土曜日, 5月 31, 2014

20140531_出エジプト10 マタイ27@32-66

■出エジプト10:23 三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。
★エジプトに臨んだ災いで、この章に記されているのはイナゴと暗闇です。何度も何度も自分の言葉を翻すパロ。彼には真実はもちろんのこと面子さえなかったのでしょうか。素晴らしい町の建築のために無償で使える労働力を失いたくなかったのでしょう。いずれにしても、パロはこうして王ではなく貪欲の奴隷として罪に支配されていたのです。

■マタイ27:46三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
★十字架の上でのイエス・キリストのことばです。捨てられるはずのないキリストが、罪のゆえに捨てられて当然の罪人に代わって捨てられ、罪人が捨てられなくても済む救いを完成される。これがイエス・キリストの贖いの本質です。更にキリストは十字架上で「父よ彼らをゆるしたまえ」と祈られますが、それも「血を流すこなしには罪の赦しはあり得ない」との旧約律法を成就するためであり「父よ、彼らに代わって私が血を流しますから、この血に免じて彼らをゆるしてください。」との意味でした。あなたはこのキリストの祈りに今日も覆われています。ゆるされています。神様に愛されているのです。いってらっしゃい。

金曜日, 5月 30, 2014

20140530_出エジプト9 マタイ27@1-31

■出9:30しかし、あなたとあなたの家臣が、まだ、神である【主】を恐れていないことを、私は知っています。」
★この章で紹介されているエジプトへの災いは家畜、腫物、雹です。そしてエジプト人とユダヤの民との間に、神様は誰でも分かるように明確な区別を置かれます。何のためにゆるされた災いでしょう。すべての人が神様を畏れることの尊さを学ぶ機会を与えるためです。箴言は「【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」1:7と紹介します。

■マタイ27:17それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
★あれほどに民が慕ったイエス。総督ピラトは間違いなく民衆は「イエスを救い。ピラトを十字架に……」と要求してくることと読み、イエスをゆるすことを通して民に貸しをつくろうとはかります。しかしその答えはピラトの理解を越えたものです。最初、罪は自分の手の中にあり、人を操ることができるように見えても、最終的に罪はそれを侮る者を飲み尽くします。どうにもならない状況になったとき、ピラトは「私には責任はない」と語りましたが、愚かです。なぜ最初から罪を侮ることなく、「はいをはい、いいえをいいえ」としなかったのか。どんな時にも間違いのない生き方は誠実さにあることを心にとめましょう。いってらっしゃい。

木曜日, 5月 29, 2014

20140529_出エジプト8 マタイ26@36-75

■出エジプト8:15ところが、パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり、彼らの言うことを聞き入れなかった。【主】の言われたとおりである。
★かえる、ぶよ、あぶと奇蹟は続きます。しかしパロはいよいよ心を頑なに。神様への反抗はその人に深い悲しみをもたらすことになるのみならず、その人と一緒にいる人々にも同様に及びます。それでも自分を優先し心を変えようとしないことを強情と呼びます。

■マタイ26:38そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」26:39それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
★「わたしは悲しみのあまり死ぬほど」と語られながらも、十字架を前に祈ると言うことは、主は問題から逃げておられない、与えられた使命から逃げておられないと言うことです。そこには主のご人格があらわされています。目に見える十字架による贖いの完成は、この隠された主のご人格に裏打ちされたものでした。ご人格がなければ恐れ、十字架に向き合う事ができず逃げ出したことでしょう。そこがこのあと「私は主を知らない」と逃げ出す、ペテロとの人格の違いです。自分の人格の未熟さを認めつつも、主の愛とゆるしを求めて主の前に祈りをもって近づく、そんなお互いでありましょう。主は触れて下さり強めて下さることを信じます。いってらっしゃい。

水曜日, 5月 28, 2014

20140528_出エジプト7 マタイ26@1-35

■出エジプト7:3わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。7:4パロがあなたがたの言うことを聞き入れないなら、わたしは、手をエジプトの上に置き、大きなさばきによって、わたしの集団、わたしの民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。
★呪術師の中にはマジックやサタンの力を用いてモーセと同じことをする者もいます。しかし彼らはモーセがしたこと同様、災いをエジプトにもたらすことは出来ても、天罰をひっくり返し、好転させることはできません。また奇蹟は神様を信じる助けにはなりますが、それに頼るのは危険です。パロは奇蹟に心を奪われ、神の言葉に対して頑なになります。大切なことは神のことばへの従順です。ご自身の言葉で世界を創られた主の言葉は、あなたの生涯にもそのとおりになるのですから。「仰ぎ見て生きよ」これが主の言葉です。

