火曜日, 11月 30, 2010

20101130_エステル07-08_オバデヤ01_ヘブル03-05

■エステル8:15モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。8:16 ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。
★うぬぼれと高慢不遜の固まりハマンは自分の前でひざまづかないモルデカイを高い塔につるし、ペルシャの全ユダヤ人を虐殺しようと試みましたが、結果は自らが造ったその塔に吊され、ペルシャの国の全ユダヤ人の立場が守られる祝福へと変えられました。エステル記には一度も「神様」との記述はありません。しかし、「神様」により頼み、正義と愛を求めて行こうとするその時に、神様は生きてみわざをあらわされます。その為にエステルは鍵を握る存在として、神様によって王宮におかれたのです。あなたもその一人です。
今置かれたその場所で神様があなたに求めていることはなんでしょう。さあその時の為に、今日も変わらず神様を畏れ愛する生き方を積み上げさせて頂きましょう。あなたは主の前に喜びと誇りの存在です。

■オバデヤ1:15主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。
★「人は蒔いた物を必ず刈り取ることになる。」この霊の法則を、神様は預言者オバデヤを通しても語られます。一章しかないオバデヤ書の中心メッセージです。欲にではなく命と御心の為にあなたの生涯が蒔かれ、そこから良きものを刈り取られますように。

■ヘブル4:2福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
■「信仰によって結びつけられなかったから……」興味深い御言葉です。今日一日味わって下さい。何をどう結びつけたらあなたの為に益となるのでしょう。ヒデ

月曜日, 11月 29, 2010

20101129_エステル05-06_アモス09_ヘブル01-02

■エステル6:6ハマンが入って来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」
★あなたの友人でうぬぼれの意味を知らない人がもしいるなら、このハマンの話をすればよいでしょう。王女となったエステルの育ての親モルデカイの功績をたたえようとアハシュエロス王が、「王が栄誉を与えたいと思う者には……」と語ったとき。ハマンはそれを自分の事と思いこみ「その人のためには、王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。そしてその人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その人の前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、触れて下さい。」と語るのです。
しかしその結果ハマンは自分が蒔いたうぬぼれの実を刈り取らされ、モルデカイの馬車を引く役に。確かに聖書は上座から下座に引き下ろされる人と、反対に下座から上座へと神様によって引き上げられる人のあることを教えます。うぬぼれは人生を愚かにします。主を仰ぎ、主への感謝を数えて守られましょう。

■アモス9:15わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」とあなたの神、主は、仰せられる。
★主とは取り扱われるお方、なぜでしょう。それはあなたを揺るぎない者とするためです。だからあなたは主の御手を信じて飛び込むのです。

■ヘブル2:18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
■クリスマスを前にして、ここに受肉の大きな意味が開かれます。そうキリストはあなたの為に決心し、この地に来て下さいました。あなたはこの年のクリスマス、どんな決心をなさいますか。アドベントはその実行に向けた準備の時。主の祝福をお祈りします。ヒデ

日曜日, 11月 28, 2010

20101128_エステル03-04_アモス08_ピレモン01

■エステル4:16「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
★捕囚の民イスラエルを嫌うハマンがペルシャ帝国第2の位に。彼は王から帝国中の全ユダヤ人虐殺の許可を取り付けます。そして上の御言葉はその時エステルが、育ての親モルデカイに「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」と語られた言葉の応答として返した言葉です。
誰でも人は神様の摂理の中で、事の大小はありましても「この時のため」といった状況におかれます。その理由は、目には見えませんが神様がおられ、神様は、あなたがその生涯を用いて神様の栄光を現せるようにと時を定めておられるからです。「たとえ死ななければならないのでしたら……」と、あなたも神様が下さったそのチャンスをのがしてはなりません。しかも、そこには「この時」でなくても取り返しのつくものと、「この時」でなければ意味をなさなくなるものもあるのです。そして主は語られます。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」と。

■ピレモン1:12 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
★パウロはピレモンにこの手紙を書き送りましたが、神様は「わたしの心そのものです」と、あなたをこの世に送り出されます。大丈夫あなたは今日も一人ではありません。あなたを愛し守って下さる主が共にいて下さいます。さあ今日も神様と一緒にはじめさせて頂きましょう。たとえそこに困難があったとしても。主が丁度良い時にあなたを高くして下さいますから。ヒデ

土曜日, 11月 27, 2010

20101127_エステル02_アモス07_テトス01

■エステル2:17王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。
★アハシュエロス王は、エステルの頭の上に王冠を置き、彼女を妻としましたが、主はあなたを選び、あなたの頭の上に、キリストの花嫁としての王冠をおいて下さいました。エステル記にはどこにも神様の名前は出てきません。が、そこには確かな神様の導きが流れ、あなたの人生も同様です。その為エステルの生き様に心を向けましょう。御言葉は彼女について「エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」と記します。どうがあなたの飾りがこの世の物ではなく、神様への従順をもって飾られますように。

■アモス7:8主は私に仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が「重りなわです」と言うと、主は仰せられた。「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。
★神様は正しい裁きをなさるお方。ゆえに私たちの生涯にも「量りなわや重りなわ」を投げ込まれるお方です。キリストの十字架を感謝しましょう。

■テトス1:15きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
★「人の問題は動機にある」と、ここで聖書は語ると共に、その動機は信仰によってきよめられることを記します。動機が汚れていれば、神と人への愛を動機としていなければ無益だと言うのです。そして動機を御子イエスの血はきよめます。愛か欲か、この問いかけを通して神様はあなたを命ある者として下さるお方。仰ぎましょう。そして主に告白しましょう。赦しときよさは他でもないあなたへの神様からのプレゼントなのです。ヒデ

