金曜日, 8月 31, 2012

20120831_エレミヤ18-22


■エレミヤ18:6「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。──主の御告げ──見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。
★このお方の御手の中に落ち込むことが祝福であることを信じて落ち込むか、あるいは何とかこのお方の御手から逃げ出し、結局は自分の思い道理に道を付けて肉策我策を繰り返す羽目になるか。二つに一つです。

■エレミヤ19:15「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『見よ。わたしはこの町と、すべての町々に、わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。彼らがうなじのこわい者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。』」。
★霊に蒔けば命を、肉に蒔けば滅びを刈り取ることになります。神様の御声に聞き従うことにまさる種まきはありません。

■エレミヤ20:14私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。
まさか神の人エレミヤがこんな言葉を語るとは、しかしこれほど霊の戦いとは預言者の上に重くのしかかるものであることを覚えましょう。

■エレミヤ21:8「あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。
★選ぶのはあなたです。神様への従順の道があなたには見えていますか。

エレミヤ22:21あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。
★指摘された時が止めるとき。それを可能とするのは十字架を通してあなたの心に注ぎ込まれる主の愛。主こそが唯一あなたを恵みによって変えることのできるお方です。ヒデ

木曜日, 8月 30, 2012

20120830_エレミヤ14-17

■エレミヤ14:19あなたはユダを全く退けたのですか。あなたはシオンをきらわれたのですか。なぜ、あなたは、私たちを打って、いやされないのですか。私たちが平安を待ち望んでも、幸いはなく、いやしの時を待ち望んでも、なんと、恐怖しかありません。
★そしてこの試練の中で預言者エレミヤは「異国のむなしい神々の中で、大雨を降らせる者がいるでしょうか。それとも、天が夕立を降らせるでしょうか。私たちの神、主よ。それは、あなたではありませんか。私たちはあなたを待ち望みます。あなたがこれらすべてをなさるからです。」(14:22)と主の前に立ち、執り成しました。

■エレミヤ15:19それゆえ、主はこう仰せられた。「もし、あなたが帰って来るなら、わたしはあなたを帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる。彼らがあなたのところに帰ることがあっても、あなたは彼らのところに帰ってはならない。
★エレミヤは孤独の中で神様に不満をぶつけました。その答えが上の御言葉です。神の人が堕落の民の中にある時、その葛藤は更に深い物となります。しかし主はそこでもご自身により頼むことを願っておられます。

■エレミヤ16:13わたしはあなたがたをこの国から投げ出して、あなたがたも、先祖も知らなかった国へ行かせる。あなたがたは、そこで日夜、ほかの神々に仕える。わたしはあなたがたに、いつくしみを施さない。』
遂にユダの罪が溢れその限界を越えました。残念です。突然ではありません。その兆候はかならずあります。どこで罪から離れるか。今です。

17:9人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。17:10わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。
★ここから人を救うのが主イエス・キリストの十字架です。ヒデ

水曜日, 8月 29, 2012

20120829_エレミヤ10-13

■エレミヤ10:23主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。10:24主よ。御怒りによらず、ただ公義によって、私を懲らしてください。そうでないと、私は無に帰してしまうでしょう。。
★本来神様の前に人はいかに祈るべきか。エレミヤはそのことをユダの民の前に示します。このお方の憐れみによって生かされている私。どうかこの真理があなたの内で大きく大きく広がりますように。

■エレミヤ11:19私は、ほふり場に引かれて行くおとなしい子羊のようでした。彼らが私に敵対して、「木を実とともに滅ぼそう。彼を生ける者の地から断って、その名が二度と思い出されないようにしよう」と計画していたことを、私は知りませんでした。
★バビロンが抱いている計画にユダの人々の目が開かれた時、彼らが祈る祈りです。

■エレミヤ12:1主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。
苦しみの中で主の前に心を開こうとするユダの姿がここに。そう、人が心の一番奥底にある疑問を尋ねるお方は主です。

■エレミヤ13:23クシュ人がその皮膚を、ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行うことができるだろう。
★神様の恵み抜きに、人は自分の力で自分を変え、正しい人として生きることはできません。ゆえに神様は人がご自身により頼むものであって欲しいと願っておられます。ヒデ

火曜日, 8月 28, 2012

20120828_エレミヤ7-9

■エレミヤ7:25あなたがたの先祖がエジプトの国を出た日から今日まで、わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを、毎日朝早くから、たびたび送ったが、7:26彼らはわたしに聞かず、耳を傾けず、うなじのこわい者となって、先祖たちよりも悪くなった。
★イエス様が「さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。」とマタイ21:34で語られた譬えはまさに、ここに記されているエレミヤの預言と同じで、根は民の不敬虔にあります。恩を忘れ、敬うべきを敬わない人が祝福を逃すのはどの時代でも同じです。

■エレミヤ8:4あなたは、彼らに言え。主はこう仰せられる。「倒れたら、起き上がらないのだろうか。背信者となったら、悔い改めないのだろうか。8:5なぜ、この民エルサレムは、背信者となり、背信を続けているのか。彼らは欺きにすがりつき、帰って来ようとしない。
★他の者にとって不思議でしかたない行動が南ユダ、エルサレムの人々の行動です。常に悔い改め、立ち上がる道を選び取りましょう。そこに神様の豊かさが湧き上がります。

