木曜日, 5月 31, 2012

20120531_民数記11-13

■民数記11:10モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った。
★エジプトを出たのち、荒野を行く民の中に、かつてはただで肉やキュウリを食べることができたと欲望に駆られ大声で泣く者、また家族で涙を流すものがありました。その時の主とモーセの反応です。伝道者の書には「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。……泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。」と記されます。今朝、自らの涙を点検しましょう。自己憐憫のために流す涙は自らを滅ぼします。流す涙の中には止めるべき涙もあるのです。

■民数記12:10雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリヤムはツァラアトになり、雪のようになっていた。アロンがミリヤムのほうを振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。
★「神様はモーセとだけ話されるのか。私にも話されたではないか」とミリアムの妬みを主が聞かれたとき、上の御言葉のようになりました。妬みは骨を腐らせます。要注意です。

■民数記13:32彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。13:33そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
★約束の地カナンの偵察に遣わされたヨシュアとカレブ以外の反応です。彼らに有り、彼らになかったものがイスラエルの将来を大きく変えました。「恐れと信仰」は今も変わることのない神の民のテーマです。あなたの思いが恐れによって見るべきものを見失いませんように。ヒデ

火曜日, 5月 29, 2012

20120529_民数記7

■民数記7:89モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。
★幕屋を建て終わり、それに油が注がれ、聖別された後、12部族の族長達が、幕屋で使用したり、幕屋を維持したりするための贈り物とささげ物をもって来ましたが、このためには民の全てが参加しました。理由はみんなの幕屋だから。そうして神様はご自身からの御声の聞き方をモーセを通して示されました。贖いの蓋のケルビムの間から。贖罪のなされるところから。
では新約時代はそれは何処でしょう。キリストが成し遂げて下さった十字架の救いの間からです。主は「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られました。あなたはここから語られる主の御声を聞かなければなりません。十字架を仰ぐあなたを主はすでに赦して下さっています。あなたを訴える悪しき霊にだまされないように、縛られないように。主はあなたを解放するために召し出されたのです。イザヤ43:1の「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」との御声を受けとりましょう。ヒデ

月曜日, 5月 28, 2012

20120528_民数記5-6

■民数記5:6「イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、5:7自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。
★このことは新約においても同じで「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)、「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5:16)とあります。これが曖昧にされると命はにごり、共同体に愛は流れなくなります。特に夫婦間の不信の罪について、この章は曖昧にせず深く心に問いかけます。家庭が祝福の源だからです。

■民数記6:23「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。6:24『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。6:25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。6:26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』6:27彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
★旧約時代に示された祝福の祈りで、現在の祝祷の原型です。あなたはこの祈りのスピリットをもって、あなたの大切な人々のために祈りの手をあげることができます。あなたが多くの人を祝福できますように。ヒデ

日曜日, 5月 27, 2012

20120527_民数記3-4

■民数記3:6「レビ部族を近寄らせ、彼らを祭司アロンにつき添わせ、彼に仕えさせよ。
★主に仕えるようにと召されたレビ人は25歳から奉仕をはじめ5年の実地訓練を受け、30歳にしてすべての奉仕をすることが許されました。ではキリストを通して生ける神様に仕えるものとされた私たちはどうでしょう。同じく主はあなたを試され、働きに間に合うようにとその資質を練り上げ、祝福し用いられます。そうあなたは最も尊い魂に仕える者として召し出されたのです。喜んで主の訓練を受け入れましょう。

■民数記4:15宿営が進むときは、アロンとその子らが聖なるものと聖所のすべての器具をおおい終わって、その後にケハテ族が入って来て、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死なないためである。これらは会見の天幕で、ケハテ族のになうものである。
★エジプトの偶像は人間が操作することができました。しかしイスラエルの神様は人間が操作することなど出来ず、またこの世に存在する何らかの形に当てはめることもゆるされませんでした。イスラエルにご自身を顕された神様は被造物を越えられたお方。軽々しく扱うべきお方でないことが、アロンの子孫に語られた祭司規定を通してしめされたのです。主を畏れることは知識のはじめであることをもう一度覚えましょう。ヒデ

土曜日, 5月 26, 2012

20120526_民数記1-2


■民数記1:2「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。
★この主の名を受けてモーセはイスラエルの民の数を数えます。その数20歳以上の軍務につくことのできる男子だけで603550人でした。同じようにダビデも王となってイスラエルの数を数えたことがあります。(Ⅱサム24:10)ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」と。同じ行為でも動機を主は見られます。あなたの行動が自分の力を誇り、自分に栄光を帰そうとするものでなく、ただ主に栄光を帰そうとするものでありますように。

