水曜日, 3月 31, 2010

20100331_民数14_箴言10_ルカ23

■民数14:11主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。14:12わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」
★神様でさえこのように語られるイスラエルの民の不信仰とはいかばかりでしょう。イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」とさえ語るのです。けれどもその時モーセは「あなたがこの民をエジプトから今に至るまで赦してくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください」ととりなしました。その心は、神の民に対するキリストの心と同じです。主にとりなされている恵みを覚えましょう。

■箴言10:12憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。

■ルカ23:41われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」23:42そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」23:43イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
★イエス・キリストの救いを受け取るためには修行、訓練、努力は必要ありません。今やキリストと共に十字架に付けられた犯罪人にどんなよきことが出来るでしょう。しかしパラダイス・天国が約束されたのです。その為のキリストの身代わりの十字架です。あなたが神様に赦され受け入れられる一切の備えをキリストは十字架の上で完成して下さったのです。信じましょう。ただでこの恵みを受け取りましょう。新たな祝福の生涯はそこからです。ヒデ

火曜日, 3月 30, 2010

20100330_民数12-13_箴言8-9_ルカ22

■民数13:30そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」13:31しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」13:32彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。
★神様にあって7日で到達できた約束の地到達。しかしそれが40年かかるとは。不信仰の怖さを覚えましょう。不信仰は目に見える現実だけを持って消極的否定的にものごとを考え、それを増幅させようとします。そこに神様の愛への信頼、御力に対する期待がないのです。神様の時に対する不信仰が払う代価はあまりにも大きいのです。あなたは子孫のために何を残しますか。信仰による決断の尊さを覚えましょう。不信仰を残してはなりません。

■箴言9:8あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。知恵のある者を責めよ。そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。
★同じ言葉もあざける者と智恵ある者とでは受け取り方が違います。よって物事への自らの反応のパターンを知り、神様に飢え渇くことは大切です。

■ルカ22:32しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
★「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と
語るペテロ。しかし彼はまだ自分の事が見えていませんでした。けれどもそれを承知で主は上の言葉を語られました。赦されているのです。そしてペテロに主は夢を描いて下さっているのです。その主の姿勢と心はあなたに対しても変わりません。主の赦しの中を歩みましょう。主はやがて必ずあなたを完成されます。ヒデ

月曜日, 3月 29, 2010

20100329_民数11_箴言7_ルカ21

■民数11:23主はモーセに答えられた。「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」
★荒野で肉が食べたいと訴える民。それを備えようと語って下さる主。その結果、主は風をおこし、海の向こうからうずらを運んで来て、宿営の上に落とされました。その量は宿営の回りに、こちら側に約一日の道のり、あちら側にも約一日の道のり、地上に約90センチの高さにもなりました。しかし肉が彼らの歯の間にあってまだかみ終わらないうちに、欲望にかられた民はそこで主に打たれることとなったのです。モーセでさえ、この200万の民の為にはどれほどの牛や羊をほふっても彼らを養うことは困難ですと語りました。けれど神様の方法と人の方法は違ったのです。そしてここに希望があるのです。

■箴言7:1わが子よ。私のことばを守り、私の命令をあなたのうちにたくわえよ。7:2私の命令を守って、生きよ。私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。

■ルカ21:25そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、21:26人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。21:27そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
★あなたは終末ということばを様々な場所で聞かれる事があるでしょう。しかしその意味をご存知ですか。一言でそれを表すなら聖書は今から2010年前に来られたキリストが再び来られる日と語ります。かつては救いの為。再び来られる時は正しい審判の為にです。しかも主は「天地は滅びますよ。しかし私の言葉は決して滅びることはない」と語られたのです。キリストの正しい審判に望みをおく生き方を普段から積み上げる生き方をする人は幸いです。決してその人は滅びることがありません。ヒデ

日曜日, 3月 28, 2010

20100328_民数10_箴言6_ルカ20

■民数10:29さて、モーセは、彼のしゅうとミデヤン人レウエルの子ホバブに言った。「私たちは、主があなたがたに与えると言われた場所へ出発するところです。私たちといっしょに行きましょう。私たちはあなたをしあわせにします。主がイスラエルにしあわせを約束しておられるからです。」10:30彼はモーセに答えた。「私は行きません。私の生まれ故郷に帰ります。」10:31そこでモーセは言った。「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのですから。10:32私たちといっしょに行ってくだされば、主が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです。」
★柔和な人モーセの姿が鮮やかです。祝福を選択するのはその人自身。しかしその為あなたは最大限の努力と愛を惜しんではなりません。

■箴言6:20わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。6:21それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。6:22これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。

■ルカ20:25すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★有名な御言葉です。しかし半分しか理解されていないことが多い言葉です。カイザルには分かります。では「神に」とは何でしょう。当時のデナリ銀貨にはローマ皇帝カイザルの像が刻まれていました。そこでキリストは語られるのです。「あなたは神に造られた『神のかたち』すなわち人格を持つものとして造られたのですよ。だから、あなたに刻みこまれたその『神のかたち』心を神に返しなさい」と。ですから覚えましょう。人が礼拝の生涯を全うすることが極めて自然なことであり尊いことであることを。今週も主への礼拝をささげられるあなたをキリストの御名によって祝福します。ヒデ

