日曜日, 10月 31, 2010

20101031_2歴代29_ダニエル09_使徒09

■2歴代29:4さらに、彼は祭司とレビ人を連れて来て、東側の広場に集め、29:5彼らに言った。「レビ人たち。聞きなさい。今、あなたがたは自分自身を聖別しなさい。あなたがたの父祖の神、主の宮を聖別し、聖所から忌まわしいものを出してしまいなさい。
★25歳で王となり29年間ユダを治めたヒゼキヤの言葉です。彼は父祖ダビデが行った通りに、主の目の前に適うことを行うことに心がけます。そしてレビ人と祭司に自分自身と神の宮の聖別を命じます。既にキリストの契約の血潮は十字架の上で流されました。そして私たちは新約の祭司です。光にさらしたもの。口で言いあらわしたものは全て光となり、神様の愛と赦しと癒しの霊によって益にかえられます。飛び込むのです。絶えずキリスト血潮の恵みの中に。

■ダニエル9:26その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
★口語訳では「その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません……。」と訳されています。この、キリスト誕生600前のこの時代、既に十字架の預言はされています。そうあなたとあなたの愛する人が神様の愛で生きるために。

■使徒9:17そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
★「兄弟サウロ」と呼びかけましたが、アナニヤはクリスチャンを捕らえ牢に閉じこめたサウロをどれほど憎く思った事でしょう。しかし主が「アナニヤよ。目の見えなくなったサウロの所へ行って……」と語られたとき、「兄弟よ」と語るのです。決して「それみた事かサウロよ」ではありません。ここにキリストにある者の命が鮮やかです。主にある奇蹟と祝福は常に赦しから始まります。主はその主人公となるためにあなたを召し出されました。ヒデ

土曜日, 10月 30, 2010

20101030_2歴代28_ダニエル08_使徒08

■2歴代28:23彼は自分を打ったダマスコの神々にいけにえをささげて言った。「アラムの王たちの神々は彼らを助けている。この神々に私もいけにえをささげよう。そうすれば私を助けてくれるだろう。」この神々が彼を、また全イスラエルをつまずかせるものとなった。
★20歳で王となり16年ユダを治めたアハズ。しかし彼は主の目に適うことを行わず、人身犠牲を捧げ、死んだ時には代々のイスラエルの王達の墓にさえ、入れられることがありませんでした。なぜでしょう。その原因が上の御言葉です。アハズは一体何を見ていたのでしょう。人身犠牲によって暴力と恐怖の条件付けで民をコントロールできる神が自らを助けると見たのでしょうか。大きな誤解で愚かです。何を羨むか。それによってあなたが何を見てるか分かります。朽ちるものにではなく朽ちないイエス様の愛にこそ目を注ぎ、その愛への応答に生きることの尊さを憶えましょう。

■使徒8:26ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)8:27そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、8:28いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
★神様は辻褄を合わせて下さるお方。でなければ、信仰復興の祝福が鮮やかに起こっているサマリヤを離れて、どうして荒廃しているガザに行けとなど、お命じになるでしょう。そしてピリポが神様の言葉に従順した時、その理由を彼は悟ることになったのです。将来の希望を失ったエチオピアの女王カンダケの高官が、ピリポを通してそこで、主の愛に触れられるとは。また主は、この一人の宦官の痛みを受け止め、助けを送って下さるお方です。今どんな痛み、悲しみ、憂い、困難がありますか、けれども主は必ずあなたにも、あなたのために助けを送って下さいます。さあ目を上げ、告白しましょう。「私の助けはどこからくるのだろうか。私の助けは天地を創られた主から来る」と。ヒデ

金曜日, 10月 29, 2010

20101029_2歴代26-27_ダニエル07_使徒07

■2歴代26:16しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入った。
★彼とは、イザヤ書6章で「ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。」と預言者イザヤが語ったあのウジヤです。人は苦しい試練や挫折の中にある時と、成功の中にある時、どちらの方が失敗や罪を犯すのでしょうか。その答えは「共に」です。しかし、絶頂にある時、人は更に注意が必要です。その中で人は分を越えて思い上がる事があるのです。主の弟子パウロは「分を超えないことを学んだ」と語ります。誰でも強くなれば、成功を収めれば、私も捨てたものではない。行ける。できる。との勇気がわいて来るのは当然です。しかしあなたの成功の背後には神様の恵みと哀れみがあり、即ち「神様に有って」なのです。決して分を超えてはなりません。あなたを丁度よい時、高く引き上げて下さるお方は神様です。

■ダニエル7:27「国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。」
★これは預言者ダニエルが見た幻です。またダニエルは別の箇所で彼が見た幻を「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」とも語ります。このお方こそ、正しい裁きを待ち望むあなたのためにやがて再び来られる主イエスキリスト様です。

■使徒7:56こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
★証言台に立たされたステパノの言葉です。この時、聖霊様は彼の唇を用いて旧約聖書の全体の流れと本質を紹介して下さいました。あなたも7章に触れて下さい。主があなたの為に天を開き、そこにあなたの為にいて下さるイエス様の姿を見させて下さることでしょう。ヒデ

木曜日, 10月 28, 2010

20101028_2歴代25_ダニエル06_使徒05-06

■2歴代25:9 アマツヤは神の人に言った。「では、イスラエルの軍勢に与えた百タラントはどうしたらよいのか。」神の人は答えた。「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」。
★あなたはギャンブラーではないでしょう。しかし25歳でユダの王となったアマツヤはかつて失った百タラントをとりもどすことに心捕らわれてしまいます。結果その心が神様から全く離れているにもかかわらず、それに気づかず圧政を行い、国民の謀反によって命を落とすのです。主はかつて神の人を通し彼に「神には、助ける力があり、つまずかせる力もあるからです」と忠告下さったにもかかわらずです。「あの失った損失を取り戻さずにおれようか」と、心捕らわれているものがあなたにありますか。要注意です。神の人の答えの通り、私たちの心は先ず神様に向けられるもの。その時、損失を取り返すに遙かに勝る祝福に、あなたの人生は包まれるのです。

■ダニエル6:5そこでこの人たちは言った。「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。」
★メディアの王ダリヨスに特別に重んじられる大臣ダニエルを他の太守大臣達は妬み、変わらぬ姿勢で神様を礼拝する、そのダニエルの姿を罪に定める法律の制定で彼をライオンの穴に投げ込みます。しかし主は、真実込めてご自身を愛する者を、たとえ光の見えない絶望の洞穴からも助け出されるお方です。神の言葉はその事を「ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」と語るのです。主を愛そうとするあなたの主への愛は何者にも変えがたい価値があります。その愛が今日もあなた自身を救います。感謝しましょう。

