土曜日, 6月 30, 2012

20120630_士師記1-2

■士師記1:1さて、ヨシュアの死後、イスラエル人は主に伺って言った。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦わなければならないでしょうか。」
★ヨシュアが死ぬと、その地を支配する力は、イスラエルから失われて行きます。民は偉大な指揮官の軍事的戦術を失っただけでなく、神様と神様の目的に焦点を合わせるようにと導く霊的なリーダーも失ったのです。ヨシュアがモーセの後継者であることは確かなことでしたが、ヨシュアには確かな後継者がいませんでした。強力なリーダーシップのもとでは依存的になりがちですが、神様は次のステップにおいて、一人一人が神様によって自立し、割り当てられた地を神様にあって治めることを願われたのです。さあなお取るべき地多しです。

■士師記2:18主が彼らのためにさばきつかさを起こされる場合は、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさの生きている間は、敵の手から彼らを救われた。これは、圧迫し、苦しめる者のために彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。2:19しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行いや、頑迷な生き方を捨てなかった。
★悲しいイスラエルの現実です。イスラエルは約束の地において自分たちのこの現実を受けとめ、そこから神様に叫び求め、自分自身が変えられる以外に道はないのです。全てが恵みによって導かれたイスラエル。さてイスラエルはそのことにいつ気づきが与えられるでしょう。ヒデ

木曜日, 6月 28, 2012

20120629_ヨシュア記22-24

■ヨシュア記22:11イスラエル人はこういううわさを聞いた。「ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族が、カナンの地の国境、ヨルダン川のほとりの地、イスラエル人に属する側で、一つの祭壇を築いた。」
★イスラエル12部族がみな割り当て地を得るまで、ヨルダン川の東に割り当て地を得ていた2部族半は戦い抜きます。そんな彼らをヨシュアは「この長い間、あなたがたは同胞を捨てず……」と賞賛をもって送り出します。にもかかわらず、ヨルダン川に着くやいなや、彼らが祭壇を築くとは。一触即発の事態の発生です。しかし長老達が彼らから話しを聞くと、彼らが築いたのは偶像の祭壇ではなく、自分たちの子孫がやがて同胞から忘れられないかとの心配から築いた記念の塚でした。人とは皆例外なく思い込みやすい者、先走りせず、柔和な心をもって物事に当たることの尊さを覚えさせられます。

■ヨシュア記23:14見よ。きょう、私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。
★どこまでも民の心を主の恵みに向けようとするヨシュアの晩年の言葉です。

■ヨシュア記24:15もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
★何とか民を祝福に導きたいと願う、有名なヨシュアの言葉です。自由のなかでどんな道を選ぶか私たちも問われています。ヒデ

20120628_ヨシュア記19-21

■ヨシュア記19:51これらは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエル人の部族の一族のかしらたちが、シロにおいて会見の天幕の入口、主の前で、くじによって割り当てた相続地であった。こうして彼らは、この地の割り当てを終わった。
★12部族全部の割り当て地が決まるまで一致を保ち続けたイスラエル。神様は「割り当て」という価値観を通して部族内の絆を深めさせ、かつ固有の特権とそれに似合う責任を求め、人々を成長へと導きました。この「割り当て」は、現代においては「バウンダリー」(境界線)と表現できるかも知れません。あなたは他者に引きずられることなく、また排除することなく、他者との関係に良いバウンダリーが引けてますか。

■ヨシュア記20:9これらは、すべてのイスラエル人、および、彼らの間の在留異国人のために設けられた町々で、すべて、あやまって人を殺した者が、そこに逃げ込むためである。会衆の前に立たないうちに、血の復讐をする者の手によって死ぬことがないためである。
★神様は逃れの町を設けることを設けることを通して、ご自身がいかなるお方かを、約束の地のただ中で明らかになさいました。この神様を越えて、人は自らを神とし、裁き人になってはなりません。報復を主の手に委ねることによって、自ら罪に陥ることから身を守る、これがイスラエルに求められる神様からのメッセージでした。

■ヨシュア記21:3それで、イスラエル人は、主の命令で、彼らの相続地から、次の町々とその放牧地とをレビ人に与えた。
★民に代わって神様に仕えるレビ人の相続地は約束の地全土に振り分けられ、そこに行くのに丸一日掛かることはほとんどありませんでした。そしてあなたもレビ族としてこの時代に召し出されました。ヒデ

水曜日, 6月 27, 2012

20120627_ヨシュア記16-18

■ヨシュア記16:10彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかったので、カナン人はエフライムの中に住んでいた。今日もそうである。カナン人は苦役に服する奴隷となった。
15:63,17:12にもと、ここに記された短いフレーズが折に触れて出て来ます。「彼らは追い払わなかったので……」。結果このことは、これからのイスラエル国家に多くの問題を引き起こす原因となりました。なすべきことが明らかなとき、迷いや情に流されることは禁物です。神様からの励ましによって立つべき所に立ちましょう。