■民数記2:2「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。
★男だけで603550人、全体では200万とも言われるイスラエルの民。主はこの人々に「軍団ごとに幕屋を中心とした宿営として移動せよ」と命じます。家系を中心に。そして父なる神様は約束の地、すなわち「天国」に導くために、あなたをキリストの家系に信仰によって接ぎ木して下さいました。この後イスラエルは荒野の旅の中で様々つぶやき、祝福を失い試練の中を通りますが、あなたはどうでしょう。主の十字架の愛に対する感謝と信仰をもって祝福の中を歩ませて頂きましょう。ヒデ

金曜日, 5月 25, 2012

20120525レビ記26-27

■レビ記26:3もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、……26:14もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、これらの命令をすべて行わないなら、
★この章は上の二つの対比が明確です。聞き従うものには地の産物、畑の木々の実、満ち足りるパン、安らかな地、平和、だれにも悩まされない睡眠が約束されていますが、聞き従わないものには、あなたを憎む者があなたがたを踏みつけ、だれも追いかけて来ないのに、あなたがたは逃げると語られます。神様がどれほどイスラエルを、選びの民を、あなたを愛しておられることか。神様があなたを大切に思って居てくださる感謝の応答としての生き方を選び取りましょう。

■レビ記27:34以上は、主がシナイ山で、イスラエル人のため、モーセに命じられた命令である。
★レビ記の締めくくりの言葉が上の御言葉です。このレビ記を通して、読者は神様のご性質を学ぶことができます。どんなに時代が変わろうとも一貫した姿勢をもって選びの民と関わって下さろうとする主があなたの神です。このお方への信頼によってあなたの生涯は生かされます。ヒデ

木曜日, 5月 24, 2012

20120524_レビ記24-25

■レビ記24:16主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げて殺さなければならない。在留異国人でも、この国に生まれた者でも、御名を冒涜するなら、殺される。
★神様への冒涜に対する処罰はあまりに厳しくも見えますが、反対に、それはどれだけ真摯に神様が私たちとの関係に期待しておられるかの表れでもあります。いとも簡単に神の御名にかけて誓い、それを破り、また神様がさも存在しないかのように振る舞う。注意すべきです。しかしイエス・キリストの誠実と憐れみは昨日も今日もいつまでも変わることがありません。

■レビ記25:39もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が貧しくなり、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。
★この章で繰り返し繰り返し使われる言葉は「わたしにとって、イスラエル人はしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出したわたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。」です。土地も人も主のもの。自分が所有者のごとく振る舞うべきではないことを教えます。あなたが、あなたの人生と所有物に対して忠実な管理者であれますように。ヒデ

水曜日, 5月 23, 2012

20120523_レビ記22-23

■レビ記22:2「アロンとその子らに告げよ。イスラエル人の聖なるものは、わたしのために聖別しなければならない。彼らはわたしの聖なる名を汚してはならない。それは彼らがわたしのために、聖なるものとすべきものである。わたしは主である。
★イスラエルはエジプトでの400年の奴隷生活を通してエジプトの祭司を熟知していました。宗教、それは国の勢力を増すための道具。しかし主はイスラエルの人々に、主の祭司の働きはそうではない。人々の心を神様へと向けるものであることを明確にしたのです。主はあなたの存在が世の光、地の塩として、人々の心を聖さと恵みに満ちた神様に向かわせるものであるようにと願っておられます。

■レビ記23:42あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。
★仮庵の祭りはイスラエルの民にとって家族全員で行う特別な祭りです。400年も続いたエジプトの奴隷生活から脱出させて下さった神様の恵みを覚えるのです。主の救いは個人単位ではなく家族、親族の救いであることを受けとりましょう。そしてその実現のために祈りましょう。信仰をもってささげる祈りに応え、主は不思議をもって働いてくださり、やがての日、必ずあなたにその日を備えて下さる事を信じます。ヒデ

火曜日, 5月 22, 2012

20120522_レビ記19-21

■レビ記19:9あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。19:10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
★あなたは父なる神様について誤解していることがあるかも知れません。いかに憐れみ深いお方であるか。ぜひこの章はご自身でよみ味わって頂きたい箇所です。自身か家族に痛みや弱さを持つ者として味わってみて下さい。