■使徒6:15議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。
★この時人々はステパノに目を注ぎました。しかしそれ以上に今日も変わらずあなたに目を注いで下さるお方がおられます。主です。そのお方によってあなたは輝けます。行ってらっしゃい。主があなたと共におられます。ヒデ

水曜日, 10月 27, 2010

20101027_2歴代24_ダニエル05_使徒03-04

■2歴代24:2ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、主の目にかなうことを行った。
★人間の弱さを思います。責任を負い合える透明な関係を築ける友のある祝福を思います。あなたは信仰の友のために心がけた生活をしていますか。

■ダニエル5:24それで、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。5:25 その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。』5:26 そのことばの解き明かしはこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。5:27『テケル』とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。
★神様は私たちの生涯を量られるお方。それで足りなかったのです。ですからキリストを下さいました。この時、カルデヤ人の王ブルシャツァルは、その神様の言葉を退け、メディア人ダリヨスによって命を落としました。自らを正しく量れるはかりは唯一神の言葉であることを知る人は幸いです。

■使徒4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
★思い違いをしないようにしましょう。神様の恵みは与えられていないのではなりません。豊かに与えられているのです。それがキリストです。このお方の中に一切の宝と富と知恵が満ちているのです。そしてその祝福はこのお方の命につながることによって受けるのです。心を開きキリストを迎え入れるあなたと主は今日も親しく歩んで下さいます。ヒデ

火曜日, 10月 26, 2010

20101026_2歴代23_ダニエル04_使徒02

■2歴代23:11こうして彼らは、王の子を連れ出し、彼に王冠をかぶらせ、さとしの書を渡して、彼を王と宣言した。そしてエホヤダとその子たちが彼に油をそそぎ、「王さま。ばんざい」と叫んだ。
★ここにはユダの国を愛する勇気ある祭司たちの姿が描かれます。アハズヤ王の母アタルヤはバアル礼拝によって国に混乱をもたらします。が、我が子が死んだとき、直ちに王の一族をことごとく殺し、自ら王となり国を支配しようとします。しかし祭司エホヤダは唯一アタルヤから逃れた王の子供を、神の宮に6年間隠し、時満ちてこの時、彼を王とし、国を偶像礼拝をもって滅ぼそうとするアタルヤから取り戻します。いつの時代も神を畏れ勇気をもって立ち上がる人が時代を創ることを覚えましょう。

■ダニエル4:33このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。
★ここはネブカデネザルがバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、心の中で「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」と思ったとき、ダニエルが彼のためにした夢の解き明かしの通り、理性を失い、気の違った者となってしまうのです。神様は高ぶりで人が滅びることの無いように、その高ぶりに限界を定めて下さるお方。主は「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」と語られます。

■使徒2:3また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。2:4すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
★教会の誕生となったペンテコステの日の出来事です。聖霊とはひとりひとりの上に留まり、壊れた関係の回復の為に力を与えて下さるお方です。それはあなたにおいても例外ではありません。勇気を持って平和を作り出す者とさせて頂きましょう。ヒデ

月曜日, 10月 25, 2010

20101025_2歴代21-22_ダニエル03_使徒01

■2歴代21:7主は、ダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束されたからである。
★どれほどに神様は憐れみ深いお方でしょう。主はダビデと結ばれた契約のゆえに……と、ダビデの家系に憐れみをかけられます。しかしヨラム王はユダの山々に高き所を造り、エルサレムの住民に淫行を行わせ、ユダを迷わせる事を止めなかったので、主は「それ故あなた自身大病を患い、内臓が外に出るまでになる」と預言者を通して裁きを宣告なさるのです。神様の憐れみを軽んじることはなんと愚かなことでしょう。聖書は「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、捨てる者はあわれみを受ける。」と語ります。

■ダニエル3:18しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
★ここには信仰とは命をかけて全うするものと、信仰の本質が明確です。バビロンの王ネブカデネザルは自ら立てた金の像を国の全ての人々に拝ませようと強要し、そうしないなら火の中に投げ込むと脅します。が、上の御言葉のようにダニエル達はそれを拒んだのです。しかしどうでしょう。展開は大逆転です。火の中に落ち込んでも御使いに守られている彼らを見た王は主を恐れ、彼らの信仰を認めるに至のです。信仰とは自らの持てる純情を神様に精一杯捧げること。妥協は神様の祝福を失います。自らが自らを救うのではなく、信仰によって、自らを助け出して下さる神様を経験させて頂きましょう。

■使徒1:8しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
★あなたに今日を生きる力を下さるお方は誰でしょう。聖霊様です。このお方に心を開き、このお方と共に今週も神様の祝福の中を歩ませて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 10月 24, 2010

20101024_2歴代20_ダニエル02_ヨハネ20-21

■2歴代20:15彼は言った。「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。
★これは神様を畏れる南ユダ王国のヨシャパテ王に、神の霊に導かれたレビ人ヤハジエルが語った言葉です。このレビ人を通しての主の言葉をヨシャパテは聞く前、不意に攻めて来たモアブとアモンの連合軍を前にして「私たちの父祖の神、主よ。あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。私たちは苦難の中から、あなたに呼ばわります。あなたは聞いてお救いくださいます。」と、素晴らしい祈りを捧げ、主の救いを経験しました。まさにそれは「これは主の戦い」と語られたとおり、この時ヨシャパテの敬虔さを用いて主がアモン人とモアブ人を滅ぼす為になした事でした。
しかし世の中には目の前におこる事の全てについて自分との関係に結びつけなければ納得できない人もあります。良いことも悪いことも。しかしその生き方は疲れるのです。たとえ目の前に悪いことが起こっても、主があなたを信任し、主がご自身勝利を取られるためにおこる出来事もあるのです。重荷を負いすぎないように。自分を責めすぎないように。あるいは何でも「この成功は自分が……をしたから」とおごりすぎないように。主の戦いがあることを認め、目の前の事を主の御手に委ねることも、時に大切であることを知る人は幸いです。

