土曜日, 4月 30, 2011

20110430_ルカ14

■ルカ14:34ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。14:35土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。」
★「聞く耳のある人は聞きなさい」とは一体どういうことでしょう。以下14章の簡単な概略を記します。ご自身で主からお聞き下さいますか。
安息日にイエス様が人を癒やすのを面白く思わない人たちに主は「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」と語られ。
招かれた時、上座を求めたくなる人には「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」と語られ。
最後に、もてなしに対する見返りを求めたい人には「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」と語られます。
さて主の生き様と、語られる言葉に魅力を感じるあなたとしては、今日ここから何を受け取りたいですか。主は「聞く耳のある人は聞きなさい」と語られます。ヒデ

金曜日, 4月 29, 2011

20110429_創世33_ルカ13@10-30

■創世33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。33:4エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
★一番注目して欲しいのは「ヤコブ自身は、彼らの先に立って」です。21年ぶりの兄エサウとの再会において、神様が彼の腰の骨に触れて下さる前(自我を砕いて下さる前)には自分がいつでも逃げられるように、一番後に身を置くものでした。それが先頭に立つ者、すなわち責任を取る者へと変えられたのです。人は神様を真に畏れるまでは、どうでも良いものにさえ恐れ、果たすべき責任も果たすことが出来ません。すなわち私たちに取っては神様を畏れ、キリストの十字架による自我の砕きを受け入れるとき、本当の意味で自らを守る事のできない物から解放され、十字架によって自らを守り、立ち上がる者とされるのです。あらゆる者から__c19__を守る事ができるものは十字架以外ないことを心に刻みましょう。

■ルカ13:24「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。
■主は安息日に病の霊につかれ、腰を全く曲げることのできない婦人を癒やされました。すると会堂管理者は「安息日以外に人を癒やせ」と憤ります。その時の主の反論が上の言葉です。ここでいう狭い門とは何でしょう。それは「律法主義に陥る者ではなく、愛に生きる者でありなさい」でした。多くの場合、律法主義は内向きの心で、自己肯定のための道具に化かされます。実際の必要に仕えるため、愛することを、心を注ぎ出すことを、すなわち狭き門を通ることを選び取りましょう。ヒデ

木曜日, 4月 28, 2011

20110428_創世30@22-24_ルカ12@1-12・22-48

■創世30:25ラケルがヨセフを産んで後、ヤコブはラバンに言った。「私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。
★兄エサウを避けて母親の兄ラバンのもとに身を寄せたヤコブ。彼はそこで、叔父ラバンの娘、レアとラケルをめとります。結局二人の女奴隷も合わせて、そこで彼は12人の子供を儲けたのです。夫を奪い合おうとする婦人たちの妬みによる激しい戦い。その結果ラケルが産んだヨセフはこの後、兄たちの妬みをかってエジブトに売られることに。その時の父ヤコブの悲しみはいかばかりだったでしょう。しかしヤコブはこの時、結婚および夫婦に関することについて、叔父ラバンと二人の妻の言いなりで、夫としての責任を果たそうとはしませんでした。人は必ず蒔いたものを刈り取ります。この朝、家族として自分が果たすべき責任に光が当てられるように祈りませんか。

■ルカ12:47主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。12:48しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
■あえてルカによる福音書だけに記されている箇所のピックアップです。あなたは主人の気持ちが分かる人ですか。ならばあなたはリーダーです。全ての人があなたと同様に主人の気持ちが分かるわけではありませんし、あえてそうしたことを知りたくないと願う人さえいます。そう思うと、主人の気持ちが分かること自体、大きな祝福であり賜物で、あなたの成熟の印です。主人はそれを喜んでおられます。主人へのその愛を生かして用いましょう。あなたは必ず祝福されます。ヒデ

水曜日, 4月 27, 2011

20110427_創世28@10-22_ルカ11@1-13・33-36

■創世28:15見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
★兄エサウに命をねらわれる弟ヤコブのために、父イサクは妻リベカの生まれ故郷に身を避けることを促します。その旅の途中ヤコブは夢の中に冒頭の御言葉の語りかけを聞くのです。神の御使いたちがヤコブの傍らで、天まで届くはしごを使って上り下りする。彼は驚くべき光景と約束を示されました。あなたにとってはどうでしょう。目には見えませんが、イエス様からヤコブと同じ約束が与えられています。いえ実はあなたに現われて下さった同じ主イエス様が、かつてヤコブにも現われて下さったのでした。イエス様は御父の傍らにおられた子なる神様。イエス様は約束されたことを必ず実現して下さる神様です。しかも神様の選びと召しは変えられることがありません。安心しましょう。心を広く持ちましょう。与えられている約束に向かって今日も大きな一歩を踏み出しましょう。主が共におられます。

