13このように、サウルは主に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て、10:14主に尋ねなかった。それで、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された。
★このサウルの生涯の結末は「すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」との御言葉を思い出さされます。多くを受けようとする時、その責任も同様に重くなることを覚え、いたずらに人と比較したり立場を求めたりするものではなく、先ずは置かれた所で忠実に生きることの大切さを心に刻みましょう。

■ルカ20:25すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★ここは有名な一節です。キリストを思想犯として陥れるため「あえてカイザルに税を納めるべきか」と質問した相手に対し、主はデナリ銀貨を見せなさいと語り「カイザルの形はカイザルに、神のかたちは神様の前にささげなさい」と語られたのです。コインには皇帝の形が刻まれていますが、あなたには神のかたちに似せて造られた「神の形」があるのです。そうです。だからこそ、あなたは真心からの礼拝を神様にささげ、祝福の生涯を生きるのです。あなたのうちにあるキリストの血潮によって贖われた神の形は、決して誰にも奪われてはなりません。主の恵みによって守り抜きましょう。ヒデ

日曜日, 9月 26, 2010

20100926_1歴代9_エゼキエル22_ルカ19

■ルカ19:8ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
★人々から嫌われていた取税人ザアカイの悔い改めで、信じがたい光景です。その変化は何によってもたらされたのでしょう。それは主が語られた言葉「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日あなたの家にとまることにしてあるから」との、主の彼への関心と受容の言葉でした。このところから、よく言われることですが、ただ愛だけが人を変化させることが可能なことを覚えましょう。さあ、あなたの心はこの朝、人に安全な居場所を提供できる準備ができているでしょうか。今日もまずキリストの中に隠れ込み「あなたは高価で尊い」とのみ声に預かり、平和を作り出す人としての整えを頂きましょう。主の愛はあなたにも、あなた家族にも友にも必要です。ヒデ

土曜日, 9月 25, 2010

20100925_1歴代8_エゼキエル21_ルカ18

■ルカ18:41彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。
★生まれ付き盲人であった人物は主が自分の町エリコに来たと聞くやいなや、主との出会いを切望し「主よ、私を憐れんで下さい」と叫びました。彼には主がどこにおられるか分からないにも関わらずです。更にそれは弟子や群衆が止めさせようとしてでものことでした。何と感謝でしょう。彼の目に主は見えず、どこに向かって叫んで良いかも分からないにも関わらず、主の目には彼の姿と叫びがハッキリと見えていたのです。そして彼にとって最も適切な言葉「何をして欲しいのか」と、彼の飢え渇きを引き出す質問を投げかけて下さったのです。その主の姿勢はあなたに対しても少しも変わりません。あなたはその質問に何と答えられますか。聖書は心の貧しい者は幸いである。天の御国はその人のものだからと記します。あなたの切なる求めが、あなたの生涯の渇きを、真に潤す飢え渇きでありますように。ヒデ

金曜日, 9月 24, 2010

20100924_1歴代7_エゼキエル20_ルカ17

■ルカ17:18神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」17:19それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
★当時の社会でかかってしまったなら将来の全ての夢を絶ちきられてしまう重い皮膚病「ツァラアト」。何とサマリヤの町の10人の患者たちは、主が来られたとのうわさを聞き付けた時、命がけで「主よ、憐れんで下さい」と叫び主に近づいたのです。その結果、信じがたい事が……。主が命じられたとおりに祭司に身体を見せに行こうとする途中、彼らは全て癒されたのです。その後、彼らはどうしたでしょう。聖書は9人のその後については語らず、一人の人物は癒されたその喜びを胸に、主を礼拝するために帰って来たと言うのです。その時、主が返された応答が上の「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです」でした。
ここから教えられること、それはどれほど多くの人は主の目に見える癒しや不思議という恵みを頂いたとしても、主ご自身を頂くことなく主の元を過ぎ去ってしまうものかと言うことです。福音の本質とは主ご自身に与ることを心に刻みましょう。そして「安心して行きなさい」との安息の中に生きるのです。ヒデ