■ヨハネ21:17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
★主を知らないと3度否んだペテロ。あなたはどんなことがあっても、もう取り返しがつかないと諦め、自分自身で自分を赦していないことはありませんか。主はそれを赦すために十字架にかかられ、あなたの為に食事を用意して下さるお方なのです。信じて飛び込みましましょう。ヒデ

土曜日, 10月 23, 2010

20101023_2歴代18-19_ダニエル01_ヨハネ19

■2歴代19:6さばきつかさたちにこう言った。「あなたがたは自分のする事に注意しなさい。あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからです。この方は、さばきが行われるとき、あなたがたとともにおられるのです。
★これは祭司たちを励ます南ユダ王国、アサ王の息子、ヨシャパテ王の言葉です。なぜこんな事を彼は言ったのでしょう。それは彼の目の前で、偶像礼拝の罪を犯しつつも敵国ラモテ・ギルアデとの戦いに臨み、そこで命を落とした北イスラエルの王アハブを見たからです。彼は王であることを隠すために変装までして戦いに臨みます。が、たまたま飛んで来た矢が、彼の胸当てを刺し貫き倒れます。「人ではない神様がこの事をなさった」。その経験がヨシャパテ王に先の言葉を語らせます。そう。神様は生きておられます。この正しい酬いをなして下さるこのお方の前に生きましょう。

■ダニエル1:19王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。
★今日からダニエル記です。異国の地で孤独を味わっていたダニエルたち。しかし不思議です。彼らの前に信じられない祝福の扉が。祝福の扉は自ら開くもの。その考えも確かにそうでしょう。しかしもっと確実な考えとは、祝福の扉は主が開かれるもの。たとえどのような立場や境遇の中にあろうとも、まず神の国とその義を求める所から始めましょう。

■ヨハネ19:11イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
★十字架の前の主の言葉です。「人は天からの権威がなければ何の力もない」。まさにその通り。自分で自分を高くしようとするなら、人は権威主義に陥り、祝福の命の流れと関係を破壊します。どうかあなたの生き方が、丁度良いときに神様によって高くされる生き方を求める、それでありますように。ヒデ

金曜日, 10月 22, 2010

20101022_2歴代16-17_エゼキエル48_ヨハネ17-18

■2歴代16:9主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」
★今朝は主からの教訓を受け取りましょう。神様を畏れ宗教改革を断行し、それに反発する近隣諸国との戦いに南ユダ王国のアサ王は「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」と、国に勝利をもたらしました。しかし兄弟国であった北イスラエルが迫り来る時、彼は神様にではなく異教ダマスコのベンハダデ王に貢ぎを送り助けを求めます。冒頭の御言葉はその時、神様がアサ王に与えた叱責です。
人は緊迫した恐怖や、余りに近い関係にあっては感情的になり、冷静な判断を欠き易いものです。しかし主は生涯を通して私に寄り頼む者でありなさいと語られます。そして信じる者の生涯に豊かな助けと祝福を注いで下さるのです。

■ヨハネ17:15彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
★主は弟子たちをどれほど愛しておられた事でしょう。主はこの最後の晩餐のしばらくの後、ご自身十字架に掛かられる事を自覚して「彼らを御名の中に保って下さい」と父なる神様に執り成します。しかし同時にはじめの御言葉の様にも執り成されたのです。ここに主の者とされた存在の地上での目的が明らかにされました。そう光は闇の中で輝いてこそ価値があり、闇が深ければ深いほどあなたへの主の執り成しは深いのです。一人ではありません。主があなたと共におられ、「そこで」あなたを助けて下さいます。それは今日あなたが直面するその所でです。ヒデ

木曜日, 10月 21, 2010

20101021_2歴代14-15_エゼキエル47_ヨハネ15-16

■2歴代14:11アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」
★イスラエル王国を北イスラエルと南ユダに分裂させてしまったレハベアム王の「さそりによって……」との高圧的な態度。その後を受け、偶像礼拝の罪によって悪政を行ったアビヤ。その後、南ユダの王として立てられたのがアサ王でした。彼は先の二人の王を反面教師として神様を畏れ宗教改革を断行したのです。それに反発する近隣諸国との戦いに、「主よ。力の強い者を助けるのも……」と語ったのです。
あなたが主に従おうとする時、ときに煙たがり対抗する動きが起こるかも知れません。その時の勝利の秘訣がここにあります。救命ボートの底に穴があっては、人を救命するどころか、自らも溺れさせてしまいます。主を畏れる者にとってこの世の汚れへの妥協は厳禁です。しかしあなたはこの世にあって自らを救い、今は心閉ざすその人の救いのためにも神様が召し出して下さいました。

■ヨハネ15:16あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
★私は他でもないあなたに語ります。与えられた命を粗末にしてはなりません。神様の前における自分の誇りを失ってはなりません。あなたには価値があるのです。あなたの代替えは神様に無いのです。死んではなりません。この神様の愛によって心の中の恐れと混沌を打ち砕き退けるのです。そしてあなたはやがて必ず、主にあって豊かな実を結ぶのです。今この事実を心を開いて受け取りましょう。ヒデ

水曜日, 10月 20, 2010

20101020_2歴代12-13_エゼキエル46_ヨハネ13-14

■2歴代12:7主が、彼らのへりくだった様子をご覧になると、シェマヤに次のような主のことばがあった。「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう。シシャクの手によって、わたしの怒りをエルサレムに注ぐことはやめよう。12:8ただし、彼らは彼のしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである。」
★なんと言う憐れみ深い神様のご配慮でしょう。御言葉はソロモンの後を受けて王となったレハベアムに対して「レハブアムの王位が確立し、彼が強くなるに及んで、彼は主の律法を捨て去った。」と記します。が、彼が悔い改めた時、上のような導きを主はお与え下さったのです。従順に従う人のためには「彼が思い知るため」などと言う特別な配慮を、主はする必要はありません。しかし主は彼の為に……。何と言う主の愛でしょう。見ないで主の愛を信じることのできる幸いな人とは誰でしょう。

■エゼキエル46:13あなたは毎日、傷のない一歳の子羊一頭を全焼のいけにえとして、主にささげなければならない。これを毎朝ささげなければならない。
★この言葉のごとく朝ごとに主の御前に近づくあなた。主はあなたを喜んでおられます。