■レビ記20:24それゆえ、あなたがたに言った。『あなたがたは彼らの土地を所有するようになる。わたしが乳と蜜の流れる地を、あなたがたに与えて、所有させよう。わたしは、あなたがたを国々の民からえり分けたあなたがたの神、主である。
★神様はイスラエルに先住民族がもっていたものとは異なる価値基準を示します。その目的が上の御言葉です。父なる神様は、神の民が生きる場所が、御心が天でなるごとく地でもなる場所になるようにと願っています。それを造り出すようにと召し出されたのがあなたです。

■レビ記21:5彼らは頭をそってはならない。ひげの両端をそり落としてもいけない。からだにどんな傷もつけてはならない。
★この「どんな傷もつけてはならない」と同じ章に淫行をしてはならなが記されています。自傷行為も、入れ墨も、また淫行もあなた自身を傷つけるもの。そうした思いに駆られるなら、それらの行動に移す前に、その思いを主の前に持ち出すことを、主は願っておられます。ヒデ

月曜日, 5月 21, 2012

20120521_レビ記16-18

■レビ記16:9アロンは、主のくじに当たったやぎをささげて、それを罪のためのいけにえとする。16:10アザゼルのためのくじが当たったやぎは、主の前に生きたままで立たせておかなければならない。これは、それによって贖いをするために、アザゼルとして荒野に放つためである。
★贖罪の日にささげられるこの2頭のやぎの意味は、イスラエルの罪に対す2通りの神様の対処法です。いけにえのやぎを通して民の罪が赦され、アザゼルとして解き放たれるやぎを通して罪からの解放を表したのです。旧約時代祭司は多くの準備をして神様の前に出なければなりませんでしたが、あなたはキリストの贖いゆえにいつでも神様に近づく罪の赦しと解放を受けとることができます。

■レビ記17:4主の幕屋の前に主へのささげ物としてささげるために、それを会見の天幕の入口の所に持って来ないなら、血はその人に帰せられる。その人は血を流した。その人はその民の間から断たれる。
★イスラエルの民が偶像礼拝に陥ったのは「めいめいが自分の目に正しいと見える行った」ためでした。この時神様は罪の赦しのためのいけにえ、すなわち献げ物について明確な時間と場所を指定したのです。

■レビ記18:30あなたがたは、わたしの戒めを守り、あなたがたの先に行われていた忌みきらうべき風習を決して行わないようにしなさい。それによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
★神様はイスラエルをご自身へと分離させることによって民を導き祝福されます。功績中心、業績中心のこの世の価値観の中で、神の子供としての命を失わないようにキリストにつきましょう。ヒデ

日曜日, 5月 20, 2012

20120520_レビ記14-15

■レビ記14:57これは、どんなときにそれが汚れているのか、またどんなときにそれがきよいのかを教えるためである。これがツァラアトについてのおしえである。
★イスラエルの民にそのツァラアトが深刻な病気やカビであるか診断する方法を告げることによって、彼らが感染しないように、また対処できるように主はして下さいました。たとえこれらの律法の医学的根拠を全て民は知らなくても、定められた律法に従順することを通して命が守られたのです。愛の動機で語られる主の心をまず受け取り、神のことばに信頼し、従う者でありましょう。その信仰と従順が永遠の滅びからあなたを救います。

■レビ記15:32以上が、漏出のある者、また精を漏らして汚れた者、15:33また月のさわりで不浄の女、また男か女で漏出のある者、あるいは汚れている女と寝る男についてのおしえである。
★神様はあなたの健康について気遣って下さっています。人間の尊厳、からだの尊厳、性の尊厳、主はそれらを守って下さるお方です。健康ときよくあるという両方の意味において性交に高い意識を人が保つことを主は願われます。ヒデ

土曜日, 5月 19, 2012

20120519_レビ記11-13

■レビ記11:45わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」
主は一つ一つ汚れた食べ物を紹介し、最後にこのことばを語られます。身を守る鱗、すなわち神のことばを重んじ、ひづめの分かれた足を持つもの、それは世的なところにだけとどまるのではなく、信仰の高嶺にも登る事ができるものであって欲しいと、さまざま語られます。しかし同時に失敗の場合の赦しも語られています。新約に生きる私たちはすべて祈りによってきよめられるので、これらの規定に縛られる必要はありませんが、このスピリットは受け継ぎましょう。

■レビ記12:7祭司はこれを主の前にささげ、彼女のために贖いをしなさい。彼女はその出血からきよめられる。これが男の子でも、女の子でも、子を産む女についてのおしえである。
★全文をお読み下さい。ここから主がいかに婦人を尊び、守ろうとしているかを読み取ることができるでしょう。聖書はあなたに対する、全てここと同じ神様の愛と憐れみのメッセージです。受けとりましょう。滅ぼすためではなく、あなたが愛といのちに輝くためです。

