火曜日, 6月 30, 2009

20090630_1サム11-12 イザヤ55 黙示19-20

■1サムエル12:23私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。
★「主よお語り下さい。僕は聞きます。」と合わせてこの「祈るのをやめて主に罪を……」の表現は、主の預言者とされたサムエルの生涯を代表する言葉です。なにゆえに主はサムエルの生涯を祝福されたのか。その理由を私たちはこの告白の中に垣間見させられます。自らの何者でもないことを知るゆえに、ひたすらに神様を求めるサムエルの姿。まさにそれが幼い頃より一貫して彼が持ち続けていたものでした。時代は変わり民は変わり、人々の求めは目に見えない神様から目に見える王へと変わってしまいました。しかし主は目に見えるものではない、この神を畏れるサムエルの生涯を終わりに至まで持ち運び用いられたのです。

■イザヤ55:9天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。55:10雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。55:11そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
★神様の口から出る言葉の特徴を述べなさいと試験に出題されたらあなたは何と答えますか。その答えは「必ずその通りの事を成し遂げ、むなしく返らない」です。だからこそ私たちは御言葉を下さいと主に求めるのです。

■黙示録20:10そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
★多くの人は地獄の存在理由についての理解が曖昧です。悪魔が人に危害をくわえることのないよう、悪魔を永遠に縛ることを目的として神様御自身が設けられたもの。それが地獄です。にも関わらずここに「にせ預言者も」と人が。あってはならない事です。何のための主の十字架か、その意味を噛み締め、今日も一日主の恵みの中で歩ませて頂きましょう。ヒデ

月曜日, 6月 29, 2009

20090629_1サム10 イザヤ54 黙示17-18

■1サムエル10:6主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。
★主が王制を求めるイスラエルにはじめて立てられたサウルに対する励ましです。ここから神様が人を召し出される時は、その立場や使命を全うすることができる賜物を与えずして、召し出されることのないお方であることを受け取りましょう。神様は決して意地悪なお方ではありません。かならず召命と共に賜物も分け与えて下さるのです。ただ、それを信じて受け取り踏み出すか。踏み出す前にそれを見せて下さらなければ踏み出せませんと信じ切れない自分のためにその祝福を長きに渡って留めるかのどちらかです。神様はご自身を偽る事の出来ないお方であることをもう一度覚えましょう。

■イザヤ54:10たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない」とあなたをあわれむ主は仰せられる。
★主があなたに対してもっておられる正直な思いを分かち合って下さいました。主はあなたを愛しておられるのです。そのまま受け取りましょう。私は決してあなたを離れず、あなたを捨てないと主は語られました。

■黙示録17:14この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」
★御言葉によると「彼とともにいる者たち」はどんなものと紹介されているでしょう。それは召された者、選ばれた者、忠実な者です。この規準はあなたが自分を見てどう思うかではなく、あなたについて主がどう思っておられるかです。そして自分の思いではなく主の思いを受け取ることが信仰の原点です。そうあなたは召され、選ばれ、忠実な者なのです。感謝してこの事実を受け取りましょうです。そしてあなたは、あなたの中におられるキリストによって今日も一日輝くのです。ヒデ

日曜日, 6月 28, 2009

20090628_1サム09 イザヤ53 黙示15-16

■1サムエル9:17サムエルがサウルを見たとき、主は彼に告げられた。「ここに、わたしがあなたに話した者がいる。この者がわたしの民を支配するのだ。」
★私たちも回りの国々同様王を与えて下さいと王制を求めるイスラエルに、神様はサウルを民に与えようと働かれます。迷った父の雌ロバを探すために山地を行き巡るサウル。不思議ですがその途中で預言者サムエルとの出会いへと導かれるのです。あなたは、人を祝福する為に人との出会いを求めていますか。それとも神様の祝福と助けを求めて人との出会いを求めていますか。いずれにしても神様は私たちの祈りに耳を傾け、その必要に答えようと不思議な出会いを与えて下さるお方です。どうか私たちとの視点がすべての人の中にイエス様を見出すもので有りますように。

■イザヤ53:6私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。…12彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
★預言者イザヤがキリストの十字架を目の当たりにまるで見ていたかのような記述です。是非目を通してみて下さい。そこから受け取って頂きたいことは、主は人の心の中に御自身の御思いを示されたり、見せて下さる幻を通して将来の祝福を示して下さるお方だと言うことです。だからこそ、それを正しく受け取る方法を知る必要があるのです。

■黙示録16:21また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。
★世の終わりにある7つの鉢の裁きの一こまです。災いが起こる度、聖書はこの時代の人々の多くは神様に対して汚し事を言ったと記します。しかし災いの中で全ての人が神様への汚し事を言ったのではないはずです。ヨブは「主、我を試み給わば、われ金のごとくいで来たらん」(ヨブ23:10)と歌いました。心にあることの全てが明らかになるやがての日に備えて、よき信仰の決断を主の助けによって今週もさせて頂くことが出来ますように。ヒデ

土曜日, 6月 27, 2009

20090627_1サム07-08 イザヤ52 黙示14

■1サムエル8:19それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。8:20私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」
★神性政治のイスラエルが王制にとって変わる一瞬です。民から王制への移行を訴えられたサムエルに対し、主は「民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。」と語られたました。形はどんなであるにせよ真に治めておられるのは「主である」と、この本質が失われる時、そこから命は失われ、すべてのものは形骸化し形式主義へと流れ、命の流れは内向きの守りとなってしまうのです。「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」との約束を心に刻みましょう。

■イザヤ52:11去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。
★主の器を担う者、主の器とは誰でしょう。それはあなただと主は語られます。私たちの祝福と生涯の成熟はこれを受け取る所からスタートです。

■黙示録14:14また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
★これは世の終わりの光景の一こまで、神の言葉は一貫して、人はその行いによって報いを受ける時が来ると語ります。するとどうしましょう。自分の姿の見えない幼な子ならいざ知らず、一体誰が自らの行いを持って神の前に立てると言うのでしょうか。だからこそ十字架の上で主は私たちの足りないその分を払って下さったと言うのです。さあ、もう一度主を仰ぎ、感謝をもって今日のこの日もはじめさせて頂きましょう。ヒデ