■マタイ26:34イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」26:35ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
★人とは何とか、人とは違う、勝る自分を見出し、自分が存在していてよい価値を求めてもがこうとするのでしょうか。しかしかけがえのない本当の自分の価値に気づけるのは主の赦しの御手に抱かれたときです。いってらっしゃい。

火曜日, 5月 27, 2014

20140527_出エジプト6 マタイ25@31-46

■出エジプト6:2神はモーセに告げて仰せられた。「わたしは【主】である。6:3わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現れたが、【主】という名では、わたしを彼らに知らせなかった。
★「全能の神」という自己紹介ではなく、「わたしはある」すなわち「主」であると、神様はこのときご自身の永遠の呼び名をモーセに伝えます。イエス様はヨハネ8章で宗教家たちとの論争の中、ご自身のことを、「私はアブラハムの前から『わたしはある』」と紹介し、またヨハネ5章においては「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると思って調べているがモーセは私のことについて書いたのである。なのにあなた方は私のもとに来ようとしない。」と語られます。おわかりですか。イエス・キリストとは、いかなるお方かを。そのお方があなたを救うために人となって来て下さったのです。

■マタイ25:40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
★ここには教会と共に歩まれるキリストの姿が明確です。なぜ主はそこまで教会を愛されるのでしょう。教会はご自身の身体だからです。パウロがまだ教会の迫害者としてダマスコに下っていこうとしたとき、復活の主がパウロに現れて「サウロ。サウロなぜ私を迫害するのか」と語られたのは有名です。教会であるあなたと共に歩んで下さる主、それがあなたが主と信じ受け入れられたイエス・キリストです。今日もこのお方を誇りましょう。いってらっしゃい。

月曜日, 5月 26, 2014

20140526_出エジプト5 マタイ25@1-30

■出エジプト5:2パロは答えた。「【主】とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は【主】を知らない。イスラエルを行かせはしない。」
★モーセが主の命を受けて民を去らせよと語った時のパロの応答です。「主とは何者か。主を知らない」とは、「私こそが主ではないか。私以外に主はないではないか」の意味で、それをイスラエルに受け取らせるためにパロは高圧的な虐げをもってイスラエルを苦しめます。御心をなそうとすることを止めれば、迫害虐げ反発の波は起こりません。しかしそれでは何も変わりません。主の僕として召しだされたお互いは、どんな時にも主の御心に沿おうとする自分自身の変革を諦めてはなりません。

■マタイ25:24ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。25:25私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
★あなたが自分の人生を神様から与えられたことを感謝して受け取る前に、人と較べたら、喜びは消え、劣等感か、優越感に支配され、神様に反発し、人と距離を置き、人生を呪いながら生きることになります。神様は全能者である以上に愛なるお方。もし納得できないことがあるなら、人にではなく神様に直接その思いをぶつけてみましょう。それが祈りです。どんな状況の中にあっても、あなたがその与えられた人生を受け取る時、神様が共に歩み、あなたを助けて下さいます。いってらっしゃい。

日曜日, 5月 25, 2014

20140525_出エジプト4 マタイ24@29-51

■出エジプト4:10モーセは【主】に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」4:13すると申し上げた。「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」
★ああ何と主の召命とは恐れ多く、重たいことでしょう。モーセでも後ずさりするのです。ゆえに自信がない、私には賜物がないとあなただけが尻込みして、そのままでよいでしょうか。みんな恐ろしく自信がないのです。それが主の召命というものです。さあ立ち上がりましょう。主があなたの召命者です。

■マタイ24:30そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。24:31人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
★主イエス様は再び来られます。あなたの目の涙を拭うために。主イエス様は再び来られます。あなたに命を冠を授けるために。主イエス様は再び来られます。ご自身が始められた歴史を完成させるために。主イエス様は再び来られます。あなたのために死んで甦られたあなたの神様だからです。あなたを愛する主があなたをご自身のみもとに迎え入れるために再び来られないはずがないでしょう。いってらっしゃい。

土曜日, 5月 24, 2014

20140524_出エジプト3 マタイ24@1-28

■出エジプト3:9見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。3:10今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
★荒野における40年の生活を経て、燃える柴の中から語られる神様のモーセへの召命です。そのお方の名は永遠の神「わたしはある」とご自身を示される神様です。私たちはこのお方によって有らせられているもの。しかしこのお方は永遠のはじめからあるお方。モーセの、そしてあなたの存在を御手に握っておられるお方です。あなたを召しだされる神がおられます。畏れましょう。

■マタイ24:4そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
★世の終わりの時代、何を一番注意すべきかを語られた主の答え、それは「人に惑わされないように」です。あなたは誰かの真似をする必要はなく、一番素晴らしいあなたであれば良いのです。そのためにはあなたに力を与え、あなたが最高のあなたとして歩める様に導ける、人となった造り主なる神、イエス・キリストを主とする以外にないのです。いってらっしゃい。