■レビ記13:3祭司はそのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えているなら、それはツァラアトの患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。
★聖書は伝染性がありほとんどの場合、人を死に至らせるツァラアトについても規定します。その人を守り群れを守るためです。癒された時の群れへの復帰の道筋も明確です。全ては神様の愛の心です。ヒデ

金曜日, 5月 18, 2012

20120518_レビ記8-10

■レビ記8:6 それから、モーセはアロンとその子らを近づかせ、水で彼らを洗った。
★神様の一方的な選びと召しによってアロンの子孫が祭司の名誉と責任を負うことに。祭司とされた彼らは、人々がいけにえをささげるのを助ける前に、きよめられ、自らをささげなければなりませんでした。あなたもこの時代、神様によって祭司とされました。大切な人々の救いのために神様の前に取りなしましょう。

■レビ記9:23ついでモーセとアロンは会見の天幕に入り、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現れ、9:24主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。
★主の定めに従ってイスラエルが献げ物をしたとき、主は火をもって応えて下さいました。この時代、主は信者の心の内に聖霊の火を注ぎ、その心をきよめ愛に満たされます。このことを通して今の時代も世界は神様が生き働いておられることを知ることができるのです。

■レビ記10:1さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。10:2すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
★召し出された者の責任を思います。神様の前に混ざりもの。すなわち肉の欲をこめ、自分の考えに基づく献げ物はゆるされません。神様に仕える者は行いではなく、心の動機から問われるのです。愛はおうおうにして、自分の甘えを他者に強いても見えなくすることもあるかも知れません。さまざまな関係において他者を愛するゆえに自分が守るべき約束や義務がおろそかになっていないか点検してみましょう。ヒデ

木曜日, 5月 17, 2012

20120517_レビ記5-7

■レビ記5:4あるいは人が口で軽々しく、害になることでも益になることでも誓う場合、その人が軽々しく誓ったことがどんなことであれ、そのことを知ってはいたのに彼の目から隠れ、後でそれらの一つについて咎を覚える場合、5:5これらの一つについて咎を覚えるときは、犯した罪を告白しなさい。
★イエス様は「誓ってはならない。ただはいをはい、いいえをいいえとしなさい。それ以上は罪からくる」と語られました。あなたがもし、誓うことであなたの言葉を強めなければならないと感じるなら、あなたの誠意はどこかがおかしくなっていると警告するのです。告白を通して罪に陥る誘惑から自分を守れる恵みを感謝しましょう。

■レビ記6:12祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ、その上に全焼のいけにえを整え、和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい。6:13火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。
★祭壇の聖なる火は神様がおこされたものでした。あなたの内に聖なる思いへの情熱を与えられたのも主です。それを保ち続けるために用いられるのはあなたの意志と祈りです。肉の頑張りによってではなく、主の愛に対する感謝の応答として、内に頂いた聖なる思いを大切にし続けましょう。そのために誘惑から離れるのです。

■レビ記7:26また、あなたがたのどこの居住地においても、鳥でも動物でも、その血をいっさい食べてはならない。
★血はいのちの川であり、いのちは神様からの賜物です。ゆえにすべて神様に返されるもので人によって使われることがなかったのです。いのちを神様のために用いる生涯を意識しましょう。ヒデ

水曜日, 5月 16, 2012

20120516_レビ記1-4

■レビ記1:4その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。
★人はアダムの子孫として、いのちの贖いなしに神様の前にでることができない者との自覚がイスラエルを罪と裁きから守る事を教えます。自分をどんな者として自覚するかが問われます。残念ですが、行いによって神様に受け入れられるほど、人間の動機と行為は聖いものではありません。それを謙虚に受け入れ、いけにえをささげて神様の前に出るのです。

■レビ記2:11あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。
★主にささげる供え物にはまぜものがあってはならない。事実以上に大きく膨らまそうとするものがあってはならないと教えます。献げ物によって自分が崇められるようなささげ方をしてはなりません。

■レビ記3:2その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。
★神の小羊であるキリストは全人類の罪をその身に負うために、自ら十字架の上にいのちを捧げられました。ゆえに十字架を通って神様に近づく人をいつも救うことができるのです。

■レビ記4:3もし油そそがれた祭司が罪を犯し、民が咎を覚えるなら、その人は自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、罪のためのいけにえとして主にささげなければならない。
★良心の呵責なく生きることの尊さを教えます。ヒデ