金曜日, 11月 26, 2010

20101126_エステル01_アモス06_2テモテ03-04

■エステル1:16メムカンは王と首長たちの前で答えた。「王妃ワシュティは王ひとりにではなく、すべての首長とアハシュエロス王のすべての州の全住民にも悪いことをしました。
★本当にそうでしょうか。なぜ127州を治めるアハシュエロス王の命とはいえ、酔った勢い、しかも宴会の席で妻を守るべき夫から、その美しさを見せびらかすためにと、屈辱的な恥ずべき舞を踊れとの命に従順しなければならないのでしょうか。しかし王妃ワシュティは結果、時代の流れの波に飲み込まれてしまうのです。自らの良心だけでは太刀打ち出来ない時代、だからこそ、その決断に生涯悔いを残さないように、あなたは神様を信じるのです。神の御心に基づく決断はたとえそれがどんな結末になろうとも、私はするべきことをしたと、困難の中でむしろ感謝の心がおこって来るでしょう。しかも神様はあなたを丁度良いときに高くして下さることができる全能のお方です。

■アモス6:6彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅のことで悩まない。6:7それゆえ、今、彼らは、最初の捕らわれ人として引いて行かれる。身を伸ばしている者どもの宴会は取り除かれる。
★酒が問題ではありません。本来、先祖から受け継いだ神様を畏れるその良き生き方が失われようとする中にあっても、何の危惧もなく、また痛みを共有しようとするでもなく、目先の欲に踊らされる彼ら。主はそれを叱責なさるのです。本来あなたが傍らに立ち励ますべき人はあなたの周りにいませんか。

■2テモテ3:16聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
★もう一度確認しましょう。大切な1節です。聖書の言葉は人間の言葉の寄せ集めですか。いいえ。神様が全ての人とご自分の教会のために下さったもの。だからあなたを救うのです。すなわちあなたは土台ある生涯へと導かれました。主の御名をほめたたえましょう。ヒデ

木曜日, 11月 25, 2010

20101125_ネヘミヤ13_アモス05_2テモテ02

■ネヘミヤ13:2それは、彼らがパンと水をもってイスラエル人を迎えず、かえって彼らをのろうためにバラムを雇ったからである。しかし、私たちの神はそののろいを祝福に変えられた。
★自由を与えられた人間はそもそもロボットではなく失敗するものであり、アダム以来罪を犯す者となりました。しかし神様はそれを祝福へと変えて下さるお方と聖書は語ります。今あなたは過去の一度の失敗や過ち罪にしばられて、「私はダメだ」とのレッテルの中に自らを置き、諦めた生活をしていることはありませんか。それは訴える者、悪魔サタンの働きです。神様はその呪いを祝福に変えて下さるお方です。十字架はその為の神様の恵みのみわざです。何によって縛られているのか恐れず神様の前に告白しましょう。主は流された十字架の血潮によってあなたを赦し、あなたの内に神様の命を注がれます。そしてあなたは生きるのです。あなたは過去の失敗に縛られた生活をしてはならない、神様にとってかけがえのない神様の子供です。

■アモス5:4まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」
★神様以外の何かによって自分を救おうとするイスラエルに対し、神様は「あなたが求めるべきは私だ。」と語られます。恐れる必要はないのです。神様はあなたのためにキリストを惜しみなくお与え下さった父の心をもった天のお父様です。近づきましょう。

■2テモテ2:1そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
★キリストにある恵みによって強くなるのでなければ人は何によって強さを求めるでしょう。腕力。能力。才能。知識。財力。しかしこれらは神様から離れるなら即暴力に変わります。人との比較ではなく御言葉の光と規準によって自分自身を見るのです。そして神の恵みに寄り頼むのです。それがあなたを罪から守る生き方です。ヒデ

水曜日, 11月 24, 2010

20101124_ネヘミヤ12_アモス04_2テモテ01

■ネヘミヤ12:43こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。
★女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。素晴らしい御言葉です。あなたの喜びはどこまで届いているでしょう。与えられている喜びを外に表現する自由が与えられているでしょうか。またあなたの属するキリストにある共同体は、女も子どもも、その喜びを表せるほどに、安全な守られた場所となっているでしょうか。安全な場所は自然には生まれません。勝ち取ったのです。召された男たちが中心になり一つ心となって、イスラエルの城壁を築くことを通して。男の使命はここにあります。立ち上がりましょう。女性達よ、男の為に祈って下さい。主にある男達が一つとなって神様の事業にあたることができるように。男が一つになったらどんなに大きな素晴らしいことがおこるかわかりません。その喜びの声がはるか遠くまで響きますように。

■アモス4:12それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
★この章には「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。」と5回繰り返されています。神様がその愛によって、何とかイスラエルを立ち帰らせようとしてもです。日毎に神様にまで立ち帰って、神様の元からこうして遣わされる恵みは何にも勝ったあなたの財産です。その心を与えて頂いた主に感謝しましょう。主が今日も一日あなたを守って下さいます。

■2テモテ1:7神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
★だれであれ臆病の霊に支配されそうになる時はあります。その時はこの御言葉によって奮い立ちましょう。そして主にある威厳と穏やかさを回復され、事に当たりましょう。そのために今日も祈るあなたを主は喜ばれます。ヒデ

火曜日, 11月 23, 2010

20101123_ネヘミヤ11_アモス03_1テモテ06

■ネヘミヤ11:1民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。11:2すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。
★城壁再建後のエルサレムを守るために自ら進んで犠牲を払おうとする者を、民は祝福したことが記されます。そしてキリストは「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と、犠牲を払って神の民と共に歩もうとする者を、心に刻まれるお方であることが紹介されます。さて、あなたは何のために犠牲を払われるでしょう。

■アモス3:2わたしは地上のすべての部族の中から、あなたがただけを選び出した。それゆえ、わたしはあなたがたのすべての咎をあなたがたに報いる。3:3ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。
★神様はご自身「主であるわたしは、ねたむ神である」と語られます。なぜでしょう。それは約束した者への誠実な愛ゆえです。イエスと共に歩むことを約束したあなたの為には主は命をかけて下さるお方で、既に十字架でそうして下さいました。これからもあなたに注がれるその愛は少しも変わることがありません。

