木曜日, 12月 31, 2009

20091231_ヨブ41-42_マラキ03-04_黙示録21-22

■ヨブ42:10ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された。
★苦難の中、3人の友の自己満足の説得によってどれほどヨブの心は傷付いたことか。しかし主は彼らに「私の怒りはおまえたちに向かって燃える。それは、おまえたちがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。今、おまえたちは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、お前達のために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはお前達のために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」と語られます。即ち主は必ずつじつまを合わせられるお方です。あなたがもし、いわれのないさげすみの中に置かれたとしても、悪に対し悪をもって酬いてはなりません。神様は「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」と、あなたの義を輝かせ、悪に酬いて下さるお方なのですから。

■マラキ4:5見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。4:6彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
★父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる、聖書の関係回復の奥義に精通したエリヤとは誰でしょう。あなたです。父の心をもった癒しの器としてあなたを立て上げようとする父の心を知って下さい。人の痛みを理解できる苦しみを主がもしあなたにゆるされたことがあるなら、それはこの事の為ではないですか。共に立ち上がりましょう。マラキは「その人の上には義の太陽が上り、その翼には、いやしがある」と語ります。ヒデ

水曜日, 12月 30, 2009

20091230_ヨブ40_マラキ02_黙示録19-20

■ヨブ40:3ヨブは主に答えて言った。40:4ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです。40:5一度、私は語りましたが、もう口答えしません。二度と、私はくり返しません。
★これは全能者なる神様の臨在に触れ、その苦悩から放たれたヨブの神様への応答です。詩篇の記者もまた「万軍の神よ、われらをもとに返し、われらの救われるため、み顔の光を照してください。主とそのみ力とを求めよ、つねにそのみ顔を尋ねよ。」と、その苦悩からの脱出法を語ります。苦しければ苦しいほどに、何を求めることが幸いでしょう。それはまさに神様の御顔でしょう。父なる神様は裁きのためではなく、救いのためにあなたにみ顔を現して下さるお方。主の御名を崇め、主のみ顔を求め続けましょう。主の臨在があなたの救いです。

■マラキ2:10私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか。ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り合い、私たちの先祖の契約を汚すのか。
★愛し合う関係ではなく、傷付け合う関係に人が流れることに、どれほど父なる神様は心を痛められることでしょう。あなたのこの一年は関係の修復のために心砕いた一年でしたか。それともそうしたことに無関心で、我が道を歩まれましたか。最後に残るのは関係しかないことを知る人は幸いです。

■黙示録20:2彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、20:3底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
★ここには神様が地獄を造られた目的が明確です。人を誘惑し、人を滅ぼそうとするサタンをしばる為です。あなたは決して地獄にいってはなりません。キリストを仰ぎましょう。それが天国への道を歩む唯一の方法です。ヒデ

火曜日, 12月 29, 2009

20091229_ヨブ39_マラキ01_黙示録17-18

■ヨブ39:14だちょうは卵を土に置き去りにし、これを砂で暖めさせ、39:15足がそれをつぶすことも、野の獣がこれを踏みつけることも忘れている。39:16だちょうは自分の子を自分のものでないかのように荒く扱い、その産みの苦しみがむだになることも気にしない。39:17神がこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ。
★更に主はこの章でヨブに語りかけます。「あなたは岩間の野やぎが子を産む時を知っているか。あなたはこれらがはらんでいる月を数えることができるか。だれが野ろばを解き放ったのか。その力が強いからといって、あなたは野牛により頼むだろうか。また、あなたの働きをこれに任せるだろうか。」更に主は、「馬は、鷹は」と問いかけられます。こうしてヨブは知っていることはわずかで、むしろ知らないことの方が多いことを自覚させられます。その中で生かされているヨブ。神様への畏れの思いが深めらる中、さてヨブはこのお方に何と答えるのでしょう。神様のヨブへの語りかけがなお続きます。

■マラキ1:2「わたしはあなたがたを愛している」と主は仰せられる。あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。
★旧約最後の預言マラキの警告です。「終わりの時代は神様への恩が軽んじられ、愛が冷える」と。父なる神様のあなたへの愛とは当たり前の愛ではなく、特別な愛です。あなたの目は既にこのことに開かれていますか。

■黙示録18:10彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』
★災い、滅びは一瞬です。そしてそれを来たらす最も恐るべきは高慢です。高ぶる者を退け、遜る者に恵みを備えたもう神様は、昔も今も変わることはありません。今日も感謝を持って一年を閉じる為に用いましょう。ヒデ

月曜日, 12月 28, 2009

20091228_ヨブ38_ゼカリヤ13-14_黙示録15-16

■ヨブ38:1主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。38:2知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。38:3さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
★遂にヨブへの主の顕現です。「私が地の基をすえた時あなたはどこにいたか。海の源を定めた時、その淵の底を歩いたことがあるか。雪の倉に入ったことがあるか。あなたはプレアデスの鎖を結び、オリオンの綱を解き、北斗とその子星を導くことができるか。」この主からのヨブへの語りかけによって、どれほどヨブは慰められたことでしょう。そう、神様は人ではなく全能者。それをヨブはこの時体感し、全能者と人の違いを受け入れ、神様の語りかけによって満足したのです。十字架上の苦しみでキリストが最も苦しまれた苦しみとは何だったでしょう。それは「我が神、我が神どうして私をお見捨てになったのですか」と、神からの反応がないことでした。あなたはこれほどの苦しみを味わわれたことがあるでしょうか。そう思うと、神様からの叱責、警告、注意も、考えてみればみな神様が私に語って下さる恵み、それは神様のあなたへの愛なのです。さてヨブはこの全能者との出会いを通してこれから、いかに変えられて行くのでしょうか。

■ゼカリヤ13:1その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。13:2その日、─万軍の主の御告げ─わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。
★「その日」を主は、あなたのためにも備えて下さいました。既に開かれた泉を受け取ったでしょうか。これからでしょうか。いずれにしても感謝です。主はあなたを顧みておられます。そして神様の約束はあなたの生涯に必ず成就するのです。神様は既にあなたを祝福しておられます。ヒデ