■ヨシュア記17:14ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」
上のヨセフ族の直訴に対するヨシュアの答えは以下です。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから」。受け身だったヨセフ族にとってこの答えは彼らの霊の目を開くものでした。神様への完全な依存はキリストに繋がると言う意味において絶対です。しかしそれは心を内向きにと言う意味ではありません。あなたの信仰姿勢はどうでしょう。

■ヨシュア記18:3そこで、ヨシュアはイスラエル人に言った。「あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。
17章のヨセフ族だけではありません。他の7部族はまだ出て行くことが出来ていませんでした。人が成熟に向かって踏み出す困難さとその必要を思います。励まし合って進みましょう。ヒデ

火曜日, 6月 26, 2012

20120626_ヨシュア記12-15

■ヨシュア記12:1イスラエル人は、ヨルダン川の向こう側、日の上る方で、アルノン川からヘルモン山まで、それと東アラバの全部を打ち、それを占領したが、その地の王たちは次のとおりである。
★この章は1-11章までの要約です。民が主に信頼し、従っている時、勝利につぐ勝利と、神様がご自身約束して下さった通りになって行くことが描かれます。神様への最高のささげもの、それは従順であることを学びましょう。

■ヨシュア記13:1ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。
★「取るべき地なお多し」。キリストの花嫁としてキリストに似る者へと召された私たちも同じです。自分で自分に満足するとき、成長は止まります。主の愛への応答の生涯を完成しましょう。

■ヨシュア記14:12どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
★ヨシュアと共に荒野を生き残って約束の地に入ったもう一人の人物カレブの言葉です。85歳となった今も主への従順は少しも変わりません。確かに主はその愛によって信じる者の内なる人を日ごとに新しくしてくださるのです。

■ヨシュア記15:16そのとき、カレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」
★カレブの娘をめとったオテニエルがやがて最初のさばきつかさに。こうして主への従順の信仰が引き継がれました。ヒデ

月曜日, 6月 25, 2012

20120624_ヨシュア記9-11

■ヨシュア記9:14そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示をあおがなかった。
★神様はイスラエルにカナンの居住者とはどんな契約も結んではならないとしていましたがヨシュアは「非常に遠くから私たちは来ました」の言葉を受けて、主に聞くことなく、自分たちの判断で彼らと同盟関係を結んでしまいました。新しい状況に直面するときこそ、そこには罠が仕組まれているかも知れないとの視点は大切です。

■ヨシュア記10:11彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。
★イスラエルがカナンに住むことを願う以上に、イスラエルがカナンを治めることを主が願っておられることを感じさせられる文面です。いかに神を畏れる民が約束の地で増え広がることを願っておられることか。あなたが願う以上に、あなたを助けようとしてくださる神様がおられることを感謝しましょう。

■ヨシュア記11:23こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。
★イスラエル12部族は心を合わせ、こうして約束の地を勝ち取ります。これで先にヨルダン川の東側の土地を求めた2部族半も自分たちに嗣業として与えられた地に帰ることができます。彼らはこの戦いを通して、神様を畏れ心一つにすることの尊さの意味を受けとったのです。ヒデ

日曜日, 6月 24, 2012

20120624_ヨシュア記5-8

■ヨシュア記5:15すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。
★ヨシュアはヨルダン川を渡り、約束の地カナンに入ったものの、高くそびえるエリコの城壁を前に非常な圧迫感の中にいました。その時語られたのが上の言葉です。自らの戦いと思っていたヨシュア。しかし主はまた、「これは主の戦い。私は軍の将として来た」とも語られました。あなた一人で戦っているのではないことを知る人は幸いです。

■ヨシュア記6:20そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。
★神様の民には神様民としての戦い方があることを教えられます。

■ヨシュア記7:20アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。7:21私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」
★隠されている小さな侮り、不従順が全体に敗北をもたらします。それらは神様の前に決して小さくはないのです。

■ヨシュア記8:26ヨシュアは、アイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。
★偶像礼拝がいかに主の前に罪かを教えられます。ヒデ

土曜日, 6月 23, 2012

20120623_ヨシュア記1-4

■ヨシュア記1:2「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
★モーセの死を30日間悼んだイスラエルに主は「モーセは死んだ。さあ立って……」と語られます。悲しむべきを悲しみ、悔いるべきを悔い、嘆くべきを嘆かなければ、新たな一歩を踏み出せない場合があります。あなたは踏み出すべき所なのに、踏み出しきれず、何かに留まったままと言うことはありませんか。

■ヨシュア記2:18私たちが、この地に入って来たなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの父の家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。
★ヨシュアが遣わした二人の斥候をかくまってくれたラハブへの約束です。赤いひも、それは天においては信仰によって信者に塗られたキリストの血です。その記しによって滅びから救われます。

■ヨシュア記3:15箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、……塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
★約束の地への入り方。それは信仰によって、そのことが明確な場面です。開かれた道ではなく、あなたが主の言葉に基づき決断し、一歩済み出すときに開かれる道があるのです。

■ヨシュア記4:18主の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏が、かわいた地に上がったとき、ヨルダン川の水はもとの所に返って、以前のように、その岸いっぱいになった。
★まぎれもなく主の守りの結果です。あなたもこの御手に支えられて生かされているのがまぎれもない事実です。ヒデ