金曜日, 6月 26, 2009

20090626_1サム05-06 イザヤ51 黙示12-13

■1サムエル5:9それがガテに移されて後、主の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。5:10そこで、彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着いたとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」
★ペリシテ人に奪われた契約の箱(この箱の上部は贖罪所を中心に、そこに向かうセラピム「御使い」が彫られ、箱の中にはモーセの十戒の石の板と40年の荒野の生活支えたマナの入った壺、更には芽を出したアロンの杖が入っていました)は、何と行くところ行くところ災いをもたらしたのです。その箱が留まる所に神の臨在と祝福をもたらすはずの箱なのに。しかしこれがある面、神様の祝福の原則です。示される臨在の中で悔い改めに導かれるならばその人は命を得、しかし臨在を軽んじる時、その人の心は曇り身体の健やかさはやがてむしばまれて行くのです。まさに主を畏れることが知識のはじめであることを覚えましょう。

■イザヤ51:1義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。51:2あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。51:3まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。
★主とはどのようなお方ですかとの質問にいかに答えましょう。それは主以外誰も見出しえない可能性をあなたの中に見出し、それを引き上げ、そしてあなたの生涯を麗しく飾って下さるお方。あなたはあなたの内にある良きものを誰よりも尊び、それを輝かせようとして下さるお方が主であることをご存知ですか。そして日ごとに心を開いて主に近づいていらっしゃいますか。主の御手によって形づくられるほど安全で間違いの無い生き方はありません。拒む必要は無いのです。今日もヨロシクお願いしますと歩み出させて頂きましょう。ヒデ

木曜日, 6月 25, 2009

20090625_1サム04 イザヤ50 黙示10-11

■1サムエル4:8ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。4:9さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」
★これらの言葉はイスラエルの宿敵ペリシテのもので、その理由は前の戦いでイスラエルがペリシテに敗れたとき「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。」と言った為でした。結果イスラエルの力ある神を恐れて、今まで以上に命がけで戦ったペリシテ軍が勝利を治めたのです。ここにひとつの教訓が。主を迎え入れたと言っても、そこに真摯な主への従順と畏れがなければ、むしろ敵の必死によって打ち負かされることがあるのです。信仰とはファッションでは無く、ライフスタイルそのものであることを心に刻みましょう。

■イザヤ50:8私を義とする方が近くにおられる。だれが私と争うのか。さあ、さばきの座に共に立とう。どんな者が、私を訴えるのか。私のところに出て来い。
★ハレルヤ!胸がすくような神様理解がここにあります。まさにここにある通り。主を信じたあなたのためには、いざと言うときキリストがあなたを訴える者の前にあなたと共に立って、十字架の上で流された命の代価を根拠に「私は彼の罪のためにも命を捨てたんだ。裁きは終わった。負債は支払済みだ。」と仰るのです。キリストが十字架で成し遂げられ贖い。それは人類が捕らえられていた死の恐怖さえ打ち砕くものです。いいですか。あなたは自分を訴える者に対して自分で戦おうとしてはなりません。このキリストの中に隠れこんで、このお方に戦って頂くのです。「イエス・キリストの御名によって命じる。サタンよ退け。私はキリストにあって赦されたものである」と。キリストはあなたを救うために命を捨てられたのです。ヒデ

水曜日, 6月 24, 2009

20090624_1サム03 イザヤ49 黙示07-09

■1サムエル3:10そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。
★この章の終わりは「こうして全イスラエルは、ダンからベエル・シェバまで、サムエルが主の預言者に任じられたことを知った。」と、サムエルがイスラエルの霊的リーダーとなったことを明らかにします。が、その理由はと問われるならその答えが10節に。「主よお話し下さい。しもべは聞いております」。そう人を成長させるものとは、神への従順と謙遜です。詩篇の記者はそれを「84:11主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。84:12万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。」と謳いました。言い訳ではなく従順をもって神への賛美に生きる者に変えられたことを心一杯感謝しましょう。

■イザヤ49:2主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私を隠し、私をとぎすました矢として、矢筒の中に私を隠した。
★なぜ私たちは御言葉を尊び、心の内に御言葉を蓄えようとするのでしょうか。ここにはその答えが明確です。それは神様の時にあなたが神様の御手から放たれた矢のごとく事を成し遂げる人として召し出された人だからです。そうですあなたは神様の人、神様の期待の存在です。勝手に自分を低く見積もらないようにしっかりと心を見張りましょう。

■黙示録7:13長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。7:14そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
★知って下さい。上の言葉はやがてあなたが天で聞く御使いの語りかけです。御使いの間であなたは誇りです。その事を心に受けとめさあ今日一日も始めましょう。ヒデ

火曜日, 6月 23, 2009

20090623_1サム02 イザヤ48 黙示05-06

■1サムエル2:6主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。2:7主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。2:8主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱は主のもの、その上に主は世界を据えられました。2:9 主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。2:10主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます。」
★このハンナの主への賛美どこかで聞き覚えがある気がしませんか。そうマリヤがイエス様を身ごもった時の。ここから共通して言えること、それは神様に望みを置く者を神様は決して辱められないこと。主はあなたの涙の祈りも決して忘れておられませんよ。

■イザヤ48:10見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。
★ということは試練は考え方によってはチャンスと言うことですか?ならば今あなたが遭遇していらっしゃる試み、どう受け取りましょうか。少なくとも絶望では無いことは確かです。たとえ八方塞がりでも天は開いています。仰ぐことによって練り清められましょう。

■黙示録5:4巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。5:5すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」
★今あなたの抱えている課題。それを失望と落胆、涙で終わらせてなりません。それを解くことのできるお方がいらっしゃるのです。そう今日もこのお方に望みを置き、このお方を拝して一日を始めるのです。このお方の側に立つあなたを主は必ず勝利へと導いて下さいます。ヒデ