木曜日, 9月 23, 2010

20100923_1歴代6_エゼキエル19_ルカ16

■ルカ16:10小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。16:11ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
★十字架の上で命さえも惜しみなく与え尽くして下さった主は、命のみならず、ご自身の持てる全ての祝福を、ご自身の血潮によって贖った民に与えたくてしかたありません。けれども受け取る側の受け取り方によっては、必ずしも、全てのものが祝福となる訳ではないのです。むしろ正しく管理できる以上の恵みが与えられる時、それは私たちの誘惑となり、私たちを滅ぼす事となります。そこで主が見られるものに信者の「不正の富み」(この地上の富みの意味)の用い方が。
決してうばうためではなく、より多くのものを管理させたい。祝福を受け取らせたいとの父なる神様のはらわたを知りましょう。ゆえに小事に忠実な者とならせて頂きましょう。今日も主はあなたの動機を見て喜んで下さるお方です。ヒデ

水曜日, 9月 22, 2010

20100922_1歴代5_エゼキエル18_ルカ15

■1歴代誌5:24彼らの一族のかしらたちは次のとおり。エフェル、イシュイ、エリエル、アズリエル、エレミヤ、ホダブヤ、ヤフディエル。この人たちは、勇士であり、名のある人々であって、彼らの一族のかしらであった。5:25ところが、彼らは、その父祖の神に対して不信の罪を犯し、神が彼らの前からぬぐい去って滅ぼされたその地の民の神々を慕って不貞を犯した。
★マナセの半部族の勇士であり、名のある人々。しかし彼らは神々を慕う不貞の罪を犯したと語るのです。聖書は「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」と、時代を越えて私たちにも警告します。弱さのない人は誰もいません。また与えられている賜物がいつの間にかおごりになることのないように主を仰ぎましょう。

■エゼキエル18:31あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。18:32わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。神である主の御告げだから、悔い改めて、生きよ。
★主の御心は余りにも明確です。あなたに生きて欲しいのです。霊を殺すのは罪。だから告白によって罪をあなたの心の中から放り出すのです。主はそれを認めて、あなたの心に赦しと平安を一杯に満たされます。

■ルカ15:8また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
★主のあなたへの愛は「見つけるまで」の愛です。そこには諦め妥協はありません。どんな時にも決してあなたは一人でも孤独でもないのです。主の心の真ん中にはいつもあなたがあるのです。さあこの愛をこの朝も受け取って始めましょう。あなたは当然主の愛の中におるべき大切な人なのですから。ヒデ

火曜日, 9月 21, 2010

20100921_1歴代4_エゼキエル17_ルカ13-14

■1歴代誌4:10ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
★ここでユダ族の系図は、誰か誰を生んだかの紹介に殆ど留まりますが、このヤベツについては、主が彼の願いに答えて下さったことがあえて紹介されています。聖書の「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」が心に響きます。あなたは大いに祝福を受け、地上でも成功を収め、試みに合わせず悪よりお救い下さいと祈ってよいのです。主を愛する者が主にあって祝福を受けること、それは御心であることを受け取りましょう。

■エゼキエル17:23わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。17:24 このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行う。」
★あなたは主によって高められる木となるために召し出されました。そして人々はあなたのまわりに憩うのです。誰も留められません。主がそう語られ、主がそうなさるのですから。

■ルカ13:16この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」13:17こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。
★いのちが優先される事が本来の姿である事は分かりつつも闇の力に縛られ身動きが取れない中で必要なのは、キリストにある癒しと解放の宣言です。その実行者として期待され召し出されたのがあなたです。信じて一歩踏み出すとき、そこにあるのが主の助け。神様の御心に生きるため、さあ勇気を振り絞りましょう。ヒデ