火曜日, 5月 15, 2012

20120515_出エジプト39-40

■出エジプト39:6彼らは、しまめのうを、金のわくにはめ込み、これに印を彫るようにして、イスラエルの子らの名を彫った。39:7彼らはそれをエポデの肩当てにつけ、主がモーセに命じられたとおりに、イスラエルの子らの記念の石とした。
★祭司が身につけるエポデ、そこに刻まれたのはイスラエル12部族の名前です。あなたも神様によって召し出された神の皇太子。イエス様の胸にはあなたの名前が刻まれています。光り輝く宝石として。日ごとに天であなたのために父なる神様の前に出てとりなして下さるお方があることを感謝しましょう。聖書には「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(ヘブル7:25)と主の天上での働きを証します。

■出エジプト40:35モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。40:36イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。
★神様が命じられた通り、モーセと民が幕屋を備えたとき、神様は約束通りイスラエルの民の中に留まり、イスラエルと共に歩み始めて下さいました。いよいよ約束の地をめざしたイスラエルの神様中心の生活のスタートです。この生活のスタイルを通してイスラエルは、荒野においても食べるものに困ることなく、靴もすり切れず守られたのです。キーワードは神様をおいて勇み足になることなく、また、神様が進まれるのに、そこにとどまって自らを神とすることなくです。天国とはイエス様が共にいて下さるところ、主が共にいてくだされば荒野も御国に変えられます。ヒデ

月曜日, 5月 14, 2012

20120514_出エジプト36-38


■出エジプト36:3彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。
★聖所で仕える祭司の働きのために、イスラエルの人々は定められた以上の奉納物をささげようと、朝ごとにやって来ました。主への感謝の応答としての自発の心です。これがまさに朝の聖書通読、ディボーションの心です。あなたの内にかつてのイスラエルの民の内にあった同じ主を愛する心が与えられていることに感謝。

■出エジプト37:9ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。
★契約の箱の上の造りです。「贖いのふた」を一心に見つめるケルビムを通して、神様の関心が何かを鮮やかに示します。すわわちそれは罪の赦し。ひとりも滅びる事を願われず今も時を長くしている主の心です。急がれ、求められるのは福音宣教です。

■出エジプト38:3彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。
★主の幕屋の建設を託されたベツァルエルの取り組みです。ひとつひとつ忠実に働きを進めます。そしてその働きは神様の前に覚えられています。人の前にではありません。神様の前に最高の仕事をするのです。隠れた所も、人の目に映るところも同様です。人の関心に心奪われれば罠に陥ります。報いは主から与えられるのです。ヒデ

日曜日, 5月 13, 2012

20120513_出エジプト33-35

■出エジプト33:14すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」33:15それでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。33:16私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」
★民が金の子牛を造ったあとの出来事です。民を愛するモーセの姿。主とモーセの関係が鮮やかに描かれています。あなたがモーセのごとく立つところはどこでしょう。

■出エジプト34:29それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。
★二度目に授かった石の板「十戒」です。何と言う神様の憐れみ深さ。神様は悔い改める民に何度でも神のことばを授けて下さいます。人生はどこからでもやり直すことができ、かつ人を輝かさせるのは神のことばとの交わりです。

■出エジプト35:20イスラエル人の全会衆は、モーセの前から立ち去った。35:21感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。
★主の赦しに応答した人々の証しです。彼らは荒野を生きるために、共に心を合わせて主が臨在される幕屋の建設のための作業に取り掛かります。新約の時代。この地にも神の御国「支配」が、あなたという存在を通して広がりますように。ヒデ

土曜日, 5月 12, 2012

20120512_出エジプト30-32

■出エジプト30:37あなたが作る香は、それと同じ割合で自分自身のために作ってはならない。あなたは、それを主に対して聖なるものとしなければならない。30:38これと似たものを作って、これをかぐ者はだれでも、その民から断ち切られる。」
★主の前にささげる最も香りよき香。それを自分に向けて焚いてはならない。主におささげすべき栄光を自分にささげてはならない。すなわち主が受けとるべき栄光を自分が奪ってはならない。栄光は主のもの。「誇るものは主を誇れ」と言うことです。主が受けるべき栄光を奪おうとする者は自分自身が分からなくても、主とまわりの人には臭いと共に分かります。しかし本人は分からないからこそ、私たちは愛をもって指摘されなければならないのかも知れません。

■出エジプト31:14これは、あなたがたにとって聖なるものであるから、あなたがたはこの安息を守らなければならない。これを汚す者は必ず殺されなければならない。この安息中に仕事をする者は、だれでも、その民から断ち切られる。
★礼拝中でもカバンをあけ、仕事をしたくなる誘惑にかられる現代です。その真っ直中で主に心を向けるあなたは主の誇りです。