木曜日, 5月 22, 2014

20140522_出エジプト1 マタイ22@23-46

■出エジプト1:8 ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。
★告別式の祈祷文に「主のみこころと摂理はくすしく、測り知ることができません。あなたは御心のままに万物を造られ、これを支配し導かれます。しかも、その知恵の深さは限りがありません。あなたの御顔の前に人は去り、世は移ります。」とあります。「ヨセフのことを知らない新しい王」とは何と恐ろしいことでしょう。この世は恩に寄りかかって生きる事はできません。常に新しい神様の恵みに生かされる必要があります。また神様はどんな時代の中にあっても常に恵みを備えて下さるお方です。

■マタイ22:2122:36「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。22:37イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。22:38これがいちばん大切な、第一のいましめである。22:39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。22:40これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
★人生の成功者、勝利者とは誰でしょう。上の生き方をライフスタイルにできた人です。どうでしょう。本当にそうでしょうか。今日一日このことをにれはんでみませんか。いってらっしゃい。

水曜日, 5月 21, 2014

20140521_創世記50 マタイ22@1-22

■創世記50:19ヨセフは彼らに言った、「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。50:20あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。50:21それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。彼は彼らを慰めて、親切に語った。
★父亡きあと自分たちがかつてヨセフにしたことゆえに仕返しを恐れる兄たち。しかしヨセフは上のように親切に接します。人の一つの欠点やあらを握って、さながら自らが神であるかのように人をコントロールしたがる人がいます。またヨセフのように振る舞うことのできる人がいます。これらのことを通して神を畏れるとはいかなる生き方かを教えられます。

■マタイ22:21彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
★自らを陥れようとしたヘロデ党の人々にイエス様が語られた答えです。このとき人は2つの国籍を持つ者として、それぞれに責任を果たすことの大切さを示されます。一つは国家に、もう一つは天の御国に。キリストの血潮によって御国の国籍を持つ者とされたあなたは神様への従順、献身へと招かれています。あなたが置かれているそこを泉わく御国とするためです。いってらっしゃい。

火曜日, 5月 20, 2014

20140520_創世記49 マタイ21@23-46

■創世記49:1ヤコブはその子らを呼んで言った、「集まりなさい。後の日に、あなたがたの上に起ることを、告げましょう、49:2ヤコブの子らよ、集まって聞け。父イスラエルのことばを聞け。
★この時ヤコブはそれぞれの息子を祝福し、その将来を予言します。その予言はそれぞれの生き方に基づくものでした。私たちの過去は現在と未来に影響します。すなわち今日の一歩が未来をつくるのです。開かれている今日、何を優先し選択するか。大切なテーマです。

■マタイ21:25ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」。すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。21:26しかし、もし人からだと言えば、群衆が恐ろしい。人々がみなヨハネを預言者と思っているのだから」。21:27そこで彼らは、「わたしたちにはわかりません」と答えた。すると、イエスが言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい。
★パリサイ人たちはイエス様がどこで権威を手に入れたのかと詰め寄りますが、その動機はただイエス様を陥れることでした。パリサイ人が真理を必要とするのは自分の見解や理由を支持する時だけです。イエス様はこの時それを明らかにされました。キリスト者とは、自分の生き方を肯定するために真理の一部を利用する者ではなく、真理であるキリストによって生まれ変わり、真理に生かされるものとされました。イエス・キリストは今日も語られます。「私が道であり、真理であり、いのちなのです」と。いってらっしゃい。

月曜日, 5月 19, 2014

20140519_創世記48 マタイ21@1-22

■創世記48:19父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。
★ヨセフは二人の息子をつれて召される前に父ヤコブを訪ねます。かすみ目で次男を祝福しようとする父に「そうではありません。こちらが……」と長男の頭の上に手を置こうとするヨセフ。しかしこれで良いのだとヤコブ。神様の選びはときに人の常識を越えて働きます。あなたは自分は資格を備えていないと思っていませんか。しかし神様はご計画を成就するためにあなたをお用いになることのできるお方です。また「当然私が……」とおもう思いがあなたの中にあるなら、それが砕かれるまで、神様はあなたをお用いなさらないかも知れません。

■マタイ21:13そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
★受難週のはじまり、十字架の上で贖いを完成するために、ロバの子に乗ったイエス様がエルサレムに登ったとき、最初に取った行動です。主は怒られるお方です。愛と共に義が心に満ちておられるからです。あなたは何に一番の怒りの感情を抱くでしょうか。ただそれが感情だけでなく、具体的な行動を起こすまでになる内容とは何が侵された時でしょう。自分を知るために、一度立ち止まって考えることは良い機会になるかも知れません。主は神様の御名を利用し自らの私腹を肥やすため弱者を苦しめることに一番の憤りを覚えられました。いってらっしゃい。