土曜日, 3月 27, 2010

20100327_民数8_箴言5_ルカ19

■民数9:23彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。
★上の言葉の意味とは何でしょう。「雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営し、長い間、雲が幕屋の上にとどまるときには、イスラエル人は主の戒めを守って、旅立たず、また雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らはそこで宿営し、また旅立つ」と、それは約束の地を受け継ぐ者のために主が備えて下さった特別の訓練でした。主への従順が平安の秘訣であり、いのちの保護でした。創造主を認めないこの世は今も変わらない荒野です。あなたはそこでどのように生きるでしょう。

■箴言5:1わが子よ。私の知恵に心を留め、私の英知に耳を傾けよ。5:2これは、分別を守り、あなたのくちびるが知識を保つためだ。

■ルカ19:20もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。19:21あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
★取り扱われていない妬みの心には要注意です。人の判断を見誤らせ結果的に自分自身を滅びへと向かわせます。そもそも人と較べ自分の人生の価値はかろうとしたことが間違いでした。人と較べる必要はないのです。主の御声は常にあなたに対し「あなたは私の目に高価で貴い。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」です。あなたへの主の愛と恵みに信頼しましょう。ヒデ

20100326_民数7_箴言4_ルカ18

■民数7:89モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。
★遂に契約の箱を納める幕屋が完成し、イスラエル12部族が示された献げ物を献げ終わったとき、モーセは主の命じられた礼拝と執り成しをするために天幕の中には入りました。さて彼はどこから聞こえる語りかけに耳を傾けたでしょう。「贖いのふたの二つのケルビムの間から語られる主の御声です」です。ではあなたはどこから語られる主の御声に耳を傾ければよいのでしょう。それは十字架の上から語られる主の御声です。今日もキリストは「彼らを赦して下さい。全ての罪の代価は払い終わった。私は決してあなたを離れず、あなたを捨てない。世の終わりまで共にいる。あなたは私の前に高価で貴い」と語られます。心の内に主の愛と赦しを受け取りましょう。惑わすもの声にだまされてはなりません。

■箴言4:23力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

■ルカ18:40イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。18:41彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。
★物乞いをしていたこの盲人はイエス様が道をお通りになると知ったとき大声で叫びました。うえ渇きがあったからです。彼にとって目が見えるようになることとは、聞かれても聞かれなくてもどちらでも良いことではなかったのです。あなたにはそうした渇きがあるでしょうか。信頼して主の前に叫びましょう。主の愛に飛び込みましょう。人の目に支配されてはなりません。まず隠れた場所から始めましょう。いいじゃないですか。大声で主の名を叫び、私をあわれんで下さいと涙を流しながら祈っても。ヒデ

木曜日, 3月 25, 2010

20100325_民数6_箴言3_ルカ17

■民数6:23「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。6:24『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。6:25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。6:26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』6:27彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
★主はこのアロンにこの祝福の祈りを通してイスラエルを祝福しなさいと語られました。新約の祭司であるあなたは、この祈りを通してあなたの愛する者を祝福することができます。家族、友人、学校、職場等のために、遣わされた祭司として祝福を祈りましょう。

■箴言3:5心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。3:6あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
★主に寄り頼むのはどこでしょう。限定のない全ての場所です。習慣によってではなく主との交わりと人との出会いを重んじる人生を歩みましょう。

■ルカ17:4かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」17:5使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」
★「私たちの信仰をましてください」とは「赦してやりなさい」との主の言葉に、「主よ、そんなことは私たちには不可能です。」との、弟子たちの応答です。そうです。あなたは自分の力で何とか人を赦そうと努力していませんか。赦すとは赦す人が傷つくことです。だから自分では赦せません。主に受けとめて頂き主の愛と理解で覆われることが必要です。出来ませんという前に、主の前に自分の正直な気持ちを告白することから始めましょう。赦しと祝福の道はそこから開かれます。ヒデ

水曜日, 3月 24, 2010

20100324_民数5_箴言2_ルカ16

■民数5:6「イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、5:7自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。
★この規準に対しイエス・キリストの愛と赦しに触れたザアカイは「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と語ります。要は謝罪とは「しなければならないから仕方ない」ではなく「させて頂こう。頂きたい」と、痛めた相手の立場と気持ちに立って、自主的に為すべきものと教えます。その時主は、その関係の中に働き、思わぬ修復、命の通う回復さえ賜物として下さるのです。そのためにはまずあなたが包まれ癒される必要が、赦される必要があるのです。

■箴言2:19彼女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至らない。2:20だから、あなたは良い人々の道に歩み、正しい人々の道を守るがよい。

■ルカ16:10小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。16:11ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
★不正の富とは一時的なものを、まことの富とは永遠のものを意味します。さて最も大きな富とは何でしょう。それはあなたに与えられた「いのち」。あなたが自由に使うことの出来る「時間」と、これまで、その時間を用いて得ることのできた報酬としての、有形無形の財産です。その富を神様から託されたものとして受け取るのです。その時あなたは小事に忠実なものとして神様から大事を託されるのです。我が思いのままの人生ではなく、託された神様の大事を成し遂げる人生をめざしましょう。ヒデ

火曜日, 3月 23, 2010

20100323_民数4_箴言1_ルカ15

■民数4:19あなたがたは、彼らに次のようにし、彼らが最も聖なるものに近づくときにも、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが、入って行き、彼らにおのおのの奉仕と、そのになうものとを指定しなければならない。4:20彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死なないためである。」
★これは主がモーセを通して語られた、契約の箱を納めた幕屋に仕える者への注意です。それは「神を畏れるものでありなさい」です。神様は決して侮るべき方ではありません。またキリストと共に十字架に付けられた犯罪人の一人は「お前が神の子なら自分を救い、この俺様を救って見ろ。お前は神のお気に入りなんだから」と悪態をつきましたが、そうすべきお方ではありません。道のないところにさえ道を開き、あなたの人生を祝福することのできるお方はこのお方を他にしてひとりもないのです。神様を畏れましょう。それが人間の唯一の本分です。

