木曜日, 3月 04, 2010

20100304_レビ9-10_詩篇108-109_2コリント1-2

■レビ10:1さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。10:2すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
★レビ記の中でも特別に神様への畏れを抱かせられる箇所です。なぜ彼らは神様の裁きを身に受けたのでしょう。それは大祭司でなければささげることがゆるされていなかった火皿で香をたくことをお互いがしたためでした。神様の前に出て、神様のわざに与るときでさえ、一致の心よりも、お互いをライバル視し、相手よりも勝るものをとの競争心とプライドのゆえに一線を越え、神様への奉仕を自己欲求の実現の手段に変えてしまったのです。主への奉仕は、神の国が天でなされるごとく、この地でもなりますようにと、お互いの賜物と人格の違いを認め合い、互いに一致して進むべきものであることを心に刻みましょう。

■詩篇108:1神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。108:2十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。

■2コリント1:4神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。1:5それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
★主の弟子パウロは一人で苦しみを抱え込まないようにとこの手紙を通して語ります。「主にあっては、あなたが抱いている苦しみは、やがて多くの人に助けをもたらす希望の光となる」と言うのです。喜びだけでなく、悲しみや痛みも共に分かち合うことを学びましょう。主にある喜びは、分かち合えば豊かに広がります。また主にあって悲しみを分かち合えば、その痛みは取り除かれ、やがて主がご自身の栄光へと変えて下さいます。喜び悲しみ、共に主にあって分かち合い、また受けとめる心の備えのある人は幸いです。ヒデ

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