月曜日, 5月 19, 2014

20140519_創世記48 マタイ21@1-22

■創世記48:19父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。
★ヨセフは二人の息子をつれて召される前に父ヤコブを訪ねます。かすみ目で次男を祝福しようとする父に「そうではありません。こちらが……」と長男の頭の上に手を置こうとするヨセフ。しかしこれで良いのだとヤコブ。神様の選びはときに人の常識を越えて働きます。あなたは自分は資格を備えていないと思っていませんか。しかし神様はご計画を成就するためにあなたをお用いになることのできるお方です。また「当然私が……」とおもう思いがあなたの中にあるなら、それが砕かれるまで、神様はあなたをお用いなさらないかも知れません。

■マタイ21:13そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
★受難週のはじまり、十字架の上で贖いを完成するために、ロバの子に乗ったイエス様がエルサレムに登ったとき、最初に取った行動です。主は怒られるお方です。愛と共に義が心に満ちておられるからです。あなたは何に一番の怒りの感情を抱くでしょうか。ただそれが感情だけでなく、具体的な行動を起こすまでになる内容とは何が侵された時でしょう。自分を知るために、一度立ち止まって考えることは良い機会になるかも知れません。主は神様の御名を利用し自らの私腹を肥やすため弱者を苦しめることに一番の憤りを覚えられました。いってらっしゃい。

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