■箴言1:7主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

■ルカ15:31父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。15:32だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
★これはキリストが語られた放蕩息子の譬えの最後の部分。父が弟を受け入れられない兄に向かって語った言葉です。兄は弟を受け入れるために何が必要だったのでしょう。それは「私のものは全部お前のものだ」と差し出されている、父の財産の全てを受け取る事です。そもそもそれは、兄息子に対して父から差し出されていたものでした。神様があなたに差し出して下さっている赦しと祝福は、全て受け取るのです。そして心満たして頂くのです。あなたの心は神様の恵みによって満たされ、余裕の心が与えられていますか。「私のものは全部お前のものだ」。受け取りましょう。ヒデ

月曜日, 3月 22, 2010

20100322_民数3_詩篇148-150_ルカ13-14

■民数3:42モーセは主が彼に命じられたとおりに、イスラエル人のうちのすべての初子を登録した。3:43その登録による、名を数えられたすべての一か月以上の男子の初子は、二万二千二百七十三人であった。
★男子の初子の人数が一の位まで数えられていることに注目して下さい。それは神様の「私は、決して一人として我が民を忘れない。ひとりびとり私の前に価値ある存在であり使命がある」とのあつい思いの表れです。イスラエルは約束の地に向かう旅の途中、契約の箱を中心にして各部族ごとに守るべき場所が明らかにされました。さてあなたに主がこの時代託された守るべき場所とはどこでしょう。おぼろげではなく明確にそれを受け取ること、主から受け取ることはあなたを救い、あなたに委ねられたキリストにある共同体を救います。

■詩篇149:3踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。149:4主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。

■ルカ14:34ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。14:35土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。」
★キリストの言葉は何とチャレンジに満ちた言葉でしょう。「聞く耳のある人は聞きなさい」とは。しかし「聞く耳を持たない者には私は語っていない」とは読み込みすぎですか。いずれにしても簡単なことではありません。塩が塩としてそこにあっても何かの役割を果たせる訳ではないのです。遜り、自らを溶かして、はじめて他者を生かす本来の目的を成し遂げることが出来るのです。あなたは自分が自分であることをあまりに固執しすぎていませんか。「一粒の麦が地に落ちるならより多くの実を結ぶと」語られたキリストの言葉の意味をキリストご自身から教えられましょう。その時あなたの事業は一時的なものから解き放たれ永遠へと結ばれるのです。ヒデ

日曜日, 3月 21, 2010

20100321_民数2_詩篇145-147_ルカ12

■民数2:2「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。
★イスラエル12部族はその部族毎の旗の下に集い旅を続けました。守られるためです。あなたはクリスチャンとしての旗をどこに置いても明確にしていますか。キリストは「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです」と語られました。自分で自分を守ろうとするのではなく「主よあなたが私の盾となり私を守って下さい」とのスイッチングを済ませることは大切です。

■詩篇147:10神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。147:11主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

■ルカ12:31何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。12:32小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
★主が上のように話される前には「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」と語られました。天地を創られ、花に命を与え、1羽の雀も地に落ちないように支えておられるお方が、主イエス・キリストの父なる神様であることをこの朝覚えましょう。ヒデ

土曜日, 3月 20, 2010

20100320_民数1_詩篇143-144_ルカ11

■民数1:1人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。1:2「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。
★イスラエルの民をエジプトから救いだし、奴隷の生活から彼らを解放しようとした主はここで民の数を数えられます。なぜでしょう。その理由の一つは「あなたは私の前に忘れられた存在ではない。私はあなたを覚えている」とのメッセージを民に示すため。また戦いの中にある荒野の生活で、イスラエルの成人男子に使命を与えるためでした。「あなたは男として家族、氏族を守るために召し出された存在だ」と。適切な使命は人を強くし立たせます。そして目的を失ったアダムに主はかつて「あなたはどこにいるのか」と問われました。あなたはよびとの中に自らを数えますか。それとの御国の福音を生き、戦う神の民の中に自らを数えますか。

■詩篇144:3主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

■ルカ11:8あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。11:9わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
★謙遜なのか不信仰なのか。萎えた心に伴う諦めなのか、それとも愛する者をもつ心の強さなのか、この箇所は問われます。大切なことは「求めよ」です。主はあなたの「本気度」に励まされるお方、そしてあわれみの御手を動かされるお方です。かつてエレミヤを通して「だれか自分の命をかけてわたしに近づく者があろうか」とも語られました。求めましょう。すがりましょう。その中で主によって強められたあなたを、あなた自身が発見出来ますように。ヒデ