■出エジプト32:34しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け。見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく。」
★自分たちのために金の子牛を造ったイスラエルに怒りを抱いたモーセに対して、主が語られた言葉です。ここからも、やがての日に、今まで留めておいたすべての罪を裁かれ主の姿を垣間見ます。まさに「報復は私のすることである。」です。主が再び来られた時にそれは実現します。神様を畏れる者であり続けましょう。ヒデ

金曜日, 5月 11, 2012

20120511_出エジプト28-29

■出エジプト28:1あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、すなわち、アロンとその子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを、あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。
★祭司制度の誕生です。イスラエルの同胞を胸に抱き、神様の前に出て執り成す祭司。彼らだけが聖所の中に入ることをゆるされ、神様と民との間に立って仕えるのです。今やその働きは主の臨在を自らの内に宿すものとなったクリスチャンに託されました。あなたは祝福の祭司です。

■出エジプト29:42これは、主の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。
★主が語られる場所は契約の箱の上に置かれた『贖いのふた』の間だから、そこを翼で覆い一心に見つめるケルビムの間だから語られることを既に確認しました。祭司はその御声を聞くために聖所の中に入り、細き御声を聞くのです。その御声は一方通行ではありません。主は「そのところであなたと語る」と約束されました。語り合うために、さあ主はあなたを待っておられます。ヒデ

木曜日, 5月 10, 2012

20120510_出エジプト25-27

■出エジプト25:22わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。
★神様は約束の地に向かうイスラエルと、ご自身が共にあるために、聖所と契約の箱を造ることを指示します。上の御言葉は、そうするならと語られた御声です。主は『贖いのふた』から語られる方。すなわちそのメッセージは赦しです。あなたを訴えるものはサタン。人はヘビににらまれたカエルではありませんが、以外と不健康でありつつも主からの赦しを受けとるよりも、自虐的なサタンからの言葉を受け取り、自己憐憫の中に留まり続ける事も。あなたは『贖いのふた』の合いだから語られる主の御声によって生きるのです。

■出エジプト26:1幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。
★今度は聖所と契約の箱が収まる幕屋についての神様からの指示です。あの少年サムエルも、バプテスマのヨハネの父となったザカリヤもこの幕屋の中で主に仕えたのです。

■出エジプト27:1祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。27:2その四隅の上に角を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。
★祭壇とはいけにえの動物の血を注ぐために用意されたもの。民はここで主の前に出るとき、自らの罪深さを自覚したのです。あなたの赦しのためにはキリストの血の犠牲があったこと心に刻みましょう。ヒデ

水曜日, 5月 09, 2012

20120509_出エジプト22-24

■出エジプト22:2──もし、盗人が、抜け穴を掘って押し入るところを見つけられ、打たれて死んだなら、血の罪は打った者にはない。22:3もし、日が上っていれば、血の罪は打った者にある──盗みをした者は必ず償いをしなければならない。もし彼が何も持っていないなら、盗んだ物のために、彼自身が売られなければならない。
★約束の地カナンに向かうイスラエルの民の中に問題が生じた場合の一つの基準を主がモーセを通して示されます。起こってくる内容はさまざまであっても確認されることは同じです。他者に危害を及ぼしたものの動機は故意か偶然か。故意の場合は厳しく、それ相当に償いが求められ裁かれますが、故意でない場合は寛大な対応をしなければならないということです。

■出エジプト23:6あなたの貧しい兄弟が訴えられた場合、裁判を曲げてはならない。23:7偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはしないからである。23:8わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。

■出エジプト24:12主はモーセに仰せられた。「山へ行き、わたしのところに上り、そこにおれ。彼らを教えるために、わたしが書きしるしたおしえと命令の石の板をあなたに授けよう。」
★主は約束の民のためにはご自身のことばを必ず授けて下さいます。かつては石の板にでしたが今はあなたの心に刻みつけて下さいます。「登って来なさい」と語られる時、ひとりになることを躊躇せず主の前にでましょう。世々の聖徒はそこで細き主の御声にあずかり、主の臨在によって輝く生涯へと移されました。ヒデ

火曜日, 5月 08, 2012

20120508_出エジプト19-21

■出エジプト19:17モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。
★モーセがシナイ山で主から十戒を授かる前の話ですが、ここに神様に仕える働き人の歩みが。多くの人は実際の生活の安定を求めて、宿営に留まることを願うのかも知れません。変化よりむしろ安定への願いが強い場合があるからでしょう。しかし主に仕える働き人は、更なる祝福を民が主から受けとれるようにと召されます。人々は新約の祭司とされたあなたの生き方を見ています。

