土曜日, 9月 30, 2017

20170930_1ペロテ1

■1ペテロ1:18 ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、 1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1:21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。
 1:22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。
★私たちがどのくらい熱心かどうかなどではなく「神様にかかっている信仰」を受けとることが聖書信仰で、キリストによる救いを受け取る信仰です。

金曜日, 9月 29, 2017

20170929_ヤコブ5

■ヤコブ5:7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
 5:8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
 5:9 兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。★ヘブル 10:36 にも「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」とあります。現状に支配されることなく主から示される蒔くべき種を蒔きましょう。実を実らせてくださるのは主です。

木曜日, 9月 28, 2017

20170928_ヤコブ4

■ヤコブ4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
4:14 あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。
4:15 むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」
★生かされている命であることを真摯に受けとめ、謙虚な行き方をする尊さを教えられます。それを何とか正反対にしようと誘惑するのが悪魔です。その先は孤立と滅びですが。

水曜日, 9月 27, 2017

20170927_ヤコブ3

■ヤコブ3:13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。
 3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
 3:15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
 3:16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
 3:17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
 3:18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
★口からでる言葉を通して、自らの心の内側を点検させていただき、主を仰ぐ時とさていただきましょう。

火曜日, 9月 26, 2017

20170926_ヤコブ2

■ヤコブ2:15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、
 2:16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
 2:17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
 2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
★ヤコブの主張はこうです。「信じたならば自ずとその信仰は目に見える行動になってあらわれるでしょう。そうでなければ、その信仰は命のないもの、死んだもの、アクセサリーにはなるかも知れませんが、自分と人を祝福するものにはなりません」と。私たちはどんな神様を信じたのでしょうか。

月曜日, 9月 25, 2017

20170925_ヤコブ1

■ヤコブ1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。 1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。 1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。 1:26 自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。 1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。
★確かに人はただキリストを信じる信仰によって、神様に義とされ、罪の赦しと永遠のいのちをいただけます。しかし信仰とは、そのいただいた永遠のいのちで、この地上をいかに生きるかを問うものでもあります。キリストの贖いの恵みをむなしいものとせず、生き方を通して、いただいた永遠のいのちの豊かさを証しする者でありましょう。

日曜日, 9月 24, 2017

20170924_ヘブル13

■ヘブル13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
★いつどんな時でも、どんな状況の中にあっても安心して寄りかかれるお方。私たちを受けとめ、私たちを慰め、励まし、私たちがあるべき姿、行くべき道を示してくださるお方はこのお方以外にありません。

土曜日, 9月 23, 2017

20170923_ヘブル12

■ヘブル12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
12:28 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。
 12:29 私たちの神は焼き尽くす火です。
★嵐の中であっても主から目を反らすことなく湖の上を渡って主のもとに行ったペテロ。そのペテロがイエス様から嵐に目をやった途端に溺れかけたことを思い出します。主から目を離さないようにしましょう。世の誘惑はあまりにも強固です。

金曜日, 9月 22, 2017

20170922_ヘブル11

■ヘブル11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。11:39 この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。 11:40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。
★信仰をもって生きることがいかに神様に喜ばれることかが、聖書の人物を通して様々な角度から語られています。神様はまさに信仰をもって受け取らせていただくに相応しいお方。イエス・キリストの十字架と復活を通して、その神様の愛と恵み、真実は明らかにされました。この神様への信仰で生きましょう。

木曜日, 9月 21, 2017

20170921_ヘブル10

■ヘブル10: 10:17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」 10:18 これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
★患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性は希望を生み出します。私たちがまだ罪人であったとき、いのちをささげてくださったイエス様の愛と、イエス様の贖いを受け入れ、私たちの赦しの証明としてイエス様を復活させられた父なる神様の愛と赦しを人生の土台として歩みましょう。必ず神様があなたの人生を完成させてくださいます。

水曜日, 9月 20, 2017

20170920_ヘブル9

■ヘブル9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
★完き贖いの完全と、主が再び来られる理由が語られます。人間の不従順によって歴史の中に確かに罪が入りましたが、神様は始められた歴史を贖い、完成へと導かれます。主が再び来られるときは歴史の完成間近の時です。やがて主の前に立つものとして今日も主の御前を歩みましょう。