■1テモテ6:6しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。6:7私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。6:8衣食があれば、それで満足すべきです。
★パウロは愛弟子テモテに足ることを知る人生の尊さを教え諭します。そう、足ることを知らなければ貪る人生となり、感謝のない人生で、それは即ち誘惑と罠に陥る人生となるのです。だから人は何にもまして先ずキリストの愛で心満たされる必要があるのです。だからこうして日毎にご自身に近づくあなたを主は喜ばれます。主の誇りであるあなたを今日も一日祝福します。行ってらっしゃい。ヒデ

月曜日, 11月 22, 2010

20101122_ネヘミヤ10_アモス02_1テモテ04-05

■ネヘミヤ10:39この部屋に、イスラエル人とレビ人たちは、穀物や、新しいぶどう酒や油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の器具があり、また、当番の祭司や門衛や歌うたいもいる。こうして私たちは、私たちの神の宮をなおざりにしないのである。
★思えば人の神様への態度とは一番か、あるいはなおざりかの、どちらかで中間はありません。その中で、こうしてあなたの心に朝ごとにみ言葉に近きたいとの思いが与えられていること自体、神様の恵み奇蹟です。ただ主に感謝しましょう。

■アモス2:6主はこう仰せられる。「イスラエルの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが金と引き換えに正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売ったからだ。
★昨日の箇所は、イスラエルに向かって罪に罪を重ねる国々への叱責でした。しかし主はこの箇でイスラエルそのものの罪に向かいます。関わって下さるのは愛ゆえです。あなたに対して無関心でいれることなどあり得ない、それが主の心です。あなたの生涯への主の介入を喜びましょう。

■1テモテ5:20罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。5:21 私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行いなさい。
★罪に対して人情的な対応に流されることは良いことでしょうか。いいえ、聖書は罪を曖昧にすることによって、その人の悔い改めのチャンスを奪ってはならないと警告します。あなたは問題の解決にどんな手段を用いますか。いつまでも悔いの残らない神様にある方法を選び取りましょう。そのためにもみ言葉に親しむことは大切です。ヒデ

日曜日, 11月 21, 2010

20101121_ネヘミヤ09_アモス01_1テモテ01-03

■ネヘミヤ9:36ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。
★神様の御手を動かし、民の心を動かした、神様の前における神の人ネヘミヤの真摯な告白です。しかし自然にうまれた告白ではありません。この章を読んで頂ければ分かると思います。それは、たとえ旧約聖書をまだ一度も読んだことがない方であっても、ここを読めば、ほぼ旧約聖書の出来事と、神様の愛が理解できるほどの内容です。ゆえに、うわべだけの言葉ではなく、できる限りをもって相手や出来事を理解しよう、受けとめようとする心の大切さを覚えます。あなたは共に歩きたい、救いたいと願う大切な人の置かれた環境や言葉を見、聞こうとしていますか。

■アモス1:3主はこう仰せられる。「ダマスコの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが鉄の打穀機でギルアデを踏みにじったからだ。
★神様が預言者アモスに語られた聖書です。この章には「……犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪……」と5回繰り返されています。それは神様は罪に罪を重ねて、あなたを傷付けようとするものを見ておられると言うことです。報復は主に委ねましょう。あなたのために主は立ち上がり戦って下さるお方です。

■1テモテ1:5この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。
★あなたが神様を求める理由は何でしょう。ここにはそのゴールが明確です。愛の人となることです。主イエス様はそのために十字架の上でご自身の命の代価によって和解の救いを拓いて下さいました。神様との和解、人との和解のために心を砕きましょう。その労苦は永遠の次元において決して無駄になることはありません。ヒデ

土曜日, 11月 20, 2010

20101120_ネヘミヤ08_ヨエル03_2テサロニケ03

■ネヘミヤ8:9総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって言った。「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。
★どんなに留めようとしても留めることができず、ほおを伝って溢れ流れる涙。その彼らの姿に、彼らの喜びの大きさを思います。囚われの中から、主の恵みによって引き出され、礼拝を捧げるためにみんなで築き直した城壁と神殿。彼らが神殿建設の為に払った犠牲と奉仕はこうして豊かに報われたのです。ゆえに聖書は「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはない」と語ります。自分の命を守ろうとしてはなりません。むしろ注ぎ出すのです。この世で一番幸せな人。それは自分の命を捨て場所を発見した人であることを心に刻みましょう。

■ヨエル3:21わたしは彼らの血の復讐をし、罰しないではおかない。主はシオンに住む。
★聖書は血の復讐について、「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」と記します。人は必ず蒔いた物を刈り取ります。あなたは決して自ら血の復讐をもって、滅びを自分の生涯で刈り取ってはなりません。

■2テサロニケ3:6兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。
★なぜですか。御言葉は「彼が恥じ入るようになるたに」と語ります。間違ってはならないこと、それは決してあなたは神様でもなく相手は敵でもないからです。共依存ではなく相互依存の関係に生きる、豊かな人生を築いて行かれますように。ヒデ

金曜日, 11月 19, 2010

20101119_ネヘミヤ07_ヨエル02_2テサロニケ01-02

■ネヘミヤ7:1城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。7:2私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。
★遂に城壁が再建されたとき、門衛が立てられます。都を敵から守るため、要となる職の任命です。一体どんな能力、賜物豊かな人材でしょう。しかし任命の実際の規準は、「誠実さ」、また何にも勝って「神を恐れる人」でした。聖書は「神を畏れことが知識のはじめ」とし、その人には成長の可能があることを示唆します。キリストは「従って来なさい。……わたしがあなたをつくる」と語られます。しかも神を退けた知識や才能は、やがて崩れ去りますが、主を畏れる者の生涯は永遠に残るのです。何ができる人になりたいかではなく、どんな人でありたいかを自分自身に問いかけ、主に祈り求める人は幸いです。