日曜日, 5月 18, 2014

20140518_創世記47 マタイ20

■創世記47:24収穫の時は、その五分の一をパロに納め、五分の四を自分のものとして田畑の種とし、自分と家族の食糧とし、また子供の食糧としなさい」。47:25彼らは言った、「あなたはわれわれの命をお救いくださった。どうかわが主の前に恵みを得させてください。われわれはパロの奴隷になりましょう」。
★激しい飢饉の間中、宰相となったヨセフは民に穀物を売り与えます。やがて売るものがなくなった民は土地をファラオに売り渡し、それで激しい飢饉を堪え忍びます。やがて飢饉が終わりを告げようとしたときエジプトの民に語った言葉が上の言葉です。ここで天の知恵に満ちる人の発想はWinWinであることを思います。自分だけが得し儲けようとする生き方は、この世的な浅ましいもの。平和は自然になりません。作り出す者でありましょう。

■マタイ20:13そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。20:14自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
★何に価値を見出すか。まさにその人自身がどんな人かを明らかにするテーマです。キリスト者は十字架の愛に触れ、それに感動し、イエス・キリストのご人格に魅了されて従う人のこと。ましてこのお方から「友よ」と呼んで頂けるなんて。あなたはここに言葉に尽くせない価値を見出されますか。ならあなたはキリストの者です。主はあなたの存在を用いて世に恵みと誠を行われます。いってらっしゃい。

土曜日, 5月 17, 2014

20140517_創世記46 マタイ19

■創世記46:2神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ」と言って呼ばれた。彼は答えた。「はい。ここにいます。」46:3すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。
★神様が最も働いて下さり、励ました下さることは何でしょう。家族の和解です。罪によって最初のアダムの家庭は分裂し、今なお人類はその罪を尾を引いています。神様は壮大な物語ともいえるヨセフを用いてヤコブの家庭を和解へと導かれるのです。あなたの持つ関係に痛んだ関係がありますか。主に祈りましょう。「今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」との心があなたに備わっているなら、神様は必ずあなたを用いて家族の和解のために祝福して用いられます。

■マタイ19:16すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
★どれほど多くの人が幸せになるためには何をすれば、何を持てば幸せになれるのかと今なお迷っています。幸せは持ち物にはよりません。たとえ何を持たず得ずとも、その人が主の御手に支えられていることに気づけるならばその人生観はどれほどに変わることでしょう。聖書に「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。」と記します。大丈夫なんです。あなたの人生は既に全能者の御手に支えられ、あなたは全能者の手の中に立っているのです。得ることよりもむしろ手放すことの祝福を体験しましょう。いってらっしゃい。

金曜日, 5月 16, 2014

20140516_創世記45 マタイ18

■創世記45:28イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。
★ヨセフが兄たちに語った「だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」と中心聖句はどちからと迷いますが、父ヤコブがヨセフの存在を喜ぶ方を取りました。生きていてくれるだけでもう十分である。満足である。会いたい。嬉しい。これが父の心です。天のお父様にとってもあなたはそんな存在です。より能力が高いか、豊かか、美しいか、そんなことは関係ありません。ただあなたの存在が嬉しいのです。天の父を求めましょう。

■マタイ18:35「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」
★赦しはあなたの人生においてオプションではありません。あなたが自由と祝福の人生を生きるための必須条件です。しかし人には、自分を傷つけた人を赦す力はありません。赦しの力は主からです。だから主に赦される経験が不可欠です。主に受けた傷の痛みを知って頂き、受け取って頂き、他者を主に赦されたように赦し、裁きを主に委ねるのです。過去の自分を赦すこともオプションではありません。あなたが幸いを生きるためです。いってらっしゃい。

木曜日, 5月 15, 2014

20140515_創世記44 マタイ17

■創世記44:33ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。
★まさか弟ベニヤミンのらくだの袋の中にエジプトの宰相の杯が入っているとは。まだ兄たちに身分を明かしていないエジプトの宰相ヨセフの指示です。そして上の御言葉はベニヤミンが盗人としてエジプトに取られようとしたとき、ベニヤミンの代わりの奴隷として下さいと申し出た兄ユダの言葉です。ヨセフのいないことを痛む父ヤコブ。かつてユダは17歳のヨセフをエジプトに売る提案をしたことをどれほど後悔しことでしょう。しかし、それはヨセフを殺そうと殺意に燃える兄弟の手よりなんとかヨセフの命を守るために思いついたユダができる精一杯の提案でもありました。このユダの告白でかつての事の真相は明らかになりました。私たちの事の真相もやがて主の前に明らかになる時が、愛と憐れみに生きましょう。