月曜日, 9月 20, 2010

20100920_1歴代3_エゼキエル16_ルカ12

■1歴代誌3:1ヘブロンで生まれたダビデの子は次のとおりである。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人アビガイルによるダニエル。
★ダビデは神様がお与え下さるその恵みに「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」と、その感謝を神様にあらわします。しかしそうしたダビデも、王位継承の時期に父としてつらい中を通らされるのです。その原因の全てではないにしてもここには重大な理由が明らかで、その原因はダビデが愛した女性の多さにあります。一人の人を生涯愛することの恵みを覚えましょう。そして何より生涯を掛けて一人の主を愛するためにあなたはキリストの血潮によって贖い出されたのです。

■ルカ12:6五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。12:7それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
★あなたは他の何ものとも較べることのできない私にとっての特別な存在なんだ。これが神様のあなたへのメッセージです。思い煩うことを止め、その思いをあなたの後ろに投げ捨てるのです。そして主の愛を真っ直ぐに受け取りましょう。そう「私は神様にとって誇りの存在。喜びの存在なんだ」と。そして立ち上がるのです。事実そうなのですから。キリストはそれを示すため十字架の上でいのちを注ぎだし、取りなして下さったのです。このキリストの愛を信じ、仰いで受け取り、あなたは生きるのです。ハレルヤ!ヒデ

日曜日, 9月 19, 2010

20100919_1歴代2_エゼキエル15_ルカ11

■1歴代誌2:1イスラエルの子は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、……2:3ユダの子は、エル、オナン、シェラ。この三人は、カナンの女シュアの娘から彼に生まれた。しかし、ユダの長子エルは主の目の前に悪を行ったため、主が彼を殺された。
★2章から4章まではイスラエルの系図の中でも特にユダ族について語られます。ダビデを生み出し、ダビデの子孫としてキリストを生み出したユダ族。その特徴は讃美にありました。あなたはどんな時、讃美をささげますか。彼らはどんな時にも12部族の中でまず先頭に立って神を誉め讃えたのです。状況に支配されるものではなく、神様への讃美は状況を変える事を可能にします。その良き信仰に倣いましょう。

■ルカ11:26そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」
★なぜ偶像礼拝や占いをしてはならないのでしょう。それは人を祝福ではなく滅びに向かわせ、最終的には自ら行くことが既に決まっている地獄に、偶像礼拝や占いに心を開いた人々を引きずり込もうとする汚れた霊と、そのリーダー「サタン」が存在するからです。これは事実です。ゆえに汚れた霊と結んだ関係と契約をキリストの御名によって断ち切るのです。神様の前に具体的に言葉に出して告白し、その罪を認め悔い改め、キリストをあなたの心に迎えるのです。その時、御子イエスの血はすべての罪からあなたを聖め、あなたの生涯はそれ以降、内側おられるキリストの霊によって守られ、祝福の人生へと導かれるのです。いたずらに恐れる必要はありません。キリストは既に悪魔の業を打ち砕かれたのです。ヒデ

土曜日, 9月 18, 2010

20100918_1歴代1_エゼキエル14_ルカ10

■1歴代誌1:1アダム、セツ、エノシュ、1:2ケナン、マハラルエル、エレデ、1:3エノク、メトシェラ、レメク、1:4ノア、セム、ハム、それにヤペテ。
★歴代誌に入りました。9章までは淡々とイスラエルの系図が紹介されます。が、今日の私たちには無味乾燥で退屈なもののようにも思われます。しかし、このアダムから始められた系図を通し、神の選びと召しは変わることがないことを改めて教えられ、一羽のすずめも神様のみゆるしなしには地に落ちることはないと言われる中、私たちの生涯の歩みについても、神様の前にはしっかりと記録されていることを感じます。そう、あなたは神様の御計画に基づき、御旨のよしとされるところに基づいて創造されたのです。神様にとってあなたのスペアーはどこにもないことをもう一度、心に刻みましょう。

■エゼキエル14:3「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。
★偶像を顔の前に置いては主が見えません。うしろに投げすてるのです。そして栄光から栄光へと変えられて行きましょう。

