土曜日, 2月 10, 2018

20180210_ヨハネの黙示録16

■ ヨハネの黙示録16章
7,また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」
17,第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した」と言った。
18,すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。

★ 16:1以下鉢のさばきは、神様の、地上への最後の完全なさばきです。とうとう終末が訪れました。鉢のさばきとラッパのさばき(8:6-11:19)には多くの類似点がありますが、主な違いは3つです。(1)ラッパのさばきが部分的であるのに対し、これらのさばきは完全なものです。(2)ラッパのさばきでは信じない者たちにまだ悔い改める機会がありますが、鉢のさばきにはありません(3)人々はラッパのさばきのいくつかにより副次的に被害をうけますが、鉢のさばきのはすべてに及びます。時が近づいています。

金曜日, 2月 09, 2018

20180209_ヨハネの黙示録15

4,主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。」
5,その後、また私は見た。天にある、あかしの幕屋の聖所が開いた。
6,そしてその聖所から、七つの災害を携えた七人の御使いが出て来た。彼らは、きよい光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていた。
7,また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。
8,聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、入ることができなかった。

★出エジプト15章のモーセの歌は、イスラエルがエジプトから解放されたことを祝いましたが、小羊の歌は、神の民がサタンのカから究極的に解放されたことを祝います。5-8節の情景は私たちを、出エジプト記の荒野で、神の民の間に神様が臨在していることの象徴である契約の箱があった天幕へと連れ戻し、御使いたちの衣は大祭司の服を思い出させます。16章からのさばきから逃れられる者はいない中、神の民とされたことをもう一度感謝しましょう。

木曜日, 2月 08, 2018

20180208_ヨハネの黙示録14

■ ヨハネの黙示録14章
7,彼は大声で言った。「神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。」
12,神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」
14,また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
16,そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。
★以下のマタイの福音書13章を心に留めましょう。
24,イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
25,ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
26,麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。
27,それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
28,主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
29,だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
30,だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」
36,それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
37,イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
38,畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
39,毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
40,ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
41,人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、
42,火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

そして主は「そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」と締めくくります。

20180208_ヨハネの黙示録14

■ ヨハネの黙示録14章
7,彼は大声で言った。「神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。」
12,神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」
14,また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
16,そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。
★以下のマタイの福音書13章を心に留めましょう。
24,イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
25,ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
26,麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。
27,それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
28,主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
29,だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
30,だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」
36,それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
37,イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
38,畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
39,毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
40,ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
41,人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、
42,火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

そして主は「そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」と締めくくります。

水曜日, 2月 07, 2018

20180207_ヨハネの黙示録13

■ ヨハネの黙示録13章
5,この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。
6,そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。
9,耳のある者は聞きなさい。
10,とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。

★その人が神様をおそれているかどうか、それは言葉に現れます。お互いはどんな言葉を使っているでしょうか。この朝自分自身を吟味しましょう。世の終わり、この章に登場する獣によって聖徒たちまでもがけがをしごとをいう誘惑に誘導されます。

20180206_ヨハネの黙示録12

■ヨハネの黙示録12章
10,そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
11,兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
12,それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」
13,自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。

★キリストの者とされたお互いが世の終わりの試練に打ち勝つ秘訣はキリストによって救われた証しです。今一度どこから恵みによって救い出されたかを顧み、主に感謝をささげましょう。

月曜日, 2月 05, 2018

20180205_ヨハネの黙示録11

■ ヨハネの黙示録11章
15,第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
16,それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、
17,言った。「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。
18,諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」

★ヘブル10:36に 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」とあります。主の勝利の日は必ず来ます。

日曜日, 2月 04, 2018

20180204_ヨハネの黙示録10

■ ヨハネの黙示録10章
1,また私は、もうひとりの強い御使いが、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭上には虹があって、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった。
2,その手には開かれた小さな巻き物を持ち、右足は海の上に、左足は地の上に置き、
3,獅子がほえるときのように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がおのおの声を出した。
★ここに登場する力ある御使いの巨大さは、神様の敵たちの小ささと対照的です。人生で物事が悪いほうへ向かっているとき、この御使いがあなたの側に立つていることを思い出しましょう。御使いの軍勢はあなたとともにいます(マタイ18:10、ヘブル1:14)。問題に対処するための知恵と力はこのお方によって与えられます。問題をふさわしい視点で見るようにしましょう。

土曜日, 2月 03, 2018

20180203_ ヨハネの黙示録9章

■ヨハネの黙示録9章
3,その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。
4,そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。
5,しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。
6,その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。

★ 9:3以降のこれらのいなごは、サタンに支配されている邪悪な霊で、人々を罪に誘惑する悪霊たちと解釈できます。神様以外に創造主はおられないので、サタンによって造られたのではありません。むしろ彼らはサタンの反抗に加担した堕天使と見るべきです。神様は彼らができることを制限しておられます。彼らは神様の許可なしには何もできません。彼らの地上での主な役割は、人間と神様の交わりを妨げたり、乱したり、破壊したりすることです。彼らは腐敗し堕落しているため、その容姿は霊の歪みを反映しています。悪霊の影響を受けないように、彼らの悪の活動を認識することは重要です。

金曜日, 2月 02, 2018

20180202_ ヨハネの黙示録8章

■ ヨハネの黙示録8章
1,小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。
5,それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。
6,すると、七つのラッパを持っていた七人の御使いはラッパを吹く用意をした。

★ 永遠に続くかのように見えた半時間ばかりですが、この時成し得たことは聖徒たちの祈りのみでした。沈黙のとき、それは私たちが神様の御顔を求めるべき時です。静まって主こそが神様である事を示していただきましょう。神様は正しいさばきを行われるお方です。

木曜日, 2月 01, 2018

20180201_ヨハネの黙示録7

■ ヨハネの黙示録7章
14,そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
15,だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
16,彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
17,なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

★最後の審判の目的は聖徒への酬いです。だから1コリント15:58では「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」とすすめます。