金曜日, 6月 22, 2012

20120622_申命記32-34

■申命記32:50あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に加えられたように、あなたもこれから登るその山で死に、あなたの民に加えられよ。32:51あなたがたがツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のほとりで、イスラエル人の中で、わたしに対して不信の罪を犯し、わたしの神聖さをイスラエル人の中に現さなかったからである。32:52あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へ入って行くことはできない。」
★こうしてモーセはカナンという約束の地ではなく、父なる神様のふところと言う約束の地へと移されます。そして永遠に、主とは侮るべきお方でないことをあらわすリーダーとして立てられたのです。主の御心のうちにあって自分に死ぬモーセの姿は続く人々にチャレンジを与えます。

■申命記33:26「エシュルンよ。神に並ぶ者はほかにない。神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。33:27昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。」
★モーセが最後にイスラエル12部族を祝福したことばの一つです。主はあなたのために雲に乗り、あなたを下から支えるために働いてくださるお方です。

■申命記34:4そして主は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」
★理由は自らそこに入るよりもバトンを次の世代のヨシュアに渡すという、もっと大きな使命を果たすためです。しかしこの使命、どれ程の人が成功することでしょう。最後に麗しいその生涯を汚す人のどれ程多いことか。誘惑は天国の入り口に至るまで存在することを認めざるをえません。ヒデ

木曜日, 6月 21, 2012

20120621_申命記30-31

■申命記30:4たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。
★イスラエルに向けた主の心いっぱいの決心です。確かに彼らの前に「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」と主は語られますが、それさえ彼らが祝福からそれないためです。主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされます。

■申命記31:21多くのわざわいと苦難が彼に降りかかるとき、この歌が彼らに対してあかしをする。彼らの子孫の口からそれが忘れられることはないからである。わたしが誓った地に彼らを導き入れる以前から、彼らが今たくらんでいる計画を、わたしは知っているからである。」
★約束の地を前にしたモーセのイスラエルへの言葉ですが「今たくらんでいる計画」との表現には驚きです。約束に地において神様が見ているものと、民が見ているものとの間には相違があるのです。主が約束して下さった繁栄の中で何を夢みるのか。「幻のない民は滅びる」とも主は語られましたが、主は民の心が戯れに向かうことに深い痛みと悲しみを覚えられます。何のために召し出されたか、何の為にキリストのいのちの代価によって買い取られたのか。この朝もう一度、(1コリント6:19-20)「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」の言葉を心に刻みましょう。ヒデ

水曜日, 6月 20, 2012

20120620_申命記28-29

■申命記28:1もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
★では聞き従わない時はどうでしょう。モーセは「かつて主があなたがたをしあわせにし、あなたがたをふやすことを喜ばれたように、主は、あなたがたを滅ぼし、あなたがたを根絶やしにすることを喜ばれよう。あなたがたは、あなたが入って行って、所有しようとしている地から引き抜かれる。……これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。」(28:63-65)と語ります。しかもこの章に割く聞き従うことと聞き従わないことへの戒めの比率は1対4で、聞き従うことが断然困難です。本当に主の憐れみを求める以外にありません。

■申命記29:29隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。
★人が神様に聞き従えないことがあるとするなら、それは知識が不足しているからでしょうか。いえそうではなく、聖書は人が意図的に神様のことばを拒んでいるからだと語ります。また私たちがより成熟するまで知る必要のない知識もあるのです。何か重要な情報を知ったとき、十分な成熟がないとき、人は畏れると言うよりも、それを盾にとって相手を威圧したり、コントロールしようとさえする場合があるのです。あるいは相手の欠点や弱さを掴んだ時、あなたはどうですか。成熟がなければその人の態度と言葉はその人に対してそれ以降大きく変わります。何を知らされても人をあるべき態度に留めるのはその人の成熟です。ヒデ

火曜日, 6月 19, 2012

20120619_申命記24-27

■申命記24:10隣人に何かを貸すときに、担保を取るため、その家に入ってはならない。24:11あなたは外に立っていなければならない。あなたが貸そうとするその人が、外にいるあなたのところに、担保を持って出て来なければならない。24:12もしその人が貧しい人である場合は、その担保を取ったままで寝てはならない。
★イスラエルはエジプトの奴隷生活から解放して下さった主の恵みを忘れてはなりません。

■申命記25:13あなたは袋に大小異なる重り石を持っていてはならない。25:14あなたは家に大小異なる枡を持っていてはならない。25:15あなたは完全に正しい重り石を持ち、完全に正しい枡を持っていなければならない。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生きるためである。
■申命記26:18きょう、主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、26:19主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。

■申命記27:15「職人の手のわざである、主の忌みきらわれる彫像や鋳像を造り、これをひそかに安置する者はのろわれる。」27:16「自分の父や母を侮辱する者はのろわれる。」27:17「隣人の地境を移す者はのろわれる。」27:18「盲人にまちがった道を教える者はのろわれる。」27:19「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる。」27:24「ひそかに隣人を打ち殺す者はのろわれる。」27:25「わいろを受け取り、人を打ち殺して罪のない者の血を流す者はのろわれる。」
★約束の地に入る新たな世代のための律法確認です。ヒデ