■エレミヤ9:24誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。──主の御告げ──
主に喜ばれることをめざす人生と、自分の腹を喜ばす人生の結末は自ずと異なります。あなたはどちらを選択しますか。ヒデ

月曜日, 8月 27, 2012

20120827_エレミヤ4-6

■エレミヤ4:27まことに主はこう仰せられる。「全地は荒れ果てる。しかし、わたしはことごとくは滅ぼさない。4:28このために、地は嘆き悲しみ、上の天も暗くなる。わたしが語り、わたしが企てたからだ。わたしは悔いず、取りやめもしない。」
★「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行いのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」ではじまる4章ですが、上のみことばには主の明確な意志が明らかです。迷うことなくぶれることのない、この父なる神様の父性に触れることはあなたにとって必要で、それがあなたを救います。

■エレミヤ5:12彼らは主を否んでこう言った。「主が何だ。わざわいは私たちを襲わない。剣もききんも、私たちは、見はしない。
★エルサレムに語りかける主の声に対して、心頑なにする民の言葉です。主はそんな彼らに「その末には、あながたは、どうするつもりだ。」と語られますが、一体なにゆえにここまで。高慢はある一線を越えてはもう自分では戻り得ないことを知る人は幸いです。

■エレミヤ6:22主はこう仰せられる。「見よ。一つの民が北の地から来る。大きな国が地の果てから奮い立つ。
★再三の主の語りかけに対しても変わらず心頑なユダの民に遂にバビロン軍の脅威が。結果、南ユダ王国の民は捕囚の民としてバビロンに引かれて行くことに。心翻すのは今。悔い改めるのは今です。なぜなら聖霊様が私たちの心に促しを与え、罪を指摘すると共にキリストの血潮によってそれを赦しきよめて下さるのが今なのですから。あなたは主に愛されています。ヒデ

土曜日, 8月 25, 2012

20120826_エレミヤ1-3

■エレミヤ1:17さあ、あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く。1:18見よ。わたしはきょう、あなたを、全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、この国の人々に対して、城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした。
★預言者エレミヤの召命です。神様に背を向け、やがてバビロンに捕囚される南ユダ王国に向かい悔い改めを迫るために召し出された預言者です。預言者は八方美人ではその責任を果たせません。ただ神様を恐れ神様が語れと命じる事を語るようにと召されたのです。主の民として召されたあなたの人生の焦点はどこに向かって絞られていますか。

■エレミヤ2:13わたしの民は二つの悪を行った。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。
★預言者エレミヤを通して主が語られた選びの民への警鐘です。いのちの源なる主を捨てて命のない自分を神として生きる。私たちお互いはここから解放されたのです。自分の命を救おうと思うものはそれを失い、福音のために命を注ぎ出すものは、主の恵みによって豊かに潤される原理は昔も今も少しも変わりません。

■エレミヤ3:14背信の子らよ。帰れ。──主の御告げ──わたしが、あなたがたの夫になるからだ。わたしはあなたがたを、町からひとり、氏族からふたり選び取り、シオンに連れて行こう。
★神様の語りかけはストレートです。お互いにはこのメッセージが必要です。主に従うか、主を否み、自らを神として歩むか。いつもストレートに愛を注いで下さる主に応答して歩みましょう。ヒデ

20120825_イザヤ64-66

64:5あなたは迎えてくださいます。喜んで正義を行う者、あなたの道を歩み、あなたを忘れない者を。ああ、あなたは怒られました。私たちは昔から罪を犯し続けています。それでも私たちは救われるでしょうか。
★イザヤを通してイスラエルの心が歌われます。罪ゆえの神様への恐れと不安。そしてその答えはもちろんです。救われます。その為にこそ父なる神様は人に関わられる愛なるお方です。

■イザヤ65:17見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。
★イザヤは神様のご計画のゴールをここで預言します。新天新地です。死と罪と涙のないところです。「狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い……」とありますが、そこにはあなたが関わり愛したペットもいる可能性があると神学者CSルイスは語ります。

■イザヤ66:22「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、主の御告げ、あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。
イザヤを通して主が語られた預言の締めくくりの言葉です。新天新地と共にこの後、預言は「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。」(66:24)と続きます。永遠にです。だから贖われた民には宣教が委ねられているのです。愛する者が滅びないためです。ヒデ

金曜日, 8月 24, 2012

20120824_イザヤ59-63

■イザヤ59:1見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。59:2あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
★責任転嫁という言葉を思い出しました。神様の祝福を受け取る秘訣はそこに罪があるならそれを罪として認め、告白することです。自己弁護をする者に主は顔を背けられますが、認める者には豊かな赦しを与えて下さいます。

■イザヤ60:1起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
★寝ている場合ではありません。主は既にあなたを世の光とされました。これから世の光に「なる」のではありません。一歩踏み出しましょう。あなたから主の光が輝き出ます。