■ヨエル2:28その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
★これが神様の約束です。あなたの上にも聖霊の祝福が注がれています。心を開き受け取りましょう。歓迎してお迎えするのです。こうしてあなたの内なる霊は強められ、あなたは夢を語る人となるのです。

■2テサロニケ1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。
★主にある者の苦しみは永遠ではありません。かならず終わりが来ます。しかも主からの酬いとしての安息の約束があるのです。更にあなたは気づいていらっしゃいますか。その苦しみの中で、ほら、あなたはそんなにもキリストに似る者とされているではありませんか。主にとってあなたは誇りの存在ですよ。決して決して忘れないで下さい。ヒデ

木曜日, 11月 18, 2010

20101118_ネヘミヤ05-06_ヨエル01_1テサロニケ05

■ネヘミヤ6:15こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。
★確かにネヘミヤはこの時、城壁再建のリーダーとして事を成し遂げました。しかしそこに至までの道のりは平坦ではありません。開封した手紙、すなわち内容が人々にも知れ渡り、あえてうわさが流れるように、とした上で「ネヘミヤよ。あなたとユダヤ人たちはペルシャ帝国の王に反逆するために城壁を築き、彼らの中で王になろうとしている。その動機がペルシャの王に伝わったらどうなることか。さあ相談しよう……」との反対者による強迫や、その他です。しかし彼は「主よ、今私を力づけて下さい。」と、主によって自ら奮い立ち、事を成し遂げました。絶対に応答しなければそこから先の進展は無いようにさえ見える誘惑。けれども聖書は「人を恐れると罠に陥る」と警告します。あなたの本来成し遂げるべきことはなんでしょう。ネヘミヤの生き様に学べますか。みこころに従う決断と行動の背後には、それを完成へと導かれる主がおられることを知りましょう。主は勇気をもって踏み出すあなたの一歩を決して辱められることはなさいません。

■ヨエル1:4かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。
★神様の裁きを類比的、詩的に預言するヨエル。神様は常に悔い改めと執り成しのチャンスを下さいます。時代の見張り人、祭司として神様はあなたを立てられました。

■1テサロニケ5:9神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
★この御言葉。アーメン!アーメン!アーメンです。だからこそ父なる神様は、私たちの罪を十字架に掛かられたキリストの上に置き、その上で仮借のない裁きと怒りを下されたのです。あなたに対する永遠の裁きは終わったのです。だからこそ、私たちは御手を広げて待って下さっている、父なる神様の御腕の中に飛び込むのです。この信仰こそがあなたを全ての恐れと絶望から救います。主の救いを感謝して受け取りましょう。ヒデ

水曜日, 11月 17, 2010

20101117_ネヘミヤ04_ホセア14_1テサロニケ03-04

■ネヘミヤ4:11一方、私たちの敵は言った。「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。」
★城壁再建を喜ばないサマリヤの総督サンバラテと反対者の言葉です。「彼らの内に入り込んで……」。万里の長城が破られたのも、内側で賄賂を受け取った兵士の為。また宣教地から帰ったある宣教師に「最も困難は」と聞いたときの答えは「自分自身」と。敵、すなわちサタンの攻撃とは目に見える部分のみならず、その破壊の大半の働きは、高慢、妬み、裁き合いによって一致を崩そうとするものです。神の民と一致できないほど、あなたは偉くなっても、強くなってもなりません。それらは祝福ではなく、見えないうちに忍び寄るサタンの策略そのものです。御霊による祈りと謙遜によってサタンの業を打ち砕きましょう。

■ホセア14:9知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。
★神様が預言者ホセアによって語らせた最後の言葉です。十字架によって「私は道であり、いのちであり、真理なのです。」と、「道そのもの」となって下さった主を踏んで、あなたは天国へ向かうのです。平らなる道の背後には主の命の犠牲がありました。

■1テサロニケ4:16主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
★キリストは初臨、すなわち2000年前、救い主として地に立たれました。しかし世の終わりには裁き主として、再び地の上に立たれると語ります。即ち再臨です。あなたが与えられた尊い信仰で否んではならないこととは、すなわちイエスが神御自身と言うことです。このお方が神御自身だからこそ、あなたはこのお方に錨を降ろし、どんな時代の荒波の中にあっても安息を保つのです。ヒデ

火曜日, 11月 16, 2010

20101116_ネヘミヤ03_ホセア13_1テサロニケ01-02

■ネヘミヤ3:5 その次に、テコア人たちが修理したが、そのすぐれた人たちは彼らの主人たちの工事に協力しなかった。
★バビロン捕囚から帰ることのできた民によるエルサレム城壁再建の話の継続です。この3章は全部で32節。その中に「次ぎに、そのあとに、誰々が修理した。」と28回繰り返されます。それはまさに、みんなの協力なくして城壁の再建のあり得ないことを教えています。そこで唯一協力しなかったのが上の「すぐれた人たち」でした。神殿再建の命は神様からのもの、彼らに与えられている特別の能力も神様からのもの。しかし彼らは「自分」を主張するためにその能力を用い、城壁再建の為には協力しなかったのです。主から特別の能力が与えられている人は、より一層の謙遜さと祈りをもって、他のものではなく神様にその才能を捧げることが求められます。御心の妨げとなってはなりません。

■ホセア13:14わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。
★「あわれみは……隠されている。」とは、「神様が心を変えることはない」との意味です。十字架による神様の愛を知った使徒パウロはこの事を「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」……「神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」と語ります。まさにあなたへの愛を神様は決して変えることはなさいません。

■1テサロニケ2:3私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。2:4 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
★人の前にではなく神様の前に生きましょう。主があなたを支えて下さいます。ヒデ