■ヨハネ14:6イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
★最後の晩餐で弟子たちに主が語られた有名な御言葉です。道は何のために作られるものでしょう。偶然に出来上がるものではありません。それは目的地まで人が到達できるよう助ける為に作られ、人はその道の上を踏んで目的地まで迷わず至ことができるのです。即ち主は語られます。さあ私を踏んで天国へ行きなさいと。主はその為に、仕えられるためではなく、あなたに仕える為に、み位を捨てて来て下さったのです。そしてあなたはこの主の愛の中を、御国に至まで歩むのです。ヒデ

火曜日, 10月 19, 2010

20101019_2歴代10-11_エゼキエル45_ヨハネ12

■2歴代10:7彼らは王に答えて言った。「もし、あなたがこの民に優しくし、彼らに好意を示し、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」
★これはソロモン王の亡き後、息子レハベアムが代わってイスラエルの王となった時、くびきの軽減を求めてやって来たヤラベアムに対して示した長老達の指針です。しかし若きレハベアム王は長老達の助言ではなく、自らの力を誇示し、威圧して国を支配するようにとの若者達の考え『私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりを使うつもりだ』を採用したのです。その結果イスラエル12部族は完全に2つに分裂し、現在に至るまで関係の修復を見ていません。力あるものはそれで良いかも知れません。しかし弱き者は常に強者の争いによって傷つくのです。協調の何と尊いことか。「あわれみは、さばきにうち勝つ」と主は語られます。

■エゼキエル45:10正しいはかり、正しいエパ、正しいバテを使え。
★エパとは穀物を量る単位。バテとは液体を量る単位。人は量るはかりで量り返されます。正しいはかりに立つことはあなたを救います。

■ヨハネ12:24まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。12:25自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。12:26わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
★消えて無くなるためにではありません。復活の命に甦るため自我をキリストに委ねるのです。人を恐れるのではないのです。神を畏れるのです。その時、主があなたの生涯を責任をもって導いて下さいます。主にとってあなたはなくてはならない存在です。ヒデ

月曜日, 10月 18, 2010

20101018_2歴代9_エゼキエル44_ヨハネ11

■2歴代9:6実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、彼らの言うことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはあなたの知恵の半分も知らされていなかったのです。あなたは、私の聞いていたうわさを上回る方でした。9:7なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできるこの、あなたの家来たちは。
★これはソロモンの知恵の素晴らしさを伝え聞いたシバの女王が、実際にソロモンに会って、心にある質問の回答を彼から受けたときの感想です。何と言う驚くばかりの知恵と成功。しかしこの歴代志、この章の一番最後に「ソロモンは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をその父ダビデの町に葬った。彼の子レハブアムが代わって王となった。」と彼の生涯を閉じるのです。人生で最も大切なこと、それは神に会う備えであると言わんばかりです。あなたはもうなさいましたか。神様に会う備えを。

■ヨハネ11:39イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」
★これは主が愛したマリヤとマルタの弟ラザロの死の報告を受け、彼の墓に訪れた時、一番最初に主が語られた言葉です。「石を取りのけなさい」。けれども人々の反応は「ラザロが死んでもう4日もたちますから無理です」でした。最もな話です。しかし、キリストとは誰でしょう。神様御自身であり「わたしはよみがえりであり命です」と、語られた通りに生殺与奪の権を御手に握っておられるお方です。そして唯一このお方の栄光を妨げるのが、私たちの内に巣を作ろうとする不信仰の岩なのです。神様の恵みの御力によって取り除かせて頂きましょう。そして主の栄光を今週も拝させて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 10月 17, 2010

20101017_2歴代8_エゼキエル43_ヨハネ9-10

■2歴代8:7イスラエルの出でないヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民全員、8:8すなわち、イスラエル人が滅ぼし尽くさなかった人々の跡を継いでこの地に生き残った彼らの子孫に当たる人々を、ソロモンは苦役に徴用した。今日もそうである。8:9しかし、ソロモンはイスラエル人を自分の仕事をさせる奴隷にはしなかった。
★「しかしソロモンは奴隷にしなかった。」これが神様を畏れたソロモンがイスラエルの同胞のみならず異邦人に対してもとったスタンスです。あなたは決して人を奴隷にしてはなりません。人を奴隷にしたなら、一生その人の面倒は、奴隷にした人が見ることになるのです。そればかりか人を奴隷にするなら、した人は必ず罪に支配され、罪の奴隷となるのです。肉体的な力に於いても知性に於いても、何かの秀でた能力においてもです。そうした力は決して相手を威圧し、支配するために与えられるものではありません。むしろ助けるためです。ソロモンが立ったこの真理によってあなたは隣人を助け、自らも救うのです。

■ヨハネ10:32イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」10:33ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
★ここにはイエス様が十字架に付けられた理由が明確です。自らを神としたから。いえ正確には神でありながら、自分を人間となさったのです。何のために、それはあなたと私を救うため。身代わりとなって当然私たちが受けるべき刑罰としての死を、身代わりに受けて下さるためでした。その打たれた傷によって私たちは赦されたのです。主に感謝しましょう。ヒデ

土曜日, 10月 16, 2010

20101016_2歴代7_エゼキエル42_ヨハネ8

■2歴代7:13もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、7:14わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
★神殿奉献の祈りをソロモンが祈り終えると、主は御自身の栄光をその宮に満ち溢れさせ、天からの火をもって、全焼のいけにえを焼き尽くされ、上の約束をソロモンに示されたのです。内容は、聞く、赦す、癒す、確立するです。かつて時代、この神殿の祈りに目を留められた主は、今やキリストの十字架を通してささげる祈りに目を留められ、耳を傾けられ事を為して下さいます。「神よ、私はこの取税人のような罪人でないことを感謝します」と祈ったパリサイ人ではなく、「罪人のこの私をおゆるし下さい」と祈った、取税人の祈りをお聞き下さった主は、今も変わることなく生き働いて下さることを心に刻みましょう。

■ヨハネ8:58イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
★イエス様のお生まれになった二千年前に、神様の語りかけに従って約束の地を見ずして出で立った信仰の父アブラハム。キリストは彼が生まれる前から「私はある」(エゴーエイミ)と語られました。「私はある」とは誰でしょう。イスラエルをエジプトの苦役から脱出させるためにモーセに現れた主ご自身です。主はモーセが「私が民の前で出エジプトの計画を説明した時、ではモーセよ、あなたに現れた神様の名前は何と言うのかと問われたたら、何と答えたらいいですか」に対して、御自身「私はある」だと語られました。私たちはこのお方によって「有らせられている存在」。しかしこのお方は常に「有ってあるお方」。キリストは神御自身。この事実に他の宗教にはない救いがあるのです。アブラハムに御自身を示し、十字架から甦られた主は、今も生きておられます。ヒデ