■ルカ10:42しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
★主から、直々の弁護を受けたマリヤ。何と幸せなことでしょう。主は御自身につけるものをとことんまで弁護して下さるお方です。それは死の川並を渡る時さえも。良いほうとは、何をしたかというよりも、いかなる思いでそれを為したかとの心の姿勢にあることを覚えましょう。そう私たちは生きるにも死ぬにもただキリストの御名が崇められますようにと、主に礼拝を捧げつつ歩むのです。主はあなたの良き動機を受け止め励まして下さるお方です。ヒデ

金曜日, 9月 17, 2010

20100917_2列王24-25_エゼキエル13_ルカ9

■2列王25:27ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、彼とともにいた王たちの位よりも高くした。25:29彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。25:30彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。
★遂に南ユダ王国の滅びです。国は完全にバビロンに捕囚されてしまいました。サタンがキリストを滅ぼそうと語った、荒野の誘惑の一節が心に浮かびます。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」。確かにユダの王エホヤキンはバビロンの王と共に食事をする特権が与えられます。しかし彼は自由を奪われ、夢、使命、誇りを奪われ、バビロンの王の言いなりで、その手の上で踊らされる存在になったのです。これが偶像礼拝者の行き着く終着駅で、その生涯の最後は虚しい奴隷です。間違ってはなりません。あなたはキリストにあって王なる祭司、神の預言者、キリストの花嫁として召し出され、その誇りは誰にも奪われてはならないのです。贖い主なる唯一の主キリストを崇めましょう。

■エゼキエル13:10実に、彼らは、平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。
★赦しがなければ、人は自分自身の汚れと弱さに向き合うことができず、問題の部分を何もないかの如くに誤魔化し、フタをする以外できません。主はしっくいを塗って問題を誤魔化すのではなく、その問題の部分にあなたが向き合い、キリストの前でその課題を開き、キリストの赦しの血潮を受けるように願われるお方です。どんな時にもキリストの赦しの中であなたは生きるのです。そのために召し出されました。そしてあなたは真実と赦しの中で輝くのです。

■ルカ9:16するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに与えられた。
★問題を祝福に変える方法。それは課題を神様の前に持ち出し感謝することです。神様の御目の中心、そこにあなたがいるのです。ヒデ

木曜日, 9月 16, 2010

20100916_2列王22-23_エゼキエル12_ルカ8

■2列王23:2王は主の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民のすべて、祭司と預言者、および、下の者も上の者も、すべての民が彼とともに行った。そこで彼は、主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。
★主から決定的な滅びの宣告を受けた南ユダ王国。しかし神様はその憤りを思い直されました。一体なにがあったのでしょう。そこには、神殿における神の言葉「モーセの律法の書」の発見があったのです。新たに南ユダの王となったヨシヤ。彼はあれ廃れた神殿の修復工事を命じましたが、その時大祭司ヒルキヤが見つけ、それを聞いたヨシヤは上の御言葉の様に、すべての民の前でその神様の言葉を読み聞かせたのです。そしてイスラエルの滅びの歴史は変えられました。「神の言葉の発見」の持つ意味と力の大きさを心に刻みましょう。あなたは神様による変化を求めますか。それは神の言葉の発見から始まります。神の言葉に飢え渇きましょう。

■ルカ8:18だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
★同じ神の言葉に耳を傾けても、成長する人と成長しない人のあることを主は明確に語られます。なぜでしょう。すべての人が豊かに実を結ぶ生涯を生きることが可能であり、主がそれを望まれるからです。ではその秘訣とは、それは、よい土地に種を蒔くことだと主は語られます。土地とは心をあらわし、種とは神様の御言葉を意味します。ポイントは最初からよい土地はありません。石地の石を取り除き、生い茂るいばらを取り除き、継続的に耕し続けることでよい土地とされて行くのです。神の言葉を柔らかな心で受け取りましょう。受け取りやすい心となるように主に求めましょう。神様が喜ばれるものは、砕かれた霊。砕かれた悔いた心。神様はそれをさげすまれません。ヒデ