■マタイ17:17イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
★悪霊につかれた少年の癒やしのために右往左往する弟子たち、しかし少年に回復の兆しはみえません。その時主が語られた言葉が上の御言葉です。この箇所は主にあるものが最優先にすべきことが何かを教えます。問題を主のもとに持ち出すこと、たずさえ行くこと、祈りにおいても、行動においても、そのように生きるあなたでありますように。いってらっしゃい。

水曜日, 5月 14, 2014

20140514_創世記43 マタイ16

■創世記43:14全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」
★今度穀物を買いに来るときには末の子ベニヤミンをつれて来なければ私の前に立つことができない。あなた方はエジプトを伺うスパイダ。そうエジプトの宰相に言われて、もっと早く食料を買いに行かなければ。ヤコブ一族の食料は既に底を突いていました。しかしヤコブにしてみればヨセフとベニヤミンは最愛の妻ラケルから生まれた子供。そしてヨセフを失ったばかりか今度はベニヤミンさへ失おうとしているとは。しかしこの時がヤコブの愛情の聖別の時でした。アブラハムの時はイサク献祭でしたが、ヤコブにとってはこの場面です。そもそもヨセフへの溺愛を通してヤコブが引き起こした罪を神様はこうした形で精算させ、イスラエルに新しい一歩を与えられます。ただ恵みと憐れみです。

■マタイ16:18ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
★「あなたは私を誰とするか」とのイエス様の問いに、ペテロが「あなたこそ生ける神の御子キリストです」と答えた、その応えとして主が語られたのが上の御言葉です。教会を建てられるのは誰でしょう。牧師?役員会?違います。主です。では私たちは何をすれば良いのでしょう。教会をすれば、教会として生きれば良いのです。教会として生きるとは、互いに赦し合い、愛し合い心を合わせて祈りの中に歩むのです。あなたが召しだされた教会ですよ。教会はあなたを待っています。いってらっしゃい。

火曜日, 5月 13, 2014

20140513_創世記42 マタイ15

■創世記42:12 ヨセフは彼らに言った。「いや。あなたがたは、この国のすきをうかがいにやって来たのだ。」
★かつて自分をエジブトに向かう商隊に売った兄たちが飢饉の中で穀物を求めてエジプトのヨセフのもとに。ヨセフは兄たちを見て直ぐにそれと分かりますが、兄たちは気づきません。ヨセフはこの日が来ることを予測し期待し、心の準備をもって働いたことでしょう。主も私たちがその主の愛ゆえに跪き「わが神よ」と礼拝することを夢見つつ十字架の上にご自身の命を捨てて下さいました。また、人は蒔いたものの刈り取りを求められると共に、和解のチャンスを主によって与えられます。生かす者でありましょう。

■マタイ15:27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
★主のもとに近づこうとする時、思わぬ障害がそれを妨げることが。主は時に愛でなければ越えられない壁をもってあなたをためされることがあります。しかし振り返って見たときそれを乗り越えたあなたはどれほど豊かな存在となっていることでしょう。あなたを愛する主は、あなたが決して乗り越えられない試練、耐えられない試練に合わせることをなさらないばかりか、試練の先に豊かな祝福を備えて下さっているお方です。今日も主と共にその試練を乗り越えましょう。乗り越えると共に、また試練の中を謙虚に潜らせて頂くことも一つの脱出方法でもありますよ。いってらっしゃい。

月曜日, 5月 12, 2014

20140512_創世記41 マタイ14

■創世記41:34パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。41:35 彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。41:36 その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」41:37 このことは、パロとすべての家臣たちの心にかなった。
★神を畏れるヨセフが動けぬ時、神様が働いて下さり、夢を通してエジプトの王の心まで動かされました。奴隷から宰相となったヨセフ。人を磨き、ちょうどよい時に高く引き上げ、神の国の働きのために大きく用いられるのは主です。

■マタイ14:34彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。
★パンと魚の奇跡を通して、イエス様を教祖の如く祭り上げようとする群衆を避けさせるために、主は弟子たちを向こう岸ベッサイダへと送り出します。しかし嵐の中、実際に弟子たちが着いたのはゲネサレの地でした。人生のゴールとは目に見えるどこかの地点ではなく、イエス様とともに歩む日ごとのこと歩みであることをここから弟子たちは教えられます。たとえ嵐であっても、イエス様を一心に見つめて歩む時には嵐の水の上さえ歩くことができたペテロ、しかしイエス様から目をそむけ、嵐に目をやった途端に溺れそうに。今日あなたの前に開かれ、あなたが歩む道も、あなたのためにイエス様が備えてけ下さった誰も通ったことのない水の上同様の道です。イエス様とともにイエス様を見つめて歩みましょう。主はあなたの存在を通して不思議をなさいます。いってらっしゃい。