月曜日, 11月 15, 2010

20101115_ネヘミヤ01-02_ホセア12_コロサイ03-04

■ネヘミヤ2:20そこで、私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」
★人が神様の事業に取りかかろうとすると様々な反対をうけます。ここでは主に敵対する者たちが「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」と訴えます。そうサタンの霊は「お前はだめだ。お前になんか出来るはずがない。何をお前は思い上がっているのか。もし取り掛かっても失敗して恥をかくぞ。後から後悔するぞ。止めとけ」と、あなたの良き志しを萎縮させようとするのです。その時、ネヘミヤは上の言葉のように「天の神ご自身が成功させて下さるのだ」と語りました。信仰の宣言によってサタンの霊から解き放たれましょう。

■ホセア12:6あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。
★同じ事を主は預言者ミカを用いて「人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」とも語ります。為すべき事を為すのが人の分。主はその人を助けられます。

■コロサイ3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
★自分の事は棚の上にあげておいてと、主はその生き方を求められません。むしろ「主が私を赦して下さったように」と、あわれみの心で生きることを願われます。あなたが主につながっているかどうか、あなたは自分が見えているかどうか。主はそれを見られます。あなたは自分を怒りと高慢によって滅ぼしてはなりません。ヒデ

日曜日, 11月 14, 2010

20101114_エズラ10_ホセア11_コロサイ02

■エズラ10:4立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」
★バビロンから帰還し、神殿再建のために立ち上がったイスラエルの民と指導者エズラ。そして再建のために用いられた材料とは。エズラの仕えるリーダーシップと、民の立てられたリーダーを喜び従順する姿勢でした。一致には驚くばかりの力が現れます。御心に従って一致するか、神様への敵対をもって一致するか。天と地の違いです。あなたは主にある一致の為に心を砕こうとしていますか。ある人は「早く行きたいなら一人で行きなさい。しかし遠くまで行きたいなら一緒に行きなさい」と語ります。

■ホセア11:9わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者であるからだ。わたしは怒りをもっては来ない。
★売り言葉に買い言葉。叩かれたら叩き返す。しかも2倍にして、と。人間は妬みや憎しみをコントロール出来ない罪深さを否めません。しかしここで主なる神様は「私は人ではない」と語られます。ここに希望があるのです。神様はあなたの為に最も良いものを惜しみなく下さるお方。悔い改めをもって、偏見のフィルターを取り除きましょう。そして受け取るのです。キリストを通して与えられた父なる神様の愛と、無尽蔵の富と祝福を。

■コロサイ2:14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
★店で何かを注文すると、その品物と請求書がテーブルに置かれます。精算のためレジに行き精算を済ませると、その脇に置かれた千枚通しに請求書は刺し通されるのです。支払済みという意味です。同様にキリストは十字架の上で刺し通され、あなたの債務を支払って下さいました。もう恐れる必要はなく自由です。これが福音の本質です。ヒデ

土曜日, 11月 13, 2010

20101113_エズラ09_ホセア10_コロサイ01

■エズラ9:15イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」
★これは指導者エズラの嘆きで、主のあわれみによってバビロンの奴隷状態から、エルサレムに帰ってきた民が、忌み嫌うべき事を行う民と一つとなってはならない、と昔から語られているにも関わらず、現実荒廃の状況の中にある時のものです。彼は語るべき言葉を失い、我が事のように、ただ主の前に執り成します。主を信じた者の歩みとはいかなるものでしょう。それは破れ口に立って、単に人の罪を裁くのではなく、共同体の痛みを共に負いつつ、執り成す者であることを覚えましょう。

■ホセア10:12あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。
★「耕地」とは休耕田とも訳せる言葉。どうでしょう。外ではなく先ずあなた自身の内側で、諦めてしまっていること、投げ出したままになっていることはないでしょうか。主は「開拓せよ」と語られます。かつては自分の力でそれをしようとしたかも知れません。しかし主はここで「私と一緒にそれに当たるんだ」と改めて恵みの励ましを下さいます。主があなたの味方なら一体誰があなたに敵することが出来るでしょう。信じ立ち上がりましょう。

■コロサイ1:6この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
★福音とは理解され受け入れられたときにあなたの生涯を変える力があるとパウロは語ります。十字架による完全な罪の赦しと復活の希望。聖霊なる神様がこの真理を私たちの内に開いて下さいますように。ヒデ

金曜日, 11月 12, 2010

20101112_エズラ08_ホセア09_使徒28

■エズラ8:22私は道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを王に求めるのを恥じたからである。私たちは、かつて王に、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたからである。
★これは再建された神の宮で使う奉納物、金、銀の器を、バビロンからエルサレムに運ぶときの出来事です。当初エズラはアルタシャスタ王の部隊に保安の要請をと願いましたが、やがて自らのその姿勢を恥じ「私たちを守られるのは神様」との信仰を明確にしたのです。そして彼は断食をもって神様により頼もうとし、この事業に携わる者達にも要請します。結果、主はエズラの信仰に応えて無事に旅路を守られます。ここから人生の優先順位、真の信仰姿勢、頼むべきは誰かを教えらます。そして聖書は「彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」と記します。

■ホセア9:1イスラエルよ。国々の民のように喜び楽しむな。あなたは自分の神にそむいて姦淫をし、すべての麦打ち場で受ける姦淫の報酬を愛したからだ。
★これは預言者ホセアを通して、主がやむにやまれぬ思いと痛みの中で語られた御言葉です。イスラエルの国さえ滅びに至らせた偶像礼拝と姦淫。国を滅ぼすほどの罪は、これ以外ないと主は語られます。添えて与えられる人生の原点は、先ず神の国とその義を求めること以外にありません。

■使徒28:30こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、28:31大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
★これは使徒の働きの最後の御言葉で、カイザルの前に立つまでのパウロの姿です。これで「使徒の働き」を記す筆は置かれたのでしょうか。いいえ、ここから先の「使徒の働き」はあなたの人生に引き継がれました。ひとりではありません。共に働いて下さる聖霊様が一緒です。ヒデ