■イザヤ61:1神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
イエス様はこの御言葉が私の上に成就したとかつて語られました。(ルカ4:18

■イザヤ62:1シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
★徹底して立ち向かって下さる方があります。あなたを守るために。

■イザヤ63:9彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
★「主とはどんなお方か」と尋ねられたら私にとって上の様お方ですと証ししましょう。ヒデ

木曜日, 8月 23, 2012

20120823_イザヤ54-58

■イザヤ54:17あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。──主の御告げ──
★そもそも「贖い」とは奴隷を買い戻すために払われる代価を意味します。十字架の上でこの代価をキリストが払われたので上の御言葉が成就したのです。

■イザヤ55:11そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
★これが神のことばです。主はかつてこの言葉を持って「……あれ」と全てのものを創られました。

■イザヤ56:3主に連なる外国人は言ってはならない。「主はきっと、私をその民から切り離される」と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ」と。
望みを抱くことが困難な状況にある人に望みを与えるお方、それが主です。あなたもどんな状況の中にあっても、このお方によって望みがあります。

■イザヤ57:15いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。

■イザヤ58:6わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。ヒデ

水曜日, 8月 22, 2012

20120822_イザヤ49-53

■イザヤ49:2主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私を隠し、私をとぎすました矢として、矢筒の中に私を隠した。
★続いて主は「あなたはわたしのしもべ、イスラエル。わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。」と語られます。何のためにあなたは隠れた所でも忠実に生きるのでしょう。主の御手からとぎすまされた矢として放たれるその時のためにです。

■イザヤ50:8私を義とする方が近くにおられる。だれが私と争うのか。さあ、さばきの座に共に立とう。どんな者が、私を訴えるのか。私のところに出て来い。
★勝利者とは、死後の裁きの座に立ったとき、傍らで弁護者なる主から弁護を頂けるあなたです。

■イザヤ51:1義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。
人がここに帰るなら間違いがないと言われる場所とは、あなたがひとり孤独であった時に主が出会って下さったその場所です。

■イザヤ52:11去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。
去るべき、捨てるべきと示されながら、あなたは今なお留まり、抱えたままになっている場所がありますか。

イザヤ53:5しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
★イエス・キリストの十字架の預言です。その打たれた傷によってあなたは赦されました。ヒデ

火曜日, 8月 21, 2012

20120821_イザヤ45-48

■イザヤ45:22地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。
★主はイスラエルるだけの救い主ではありません。すべての人の主です。では、どのようにすれば人は救われるのでしょう。主を信頼してただ仰ぐことを通してです。救いとは何でしょう。人間の側が踏みにじった神様との関係を回復して下さった救い主キリストを受け入れることです。

■イザヤ46:4あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
口語訳では「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」と語られています。主は必ずあなたを救って下さいます。

■イザヤ47:10あなたは自分の悪に拠り頼み、『私を見る者はない』と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。『私だけは特別だ。』。
そう「あなたは特別です」。しかしあなたのまわりにいる人も神様にとっては特別です。「あなただけ」ではありません。高ぶりが双葉となり地表に現れる前にキャッチしその芽を抜き去ることは大切です。

イザヤ48:17あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
★ただ主の願いは人の祝福と関係の回復です。そしてその心はあなたに向けられています。ヒデ

月曜日, 8月 20, 2012

20120820_イザヤ42-44

■イザヤ42:3 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。42:4彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。
★イエス・キリストの預言です。彼は、あなたが自分の人生をあきらめかけるようなことがあったとしても、あなたの人生の完成をあきらめないお方です。前半の預言は2000年前に成就し、後半は再臨の時に成就します。

■イザヤ43:1だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
この後「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」と続きますが、主はご自分の民が霊的堕落ゆえにバビロンで捕囚の身になったとしても、そこから連れ帰ると約束されるのです。「贖う」とはそういう意味です。主の憐れみ深さを思います。そしてあなたもこのお方によって贖われました。

■イザヤ44:24あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。「わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。
このように言えるお方は主だけです。しかし人は時に「私が全部やった」と語ります。その背後には頑張りが評価されない悔しさがあるためです。人の前にではなく、主の前にささげる人生を思いましょう。主はあなたに酬いて下さるお方。唯一その価値観があなたを救います。ヒデ

日曜日, 8月 19, 2012

20120819_イザヤ36-41

■イザヤ36:21しかし人々は黙っており、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。
★ユダの人々を挑発しようと仕掛けてくるアッシリヤの王の使者ラブシャケ。上の御言葉はその彼に対するユダの人々の姿です。羊は飼い主の声を聞き分けます。

■イザヤ37:31ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ。
★アッシリヤの挑発の中で主の救いを待ち望むユダの人々の為に、主はイザヤを通してはげまします。試練は堅固な根をはるチャンスでもあります。

■イザヤ38:17ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。
試練の中でこそヒゼキヤ王はこの真理に目が開かれます。あなたの後ろにです。それは二度とあなたの罪を思わないとの主の赦しの宣言です。