金曜日, 10月 15, 2010

20101015_2歴代5-6_エゼキエル41_ヨハネ7

■2歴代6:42神、主よ。あなたに油そそがれた者たちの顔を退けないでください。あなたのしもべダビデの忠実なわざの数々を思い起こしてください。」
★遂に神殿が完成し契約の箱を神殿に担ぎ込む時が。ソロモン王が祈った祈りの最後の部分が上の祈りです。彼はその前に「主よもし民があなたを忘れて……しかし立ち帰った場合、どうぞ天からそれを聞いて癒して下さいますように。……」と民をダビデの名によって執り成しました。では私たちを祈りによって執り成して下さるお方は誰でしょう。ダビデの子孫として生まれ、私達の為に十字架の上で死んで3日目に甦られ、天に上られた主イエス様です。私たちの救いの為に、ただ一度「願わくはこの杯を取り除いて下さい(十字架に掛かられること)」との祈りは、退けられましたが、それ以外一度もこのお方の祈りが聞き届けられなかったことはありません。あなたはこのお方の祈りの中に守られているのです。

■ヨハネ7:37さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。7:38わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
★これは、ご自身を信じる者が後になってから受ける御霊をさして主が語られたことばです。主はここで私たちが求めるべきものが何かを明確に指し示されたのです。それは聖霊様です。聖霊様とは何ですか。三位一体の神様御自身です。キリストに代わってあなたの心に住んで下さるお方。あなたを真理へと導いて下さり、甦られた後、主が閉ざされていた扉を通り抜けて弟子たちに現れて下さったように、あなたの身体を栄光の身体に変え、あなたの身体の傷んだ所をも癒して下さるおかたです。聖霊様来て下さい。私の内に満ちて下さいと大胆に祈りましょう。これこそがあなたの生涯が栄光に輝く秘訣です。ヒデ

木曜日, 10月 14, 2010

20101014_2歴代3-4_エゼキエル40_ヨハネ6

■2歴代4:19 ついで、ソロモンは神の宮にあるすべての用具を作った。すなわち、金の祭壇と供えのパンを載せる机、4:20内堂の前で火をともすための燭台と、その上のともしび皿を規格どおりに純金で作った。
★ソロモンが如何に父ダビデ王から託された神殿を建て上げたかの記述です。そしてその象徴とも言うべき言葉とは上の御言葉に記された「規格どおりに」、「純金で」です。彼がいかに主の御心に注意深く沿って、また最高のものを神様にささげさせて頂きたいとの思いの内にこの事をなしたか。礼拝とは私たちの霊の一番深い部分を神様の前に開き、それをおささげし、主の語られたことに従いますと告白する行為です。主は今日も「誰か命を懸けて私に近づくものはいないか」と語られます。自分の頑張りによってではなく、主の愛のゆえに「そうさせて下さい。そうします」とささげて一日を始めましょう。その酬いはあまりに豊かです。

■ヨハネ6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
★主がなされる癒しと、語られるみ言葉を求めてどれほど多くの人が主のもとに集ったことか。しかしあっという間に時間がたち、ガリラヤ湖畔はもう日が傾こうとしているではありませんか。「主よ、食べるものも宿泊する場所もありません。彼らを解散させて下さい」と弟子たち。その時わずかに差し出された少年の5つのパンと2匹の魚。主はそれを天に向けて差し出し、感謝をささげて分けられたのです。その時なんと2万人近い人が満腹に。問題に直面したとき、ないものではなく、まず与えられているものに目を向け感謝をささげましょう。奇蹟と主の御業はそこから始まります。ヒデ

水曜日, 10月 13, 2010

20101013_2歴代1-2_エゼキエル39_ヨハネ5

■2歴代1:10 今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」
★これはダビデの後イスラエルの王位を継いだ息子ソロモンが、主の神殿を建て終え、真心からの礼拝を捧げたその夜「あなたに何を与えようか。願え」との主に応答して語った言葉です。その求めは自分の富や名声、長寿ではなく、神を愛し、民を愛するもの故に、彼の願いに添えて、富みも名声も長寿も与えられることになったのです。人の価値とはその人の求めに大きくあらわれ、いざと言うとき本音が出ます。ただこの事を心に留めましょう。主は決して心が狭く出し惜しみなさる方ではありません。むしろ多くを与えたくてしかたがない方。しかし、それを受け取る事のできる人を探しておられるのです。器の備えのない人に多くを与えたなら、むしろそれが誘惑となり、その人を滅ぼすことになるのです。人はその願いによって計られるのです。

■ヨハネ5:39あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。5:40それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
★敵対しようとする宗教家の前で主イエス様が高く差し伸ばした聖書とは、それは旧約聖書。新約はキリスト以降、教会によって編纂され、この時はまだ存在しません。にも関わらず、主はこの旧約聖書は私の事が書かれ「モーセが描いた神とは私だ」と驚きの発言をなさるのです。そう。キリストは、ご自身、歴史を父なる神様と共に導いたお方であり、歴史を貫いて存在し続けた神自身であると語られたのです。キリストはペテン師か神か?けれど信じがたいほどの事ですが事実なら、ここには無限の希望が。だからキリストは招かれます。「いのちを得るために私のもとに来なさい」と。信じましょう。そしてこのお方にあって共に歴史を創りましょう。ヒデ

火曜日, 10月 12, 2010

20101012_1歴代29_エゼキエル38_ヨハネ4

■1歴代29:28彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ。彼の子ソロモンが代わって王となった。29:29ダビデ王の業績は、最初から最後まで、予見者サムエルの言行録、預言者ナタンの言行録、先見者ガドの言行録にまさしくしるされている。
★ついに歴代志最後のダビデの生涯についての記述です。「彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ」。何と祝福された生涯だったでしょう。その秘訣について思わず彼が語った言葉をこの章は残します。「私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。」詩篇では「あなたは心の内にまで真実を求めて下さいます」と語ります。神様は人を、何をしたかの前に、どんな動機によってしたかで計って下さるお方です。だからあなたは失敗を恐れる必要はありません。主はあなたがささげるその真心を喜んで受け入れ祝福して下さるお方です。

