土曜日, 8月 17, 2019

20190817_エゼキエル27

■2「人の子よ。ツロについて、哀歌を唱えよ。
3あなたはツロに言え。海の出入口に住み、多くの島々の民と取り引きをする者よ。神である主はこう仰せられる。ツロよ。『私は全く美しい』とおまえは言った。
32泣き声をあげて哀歌を唱え、おまえのために悲しんで歌う。だれかツロのように海の真ん中で滅ぼされたものがあろうか。
36国々の民の商人たちはおまえをあざけり、おまえは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」

★27章はツロ陥落による葬儀の哀悼です。都を船にたとえ(27:1-9)、その多くの貿易相手を挙げ(27:10-25)、そしてどのようにして船が沈んだかを表現しています(27:26-36)。イエス様はマタイ11:22において、ツロは神様のさばきに値する都だったと語られました。ツロの美しさはおごりの源であり、そのおごりが神様のばきを確実なものとしました。自分の功績に対するうぬぼれやプライドは、私たちにとって危険信号です(ヤコブ4:13-17)。神様は私たちが自分のしたことに対して喜びを持ったり、満足したりすることに反対なさるわけではありません。神様は尊大さや膨らみすぎた自尊心によって人を見下すことを非難なさるのです。神様の恵みによって生かされている自らとして歩みましょう。

金曜日, 8月 16, 2019

20190816_エゼキエル26

■2「人の子よ。ツロはエルサレムについて、『あはは。国々の民の門はこわされ、私に明け渡された。私は豊かになり、エルサレムは廃墟となった』と言ってあざけった。
3それゆえ、神である主はこう仰せられる。ツロよ。わたしはおまえに立ち向かう。海の波が打ち寄せるように、多くの国々をおまえに向けて攻め上らせる。

★この章のメッセージは前586年にエゼキエルに与えられました。エルサレムに対して「あはは」と嘲笑したイスラエルの北にあるフェニキヤの首都であるツロに対してです。都市の一部は海岸沿いにあり、一部は美しい島でした。エルサレムが陥落したときツロが喜んだ理由はツロとユダは、南はエジプト、北はメソポタミヤからの貿易において、常に競争していたからです。ツロは海上貿易を独占し、ユダは陸上貿易の隊商ルートを独占していました。ユダが敗れた後、ツロはすべての貿易ルートは自分のものになると考えました。しかしツロのおごりを見られた神様は前586年に、バビロンの王ネブカデネザルを送り、さらにはアレクサンドロス大王をも送られたのです。神様はどれほどおごりを嫌われるお方でしょう。どれほどご自身の民を愛されるお方でしょう。あなたは神様から大切に思われています。

木曜日, 8月 15, 2019

20190815_エゼキエル25

■3あなたはアモン人に言え。神である主のことばを聞け。神である主はこう仰せられる。わたしの聖所が汚されたとき、イスラエルの地が荒れ果てたとき、ユダの家が捕囚となって行ったとき、あなたは、あはは、と言ってあざけった。
4それゆえ、わたしは、あなたを東の人々に渡して、彼らの所有とする。彼らはあなたのうちに宿営を張り、あなたのうちに住まいを作り、あなたの産物を食べ、あなたの乳を飲むようになる。
★25章のメッセージは、南ユダ王国を取り巻く7つの国に与えられました。アモン人は神殿の破壊を喜んだことでさばかれ、モアブ人は、ユダヤ人を特別な人たちとしてそしったことで、エドム人はユダヤ人を特に嫌ったことで、ペリシテ人は復讐したことでさばかれました。これらすべての国はやがて、神が至高のお方であることを知ることになりました。神様は人との比較で私たちが優越感にひたり満足することを良しとされることはありません。

水曜日, 8月 14, 2019

20190814_エゼキエル24

■11なべをからにして炭火にかけ、その青銅を熱くして、その中の汚れを溶かし、さびがなくなるようにせよ。
12しかし、その骨折りはむだだった。そのひどいさびはそれから落ちず、そのさびは、なお、火の中にあった。
13あなたのみだらな汚れを見て、わたしはあなたをきよめようとしたが、あなたはきよくなろうともしなかった。それでわたしがあなたに対するわたしの憤りを静めるまで、あなたは決してきよめられない。