金曜日, 3月 19, 2010

20100319_レビ27_詩篇139-142_ルカ10

■レビ27:2「イスラエル人に告げて言え。ある人があなたの人身評価にしたがって主に特別な誓願を立てる場合には、27:3その評価は、次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀五十シェケル。
★イスラエルのために主がシナイ山で語られた最後の教えは、誓願を聖なるものとするようにです。時に人が「神にかけて誓う」あるいは「このことは命をかけてもいい絶対に神にかけて誓う」と言うとき、偽りを誤魔化したり、たとえ誓ったとしても実際は不可能なとき、またそうしたことを誤魔化し無理に押し切ろうとするとき、この言葉を使うことがあります。まさにそれが誓願を汚すことで、あなたは自分の願望の為に神様を利用することになる場合があるのです。だから人の弱さと汚れをご存知のイエス様は誓いではなく「ただ、はいをはい。いいえをいいえとだけにしなさい。」それであなたは十分だとも語られたのです。大切なことは最も聖なるものをあなたは最も汚れたものにすることの出来る自由が与えられていると言うこと。そしてその自由をいかに使うかによって、あなたは形づくられると言うことです。覚えましょう。人の前にではなく誓いは常に神様の前に捧げられるのです。

■詩篇139:23神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。139:24私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。

■ルカ10:36この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」10:37彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
★「誰が私の隣人ですか」との質問への主の答え。それは「あなたもその人を愛するなら、愛した人の隣人にあなたはなることが出来る」です。愛すること、手を置き祝福すること。はげます事のためにあなたの今日一日が豊かに用いられますように。ヒデ

木曜日, 3月 18, 2010

20100318_レビ26_詩篇137-138_ルカ9

■レビ26:36あなたがたのうちで生き残る者にも、彼らが敵の国にいる間、彼らの心の中におくびょうを送り込む。吹き散らされる木の葉の音にさえ彼らは追い立てられ、剣からのがれる者のように逃げ、追いかける者もいないのに倒れる。26:37追いかける者もいないのに、剣からのがれるように折り重なって、つまずき倒れる。あなたがたは敵の前に立つこともできない。
★臆病が心に満ちて自分自身思うように生きることが出来ない。主がこのようにするとイスラエルの民に語るその原因は何でしょう。それは偶像礼拝と貪欲です。心の王座には自分ではなく主に座って頂き、「わがまま」にではなく、御心を求めて生きようとするのです。その時主が心のバランスを回復して下さり、あなたの霊が強められるのです。「だれも追いかけて来ないのに、あなたがたは逃げる」という刈り取りは偶像礼拝と貪欲の結果であることを知る人は幸いです。

■詩篇138:3私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。

■ルカ9:23イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。9:24自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。9:25人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。
★「ヤンキー母校に帰る」の原案を記した義家先生が変わった理由は、交通事故後駆けつけ「義家君、死なないで。あなたは私の夢だから」と語ったくれた先生によってでした。そして主はあなたに語られ、ご自身の命をささげて下さったのです。「あなたの命は全世界よりも大きな大切なもの。損してはならない。父よ私が彼らに代わって罰を受けますから、彼らをおゆるし下さい。」と。あなたはこのお方によって変わることができるのです。ヒデ

水曜日, 3月 17, 2010

20100317_レビ25_詩篇135-136_ルカ8

■レビ25:54たとい、彼がこれらの方法によって買い戻されなかったとしても、ヨベルの年には、彼はその子どもといっしょに出て行くことができる。25:55わたしにとって、イスラエル人はしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出したわたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。
★この章に繰り返して出てくる「ヨベルの年」とは何でしょう。それはイスラエルが定めた7年に一度の安息年が7回巡った50年目を意味し、たとえどんな負債を負っていた者も解放が与えられる恵みです。そこに表された主の心は何でしょう。それは約束の地においては主こそが真の支配者であることを具体的に教えるためのものでした。主はあなたの弱さを思いやることの出来ないお方ではありません。感謝してその恵みを受け取りましょう。また、この教えを超えて自らを神とすることが有りませんように。人も、自分も解き放つのです。さあ宣言しましょう。「解き放たれよ」と。そうするあなたを主は幾倍もの恵みをもって祝福して下さいます。

■詩篇136:11主はイスラエルをエジプトの真ん中から連れ出された。その恵みはとこしえまで。

■ルカ8:54しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」8:55すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。
★イエス様は他の人と同様の見方をしないことをここで教えられます。キリストは「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです」と。しかし人々はあざ笑います。あなたはご自分の人生について、どちらを信じますか。もうあなたの人生はどう転んでも虚しい希望のないものですか。いいえ。そうではありません。主はあなたに向かい「我が愛する子よ。起きなさい」と宣言し、あなたを立たせることのできるお方です。騙されないように。この世の知恵に。隣人の声に。あなた自身の内なる声に。主の愛と主権が、あなたをもろもろの縛りからあなたを甦らせ立ち上がらせるのです。さあアーメンと告白しましょう。ヒデ

火曜日, 3月 16, 2010

20100316_レビ24_詩篇131-134_ルカ7

■24:3アロンは会見の天幕の中、あかしの箱の垂れ幕の外側で、夕方から朝まで主の前に絶えず、そのともしびを整えておかなければならない。これは、あなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。
★ダビデに王としての油を注いだサムエルは、幼い時すでにこの働きをはじめていました。その中で、あの有名な「サムエルよ。サムエルよ」との御声を聞き、「主よお語り下さい。僕は聞きます」と語ります。「夕方から朝まで」この表現から、暗くなればなるほど、神の人は神様の前に出、祈りを絶やさないでいるべきことが教えられます。あなたは世の光として召し出されています。日野原先生は「命とは自分が自由に使うことのできる時間」と定義します。あなたはその与えられた「命」を何に使いますか。