■ヨハネ4:13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。4:14しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
★主はこうして一人の婦人に語りかけ、その婦人が「その水を下さい」と求めた時、あなたの重荷と憂い、何より罪を私の前に持ち出すのですと示されました。私たちの心は神様につながり、神様を仰ぐなら自然と命の泉が湧きあがるもの。しかしその心に栓をして、命の流れを留めてしまうのが罪なのです。あなたは自分の人生の悲しみを一人で抱え込む必要はありません。あなたを受け止め癒して下さる主が今日もあなたの前にいて下さいます。クリスチャンとは常に主に本当の事を知って頂いた喜びの中に生きる者。心を開き主に語りかけながら今日も一日始めましょう。ヒデ

月曜日, 10月 11, 2010

20101011_1歴代28_エゼキエル37_ヨハネ2-3

■1歴代28:20それから、ダビデはその子ソロモンに言った。「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。
★今だ誰も経験したことのない神殿建築に臨もうとするソロモン。そしてそれを励ます父ダビデ。神様から特別の知恵の賜物を頂いていたソロモンでしたが、それにも勝るとも劣らない彼への賜物、それが父ダビデを通しての励ましです。この、父ダビデの我が子に対する励ましの豊かさに目を留めましょう。そしてあなたが父と呼ばれる人ならば躊躇することなく、あなたの子供にこの励ましを与えましょう。そして私は主の教会に立てられた牧師として、今あなたに心を込めて語ります。「あなたは確かに主の誇りであり、我が誇り。主は御自身の栄光のためにあなたを召し出されたのです。忘れないで!」

■エゼキエル37:10私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。
★躊躇なく求むべきは聖霊様。このお方があなたとあなたの生涯を支配して下さるようにと祈りましょう。救い主イエス様は「子が卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、聖霊を下さらないことがありましょう。」と約束して下さいました。

■ヨハネ2:3ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
★人をもてなし酔わせるぶどう酒が結婚式でなくなるとは。しかしあり得ないことがおこるのが人生です。あなたはその時どうしますか。主の母マリヤは主に訴え、水がぶどう酒に変えられる信じがたい奇蹟を見たのです。主に求めましょう。人生の危機は主に近づくチャンスです。そして不足は満足と感謝へと変えられます。ヒデ

日曜日, 10月 10, 2010

20101010_1歴代27_エゼキエル36_ヨハネ1

■1歴代27:1イスラエル人、すなわち、一族のかしらたち、千人隊の長、百人隊の長たち、および彼らのつかさたちは、王に仕えて一年のすべての月を通じ、月ごとの交替制にしたがって、各分団のすべての事に当たったが、その人数は一つの分団が二万四千人であった。
★この章には王の政治を補佐する役人の奉仕の組み分けが記されます。月ごと、一つの分団の規模は二万四千人、それは国を敵から守り、更に広げ、国内を治めるために必要でした。そして主イエス・キリストが示された神の御国のためにも、その為に立ち上がる分団とリーダーが必要です。あなたは御国の為にどんなチームに所属し、時を聖別し、王なるキリストに仕えますか。そこにはあなたの霊を健やかにする喜びと祝福があるのです。立ち上がりましょう。そして与えられた命を、永遠に関わる事業のために注ぎ出しましょう。

■エゼキエル36:25わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、36:26あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。36:27わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。
★これはイエス・キリストによってもたらされる救いの預言です。受け取る秘訣は心を開いた悔い改めと信仰です。

■ヨハネ1:5光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
★今日からヨハネの福音書です。光とは預言された救い主キリスト。やみとは神に反抗する悪の霊的な根源悪魔サタンです。キリストは生涯を通じて彼と戦い、ついに十字架の上でその闇の力を打ち砕きます。福音書はその戦いの記録。そしてキリストに心開くあなたもキリストと共に闇の中で輝く存在となるのです。あなたにも戦いがありますね。でもこのお方と一緒なら大丈夫です。ヒデ

土曜日, 10月 09, 2010

20101009_1歴代26_エゼキエル35_ピリピ3-4

■1歴代26:12門衛のこれらの各組に対し、主の宮で仕える任務が、彼らのかしらごとに、彼らの兄弟たちと全く同じように割り当てられた。
★ここには契約の箱を安置し、祭司がささげ物をした、会見の天幕を守るイスラエル部族の構成が記されます。彼らは神に仕える場合、チームで仕えていたことを覚えましょう。どの部族にも分け隔てなく門衛の務めがくじによって与えられたのです。神様は御自身を愛するものが一致の中で仕えて行こうとする時、そこに大きな力を注ぎ、御自身の栄光をあらわされるお方です。あなたはチームの一員として神様に仕えられるよう普段から祈っていますか。まず家庭から始めましょう。イスラエルの場合も始まりは部族単位でした。

■エゼキエル35:12 おまえはイスラエルの山々に向かって、『これは荒れ果てて、われわれのえじきとなる』と言って、侮辱したが、主であるわたしがこれをみな聞いたことを、おまえは知るようになる。35:13おまえたちは、わたしに向かって高慢なことばを吐いたが、わたしはそれを聞いている。
★これはイスラエルを軽んじ侮辱したセイル、即ちエドム人に向かって語られた主の言葉です。主は御自身にささげられる感謝、つぶやき、高慢、祈りをみな聞いておられるお方です。そしてあなたは日々このお方の前で生きているのです。

■ピリピ3:12私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
★ここには「私は、私を強くして下さる方によってどんなことでもできるのです」と語った主の弟子パウロの価値観が明確です。端的に言うなら謙虚さと、受け止めた神様の真実に寄り頼もうとする姿勢。そして、その全ては主の赦しを、迫害者パウロが受け取った所からスタートしたのです。勝利ある人生のスタートはここが原点であることを心に刻みましょう。主の真実とご愛は、あなたの人生を必ず完成へと導かれます。ヒデ

金曜日, 10月 08, 2010

20101008_1歴代24-25_エゼキエル34_ピリピ1-2

■1歴代25:1また、ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者とした。その奉仕に従って、仕事についた者の数は次のとおりである。
★神の言葉を取り次ぐ預言者が自由に活動できる事は、その国の平和のあらわれです。そうでない場合、聖書は「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来る」と警告します。またバプテスマのヨハネの首を切ったヘロデ王は「ヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。」と彼の内面の混沌をあらわします。勇気ある信仰の決断をもって神の言葉に従う時、あなたは奇蹟を見るのです。

■エゼキエル34:31 あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。神である主の御告げ。
★私たちが人であることを知っていて下さる主の御名を崇めましょう。

