木曜日, 5月 31, 2012

20120531_民数記11-13

■民数記11:10モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った。
★エジプトを出たのち、荒野を行く民の中に、かつてはただで肉やキュウリを食べることができたと欲望に駆られ大声で泣く者、また家族で涙を流すものがありました。その時の主とモーセの反応です。伝道者の書には「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。……泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。」と記されます。今朝、自らの涙を点検しましょう。自己憐憫のために流す涙は自らを滅ぼします。流す涙の中には止めるべき涙もあるのです。

■民数記12:10雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリヤムはツァラアトになり、雪のようになっていた。アロンがミリヤムのほうを振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。
★「神様はモーセとだけ話されるのか。私にも話されたではないか」とミリアムの妬みを主が聞かれたとき、上の御言葉のようになりました。妬みは骨を腐らせます。要注意です。

■民数記13:32彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。13:33そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
★約束の地カナンの偵察に遣わされたヨシュアとカレブ以外の反応です。彼らに有り、彼らになかったものがイスラエルの将来を大きく変えました。「恐れと信仰」は今も変わることのない神の民のテーマです。あなたの思いが恐れによって見るべきものを見失いませんように。ヒデ

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