水曜日, 9月 15, 2010

20100915_2列王21_エゼキエル11_ルカ7

■2列王21:3彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。
★父ヒゼキヤに変わって南ユダ王国の王に12歳でなったマナセ。彼は何と残念かな、父がなした宗教改革路線を変更し、それまでのほとんどの王達同様バアルとアシュラに仕えるため、偶像を築き直します。いえ、それだけではありません。自分の子供を人身御供とし、幼児犠牲を求める偶像モレクにさえ仕え、まじない、霊媒、口寄せまでしたのです。マナセはのしかかる重圧と恐怖の中で偶像に逃げたのです。私たちが向かう所はどんな時にも主です。主は「だれか自分の命をかけてわたしに近づく者があろうか」と語りかけ、それを願い、その人を大きく用い祝福することを願っておられるお方です。

■エゼキエル11:19わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
★人に批判されないようにと動く自己保身の心は内向きで、他者と関係を築くことができません。しかし主は聖霊にあってあなたを肯定し、あなたの心を他者と関係を築き祝福するものに変えると約束されるお方です。十字架からあふれ出るキリストのいのちの豊かさの中に今一度飛び込みましょう。

■ルカ7:47だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」7:48そして女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。
★人々が求めているのは赦しです。あなたの人格と言葉から、今日もキリストにある赦しが溢れ流れ出ますように。いってらっしゃい。ヒデ

火曜日, 9月 14, 2010

20100914_2列王20_エゼキエル10_ルカ6

■2列王20:5「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。20:6わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。』」
★上の御言葉はユダの王ヒゼキヤが病にかかり主に癒しを求めたとき、主が預言者イザヤを通してヒゼキヤに語り返して下さった言葉です。主はあなたの涙と叫びと祈りと願いに応えて下さるお方。その痛みと憂いを理解し慰め、あなたの内側に新たな力を注いで下さるお方です。ヒゼキヤはこの時同時に迫り来るアッシリヤ帝国の脅威の中、バビロンと反アッシリヤ同盟を結び汚点を残しますが、いつまでも、どこまでも心を尽くして私たちが拠り頼むべきは主であることを心に刻みましょう。

■ルカ6:37さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。6:38与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
★これは「リンゴは木から落ちる」のニュートンの法則ではありません。霊の法則です。法則とは何でしょう。それは一定の条件のもとで、必ず成立する物事相互の関係です。人は様々な法則を理解し、それを有効利用し豊かさに与りますが、果たして霊の法則はどうでしょう。法則とはこちらが認めず否定しても、なお法則として存在するもの。この事を理解し今日も一日、良き刈り取りを期待して良き種を蒔きましょう。ヒデ

月曜日, 9月 13, 2010

20100913_2列王19_エゼキエル9_ルカ5

■2列王19:20アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』
★神様はヒゼキヤ王の捧げた祈りゆえにアッシリヤからイスラエルを救われました。さてヒゼキヤはどんな祈りを捧げたのでしょうか。聖書は彼が主の前に以下の様に祈ったことを記します。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたアッシリヤの王セナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。しかし、それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。しかし私たちの神であられる、主よ。あなたは生きておられるお方です。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」
即ち主の主権と御力を認め、神様の正面に存在を懸けて立ち、心を注ぎだして祈ったのです。そして主はあなたの祈りも聞かれるのです。

■ルカ5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★ここには主の祝福を受ける秘訣が鮮やかです。「……でした。でもお言葉どおり、……してみましょう。」その時、人はキリストが神であり、キリストの言葉には力があることを体験し、始めて畏れるべき神様を知ることができるのです。またこれ以外信仰生活の原点はありません。キリストと人を競べたり、キリストと自分の考えを競べたり、それは愚かです。まず従いましょう。あなたが今立っているところはすでに全能者の愛の御手の中なのですから。ヒデ