月曜日, 6月 22, 2009

20090622_1サム01 イザヤ46-47 黙示03-04

■1:15ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。
★「その頃イスラエルには王がなくめいめいが自分の目に正しいと見える事を行っていた」というイスラエルに、神様の祝福の秩序をもたらしたのが祭司サムエル。この箇所はそのサムエルの誕生についての経緯です。夫エルカナに愛されつつも子供がないためにもう一人の妻ペニンナにいじめられるハンナ。彼女はその苦しみの為に15節のように心を神様の前に注ぎ出していたのです。主はそんな彼女に「安心して行きなさい」と語られると共に心の晴れやかさを与えて下さったのでした。誰にも分かってもらえない悲しい思い、しかし、それをそのままで終わらせない神様の恵みを知って下さい。心を注ぎだして神様に求めるか否かは大きな違いです。あなたは主が与えて下さる晴れやかさを既に経験なさいましたか。

■イザヤ46:3わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。46:4あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
★上の御言葉からの質問です。さてあなたの生涯を責任持って導いて下さるお方は誰でしょう。あなたはこの質問に既に答えを見出されれましたか。

■黙示録3:20見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
★ここに表現されている『戸』とは私たちの心です。人の心は外からではなく内側からしか開けません。そして何に心を開くかによって私たちの生涯は決まるのです。私たちのために十字架の上で命を注ぎ出して下さった主にこそ心開くあなたの上に主の祝福はこの朝も豊かに注がれます。ハレルヤ!ヒデ

日曜日, 6月 21, 2009

20090621_ルツ03-04 イザヤ45 黙示録01-02

■ルツ4:16ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。4:17近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。
★しばしの飢饉を逃れるために夫と二人の息子を連れてモアブの野に赴いたナオミ。けれどそこで夫と二人の息子に先立たれるとは一体誰が想像したでしょう。しかし深い悲しみを越え、自らよりも息子の妻であったルツの幸せに立ったとき。神様は驚くばかりの祝福をナオミに備えられたのです。まさに「自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます」ルカ17:33です。更なる驚きはこのルツとボアズの子オベデの子孫からダビデのみならずキリストが誕生する事となったのです。神を畏れる生き方は必ず後には100倍をも勝る恵みとなって帰って来るのです。あなたに報いて下さる神様は今も生きておられるのです。

■イザヤ45:4わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える。
★どうしても肩書きが求められるサラリーマンの皆さん吉報です。主はあなたに肩書きを与えて下さるお方です。もう受け取られましたか。まだの方は積極的に願って下さい。主は特別な肩書きをあなたの為に用意しておられますよ。

■黙示録2:10あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
★私たちが獲得できる中で最高の冠。それがいのちの冠です。がその為には忠実さと忍耐が必要と主は語られます。知って下さい。かん難は暫し、期限付きです。どうかあなたの心が今日一日も主の愛と真実に励まされ生きる勇気に満たされますように。ヒデ

土曜日, 6月 20, 2009

20090620_ルツ01-02 イザヤ44 ユダ01

■ルツ2:8ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。2:9刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
★ルツに対する思いやり深いボアズのことばです。夫と二人の息子を失った母を慰めようと「あなたの民は私の民。あなたの神は私の神です」と母と行動を共にしたルツ。そんな彼女の生き様の噂は既にベツレヘムの町に広がっていたのです。しかしそれは昔の事、現代はそんな流暢なことでどうして生きて行けますか……。そうですか。しかしいつの時代も見るべき人は見ています。またあなたがその人になることを主は願っておられます。

■イザヤ44:19彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか。』とさえ言わない。
★偶像礼拝の矛盾と愚かさについて聖書の中で最もが鮮やかに表現されている箇所はどこですかと問われるならこの44章でしょう。あなた自身とあなたの愛する人の祝福のため一度読まれることをお勧めします。救って下さるお方は「私に帰れ。わたしはあなたを贖ったからだ。」と力強く語って下さる主以外にないことを覚えましょう。

■ユダ1:24あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、
★主とはどんなお方ですか。そう尋ねるあなたのために天のお父様が用意下さった答えが今朝の御言葉です。あなたを傷無きものとして立たせて下さるお方それが主です。さあ今日もこのお方への感謝と信頼の一日を始めましょう。祝福はあなたの前に置かれています。ヒデ

金曜日, 6月 19, 2009

20090619_士師21 イザヤ43 01・02ヨハネ

■士師21:16そこで、会衆の長老たちは言った。「あの残った者たちに妻をめとらせるにはどうしたらよかろう。ベニヤミンのうちから女が根絶やしにされたのだ。」21:17ついで彼らは言った。「ベニヤミンののがれた者たちの跡継ぎがなければならない。イスラエルから一つの部族が消し去られてはならない。
★ベニヤミン部族の神を畏れない汚れに対して呵責のない裁きを下したイスラエル。しかしそのイスラエルの長老の中にベニヤミン部族へのあわれみの思いがわき起こりました。それが1部族であっても神様の約束の民イスラエルから欠けることがあってはならないの表現です。全部族の長老達は心砕いてベニヤミンの回復の道を模索し、全イスラエルに理解を求めます。御言葉は平和を造り出す者は幸い、また憐れみは裁きに打ち勝つと語ります。和解は自然には訪れませんが、主の赦しを霊に深く深く受け取ったあなたの歩みが、今日も一日、多くの人の慰めと罪を執り成す歩みとなりますように。

■イザヤ43:1だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。43:2あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
★「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの」とは何というと励ましでしょう。「私のもの」と言う以上、主はあなたに他のものによっては補えない価値を認め、その価値ゆえに自らの所有として持ち運び、それを喜び誇りとして下さるというのです。合わせてあなたは人生に押し流されない秘訣を知りたいですか。それは何かを自分で握りしめることではありません。「あなたは私のもの」との主の宣言にあなた自身許可を与えることです。そうしてイスラエルはかつて押し流されることなく紅海を渡りました。「主よあなたのものです。」と告白して一日を始めるあなたを今日も主は祝福で覆って下さいます。ヒデ