■出エジプト20:2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。20:3あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
★モーセがシナイ山の頂きで主から受けとった10の戒めの一つです。主は神様との関係と隣人との関係について戒めを与えられましたが、イエス様は、新約時代これを二つに集約されます。すなわち、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛せよ」です。そしてこの戒めは今の時代にも効力を持っています。

■出エジプト21:24目には目。歯には歯。手には手。足には足。……21:26自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをそこなった場合、その目の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。
★主から十戒を授かった民としての人の道を、主はモーセを通して語られます。「目には目を」とは人を悪意なく傷つけてしまったものが守られるようにとの戒めです。人の欲と憎しみは時に際限なく増殖します。神様はそうした力で神の民が動くことを願われないのです。いつの時代も自分の罪深い自我を十字架に付けて、人間関係を築くようにと主は願われます。ヒデ

月曜日, 5月 07, 2012

20120507_出エジプト16-18

■出エジプト16:2そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。16:3イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
★荒野で上の様な不信の言葉を民が語った時、主はイスラエルの日ごとの糧のために、天から「マナ」を降らせて下さいました。同時に民はこの恵みの中で試されます。神様に信頼するか否か。主は人のつぶやきを赦されました。人が自分自身どの様なものか深く理解させて下さるために。高ぶりと、不信の愚かさに気づく人は自分自身を救います。

■出エジプト17:11モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。
★アマレク人との戦いの一コマです。主はこれを記録として書き記せと命じられます。もちろん大切な教訓だからです。主はあなたの祈りを聞かれます。

■出エジプト18:17するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。18:18あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。
★重荷を負い合うことの尊さを主はイテロを遣わしモーセとイスラエルの民に諭させます。結果、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長が召し出され民に仕える事となります。あなたは一人で多くを抱えすぎて、見るべきものを見れない状況になっていませんか。ヒデ

日曜日, 5月 06, 2012

20120506_出エジプト13-15

■出エジプト13:19モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。
★いかにヨセフによってエジプトが飢饉から守られたことか、しかしそのことを知らない新しい王が生まれてから、イスラエルは400年間の奴隷生活をエジプトで強いられます。そんな中にあってもイスラエルの民を支えたのが、まさにこのヨセフの遺言でした。あなたの残りの地上の生涯が、このメッセージを深く刻み続けるものでありますように。

■出エジプト14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
★前には紅海、後ろはエジプトの戦車と、逃げ場を失ったイスラエルの民は、呪いとも言うべき苦々しい言葉をモーセにぶつけます。その時主が語られた言葉、それが上の御言葉です。時代は変わっても選びの民を絶対絶命の状態から救われるお方は変わりません。静まって主の救いを見る信仰に立ちましょう。

■出エジプト15:25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。
★一本の木とは、やがてのキリストの十字架を象徴します。十字架は投ぜられるそこを人が生きることのできる地とします。ヒデ

土曜日, 5月 05, 2012

20120505_出エジプト10-12

■出エジプト10:23三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。
★心頑ななパロに対して神様が次にモーセに命じられたことは、エジプト全土を闇で打つことです。しかし不思議、イスラエルの人々の住むゴシェン地には光があったのです。死を意味する闇を極端に嫌うエジプトの中で一際神様の臨在の輝きが際立ちます。

■出エジプト11:4モーセは言った。「主はこう仰せられます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。11:5エジプトの国の初子は、王座に着くパロの初子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。11:6そしてエジプト全土にわたって、大きな叫びが起こる。このようなことはかつてなく、また二度とないであろう。』
★なぜこれほどの試練を経験しなこれば、パロはイスラエルを去らせることが出来ないのか。ここに人の罪深さの現実が描かれます。イエス・キリストが成し遂げられた救いによって自我を十字架につける恵みが開かれたことを感謝しましょう。

■出エジプト12:13あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
★「鴨居に塗られた血を見て私は過ぎ越す」。その意味は裁き済みとの意です。信仰によってイエス・キリストを受け入れたあなたの全身にはキリストの血が塗られています。ゆえに神の御前における裁きの日においても、あなたは守られるのです。ヒデ