日曜日, 9月 12, 2010

20100912_2列王18_エゼキエル8_ルカ4

■2列王18:29王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを私の手から救い出すことはできない。18:30ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。
★ここには神様に敵対する霊、サタンの働きが明確です。ユダの王の中でヒゼキヤは「彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行い、高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒した」と、神様に従順する姿勢を明確にした数少ない王でした。ですから、それを止めさせようとする霊の働きも人一番強いのは当然で、サタンは大国アッシリヤの王を用いてヒゼキヤに揺さぶりを掛けたのです。主に従順しようとするものは必ず揺さぶられます。しかしその試練の中で動機が試され錬られ不動の者とされるのです。主のあなたへの期待を胸にサタンの業を打ち砕き、神様と共に御心を成し遂げる人になりましょう。

■ルカ4:42朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。4:43しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」
★主の悪霊も黙らせる御力とその麗しいご人格ゆえに多くの人は主と共にいたいと思い、主が自分たちの町から出て行かないよう引き留めました。主と共にあるために何かいい方法はないのでしょうか。あります。自分の所に主を留めようとするのではなく、あなたが自分の心の町囲みを取り除き、主に従うようにするのです。主によって栄光から栄光へと変えられて行く人生ほど祝福に満ちたものはありません。従いましょう。ならばあなたは主によって創られるのです。ヒデ

土曜日, 9月 11, 2010

20090911_2列王17_エゼキエル7_ルカ3

■2列王17:21主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムは、イスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。17:22イスラエルの人々は、ヤロブアムの犯したすべての罪に歩み、それをやめなかったので、17:23ついに、主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。
★ヤロブアムの罪とは、人々の心を主に向けさせようとするのではなく、むしろ自分が王であり続けられるようにとの目的で、偶像をサマリヤに設置したものでした。その結果イスラエルは遂にアッシリヤに捕囚の民として捕らえ移されてしまうのです。何と自分の目先の欲やメンツに縛られることは後々の子孫にまで呪いと災いをもたらすことでしょう。偶像礼拝の目的は結局のところ自己保身です。あなたは、あなた自身とあなたの愛する者の将来のために造りだし、担ぎ上げようとする偶像礼拝への思いを断固聖別しなければなりません。

■ルカ3:4「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。3:5すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。3:6こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」
★旧約聖書に預言された救いの招きです。まさにこの預言の成就のためにキリストは来られました。このお方によってあなたの生涯の谷間の部分は癒しを受け、曲がった部分はまっすぐに修復され、神様の御力とみ恵みの豊かさを反映する器とされるのです。さあ主を仰ぎましょう。今日ひと日のためにも主はあなたのために既に祝福を備えて下さっているのですから。ヒデ

金曜日, 9月 10, 2010

20100910_2列王16_エゼキエル6_ルカ2

■2列王16:7アハズは使者たちをアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から私を救ってください。」
★主が忌み嫌われる偶像礼拝によって、自分の子供を生け贄として祭壇の上で焼くことまでしたユダの王アハズは、試練の時、結局まことの主に拠り頼むのではなく、人にへつらい、人に頼む者へと堕ちました。ここに偶像礼拝の恐ろしさの本質があるのです。軽い気持ちで始めた偶像礼拝であったとしても、それは人にとって真により頼むべきものを見えなくさせてしまい、まことの救いの道を閉ざします。主より愛するものを持つこと、それが偶像礼拝です。そして、それはあなたを救うことはできません。自分の命を救うため、断じて聖別することが祝福です。

