土曜日, 5月 10, 2014

20140510_創世記39 マタイ13@1-30

■創世記39:23監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。
★「主が彼とともにおられたので」とこの章は繰り返されます。もちろん主がともにいて下さったでしょう。しかし言葉を返せばそれ以上にヨセフが主と共にあろうとしたと言うことです。出来事に飲み込まれ、自分を見失い祝福を失う人がほとんどの世において、ヨセフはどんな不運な出来事の中にあっても、夢見る者、望みを神様に置く者として歩みました。そしてその生き方こそが魅力的で、まわり大きな影響をもたらします。確かにあなたもヨセフ同様一歩先は分からないでしょう。しかしあなたを愛してご自身のいのちさえ惜しみなくお与え下さったイエス様がいつもあなたとおられることは紛れもない事実です。

■マタイ13:23ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
★土地とは人の心を表していますが最初からよく耕されている人は一人もいません。神様の恵みに支えられ、示される御言葉の光に照らされ悔い改める中、不信仰の石と汚れの不純物が取り除かれて、徐々にではありますが遂にゆかたに実を結ぶ土地へと変えられたのです。豊かな土地への秘訣は、聞きっぱなしにせず御言葉に生ききれない自分自身を常に主の前に差し出し、それでもそこに生きようとするあなたの生き方、ライフにあります。いってらっしゃい。

0 件のコメント:

コメントを投稿