月曜日, 6月 18, 2012

20120618_申命記21-23

■申命記21:22もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、21:23その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。
★私たちの主イエス・キリストはこうして罪がないにもかかわらず、私たちの身代わりとなって木に掛けられました。その打たれた傷によってあなたは癒されるのです。

■申命記22:1あなたの同族の者の牛または羊が迷っているのを見て、知らぬふりをしていてはならない。あなたの同族の者のところへそれを必ず連れ戻さなければならない。
★イスラエルは愛しいたわり合う関係の中に生きるようにと招かれました。どんな時にも憐れみの心を大切にしましょう。あなたの人生に呪いを招かないためです。

■申命記23:24隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。23:25隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない。
★民の中に飢える人がいないようにと主が定めた規則です。だからといって、隣人を利己的に利用してもよいということではありません。果たすべき責任と、主張すべき権利のバランスをあなたの生涯に保ってくださるのは主です。あなたの存在が同族の中にあって祝福となりますように。ヒデ

日曜日, 6月 17, 2012

20120617_申命記17-20

■申命記17:14あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入って行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが、「回りのすべての国々と同じく、私も自分の上に王を立てたい」と言うなら、17:15あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはできない。
★当然のことかも知れませんが、主はこの時既に王制も予測していたんですね。あなたの人生も上から把握しておられます。だからこそ、このお方の示されることに信頼し、従うことに意味が。

■申命記18:15あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。
★ステパノはこの箇所を用いてイエス・キリストが救い主であることを証ししましたが、まさにその通りです。(使徒7:37

■申命記19:15どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。

■申命記20:17すなわち、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたとおり、必ず聖絶しなければならない。
★すべてはイスラエルを偶像礼拝の罪から守るためでした。国をも滅ぼす罪とは偶像礼拝と家庭を滅ぼす姦淫です。神様の目に容赦し得ない罪があることを知りましょう。ヒデ

土曜日, 6月 16, 2012

20120616_申命記14-16

■申命記14:28三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。
★主を愛する者が、貧しい人々を助けることを主は願っておられます。自発的かつ組織的にそのことをするようにと。主は「あなたは、そこでその金をすべてあなたの望むもの、牛、羊、ぶどう酒、強い酒、また何であれ、あなたの願うものに換えなさい。あなたの神、主の前で食べ、あなたの家族とともに喜びなさい。」(14:26)と人生を喜ぶことを願われますが、貧しい人に対するこの命令に従順することで、さらにイスラエルは豊かな中を歩めたのです。

■申命記15:10必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。
★なぜ与えるのでしょう。主はイスラエルが、エジプトの地で奴隷であったところから、主によって贖い出されたことを忘れることなく、憐れみ深い者として生きることを願っておられるからです。

■申命記16:19あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたよって見てはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵のある人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。16:20正義を、ただ正義を追い求めなければならない。そうすれば、あなたは生き、あなたの神、主が与えようとしておられる地を、自分の所有とすることができる。
★正義は憐れみ深さの延長線上にあるもので異なるものではありません。自らに与えられた力は主から委ねられた恵みで、正しく管理し用いることが求められます。あなたの生き方が神様のご性質を反映するそれでありますように。ヒデ

金曜日, 6月 15, 2012

20120615_申命記11-13

■申命記11:12そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。11:13もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、11:14「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。
★「年の初めから年の終わりまで……」と、有名な御言葉です。主があなたに語りかけられるとき、それはあなたを顧みようとして下さっているゆえです。あなたの生涯を恵みによって満ち足らせたいのです。

■申命記12:20あなたの神、主が、あなたに告げたように、あなたの領土を広くされるなら、あなたが肉を食べたくなったとき、「肉を食べたい」と言ってよい。あなたは食べたいだけ、肉を食べることができる。
★主は約束の地でご自身の民が、与えられた人生を喜び楽しむことを願っておられます。あなたは人生を楽しんでいますか。それとも楽しめない何かを心に抱えていますか。抱え込むことのないように主に告白しましょう。あなたが大切にすべき人、忘れてはならない人と共に人生の喜びを分かち合いましょう。

■申命記13:1あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現れ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、13:2あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言っても、13:3その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。……
★あなたが拠って立つ所、より頼むべきは神のことば。それ以外に代わる何かはありません。ヒデ

木曜日, 6月 14, 2012

20120614_申命記8-10

■申命記8:2あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
★人が祝福を受け取る為には、自分自身を知ることが大切と、主は考えられます。自分を知ったその時、はじめて人は「私を憐れんで下さい」と祈る事ができるのです。さらに主は8:17で「あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ』と言わないように気をつけなさい。」と語られます。

