5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。★古代イスラエル人は、エジプトから脱出する準備をしていたとき、パン種がふくれるのを待つ時間がなかったので、種を入れないパンを準備するよう命じられました。またパン種は罪の象徴でもあったので、彼らは家からすべてのパン種を取り除くよう命じられます(出エジプト12:15、13:7)。キリストは私たちの過越の小羊、私たちの罪のための完全ないけにえで、私たちを罪の奴隷から救い出してくださったので、私たちは過去の罪(「古いパン種」)とのかかわりを断つのです。
火曜日, 1月 31, 2017
月曜日, 1月 30, 2017
20170130_1コリント4
■1コリント4:6 さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。
4:7 いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。
★霊的指導者を利用し人々を自分に付け、結果教会を分裂の危機に瀕させるほどに人の心は病み、高慢に捕らわれてしまうことがあります。教会の頭であるキリストに心を治めて頂く以外に解決がありません。神様の恵みに対する感謝の応答の生涯を生きる者として決して越えてはならない一線を自分の内に持つ人は幸いです。
日曜日, 1月 29, 2017
20170129_1コリント3
3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
★人からの賞賛ではなく、神様から託された役割を忠実に果たそうとするチームを通して教会の働きは前進します。主から為すべき働きを託されたお互いとは何と感謝でしょう。
土曜日, 1月 28, 2017
20170128_1コリント2
2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
★ここに記された知恵とは箴言8章で「知恵は呼ばわらないのか」と語りかけられる「神の知恵」たるイエス・キリストです。以下箴言8章です。
8:22 【主】は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。
8:23 大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。
8:24 深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた。
8:25 山が立てられる前に、丘より先に、わたしはすでに生まれていた。
8:26 神がまだ地も野原も、この世の最初のちりも造られなかったときに。
8:27 神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。
8:28 神が上のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定め、
8:29 海にその境界を置き、水がその境を越えないようにし、地の基を定められたとき、
8:30 わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、
8:31 神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。
金曜日, 1月 27, 2017
20170127_1コリント1
★福音が「聞かせてもらうもの」から「生きること」に変わるとき変わるとき、人への依存から解放されます。人ではなく主につき、人間関係においては示された神様の御心の実現のために相互に協力しあう。「1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」
木曜日, 1月 26, 2017
20170126_ローマ16
16:18 そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。
★教会が自己実現の場となり、そのことのために神様を利用しようとする人々のことでパウロはどれほど心を痛めたことでしょう。しかしこれは人ごとではなく、サタンが私の心でも芽を出すようにと、知らず知らずのうちに蒔く種のひとつです。目を覚ましていましょう。愛する友がこの誘惑に飲み込まれないように祈りましょう。
水曜日, 1月 25, 2017
20170125_ローマ15
15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。
15:7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。
★ローマ教会は多様な共同体でした。ユダヤ人と異邦人、奴隷と自由の民、金持ちと貧しい者、強い者と弱い者から成り立っていたからです。お互いを受け入れることは彼らにとって難しいことでした。受け入れるとは、心の中にだけでなく、自分の家の中にも人々を受け入れ、食事や活動を共にしすることを意味しました。普段は話をしないような人たちを迎えるため、意識して時間を使い、相違点を最小限にし、交わりのための一致点を探そうとする努力。パウロは神様がほめたたえられためにローマ教会にそのことをチャレンジしました。
火曜日, 1月 24, 2017
20170124_ローマ14
■ローマ14:4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
★人はおのおの、他の人にではなく、神様に対して弁明する責任があります。教会は、聖書によって明確に禁じられている行動(姦淫、同性愛、殺人、盗み)に反対する立場においては妥協せずにいなければなりませんが、それ以外に追加の細かい規則や規定を定めたり、それらに神の律法と同等の地位を与えたりすべきではありません。しばしばクリスチャンたちは、神のことばよりも、世論や個人的嫌悪、または文化的傾向に、道徳的判断の基礎を置く誘惑を覚えるかも知れませんが、神の言葉を越えて自らを神にしてはなりません。
月曜日, 1月 23, 2017
20170123_ローマ13
★パウロは今の時代を悪い時代と表現します。この世の闇の力が恵みと義を抹殺しようとする時代だからです。キリストを着、キリストの中に隠れ込み、神の恵みに覆われつつ、自らをきよく保ちつつ主の来臨を待ち望みましょう。