■ピリピ2:6キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、2:7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、2:8自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
★ここにはキリストがなして下さったことが明確です。そのキリストを父なる神様は甦らせられたのです。同様に神様の御心に基づいて遜るあなたを、父なる神様は復活の命で支え、丁度よい時に高く引き上げて下さいます。一粒の麦は地に落ちて死んだら実を結びます。人は罪深い自我に死ぬとき、父なる神様の御力によって霊的な復活を経験します。そしてキリストにあって一度死んだら怖いものはなくなるのです。この霊の法則に生きましょう。ヒデ

木曜日, 10月 07, 2010

20101007_1歴代23_エゼキエル33_エペソ5-6

■1歴代23:1ダビデは老年を迎え、長寿を全うして、その子ソロモンをイスラエルの王とした。23:2ついで、彼はイスラエルのすべてのつかさ、祭司、レビ人を集めた。……23:5そして、四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者となりなさい。」。
★ここにはダビデが生涯の最後に為した事業が記されます。レビ人の構成と使命、仕事内容の確認です。それは、かつて受けた祝福に感謝して「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。」と、主にささげた感謝の具体的な応答でした。切り出された岩、掘り出された穴を心に覚え、主の恵みに対する感謝の応答の生涯を全うしましょう。

■エゼキエル33:14わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼が自分の罪を悔い改め、公義と正義とを行い、33:15その悪者が質物を返し、かすめた物を償い、不正をせず、いのちのおきてに従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない。33:16彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公義と正義とを行った彼は必ず生きる。
★これが良き訪れ。救い主キリストがなしてくださった御業です。

■エペソ5:11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。……5:14明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
★明るみ出された全てに対して聖書は「御子イエスの血は全ての罪からきよめる」と宣言します。物事を明るみに出す生き方によって、主の助けを受け入れることを告白し、破れた関係の修復にキリストと共に生きましょう。そうして蒔かれた命の種は必ず生涯の祝福となってあなたの生涯を励まします。ヒデ

水曜日, 10月 06, 2010

20101006_1歴代22_エゼキエル32_エペソ3-4

■1歴代22:11 そこで今、わが子よ、主があなたとともにおられ、主があなたについて語られたとおり、あなたが、あなたの神、主の宮をりっぱに建て上げることができるように。22:12ただ、主があなたに思慮と分別を与えて、あなたをイスラエルの上に任命し、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。
★これはイスラエル王位を受け継ぐソロモンの励ましに父ダビデが語った言葉です。そしてリーダーの最も大切な働きが何かがここには明確です。聖なるビジョンを共有し、励ましを与えること。ダビデはその生涯の終盤まで王として君臨しましたが、世代交代のための準備は怠ることなく進めていました。どんな国においても世代交代は永遠の課題です。あなたが御心にかなうビジョンを持ち、人を育てる良きリーダーでありますように。

■エペソ4:25ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
★人が隣人にささげることのできる最高のプレゼントとは何でしょう。それは正直な自分を分かち合うこと。相手を優劣のない自分と対等の人として認め、心を開いて自分の思いや考え、時には弱ささえ分かち与えることです。それは人類に罪が入るまで神様が人にご計画して下さった「相互依存」の関係、互いになくてはならない「助け手」の関係でした。ところが罪は「相互依存」の関係を破壊し、人類に「共依存」(アルコール依存症など問題を抱える家族がいる場合、面倒を見続け、相手に必要とされるとことを自己評価のよりどころとして、その関係に依存する状態)の関係をもたらしたのです。共依存関係は、その関係に優劣やさげすみが生まれ、諦めさえ生じ、心の底から自分を喜びの内に相手にプレゼントする事ができません。だからこそキリストにある赦しと癒し、また、あなたも私もキリストの身体としてなくてはならない存在との価値観が必要です。あなたが心を開いて他者との関係を築くことを可能にする安全地帯。その担保はキリストの愛と赦しの中にこそあるのです。今日もこのお方の愛の中から始めましょう。ヒデ

火曜日, 10月 05, 2010

20101005_1歴代20-21_エゼキエル31_エペソ1-2

■1歴代21:1ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。
★神様と民に愛され、イスラエルに統一王国と平安をもたらしたダビデ。ところがどうしたことか彼が高慢、おごり、不遜の誘惑に陥り、自らの成功と偉大さを確認する目的で王国の規模を数えさせようとしたのです。これは驚くべき、しかも誰もが真摯に受け取るべき警告です。すなわち人は成功の中でも、いえ成功の中でこそ、その誘惑は衝動となって強まり人の心を襲うのです。お金、異性、地位プライド。「あなたは大丈夫ですか」とは言いません。なぜならこのことに付いて誰も大丈夫な人はいないからです。そこで神様の語りかけに耳を傾けるのはもちろんですが、家族やあなたを愛する友の語りかけにも耳を傾けましょう。ヨナタン亡き後、残念かな、ダビデは直言も辞さない友を持たなかったのです。誰も主と愛する者を傍らにおいて王様となってはなりません。

■エペソ2:19こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。2:20あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。2:21この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、2:22このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
★ここには主を信じるあなたがどんな存在かが明確です。神様が父となって下さり、孤独から解放される神の家族に加えられ、あなた自身がキリストを心に宿す、倒されない神様の生ける宮となるのです。そんなあなたに主は「彼は必ず立つようになる。私は彼を立たせることができるからである」と語られます。大丈夫です。今日も主の御目の中心にあなたが置かれています。ヒデ

日曜日, 10月 03, 2010

20101004_1歴代18-19_エゼキエル30_ガラテヤ5-6

■1歴代19:4そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげをそり落とし、その衣を半分に切って腰のあたりまでにし、彼らを送り返した。
★人は誰でもいろんな意味におけるメガネを掛けていると言われますが、さああなたメガネはどんなメガネでしょうか。かつてサウル王に命を狙われ苦しんだダビデ。それを助けてくれたアンモン人ナハシュ。ゆえにダビデはその子ハヌンに感謝と真実を尽くすために彼のもとに家来を遣わしたのです。しかし、その結果が上の御言葉です。父ナハシュ亡き後アンモン人の王となったハヌンに仕える司達は「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬っているとでもお考えですか。この地を調べ、くつがえし、探るために、彼の家来たちがあなたのところに来たのではありませんか。」と父に代わって王となったハヌンに語り。国に滅びを招いたのです。度を越えた偏見、妬み、敵対心、高慢、怒りは取り扱われ、癒されなければ自らに滅びを招くことを覚えましょう。