■申命記9:5あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪いために、あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。また、主があなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためである。
★うぬぼれと言う言葉を思い出しました。何か恵まれたことがおこった時、その原因を自分自身と関連づけ理解しようとする試みです。このうぬぼれが強いと、人にあきれられ嫌われます。主はこの章でハッキリとその考えは捨てなさい。約束の地に入れるのは、私の一方的な憐れみによってであると語られます。自分に栄光を帰そうと模索する者ではなく、ただ主に感謝をささげるものでありましょう。

■申命記10:16あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。
★約束の地を前に主は徹底してイスラエルの内面を取り扱われます。裁きではなく、愛ゆえです。約束の地でイスラエルを誇りたい父の心を受けとりましょう。ヒデ

水曜日, 6月 13, 2012

20120613_申命記5-7

■申命記5:6「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。5:7あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
★約束の地を前にして主はもう一度十戒を民の前に示します。どんなに環境が変わっても変わらない神のことばでこそイスラエルが人生を築き上げることを願われるからです。あなたは十戒を暗唱できますか。また意識して生活していますか。安息日(主にある安息の日)をとっていますか。

申命記6:11あなたが満たさなかった、すべての良い物が満ちた家々、あなたが掘らなかった掘り井戸、あなたが植えなかったぶどう畑とオリーブ畑、これらをあなたに与え、あなたが食べて、満ち足りるとき、6:12あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主を忘れないようにしなさい。
★逆境と順境。人は神の恵みを忘れ、神様から離れていつ堕落するでしょう。順境です。神様がおられなくても何とか自分でやって行ける。神様がいない方が都合がよい。自分の思うとおりに生きれると目を眩まされるのです。人を高い所に登らせ手を離すのは神様ではありません。あなたの高慢を利用し滅ぼそうとさせるサタンです。

■申命記7:22あなたの神、主は、これらの国々を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに絶ち滅ぼすことはできない。野の獣が増してあなたを襲うことがないためである。
★神様はこれらの国を一瞬にして滅ぼすことのできるお方。あなたの人生も奇跡的に一瞬に変えることのできるお方。しかし神様はあなたが神様に信頼し、一歩一歩落ち着いて悟ったことを感謝して歩むことを願われるお方です。ヒデ

火曜日, 6月 12, 2012

20120612_申命記3-4

■申命記3:25どうか、私に、渡って行って、ヨルダンの向こうにある良い地、あの良い山地、およびレバノンを見させてください。」3:26しかし主は、あなたがたのために私を怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。そして主は私に言われた。「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。3:27ピスガの頂に登って、目を上げて西、北、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ。」
★「あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ」。主がモーセに語られた言葉です。非常に厳粛です。水のことで民がつぶやいたとき怒って岩を二度打ったばっかりに、主ではなく思わず、「私がこの岩から水を出さなければならないのか」と言ったばっかりに。人の上に立つ人の言葉と行いとはどんなものかを教えられます。誘惑はどこにあるかわかりません。ただ自分を神とすることがありませんように。

■申命記4:36主はあなたを訓練するため、天から御声を聞かせ、地の上では、大きい火を見させた。その火の中からあなたは、みことばを聞いた。4:37主は、あなたの先祖たちを愛して、その後の子孫を選んでおられたので、主ご自身が大いなる力をもって、あなたをエジプトから連れ出された。4:38それはあなたよりも大きく、強い国々を、あなたの前から追い払い、あなたを彼らの地に入らせ、これを相続地としてあなたに与えるためであった。今日のとおりである。
★モーセの民への最後の言葉です。その中心は何処までも「偶像礼拝をしてはならない。不信仰になってはならない」です。まさにモーセの遺言ともいえる内容です。ヨセフは「神はあなたがたを必ず顧みてくださる」と遺言を残しました。こうして遂にイスラエルは新しいリーダーヨシュアのもとヨルダンを渡るのです。あなたの中に偶像はありませんか。大丈夫ですか。ヒデ

月曜日, 6月 11, 2012

20120611_申命記1-2

■申命記1:6私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。1:7向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。1:8見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。
★本来なら1週間の道のりでした。しかしイスラエルがここに来るには40年を要しました。遂に民は不信仰を精算し、今約束の地カナンに入ろうと。その時、主はモーセを通してイスラエルに過去の不信の40年を振り返らせます。信じる者の不信に終止符を打ち、新たな道を開かれるのは主です。人は誰でも後悔や傷を人生に背負う者です。しかしそれを止めさせ、あなたを立ち上がらせて下さるお方があるのです。このお方、主の御声に耳を傾けましょう。

■申命記2:18「あなたは、きょう、モアブの領土、アルを通ろうとしている。2:19それで、アモン人に近づくが、彼らに敵対してはならない。彼らに争いをしかけてはならない。あなたには、アモン人の地を所有地としては与えない。ロトの子孫に、それを所有地として与えているからである。
★立ち止まってた民が行動に移そうとするのです。様々な恐れが湧いて来て当然です。しかし神様は、その恐れゆえにイスラエルが過度の自己防衛の反応として、好戦的になることのないように導かれます。主は選ばれた民のために心配して下さるお方です。あなたもその愛の中に招かれています。主にあって恐れに解決を頂きましょう。ヒデ