木曜日, 11月 11, 2010

20101111_エズラ07_ホセア08_使徒27

■エズラ7:6エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。
★バビロン捕囚の苦しみを経験したエズラを主は神殿再建のために大きく用いられます。更に聖書は「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。」と語ります。耐えられない苦しみの中にある方がいらっしゃいますか。神様は今あなたを慰めの器として大きく成長させて下さっています。聖書はハッキリと「ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださる」と約束します。苦しみは神様のみ前に、決して決して無意味ではありません。

■ホセア8:14イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす。
★主は私たちの造り主。私たちは糸の切れた風船ではありません。主に握られた凧です。そして主はその握っている糸を決して放すことはなさいません。その主によってあなたは高く舞うのです。

■使徒27:24こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
★「必ず……の前に立つ」キリストによって贖われたあなたもやがて必ず神様の前に立ちます。しかし恐れることはありません。主があなたを弁護し守って下さいます。既にあなたの将来の祝福は決定されています。さあ胸を張りましょう。キリストを誇りましょう。今日も感謝の一日を過ごしましょう。ヒデ

水曜日, 11月 10, 2010

20101110_エズラ05-06_ホセア07_使徒25-26

■エズラ5:11 すると、彼らは次のように私たちに返事をよこして言いました。『私たちは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建てられていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。
★ペルシャの王ダリヨスに報告するためにパレスチナ一帯を管理する書記官タテル・ボズナイは「誰の命によって神殿を再建するのか」と尋ねます。その時の民の答えが上の御言葉です。「イスラエルの大王の命」。即ち主なる神様の命によって。その後ダリヨス王はペルシャの記録を調べさせますが、「神殿を再建させ、ユダヤ人に王家の祝福のために祈るようにさせよ。」との文書を見つけ、継続を命じ遂に神殿は完成したのです。確認しましょう。私たちは「誰の命によって」と問われるとき「主の命によって」と語ることが許されている者です。そしてそれがまさに「主の命」によるものならば、必ず主が責任を持って成し遂げて下さるのです。あなたは何でも自分で責任を取らなければ……と抱え込む人生を歩んでいませんか。主は「あなたがたを休ませてあげよう」と語られます。

■ホセア7:14彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。彼らは、穀物と新しいぶどう酒のためには集まって来るが、わたしからは離れ去る。
★求めるべき、近づくべきは主のみもと。そこにこそ慰めと平安、何より解決があるのです。主もまたそれを願われます。今日も変わらずあなたは、主にとっての喜びの対象です。

■使徒26:18それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』26:19こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、……宣べ伝えて来たのです。
★人生でいつ証詞の機会が訪れるか分かりません。用意は出来ていますか。いえ人生そのものが証詞です。パウロはそれを心に刻み歩みました。あなたは今日どの様な状況におかれるでしょう。主はそこであなたを助けられます。ヒデ

火曜日, 11月 09, 2010

20101109_エズラ03-04_ホセア06_使徒23-24

■エズラ3:11そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。
★神殿再建を志し遂に主の宮の礎が据えられました。ソロモンが建てた最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、余りの感慨に大声を上げて泣き、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げました。いずれにしても主への讃美と共に歩む民は決して滅びることはありません。しかし時には妬みの嫌がらせや、試練も経験します。この後、近隣の国々は妬み、神殿再建を命じたクロスからアルタシャスタ王に変わったとき「ユダヤの民は神殿建設が進み城壁が完成した時には王に謀反を起こそうと計画しているのです。どうぞ再建中止の命令を出して下さい」と、その結果、計画が中断させられる時も。しかし主への讃美と共に歩むとき全ての事は必ず成就します。それはあなたの人生においても例外ではありません。

■ホセア6:11ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。
★6章の最初は「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。」との呼びかけから始まります。なぜでしょう。その根拠が11節の繁栄を元どおりにするための刈り入れです。人は蒔いた物を必ず刈りとる事に、命に蒔けば祝福を、悪に蒔けば滅びを刈りとることになるのです。だから滅びの刈り取りの前に十字架を立て守って頂くのです。主に立ち帰りましょう。そここそが真のあなたの隠れ家です。

■使徒24:15また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。24:16そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
★これがパウロの生き方。人生は短いです。今日も主にある最善の中を主と共に歩みましょう。祝福をお祈りします。ヒデ

月曜日, 11月 08, 2010

20101108_エズラ01_ホセア05_使徒21-22

■エズラ1:3あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
★これは主がその霊を奮い立たせられたペルシャの王クロスのことばです。エズラ記は南ユダ王国が神様に背いた結果、神様の裁きを受け、バビロンに捕囚となった記事をもって終わる歴代誌に続き、引かれて行った捕囚の民が、パレスチナに帰還する所から始まります。そのために異国ペルシャの王クロスさえも用いられたのです。今日から始まるエズラ記で受け取るメッセージとは何でしょう。神様は、ご自身神の宮を建て上げることを必ず成し遂げられる、神様は神の宮に仕える一人びとり、たとえどこに於いてもその名を覚えておられると言うことです。そして新約の現代、神の宮の原点とは他でもないあなたです。神様は、必ずあなたを神様の御計画に基づいて完成させて下さいます。

■ホセア5:11エフライムはしいたげられ、さばかれて打ち砕かれる。彼はあえてむなしいものを慕って行ったからだ。
★なぜ人は「あえてむなしいものを慕って」本来為すべき大切なことを、時に失うことがあるのでしょう。立ち止まりましょう。心を開き、神様み声を注意深く聞きましょう。そうして、人生を虚しくする滅びから立ち帰るのです。