日曜日, 1月 22, 2017
20170122_ローマ12
土曜日, 1月 21, 2017
20170121_ローマ11
11:21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
★不信仰を続けるイスラエル。しかし神様はイスラエルを捨ててしまわれるわけではない。壮大な神様の計画が紹介されます。ひとりも滅びる事を願い給わない神様の愛と御力が記された11章です。あなたの人生もこのお方の愛と御力によって支えられています。
金曜日, 1月 20, 2017
20170120_ローマ10
■ローマ10:1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。10:2 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。 10:3 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。10:4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
★あなたは誰に受け入れられ認められたいと願うでしょう。もしそれが神様であるなら、神様が受け入れ、認めてくださる方法や基準を知らなければなりません。それは必ずしもあなた自身が持っている基準と同じとは限りません。神様の方法は唯一イエス・キリストにある方法です。キリストが神様の求めする全ての要求と基準とを満たしたからです。ご自身の命さえも注ぎ出すことを通して。あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われます。
木曜日, 1月 19, 2017
20170119_ローマ9
9:16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
★主権者である神様の姿が鮮やかです。私たちはただこのお方のご計画を畏れをもって受けとる以外道はありません。しかしやがてこのお方の大きなあわれみを知ることに。それがイエス・キリストを通して示された父なる神様の愛です。
水曜日, 1月 18, 2017
20170118_ローマ8
★「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」ではじまる8章です。イエス・キリストの十字架を通して罪の精算にあずかったキリスト者の赦しがいかに完全であるかが大胆に記された章です。もはやあなたはむなしさや恐れから、神様を避けて、神様以外のもので心を満たそうとするいかなる理由も持ち合わせなくなりました。内側から語りかけてくださる御霊様の声に導かれましょう。頂いた神との交わりがあなたの人生を完成へと導く命です。
火曜日, 1月 17, 2017
20170117_ローマ7
★この絶望的な叫びは、パウロだけのものではありません。これは、御霊の助けなしに、律法を守ることによって神を喜ばせようとする、すべてのクリスチャンの経験を表しています。罪の力を過小評価したり、自分の力で罪と戦おうとしてはなりません。私たちの力で罪に打ち勝とうとするのではなく、聖霊の御力に頼らなければなりません。聖霊は私たちの内に住んでおられ、私たちに力を与えてくださるお方です。私たちが倒れるときは、愛をもって手を差し伸べ、私たちを助け起こしてくださるお方です。
月曜日, 1月 16, 2017
20170116_ローマ6
★私たちは2人の主人のいずれかを自由に選ぶことはできますが、選択の結果を自由に変えることはできません。罪に従うことの結果は永遠の死で、神様のいない人生です。キリストに従うことの結果は永遠のいのちで、永遠に続く、神様とともにある新しいいのちです。
永遠のいのちは神様からの賜物で、報酬ではありません。賜物をくださる最愛の人へのもっとふさわしい応答は、差し出されたものを感謝して率直に受けとることです。神様は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに私たちを救ってくださいました(テトス3:5)。神様が私たちに惜しみなく与えてくださった賜物であるキリストを感謝とともに受け入れれるとは何という幸いでしょう。
日曜日, 1月 15, 2017
20170115_ローマ5
5:10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
★「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。」ではじまるこの章ですが、ここでは「なおさら」、「なおさら」と繰り返されることによって、いかにイエス様が示してくださった愛が、特別な愛であったかが強調されます。もし救いの確信がぐらつくことがあるならそのときはこのみことばを通して励まされましょう。
土曜日, 1月 14, 2017
20170114_ローマ4
■ローマ4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、 4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。 4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
★自分にではなく神様に望みをおいたアブラハム。神様はそれをよしとされました。ゆえに私たちの救いは神様にかかっているのです。
金曜日, 1月 13, 2017
20170113_ローマ3
3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
★神様は、私たちが義であると宣言してくださいます。裁判官が被告に無罪を宣言したら、すべての告発は取り除かれます。法律上、その人は今まで告発されたことがないかのようになります。神様が私たちの罪を赦されると、私たちの記録はきれいに消し去られます。私たちは神様の目から見て、今まで罪を犯したことがないかのように。イエス様が、私たちが受けるべき罰を受けてくださったので、神様はこのことをしてくださいました。キリストはご自身のいのちという代価をもって、私たちの罪からの自由を買い取ってくださいました。ハレルヤ!