■イザヤ39:2ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、いっさいの武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。
★心が解放されたヒゼキヤ王は高ぶりのゆえに過ちを犯します。敵に宝物倉の全てを明らかにし自らを誇ったのです。その結果全てを失うことに。残念。

■イザヤ40:31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

■イザヤ41:15見よ。わたしはあなたを鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。丘をもみがらのようにする。
ヒデ

土曜日, 8月 18, 2012

20120818_イザヤ31-35

■イザヤ31:3エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も、肉であって霊ではない。主が御手を伸ばすと、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、みな共に滅び果てる。
★アッシリヤの脅威の前にエジプトにより頼もうとするイスラエル。主は、「それは神か人か、霊か肉か」と問われます。霊を生かす主にある幸いを感謝しましょう。

■イザヤ32:15しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。
★キリストの十字架を通して今やこの預言は成就し、信じる者の内にキリストの霊が上から注がれています。あなたの内にそれは成就しました。

■イザヤ33:1ああ。自分は踏みにじられなかったのに、人を踏みにじり、自分は裏切られなかったのに、人を裏切るあなたは。あなたが踏みにじることを終えるとき、あなたは踏みにじられ、あなたが裏切りをやめるとき、あなたは裏切られる。
いじめる者が仕返しを恐れていじめを止められない姿を見るようです。こうした恐れから主の愛によって無縁とされたことを感謝しましょう。

■イザヤ34:12そのおもだった人たちのうち、王権を宣言する者が、だれもそこにはいない。すべての首長たちもいなくなる。
★主の民に敵対したエドム人に対する預言ですが、ここに記されている通りに成就しました。

■イザヤ35:10主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
★キリストの再臨をもってこの預言も成就します。主の霊があなたの内にあることを感謝しましょう。ヒデ

金曜日, 8月 17, 2012

20120817_イザヤ28-30


■イザヤ28:16だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
★救い主イエス・キリストが教会のすみの頭石となる預言です。もしあなたが何かを建てているなら堅い礎が必要です。自分の成功や夢と言った基礎の上ではない、堅固な礎が。キリストの上に人生を築きましょう。それは永遠へとつながっています。

■イザヤ29:13そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。
★受肉されたキリストが律法学者、パリサイ人に語られた言葉はこの預言の成就でした。キリストを通して父なる神様の心を知らされ、口先ではなく心をもって神様に応答する生涯に導かれたことを感謝しましょう。それは確かにあなたの心に聖霊様が来て下さっている証拠です。

■イザヤ30:15神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
かつてのイスラエルは残念です。これを望みませんでした。しかしあなたはキリストに留まることを願っておられます。そんなあなたを父なる神様は喜び祝福されます。父なる神様が愛する御子の支配の中にとどまり続けましょう。ヒデ

木曜日, 8月 16, 2012

20120816_イザヤ23-27

■イザヤ23:1ツロに対する宣告。タルシシュの船よ。泣きわめけ。ツロは荒らされて、家も港もなくなった、とキティムの地から、彼らに示されたのだ。
★他民族に対するイザヤの預言は東のバビロンにはじまり西はフェニキアにあるツロに終わります。安定しない隣国との政治的同盟に対する警告です。

■イザヤ24:23月ははずかしめを受け、日も恥を見る。万軍の主がシオンの山、エルサレムで王とな り、栄光がその長老たちの前に輝くからである。
★揺るがされない道は主を畏れる以外に道はありません。

■イザヤ25:4あなたは弱っている者のとりで、貧しい者の悩みのときのとりで、あらしのときの避け所、暑さを避ける陰となられたからです。横暴な者たちの息は、壁に吹きつけるあらしのようだからです。
★貧しいものを気にかけ、避け所となって下さるお方、それが主です。

■イザヤ26:13私たちの神、主よ。あなた以外の多くの君主が、私たちを治めましたが、私たちは、ただあなたによってのみ、御名を唱えます。
★詩篇記者は「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩篇119:71)と苦い経験を恵みに変えて下さった主を誉め称えます。

■イザヤ27:12……あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。27:13その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリヤの地に失われていた者や、エジプトの地に散らされていた者たちが来て、エルサレムの聖なる山で、主を礼拝する。
★すでにあなたは主の御手で拾い上げられました。ヒデ

水曜日, 8月 15, 2012

20120815_イザヤ18-22

■イザヤ18:7その時、川々の分れる国のたけ高く、膚のなめらかな民、遠くの者にも近くの者にも恐れられる民、力強く、戦いに勝つ民から万軍の主にささげる贈り物を携えて、万軍の主のみ名のある所、シオンの山に来る。
★遠くエチオピアもアッシリアを主が裁かれるとき、その主権を認めてエルサレムに礼拝に訪れるとの預言です。

■イザヤ19:21主はご自分をエジプトびとに知らせられる。その日、エジプトびとは主を知り、犠牲と供え物とをもって主に仕え、主に誓願をたててこれを果す。
★エチオピアのみならずエジプトも主の主権を認めざるを得ない時がおとずれます。