火曜日, 9月 19, 2017

20170919_ヘブル8

■ヘブル8:10 それらの日の後、わたしが、
 イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。11 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
★キリストが語られた「わたしの律法」とは十字架の贖いを通して教えられた、キリストの愛の応答としての生き方です。主を信じたとき復活のキリストが私のうちに生きてくださったので、私たちはこのお方と絶えず交わりつつ教えられ生きるようになるのです。

月曜日, 9月 18, 2017

20170918_ヘブル7

■ヘブル7:24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
★どんな中でもあなたは父なる神様に近づくことができます。キリストが完全な仲介者として、いつもとりなしをしてくだっているからです。だからこそ積極的にあなたの方からキリストに近づき関係を深めさせていただきましょう。

日曜日, 9月 17, 2017

20170917_ヘブル6

■ヘブル6:17そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。18 それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません――前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。
★「変えることのできない2つの事がら」とは、神様の約束と誓いのことです。神様は義なる方であるから、嘘をつくことができません。神様は真実な方ですから、私たちはその約束について安心していてよいのです。神様が計画について心変わりをされるのではないかと心配する必要はありません。私たちの希望は確固として揺れ動くことはありません。

土曜日, 9月 16, 2017

20170916_ヘブル5

■ヘブル5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、10 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
★父なる神様の御心への従順はイエス様ご自身も自然なこととしてなし得た訳ではなく、大きな叫びと涙の祈りを持って学びとったものでした。その先には祝福、復活があります。

金曜日, 9月 15, 2017

20170915_ヘブル4

■ヘブル4:14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
★御座に近づく理由は、神様が選びの民のためにそなえてくださっている安息に入るためです。神様の安息に入ったものは、価値があるから、私は○○だから生きていて良いと言った自己肯定観のプレッシャーから解き放たれ、平安とゆるされ認められていると言う喜びが心に湧いてきます。大胆に恵みの御座に近づきましょう。

木曜日, 9月 14, 2017

20170914_ヘブル3

■ヘブル3]12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。13 「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。14 もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。
★神様を信じることをかたくなに拒み続けるなら、私たちの心は神から離れてしまいます。もし、あくまで自分の不信仰を貫き通すなら、神様は最後には私たちを罪の中に取り残されることでしょう。しかし神様は、私たちに新しい心、新しい願い、新しい霊を与
えることができる方です(エゼキエル36:22-27)。不信仰に陥らないために、信者同士の交わりを大切にしましょう。お互いの信仰について日常的に話し合い、魅力的ですが私たちを滅ぼす罪に欺かれないように心を配り、愛と関心をもってお互いを励まし合いましょう。

水曜日, 9月 13, 2017

20170913_ヘブル2

■ヘブル2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
★イエス様は、死んでよみがえられるために人にならなければなりませんでした。それは、死を支配する悪魔の力を打ち壊すため
です(ローマ6:5-11)。それを成し遂げて初めて、主は、絶え間なく死の恐怖に苦しめられていた人々を解放し、主のために生きる者へと変えることができたのです。神様のものに
なるとき、私たちは死を恐れる必要はなくなります。死は永遠のいのちへの扉に過ぎないと言う真理を理解し、それを受け取ることができるからです。

火曜日, 9月 12, 2017

20170912_ヘブル1

■ヘブル1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
★キリストとは如何なるお方か。また何のために来られたのかを明確にしようとの意図を持って記された書です。この書の通読によって神たるキリストに触れ、このお方の前に心からの礼拝をささげる事ができますように。

月曜日, 9月 11, 2017

20170911_ピレモン

■ピレモン14 あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。15 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。
16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。17 ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。
★ピレモンの家から逃亡した奴隷オネシモ。彼はローマでパウロと出会い、主を告白します。ことの次第を知ったパウロは自分のもとでオネシモに助けて欲しいと願いますが、正しく筋を通すためにこの手紙を書いてオネシモをピレモンのもとに送り返します。主もまた贖った私たちを信頼してくださり私たちのおるべきところ、この世に送り返されました。正しいことのために神の国の価値観と言う筋を通すことを主は喜ばれます。