★エルサレムの都は罪で覆われ、さびついた鍋のようで、その汚れを取り除くことはできませんでした。神様はエルサレムに住んでいた民の生活をきよめることを望まれたように、現在も私たちの生活をきよめることを望んでおられます。時に神様は私たちを問題や困難な状況を通してきよめようと試みられることがあります。私たちが困難に直面するとき、私たちの生活から罪が燃えてなくなりますように。困難を、信仰が育つための機会と考えれますように。こういうときこそ、何が最も大切か、自分の生活を改めて点検する時とできますように。

火曜日, 8月 13, 2019

20190813_エゼキエル23

■1次のような主のことばが私にあった。
2「人の子よ。同じ母の娘である、ふたりの女がいた。
3彼女たちはエジプトで淫行をし、若いときから淫行をし、その地で彼女たちの胸は抱きしめられ、その処女の乳房はもてあそばれた。
4その名は、姉はオホラ、妹はオホリバで、ふたりはわたしのものとなり、息子や娘たちを産んだ。その名のオホラはサマリヤのこと、オホリバはエルサレムのことである。
★北王国イスラエルのオホラ (「彼女の天幕」の意)は、アッシリヤ人たちに誘惑され、神様から離れます。イスラエルの民は彼らの若さ、強さ、カ、富そして快楽を求めたのです。現在でも、ある人々は、それらが幸せをもたらすと考えます。

南ユダを指すオホリバ(「私の天幕は彼女の中に」の意味)はさらに悪いとされています。なぜなら彼女はその姉妹に下ったさばきを見て学ばず、アッシリヤ人とバビロニヤ人に対する熱望を続けたからです。オホリバが特権を持ち、しっかりと行動すべきだったように、私たちにもキリストを知った者として特権の中に歩みましよう。

日曜日, 8月 11, 2019

20190811_エゼキエル21

■25悪に汚れたイスラエルの君主よ。あなたの日、最後の刑罰の時が来た。
28人の子よ。預言して言え。神である主はアモン人と、彼らのそしりについてこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が、虐殺のために抜き放たれた。いなずまのようにして、絶ち滅ぼすためにとぎすまされた。

★アモン人とイスラエル人は普段は互いに争つっていました。神様はイスラエルに他国と同盟を組まないようにと言われましたが、前589年にユダはバビロンに対してアモンと同盟を組みました(エレミヤ27:3)。神様はネブカデネザルが最初にエルサレムに行くことで、まずユダをさばかれました(21:22)。アモンもまた、さばかれましたが、それは彼らがユダと同盟を組んだからではなく、エルサレムの崩壊を、侮辱に満ちた喜びをもって傍観したからです。神様は侮られることのないお方であることを胸に刻むことは、人が命に生きるためにできる最大の選択です。

金曜日, 8月 09, 2019

20190709_エゼキエル19

■1あなたはイスラエルの君主たちのために哀歌を唱えて、言え。
2あなたの母である雌獅子は何なのか。雄獅子の間に伏し、若い獅子の間で子獅子を養った。
4諸国の民はその獅子のうわさを聞いた。その獅子は彼らの落とし穴で捕らえられた。彼らは鉤でこれをエジプトの地へ引きずって行った。
9彼らはそれを鉤にかけておりに入れ、バビロンの王のもとに引いて行った。彼らはそれをとりでに閉じ込め、二度とその声がイスラエルの山々に聞こえないようにした。
★エゼキエルは、たとえを用いてメッセージを伝えました。雌獅子と子獅子のたとえは、聴衆の興味を引いたことでしょう。雌獅子はユダを象徴し、2頭の子獅子はその王たちを表しました。最初の子獅子は、前609年にパロ・ネコによりエジプトに捕囚として連れて行かれたエホアハズ王のことです。(2列王23:31-33)。2頭目の子獅子はすでにバビロンに捕囚として連れて行かれたエホヤキン王(2列王24:8〜)、もしくはこれから捕囚となるゼデキヤ王 (2列王25:7)のどちらかを指しています。この話は、南ユダ王国には捕囚から早く帰還できるという望みも、近づいて来るバビロニヤ人の軍隊から逃れることができるという希望もないことを南ユダに示しました。ユダの政治的な力も軍事力も、国民を救うことはできません。ぶどうの木の枝のように、彼らは「東風」であるバビロニヤ人の軍により切り倒され、根こぎにされてしまいます。
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」イザヤ書40章8節が心に響きます。神様を畏れましょう。