■ルカ11:8あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。
■ルカによる福音書にだけ記されたイエス様のたとえです。来客が来たので夜中に友人のところに行って、パンを貸してくれと頼む人物。彼に対する友の言葉が上の御言葉です。執拗に迫ることを神様は面倒がられるお方でしょうか。いいえ違います。むしろあなたを愛する神様は執拗に求めて欲しいのです。神様はあなたの天の父です。求めましょう。ヒデ

火曜日, 4月 26, 2011

20110426_創世25@19-34_ルカ10@25-42

■創世25:34ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。
★猟から帰ってきたイサクの長男エサウ。見ると弟ヤコブが煮物をつくっているではありませんか。「私にそれを食べさせてもらえないか」とエサウ。「なら兄さん、私にこれで長子の権利を売りなさい。」と弟ヤコブ。その時の兄エサウの言葉は「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」でした。ここに霊的祝福の存在に目が開かれていない人の選択が鮮やかです。エサウは軽んじました。しかしあなたはキリストによって神様がお開き下さった霊的祝福に鈍感であってはなりません。祝福には目に見える祝福と、目に見えない霊の祝福があります。しかも、見えるものは一時的であり、見えないものは永遠です。神様を畏れ敬う心で感謝をもって、キリストの十字架の祝福をしっかり受け取りましょう。

■10:37彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
★これは主イエス様が「良きサマリヤ人のたとえ」を語られたのち、律法の専門家になされたコメントです。神様によって造られた人間は、愛することはしても、しなくてもどちらでもよいものとして造られたのではありません。愛する者、あわれみに生きる者、すなわちご自身に似るものとして造られたのです。今あなたは、愛すべきかどうすべきか、悩んでいることがありますか。愛する道を選び取りましょう。そうすればあなたはその人の隣人となることができます。そしてあなたの生涯は神様によって祝福を受けるでしょう。ヒデ

月曜日, 4月 25, 2011

20110425_創世24@12・26-27_ルカ9@37-62

■創世24:27言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」
★主人アブラハムに信頼され、全財産の管理を委ねられていた年長の僕は、アブラハムからひとり子イサクの嫁探しを命ぜられ、アブラハムの生まれ故郷へと向かいます。そこで自分のためにも、井戸から水をくみ、家畜のためにも走って井戸から水を汲んで飲ませてくれる、アブラハムの親戚の娘リベカに出会います。上の御言葉はその時のアブラハムの僕の喜びの言葉です。人は何を悲しみ、何を憤り、また何を喜ぶかによって、その人が現わされます。アブラハムの僕は主人の命に生き、その事が実現したとき、最高の喜びを表しました。あなたは主からこの世に遣わされた者として、何を喜ぶものでありたいですか。

■ルカ9:62するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
★これは「主よ。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます」と語るある人に、イエス様が語られた言葉です。この世を優先するか、キリストに従うことを優先するか、その選択によって私たちはつくられます。その生涯で、価値あることを成し遂げるためには、どれほど多くの人が決断し、その人生を聖別して一つのことに向かうことでしょう。スポーツ選手しかり、研究者しかり。あなたは何に向かって聖別するものでありたいですか。自然に生きる人生と、価値ある何かを成し遂げるために、あえて聖別する人生の違いについてこの朝、考えてみませんか。ヒデ

日曜日, 4月 24, 2011

20110424_創世21@1-7・21_ルカ8@16-25

■創世21:1主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。21:2サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
★サラが身ごもり子供をもうけたのは「あなたを祝福の基とする」との御声を頂き、アブラム夫妻が旅立った25年後のことでした。神様は新約聖書2テモテ2:13を通して「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」と語らせたまいますが、まさに真実なお方です。知ってください。神様があなたに語って下さったことは必ず、その通りに実現します。しかしそれはあなたにとって一番よい時ではないかもしれません。けれども間違いなく、神様の視点から見てちょうどよい時です。アブラハムを導かれた神様があなたの神様であることを感謝しましょう。

■ルカ8:16あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。
★ここもそうですが、イエス様は山上の説教の中でも「あなたがたは世の光です」と、信じる者たちを励まして下さいました。どういう意味でしょう。それはキリストの完全な贖いの中にあって、あなたこそが主の臨在をもたらす神殿、キリストの身体なる教会とされましたという意味です。受けた恵みを隠すものではなく、頂いた恵みをもって、人々を潤す者として、この一週も遣わされて行きましょう。ヒデ