■使徒22:16さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
★あなたはこの「さあ……」の励ましに従ってバプテスマに預かりましたか。まだの方がいらっしゃったなら是非バプテスマに与ることをお勧めします。主はバプテスマを通してあなたの罪を赦し、洗い流して下さいます。パウロもこれを受けました。その時、あなたは今まで経験したことのない、あなたの一番深い霊の部分から喜びと平安が込み上げて来るのを体験なさる事でしょう。祝福をお祈りします。ヒデ

日曜日, 11月 07, 2010

20101107_2歴代36_ホセア04_使徒20

■2歴代36:13彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。
★ゼデキヤ王と祭司長、そればかりか当時のユダの民衆について、聖書を「はうなじのこわい者と」と記します。ゆうずうの聞かない、遜ることの出来ない頑なな民だと言うのです。まさにその生き方の結末が囚われの身。バビロン捕囚と言えるでしょう。しかし神様は「わたしは何人の死をも喜ばない。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」と語られます。あの放蕩息子が帰ってきたとき走り寄って接吻した父の姿を心に刻みましょう。

■ホセア4:6わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。
★「わたしもまた、あなたの子らを忘れよう」と、神様に忘れられたら大変です。この語りかけ自体、神様の愛と恵みの警告です。どんなときにも立ち帰って生きることができるように、それが神様のあなたに対するはらわたです。神様がどうしてあなたを退けて平気でいることができるでしょう。神様によって与えられた心は閉ざすためではなく、常に神様に向かって開き、祝福と命を受け取るためであることを覚えましょう。

■使徒20:35このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
★「受けるより与えるほうが……」と、この有名なみことばはパウロが他の弟子より伝え聞き、今や自らが実感し語る言葉です。当然自らに何も分かち合うものがないために、受けることに心が向かうより、与える事に心が向かう方が幸いです。与える為には富まなければ不可能です。まず今日も主によって心満たされ遣わされましょう。ヒデ

土曜日, 11月 06, 2010

20101106_2歴代35_ホセア03_使徒18-19

■2歴代35:22しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって、彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために行った。
★この章は、バアルの祭壇とその預言者をことごとく討ち滅ぼし、宗教改革をみごと成し遂げたヨシア王の前章に続く記録です。彼は神殿を修復し、かつてなかった規模の全焼のいけにえを民と共に捧げ、神様を誉め讃えます。そしてその生涯の最後は、民に愛され、先祖たちの墓に葬られます。けれどもエジプトの王が、アッシリヤ帝国がバビロンとメディヤの連合区によって瀕死の状況となったのをよいことに、攻めようとする時、彼は関係のない立場であるにも関わらず、でしゃばり変装し戦地に出かけます。その結果、射手たちが何気なく放った弓によって命を落とす羽目になるのです。成功や物事の達成は確かに祝福ですが、合わせて最も大きな誘惑に巻き込まれる可能性も否めません。「はいをはい、いいえをいいえ、としなさい。」と語られ「それ以上に出ることは、悪から来るのである」と主が正して下さったのはそのためです。

■ホセア3:5その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。
★これこそが主が約束の民イスラエルとあなたに抱いておられる視点です。また別の箇所で主は「しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである」とも語られます。先走りして自らさばかないようにすることは大切です。既に主はあなたを赦しておられます。それを信じて受け入れるのが福音です。

■使徒18:11そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
★あなたは1年半を長いと思いますか。それとも短くて、それじゃあ何も出来ない期間と考えますか。パウロは1年半を腰を据えて事を為す期間と捉え、出来ることを為したのです。あなたはどのように受け取られるでしょう。主があなたの信じたとおりになして下さいますように。目標やビジョンを抱きつつも、思い煩うことなく、今日一日生きることを主がゆるし給うその時まで誠実に続けさせて頂きましょう。ヒデ

金曜日, 11月 05, 2010

20101105_2歴代34_ホセア02_使徒16-17

■2歴代34:14彼らが、主の宮に携え入れられた金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤは、モーセを通して示された主の律法の書を発見した。
★バアルの祭壇とその預言者をことごとく討ち滅ぼし、宗教改革を断行したヨシュア王。彼は合わせて神殿の修理を命じますが、何と言うことでしょう。その時モーセーの律法、申命記が発見されるのです。神の言葉を聞いたヨシュア王は、衣を裂きその光に従い悔い改め、民に対しても悔い改めを促します。しかしそれまで律法の書、申命記はどの様に扱われていたのでしょう。まさに神様の言葉を軽んじ、選びの民イスラエルでありながら滅びに向かう姿の原因がここに。
悔い改めるヨシュア王に主は「あなたが、この場所とその住民についての神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。」と励ましを与えます。ならば、日毎に神のことばを重んじるあなたに対して主はどうでしょう。もちろん主はあなたを喜び楽しんでおられます。感謝して主との交わりに生き続けましょう。

■ホセア2:15わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。
★「アコル」とは災い。主は恵みによって今ある災いのその場所を、希望の門に変えるとホセアを通して約束されます。あなたのアコルは何でしょう。主の前に持ち出しましょう。それも主は希望の門として下さいます。

■使徒16:5こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。
★ここには初代教会の姿が鮮やかです。「日毎に人数が……」。そこには普段の日のキリスト者の活動と、そのフィールドが生活の場であることを示唆します。どこで主を仰ぎ、主はあなたを助けて下さるのでしょう。そう、遣わされたその場所です。パウロはこの後「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」と語ります。ヒデ

木曜日, 11月 04, 2010

20101104_2歴代33_ホセア01_使徒14-15

■2歴代33:11そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。
★主はなぜ南ユダの王マナセを青銅の足かせにつないでバビロンに連行されたのでしょう。その原因は、マナセがベン・ヒノムの谷で、自分の子どもたちに火の中をくぐらせ、卜占、まじない、呪術、霊媒や口寄せをまでして、悪を行い、主の怒りを引き起こした為です。更にもう一つの理由は、彼が真の神様を知るようになるためです。御言葉は「悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った」とあります。試練が全てこの理由ではありません。しかし主は試練の中で御自身を見上げる者のために、必ず脱出の道を備えて下さるお方です。