■詩篇131:1主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。131:2まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。
★あなたの心は常にあなたの前に留まっていますか。それとも聞こえてくるゴシップや、よそ様の動向等に心を用い、興味本位で深入りし無駄な時間を費やしてはいませんか。ダビデは「私はそうしたことをしない」と心に誓いました。あなたはすでに虚しい、人との比較からキリストによって解き放たれたのです。

■ルカ7:47だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」
★あなたは自分の心をやっと満たすほどの主の赦の愛を受け取ることで満足していませんか。むしろ受け取った主の愛が、あなたの心に留まるだけでなく、溢れ流れるほどに受け取らせて頂きましょう。そして遣わされた所で流しましょう。そうして最高の人生は完成されるのです。ビデ

月曜日, 3月 15, 2010

20100315_レビ23_詩篇128-130_ルカ6

■レビ23:22あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
★主とはいかなるお方でしょう。あなたはこの箇所から主の本質をどのように表しますか。主はあわれみ深いお方。そのあわれみがあなたに注がれているのです。あなたは決して一人ではないことを覚えましょう。そしてあえて、今日もあなたの心から主を閉め出すことが有りませんように。孤独の道を選び取ることがありませんように。

■詩篇130:3主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。130:4しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。
★主はあなたの不義が見えていないのではありません。しかし不義よりむしろあなたの良きところに目を留め評価し、あなたがあなたとして本来の輝きを放てるように赦しの心で関わろうとして下さるのです。あなたの人への関わりはどうですか。

■6:12このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。6:13夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。
★12弟子の選定のために主は夜を徹して祈られました。この時すでにご自身を裏切るイスカリオテのユダの存在を知っていたからでしょう。それでも主はユダの存在を切り捨てることはなさいませんでした。たとえどんなことがあっても、あなたとあなたの可能性を信じ祈り続け、関わって下さるお方があることの幸いを覚え、今日も一日歩み出しましょう。ヒデ

日曜日, 3月 14, 2010

20100322_レビ22_詩篇125-127_ルカ5

■レビ22:21また、人が特別の誓願を果たすため、あるいは進んでささげるささげ物として、牛か羊の中から和解のいけにえを主にささげるときは、それが受け入れられるためには傷のないものでなければならない。それにはどのような欠陥もあってはならない。
★余り物だから、不要なものだから、もう役に立たなくなったから、それとも自分は更に新しいものを手に入れたので、いや自分のものはしっかり確保できたので神様にささげるのでしょうか。いいえ神様への献げ物は、まず最初に聖別して、しかも信仰を働かせ、あなたの心としてささげるのです。主はあなたの信仰に応え、有り余る恵みをもって酬い返して下さるお方です。

■詩篇126:5涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。126:6種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
★物理の法則だけではなく、神様は合わせて霊の法則も天地創造を通して備えられました。愛と命を蒔きましょう。喜びと祝福を刈り取ります。それは何者も変えることが出来ない法則です。

■ルカ5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★シモンペテロは主の言葉を聞きました。しかしその言葉に納得が行かず反論し言葉に出しました。しかし自分の思いを語った後、でもおことばですからと主の言葉に従いました。あなたはどうでしょう。自分が正しいと思う間は決して主張をまげませんか。それとも、あえてキリストの言葉のゆえに従いますか。奇蹟を見る生涯とはどちらでしょう。あなた自分の考えたこと以上のことは決して起こらない、むしろそれ以下の出来事の繰り返しの人生を歩みたいですか。それとも主の奇蹟に感動する生涯を歩みたいですか。主はそれを決める自由をあなたに託されました。ヒデ

土曜日, 3月 13, 2010

20100313_レビ21_詩篇120-124_ルカ4

■レビ21:1ついで主はモーセに仰せられた。「アロンの子である祭司たちに言え。彼らに言え。縁者のうちで死んだ者のために、自分の身を汚してはならない。21:2ただし、近親の者、母や父、息子や娘、また兄弟の場合は例外である。
★旧約とキリストによって開かれた新約の決定的違いとは何でしょう。それは死に対する理解です。身を汚さないように旧約は死に関わらないように勧めます。命がないからです。しかしキリストは、病人や死人に手を置き癒し甦らせました。永遠の命に満ちているからです。そして弟子に世の光、地の塩として関わることをキリストは勧めます。あなたも罪の赦しを受け、キリストとの交わりを通し命を受け、人に触れ祝福することが出来ます。恐れなく人とかかわれる祝福、それは決定的に人の生涯を祝福へと解き放ちます。キリストにあってその祝福を受け取りましょう。そして祝福するために、人に手を置く者とさせて頂きましょう。

■詩篇124:2「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私たちに逆らって立ち上がったとき、124:3そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。
★124:6ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。

■ルカ4:42朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。
★朝ごとに父なる神様との交わりを求め父の元へと出て行かれた主。あなたがこうして通読を通して主の前にでようとする背景には、父なる神様の命があなたの中にも流れているからです。喜ばしいことです。感謝しましょう。そしてあなたに向かって特別に語られる細き主の御声を聞きましょう。あなたは主にとって喜びに満ちた誇りの存在です。ヒデ