■ルカ2:49するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
★これはイエス様の少年時代が描かれた唯一の記述です。イエス様が宮もうでで迷子になってしまったと思った両親がイエス様を見つけた時、少年イエスは両親にこう語られたのです。そしてこの後イエス様は両親と共にガリラヤに下り、公生涯に立ち上がる時まで両親に仕えるのです。この時点でさえ、宮の中心で、集う教師達を驚かす知恵を持ったイエス様。ではいったいどうして神の御子たるこのお方が、異邦人のガリラヤと呼ばれる所に下ることを甘んじ、両親に仕えることができたのでしょうか。その秘訣がここにはあるのです。自分は「天の父」から遣わされたとの明確な自覚。それがここの答えです。あなたは遣わされた所においてピースメーカーですか。それともトラブルメーカーですか。「天の父」から遣わされた自覚が、あなたの置かれたところで、あなたをなくてはならない器へと形づくるのです。今日もあなたが遣わされた所に一緒に行って下さる主を意識し、さあ一日を始めましょう。ヒデ

木曜日, 9月 09, 2010

20100909_2列王15_エゼキエル5_ルカ1

■2列王15:24彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
★ソロモン王の後イスラエルは北イスラエル(ヤラベアム王)と南ユダ(レハベアム王)に分かれましたが、ほとんどの王について同様の記述がなされているのは上の御言葉と「その他の業績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている」との表現です。ではここから教えられることは何でしょう。それは王なる祭司として召し出されたあなたの記録も、天で「命の書」に名前が記されているのと同様、その業績、行いが全て記されていると言うことです。そして、普通に生活するならば、先祖の罪に埋没し、私たちは神様の前に事を成し遂げられないと言うことです。列王紀の中で事を為した王はわずかで、彼らはみな置かれた状況で、主を見上げたことを心に留めましょう。変わる為には、変える為には、主を見上げて、上から力を頂く必要があるのです。

■エゼキエル5:12あなたの三分の一はあなたのうちで疫病で死ぬか、あるいは、ききんで滅び、三分の一はあなたの回りで剣に倒れ、残りの三分の一を、わたしは四方に散らし、剣を抜いて彼らのあとを追う。
★神を畏れないイスラエルにエゼキエルを通して語られた言葉が上の言葉です。日本の為に祈りましょう。為政者・国家の様々なリーダーが神を畏れることを。疫病や飢饉や災害で国が打たれることがないように。

■ルカ1:64 すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
★この背後には「その名はヨハネ」と、主の御使いが命じた通りに幼子の名を名付けたゼカリヤの姿があることを忘れてはなりません。人ではなく、どんなときにも主が命じられたことを忠実に貫くことが人生の祝福の秘訣です。あなたの今日一日が流されることのない祝福の日となりますように。ヒデ

水曜日, 9月 08, 2010

20100908_2列王14_エゼキエル4_2コリント12-13

■2列王14:10あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。」
★エドム人との戦いに勝利を収めたユダの王アマツヤは気を大きくしてイスラエルの王ヨアシュに「さあ、勝敗を決めようではないか」と挑発の言葉をぶつけます。その時イスラエルの王ヨアシュから帰って来た言葉が上の御言葉であり「レバノンのあざみが、レバノンの杉に使者を送って、『あなたの娘を私の息子の嫁にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった」との言葉です。人は何と自分が見えず思い上がりやすく、感謝を忘れやすいものでしょう。そして結局彼は、自ら治める民に愛想つかされ、謀反によって命を絶たれてしまうのです。いつの時代も高ぶる者は退けられ、へりくだる者に恵みが注がれることは真理です。

■2コリント12:9しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
★人が本来の生き方、即ちキリストにあって「生かされている人生の目的」を神様と共に成し遂げようとする時、聖書は弱さは全く問題や障害となることはないと語ります。にも関わらず多くの場合、人はどうして「弱さ」に劣等感を抱いたり負い目を感じたりするのでしょう。聖書はその原因を自分の栄光を求めることにあると語ります。自分を誇る生き方ではなく、私の為に死んで甦って下さったイエス様を誇る価値観にあなたの心が貫かれますように。なぜならそれ以外、人の心に真に満足を与えてくれる価値観はありませんし、主は既にあなたのために、御国においてあなた用の命の冠を用意して下さっているお方なのですから。ヒデ