■イザヤ20:5彼らはその頼みとしたエチオピヤのゆえに、その誇としたエジプトのゆえに恐れ、かつ恥じる。
★押し迫る危険、脅威の前で何により頼むか。主はそれを問われます。あなたが何の役にもたたないものにだまされることのないためです。

■イザヤ21:9見よ、馬に乗って二列に並んだ者がここに来ます」。彼は答えて言った、「倒れた、バビロンは倒れた、その神々の像はことごとく打ち砕かれて地に伏した」。
★主の主権はやがてバビロンにも及ぶとは、それ以外の全ては主に明け渡され、主の主権を認めているにも関わらず、唯一ある領域についてのみ明け渡されいない領域があったとしても、主はそこにも勝利を注いでくださるとの預言です。

■イザヤ22:25万軍の主は言われる、「その日、堅い所に打ったくぎは抜け、切られて落ちる。その上にかかっている荷もまた取り去られる」と主は語られた。
★憂いのもとを取り除き、重荷を取り除かれるのは主です。主に近づきましょう。ヒデ

火曜日, 8月 14, 2012

20120814_イザヤ13-17

■イザヤ13:9見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒し、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る。
★異教の国々、すなわちバビロン帝国に対する主の託宣です。バビロンは現在イラクに位置しますが地面の下に埋まっています。

■イザヤ14:13あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、14:14雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
★バビロンの滅亡と重ね合わせ、天使長ルシファーが堕落した動機がうたわれます。「いと高き者のように」すなわち「自分がそれを握らなければ」と、自分を特別とする動機の背後にあるものに要注意です。

■イザヤ15:1モアブについての託宣。アルは一夜のうちに荒されて、モアブは滅びうせ、キルは一夜のうちに荒されて、モアブは滅びうせた。
★モアブとはロトとその長女の近親相姦によって生まれた子孫ですがイスラエルをひどく扱ったことによって罰せられます。

■イザヤ16:12モアブが高き所に出て、おのれを疲れさせ、またその聖所にきて祈っても、効果はない。
★自分の手による問題回避がいかに難しいか。まずは遜ることの尊さを主はモアブに示します。

■イザヤ17:8おのれの手のわざである祭壇を仰ぎのぞまず、おのれの指が造ったアシラ像と香の祭壇とに目をとめない。
★アシラ像とはバアル神の配偶者のことで、イゼベルがイスラエルに持ち込み多くの人を魅了します。しかしこれに心を動かす者の人生は滅びです。ヒデ

月曜日, 8月 13, 2012

20120813_イザヤ9-12

■イザヤ9:6ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
★救い主イエス・キリストの誕生の預言です。「わざわいだ、私は滅びるばかりだ……」と、神殿に座する主の姿を見たイザヤにはキリストの霊がとどまり、それ以降主のしもべとしてのキリストを預言し続けます。あなたの上にもキリストの霊がとどまっています。

■イザヤ10:21残りの者、ヤコブの残りの者は、力ある神に立ち返る。10:22たとい、あなたの民イスラエルが海辺の砂のようであっても、その中の残りの者だけが立ち返る。壊滅は定められており、義があふれようとしている。
★あなたもここに記された「残りの者」の一人です。

■イザヤ11:1エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。11:2その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
★ダビデの子孫として誕生する救い主イエス・キリストの預言です。神であるキリストはこうした預言のひとつひとつを成就されるかたちで、おとめマリヤのお腹をかりて受肉されました。あなたのために主の霊を注ぐために。

■イザヤ12:6シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」
★心を開いた時、あなたの内に来て下さったお方はこのお方です。ヒデ

日曜日, 8月 12, 2012

20120812_イザヤ5-8

■イザヤ5:1「さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。5:2彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。
★神様の選びの民の不信仰と汚れのための主の心の痛みが語られています。愛しておられるゆえのそれです。

■イザヤ6:7彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」
★預言者イザヤが自身、主を見たときの経験です。「私はわざわいだ」と、主の目で自分の汚れを知り、赦された人の生涯は変わります。

■イザヤ7:14それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
マリヤのいいなづけヨセフに、マリヤの胎にやどった幼子は、このイザヤの預言の成就としてのキリストの誕生であると御使いは知らせます。「神ともにいます。」これそこが時代によっても変わらない神様からのあなたへのメッセージです。

■イザヤ8:13万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。8:14そうすれば、この方が聖所となられる。
★まさに神様からのストレートなメッセージです。この姿勢があり続けさえすれば、イスラエルはここまで見てきた様な苦しみを経験することはなかったでしょう。ヒデ

土曜日, 8月 11, 2012

20120811_イザヤ1-4

■イザヤ1:18「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。1:19もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。
★南ユダ王国でウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に宮廷預言者として仕えた預言者イザヤの言葉です。イザヤは受肉後のキリストの生涯をまさに目で見ているかのように預言しています。「さあ、来たれ。論じよう。……あなたの罪は雪のように白くなる」は、十字架で贖いを完成された主が、今も天の御座から語っておられる言葉です。