日曜日, 5月 11, 2014

20140511_創世記40 マタイ13@31-58

■創世記40:23ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。
★献酌官長の見た夢を解き明かし、私は無実なのであなたがもとの地位に戻ったときに私を思い出して下さいと語ったヨセフ。しかし献酌官はそのことを忘れます。夢の解き明かしから彼がもとの地位に戻されたのはわずか3日後のことですから、忘れたのではなく、自分の身の安全を優先した献酌官が、あえてヨセフのことを王の前に持ち出さなかったのかも知れません。ヨセフが置かれたこの境遇に置かれたなら、ほとんどの人は将来に夢を希望をもてず自暴自棄となり、自分自身の人生を投げ出すことでしょう。無実であるにも関わらず思うようにことが運ばないとき、それは神様があなたのために働いて下さっているのです。そしてその時こそ、あなたは下に根を張り、忍耐強い堅固な心を神様によって備えて頂く時なのです。やがて主があなたを引き上げられます。

■マタイ13:55この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
★内と外に分けるなら、この世は往々にして人を外で評価し、神様が与えて下さろうとする祝福を逃してしまいます。人は外ではなく内が大事です。なぜなら人には神の霊が吹き込まれ、神のかたちに似せて造られたのですから。あなたはあなたが計るはかりで計り返されることを覚えましょう。そして主が出会わせて下さる人と良い関係を築きましょう。いってらっしゃい。

土曜日, 5月 10, 2014

20140510_創世記39 マタイ13@1-30

■創世記39:23監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。
★「主が彼とともにおられたので」とこの章は繰り返されます。もちろん主がともにいて下さったでしょう。しかし言葉を返せばそれ以上にヨセフが主と共にあろうとしたと言うことです。出来事に飲み込まれ、自分を見失い祝福を失う人がほとんどの世において、ヨセフはどんな不運な出来事の中にあっても、夢見る者、望みを神様に置く者として歩みました。そしてその生き方こそが魅力的で、まわり大きな影響をもたらします。確かにあなたもヨセフ同様一歩先は分からないでしょう。しかしあなたを愛してご自身のいのちさえ惜しみなくお与え下さったイエス様がいつもあなたとおられることは紛れもない事実です。

■マタイ13:23ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
★土地とは人の心を表していますが最初からよく耕されている人は一人もいません。神様の恵みに支えられ、示される御言葉の光に照らされ悔い改める中、不信仰の石と汚れの不純物が取り除かれて、徐々にではありますが遂にゆかたに実を結ぶ土地へと変えられたのです。豊かな土地への秘訣は、聞きっぱなしにせず御言葉に生ききれない自分自身を常に主の前に差し出し、それでもそこに生きようとするあなたの生き方、ライフにあります。いってらっしゃい。

金曜日, 5月 09, 2014

20140509_創世記38 マタイ12@22-50

■創世記38:26ユダはこれを見定めて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女にわが子シェラを与えなかったことによるものだ。」それで彼は再び彼女を知ろうとはしなかった。
★タマルはユダにとって長男エルの嫁。しかし子がないままで長男エルが召されたとき、父ユダは次男オナンに兄の子孫を残すためにタマルの中に入ることを薦めます。しかし自己中心のゆえに父の申し出を断る弟オナンを神様は罰し彼の命を絶たれます。日は流れても約束を履行しない父ユダ。遊女にふんしたタマルはそんな父ユダを通して亡き夫エルの子を設けますが、ユダは自らの罪はひた隠し、嫁タマルの行為のみを不法として罰そうと。しかし、その罪深さが神様によって暴かれたときに発したのが上のユダの言葉です。自分の目の中にある梁に気づかないまま、相手の目の中の塵を取ろうとする行為は昔も今も変わりません。自らを買いかぶり過ぎない者でありましょう。

■マタイ12:49それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。12:50天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
★主は実の家族の関係を軽んじ、否定したのではありません。神様の御心をそれ以上に愛されたのです。それゆえに私たちは父なる神様との交わりの中に加えられました。ここに愛があるのです。この神様の愛を受け取って今日も遣わされましょう。いってらっしゃい。