日曜日, 12月 27, 2009

20091227_ヨブ37_ゼカリヤ12_黙示録14

■ヨブ37:14これに耳を傾けよ。ヨブ。神の奇しいみわざを、じっと考えよ。
★主は伝道者の書の中で「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ」と私たちに語らせられますが、ここでもエリフはヨブの心を神様に向かせようと、背後で執り成し、励まします。そうして次の章でヨブは神様の語られる御声を聞き分けることができたのです。人の心を神様へと向かわせたエリフ。その背後には彼自身、神様に心を向けていた人であったことを忘れてはなりません。

■ゼカリヤ12:8その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。
★あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、私たちをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身は、あなたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるお方です。

■黙示録14:13また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」
★主に、価値ある貢献をもって仕えさせて頂けるのは地上の生涯を生かして頂いている今。私たちです。聖書はやがて「夜が来る。すると誰も働けなくなる」と語ります。ですから、主の弟子パウロは「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」と語りました。2009年最後の週となりました。恵みの感謝と新たな年いかに主に仕えるべきか待ち望みと、決断の週となりますように。ヒデ

土曜日, 12月 26, 2009

20091226_ヨブ35-36_ゼカリヤ11_黙示録12-13

■ヨブ36:20国々の民が取り去られる夜をあえぎ求めてはならない。36:21悪に向かわないように注意せよ。あなたは悩みよりも、これを選んだのだから。
★エリフのヨブへのことばの底流には思いやりが流れています。エリフは語りかけます。「自分から進んで神様のさばきを招くようなことは避けるように。」また神様に挑戦し、神様を厳しく責めることのないようにと。エリフのことばは、ヨブが自らを語ることばの受容と励ましからのスタートです。キリストは「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう」と語ります。

■ゼカリヤ11:4私の神、主は、こう仰せられる。「ほふるための羊の群れを養え。11:5これを買った者が、これをほふっても、罪にならない。これを売る者は、『主はほむべきかな。私も富みますように』と言っている。その牧者たちは、これを惜しまない。
★イスラエルの偽りの指導者への叱責です。転じて教会のリーダー、牧師への警告です。牧師が高慢に陥り罪を犯すことがないように背後のお祈りを、よろしくお願いします。神の僕の立てられた目的は、羊をコントロールし、羊によって私腹を肥やすことではなく、その人に萎えた部分があるならば、その癒しと回復のために、共に主のみもとに近づき、その人が、その人として遣わされた所で輝くことを助ける働きです。あなたは誰にも利用されてはならない、神様の誇りの作品、またこの世で光り輝く教会です。

■黙示録12:11兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
★主があなたに為して下さった証しとは力あるもの。それによって悪魔があなたに巻き付けようとする絶望の鎖を打ち砕くことができるのです。さあテストです。「私は弱い、しかし主は強い方。」を例文とするなら、あなたは「私は○○、しかし主は□□」の○と□にどんな言葉を入れますか。さあ悪魔の鎖を打ち砕きましょう。ヒデ

金曜日, 12月 25, 2009

20091225_ヨブ34_ゼカリヤ10_黙示録10-11

■ヨブ34:33あなたが反対するからといって、神はあなたの願うとおりに報復なさるだろうか。私ではなく、あなたが選ぶがよい。あなたの知っていることを言うがよい。
★前章に続いてエリフのヨブへの語りかけです。この章でもエリフは独断的な決めつけを回避し、ヨブの主体的判断と思いを述べることを求めています。それに対して3人の友のかつての言葉は「見よ。神は潔白な人を退けない。悪を行う者の手を取らない。ついには、神は笑いをあなたの口に満たし、喜びの叫びをあなたのくちびるに満たす。あなたを憎む者は恥を見、悪者どもの天幕は、なくなってしまう」でした。断定的な決め付けがいかに愚かかを心に覚えましょう。聖書は語ります。「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである」と。

■ゼカリヤ10:6わたしはユダの家を強め、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが、彼らの神、主であり、彼らに答えるからだ。
★主はユダの家(南ユダ王国)ヨセフの家(北イスラエル王国)共に回復すると約束されます。もちろんあなたも私もその中に含まれます。

■黙示録11:1それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。11:2聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。
★礼拝者として測れ(数えよ)とはあなたが神様に保護されている保証です。同時に神様は測ってはならないと、なお救われる人が加えられることを望まれるお方です。やがて働けない夜が来ます。このお方の心を受けとめ、今日も主に遣わされた教会として生きましょう。ヒデ

木曜日, 12月 24, 2009

20091224_ヨブ33_ゼカリヤ09_黙示録07-09

■ヨブ33:8確かにあなたは、この耳に言った。私はあなたの話す声を聞いた。33:9「私はきよく、そむきの罪を犯さなかった。私は純潔で、よこしまなことがない。33:10それなのに、神は私を攻める口実を見つけ、私を敵のようにみなされる。33:11神は私の足にかせをはめ、私の歩みをことごとく見張る。」
★エリフはここで、これまで3人の友人に向かって語って来たヨブの言葉を要約します。そしてそれは、ヨブ自身も納得するものでした。人は以外と人の話を聞いているようで、本当は聞いておらず、次ぎに返す言葉を考えたり、いかに相手をねじ伏せようかと、使える言葉じりを探す時間に使ったりで、本当のところ聞いていないのです。しかし、聞くとはあなたがどう思うかの前に、その人がどう考え、どう感じているかを受けとめることです。不思議です。そうする時に、あなたが相手に語らなくとも、神様ご自身がその人に語って下さるのです。エリフの姿勢に倣いましょう。彼はヨブと同じ所に身を置き(6)決して自ら神になろうとはしませんでした。

■ゼカリヤ9:9シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
★キリストが人となって来られる550年前、既に神様は預言者ゼカリヤを通して、キリストの十字架前のエルサレム入場を預言なさいます。そしてその通りの事として成就したのです。そのお方があなたの将来に計画を抱き、しかもその計画は災いではなく、あなたに将来を与え、平安と希望を与える計画です。安んじましょう。

■黙示録7:16彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
★あなたの目の涙をぬぐって下さる方に目を向け、さあ一日を始めましょう。主は今日もあなたを祝福されます。ヒデ