金曜日, 5月 04, 2012

20120504_出エジプト7-9

■出エジプト7:3わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。7:4パロがあなたがたの言うことを聞き入れないなら、わたしは、手をエジプトの上に置き、大きなさばきによって、わたしの集団、わたしの民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。
★エジプトの王パロは、主がモーセとアロンを用いて杖をヘビに、ナイル川の水を血に変えたとき、呪法師を用いて同じ事をなし、心を頑なにします。結局、主によらなくても私でもできるというのです。主の前でも、自らの損益に支配され、心頑なにする人の姿がパロの存在を通して浮き彫りとなります。

■出エジプト8:15ところが、パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主の言われたとおりである。
★今度はカエルとぶよの災いが、主の前に心頑ななパロの上に臨みます。そして彼の特長は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。そしてこの箇所のもう一つの特長はイスラエルとエジプトの民の間を区別して救いを置くと神様が宣言なさったことです。その救いは今あなたの上にも注がれています。

■出エジプト9:7パロは使いをやった。すると、イスラエル人の家畜は一頭も死んでいなかった。それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった。
★心頑なになるパロ。「……。それでも」でしょうか。「それだからこそ」でしょうか。状況がどうであれ、いえ悪くなれば悪くなる程に従いたくない。それがまさに強情の特長です。その結果、パロは最愛の息子を失います。自分は神様に取って変われない。この真理を心の底から受けとることが求められているのです。ヒデ

水曜日, 5月 02, 2012

20120503_出エジプト4-6

■出エジプト4:10モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」4:11主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。
★エジプトから民を脱出させた指導者モーセ。しかしモーセといえども恐れや、弱さのない人ではありません。人を強くされるお方は神様です。神様はあなたにも、あなたでなければなし得ない使命を与え、あなたを強く支えて下さるお方です。

■出エジプト5:2パロは答えた。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」
★「イスラエルを去らせよ」とのモーセの言葉に「主とはいったい何者か。私は主を知らない」とはエジプトの王パロの言葉です。いえ彼の本音は「私こそが主である」でした。しかし人はたとえどんな王国を築くことのできる王であっても、主にとって変わることはできません。結果パロは紅海の底に沈むのです。主を知ることに富む者でありましょう。

■出エジプト6:29主はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。わたしがあなたに話すことを、みな、エジプトの王パロに告げよ。」6:30しかしモーセは主の前に申し上げた。「ご覧ください。私は口べたです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。」
★神様にお仕えするために召し出された者が心に留めるべき教訓です。自分を見たら神様の使命を果たすことはできません。成し遂げさせて下さる主を仰ぐのです。ヒデ

20120502_出エジプト1-3

■出エジプト1:6そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。1:8さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
★結果イスラエルの苦難の生活がエジプトの地で始まります。しかしエジプトがイスラエルを虐げるようになった動機を見ますと「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」と、恐れと貪欲であることが分かります。恩を忘れる人になってはなりません。自分の内にある恐れの為に力で相手をねじ伏せる人になってはいけません。

■出エジプト2:10その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。
★多産のイスラエルを恐れたパロは男の子なら殺せと命令します。3ヶ月目となり隠しきれなくなったレビ人が赤子をナイル川に流した時、それをパロの娘が拾い上げるとは。乳母(実はモーセの産みの母)によって成長したヘブル人が王女の息子となったのです。その名はモーセ。

■出エジプト3:9見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。3:10今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
★何のためにモーセはナイル川から引き出されたのか。このことのためです。主はまたあなたをもこの世から引き出されました。ヒデ

火曜日, 5月 01, 2012

20120501_創世記48-50

■創世記48:21イスラエルはヨセフに言った。「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。
★父ヤコブが危ないと知らされたときヨセフは二人の息子を連れて父の元を訪れます。そこでヤコブはヨセフの子マナセとエフライムを祝福し、ヨセフに希望を与えます。すなわち約束の地であり、先祖の地であるカナンへの帰還です。あなたは大切な人の為にどんなメッセージをもっているでしょう。その為にどのように神様からの語りかけに耳を傾けているでしょう。

■創世記49:1ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。
★ヤコブの息子達への遺言が語られる章です。神様から託された12人の子供達への預言と、自らの願望を語ります。神様は確かにアブラハム、イサク、ヤコブと、ご自身の立てた選びの器を用いてみわざを進められました。それが証拠にここで預言されることがことごとく成就するのです。「押しのける者」ヤコブを召しだし、神の皇太子「イスラエル」と定められた神様のご計画がここに完成します。そして神様はあなたの人生も必ず完成へと導かれます。

■創世記50:24ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」50:25そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。
★人生いかに生きたか、そして何を残すか。人は生きたようにしか死ねません。ヨセフはここで希望を残します。それが神様と共に歩んだヨセフの生き様でした。ヒデ