金曜日, 3月 12, 2010

20100312_レビ20_詩篇119:129-176_ルカ3

■レビ20:6霊媒や口寄せのところにおもむき、彼らを慕って淫行を行う者があれば、わたしはその者から顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。20:7あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。わたしがあなたがたの神、主であるからだ。
★悲しむべきことですが、クリスチャンとなった後にも今までと変わることなく、霊媒、口寄せ、占いの依存から離れられない人があると耳にします。「天のお父様。確かにあなたは私の存在の父です。しかし、□□の問題、○○の事についてはあなたより、△△の占いの方が頼りになるので、△△の占いを頼ろうと思います」。何と言うことでしょう。淫行、破廉恥な行いでさえ、あまりに自然に行われてしまう現代。それらの倒錯した価値観の中であなたは自分の価値観が汚れに巻き込まれないよう、目覚めなければなりません。偶像礼拝は主の主権を辱める主への冒涜であり、あなたは淫行を犯していることになるのです。悔い改めて断固、霊媒、口寄せ、占いから離れましょう。

■詩篇119:130 みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。
★みことばに心開くこと、それが祝福の秘訣です。

■ルカ3:16ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
★バプテスマのヨハネは自分が何者かを知っていました。あなたはどうでしょう。神様の前で自らが何者かを正しく受け取ることはあなたの生涯を祝福へと導く大切な土台です。ヒデ

木曜日, 3月 11, 2010

20100311_レビ19_詩篇119:81-128_ルカ2

■レビ19:9あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。19:10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
★「私を一体誰だと思っているんだ。」とあなたは言いたくなるときがありますか。そしてどんな時にそう言いたいですか。神様の場合は上の御言葉のように、あわれみを軽んじる場合です。知って下さい。神様の何よりのご性質はあわれみ深さです。そのあわれみによってあなたも救われるのです。だからこそ主は、「あなたもかつてはエジプトの地で在留異国人だった」と諭すのです。あなたの人格の深いところで、あわれみ深さが増し加えられますように。

■詩篇119:119:92もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。
★残念です。自分の神学の構築の為に、好みの御言葉だけを選り好みし、結果、癒し主、救い主たる「神なるキリスト」を捨て去って、自らを混沌の中に追いやる人のあることは。自らの救いと癒しのために、みことばの全体を受け取りましょう。その時神様の力はあなたの内に臨むのです。

■ルカ2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
★王宮か神殿でこそ生まれるにふさわしいキリスト。そのお方がなぜに家畜小屋の飼い葉桶に。その答えはこうです。王宮ならば限られた人しか願っても入ることは出来ません。しかし家畜小屋なら、その人自身が遜るなら誰でもキリストを拝するため近づくことが出来るのです。キリストを主なるお方と崇め近づき命に満ち溢れさせて頂きましょう。ヒデ

20100311_レビ19_詩篇119:81-128_ルカ2

■レビ19:9あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。19:10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
★「私を一体誰だと思っているんだ。」とあなたは言いたくなるときがありますか。そしてどんな時にそう言いたいですか。神様の場合は上の御言葉のように、あわれみを軽んじる場合です。知って下さい。神様の何よりのご性質はあわれみ深さです。そのあわれみによってあなたも救われるのです。だからこそ主は、「あなたもかつてはエジプトの地で在留異国人だった」と諭すのです。あなたの人格の深いところで、あわれみ深さが増し加えられますように。

■詩篇119:119:92もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。
★残念です。自分の神学の構築の為に、好みの御言葉だけを選り好みし、結果、癒し主、救い主たる「神なるキリスト」を捨て去って、自らを混沌の中に追いやる人のあることは。自らの救いと癒しのために、みことばの全体を受け取りましょう。その時神様の力はあなたの内に臨むのです。

■ルカ2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
★王宮か神殿でこそ生まれるにふさわしいキリスト。そのお方がなぜに家畜小屋の飼い葉桶に。その答えはこうです。王宮ならば限られた人しか願っても入ることは出来ません。しかし家畜小屋なら、その人自身が遜るなら誰でもキリストを拝するため近づくことが出来るのです。キリストを主なるお方と崇め近づき命に満ち溢れさせて頂きましょう。ヒデ

水曜日, 3月 10, 2010

20100310_レビ17-18_詩篇119:41-80_ルカ1

■レビ18:24あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべてのことによって汚れており、18:25このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。
★「これらのすべてのことによって」と記される内容はあり得ないと思われるような汚れた罪ばかりです。しかし実際そうしたことがあるのがこの世です。また、そうしたことを通してどれほど多くの人の心が傷つけられることでしょう。なぜ娘が、父や兄弟によって辱められなければならないのか。その怒りや悲しみをどこに持って行くことができるのか。無理です。そして心も身体も病むのです。しかし主はそれを断固ゆるさず、そうしていたんだ心を癒すために招いて下さるお方です。主の元にあって常に安んじましょう。

■詩篇119:71苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
★なぜ苦しみが幸せなのでしょう。それは「人はその中でこそ、はじめて開かれる神の言葉の真実があるから」と詩篇作者語ります。「イエスは主である」との告白によって、はじめて開かれる解放と祝福を受け取ることの出来る人となりましょう。

■ルカ1:37神にとって不可能なことは一つもありません。」1:38マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★マリヤはこうして信仰によって主を宿しました。同じくあなたも信仰によって復活のキリストを心の内に主として迎えることが出来るのです。このお方によって強められましょう。あなたの内に生きておられる方は、十字架に付けられましたが死んで甦られた主ご自身です。ヒデ

火曜日, 3月 09, 2010

20100309_レビ16_詩篇119:1-40_2コリント12-13

■レビ16:21アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。16:22そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。
★祭司アロンを通して主が民に示された贖いの供え物の意味は何でしょう。それは解放です。二度と犯した罪、過ちの呵責のゆえに苦しむことがないように。その為の象徴として二度と帰ってくることのないよう、荒野にやぎが放たれたのです。神様の言葉に近づくとき、大切なことは戒めの中に込められた神様を受け取ること。ですから「天のお父様、聖書秘められたあなたの愛に触れさせて下さい。」と祈りつつ聖書に親しみましょう。