水曜日, 12月 23, 2009

20091223_ヨブ31-32_ゼカリヤ08_黙示録05-06

■ヨブ32:13だが、おそらくあなたがたは言おう。「私たちは知恵を見いだした。人ではなく、神が彼を吹き払った」と。32:14彼はまだ私に向かってことばを並べたててはいない。私はあなたがたのような言い方では彼に答えまい。
★4人目の人物、エリフの登場です。彼はここでヨブの友人とは異なる視点から論じるつもりを前置きし、「神様以外にヨブを納得させ得る者はいない」との意味の「神が彼を吹き払った」の言葉を語り、ヨブの心を神様ご自身に向けさせます。確かにそれは今までの経験から得られるところの常識的な知恵と説得とは異なるもので、その人自身が神様からの語りかけに集中できるよう助けるものでした。
本当のカウンセリング、励ましとは何でしょう。聖書はここで真理を明確にします。それはその人自身が神様の語りかけを聞けるように助けることで、決して自ら神に変わって説得したり、分析することではありません。痛んだ人に仕えるためには、主はこう仰います。「その子をわたしの所に連れてきなさい」と。

■ゼカリヤ8:23万軍の主はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う。」
★「私たち(異邦人)もあなたがた(選民イスラエル)と一緒に行きたい」と、旧約の祝福がここで明確です。では新約の恵みとは何でしょう。それは「全世界に出て行って(クリスチャン)」で、あなたこそが神殿であることを神様は明確に示します。出て行って新たな関係を築き、またすでにある関係を深めるために、あなたの中でそれを躊躇させるものがありますか。もしあれば、あなたにも主の癒しが必要です。主はそこに命を注ぎ、あなたが関係を楽しめる者となるために来て下さいました。主の愛がまだ届いていないあなたの心の深い部分に、このクリスマス、主の愛が豊かに豊かに届けられますように。ヒデ

火曜日, 12月 22, 2009

20091222_ヨブ29-30_ゼカリヤ06-07_黙示録03-04

■ヨブ30:8彼らはしれ者の子たち、つまらぬ者の子たち、国からむちでたたき出された者たちだ。30:9それなのに、今や、私は彼らのあざけりの歌となり、その笑いぐさとなっている。
★かつて滅びるばかりであった所をヨブがあわれみを掛け、使用人とした人たちでさえ今やヨブに仕える気持ちを失います。その苦悩を上のことばでヨブは表現します。主にある者は義理と人情に生きる必要は毛頭ないでしょう。しかし恵みに対する感謝を捨てることは信仰を捨てることを意味し、不信者以上に悪いと語ります。試みの中にある人にあなたはどんな形で励ましを与えることができるでしょう。全ての人にではないでしょう。しかし、確かにあなたは、ある人に対しては、その人の将来さえ変わるほどの鍵を握っているキーパーソンに違いありません。あなたの存在が励ましと慰めのために用いられますように。

■ゼカリヤ6:12 彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。6:13彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。』
★やがて成就するイエス・キリストの預言です。若枝とはキリスト。では神殿とは……?それはあなたです。そう、主はあなたとあなたの生涯を再建して下さるのです。欠けを補う方法ではなく、あなたの従順を用いて新たに造りかえる方法です。そしてその神殿は永遠に続きます。

■黙示録4:10二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
★これこそが、まさにあなたがやがて神様の前に出たときの光景であることを願います。ゆえに主は「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい」と語られます。それを保つ秘訣は純粋な信仰ときよい愛です。ヒデ

月曜日, 12月 21, 2009

20091221_ヨブ28_ゼカリヤ04-05_黙示録01-02

■ヨブ28:20では、知恵はどこから来るのか。悟りのある所はどこか。
★地上には確かに価値あるものは数多くあるでしょう。しかしヨブは上の問に答えるならば、それは神様が人に仰せられたではありませんか「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである」と、語ります。このことを箴言では「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」と更に強調します。何かを拾うため、下に目を向ける生き方もあるでしょう。しかし天を仰ぎましょう。本当にあなたを生かす良きものは主か来るのです。

■ゼカリヤ4:6すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。
★ゼルバベルとは、ペルシャのクロス王の勅令によってバビロンからエルサレムへ帰還する4万2千の民のリーダーとして立てられ人物です。厳しい状況の中にあるリーダーに対する神様の語りかけは明確です。「わたしの霊によって」。題目ではなく求めるべきは神様です。このお方によってこそ人は強められ立ち上がれるのです。

■黙示録1:7見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
★あなたはキリストが再び来くると言う教えをご存知ですか。これは主ご自身が、天に帰られる前、ご自身、「用意が出来たならば私はまた来る」と語られた言葉に由来し、その信ぴょう性は確実です。だからこそ聖書は「神に会う備えをせよ」と語ります。黙示録を通してそうしましょう。再び来られる主への希望があなたの心に大きく大きく広がりますように。ヒデ

日曜日, 12月 20, 2009

20091220_ヨブ25-27_ゼカリヤ02-03_ユダ01

■ヨブ26:7神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。
★コペルニクス的発想の転換とも言われますが彼が地動説を唱えたのは1490年代のこと。何とその3000年近く前にヨブはすでにこの事を、神様から啓示として示され、語っていたとは驚きです。この所から改めて神様は全能者であられ、ご自身に望みを置く者の生涯に、不思議と真理の啓示をもってご自身助け出して下さるお方であること示されます。ヨブのように、このお方にこそ拠り頼みましょう。神様は私たちの隠れ場、いと近き、そこにある助けです。

■ゼカリヤ2:1私が目を上げて見ると、なんと、ひとりの人がいて、その手に一本の測り綱があった。2:2私がその人に、「あなたはどこへ行かれるのですか」と尋ねると、彼は答えた。「エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るために。」
★旧約時代の王ベルシャザル王は測り縄で神様から測られ、足りないと宣告された人物の一人です。果たして測られても、なんのほころびもなく、神様の前に立つことのでき人があるのでしょうか。ひとりもありません。だからこそゼカリヤは、さあ共に主を仰ごうと私たちに語るのです。仰いで主の恵みを受け取りましょう。

■ユダ1:24あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、
★神様はユダを用いてもやはり信仰の望みは自分にではなく神様にあることを語ります。
主の弟子ペテロも同じように「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と語りました。自ら握りしめる信仰ではなく、神様が握り続けて下さることを信じ感謝する信仰に生きましょう。ヒデ