■イザヤ2:22鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。。
★主は、あなたの生涯に責任を持てるのは私だと語っておられます。あなたが近づかれることを喜び、心を開いて語り合うことを願っておられます。

■イザヤ3:14主は民の長老たちや、民のつかさたちと、さばきの座に入る。「あなたがたは、ぶどう畑を荒れすたらせ、貧しい者からかすめた物を、あなたがたの家に置いている。3:15なぜ、あなたがたは、わが民を砕き、貧しい者の顔をすりつぶすのか。万軍の神、主の御告げ」。
正義は神様のご性質で偽ることができません。私たちはこのお方の前に申し開きをするのです。

■イザヤ4:2その日、主の若枝は、麗しく、栄光に輝き、地の実は、イスラエルののがれた者の威光と飾りになる。
★「主の若枝」とは、やがての救い主の預言です。ダビデの若枝、子孫として生まれたキリストをいつも思っていましょう。ヒデ

木曜日, 8月 09, 2012

20120810_2列王記23-25

■2列王記23:21王は民全体に命じて言った。「この契約の書にしるされているとおりに、あなたがたの神、主に、過越のいけにえをささげなさい。」23:22事実、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代からこのかた、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえがささげられたことはなかった。
★思い思いの礼拝がささげられていた時代の中で、神の言葉を発見したヨシヤ王は神様の言葉に基づいた真心からの礼拝をささげました。あなたの心の中に神の言葉は輝いていますか。

■2列王記24:17バビロンの王は、エホヤキンのおじマタヌヤをエホヤキンの代わりに王とし、その名をゼデキヤと改めさせた。
★南ユダ王の名がバビロンの王によって変えられるとは残念です。しかしあなたは反対でキリストの血潮の代価のゆえに、世から「神の子供・キリストの花嫁」と、栄光に満ちた名に変えられたかけがえのない存在です。感謝をもって今日も一日を始めましょう。

■2列王記25:27ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、25:28彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
記されていることはただ神様の憐れみです。この憐れみで生かされているお互いであることを心に刻み、どんなときにも望みを捨てず、栄光を主に帰しつつ歩みましょう。ヒデ


20120809_2列王記20-22

■2列王記20:19ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったからである。
★必至の主への懇願によって奇跡的に寿命が15年も延ばされたヒゼキヤ王。ただ神様の憐れみ深さを思います。しかしヒゼキヤ王は、それで私は特別と誇り、パビロンからの使者に自分の力を見せつけようと、宝物倉の全てを見せ、その力を顕示するのです。預言者イザヤはその愚かさを指摘し、全てがバビロンに取り去られ、ヒゼキヤ王の息子の中からさえ宦官としてバビロンで仕えさせられるようになると預言します。その時イザヤの言葉に返してヒゼキヤの語った言葉が上の言葉です。自分の時代のことしか考えないそこには愚かさが。神様の特別な恵みを受けた身であるにも関わらず残念です。

■2列王記21:3彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。
自分の時代さえよければそれでいいと思っていたヒゼキヤに育てられたマナセ王がしたことです。父の愛が流れてなかったのです。権力は人を眩ませ、本来すべきことを人に見誤らせます。次の世代に愛を注ぎ育てる事こそヒゼキヤ王のなすべきことでした。

■2列王記22:13「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行わなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから。」
★そう、神の御心を尋ねることは神のことばを聞くことからはじまります。南ユダ王国で神の言葉(旧約聖書)が発見されたことは幸いでした。ヒデ

水曜日, 8月 08, 2012

20120808_2列王記18-19

■2列王記18:30ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。18:31ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリヤの王はこう言っておられるからだ。私と和を結び、私に降参せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、また、自分の井戸の水を飲めるのだ。
★上の言葉は、南ユダ王国を陥落させるためにアッシリヤの王が語った言葉です。しかも公用語のアラム語ではないユダの言葉を用いて。それは王ヒゼキヤに向かった語ったと言うよりも、民に向かって語り、南ユダを混乱させ、主により頼まないようにさせるためでした。同じ誘惑をあなたも受けるはずです。イエス様は同じような状況で「引き下がれサタン。ただ主にだけ仕えよ」(マタイ4:10)と語られました。

■2列王記19:15ヒゼキヤは主の前で祈って言った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。……19:17主よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。19:18彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。19:19私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」
何と力強い信仰満ちたユダの王が祈るべき、ヒゼキヤ王の祈りでしょう。主はこの祈りに耳を傾けアッシリヤの軍勢185000人をご自身の方法をもって討ち滅ぼします。いいですか。主があなたに求めておられるのは状況に支配されない信仰です。主はあなたの信仰が「下に根を張る」ことを願っておられます。その時状況を主が変えられるのです。信じましょう。ヒデ

月曜日, 8月 06, 2012

20120807_2列王記15-17

■2列王記15:18彼は主の目の前に悪を行い、一生、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。
★この15章だけでもゼカリヤ、シャルム、メナヘム、ペカフヤ、ペカ、ホセヤとめまぐるしい程に北イスラエルの王は替わります。いえ、そこには続かない原因があったのです。それが上の御言葉に記されています。神様はこうして繰り返し繰り返し警告の信号を送られます。神様の祝福を受けとる最初の原則は分離にあることに心をとめましょう。

