木曜日, 8月 08, 2019

20190808_エゼキエル18

■21しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行うなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。
22彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行った正しいことのために、彼は生きる。
23わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。--神である主の御告げ--彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。
★ユダの民は自分たちではなく、祖先の罪のために自分たちが罰せられているのだと信じていました。この教えは十戒に書かれていたため、彼らはこのように考えたのです(出エジプト20:5)。しかしこの考えは、イスラエルを宿命論的なあきらめと無責任へと導きました。そんな民にエゼキエルは、神様からの新しいメッセージをもたらしました。「神様はそれぞれ個人をおさばきになる。先駆者たちの犯した罪によって影響を受けることはあっても、神様は私たちを他の人が犯した罪のためにさばくことはなさらない。そして、私たちも、彼らの過ちを自分の罪の言い訳にすることはできない。それぞれの人が、自分の行動について神に対して責任を持つのだ」と。
これに加えて、あるユダの民は、民全体に神様の恵みが与えられていることを、神様に反抗する言い訳にしました。彼らは、正しい先祖たちを持ったために(18:5-9) 自分も生きることができると考えたのです。神様は、そうではない「あなたたちは良い親を持った悪い子どもたちであり、そのような者は死ぬ(18:10-13)。しかし、神のもとに立ち返る者は必ず生きる(18:14-18)と語られました。私自身が神様の前に如何に歩むかここが神様からの祝福を受取る要です。

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