木曜日, 6月 18, 2009

20090618_士師20 イザヤ42 1ヨハネ05

■士師20:28当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた。そして言った。「私はまた、出て行って、私の兄弟ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は仰せられた。「攻め上れ。あす、彼らをあなたがたの手に渡す。」
★前章の続きです。信じたくもない汚れの報告を聞いた他の全イスラエルは40万の部隊となって主のみ前に結集し神様の御心をもとめたのです。その時の主の命令がここに記された「攻め上れ」でした。ここに主の汚れに対する明確な指針が示されました。主は神を畏れることを捨て、ご自身の民の愛が倒錯し汚れの中に落ちて行くことを赦し得ないのです。天の父はもちろん憐れみと恵みに満ちたるお方。しかし自らを滅ぼし家庭を国家を滅ぼす汚れには断固峻厳なる態度をとられます。この朝、私たちの全てのものに向かう愛を点検しましょう。このお方を畏れる所から私たしたちの全てのものに向かう愛が流れ出ますように。

■イザヤ42:1見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。42:2彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。42:3彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。
★この箇所はやがて人となって来られる救い主イエス・キリストの預言です。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すことのないお方と聖書は語ります。人としての弱さを抱える私たちはどんなに頑張っても、時に折れてしまいそうな、あるいはくすぶり今にも消えてしまいそうな思いに支配されることがあるのではないでしょうか。しかしこのお方はそれを決して折らず消さないというのです。すなわち決して「だめだなーお前は」とは言われず、大丈夫だ。私があなたと共に歩み。あなたを支えるのだと語られるのです。その為に主はキリストとして人の姿を取られたのです。さあ心を静めて下さい。あなたには聞こえますか。「大丈夫だ。あなたは私の目に高価で貴い。私はあなたを愛している」とこの朝もあなたに対して語り掛けられるこのお方の御声が。ヒデ

水曜日, 6月 17, 2009

20090617_士師19 イザヤ41 1ヨハネ03-04

■士師20:28当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた。そして言った。「私はまた、出て行って、私の兄弟ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は仰せられた。「攻め上れ。あす、彼らをあなたがたの手に渡す。」
★前章の続きです。信じたくもない汚れの報告を聞いた他の全イスラエルは40万の部隊となって主のみ前に結集し御心をもとめたのです。その時の主の命令が「攻め上れ」でした。ここに汚れに対する明確な主の指針が示されました。主は神を畏れることを捨て、ご自身の民の愛が倒錯し汚れの中に落ちて行くことを赦し得ないのです。天の父はもちろん憐れみと恵みに満ちたるお方。しかし自らを滅ぼし家庭を国家を滅ぼす汚れには断固峻厳なる態度をとられます。この朝、私たちの全てのものに向かう愛が、このお方を畏れる所から流れ出ますように。

■イザヤ42:2彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。42:3彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。
★やがて人となって来られる救い主イエス・キリストの預言です。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すことのないお方と聖書は語ります。人としての弱さを抱える私たちはどんなに頑張っても、時に折れてしまいそうな、あるいはくすぶり今にも消えてしまいそうな思いに支配されることがあるのではないでしょうか。しかしこのお方はそれを決して折らず消さないというのです。すなわち決して「だめだなーお前は」とは言われず、大丈夫だ。私があなたと共に歩み。あなたを支えるのだと語られるのです。さあ心を静めて下さい。あなたには聞こえますか。「大丈夫だ。あなたは私の目に高価で貴い。私はあなたを愛している」とこの朝もあなたに対して語り掛けられるこのお方の御声が。ヒデ

火曜日, 6月 16, 2009

20090616_士師17-18 イザヤ40 1ヨハネ01-02

■士師17:1エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。17:2彼は母に言った。「あなたが、銀千百枚を盗まれたとき、のろって言われたことが、私の耳に入りました。実は、私がその銀を持っています。私がそれを盗んだのです。」すると、母は言った。「主が私の息子を祝福されますように。」
★聖霊によって罪を示された息子ミカが母にその罪を告白した時、母は「正直に罪を告白した私の息子を主が祝福して下さるように」と祈りました。原罪ゆえに罪人となった人が罪を認めるためには聖霊様の助けがなければできるものではありません。ゆえにこの時母は主への感謝をもって息子を神様の前に導いたのです。人を罪によって縛る生き方ではなく、私たちもこの婦人の選んだ道を選択することが出来ますように。

■イザヤ40:31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

■1ヨハネ2:1私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。2:2この方こそ、私たちの罪のための私たちの罪だけでなく、世全体のためのなだめの供え物です。
★聖書はキリストを愛するあなたのために、たとえあなた失敗して罪を犯すことがあっても誰がいると語っていますか。そうあなたを弁護して下さるイエス・キリストです。ここから神様の御心を知って下さい。神様はあなたがプログラムされた通りにしか動けないロボットのような人生を生きることを願っておられません。むしろ自由を生きて欲しいと願っておられるのです。しかし自由には失敗も伴います。けれどもそれをも赦される主の愛を知って、主はあなたが失敗をも恐れないで神と人を愛し、人生を感謝して生きることを願っておられるのです。さあ今日もこのお方と一日を楽しみつつ始めましょう。既に赦されているのですから。ヒデ