■2列王記16:17アハズ王は、車輪つきの台の鏡板を切り離し、その台の上から洗盤をはずし、またその下にある青銅の牛の上から海も降ろして、それを敷石の上に置いた。16:18彼は宮の中に造られていた安息日用のおおいのある道も、外側の王の出入口も、アッシリヤの王のために主の宮から取り除いた。
南ユダ王国のアハズはアッシリヤの属国となっていたためアッシリヤの王を喜ばせるため、偶像礼拝者まがいの妥協をしてへつらいます。しかし、いかに世の力が魅力的であっても、イスラエルの王たるものは、唯一の神様以外に、私たちの人生のリーダーシップを他の者に取って変わらせ、握らせてはならないのです。

■2列王記17:41このようにして、これらの民は【主】を恐れ、同時に、彼らの刻んだ像に仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。
★気持ちが滅入るばかりに同じことの繰り返しです。なぜ彼らは上を仰いで「主よ」と叫ばないのでしょう。せめてこの朝、私たちが叫ばせて頂きましょう。「主よ、分かりました。あなたは決してご自身の栄光を他のものに与えることはなさいません。しかしあなたを畏れる者には豊かに報い返して下さるお方です。私はあなたに全て明け渡して従います」と。ヒデ

20120806_2列王記12-14

■2列王記12:15 また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである。
★宮の破損の修理について、不正をしている訳ではないにしてもそれを行う力のない祭司に代わり、忠実に働きをなす人々の姿が描かれます。神様の仕事が献身的な兄弟姉妹たちの手によってなされたのです。あなたの訓練や地位が足りないために、神の国のために貢献できなくなることのないように。神様の仕事を行うに皆の力が必要です。

■2列王記13:21人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。
不思議なことがあるものです。彼は生前にも人を甦らせ、死後にもこうして人を甦らせています。その力はエリシャの生前の神様の御前にある生き方にあったことでしょう。あなたの証しがあなたの死後にも大切な人を生かすメッセージとなりますように。エジプトにあったヨセフは「神様は必ずあなたがたを顧みられる」とそのことをなしました。

■2列王記14:10「あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。」
★エドム人を撃ち殺し、自らを正当と自負する南ユダ王国のアマツヤは北イスラエルの王ヨアシュに向けて「さあ勝敗をきめよう」と息巻きます。その時イスラエルの王から送り返された手紙が上の内容です。振る舞うべき謙遜を勝利の中で表すことは難しいですね。多くの人はみなそれで失敗します。ヒデ

日曜日, 8月 05, 2012

20120805_2列王記9-11

■2列王記9:6エフーは立って、家に入った。そこで若い者は油をエフーの頭にそそいで言った。「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、主の民イスラエルの王とする。
★若い者はエリシャに命じられた通り、主から王として召し出されたエフーに油を注ぎます。あなたも主から召し出された一人で、主ご自身から油注ぎを受けたのです。祈りと愛をもって、恐れないで手を伸ばし、心を傾け実際に行動してみましょう。神様はあなたを用いてみわざをなして下さいます。

■2列王記10:30主はエフーに仰せられた。「あなたはわたしの見る目にかなったことをよくやり遂げ、アハブの家に対して、わたしが心に定めたことをことごとく行ったので、あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に着こう。」10:31しかし、エフーは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。
主の言葉です。北イスラエルの王でここまで宗教改革に取り組んだ王はいません。すごいことです。しかしそれでも、完全に成し遂げることは自分の力ではできないようです。あと一歩のところ、そこに実はその人の偶像が潜んでいるのです。

■2列王記11:17エホヤダは、主と王と民との間で、主の民となるという契約を結び、王と民との間でも契約を結んだ。
★祭司エホヤダは100年以上も無視されていた申命記に記された国民の憲法を復活させようとつとめます。エホヤダの死後その改革は続きませんが、どんな時代にも神様を畏れる人が少数派であってもいます。あなたもその一人となるように主が召し出されました。ヒデ

土曜日, 8月 04, 2012

20120804_2列王記6-8

■2列王記6:22エリシャは言った。「打ってはなりません。あなたは自分の剣と弓でとりこにした者を打ち殺しますか。彼らにパンと水をあてがい、飲み食いさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」6:23そこで、王は彼らのために盛大なもてなしをして、彼らに飲み食いをさせて後、彼らを帰した。こうして彼らは自分たちの主君のもとに戻って行った。それからはアラムの略奪隊は、二度とイスラエルの地に侵入して来なかった。
★あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。(ロマ12:14)とありますが、エリシャはまさにそのようにイスラエルを攻略し支配しようとするアラムの軍勢に対します。赦すことの力とその意味が目に見える形で描かれた箇所です。