火曜日, 9月 07, 2010

20100907_2列王13_エゼキエル3_2コリント10-11

■2列王13:19神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」
★イスラエルの王ヨアシュはアラムとの戦いの導きを求めて神の預言者エリシャのもとに。エリシャは「弓を取り地面を打て」と預言的言葉をヨアシュに語ります。そしてヨアシュが3度地面を打って止めた時、エリシャは上のことばをヨアシュ王に向かって語ったのです。あなたは神様から「せよ」と語られたことを2、3回実行し、それで満足してしまっているとこがありませんか。あるいは成し遂げるべきものを2、3回挑戦して、それでもうまく行かない時、そのまま諦めてしまっていることはありませんか。主は「更に打て、諦めるな。私があなたを助ける」と語られるお方、そしてあなたの信仰を用いて、歴史を変えられるお方です。

■エゼキエル3:17「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。3:18わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。
★厳粛です。主はキリストの血によって贖われた私たちに対して「あなたはこの世の見張り人である」と語られ、責任があると語られるのです。だからこそ私たちは曇りのない神の御心を日毎にしっかり受け取る必要があるのです。

■2コリント10:7あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
★人は自分の以外見え難くなることがあります。しかし、こうした言葉を主から掛けられるあなたは主の期待の中にあると言うことです。今日も世の光、地の塩として、味のある歩みをさせて頂きましょう。あなたは主の誇りの器です。ヒデ

月曜日, 9月 06, 2010

20100906_2列王11-12_エゼキエル2_2コリント8-9

■2列王12:15また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである。
★ヨアシュ王の時代に立てられた祭司達は神の宮の修理についてさえも不忠実で、その働きを取り上げられてしまいます。しかし、実際に仕えた石工や石切り工たちは残高を勘定する必要もないほどに、彼らの忠実さゆえ信頼されたのです。主は「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」と語られ、忠実な人生を生きようとする人の中から人を召し出されるお方です。人の目ではありません、内側を見られる神様の前に呵責のない生き方をこの朝も選び取りましょう。

■エゼキエル2:1その方は私に仰せられた。「人の子よ。立ち上がれ。わたしがあなたに語るから。」
★神の言葉とは聞き従う備えの出来た人の心に豊かに語られます。語られたなら、信仰をもって立ち上がりましょう。必ず主はあなたを支えて下さいます。

■2コリント8:9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
★これが福音の本質です。そう、主はご自身の持てる全てを、持てるもののみならず命さえもおしみなく注ぎだして下さいました。そしてその恵みをあなたは、ただ信仰によって受け取る事が出来るのです。あなたが富む者となるためにとの御心の成就のため、さあ、心を開いて今キリストを心の内にお迎えしましょう。ヒデ

日曜日, 9月 05, 2010

20100905_2列王10_エゼキエル1_2コリント5-7

■2列王10:28このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。10:29ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。
★バアル崇拝によってイスラエルに混乱をもたらしたアハブ王とその妻イゼベル、および彼らの子供達70人には呵責のない裁きを下したエフー。しかしそんな彼であってもサマリヤに祭壇をつくった先祖ヤロブラムの罪、金の子牛礼拝を止めることはできませんでした。あなたは家系に流れる罪を知っていますか。それはそれぞれの家によって異なりますが、一つのパターンのあることを否めません。主はそのためにも十字架の上で救いを完成して下さいました。自分ではどうしようもない罪が示されたなら、それだからこそ必要だった十字架の恵みを覚え、その愛の中に積極的に飛び込み癒しを受け取る者でありましょう。

■2コリント5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
★このところからクリスチャンの人生の価値観とは、どれほど多くのものを獲得し使うことができるかと言う、消費の人生ではなく、与えられた命をいかに神様と人にとって意味あるものとして、注ぎだし貢献できたかにあることを覚えましょう。クリスチャンの「死んで甦った方のために」との人生の目的は明確で、新たに考える必要はないのです。与えられ生かされているあなたの地上の生涯が、迷うことなく御心を成し遂げるものでありますように。ヒデ