■詩篇119:9どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。

■2コリント12:9しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
★パウロは自分の弱さについてどうすべきものと語っているでしょう。誇るべきものです。ではあなたはどうでしょう。誇りとしていますか。それとも劣等感や恥ずかしい気持ちが優先し、隠そうとしていますか。パウロはありのままの弱さを受け入れて下さる方を知り、信頼していたのでそのお方によって強められました。あなたはどうでしょう。内向きか外向きか、心の向きは大切です。だからこそ、こだわって主から注がれる愛と命に生きましょう。ヒデ

月曜日, 3月 08, 2010

20100308_レビ15_詩篇117-118_2コリント10-11

■レビ15:32以上が、漏出のある者、また精を漏らして汚れた者、15:33また月のさわりで不浄の女、また男か女で漏出のある者、あるいは汚れている女と寝る男についてのおしえである。
★神様の言葉はこうしたいのちの源となる領域についても、私たちの前に方向性を示します。ご自身の民を愛する神様の前には、覆われた領域はないのです。主はあなたの全てに関心と重荷を持って下さり、癒しのために心傾けて下さるお方です。大切なことは隠すことではなく、このお方を信頼し、いかに心を注ぎ出すかです。

■詩篇118:15喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。118:16主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。118:17私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。118:18主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。

■2コリント10:17誇る者は、主を誇りなさい。10:18自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。
★自分ができること、自分ができないことに目を向けるのではなく、聖書はあなたのために恵みのみわざをなして下さった主に目を注ぎ、「主を誇りなさい」と語ります。主を誇るために主に目を向ける人は解き放たれます。しかし自分を誇るため、自分に目を向ける人は縛られます。主にこそ信頼される人をめざしましょう。ヒデ

日曜日, 3月 07, 2010

20100307_レビ14_詩篇115-116_2コリント8-9

■レビ14:17祭司はその手のひらにある残りの油をきよめられる者の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に、すなわち先の罪過のためのいけにえの血の上に塗る。14:18祭司はその手のひらにある残りの油をきよめられる者の頭に塗り、祭司は主の前で彼のために贖いをする。
★右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に血が塗られるとは全き献身を表すことの象徴です。そうです。キリストの血によって贖われた者は、本来命の代価で贖って下さったキリストの者、キリストの所有です。この真理を心から受け入れる時、その人の心の中の嵐は静まります。

■詩篇115:4彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。115:5口があっても語れず、目があっても見えない。115:6耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。115:7手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。115:8これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。115:9イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。

■2コリント9:6私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。9:7ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。9:8神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
★蒔いたものを刈り取ることが不変の真理なら、よき動機のうちに、多くの種を蒔き、祝福を豊かに刈り取るものとさせて頂きましょう。あなたが賢い投資家ならこのお方に投資しない手はありません。本物を見極め、その計画を実行に移す賢い人は誰でしょう。その人はやがての日、間違いなく主から大きな酬いを受けるのです。ヒデ

土曜日, 3月 06, 2010

20100306_レビ12-13_詩篇113-114_2コリント5-7

■レビ12:8しかし、もし彼女が羊を買う余裕がなければ、二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひなを取り、一羽は全焼のいけにえとし、もう一羽は罪のためのいけにえとしなさい。祭司は彼女のために贖いをする。彼女はきよめられる。」
★ここから主の律法の目的を受け取りましょう。決して縛るためではありません。真の自由と解放を与えるためです。それは「みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神」と詩篇に記されるごとく、天の父の心です。

■詩篇113:7主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、113:8彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。

■2コリント5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
★死んでよみがえったかたの為に生きる。クリスチャンとはキリストの愛と神の言葉の真理によって、新しい人生の価値観を頂いて、そこに生きようとする人の別名です。もうあなたの人生観・価値観は変わりましたか。心の底から湧きあがる喜びを体験可能な恵みの中に導かれたことを感謝して、今日も信仰の決断をし、さあ主と共に歩み出しましょう。主があなたと共におられます。ヒデ

金曜日, 3月 05, 2010

20100305_レビ11_詩篇110-112_2コリント3-4

■レビ11:1それから、主はモーセとアロンに告げて仰せられた。11:2「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。11:3動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。
★この戒めはキリストが完全な救いを成し遂げられた新約の現代に問われることはありません。しかし、聖なる者でありなさいとの神様のメッセージは不偏です。困難な岩場をもあるけ動物のように試練の中にあっても主を仰ぎ、また御言葉を聞いても直ぐに右から左と聞き流す者ではなく、それを心の中であたため、反芻するごとく御言葉を深く味わい、その恵みによって生かされる者でありなさいと神の言葉は語るのです。

■詩篇112:7その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。112:8その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。

■2コリント3:16しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。3:17主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。3:18私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
★祝福の秘訣は主を仰ぐ主への信仰「しかし、人が主に向くなら」です。まずは受けるのです。そしてただで受けたものを、この世に向かって輝かすのです。それは誰も誇ることがないためです。同じ心でも、心を主に向かわせる外向きの心か、あるいは自分を誇ろうとする内向きの心かでは全く異なる人生となるのです。主を仰ぎ、栄光から栄光へと変えられる人生を進みましょう。ヒデ