日曜日, 6月 10, 2012

20120610_民数記35-36

■民数記35:10「イスラエル人に告げて、彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るとき、35:11あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。35:12この町々は、あなたがたが復讐する者から、のがれる所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。
★この町はレビ人に与えられた48の町のうちの6つの町として命じられました。それだけレビ人には公平性が求められたのです。現代のレビ人とは主の血潮によってあがなわれたクリスチャンです。あなたは憐れみ深く、かつ公平であることが求められています。主を仰ぎましょう。また6つの町とは一日路を行けば必ずたどり着ける所にあると言うこと。主は過ちを犯すあなたを守られ、いと近き助けとなって下さるお方です。

■民数記36:5そこでモーセは、主の命により、イスラエル人に命じて言った。「ヨセフ部族の訴えはもっともである。36:6主がツェロフハデの娘たちについて命じて仰せられたことは次のとおりである。『彼女たちは、その心にかなう人にとついでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族にとつがなければならない。
★5人の娘を持つが息子を持たないツェロフハデの要求です。娘が嫁いでしまえば我々部族の嗣業がなくなる。それに「もっとも」と応えたモーセの回答です。世の中には特例が認められる必要のあることがあります。あなたが特殊な事情の中にあっても正義と公平に生きる人でありますように。ヒデ

土曜日, 6月 09, 2012

20120609_民数記33-34

■民数記33:1モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとに、エジプトの地から出て来たイスラエル人の旅程は次のとおりである。33:2モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書きしるした。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。
★ピハヒロテ、シンの荒野、レフィデム、キブロテハッタワ、ツィンの荒野、書き記されたこうした出発点を見て、あなたは何を感じるでしょう。まさにそれはイスラエルの不信仰とつぶやきの歴史でした。人の弱さを思います。と共に神様の憐れみ深さを思います。人は試練の中においてはつぶやき易い者、ゆたかさの中にあっては貪欲と堕落によって道を踏み外しやすい者。
人の成熟とはこの罪深さを自分と受けとめ、神様の憐れみ深さによって今日あるを受けとめること。約束の地に入ることは何処までも神様の恵みによることを感謝しましょう。

■民数記34:2「イスラエル人に命じて、彼らに言え。あなたがたがカナンの地に入るとき、あなたがたの相続地となる国、カナンの地の境界は次のとおりである。
★約束の地を前にした民に、主はモーセを通して勝ち取るべき地の東西南北の境界線を明確にします。その広さは12部族にとって十分なものでした。その上で彼らは自分の足で約束の地を勝ち取ることを求められたのです。では主の者とされ、愛する御子の支配の中に移されたあなたの境界線は何処でしょう。「キリストの内に留まる」です。そこは決して狭い地ではありません。豊かさが埋蔵された地です。サタンはこの支配の中を通り過ぎさせ、自分勝手な地に進ませようとします。人は自分のおるべき境界線を理解してはじめて、他者との関係に自信をもってかかわることが出来ます。境界線の不明確さは幼稚さを意味し、自身の混乱、他者へのわがままを増幅させる要因となります。キリストのもとに留まる。それが自身をつけるべき十字架であり、霊的命の源泉です。ヒデ

金曜日, 6月 08, 2012

20120608_民数記31-32

■民数記31:15モーセは彼らに言った。「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか。31:16ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、主に対する不実を行わせた。それで神罰が主の会衆の上に下ったのだ。
★この章の始めに主はモーセに「ミデヤン人にイスラエル人の仇を報いよ。その後あなたは、あなたの民に加えられる。」と命じられます。ミデアン人とはイスラエルをバアル礼拝に引き込んだ張本人。しかしイスラエル軍はミデアン人の罪深い暮らしぶりの誘惑に取り憑かれ女達を捕虜として連れてきます。この罪を警戒しない態度が、約束の地に入ってのち彼らを滅びへと向かわせました。しかしモーセはこの時迅速かつ完全に対応します。神様から罪を指摘された時、罪から速やかに離れることは、あなたを救います。

■民数記32:10その日、主の怒りが燃え上がり、誓って言われた。32:11『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはできない。彼らはわたしに従い通さなかった。32:12 ただ、ケナズ人エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らは主に従い通したからである。』
★約束の地の手前、ヨルダン川の手前の地を相続地として与えて欲しいと申し出たガド族、ルベン族、マナセの半部族に対する主の怒りです。しかし、彼らの動機が戦いから逃げるためではないことへと主は導かれます。全てのイスラエル部族が約束の地で嗣業を得るまで先頭に立って戦い通す決断へと導き、彼らの申し出を赦されます。神の民にとって最も恐ろしいことは一致が失われること。それぞれの個性、賜物の違いを認めつつ、それを喜び一致して進むことは、現代においても家族からはじまり、全てのキリストにある共同体において最も重要なテーマです。ヒデ