木曜日, 5月 08, 2014

20140508_創世記37 マタイ12@1-21

■創世記37:6ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。37:7見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
★「ヨセフは兄たちの悪いうわさを父に告げた」とも聖書は記してありますが、その上にこの夢の紹介です。悪意はないとしてもあまりに幼い、人の気持ちの分からないヨセフでした。もちろんその原因をつくったのはヨセフ本人もさることながら、それ以上に父ヤコブの他の息子たちを差し置いたヨセフへの溺愛でした。親として学ぶべき教訓がここにありますが、そうした人の愚かさをも越えてご自身の計画を進められる神様。この神様の御手に握られ錬り鍛えられた者は、やがて歴史の表舞台で御国への貢献者として輝きます。

■マタイ12:12人間は羊より、はるかに値うちのあるものでしょう。それなら、安息日に良いことをすることは、正しいのです。」
★「七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。」との十戒がイスラエルの民に与えられたのは神様がイスラエルにあわれみを示すためでした。規則の背後には必ずその規則の制定者がいます。何より大切なことは、その制定者の心を理解し運用することで、廃すべき悪しきルールか、役割を既に終え廃すべきものかもその基準で見分けます。

水曜日, 5月 07, 2014

20140507_創世記36 マタイ11

■創世記36:9これがセイルの山地にいたエドム人の先祖エサウの系図である。
★エドム人とはエソウの子孫で、後のイスラエルの歴史において出エジプトするとき、エドム人はイスラエルが自分たちの土地に入るのを拒み、更にダビデの敵となります。同じ先祖を持つ民族ですがエドム人がカナン人と結婚したのをイスラエルのは見下したのです。あなたはここからどんな主の語りかけを聞きましたか。

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
★キリストはあなたの重荷を下ろさせて下さるお方です。しかし真の安息とは、すべての重荷を下ろすことによって与えられるものではありません。主が負わせて下さる重荷を負うときに与えられるものです。下ろすべき罪の重荷と、負うべき主の使命の重荷をわきまえ知る人は幸いです。自分を愛するように隣人を愛することによって広がる、神の国の事業のために、神様はあなたを必要としています。いってらっしゃい。

火曜日, 5月 06, 2014

20140506_創世記35 マタイ10@26-42

■創世記35:10神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。
★彼の名はヤコブ。すなわち「押しのける者」でした。しかし主がイスラエル「神の皇太子」へと変えられたのです。主はご自身を礼拝する者を祝福し、恵みをもって変えられます。あなたはイエス・キリストを主と告白し父なる神様を礼拝しますか。あなたはキリストに似る者として栄光から栄光へと変えられていきます。

■マタイ10:28からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
★人は恐れるものに支配されコントロールされます。あなたは何を恐れていますか。病ですか。孤独ですか。文なしですか。死ですか。認められないことですか。捨てられることですか。失敗ですか。老いることですか。しかしこれらを恐れるなら、恐れたものにあなたは縛られます。しかしイエス・キリストを恐れるなら、あなたはこれら上のものから解放され自由を喜ぶ者となります。なぜならイエス・キリストは死に勝利し、死を打ち破り、あなたを決して捨てることのない、全能者だからです。キリストは「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と語られます。よかったですね。いってらっしゃい。

月曜日, 5月 05, 2014

20140505_創世記34 マタイ10@1-25

■創世記34:25三日目になって、ちょうど彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブのふたりの息子、ディナの兄シメオンとレビとが、それぞれ剣を取って、難なくその町を襲い、すべての男子を殺した。
★妹ディナを辱めたシェケムに復讐するディナの兄シメオンとレビ。彼らは動機は正義を行うことでしたが、その目的を達成する手段においては間違い、嘘をつき、盗み、殺人を犯します。そしてその罪のため彼らは数世代後自分たちの分配の地を失うことに。悪に対して悪で返す恐ろしさがここに、その誘惑に負けてはなりません。いつの時代もどんな状況においても復讐は神様に委ねるのです。あなたの手と心を罪にまみれさせてはなりまんせん。

■マタイ10:16いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
★主のもとから遣わされた弟子たちの唯一の希望は自分たちの羊飼いである主の守りです。主の者とされたお互いは態度において消極的であるべきではありませんが、賢く用心深くあるべきです。私たちお互いは神様の働きを成し遂げるために、知恵と素直さのバランスを失ってはなりません。どこにおいてもまことの礼拝者として生きるイエス様中心のライフスタイルが祝福のカギです。いってらっしゃい。

日曜日, 5月 04, 2014

20140504_創世記33 マタイ9

■創世記33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。
★神様の恵みに触れられた者の生き方です。なんとしても自分の身を守ろうと一番うしろに陣取っていたヤコブが、ここでは群れの先頭に。神様の恵みは人を成熟へと向かわせ、負うべき責任を負うものへと導きます。また兄エソウの優しい反応にどれほどヤコブは驚いたことでしょう。しかし兄エソウが変わったのではありません。ヤコブ本人が変わったので兄の対応が変わったのです。