木曜日, 3月 04, 2010

20100304_レビ9-10_詩篇108-109_2コリント1-2

■レビ10:1さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。10:2すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
★レビ記の中でも特別に神様への畏れを抱かせられる箇所です。なぜ彼らは神様の裁きを身に受けたのでしょう。それは大祭司でなければささげることがゆるされていなかった火皿で香をたくことをお互いがしたためでした。神様の前に出て、神様のわざに与るときでさえ、一致の心よりも、お互いをライバル視し、相手よりも勝るものをとの競争心とプライドのゆえに一線を越え、神様への奉仕を自己欲求の実現の手段に変えてしまったのです。主への奉仕は、神の国が天でなされるごとく、この地でもなりますようにと、お互いの賜物と人格の違いを認め合い、互いに一致して進むべきものであることを心に刻みましょう。

■詩篇108:1神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。108:2十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。

■2コリント1:4神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。1:5それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
★主の弟子パウロは一人で苦しみを抱え込まないようにとこの手紙を通して語ります。「主にあっては、あなたが抱いている苦しみは、やがて多くの人に助けをもたらす希望の光となる」と言うのです。喜びだけでなく、悲しみや痛みも共に分かち合うことを学びましょう。主にある喜びは、分かち合えば豊かに広がります。また主にあって悲しみを分かち合えば、その痛みは取り除かれ、やがて主がご自身の栄光へと変えて下さいます。喜び悲しみ、共に主にあって分かち合い、また受けとめる心の備えのある人は幸いです。ヒデ

水曜日, 3月 03, 2010

20100303_レビ8_詩篇107_1コリント16

■レビ8:22次に、彼はもう一頭の雄羊、すなわち任職の雄羊を連れ出した。アロンとその子らはその雄羊の頭の上に手を置いた。8:23こうしてそれはほふられた。モーセはその血を取り、それをアロンの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗った。
★右の耳たぶとは神様のことばを聞くことを、右手の親指とは、神様のみわざを行うことを、右足の親指とは神様の命令に従い行くことを表します。すなわち祭司とは神様と民との仲保者となり、特に神様の御旨に忠実に従う様召し出されたものであることを教えているのです。キリストによる召命と十字架で成し遂げられた贖いによって、あなたも新約の祭司として召し出されました。

■詩篇107:28この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。107:29主があらしを静めると、波はないだ。107:30波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。

■1コリント16:19アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。16:20すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。
★クリスチャンとはどんな人でしょう。主にあるフレンドリーな交わりを喜び、またそれを作り出そうと心傾ける人々です。初代教会の有り様は家々を基本としたあたたかな、互いを支え合うキリストにある共同体でした。彼らは地上にあるもので、いつまでも残るものは神のことは(聖書)とキリストにある関係(教会)であることを受けとめました。この真理を受け取る時、更なるキリスト者としての成熟の道が開かれます。ヒデ

火曜日, 3月 02, 2010

20100302_レビ7_詩篇106_1コリント15

■レビ7:29「イスラエル人に告げて言え。和解のいけにえを主にささげる者は、その和解のいけにえのうちから、そのささげ物を主のところに持って来なければならない。7:30その者は、主への火によるささげ物を、自分で持って来なければならない。すなわち彼は、その脂肪を胸に添えて持って来なければならない。そしてその胸を奉献物として主に向かって揺り動かしなさい。
★和解のいけにえについて聖書は「自分で持って来なければならはない。胸を動かして」と自発の大切さを強調します。神様との和解、自分との和解、人との和解について多くの人はおっくうに思い、後回しにしたり、時の流れに委ねたり、あるいは蓋をしたまま示されることがあっても放置したりします。しかし聖書は自らの意志をもってそこに心を砕くことを教えます。なぜならここから命と祝福は始められるからです。主に励まされ、和解のために心を動かし、決断をもって行動する人は幸いです。

■詩篇106:43主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。106:44それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。106:45主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。

■1コリント15:19もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。15:20しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
★「聖書の中で最も深く吟味し、受け取る言葉は何ですか」と問われるなら、森はこの御言葉を示します。キリストは甦られたのです。これは嘘でも作り話でもないのです。ならば死さえも打ち破る命と力があなたに臨む時、あなたの人生はどうなることでしょう。あなたはこの事実を既に心を開き受け入れ、復活のキリストを歓迎して迎えていらっしゃいますか。ヒデ

月曜日, 3月 01, 2010

20100301_レビ5-6_詩篇105_1コリント14

■レビ6:6この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。6:7祭司は、主の前で彼のために贖いをする。彼が行って咎を覚えるようになる、どのことについても赦される。」
★聖書は「後で咎を覚えるすべてのことについて赦される」と赦しの道を示します。とが、すなわち良心の呵責は自分一人で抱え込むべきものでないと諭し、主はご自身の前にでる道を開いて下さっているのです。はばかることなく主の前に出ましょう。そして心に主の平安を受けとりましょう。さらに壊れた関係の修復、回復のために主の助けを求めるものでありましょう。そんなあなたを主は必ず豊かな祝福で覆って下さいます。

■詩篇105:44主は、彼らに国々の地を与えられた。彼らが国々の民の労苦の実を自分の所有とするために。

■1コリント14:17あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。14:20 兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。
★ここでは教会において優先されるべきことが明らかです。それは他の人の徳を高めること。教会とは神に召し出された人々の集い、キリストの花嫁の集いです。ヒデ