土曜日, 4月 23, 2011

20110423_創世19@15-16_詩篇3_ルカ7@1-35

■創世19:15夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」19:16しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
★神様が「さあ」と語られるとき、ためらってはなりません。そこには生死を分ける出来事と、従うものに対する憐れみの御手があるのです。ノアも、モーセとイスラエルの民も、乳呑児イエス様の暗殺をもくろむヘロデの手から逃れたヨセフとマリヤも、主の「さあ」との語りかけに迷うことなく従いました。主語りかけにためらいたくなる何かがあなたにはありますか。もしあれば、この朝それを、まず素直に主の前に告白しましょう。主はあなたの心を変える事のできる力あるお方です。

■詩篇3:4私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。

■ルカ7:13主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。★主とはいかなるお方でしょうか。一言で私たちの目から涙をぬぐって下さるために、いのちを掛けて神様の御心の道を選び取って歩んで下さるお方です。人生に迷ったら迷わずこのお方の御名を呼び求めましょう。このお方に信頼しましょう。このお方に従いましょう。その時あなたの目の涙はこのお方がぬぐって下さり、なくてはならないものをもって、このお方はあなたの人生を満たしてくださいます。ヒデ

金曜日, 4月 22, 2011

20110422_創世15_ルカ6@27-49

■創世15:5そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」15:6彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
★ここに初めて神様が人を正しいとする原則が示されました。敬虔な生活、良き行い、それとも修業生活ですか。いいえ違います。ただ神様のみ力と、ご真実を信じる信仰です。使徒パウロはこのことをローマ人の手紙で「4:19アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。4:20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、4:21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」と記します。あなたは不信のゆえに神様を力なきものとし、不真実なお方としてはなりません。

■ルカ6:49聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」
★イエス様が山上の説教の結論として語られたのが上の御言葉です。「のろう者を祝福しなさい。さばいてはいけません。与えない。まず自分のめの梁を取りのけなさい……」。さて神様の言葉が私たちに与えられている本質は聞くためですか、それとも生きるためでしょうか。冒頭の御言葉の通りです。神様のみ言葉はそれ自体に力があるので、聞くだけでなく生きようとする時、力が現われること、それを生活の中で体験させて頂きましょう。あなたはアブラハムの子孫です。ヒデ

木曜日, 4月 21, 2011

20110421_創世12_ルカ5@1-11

■創世12:1主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。12:2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
★神様の友、信仰の父と呼ばれたアブラハムへの、神様の最初の語りかけと、アブラハムの応答です。そしてここに神様からの祝福を受けとる秘訣が。神様への分離と従順がそれです。この後のアブラハムの生涯に過ちや愚かさ弱さがなかった訳ではありません。しかし神様を信頼し従順することを選び取り続けた時、神様が彼の生涯を成熟へと導き、祝福の基と呼ばれるまでにされました。祝福をえるために手放す。この視点ゆえに聞こえてくる神様の御声があなたにはありますか。

■ルカ5:4話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★シモン・ペテロはこの従順の結果、生涯いまだ経験したことがない程の大漁に与りました。漁師でありガリラヤ湖を知り尽くしたペテロにとって、それは一番得意で誰にも負けない自慢の領域、また譲れない領域でした。彼はそこでキリストが神様であることを経験し、遂に「5:11彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。」とう生涯へと導かれたのです。アブラムとシモンの共通点とは何でしょう。神様によって名前が祝福へと変えられたことと、その原点となる神様への従順です。多くの人は得意分野で「○○の神様」と祭り上げられ、自分が気づけない高慢に知らず知らずの内に侵され祝福を失います。アブラムが始めた道を私たちも選び取らせて頂けた幸いを感謝しましょう。ヒデ

水曜日, 4月 20, 2011

20110420_創世9_ルカ4@14-30

■創世9:6「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。9:7あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」
★神様は心に計ることがいつも悪へと傾く人の姿を見て、ノアの家族以外は皆滅んでしまう洪水を、実際に起こされました。そして私は洪水によっては二度と人を滅ぼさないと、契約の印として虹を下さいました。その時新たにノアとその子孫に下さったのが冒頭の御言葉です。あなた自身もそうだが、人はみな私が人格を持つ者として、私が霊を吹き入れた者として創造した。ゆえに人の人格を尊びなさいと神様は仰せられます。そして、イエス様は最も大切な二つの戒めの内の一つとして「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と語られました。あなたは自分の尊厳を認められたいですか。なら同様に人の尊厳を尊ぶ一日を歩ませて頂きましょう。