月曜日, 6月 15, 2009

20090615_士師16 イザヤ39 2ペテロ03

■士師16:16こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。16:17それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」★聖書は、サムソンはソレクの谷にいる一人の女を愛したと語りますが、果たしてこの遊女のもとに彼は留まり続けるべきだったでしょうか。留まり続けようとするばかりに彼は苦しみ、遂には銀貨数千枚にかえて自分を売り渡そうとするデリラに、自らの力の源の秘密を明らかにせざるを得なくなってしまったのです。その結果彼は力を失いペリシテ人から目をくり抜かれ笑い者とされてしまいます。そうです。サムソンはそこを去るべきでした。そこに留まる為の言い訳を探すべくもなく去るべきだったのです。あなたにはそこを去るべきと示されることはありますか。主を仰ぎ将来のために勇気ある決断をさせて頂きましょう。
■2ペテロ3:16その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。★あなたはヒョッとするとまだ一度も聖書通読の経験のない方でいらっしゃるかも知れませんね。その上でなぜ私たちは聖書通読にこだわったライフスタイルの確立をこうしてめざそうとするのでしょうか。ここにはその問に対する一つの答えが記されています。それは聖書を曲解し自らに滅びを招かないためです。その為には文脈を無視した読み方は控えましょう。また、単に知的に読む以上に心に語りかけられる神様の御声を大切に通読を進めるのです。主はそうした生き様を重んじようとするあなたの生涯において、必ずみ言葉に霊感を与えて、いよいよの時あなたの命と希望を守って下さるお方です。ヒデ

日曜日, 6月 14, 2009

20090607-0613_週間ディボーションレポート




20090614_士師14-15 イザヤ38 2ペテロ01-02

■士師14:3すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」14:4彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。
★その名は不思議とよばれる主によって地上に生を受けたサムソンの人生の一こまです。「異邦の娘をめとってはならない」との律法の中、サムソンが抱いたペリシテの娘をめとりたいとの思いは、主もゆるされた事だったとは。私たちはここから物事をみ言葉の規準で評価できる目を持つ必要と、その上で、なお主権的に許される主のわざのあることを教えられます。後になって始めて分かる世界、そこには信じる者の為に、すべての事を働かせて益として下さる神様の存在があるのです。仰ぎ、へりくだりましょう。

■イザヤ38:17ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。
★神から投ぜられる光ゆえの苦しみは無駄ではありません。むしろ人は自分の事が見えなさ過ぎ、知らなさ過ぎるのです。しかし私たちの苦悩を苦悩で終わらせないのが神の恵み。自分の本当の姿を知り主を仰ごうとする人の罪を、主はご自身の後ろに投げ捨てられるのです。たまたまではありません。主が投げ捨てられたものを訴える者がもう一度拾って「これですよ。主よ」と差し出したとしても、同じように主はあなたの罪をご自身の後ろに投げ捨てられるのです。理由はあなたに請求すべき罪の負債は、キリストにあって徴収済だからです。それが十字架の効力です。もう一度いいですか。あなたがかつて犯した罪だといえども、キリストにあるあなたを誰も罪に定める事は出来ないのです。主はあなたの罪を永遠にご自身の後ろに投げ捨てられたのです。ヒデ

土曜日, 6月 13, 2009

20090613_士師12-13 イザヤ37 01ペテロ03-05

■士師13:22それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」13:23妻は彼に言った。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のいけにえと穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、いましがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったでしょう。」
★これはあのロバのあご骨で1000のペリシテ人を打ち殺す士師となったサムソンの父マノアの言葉に対する妻の言葉です。何と主の心を言い当てた言葉でしょう。夫マノアは主を見たので必ず死ぬと恐れます、しかし妻は神様が私たちを愛し御計画を持って下さっているからこそ顕れて下さったのであって、神様は必ず私たちを守り用いて下さいますと語ります。まさに健全な信仰。私たちもこの信仰に生きるのです。あなたが滅びることを願わないゆえに成し遂げらた十字架。その意味をこの朝もしっかり受け取りましょう。

■1ペテロ5:9堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。5:10あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
★私たちの生涯が不動の生涯になれるとはなんたる感謝。もちろん棚ぼた式ではありません。「しばらくの苦しみ」「あらゆる恵みに満ちた神」。あなたの心はどこに留まりますか。しかしその明確な結論は「不動の者」なのです。何度となく様々なものに揺り動かされ主を裏切ったペテロ。しかし彼の生涯の結論の言葉はこれでした。そうです。主は信じ従う者の生涯を作るのです。あなたの生涯を作るのです。不動の者となるか、うつろい行く者となるか。主はこの朝も「あなたは私に従って来なさい」と語られます。今日もあなたを神の側に立たせて下さる主を崇め。さあ一日を始めましょう。ヒデ

金曜日, 6月 12, 2009

20090612_士師10-11 イザヤ36 01ペテロ02

■士師11:30エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、11:31私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」
★たとえ神の人エフタと言えども何と愚かな契約を神の前にしたことか。結局アモン人には勝利したものの、愛する娘を全焼のいけにえとしてささげなければならなくなったのです。人とは何と愚かで、近視眼的かつ表面的な判断をもって自らに滅びと災いを招き入れるものでしょう。けれども更に心に留めるべき厳粛な出来事とは、一度交わした霊的な契約は破棄されることがないにも関わらず、多くの人はこの事実を知らず、滅びを身に招いていることです。ここはどんなことがあっても曖昧にしてはなりません。キリストの十字架はその呪いの契約を唯一白紙にすることの出来る神の力です。ですから知って、信じて、こう祈って下さい。「知らずとはいえ。私が交わした……の契約は間違いでした。今その過ちを認め、キリスト十字架の力を信じて祈る私を赦し、その霊的支配から解放して下さい」と。主は速かにあなたの生涯を祝福の中に移して下さいます。

■1ペテロ2:2生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
★聖書は人が救いを得、成長するためには純粋なみことばが必要と語ります。なぜですか。それは人が神の形ににせて作られたから。すなわち霊を持ち、神の霊である聖霊とのまじわりの中に生きるものとして作られたからです。「人はパンだけで生きるのではなく神の口からでる一つ一つの言葉によって」とはまさにそのことです。朝ごとに御言葉の前に静まる選択をしたあなたは何と幸いな大路を選んだことでしょう。ハレルヤ。あなたの上には今日も主の祝福が置かれています。ヒデ