土曜日, 12月 19, 2009

20091219_ヨブ23-24_ゼカリヤ01_2・3ヨハネ

■ヨブ23:10しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。
★口語訳聖書ではこの箇所を「しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、わたしは金のように出て来るであろう」と訳します。それはまさにパウロの「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(1コリント10:13)の告白に通じます。そうです。キリストにある者はどんな八方塞がりに見える場合でも天への道は塞がれることはありません。そして、キリスト者とは自分がまだどんな者かをも知らない幼稚なものではなく、自らを知りつつも、燻し銀のように錬られきよめられた存在と言うのです。主の御手におちいりましょう。そこが最もあなたにとって安全です。

■ゼカリヤ1:3あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。-万軍の主の御告げ-そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。
★描かれたモナリザの微笑みが日毎に変わるわけではありません。それを見る自分の気分が変わるので、変わるように見えるのです。神様の愛も同様で、決してあなたを見放すことも、見捨てることもなさいません。ただ私たちの心がコロコロと変わるのです。だからこそ、変わらない主の愛と真実に支えられる必要があるのです。主を求めましょう。主は最初から変わることなくあなたに近くいて下さいます。

■3ヨハネ2愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
★使徒ヨハネのくちびるを通して語られた主のあなたへの語りかけです。いいですねーっ。あなたは主に愛されています。ヒデ

金曜日, 12月 18, 2009

20091218_ヨブ22_ハガイ01_1ヨハネ05

■ヨブ22:21さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。22:22 神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。22:23あなたがもし全能者に立ち返るなら、あなたは再び立ち直る。あなたは自分の天幕から不正を遠ざけ、22:24宝をちりの上に置き、オフィルの金を川の小石の間に置け。22:25そうすれば全能者はあなたの黄金となり、尊い銀があなたのものとなる。
★3巡目のヨブを訴えるエリファズの言葉にもう嫌気がさします。言っていることは最もでしょう。しかしエリファズよ、お前の言う言葉と、神様が義人と仰るヨブと何の関係があるのかと言いたくなります。人間とは一旦思いこんだらどこまで自分を自己肯定し、相手をねじ伏せたら気が済むのでしょうか。ヨブが「エリファズ様。私が悪うございました。」とでも言って頭を下げれば、それで満足なのでしょうか。しかしこれが現実の人間の姿です。

■ハガイ1:14主は、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの心と、民のすべての残りの者の心とを奮い立たせたので、彼らは彼らの神、万軍の主の宮に行って、仕事に取りかかった。
★彼らが取りかかった仕事とは何でしょう。神殿建設です。キリストは神の宮であるあなた自身を神の宮として建て上げようとしておられます。あなたはそれを喜び、歓迎し協力していらっしゃいますか。あなたの人生の主権者として主を認め、主の語りかけに喜びをもって同意し、従いましょう。そこから奇蹟の生涯が始まります。

■1ヨハネ5:3神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
★どんなに小さく力なく親を助けることのできない子供でも、父を喜ばすことができます。それは父の言いつけを守ることです。しなければ受ける罰のためではありません。愛のゆえにそうするのです。それが神様の愛を知った者の歩みです。あなたはもう奴隷生活から解放されましたか。ヒデ

木曜日, 12月 17, 2009

20091217_ヨブ21_ゼパニヤ03_1ヨハネ03-04

■ヨブ21:1ヨブは答えて言った。21:2あなたがたは、私の言い分をよく聞け。これをあなたがたの私への慰めとしてくれ。21:3まず、私が語るのを許してくれ。私が語って後、あなたはあざけってもよい。
★「天は彼の罪をあらわし、地は彼に逆らって立つ。彼の家の作物はさらわれ、御怒りの日に消えうせる。」と語るツォファルの蔑みの言葉を受けて、ヨブが上の言葉を返します。試みの中にある者の語る言葉に耳を傾けることなく、自分勝手に分析し、さもそれが最高の提案のように語る愛のない言葉にヨブはほとほと疲れます。あなたは愛する人の語る言葉に先ず耳を傾けていますか。人を生かし励ますために、自分勝手な分析は何の役にも立ちません。

■ゼパニヤ3:17あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
★この御言葉が実現したあなたは、主にあって何と素晴らしい存在でしょう。主はあなたによって喜び、楽しまれるのです。そしてあなたこそ神様の臨在を持ち運ぶ「教会」です。どうか、神様が喜びを持って置かれたその場所で、あなたが豊かに輝きますように。

■1ヨハネ3:20たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
★「神様は私たちの心よりも大きなお方。」あなたはこの真理を受け取っているでしょうか。それともこの恵みから離れ、自分の欠点や、汚れをみて自分に失望落胆し、自分を裁いてしまっていますか。だとするならば、それはサタンです。だまされてはなりません。主は最初にあなたに声をかけられたその時から、いえその前から、主はあなたの全てを知られ、その上であなたを赦しておられます。仰ぐのです。主の愛に飛び込むのです。そしてその主の愛の中であなたは生きるのです。ヒデ

水曜日, 12月 16, 2009

20091216_ヨブ20_ゼパニヤ02_1ヨハネ01-02

■ヨブ20:2それで、いらだつ思いが私に答えを促し、そのため、私は心あせる。20:3私の侮辱となる訓戒を聞いて、私の悟りの霊が私に答えさせる。
★「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」「このいわれのない苦難の中で、私に苦難をゆるされた神御自身は、あなた方が何と言おうと必ず救い出して下さる」とヨブが語ったとき、ナアマ人ツォファルが最初に語ったことばが上の言葉です。ツォファルにとってみれば売り言葉に買い言葉で、彼の内にある怒りの霊を留めることができず、ヨブに自らの感情と思いをぶちまけるのです。自分の方が絶対に正しいと、自らを神様の立場に置いた者のなせるわざです。売り言葉に買い言葉で人は罪のない人を傷付けます。だからこそ十字架が必要です。一度自分の思いを十字架につけ、言葉のとげを主の恵みによって抜いて頂いて語るのです。

■ゼパニヤ2:15これが、安らかに過ごし、心の中で、「私だけは特別だ」と言ったあのおごった町なのか。ああ、その町は荒れ果てて、獣の伏す所となる。そこを通り過ぎる者はみな、あざけって、手を振ろう。
★エチオピアに臨んだ主の裁きです。あなたは「私だけは特別だ」と「私も特別だ」の違いが分かりますか。その違いが主の裁きを身にもたらすのです。