■ガラテヤ6:2互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
★キリストは十字架に掛かる直前に弟子たちに向かってこう語られました。「私は新しい戒めをあなた方に与える。あなたがたは互いに愛し合いなさい」と。パウロはここで、人には負うべき重荷と、負うべきでない重荷のあることを伝えます。負うべきでない重荷とは人を滅ぼす罪で決してそれを心に持ち続けてはいけません。では負うべき重荷とは何でしょう。互いに愛し合うことです。その為に主はあなたを教会へと招いて下さったのです。関係を通して痛んだ心は、あなたが心開くなら、神の家族の関係を通して癒されます。そうして受けた愛と癒されたあなたの命は、遣わされたこの世で祝福となるのです。新しい戒め、愛を学びましょう。教会として学びましょう。主はあなたを待って下さっています。ヒデ

20101003_1歴代17_エゼキエル29_ガラテヤ3-4

■1歴代17:16ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。17:17神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。あなたは私を、高い者として見ておられます。
★ダビデが「私が杉材の家に住んでいるのに、あなたの契約の箱は天幕の下にあります。」と語った時、主は彼の息子ソロモンに神殿建築の許可を与えると共に、子々孫々の祝福の約束を下さったのです。それで思わず上のことばを語るのです。昔も今も主の祝福に預かる生き方は変わりません。神様は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを下さいます。何をするかの前に、どんな心で生きているかが、思わぬ所で私たちの生涯をわける事を心に刻みましょう。

■ガラテヤ3:13キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★パウロはガリラヤ地方で主を信じた人々のために、人の救いはキリストの十字架を見あげる信仰によって、ただ恵みとして受け取るべきものであることを語ります。そしてキリストの十字架の根拠は、旧約聖書に既に証しされているものと強調するのです。良き行いによって救いを勝ち取る事ができるなら、キリストが自ら進んで十字架に掛かられる必要はありません。しかもキリストが十字架の上で「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られたのは、旧約聖書の成就を目的としたものでした。「木に掛けられる者は呪われ、血を流すことなしに罪の赦しはあり得ない」と。その旧約聖書の掟の中で主は、罪のない自身の血を示しつつ、父なる神様の前に完全な救いを拓いて下さったのです。この犠牲の中でどうしてあなたが祝福されないはずがあるでしょう。あなたが恵みを保つのではなく、このキリストの恵みがあなたを保ち、あなたを祝福の人生へと導くのです。信じましょう。ヒデ

土曜日, 10月 02, 2010

20101002_1歴代16_エゼキエル28_ガラテヤ1-2

■1歴代16:43民がみなそれぞれ自分の家に帰ってから、ダビデは自分の家族を祝福するために戻って行った。
★王ダビデは遂に奪われていた契約の箱を取り戻したとき、それをエルサレムに張った天幕の真ん中に安置しました。そして神様の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえを捧げ、その後、主の名によって民を祝福し、イスラエルのひとりひとりに、丸型のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えたました。今日の御言葉はその後の事。彼はその後、家族のもとに帰って家族を祝福することを忘れませんでした。即ち外に向かっても内側においても、神様の恵みに対する感謝と果たすべき責任を忘れなかったのです。会社で学校で地域で、私はすべき事をしている。だから家に帰ってまではとの思いを、あなたは見直す必要が有りそうですか。神様の祝福はあなたを通して流れます。

■エゼキエル28:17あなたの心は自分の美しさに高ぶり、の輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。
★ここはサタンの堕落した動機が記された箇所。彼はもともと知恵の天使長ルシファーです。神様が天地創造全体の御計画の進展のために、恵みとして彼に驚くばかりの知恵を与えられたのです。しかし彼は自分でその知恵を勝ち取ったかのように、与え主から離れ、自己実現のためにその知恵を用い、栄光を自分に帰そうとしたのです。しかしそれは与えられた知恵でした。あなたの知恵を腐らせてはなりません。

■ガラテヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
★暗記する価値あるみ言葉です。キリストを告白したあなたの内にはキリストの霊が宿られました。一人ではありません。耳を傾ける時、このお方が絶えずあなたに語りかけ、導き支え、あなたの人生を完成して下さるのです。信じ従いましょう。ヒデ

金曜日, 10月 01, 2010

20101001_1歴代15_エゼキエル27_ルカ24

■1歴代15:2そのとき、ダビデは言った。「レビ人でなければ、神の箱をかついではならない。主は、主の箱をかつがせ、とこしえまでも、ご自身に仕えさせるために、彼らを選ばれたからである。」
★ペリシテの地より契約の箱を持ち帰る途中、主は契約の箱に手を差し伸べたウザを打たれ彼の命を取られました。そのことを畏れたダビデ王とイスラエルの人々。しかし、ウザは神様に仕えるようにと、神様から聖別されたレビ人ではなく、また肩に担いで運ぶべきこの箱を牛車に載せて運んでいたのです。それに気づいたダビデはその教訓を生かして上の御言葉のように語ります。プライドがきづ付けられる失敗によって事を投げ出してしまうのではなく、そこから教えられたことをもって再び立ち上がる彼の生き方こそ時代をつくります。恥は我がもの、栄光は主のもの。主はあなたが勇気を持って立ち上がることを期待しています。さあ立ち上がりましょう。

■ルカ24:6ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
★主は遂に「父よ彼らをお赦し下さい。父よ我が霊を御手に委ねます」と、私たちを罪から救うために、私たちに代わって父なる神様からの罰を受け十字架の上で息を引き取られ、十分な死体処置をする間もなく弟子の手によって墓に納められました。それを憂いた主にある婦人たちが安息日の明けるのを待って主が納められた墓に行ったとき「ここにはおられません」と語る御使いの声を聞くのです。「ここ」とはどこでしょう。それは墓の中、死の中、絶望の中です。サタンは何とかその中にキリストを閉じ込めようとしましたが、不可能でした。そう主は甦られたのです。そして御自身を信じる人々をキリストは甦らされるのです。あなたは今どんな深い絶望の淵を歩んでおられるでしょうか。しかし、主は必ずキリストにあるあなたを甦らされるのです。信じましょう。感謝しましょう。あらん限りいっぱいに心を開いて主を受け入れましょう。あなたは必ず甦るのです。ヒデ