木曜日, 8月 08, 2019

20190808_エゼキエル18

■21しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行うなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。
22彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行った正しいことのために、彼は生きる。
23わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。--神である主の御告げ--彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。
★ユダの民は自分たちではなく、祖先の罪のために自分たちが罰せられているのだと信じていました。この教えは十戒に書かれていたため、彼らはこのように考えたのです(出エジプト20:5)。しかしこの考えは、イスラエルを宿命論的なあきらめと無責任へと導きました。そんな民にエゼキエルは、神様からの新しいメッセージをもたらしました。「神様はそれぞれ個人をおさばきになる。先駆者たちの犯した罪によって影響を受けることはあっても、神様は私たちを他の人が犯した罪のためにさばくことはなさらない。そして、私たちも、彼らの過ちを自分の罪の言い訳にすることはできない。それぞれの人が、自分の行動について神に対して責任を持つのだ」と。
これに加えて、あるユダの民は、民全体に神様の恵みが与えられていることを、神様に反抗する言い訳にしました。彼らは、正しい先祖たちを持ったために(18:5-9) 自分も生きることができると考えたのです。神様は、そうではない「あなたたちは良い親を持った悪い子どもたちであり、そのような者は死ぬ(18:10-13)。しかし、神のもとに立ち返る者は必ず生きる(18:14-18)と語られました。私自身が神様の前に如何に歩むかここが神様からの祝福を受取る要です。

水曜日, 8月 07, 2019

20190807_エゼキエル17

■12「さあ、反逆の家に言え。これらがどういうことなのか、あなたがたは知らないのか。言え。見よ。バビロンの王がエルサレムに来て、その王とその首長たちを捕らえ、バビロンの自分のところへ彼らを連れて行った。
★この章に出て来る最初の大鷲は、エルサレムにおいてゼデキヤを王として任命して「植えた」、バビロンのネブカデネザル王(17:12) のことです。ゼデキヤはこの取り計らいに反抗し、第2の大鷲であるエジプトと同盟を組み、バビロンと戦おうとしました。これらの出来事はエゼキエルが遠くのバビロンにおいて、上記の出来事(10-21節)を説明している間に起こりました。ユダにいた預言者であるエレミヤも、ゼデキヤにこの同盟を組まないようにと警告していました(エレミヤ2:36、37)。はるかかなたに離れていたにもかかわらず、二人の預言者たちはどちらも神様のみことばを告げていたため、同じメッセージを語っていました。神様は今でも、ご自身が召し出した器を通して、世界中で語っておられます。

月曜日, 8月 05, 2019

20190805_エゼキエル15

■2人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。
5見よ。それが完全なときでも、何も作れないのに、まして、火がそれを燃やして、焦がせば、もう、それで何が作れよう。
7わたしは彼らから顔をそむける。彼らが火からのがれても、火は彼らを焼き尽くしてしまう。わたしが彼らから顔をそむけるそのとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。
★実を結ばせるために造られたイスラエルでありあなた。秘訣は主に信頼しただつながること。神への信頼ほどに人を豊かにできるものはありません。

日曜日, 8月 04, 2019

20190804_エゼキエル14

■14たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。--神である主の御告げ
20たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブがいても、--わたしは生きている。神である主の御告げ--彼らは決して息子も娘も救い出すことができない。彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。