木曜日, 6月 11, 2009

20090611_士師09 イザヤ35 01ペテロ01

■士師9:54アビメレクは急いで道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私を殺してくれ。女が殺したのだと私のことを人が言わないように。」それで、若者が彼を刺し通したので、彼は死んだ。9:56こうして神は、アビメレクが彼の兄弟七十人を殺して、その父に行なった悪を、彼に報いられた。
★あの12万のミデヤン人をわずか300人で打ち負かしたギデオン。今日はそのギデオンがそばめエルバアルとの間にもうけたアビメレクの生涯の結末です。なんと妬みゆえに異母兄弟70人を殺し、彼は王位を確立しようとするのです。が、ひとりの婦人が、彼の頭めがけて投げたひき臼が頭蓋骨に命中し、アビメレクは命を落とします。人生の教訓です。あまりのあわれみのなさは、敵のみならず身内や、味方からも忌み嫌われます。箴言16:18の「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」のみ言葉が、いつの時代も真実であることを覚えましょう。

■1ペテロ1:21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。
★この御言葉の奥義を理解しましょう。日本では「鰯の頭も信心から」とよく言われますが、この御言葉は全く反対のことを語ります。それは私たちの熱心さてはなく、神様はそれをすることが可能なお方かどうかと言うことで、その答えはもちろんアーメンです。気をつけましょう。悪魔は感心をあなた自身が何をしたかに縛り付けようとしますが、そこには救いはないのです。むしろ神様がなし遂げて下さった救いの御業を仰ぐのです。聖書は「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。」と語ります。神様にこそ望みをおくあなたの上に、今日も主は豊かな命と祝福を注いで下さいます。ヒデ

水曜日, 6月 10, 2009

20090610_士師07-08 イザヤ34 ヤコブ05

■士師7:2そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。7:3今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい。』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。
★この章は前章に続く、主の民イスラエルがミデヤン人を滅ぼす経緯について紹介された箇所です。12万以上の軍隊と戦うのに、神様はここで33000人から更に300人へと絞り込まれます。その理由は神様の栄光を人が取らないためです。「私ではありません。主です。私は出来ることをしたに過ぎません。」と心から語れることが恵みであることを覚えましょう。あなたは栄光を握りしめますか。それとも神様にお返ししますか。

■ヤコブ5:12私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい。」を「はい。」、「いいえ。」を「いいえ。」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。
★ここには私たちの生涯に勝利をもたらす秘訣が明確です。それは決して難しいものではなく読んで字のごとく「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」とすることです。では何がそれを難しくし、時には玉虫色の表現や決断としてしまうことがあるのでしょうか。それが、貪欲、名誉欲、密かに隠れ持つプライド等、絡みつく罪の結果です。当然のことを当然とできない心には既にイエローカードが点滅中です。レッドカードとなる前に教会の祈りの中で解放されましょう。御言葉は5:16「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」と進めます。今日も心に「これは私の心にかなうものである」との御声を頂き一日を始められるあなたの上に主の豊かな祝福をお祈りします。ヒデ

火曜日, 6月 09, 2009

20090609_士師06 イザヤ33 ヤコブ03-04

■士師6:11さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。6:12 主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」
★ここはイスラエルを苦しめるミデヤン人から民を救った預言者ギデオンの召命の箇所です。主はこのギデオンを用いてどれほど大きなことをなさったことか。何と12万以上の軍隊をわずか300人で滅ぼしたのです。しかしここに描かれたギデオンの姿は敵を恐れて自らの身を酒ぶねに隠す者でした。「勇士よ。主があなたと共におられます」との召命とはありまにもかけ離れています。それはギデオン自身が誰よりも受け取れない言葉。しかし知って下さい。主はその時のギデオンをだけではなく神の恵みによって強められる将来のギデオンの姿を見てそう声をかけられたのです。あなたに主が御声をかけられる時も同じです。どうぞ自分を見ないで神様の御声に信頼しましょう。御子の命の代価を払っても私には価値があると御父が語られる存在それがあなたなのです。

■ヤコブ4:7ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。……4:10主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。
★ここには霊的勝利の秘訣が明確です。まずは勝利を与えてあなたを高くして下さるのは主であることの確認です。自分ではありません。その上で私たちのすべき事は霊的戦いから逃げる事ではなく、主にあって立ち向かうことです。いいですか。闇は暗さで脅すことはできても、主と共に主の光をかざして主の聖徒が立ち向かう時、消え去る以外にないのです。それが主にあって光の子とされた神の子であるあなたが持つ特権であり闇の性質です。あなたは必ず霊的戦いに勝利できるのです。キリストの御名の権威を持って今日一日を祝福します。ヒデ

月曜日, 6月 08, 2009

20090608_士師04-05 イザヤ32 ヤコブ02

■士師4:4そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。
★イスラエルにおける初の女預言者の登場です。彼女の召命の背景を主は「イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。それで、主はハツォルで治めていたカナンの王ヤビンの手に彼らを売り渡した。彼は鉄の戦車九百両を持ち、そのうえ二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は主に叫び求めた。」と紹介します。神様は何と憐れみ深いお方でしょう。どんな不信仰の中にあっても神様に助けを求める時、救いを与えて下さるお方。また不信仰が蔓延する中、主に向かって叫ぶ者が起こされる事を願われるお方です。まさか女の私が預言者に。いえ神様は外の顔かたちではなく内側を見られるのです。そしてこの時代も誰が私に向かって叫びを揚げるかとご覧になられます。愛する者の救いの為、あなたもその預言者の一人ではありませんか。

■イザヤ32:20ああ、幸いなことよ。すべての水のほとりに種を蒔き、牛とろばとを放し飼いするあなたがたは。
■聖書は物事を信頼できる魂を持てること。それは幸いの証拠と語ります。主に感謝しましょう。事実神様はどんな中でも神を畏れるあなたに生きる道を必ず開いて下さるお方です。