■マタイ9:9イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
★キリストに出会う前マタイの賜物は取税人の持つペンとして用いられた。しかし主に従った時に彼の持つペンは王の王であられる御子イエス様のご生涯を記す最高の事柄のために用いられた。神様はあなたの生涯をマタイ同様、最高に輝かせることのできるお方です。マタイ同様、主の招きを受けて立ち上がりましょう。

土曜日, 5月 03, 2014

20140503_創世記32 マタイ8

■創世記32:24ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。32:27その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
★21年ぶりに生まれ故郷に帰るヤコブ。その時ヤコブは兄エソウを力でねじ伏せようと、自分の群れがいかに大きいかを見せつける戦法にでます。昔と変わらない弟ヤコブの姿に、兄エソウは怒り、それを迎え撃とうと。弟ヤコブはそれを知ったとき、恐れてただ一人残りますが、そこで神様が出会って下さったのです。「私はヤコブ、押しのける者です」。遂にヤコブは砕かれ、新しいヤコブ、すなわちイスラエルとして生まれ変わります。神様の前に罪人、すなわちヤコブである私たちは、この経験なしに人生を逃げ切れることがありませんように。

■マタイ8:2すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」8:3イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。
★今日も創世記32章と連動です。何と自分の内にきよくないものがあることを認め、主の前に砕かれた心をもってひれ伏すことのできる人は幸いでしょう。主はその人をご自身のいのちによってきよめられます。いのちが内になければ触れた者が汚れの感化を受けますが、いのちが満ちているとき、触れられた汚れは、そのいのちの感化によってきよめられるのです。主はご自身の恵みによってあなたがいのちに満たされ、恵みを必要としている人に手を差し伸べる人となることを願っておられます。

金曜日, 5月 02, 2014

20140502_創世記31 マタイ7

■創世記31:36そこでヤコブは怒って、ラバンをとがめた。ヤコブはラバンに口答えして言った。「私にどんなそむきの罪があって、私にどんな罪があって、あなたは私を追いつめるのですか。31:41私はこの二十年間、あなたの家で過ごしました。十四年間はあなたのふたりの娘たちのために、六年間はあなたの群れのために、あなたに仕えてきました。それなのに、あなたは幾度も私の報酬を変えたのです。
★父から逃げる際、妻ラケルが父ラバンの大切にしていたテラフィムを盗みます。それに気づいたラバンはヤコブ一行を追い、咎めますが、どこにも見つからなかった時のヤコブの反応が上の言葉です。まさに押しのける者の姿です。それより注目すべきは、深いところで悔い改めのなかったヤコブは20年もの間だラバンに仕えても少しの信頼も得ることなく、むしろ軽蔑され利用されたのです。人を利用するものは利用されます。愛と信頼を築くことに心を注ぐ者でありましょう。

■マタイ7:1さばいてはいけません。さばかれないためです。7:2あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
★不思議な導きを感じます。上の創世記31章と同様のテーマです。神様は創られた宇宙に物理の法則と共に霊の刈り取りの法則も定められました。神様の恵みを一杯に呼吸し、愛といのちの種を蒔きましょう。自分一人が勝つ道を選択するのではなく、共に勝てる道を模索するあなたでありますように。主にあって捜せばその道は必ずあります。見つからなければ見つかるまで取引するのはやめましょう。いのちを選ぶ習慣こそがあなたの人生の宝です。

木曜日, 5月 01, 2014

20140501_創世記30 マタイ6

■創世記30:1ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見て、姉を嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます。」
★伯父ラバンに流れている競争原理は娘のレアとラケルにも。こうして二人はそれぞれに仕える奴隷女ビルハとジルパも巻き込み、骨肉の戦いを繰り広げます。二人の基準はヤコブに生む子供の数において勝つか負けるかであって、互いを思いやるものではありません。どこかで誰かが変えられなければなりません。そうでなければこの家庭に将来の希望はありません。せっかくの神様が上から注いで下さっている祝福も受け取れないのです。さて神様は誰をどのように変えられるのでしょう。ヤコブがイスラエルに変えらた意味がそこに隠されています。

■マタイ6:10御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
★これが神様から人に託された地上の人生における使命です。あなたが置かれているそのところに神様の恵みの支配を「御国」をもたらす。この世は罪が支配しています。しかし神様はあなたを立て、あなたが持つその関係を通して世界を変えようとしておられるのです。大上段に構える必要はありません。この価値観を受け取ったあなたが仕える人となり、愛する人となり、差し伸べるその手によって、語りかけるその口によって神様は世に命を流そうとしておられるのです。何のための生涯か、まずこの価値観を受け取るところから始まります。