日曜日, 9月 10, 2017

20170910_テトス3

■テトス3:3 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現れたとき、5 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
★ここにキリストにあって私たちが新しい生活をするべき根拠が記されています。私たちお互いは、キリストが十字架上で注ぎ出されたいのちの故に、成し遂げられた贖いの故にただ恵みによって救われました。あなたは恵みによって新たに『今』与えられ、生かされている永遠の命をいかに用いますか。

土曜日, 9月 09, 2017

20170909_テトス2

■テトス2:11 というのは、すべての人を救う神の恵みが現れ、12 私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、13 祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。
14 キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。15 あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。
★キリストは何のためにご自身の命を十字架の上にささげ贖いを成し遂げられたのか。その理由がここには明確です。あなたはどの箇所が心に響きますか。主の語りかけに従いましょう。

金曜日, 9月 08, 2017

20170908_テトス1

■テトス1:1 神のしもべ、また、イエス・キリストの使徒パウロ――私は、神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にふさわしい真理の知識とのために使徒とされたのです。2 それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。
★私たちは神様を畏れる敬虔な生活をするために直接イエス様を通して召されました。生活の中でキリストを証しするためです。与えられている神様に対する知識が生活によって否定されることがないように歩みましょう。

木曜日, 9月 07, 2017

20170907_2テモテ4

■2テモテ4:5しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。
6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
★キリストの弟子として歩む道は決して安易な道でないことを思います。しかし主から直々に義の栄冠がさずけられる道です。不義に飲み込まれることがありませんように。悪に押し流されることがありませんように。

水曜日, 9月 06, 2017

20170906_2テモテ3

■2テモテ3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
★聖書は「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい」と教えます。どうすればそれらの誘惑から身を守れるでしょう。それを正すことが出来るのが聖書です。問われていることは何を知っているかではありません。いかに生かされているかです。キリストによって開かれた恵みの中で栄光から栄光へと変えられて行きましょう。

火曜日, 9月 05, 2017

20170905_2テモテ2

■2テモテ2:11 次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。
12 もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。
13 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」
★この世において人が神を信じるキリスト者として生きることを選択するなら、神を信じていない人が経験する以上に予期しないことが起こることもあるかも知れません。その時こそ自我に死んで、神様を待ち望む時です。それは神様が働こうとなさっておられる時かも知れません。この章には「大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです」ともあります。どんな状況の中にもしっかりと神様の御心と祝福を受け取ることが出来ますように。

月曜日, 9月 04, 2017

20170904_2テモテ1

■2テモテ1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです。
12 そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。
★大胆な生き方を可能にする土台は信仰による確信です。十字架の上にご自身の命さえささげてくださった主。このお方の御手に握られている自らの生涯。ならば主は自分の生涯を必ず全うしてくださる。そこに立ってパウロはパウロにしかできない生き方を全うしました。私たちもこの朝「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができる」との信仰の確信を点検しましょう。

日曜日, 9月 03, 2017

20170903_1テモテ6

■1テモテ6:6 しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。7 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。8 衣食があれば、それで満足すべきです。9  金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。
★信心を利得と考える芽があるならできるだけ早いじきに、それは摘み取られる必要があります。召された私たちが求めるべきは正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和です。

土曜日, 9月 02, 2017

20170902_1テモテ5

■1テモテ5:19 長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。
20 罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。
21 私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行いなさい。
★パウロは1節で「年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい」と思いやりに満ちた関わりをするようにテモテをさとしますが、罪に対しては断固とした姿勢を取るようにと教えます。教会のきよさを保つためです。人を恐れると罠にはまります。神様を畏れる姿勢を貫きましょう。

金曜日, 9月 01, 2017

20170901_1テモテ4

■1テモテ4:16 自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。
★自分が良く見られたいためではありません。躓きを与えないため、他者への配慮のゆえです。行動は結果、同じであっても、主にある者の隠れた動機はキリストの愛を知らない人とは違います。