■ホセア1:10イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。
★危機の時代に立てられた預言者ホセアのメッセージは、まさに主にある回復のメッセージです。主はあなたが絶望と感じているその場所で、あなたを希望に満たすことの出来るお方です。見上げましょう。

■使徒15:28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
★ここには神様である聖霊様が、いかに主を信じる者の人格を尊んで下さるお方であるかが鮮やかです。独断ではない私たちの同意を重んじて下さるのです。ロボットではない主に真心をささげることが出来るのです。強いられてではなく主体的に主と共に歩む今日一日とさせて頂きましょう。あなたの人生をこのお方以外に奪われ、奴隷とされてはなりません。内にある自由を主と共に守り抜きましょう。ヒデ

水曜日, 11月 03, 2010

20101103_2歴代32_ダニエル12_使徒13

■2歴代32:4そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をふさいで言った。「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」
★これはアッシリヤの王セナケリブが南ユダ王国に攻め入ろうとした時、ヒゼキヤ王が勇士たちを励まし、泉の口を塞いだ行為です。泉の水しか手にできない当時、攻め込もうとしたアッシリヤ軍はこのことによって苦しめられます。更に神様の助けを得たヒゼキヤ王と勇士達は結果、国を守り抜くことができました。聖書は「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」と、泉を誰が支配するかによって勝敗が決定することを警告します。あなたの心の思いと願いを主におささげし、主に守って頂きましょう。そうするあなたの生涯は常に主にある勝利で支えられるのです。

■ダニエル12:13あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」
★この言葉は主がダニエルに語られた最後の預言です。主は「ダニエルよ。最後まであなたの道を行け」と励まされました。そして同じ主はあなたに対し「最後までキリストにあるその生き方を全うしなさい。私が必ず約束の地に導く。あなたの名は既に命の書に書きしるした」と励まして下さるお方です。何があろうと大丈夫。勝利は既に主と主の内にあるあなたの側にあるのです。

■使徒13:2彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。
★昨日バルナバがサウロを励ました事を学びました。そしてこの章の最初と最後の相違は「バルナバとサウロ」が「サウロとバルナバ」となることです。主にある成熟とはまさにこのバルナバの姿です。あなたは人を育て励まし、その人が自分よりも用いられる事を喜べるように歩んでいますか。いつまでも残る宝は物ではなく、あなたが築く主にある関係です。上からの励ましを頂いて、今日も良き関係を築かせて頂きましょう。ヒデ

火曜日, 11月 02, 2010

20101102_2歴代31_ダニエル11_使徒11-12

■2歴代31:3また、主の律法にしるされているとおりに、朝夕の全焼のいけにえ、安息日、新月の祭り、例祭ごとにささげる全焼のいけにえのため、王の分は王の財産から出した。
★「王の分は王の財産から出した」と、南ユダ王国の宗教改革を断行したヒゼキヤの決断です。かつてダビデ王も「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼の生け贄をささげたくありません。」と語ります。何より私たちの主イエス様は、御自身の命を捧げて私たちの罪の贖いのみ業を完成して下さいました。真心の礼拝には犠牲が伴います。けれどもあなたが示す模範は決して虚しく地に落ちる事はありません。主は必ずあなたの生涯に祝福の刈り取りを下さるお方です。

■ダニエル11:40終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
★北の王とは反キリストで、南の王とは反キリストに対抗する者の預言です。聖書は世の終わりの戦い。ハルマゲドンを預言します。人の心もキリストにある真の平和に至るまでには戦いがあります。心の王座から自ら退きキリストを王として迎える時、私たちの生涯は秩序と祝福へと回復します。

■使徒11:25バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、11:26彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
★主の前に回心はしましたが、その存在を恐れられ敬遠されていたサウロ。にも関わらずバルナバはサウロを捜しにタルソまで出かけます。何の為ですか。彼の賜物、彼の能力を認め、彼に居場所を与え、彼を生かすためでした。生涯最後まで残るのは麗しい主にある関係です。人を励ますこと、人を立て上げる事に目を向けましょう。それが人生を豊かにする秘訣です。聖書はバルナバについて「彼は立派な人で、聖霊と信仰に満ちている人であった」と語ります。ヒデ

月曜日, 11月 01, 2010

20101101_2歴代30_ダニエル10_使徒10

■2歴代30:9あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたの兄弟や子たちは、彼らをとりこにした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう。あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」
★上の御言葉は29章に続いて、ユダ王国の宗教改革に取り組むヒゼキヤ王の言葉です。その人の神様理解とその確信は、個人に留まることなく家族、友人、学校、職場、社会にとその影響は広がります。その上でヒゼキヤの神様理解は「神様は立ち帰る人に憐れみ深いお方です」でした。積極的、肯定的に神様の赦しと恵みを受け取りましょう。その信仰はあなたのみならず、必ずあなたの愛する人を救い、祝福することになるのです。

■ダニエル10:19言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」
★主はダニエルに「神に愛されている人よ」と語られます。それは同様に主があなたに語られる言葉です。「神に愛される人よ」。この語りかけを、日毎に心の底から感謝して受け取りましょう。あなたの生涯は変わります。

■使徒10:34そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、10:35どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。
★異邦人への福音宣教に疑問を持つペテロ。そんなペテロのために、主は敬虔に主を信じるイタリヤ隊の百卒長コルネリオを遣わして下さいます。主は愛する者の偏見、間違いを少しずつ明らかにし、正しい道に導いて下さるお方です。あなたはまだ気づいていないどんな慣習や間違った文化に囚われているでしょう。主が更なる解放と自由の中にあなたを導いて下さいますように。ヒデ