木曜日, 1月 12, 2017
20170112_ローマ2
2:15 彼らはこのようにして、律法の命じる行いが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。──
★人々は、自分が知らないことでではなく、知っていることをどう扱うかで有罪と判決されます。書かれた神のことばと律法を知る人たちは、それによってさばかれ、聖書を一度も調べたことがない人たちは、それでも善悪の区別がつくので、彼ら自身の良心が命じる基準にそむいたということでざばかれます。神の律法はひとりひとりの心の中に書かれています。そして神様が求められるのは外見上の割礼ではなく心の割礼です。
水曜日, 1月 11, 2017
20170111_ローマ1
★キリスト教とは単なる道徳でも良い教えでもありません。イエス・キリストそのものです。イエス・キリストとの出会いがあなたの人生を導き、誰かのまねではなく、あなたをしてあなたらしく作り上げられて行きます。キリストを求めましょう。
火曜日, 1月 10, 2017
20170110_2サムエル24
24:2 王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」
★人ロ調査の何が間違っていたのでしょう。人ロ調査は、約束の地を征服する軍隊を組織するため、民数記の中でも命令されています(民数1:2、26:2)。人ロ調査は、軍隊の招集または徴募を行うために行われます。平和な国の中で今やその必要があったのか。ダビデの罪は、軍備、権力において栄光を得ようと人口調査をした傲慢です。数にかかわらずイスラエルを守ってくださる神様の力よりも、自らの軍隊の規模に信頼を置こうとしました。どんな状況においても誘惑はあります。神様を畏れましょう。
月曜日, 1月 09, 2017
20170109_2サムエル23
■2サムエル23:16 すると三人の勇士は、ペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。ダビデは、それを飲もうとはせず、それを注いで【主】にささげて、
23:17 言った。「【主】よ。私がこれを飲むなど、絶対にできません。いのちをかけて行った人たちの血ではありませんか。」彼は、それを飲もうとはしなかった。三勇士は、このようなことをしたのである。
★「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ」との言葉に応えて用意された水をダビデはのむことなく神様にささげます。ダビデは神様を畏れ、心から忠誠、善意を深く心に刻む心の持ち主でした。
日曜日, 1月 08, 2017
20170108_2サムエル22
■2サムエル22:31 神、その道は完全。【主】のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。 22:32 まことに、【主】のほかにだれが神であろうか。私たちの神のほかにだれが岩であろうか。 22:33 この神こそ、私の力強いとりで。私の道を完全に探り出される。 22:34 彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。 22:35 戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓でも引けるようにされる。
★心の底からの賛美をダビデは主にささげます。神様についてではなく、自分の生涯を振り返っての神様への賛美です。私たちも自分の生涯を振り返りつつ神様の御前に賛美をおささげしましょう。主を喜ぶことは私たちの力であり、「正しい者たち。【主】にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。」(詩 33:1)とありますから。
金曜日, 1月 06, 2017
20170106_2サムエル20
■2サムエル20:21 そうではない。実はビクリの子で、その名をシェバというエフライムの山地の出の男が、ダビデ王にそむいたのだ。この男だけを引き渡してくれたら、私はこの町から引き揚げよう。」するとこの女はヨアブに言った。「では、その男の首を城壁の上からあなたのところに投げ落としてごらんにいれます。」
20:22 この女はその知恵を用いてすべての民のところに行った。それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、それをヨアブのもとに投げた。ヨアブが角笛を吹き鳴らしたので、人々は町から散って行って、めいめい自分の天幕へ帰った。ヨアブはエルサレムの王のところに戻った。