■ヤコブ2:23そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
★アブラハムに与えられた「神の友」とは何と栄誉ある称号でしょう。その背景には信仰に伴う、信仰に基づく行いがありました。世はこの信仰と行いを分離させようと働きます。まさに本音と建て前の世界、そして私たちの生活から奇蹟を奪うのです。しかし神の恵みは私たちの信仰と行いが一つとなるよう励まし助け、ここに奇蹟を現されます。さあ今日もまだ誰も通った事のない道があなたの前に開かれました。しかし大丈夫です。キリスト共に、信じて歩むあなたの為には神が奇蹟をもってあなたを支えて下さるのですから。

日曜日, 6月 07, 2009

20090607_士師02-03 イザヤ31 ヤコブ01

■士師2:19しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行いや、頑迷な生き方を捨てなかった。
★何と残念な記述でしょう。神様の約束の地。祝福の地。神様がイスラエルに愛を示すために与えて下さった地カナン。しかし彼らは自分たちの割り当て地が与えられるや、神様から離れたのです。そして思い思いの罪深い生活に向かって行きました。残念ですがキリスト出現までイスラエルの歴史は一言でこの繰り返しです。確かに聖書はこの後も「イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者……を起こされた。」と続きますが、そこにはただ神様の憐れみ深いことが浮かび上がるのみなのです。しかしこれが人間。人間の本質です。だからこそ救いが必要です。主を仰ぎましょう。

■ヤコブ1:21ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
★実の主の兄弟イエス・キリストの弟ヤコブのことばです。あなたが魂に救いを得るためには何が必要でしょうか。御言葉です。素直さです。汚れを握りしめず、心に思い浮かぶ悪をもてあそばないことです。その上で救いの条件には2つのステップがある事を心に留めたいのです。御言葉どこにありますか。既に心の中にあるのです。にもかかわらず、その上で示された御言葉をもう一度あなたはそれを心の中心に抱き込むのです。知っている事と、それを抱き込み御言葉の種から芽が出るよう生きようとすることとは明確に違います。御言葉の力は受けとめられるその心の土壌の中で大きく働き、あなたを救い。やがてあなたを揺るぎない祝福の器として建て上げるのです。今あなたは神様からどんな御言葉で励まされ悔い改めを促され、祝福の為に不信仰を捨て去り受け取りないと示されていますか。受け取りましょう。御言葉はあなたの魂と人生を救う力があるのです。ヒデ

土曜日, 6月 06, 2009

20090606_士師01 イザヤ30 ヘブル13

■士師1:2すると、主は仰せられた。「ユダが上って行かなければならない。見よ。わたしは、その地を彼の手に渡した。」★出エジプトを導いたモーセの後、イスラエルはヨシュアと共に約束の地カナンに。そしてヨシュアは12部族にカナンの土地の割り当を持って使命を果たし主の御もとへと。さてその後残されたイスラエルの民の使命とは具体的に割り当てられた土地をどう攻略するかでした。まさに、「どうやって誰が最初に上るのか」です。その時の主からの答えは「ユダが最初に上がってゆかなければならない」でした。ユダとは「賛美」の意。そうです主の民の戦い方とは、先ずは神様に賛美をささげ信頼し神様を礼拝することでした。あなたは神様への賛美と感謝がどれほど私たちの心を整え強く明るくし、日々の生活を祝福へと導いてくれるかご存知ですか。賛美から始めさせて頂きましょう。
■イザヤ30:15神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。★私たちが望むべきこと。それが心を静め、神への信頼に生きること。主はそれで十分だと仰います。
■ヘブル13:8イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。★イエス・キリストがいつまでも同じとはどういう意味ですか。成長がないとの意味ですか。違います。その誠実、その愛、その清さ、その正義。それら全てにブレがないと言うことです。そう今日あなたに向けられているまなざしも変わることなく愛なのです。さあこの変わらないお方にささげる祈りをもって始めさせて頂きましょう。主はあなたと共におられます。ヒデ

金曜日, 6月 05, 2009

20090605_ヨシュア23-24 イザヤ29 ヘブル12

■ヨシュア24:15もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
★110才で主の御もとに召されたヨシュアは死の直前のこの時であっても、なくてはならない物をイスラエルに伝えるためにハッキリと自らの姿勢を示しました。そのヨシュアの姿勢のゆえに「私たちが主を捨てて、ほかの神々に仕えるなど、絶対にそんなことはありません」と民は答えます。リーダーとは自分の生き様を通して人々の中にある最も良きものを引き出す存在。主はあなたをどんな立場においてリーダーとして立てて下さっていますか。また牧師のためにも是非祈って下さい。

■イザヤ29:15ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。「だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう。」と。
★それは誰か。簡単ですね。主です。何一つこのお方の前に隠されたものはありません。全ての事は知られているのです。にも関わらず受け入れられる。これが恵みで、人を生かすのです。

■ヘブル12:2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
★主はここでどんなお方と紹介されていますか。それは創始者であり完成者です。にもかかわらず残念なことが一つあることを知って下さい。スタートは主を仰ぐ恵みの信仰ではじめたのに、その完成は自分の力で成し遂げなければならないと勘違いする人がいるのです。あなたが恵みを保つのではありません。恵みがあなたを保ってくれるのです。この朝、主を求める全ての人がこの霊的奥義に開かれますようにキリスト・イエスの御名によって祝福します。ヒデ

木曜日, 6月 04, 2009

20090604_ヨシュア22 イザヤ28 ヘブル11

■ヨシュア22:24しかし、事実、私たちがこのことをしたのは、次のことを恐れたからです。後になって、あなたがたの子らが私たちの子らに次のように言うかもしれないと思いました。『あなたがたと、イスラエルの神、主と何の関係があるのか。22:25主はヨルダン川を、私たちとあなたがた、ルベン族、ガド族との間の境界とされた。あなたがたは主の中に分け前を持っていない。』こうして、あなたがたの子らが私たちの子らに、主を恐れることをやめさせるかもしれません。22:26それで、私たちは言いました。『さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。全焼のいけにえのためではなく、またほかのいけにえのためでもない。……』
★あのヨルダン川の東に割り当て地を求めた部族は何事か。戦いが終わった帰る道で早くも偶像礼拝の祭壇を築くとは。イスラエルの同胞どうしてあわや一触即発の事態。しかし良く話を聞いた時、むしろそこには深い痛みと憂いがあったのです。あなたは人の心の深みにある痛みに耳を傾け癒しと和解の為に労する人ですか。それとも火に油を注ぎますか。