■1ヨハネ2:28そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現れるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。
★ヨハネが語る重要なメッセージのひとつに「キリストにとどまる」があります。そう、あなたは生涯、キリストに留まり、通り過ぎて、キリストを卒業してはならないのです。サタンの誘惑はエバを誘惑したときと同様、まずあなたを神の言葉から引き離そうとさせ、次ぎに神の言葉を否ませるのです。だまされてはなりません。離れてはなりません。キリストにとどまる以外、あなたを恵みのいのちに保つ秘訣はないのですから。ヒデ

火曜日, 12月 15, 2009

20091215_ヨブ18-19_ゼパニヤ01_2ペテロ03

■ヨブ19:25私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。19:26私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
★2度目のビルダデの「彼には自分の民の中に親類縁者がなくなり、その住みかにはひとりの生存者もなくなる」の言葉を受けてヨブが語った、ヨブ記の中で最も重要な聖句の一つと言うことのできる御言葉です。元来は確かに「贖う者」は親族縁者でしょう。しかし、このいわれのない苦難の中で、私に苦難をゆるされた神御自身が必ず救い出して下さるのだと、まさに神様から預言的な言葉をヨブは授かるのです。そうです。あなたの人生とその苦難に責任を取って下さるのは人ではありません。神様ご自身です。そして、このお方はあなたを弁護して下さる為に地の上に立たれます。その成就の一つが御子の受肉、クリスマスです。ヨブのごとくこのお方に望みを置きましょう。

■ゼパニヤ1:18彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。そのねたみの火で、全土は焼き払われる。主は実に、地に住むすべての者をたちまち滅ぼし尽くす。
★神の選びの民「イスラエル」の回復を願う主の叱責です。人はいざと言うとき自らを救い得ない、命のないものになんと望みを置く者でしょう。激しい叱責の中に「目覚めよ。悟れ」との主の愛が込められていることを受け止めましょう。

■2ペテロ3:16その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
★聖書は自分自身を滅びに至らせる原因について、それはその人の心が定まっていないことだと指摘します。あなたは既に心を定めましたか。自分ではなく、まず神様を愛することをもって心を定めましょう。そこからあなたを生かす祝福は流れます。ヒデ

月曜日, 12月 14, 2009

20091214_ヨブ16-17_ハバクク03_2ペテロ01-02

■ヨブ16:19今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。16:20私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。16:21その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。
★エリファズの呵責のない2度目の叱責。しかしヨブの心は更に神様へと向けられます。そして9章では「神は私のように人間ではないから、私は『さあ、さばきの座にいっしょに行こう』と申し入れることはできない。私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない」と語っていたヨブが、ここでは神様とヨブとの間をとりなして下さる仲介者を語るのです。ここから伝えたいことは、神を仰ぎ続けようとする者に、神様は救い主に対する啓示を新たに更新し、続けて下さること。御言葉は試練と同時に脱出の道を備えて下さる主を明確に語っています。信頼し近づきましょう。

■ハバクク3:12あなたは、憤って、地を行き巡り、怒って、国々を踏みつけられます。3:13あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます。
★主は、ご自身、油注いだもの「神様の特別の選びの器として祝福を与えた者」のために戦って下さるお方。そしてあなたの頭には既に油が注がれています。

■2ペテロ1:18私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。
★変貌山でモーセとエリヤとイエス様が語り合う光景に遭遇したペテロ。「キリストの威光の目撃者なのです」と、キリストの再臨について語るペテロの確信はこの出来ごとにあります。頭の中での理解から更に体験の恵みへと引き上げられたペテロ。体験に勝る力はそう多くありません。御言葉への従順を通し、今日も一日神様を体験しましょう。ヒデ

日曜日, 12月 13, 2009

20091213_ヨブ15_ハバクク02_1ペテロ03-05

■ヨブ15:2知恵のある者はむなしい知識をもって答えるだろうか。東風によってその腹を満たすだろうか。15:3 彼は無益なことばを使って論じ、役に立たない論法で論じるだろうか。15:4 ところが、あなたは信仰を捨て、神に祈ることをやめている。15:5 それは、あなたの罪があなたの口に教え、あなたが悪賢い人の舌を選び取るからだ。15:6 あなたの口があなたを罪に定める。私ではない。あなたのくちびるがあなたに不利な証言をする。
★友人のヨブへの励まし?(説得・強迫)が一巡した後、再びエリファズのヨブへの励まし?(叱責)です。ヨブの慰めの為か、自分の義の正しさの証明の為か分かりません。聖書は初めの愛にもどること、留まることの尊さを教えます。

■ハバクク2:4見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
★私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者として召し出されました。信仰に立った決断を今週も心掛けましょう。

■1ペテロ5:6ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。5:7あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
★自分で今の地位を高く引き上げよう。将来について心配しよう、としないようにしましょう。なぜなら主がそのことをして下さるのですから。主があなたに求めておられる主への信頼の中を今週も歩ませて頂きましょう。ヒデ

土曜日, 12月 12, 2009

20091212_ヨブ14_ハバクク01_1ペテロ02

■ヨブ14:14人が死ぬと、生き返るでしょうか。私の苦役の日の限り、私の代わりの者が来るまで待ちましょう。14:15あなたが呼んでくだされば、私は答えます。あなたはご自分の手で造られたものを慕っておられるでしょう。
★ヨブが生きたこの時代。復活の信仰が明確に啓示されていた訳ではありません。その中でも彼は前章に続き、繰り返し「あなたが呼んでくだされば、私は答えます」と神様に望みをおきます。詩篇の記者は「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」と告白しました。心を注ぎだして神様に向かう、これほど人が単一な心、二心なく純粋な者として神様の前に近づく方法はないでしょう。あなたが心を注ぎだして神様に近づいたのはいつでしょう。主はその姿勢を何にもまして喜ばれます。

■ハバクク1:12主よ。あなたは昔から、私の神、私の聖なる方ではありませんか。私たちは死ぬことはありません。主よ。あなたはさばきのために、彼を立て、岩よ、あなたは叱責のために、彼を据えられました。
★バビロンに征服されるイスラエル。しかしハバククのそのことに対する捉え方は「叱責」、即ち回復で、まさにその通りです。神様の選びと召しは変わる事がありません。たとえ神様があなたに叱責のメッセージを送られることがあっても、それは同様です。神様はあなたを愛しておられます。