木曜日, 6月 07, 2012

20120607_民数記28-30

■民数記28:1主はモーセに告げて仰せられた。28:2「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。
★ささげものは規則どおり、命じられた儀式に従ってささげなければなりません。これらには時間を要し礼拝のために心を備える機会となりました。もし心が整っていなければ礼拝の意味はなくなります。感謝をもって神様の前に出ることを主は喜ばれ、豊かな酬いをもってあなたを恵まれます。

■民数記29:1第七月には、その月の一日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。
★神様はイスラエルのカレンダーにたくさんの祝日を設けられました。過越しの祭り、初穂の祭りもその一つです。これらの祝日のおかげで民の気持ちと身体は新たにされ、神様との約束も再確認できました。もしあなたが今疲れていると感じるなら、しばし日常から自らを切り離し霊的な祝日をとるようにしましょう。神様が下さった約束をもとに自らを見直すことは、あなたの霊をリフレッシュさせます。

■民数記30:5もし父がそれを聞いた日に彼女にそれを禁じるなら、彼女の誓願、または、物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に禁じるのであるから、主は彼女を赦される。
★誓いは必ず守るのが原則です。しかしイスラエルの律法のもとでは子供がばかげた約束や代償を払うような誓いをしたとき、親が却下することで守られました。今主は天上で私たちのためにとりなして下さっています。ヒデ

水曜日, 6月 06, 2012

20120606_民数記26-27

■民数記26:64しかし、このうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエル人を登録したときに登録された者は、ひとりもいなかった。
★非常に厳粛な箇所です。主はモーセにエジプトから脱出したイスラエルの民の数を数えよと2回命じられます。1回目は出エジプト直後(1:2)、2回目は40年の荒野の生活が終わろうとしているこの時です。そして御言葉は当初登録した人で残っているのはヨシュアとカレブだけであると告げています。どういう意味でしょう。それは不信仰の民は約束の地を嗣ぐことはできないと言うことです。信仰がなくては神様に喜ばれることはできません。

■民数記27:22モーセは主が命じられたとおりに行った。ヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、27:23自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命した。
★約束の地を前にしたとき、主はモーセに今までとは違った語りかけを与えます。ヨシュアの上に手を置けと。人生をどのように締めくくるかは大事です。その中でも後継者にいかにバトンを渡すかは最も重要なことの一つです。そのために主に祈り、そのために主の御声を聞く。主は神の人の生涯をそのようにして完成へと導かれます。願わくはあなたの目が見えるものにではなく見えないものに注がれ、宝を天に積むそれであり、「神は必ずあなた方を顧みられる」と語ったヨセフのようなそれでありますように。ヒデ

火曜日, 6月 05, 2012

20120605_民数記23-25

■民数記23:27バラクはバラムに言った。「さあ、私はあなたをもう一つ別の所へ連れて行きます。もしかしたら、それが神の御目にかなって、あなたは私のために、そこから彼らをのろうことができるかもしれません。」
★モアブの王バラクの要請を受け、イスラエルを呪うために出かけて行こうとする預言者バラムの言葉です。もうこれが3回目。もっと早く出て行くことを止めなければなりません。いえ呪うことなど、行動に移す以前に御心でないことを悟る、霊の目の開かれた預言者バラムであるべきでした。バラムの中には隠された罪が潜んでいたのでしょう。要注意です。

■民数記24:15そして彼のことわざを唱えて言った。「ベオルの子バラムの告げたことば。目のひらけた者の告げたことば。24:16神の御告げを聞く者、いと高き方の知識を知る者、全能者の幻を見る者、ひれ伏して、目のおおいを除かれた者の告げたことば。……
★確かに主の憐れみによって霊の目を開いて頂いたバラム。しかしそれは一方的な主の憐れみゆえでした。ゆえにそれを脇において、上の様に自分を表現するバラムの霊性こそが、イスラエルを呪うようにとの願いをもったバラク王に利用されようとしたのでしょう。自分で自分を誇る者ではなく、人から賞賛される人であることの尊さを黙想しましょう。

■民数記25:1イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。25:2娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。
★世は自分の楽しみのために偶像を造ります。それに引き込まれるイスラエルの姿がここに。このために24000人の民が神罰によって命を落とします。何と偶像を心に抱くことは恐ろしいことでしょう。ヒデ

月曜日, 6月 04, 2012

20120604_民数記21-22

■民数記21:8すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」21:9モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
★迂回路を通ることになった民は途中で我慢できなくなりモーセに逆らいます。あまりの民の態度に主は燃えるヘビを送られ、民を噛ませたので多くの民が息絶えます。恐れを抱いた民がモーセを通して神様に憐れみを求めたとき、上の御言葉の解決策を与えて下さいました。「仰ぎ見れば生きる」とはまさに主の救いの方法です。主は「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ45:22)と語られ、また主はご自身、全人類の罪をご自身身に負われて、いわば呪いのヘビとなって十字架に掛かかれ、仰ぐものを永遠の滅びから救う道を開いて下さいました。仰ぐのです。そうすれば救われるのです。