★14〜20節にかけて4回「たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいて……」と繰り返されます。ノア、ダニエル、ヨブと言えばイスラエルの歴史において、神様との交友関係とその知恵によって名高い偉大な人物です。(創世6:8、9、ダニエル2:47、48、ヨブ1:1)。ダニエルは前605年バビロンの最初のユダ侵略時に捕囚として連れ去られました。それはエゼキエルが捕囚となる8年前のことです。神様のメッセージがエゼキエルに託された時代、ダニエルはバビロンにおいて政府の高い位についていましたが、しかしこれらの偉大な神のしもべたちですら、ユダの民を救うことはできませんでした。真理によって自由を得るためには、その人自身が真理によって自らの内面を照らされる事を許可し、主のみ手のなかに自分自身を委ねなければなりません。

土曜日, 8月 03, 2019

20190803_エゼキエル13

■2「人の子よ。預言をしているイスラエルの預言者どもに対して預言せよ。自分の心のままに預言する者どもに向かって、主のことばを聞けと言え。
3神である主はこう仰せられる。自分で何も見ないのに、自分の霊に従う愚かな預言者どもにわざわいが来る。
★ 13:1以下の預言は、民が喜ぶことを言って人気を集めようとしていたにせ預言者たちに対して向けられています。彼らは偽の安全を民に信じ込ませ、エゼキエルの仕事を一層難しくしました。自分たちの人気や力を得るために真理を曲げる人たちには注意しましょう。にせ預言者たちは、民を心地よくさせ、彼らの罪深い行動を許したため、多くの民が彼らに従いました。嘘は時に魅力的なものであり、多くの従者がいます。
例えば現在では、ある霊的指導者たちの中は、神はご自分に従う者たちに健康と経済的成功を約束すると断言するグループがあります。これは聞き心地のよいものですが、果たして真理でしょうか。神の御子も、地球上で安楽な人生を送りはしませんでした。私たちにの信じることは、神様がみことばを通して教えてくださることと矛盾がないように謙虚でなければなりません。

金曜日, 8月 02, 2019

20190802_エゼキエル12

■3人の子よ。あなたは捕囚のための荷物を整え、彼らの見ている前で、昼のうちに移れ。彼らの見ている前で、今いる所から他の所へ移れ。もしかしたら、彼らに自分たちが反逆の家であることがわかるかもしれない。
12彼らのうちにいる君主は、暗いうちに荷物を背負って出て行く。出て行けるように壁に穴があけられる。彼は顔をおおうであろう。彼は自分の目でその地をもう見ないからである。』

★「彼らの見ている前で」が繰り返される章です。その理由は南ユダ王国最期の王となったゼデキヤへの神様からの警告でした。6年前に民がバビロンに連行されるのを見たゼデキヤ。エゼキエルが神様に示されてとった行動は今それと同じことが起ころうとしているとの神様からゼデキヤへののメッセージでした。しかしゼデキヤの頑なさは変わりませんでした。繰り返し起こる出来事の背景には命の道を選択して生きるようにのと主の期待がある場合があります。主の細きみ声に耳を傾ける者でありましょう。

木曜日, 8月 01, 2019

20190801_エゼキエル11

■17それゆえ言え。『神である主はこう仰せられる。わたしはあなたがたを、国々の民のうちから集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを連れ戻し、イスラエルの地をあなたがたに与える。』
18彼らがそこに来るとき、すべての忌むべきもの、すべての忌みきらうべきものをそこから取り除こう。
19わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
20それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
21しかし、彼らの忌むべきものや、忌みきらうべきものの心を、自分の心として歩む者には、彼らの頭上に彼らの行いを返そう。--神である主の御告げ--」

★エゼキエルを通して伝えられた神様からのメッセージは意外なものでした。捕囚に取られたユダヤ人たちは信仰に忠実な人々で、エルサレムに残っているイスラエルは罪深い者たちであると言うのです。これは民の理解と正反対でした。外観は欺きであることがあります。神様はあなたの生活を、あなたのこの世での成功によってではなく、信仰と従順によって評価されるお方です。私たちも、他の人を外観によって判断するべきはありません。祖国から遠く離れていても、守ってくださる神様に望みをおいて今日も一日歩めます様に。