■1ペテロ2:24そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。2:25あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
★そうです。立ち帰ったのです。「失われている」とは、本来あるべきものが、あるべき所にないこと。しかしあなたは本来あるべき神のもとに立ち帰ったのです。全ての祝福の源である神様の御腕の中心に今、立っているのです。仰ぎましょう。胸を張りましょう。神様があなたの見方です。ヒデ

金曜日, 12月 11, 2009

20091211_ヨブ13_ナホム03_1ペテロ01

■ヨブ13:13黙れ。私にかかわり合うな。この私が話そう。何が私にふりかかってもかまわない。13:14それゆえ、私は自分の肉を自分の歯にのせ、私のいのちを私の手に置こう。13:15見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。
★「黙れ」と、ヨブがその苦しみを、人を無意識の内にも傷付ける3人の友にはき出すことが出来たことを、思わず、よかったと思います。いったいどれほどのヨブの苦しみでしょう。確かに3人はヨブの痛みを知る必要があったでしょう。また、こうしてヨブが自分をはき出す機会がなければ、ヨブの内にある余りに深い悲しみと絶望、怒りはヨブ自身を滅ぼすこととなったでしょう。その上で彼は更に「ただ二つの事を私にしないでください。そうすれば、私は御顔を避けて隠れません。それは苦悩をもたらすあなたの御手と威圧的恐怖です。それで私をおびえさせないでください。神様、呼んでください。私は答えます。」と、その心を神様に向かわせるのです。そして神様に向かおうとするヨブにひとつも無駄なことはありません。神様はやがて万事を益として下さいます。ヨブのように逃げないで、神様に向き合おうとする人は、決して不幸でないことを深く心に刻みましょう。

■1ペテロ1:21あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。
★多くの人はキリストを信じた後、こんなにも尊い救いにあずかったのだから、これから主を悲しませることのないようにと、注意深い生活に心掛けることでしょう。しかし殆ど間違いなく、人は誰でも失敗を経験するものです。そして自分を見て「やっぱり私はダメだ」と落胆するのです。しかしイエス様はその事さえも知り、既に受け止め赦して下さっているお方です。あなたは主が、裏切ったペテロに「あなたの信仰がなくならないように祈った」との箇所をご存知ですか。いいですか。既にあなたの生涯は、あなたにではなく、神様にかかるものとなったのです。即ち主を告白するあなたは、必ず主の真実と愛によって支えら守られるのです。このキリストにあって安んじましょう。ヒデ

木曜日, 12月 10, 2009

20091210_ヨブ12_ナホム01-02_ヤコブ05

■ヨブ12:1そこでヨブが答えて言った。12:2確かにあなたがたは人だ。あなたがたが死ぬと、知恵も共に死ぬ。12:3私にも、あなたがたと同様に、悟りがある。私はあなたがたに劣らない。だれかこれくらいのことを知らない者があろうか。
★キリストは弟子ユダの裏切りを「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた」と旧約聖書詩篇を引用して、その心境を語りましたが、3人の友の説得の言葉が一巡した時、ヨブの心境も同じでした。しかしこの時ヨブに必要で、彼が求めたものは、説得ではなく、同情であり、理解でした。「世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。」(旧約聖書箴言)いかがでしょう。あなたは、あなたを必要とする人々にとって良き友となっているでしょうか。立ち止まって主の語りかけに耳を傾けましょう。

■ナホム1:3主は怒るのにおそく、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方。主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり。
★ヨナの宣教によって悔い改め、神様の裁きを免れた町ニネベ。しかし、その悪が悔い改めの可能性がないほどのものとなって、もう一度のぼってきたとき、神様は預言者ナホムを立て、それを叱責されます。間違ってはいけません。神様はあなどられるお方でも、偏り見られるお方でもありません。そしてキリストは世の終わりもう一度地の上に立たれます。どうか正しいキリストの裁きが、あなたに災いではなく、祝福をもたらすものでありますように。

■ヤコブ5:7こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。5:8あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
★「主の来られるのは近い」。そうあなたの為に、主の来られるのは近いのです。勇気を主から受け取りましょう。そして悪に負けてはなりません。今日あなたの顔は主にある笑顔と感謝に満ちてますか。行ってらっしゃい。ヒデ

水曜日, 12月 09, 2009

20091209_ヨブ11_ミカ07_ヤコブ03-04

■ヨブ11:1ナアマ人ツォファルが答えて言った。11:4あなたは言う。「私の主張は純粋だ。あなたの目にも、きよい」と。11:5ああ、神がもし語りかけ、あなたに向かってくちびるを開いてくださったなら、11:6神は知恵の奥義をあなたに告げ、すぐれた知性を倍にしてくださるものを。知れ。神はあなたのために、あなたの罪を忘れてくださることを。
★エリファズが教条主義者、ビルダデが建て前主義者であるとすればツォファルは感情露出型で、もはやヨブへの同情心は全く見られず本人は気づいていませんが暴力を振るう始末となっています。暴力とは何でしょう。
それはノーと言える関係、フェアーな関係かどうかです。腕力、能力、経済力、言葉の巧みさ、知識において、ああかなわないと感じさせ、怒らせたら怖いとの恐怖心を相手に植え付け、コントロールしようとしたら、もはやフェアーな関係は保てません。それは既に暴力なのです。(日本伝道会議)身体的暴力と目に見えない暴力、いずれも、主の十字架の愛とキリストの身体なる教会、共同体の愛はその心に癒しをもたらします。

■ミカ7:8私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。
★ミカのように敵に対し萎縮ではなく、信仰の宣言により立ち上がろうとする信仰があなたを強め、信仰の成熟へと向かわせます。さあ今、声に出して宣言してみましょう。「闇の中に座っていても、主が私の光だ」と。

■ヤコブ4:7ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
★いいですか。本当の真理はあなたの全てにおいて、神様には既に赦しの用意があることです。しかしサタンはそれを隠し、恐れであなたの心を支配し、問題の本質に向き合えなくさせ、蓋をさせてコントロールしようとするのです。だまされてはなりません。あなたはその恐れを信仰によって打ち砕くことが可能です。逃げではなく、キリストと共に問題の本質に向き合うのです。すでに光は闇の中に輝いています。ヒデ