■民数記22:38バラムはバラクに言った。「ご覧なさい。私は今あなたのところに来ているではありませんか。私に何が言えるでしょう。神が私の口に置かれることば、それを私は語らなければなりません。」
★イスラエルを恐れた王バラクは預言者バラムを招いてイスラエルを呪わせようとします。イスラエルを呪うべきか、そうすべきでないかはあまりに明白なことですが、預言者バラムは目の前におかれた報酬と様々な誘惑に心が揺れ動きます。結果、彼を乗せたロバと抜き身の剣を持つ御使いによって悔い改めへと導かれた彼は、やっとの事で悔い改めに導かれ、上の言葉を語る者とされました。人は神様に用いられるためにはまず聖別が必要です。そうでなければ自らに死を招きます。ヒデ


日曜日, 6月 03, 2012

20120603_民数記18-20


■民数記18:6今ここに、わたしは、あなたがたの同族レビ人をイスラエル人の中から取り、会見の天幕の奉仕をするために、彼らを主にささげられたあなたがたへの贈り物とする。
★モーセを用いてご自身の御心を明らかにあさった主は、キリスト者として贖い出されたあなたに対して、世への贈り物であると記します。確かにそう。あなたは世の光であり、地の塩です。

■民数記19:13すべて死んだ人の遺体に触れ、罪の身をきよめない者はだれでも、主の幕屋を汚す。その者はイスラエルから断ち切られる。その者は、汚れをきよめる水が振りかけられていないので、汚れており、その汚れがなお、その者にあるからである。
★主はイスラエルに様々な機会を捉えてきよくあるよに、きよくあるとはどんなことかを示します。キリストは十字架を通して、ご自身のいのちを注ぎ出された愛によって、その愛への応答としてのきよさをあなたのうちに願われます。

■民数記20:10そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」20:11モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
★ミリアムが死んだ時、またもや民はモーセとアロンに不平をぶつけます。彼らはそこで感情的な反応は避け、主の前に退き、主の語りかけを受けとりますが、その行動において、遂に堪忍袋の緒が切れ、怒りをもってそれに当たりました。岩を2度打ったモーセの行動がそれです。あなたへの誘惑はどこに潜んでいるかわかりません。柔和さにおいて誰も彼の右に出る者のないモーセでもしかりなのですから。「試みにあわせないで悪しき者よりお守り下さい」の重要性を思います。ヒデ

土曜日, 6月 02, 2012

20120602_民数記16-17

■民数記16:31モーセがこれらのことばをみな言い終わるや、彼らの下の地面が割れた。16:32地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。
★コラとその子たちに臨んだ神様の裁きです。背景には、彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」とか、「あなたが私たちを乳と蜜の流れる地から上らせて、荒野で私たちを死なせようとし、そのうえ、あなたは私たちを支配しようとして君臨している。それでも不足があるのか。しかも、あなたは、乳と蜜の流れる地に私たちを連れても行かず、畑とぶどう畑を受け継ぐべき財産として私たちに与えてもいない。あなたは、この人たちの目をくらまそうとするのか。私たちは行かない。」との態度がありました。モーセはその時、「あなたとあなたの仲間のすべて、あなたと彼らとそれにアロンとは、あす、主の前に出なさい。」と、裁きを主に委ねます。その立場に立ってみなければ分からないことがあることを知り、謙虚な姿勢で神様と人に仕えることのできる人は幸いです。

■民数記17:2「イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。その杖におのおのの名を書きしるさなければならない。……17:5わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。」
★上の御言葉は民の中にうずまく不平を取り除くために神様が用いた方法です。結果、芽はアロンの杖からでましたが、人間的に動くよりもまず神様の御声に耳を傾けることの尊さを覚えましょう。ヒデ

金曜日, 6月 01, 2012

20120601_民数記14-15

■民数記14:24ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。14:25低地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、あす、向きを変えて葦の海の道を通り、荒野へ出発せよ。」
★神様に対する不信仰、不従順の刈り取りが鮮やかに記されます。信じるなら一週間で行ける地が、40年掛かることに。向きを変えて荒野に出発せよと。ただ残念でなりません。しかし、神様を信じられない民にとっては、心を支配する恐れの中でどうすることも出来なかったのです。あなたはこの章で何を学ぶべきでしょう。それはいかに不信仰が祝福の道を塞ぐかです。決して二度と巡って来ないチャンスを不信仰の結果失うようなことがあってはなりません。

■民数記15:32イスラエル人が荒野にいたとき、安息日に、たきぎを集めている男を見つけた。15:33たきぎを集めているのを見つけた者たちは、その者をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。
★安息日を主にささげるのか、自分の楽しみを優先するのか。その結果、彼はいのちを奪われました。不信仰の民の中で、不信仰が支払う報酬がいかに大きいかが示されたのです。律法によって導かれた旧約から、キリストの十字架によって成し遂げられた贖いゆえに恵みの中に生かされているお互いですが、神様を畏れるスピリットがぼかされませんように。強いられてではなく、むしろ赦された感謝としての主への礼拝姿勢をあなたが確立できますように。その姿勢があなたを守りあなたを祝福へと導きます。ヒデ