■イザヤ28:16 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
★「石」とは「主」のこと。そう、あなたを慌てることのない不動の者として下さるの主キリストです。信じますか。

■ヘブル11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
★この御言葉も是非とも暗唱したい御言葉です。信仰とは何でしょう。神様を真実、愛なるお方とし、このお方にかけた生涯を歩むことです。一度しかない生涯ですから何に人生を懸けるか悩んで当然でしょう。しかし懸けず仕舞で終わることのないように。どんなことがあっても主は復活の命をもってあなたの生涯を栄光にかえて下さるお方なのですから。ヒデ

水曜日, 6月 03, 2009

20090603_ヨシュア20-21 イザヤ26-27 ヘブル10

■ヨシュア20:3 あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。
★21章の後半で約束の地を遂に占領したイスラエルの事を「主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。」と聖書に語らせます。なぜその祝福にイスラエルはあずかることができたのか。ここにはその大きな要因とも言えるイスラエルの稀有なルールが描かれます。「のがれの場」。イスラエルには誤って犯す失敗に関して、たとえそれが殺人であっても、悪意のない場合、安全が担保される居場所があったのです。どんな状況の中にも理解され安全が担保される居場所!人にはこれが必要です。その中で人は立ち上がる準備と赦されたものとしての生き方を受け取るのです。その居場所がキリストとは。私たちは何たる恵みの中に置かれていることでしょうか。

■イザヤ26:4いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。
★「ヤハ」とは「主なる神を誉め讃えよ」の意。まさにその通り。なぜなら主こそが信じるあなたを「不動の存在」にする事のできる唯一のお方なのですから。

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:37「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。……10:39私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
★先には「従順とは学ぶべきもの」を確認し、けさは約束のものを主にあって受け取る方法で、その答えは「忍耐」です。それは将来に希望が見えない人には出来ません。究極の希望とはキリスト。今朝このお方とあなたの関係はどうでしょう。「大丈夫」。ならば胸を張りましょう。今日も勝利は神の側に立つあなたにおしみなく注がれるのですから。ヒデ

火曜日, 6月 02, 2009

20090602_ヨシュア19 イザヤ25 ヘブル08-09

■ヨシュア19:49この地について地域ごとに、相続地の割り当てを終えたとき、イスラエル人は、彼らの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。
★ここに主にあるリーダーの姿勢を垣間見ます。聖書はヨシュアの子孫が土地を手にして、相続地の割り当てを終わったと紹介します。クジでなされた割り当て。そうヨシュアは残った土地を手にするとしたのです。それは「もし私がそうしなければあなたの部族が最後のクジになるかも知れない。」とのメッセージを族長達に与えることとなりました。結果部族達が心がけたのは公平な割り当てとなるようにでした。まさにヨシュアに主にあるリーダーを感じます。決してそれはまず自分のものを損しないよう確保してではありません。どうでしょう。あなたはリーダーになれそうですか。無理そうですか。しかし大丈夫。主にあって豊かに与える者には、主は必ずまさる量りをもって量り返して下さるのです。それを知る我らとは何と幸いなことでしょう。

■ヘブル9:22それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
★ここには覚えるべき御言葉が3つあります。ぜひ挑戦して下さい。必ずあなたの生涯の宝になります。①22節「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです」②27節「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」③28節「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです」。そうです。その通りです。人は必ず一度死に、罪は必ず払うべき報酬が求められ、何より曖昧にされてきた裁きゆえに虐げられ続けて来た人々を救うためにキリストは再び来て下さるのです。キリスト共に立つか。キリストの前に立たされるか。大きすぎる違いです。けれどお互いは既にキリストと共に立つ者に!何たる感謝。さあ今日もこの感謝をもって始めましょう。ヒデ

月曜日, 6月 01, 2009

20090601_ヨシュア18 イザヤ24 ヘブル06-07

■ヨシュア18:4部族ごとに三人の者を選び出しなさい。彼らが立ってその地を行き巡るように、私は彼らを送り出そう。彼らはその地についてその相続地のことを書きしるし、私のところに来なければならない。
★約束の地の主要な町をイスラエル全体で攻略した後も、割り当て地を自ら主体的に勝ち取って行こうとするより、その後どうしていいか分からず、今ある状況に留まろうとする部族は12部族中7部族もありました。それで指導者ヨシュアは「いつまで占領することを先延ばしにするのか」と語り、それぞれの部族から3人づつを選び出し、相続地に関するレポートを出すよう指示したのです。奴隷生活が長くなると人はなかなか指示待ち体質から抜け出せません。主はそんな7部族に上からの決定よりも、自分たちの足を使い行動と相談で分割方法を決めるよう促すのです。神の子とされた者の生涯にはしっかり立ち止まる時が必要です。しかしまた足を使った情報収集の中から御霊の一致の中で主体的に事を進める必要もあるのです。今あなたは待つ時ですか。それとも信仰の一歩を踏み出す時ですか。

■ヘブル7:24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。7:25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
★あなたが主と仰ぐキリストは一度死なれましたがよみがえり、弟子たちの目の前で天に帰って行かれたお方。このお方の成し遂げられた完全な贖いゆえに、たとえ悪魔が私たちを訴えようとも、「天のお父さま。確かに悪魔の訴えるとおりです。しかし私はその彼の罪のためにも十字架上で罪の代価としての命を注ぎ出したのです」と言う時、裁き済のものとしてあなたの罪の訴えを天の父は御自身の後ろに投げ捨てられるのです。それはいつも、完全にです。知って下さい。キリストにあるあなたを罪に定めることは誰にも出来ないのです。主を誉め讃えましょう。ヒデ