火曜日, 12月 08, 2009

20091208_ヨブ10_ミカ06_ヤコブ02

■ヨブ10:7あなたは、私に罪のないことを知っておられ、だれもあなたの手から救い出せる者はいないのに。10:8あなたの御手は私を形造り、造られました。それなのにあなたは私を滅ぼそうとされます。10:9思い出してください。あなたは私を粘土で造られました。あなたは、私をちりに帰そうとされるのですか。
★「あなたは、私に罪のないことを知っておられ……」と、この苦しみの中にもヨブは神様の真実に拠り頼みつつ主に語りかけます。そして、ヨブ記の結末は、主ご自身がヨブの前に現れ、語りかけて下さり、一挙にヨブは苦悩のトンネルを抜け出すことに。しかし彼はまだこの時点では全く先が見えないのです。その中で神様に信頼し続けようとするヨブ。あなたはヨブのこの姿から何を学ぶでしょう。

■ミカ6:8主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。
★神様を愛することは、人の前の生き様としてあらわれるもの、とミカは語ります。まことの礼拝者は、その生活において自ずと愛の実践者となるのです。クリスマスを前に探られ、慰めの人とさせて頂きましょう。

■ヤコブ2:22あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
★「神の友」と呼ばれたアブラハムの信仰から学べる特権です。信仰とは机上の学びで終わるものであってはなりません。生涯の中で信じたとおりに生きようとし、その中で助けて下さる神様を体験し、真心からの感謝の礼拝へと導かれることです。信じて行動に移した時、結果の如何は問題ではなく、それを失敗とは呼びません。むしろ自己保身のため踏み出さないこと、それこそが最大の失敗です。さあ今日も誰も歩いたことのない道を、主を信じ、主と共に歩み出しましょう。ヒデ

月曜日, 12月 07, 2009

20091207_ヨブ09_ミカ05_ヤコブ01

■ヨブ9:32 神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう」と申し入れることはできない。9:33 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。
★二人目の友ビルダデへのヨブの反論です。
ヨブは先ずビルダデの言葉に「まことに、そのとおりであることを私は知っている。しかし、どうして人は自分の正しさを神に訴えることができようか」。「神はただひとりで天を張り延ばし、海の大波を踏まれる。神は大いなることを行って測り知れず、その奇しいみわざは数えきれない。」と3人の友よりも深い神理解を示しつつ、上の言葉を語りました。
それはまさに預言的な言葉で「人間同士の争いは仲介者に和解の労を依頼できるが、神様との間の仲介者は考えられない」との意味でした。しかしその考えられないことがクリスマスにおこったのです。み位を捨てて人となって下さったキリストがご自身の命を懸けてその仲介役を全うして下さったのです。あなたは今試練の中にいますか。しかし、聖書はその中でしか悟り得ない真理や言葉のあることをここに示します。

■ミカ5:2ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
★「救い主はベツレヘムに」とのこの預言どおりキリストはこの町で誕生されます。この小さな町を忘れない主は、あなたをも間違いなく顧みておられます。仰ぎましょう。そして主の愛を全身で受け取りましょう。

■ヤコブ1:2私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。1:3信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
★主の実弟、十字架のあと弟子となったヤコブの告白です。ヒデ

日曜日, 12月 06, 2009

20091206_ヨブ08_ミカ03-04_ヘブル13

■ヨブ8:5もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、8:6もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。
★「もし、あなたが……、もし、あなたが……」と繰り返して語る人物は、エリファズと同じく1週間は何も言わずヨブに寄り添ったヨブの友ビルダデです。しかし彼はエリファズとヨブが交わす会話を聞いた為か、さながら最初から叱責するかの如くです。私が、ヨブを悔い改めに導かなければとの強い思いがあったのでしょうか。しかしどんな時にも鼻から息をする私たちのスタートは、聖霊様の助けを仰ぎつつの傾聴です。自分を神の立場に置くことのないように。

■ミカ4:13シオンの娘よ。立って麦を打て。わたしはあなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅とする。あなたは多くの国々の民を粉々に砕き、彼らの利得を主にささげ、彼らの財宝を全地の主にささげる。
★主の選びの民に対する回復の預言です。イスラエルは確かに苦悩のバビロン捕囚を通りますが、その苦難の中で今まで不可能だった偶像礼拝から手を切ることになるのです。主に選ばれたあなたの生涯にもそのことは起こります。その根拠は召されたお方の真実のゆえで、主の真実と恵みは必ずあなたの生涯に勝ち得て余りある人生をもたらします。自分ではありません。主の言葉を信じて仰ぐのが信仰です。主の母マリヤは「お言葉どおりこの身になりますように」と告白し、わが身になされる神の言葉の成就を見たのです。

■ヘブル13:20永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、13:21イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
★まさにアーメン。あなたを完全にして下さるお方は主以外にありません。ヒデ

土曜日, 12月 05, 2009

20091205_ヨブ06-07_ミカ02_ヘブル12

■ヨブ6:8ああ、私の願いがかなえられ、私の望むものを神が与えてくださるとよいのに。6:9私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、6:10私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。
★友エリファズの説得に対するヨブの反論です。原因の分からない苦悩。それほどに人の心を萎えさせ苦しめることのないことがここでも描かれます。それに対して、原因が明確な罪のゆえに負っている苦悩とは反面なんと感謝なことでしょう。キリストはその為に贖いを完成し、その罪を告白し十字架を仰ぐなら罪赦され、その苦悩から明確に解き放たれることが出来るのですから。だからこそ今日という日に主の御声を聞いたならその語りかけを虚しくしてはならないのです。恵みの中にあることを改めて感謝しましょう。

■ミカ2:13打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真っ先に進まれる。
★打ち破る者とは敵国から神の民を解放する神様ご自身です。即ち主はあなたの前に置かれた門、あなたの自由な前進を留める門を打ち破って下さるお方です。主が先頭に立たれるので、あなたは必ず勝利し門から出て行きます。この預言的な言葉を受け取るあなたの生涯に必ずそれがおこります。ハレルヤ主よ感謝します。●の将来には希望があります。

■ヘブル12:26あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」12:27この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。
★やがて神様の前に立つとき、人間が欲と肉で築いたもので何一つ残るものはありません。霊に命を蒔きましょう。ヒデ