★イスラエルをダビデ王に反逆させようと動いたシェバ。ダビデ王の将軍ヨアブの部下たちシェバを追い、シェバが隠れ込んだアベル・ベテ・マアカの町は今や滅ぼされるかに見えます。当時の社会では、通常女性は公衆の前では静かにしているものですが、しかしこの女性はここで叫びます。彼女は武器ではなく、賢明なことばと計画的な行動によって、ヨアブの攻撃を阻止し、シェバの首を城壁から落とし町を救います。思慮深いことばを語る勇気は時に大惨事を防ぐということがあることを教えます。
木曜日, 1月 05, 2017
20170105_2サムエル19
■2サムエル19:19 王に言った。「わが君。どうか私の咎を罰しないでください。王さまが、エルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王さま。心に留めないでください。19:20 このしもべは、自分の犯した罪を認めましたから、ご覧のとおり、きょう、ヨセフのすべての家に先立って、王さまを迎えに下ってまいりました。」
★息子アブシャロムの死を痛み一時盲目的になったダビデですがヨアブの進言を受けたダビデは謀反のために戦った民の労をねぎらいます。そしてエルサレムに戻ったダビデは反逆した民にも驚くばかりのあわれみと寛容を19節以降示します。やがて再臨のキリストが打ち立てられる神の国の基準です。
水曜日, 1月 04, 2017
20170104_2サムエル18
■2サムエル17:14 アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは【主】がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、【主】がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。
★ダビデは望みに反してアブシャロムを殺したヨアブと部下たちに憤りを覚えます。父の愛に値することを息子アブシャロムは何もしていなかったにもかかわらず息子を心から愛していたダビデ。であれば息子がもっと若いうちに、向き合って彼の暴走するエゴに対処すると言った愛をダビデがアブシャロムにあらわしていたら。残念でなりません。またこのことは誰にでも欠けがあることを私たちに教えます。それらの欠けのために主の名を切に呼び求めるものであらせていただきましょう。
火曜日, 1月 03, 2017
20170103_2サムエル17
■2サムエル17:14 アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは【主】がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、【主】がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。
★本当は「今夜一気にダビデを打ちましょう」とのアヒトフェルの計画の方が優れたものでした。しかし、フシャイの計画はアブシャロムの虚栄心を満たすものでアブシャロムはその罠に自ら落ちた形となりました。「高ぶりは滅びに先立つ」とは真実です。
月曜日, 1月 02, 2017
20170102_2サムエル16
■2サムエル16:9 すると、ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「この死に犬めが、王さまをのろってよいものですか。行って、あの首をはねさせてください。」16:10 王は言った。「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、【主】が彼に、『ダビデをのろえ』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするのだ』と言えようか。」
★不当な批判をざれても取り乱さずにいるというのはつらい経験です。しかし批判をやめさせられないならば、ひたすら無視するのが最善の策です。あなたが正しくあるなら、神様が汚名をすすいでくださいます。
日曜日, 1月 01, 2017
20170101_2サムエル15
■2サムエル15:4 さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。…… 15:6 アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。
★盗むのはいけません。ましてや人の心を盗むなど。また盗まれないように目覚めていましょう。世はあなたが妬みや、恨みによって罪に加担させようと狙っています。この年もただ神様を畏れましょう。命の泉は神を畏れる心から湧きあがります。新しい年が明けました。今年もよろしくお願い致します。主の守りと祝福がこの配信を受けてくださっているあなた様の上にも豊かにありますように。
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