■2列王記7:1エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう仰せられる。『あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」
ひどい飢饉に見舞われるのみならず、アラムの王に包囲された北イスラエルの都サマリヤ。あまりの飢饉のひどさに婦人は隠れて自分の産んだばかりの子を煮て食する程に。荒野でイスラエルにウズラの肉を食べきれないほどにもたらし、マナを降らせた主は、アラムの軍勢をけ散らし、イスラエルを救います。目には見えませんが主の軍勢は現実に働かれるのです。

■2列王記8:5 彼が王に、死人を生き返らせたあのことを話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。そこで、ゲハジは言った。「王さま。これがその女です。これが、エリシャが生き返らせたその子どもです。」
★こうしてシュネムの女は自分の持ち物を回復します。神様は機会と出会いをもつかさどられるお方です。このお方に信頼し祈りましょう。ヒデ

金曜日, 8月 03, 2012

20120803_2列王記4-5

■2列王記4:9女は夫に言った。「いつも私たちのところに立ち寄って行かれるあの方は、きっと神の聖なる方に違いありません。
★預言者エリヤの霊を受け継いだエリシャの人柄と働きが豊かに表された箇所です。彼は預言者仲間が亡くなった時、残された妻と子供のためにカメにいっぱいの油をもってその窮乏と将来を救います。また、よいもてなしをしてくれるシュネムの女のために、子を授け、その子が突然死んだ時、その子を甦らせます。更にナベの中に入れた瓜に毒が入っていたとき、小麦粉をもって、その毒を消し去りました。エリヤより民の内にあって、もっと親しく、更に憐れみ深い者として神様の性質を表しました。イエス・キリストにあってあなたの内にも預言者エリシャの霊が注がれています。

■2列王記5:14そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
重い皮膚病ツアラァトの癒やしのために、ナアマンが預言者エリシャから求められたことは遜りと信仰でした。なにゆえにヨルダン川に7度身を浸すことが癒やしにつながるのか。多くの人はこの遜りに生きることができないゆえに、神様がその人に注がれる癒やしと祝福を受け損ないます。信仰と遜りをもって神様の恵みを受けとる人は幸いです。ヒデ

木曜日, 8月 02, 2012

20120802_2列王記1-3

■2列王記1:2さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いを立てなさい」と命じた。
★悪王アハブの後、北イスラエルの王となったアハズヤ。病の時に、なぜ主ではなくエクロンの神バアル・ゼブブに伺いを立てに使者を遣わすのか。それが問題です。自分の中に負い目がある時、人は主に近づき難くなります。しかしその時こそ、十字架の血潮を仰ぎ、赦しを受けとって主の御声を聞くのです。それ以外、命に至る道はありません。

■2列王記2:23エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭」と言ったので、2:24彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。
エリヤの霊を受け継ぎ、多くの慰めに満ちたわざを行ったエリシャ。なぜこんなことが起こるのか。許されるのか。わかりません。しかも小さなこどもの言葉です。その上で言えることは、不遜さから発する言葉は、どんなに幼くても、その自身がその言葉の責任を負うと言うことです。

■2列王記3:10それで、イスラエルの王は、「ああ、主が、この三人の王を召されたのは、モアブの手に渡すためだったのだ」と言った。
★偶像礼拝に心が支配されている時、人は希望を持つことができません。偶像は人に真の希望を与え得ないことを覚えましょう。あなたの人生を導き、それを完成に至らせて下さる神様は、紅海を二つに分け、キリストを死人の中から甦られて下さった神様です。ヒデ

水曜日, 8月 01, 2012

20120801_1列王記21-22

■1列王記21:7妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権をとっているのでしょう。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑をあなたのために手に入れてあげましょう。」
★イスラエルの王アハブは自分の宮殿近くにブドウ畑を持つナボテに、野菜畑にしたいので更によい地とその土地を交換してもらえないかと持ちかけます。しかし「無理です。」との返事が返ってきたとき、不機嫌になり、食事も取らす寝台でふて寝します。その姿に「私が手に入れてあげましょう」と語ったのが妻のイゼベルです。なんたるアハブ王の幼児性。まるで妻イゼベルに妻と言うより母親役を願っているのです。頭の一つも撫でて欲しかったのでしょうか。殺戮に次ぐ殺戮の北イスラエルの歴史の中で、王ヤラベアムの家系の王子たちは父に関わられることなく育ち、父性が育まれる機会が無かったのです。男が男として立てない家系と国はやがて滅びます。父なる神様の中には完全な父性があります。キリストを通して大胆に「アバ父」と近づき、父の愛によって養われましょう。

■1列王記22:34ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」
アハブ王の最期です。預言者ミカヤの預言の通り、彼はアラムの王との戦いで息を引き取ります。彼は戦場に変装して出かけ、敵がアハブを探しても見つからない状況でした。しかしアラムの兵が何気なく放った矢によって息を引き取ることに。罪を隠し持つあなたに、主が弓を放たれるとき、それは恵みで偶然ではありません。心に主の語りかけが刺さったとき、隠すことなく告白し、キリストの血潮を仰ぎましょう。主はその罪のためにこそ、ご自身の命を十字架上で注ぎだして下さったお方なのですから。あなたは自分の罪のために滅んではなりません。告白して生きるのです。ヒデ