■ルカ4:22みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。
★創世記9章と連動していますね。最も大切なことは、神に造られた者として、人としての相手の尊厳を認めることですよと、神様は語られました。しかし人々の現実は、語られる恵みの言葉によってではなく、あいつはヨセフの息子ではないかとイエス様を評価するそれでした。人を人として認められない人間の罪の性質は根深いですね。さて、行き詰まり自ら病むことのないためにもあなたはどんな祈りをささげて一日を始めたいですか。ヒデ

火曜日, 4月 19, 2011

20110419_創世6・7@17-24_ルカ3@21-22

■創世6:14あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
★心に計ることがいつも悪へと傾く人の姿を見ざるを得ない神様のお心とは、どれ程の痛みだったでしょうか。6章は何が神様を悲しませ、何が人を滅ぼすのかが明確です。それは罪です。そのことを聖書ははっきりと「罪の支払う報酬は死である」と語ります。神様はノアに洪水から逃れるように箱舟造を命じられましたが、永遠の滅びから私たちを救って下さるためには、イエス・キリストに命じて十字架の救いを備えて下さいました。そしてそこには、払われたキリストのいのちの代価と、父なる神様への従順があったのです。ただあなたが滅びないためです。

■ルカ3:21さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、3:22聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
★罪に死んで新しいいのちに生きるバプテスマ。キリストは罪のないお方ですが、私たちのために模範を示して下さいました。イエス様が十字架の上で成し遂げて下さった救いの恵みを信じながら、まだバプテスマを受けることに躊躇を覚える人がこの朝いませんか。そうですあなたです。何があなたをバプテスマから遠ざけていますか。今朝そのことを思い切って神様の前に持ち出し、お祈りしてみませんか。イエス様は親しくあなたに近づいて下さいます。ヒデ

月曜日, 4月 18, 2011

20110418_創世3_ルカ2@1-21

■創世3:1さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
★野の蛇の背後に働いたサタン。アダムとエバはこの言葉を切っ掛けに、着ていた神様への信頼と言う着物を脱がされ、裸とされました。確かに誘惑する存在はもってのほか。しかし罪を犯す責任は自分自身にあります。今あなたは何に誘惑を感じていますか。変わらない神様の言葉と、神様の愛と真実に対する信頼をもって、サタンの誘惑を打ち砕きましょう。

【Q】創世3:24こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
★これ以降、罪を犯したままで、人が永遠に生きることのないように神様は、エデンの園への道を閉ざされました。ここから、時に私たちの人生において感じる「加えられた制限」について、あなたはどのように理解することが幸いだと思いますか。

■ルカ2:6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、2:7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
★人の心に宿るために、神様であることをやめて、人となって来て下さったイエス様。人の心には神様でなければ満たし得ない空間がありますが、なんと感謝でしょう。私たちの内には、この神様のご計画が実現したのです。今日も聖なるこのお方を内に頂いた者として、愛と憐れみと正義の中を歩ませて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 4月 17, 2011

20110417_創世01_ルカ01@26-38

震災救援で配信が途絶えざるを得なかったことと、2年間用いたロバート・ロバーツ氏の聖書日課の終了が重なり、どのように再開すべきか、しばらく導きを求めるため、配信を休ませて頂き、祈りの中にありました。
結果これらかの一年間は(ファースト ステップ リーディング プラン)に基づいてディボーションメールの配信をさせて頂くことにしました。事前に連絡を差し上げることのできない、突然の変更となり申し訳ありません。けれども新たに、聖書の真理の基本を押さえることを目的としたこの聖書通読プランに基づき、良き人生の土台作りと、信仰の成熟をめざして取り組んで行きたいと願っています。
なお、いつでも自動配信停止できることではありますが、通読プランの一方的な変更もありますので、登録・解除フォームをここにお伝えさせて頂きます。よろしくご対応お願いします。何にもまして震災視察のためには執り成しのお祈りを有り難うございました。https://nowgetta.com/bm/p/f/tf.php?id=inchristmori

■創世1:31 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
★「初めに、神が天と地を創造した。」創世1:1と、聖書は神様のみが存在され、他は何もなかった時があった事を私たちに教えていますが、最後に創造された人、延いてはあなたに命を与え、その命を保つために神様はどれほど心を砕かれたことでしょう。人を造られた神様の結論の言葉は「非常に良かった」です。あなたは計画をもって造られました。偶然、意味なく生を受けたのではありません。あなたは愛されています。それでも今は暗闇の中にいるように感じる方がありますか。夕を与え朝とする神様は、決してあなたを忘れることはありません。さあ、あなたの造り主なる主を仰ぎ一日をはじめましょう。

■ルカ1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★戸惑いながらも主の言葉を受止める乙女マリヤ。この従順と主への信頼こそが信仰の土台であり、成熟の秘訣です。恵まれた女ならぬ神の人であるあなたはどうですか。ヒデ