金曜日, 12月 04, 2009

20091204_ヨブ05_ミカ01_ヘブル11

■ヨブ5:17ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。5:18神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。
★ヨブの友エリファズの説得の続きで、彼の言うことはもっともです。そして彼は「神は悪賢い者のたくらみを打ちこわす。それで彼らの手は、何の効果ももたらさない。神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。」とさえ語り、結果ヨブの心の傷口に塩をすり込む様な言葉へと進みます。しかしヨブの苦悩の原因は別の所にあり罪の結果ではありません。的を得ない、言葉数の多いことがいかに人を傷付けるかを心に刻みましょう。あなたは人を説得し、相手を変えようとすることに焦点を置いた人生を歩んではなりません。むしろその人を理解しようと努め、寄り添い友となることに焦点を置いて生きるのです。

■ミカ1:3見よ。主は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。
★ミカはキリスト誕生の740-680年前ごろ、即ちイザヤと同年代に活躍した預言者です。彼はキリスト降誕の地と、神の公義を生きることの尊さを主にあらわしました。あなたは託された生涯で何を中心にあらわしますか。

■ヘブル11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
★このヘブル人の著者は、根拠なしにこの言葉を語ったのではありません。アベル、エノク、ノア、アブラハム、……と16人とそこにまだ含まれていない人たちの名をあげて、信仰による歩みの確実性を語るのです。あなたは神様を脇に置いた、神抜きの計算の生涯を生きてはなりません。神様を期待し、神様を見上げる生涯を生きるのです。その生涯で神様が働かれる領域を豊かに備えるのはあなた自身のテーマです。あなたの信じたとおりになりますように。ヒデ

木曜日, 12月 03, 2009

20091203_ヨブ03-04_ヨナ04-03_ヘブル10

■ヨブ4:7さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。4:8私の見るところでは、不幸を耕し、害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ。
★ヨブはそもそも神様ご自身が義人であることを認める者。そして、その降りかかった災いも神様を訴えるサタンのゆえに神様が「彼の命には触れるな」と、制限を加えた上で許されたもの。しかしそれを知らされていないヨブの心には「私の生まれた日は滅びうせよ。男の子が胎に宿ったと言ったその夜も。その日はやみになれ」との思いさえ湧きあがります。その原因が分からない苦悩ほど人を痛めることのないことを覚えましょう。
初めの御言葉は、その中で友人エリファズがヨブに語った言葉です。友人として1週間寄り添いながら一言も語らなかったエリファズが口にした言葉です。「さあ思い出せ。だれが罪がないのに滅びた者があるか……」は確かに原則でしょう。しかしその友情さえも今はヨブを苦しめるのです。苦難の中にある友への友情をきよめて頂きましょう。また、原因の分からない苦悩の中におかたれたとき、一旦深く自らを内省した後は、神様を仰ぐことの尊さをも心に留めましょう。イエス・キリストの弟子パウロは「私は自分で自分をさばくことさえしません」と語りました。神様の御手の中にただ陥るのです。

■ヨナ4:2主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
★罪とは何でしょう。その本質は神様の恵みにさも突き上げるような思いが涌きあがるヨナのその心です。預言者ヨナさへもその心は痛んでいたのです。人は皆キリストにある十字架の癒しが必要です。

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。ヒデ

水曜日, 12月 02, 2009

20091202_ヨブ01-02_ヨナ02-03_ヘブル08-09

■ヨブ1:21そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
★しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」と。この二つの御言葉は自然災害によって10人の子供を亡くし、更には自分の身に腫瘍を病み、妻から「もう信仰もいい加減にしなさいよ。こんなに苦しい目に合わされているのに。信仰を捨て、神を呪って死になさい」と言われた時、語ったヨブのことばです。真に神様を畏れる正しい人ヨブは、こうしていかなる状況の中においても罪を犯しません。それはまさに神様がヨブに抱いた評価そのものでした。ヨブ記の結末は何でしょう。それは「神様を恐れる人の為には、神様が責任を取って、その生涯を全うし、必ず祝福を回復して下さる」です。そしてヨブは「もし神、我を試み給わば、我燻し銀の如くにいできたらん」と歌うのです。もしあなたが今試練のただ中にあるならば、立ち止まり、主を見上げましょう。そしてヨブの告白を我が告白としてささげましょう。そこから天は開けます。

■ヨナ2:4私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。
★「私を海の中に放り込みなさい。そうすれば嵐は止みます。それでも私は神には従いたくないのです」と語っていたヨブ。そのヨブが嵐に揉まれる試練の中で上の言葉を語るのです。なぜ神様は試練を許されるのか。この箇所はその答えを示します。

■ヘブル9:27そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
■主は必ず再び来られます。今日も主に合う備えとして、心からの一日を主の前に、主と共に生きましょう。ヒデ

火曜日, 12月 01, 2009

20091201_エステル09_ヨナ01_ヘブル06-07

■エステル9:28また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。
★プリムとはプル(くじ)の複数形で、人の投げるくじは、神様の御手の中にあり、神様はすべてをよきに変えたもう、との信仰告白をユダヤ人はプリムの祭りに込め、その恵みを子孫に伝えようとしたのです。まさにどんでん返しの一日、滅ぼされる者が神様の恵みによって国を治める者へと高められたのです。どうでしょう。あなたは、主があなたの生涯に与えて下さった記念すべき日を、感謝の日として捧げ、友や家族と共に喜びを分かち合っているでしょうか。あなたの愛する大切な人への信仰継承は、用意した喜びの日としてなされるに勝るものはありません。

■ヨナ1:12ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」
★今にもイスラエルを滅ぼそうとすきを伺うアッシリヤの主要都市ニネベ。しかしなぜか神様は愛国心に富む預言者に、ニネベに言って悔い改めを説くことを促します。ニネベなど一日も早く滅びてしまえばよいと思うヨナは、そこで神様の命に背を向けてニネベとは正反対のタルシシュ行きの船にのるのです。罪とは何でしょう。「私を海の中に投げ込みなさい、たとえ私は死んだとしてもその神様の御心には従いたくない。」にあらわれます。人はここから神様の恵みによって変えられ、神様の愛を表す人となるのです。

■ヘブル7:25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
■だからこそ、あなたははばかることなく主の赦しの御手の中に憩うことができるのです。主は完全なお方。飛び込みましょう。そして一人ではない神様に支えられる生涯を始めるのです。ヒデ