水曜日, 9月 30, 2009

20090930_1歴代13-14_エゼキエル26_ルカ23

■1歴代13:3私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。」13:4すると全集団は、そうしようと言った。すべての民がそのことを正しいと見たからである。
★ここはサウル王の後イスラエルの王となったダビデが、なおペリシテ人に略奪されたままになっている契約の箱の事を憂い、民に「その箱を持ち替えろう」と語りかけた場面です。最も正しいことを正しいとし、神様への愛と人々の祝福の為に、勇気と決断と意志をもって語りかける事のできるダビデの素晴らしさを思います。あなたも神様にある平和を作り出す為に、主のご計画によって召し出されました。あなたが御心に立ち上がるなら、主がそれを支えて下さることをあなたはご存知ですか。

■エゼキエル26:20わたしがおまえを穴に下る者たちとともに昔の民のもとに下らせるとき、わたしはおまえを穴に下る者たちとともに、昔から廃墟であったような地下の国に住ませる。わたしが誉れを与える生ける者の地におまえが住めないようにするためだ。
★何たる恐怖。ここには主が神であることを認めない者が行くことが定められている地獄が明確です。救いの道が示され、神を畏れることを教えられている恵みを改めて噛み締め、感謝して受け取った恵みの中を歩みましょう。

■ルカ23:33「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
★直球勝負です。「イエスを十字架につけた」とありますが、誰がキリストを十字架に付けたのでしょう。他の誰でもないあなたです。そんなばかな失礼な、と心外なさいますか。それともアーメンと頷かれるでしょうか。しかしこれ以外に救いを受け取る方法が無いのです。主はアーメンと告白する全ての人のために、いえそれを否む人の為にさえ、十字架の上で「父よ。彼らをお赦しください。」と執り成して下さいました。主の赦しを受け取りましょう。そしてあなたは生きるのです。ヒデ

火曜日, 9月 29, 2009

20090929_1歴代12_エゼキエル25_ルカ22

■1歴代12:17そこで、ダビデは彼らの前に出て行き、彼らに答えて言った。「もし、あなたがたが穏やかな心で、私を助けるために私のもとに来たのなら、私の心はあなたがたと一つだ。もし、私の手に暴虐がないのに、私を欺いて、私の敵に渡すためなら、私たちの父祖の神が見て、おさばきくださるように。」
★上の言葉はサウルの王としてのあり方に納得が行かず、サウルに追われるダビデを慕い、訪れた勇士達に語ったダビデの言葉です。リーダーは自らの立場を明確にし、語るビジョンによって一致することの大切さを覚えましょう。決断力、実行力、あなたは他に何を加えますか。あなたが遣わされたその場において、祭司、預言者、王として主の祝福を注ぎ出す器でありますように。

■エゼキエル25:17わたしは憤って彼らを責め、ひどい復讐をする。彼らは、わたしが彼らに復讐するとき、わたしが主であることを知ろう。」
★主はかつて「私のしようとしていることをアブラハムに隠しておいてよいであろうか」と、どれほど彼を愛しているかを示されました。同様に主はここにおいても選びの民の前に御自身の考えを明らかにしておられます。そうです主はあなたを尊び愛して下さっているのです。

■ルカ22:32しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
★ここには弱さを覚える時にも共にいて下さる主の姿が明らかです。弱さを覚えることがあるのはあなただけでしょうか。いいえ。あなただけでは決してありません。むしろ主はあなたのその経験を通して、真の弱さの中にある人を助け励まそうとしておられるのです。そのためにも主と深く交わり遣わされましょう。あなたに対する主の信頼は絶大です。ヒデ

月曜日, 9月 28, 2009

20090928_1歴代11_エゼキエル24_ルカ21

■1歴代11:19言った。「そんなことをするなど、わが神の御前に、絶対にできません。これらいのちをかけた人たちの血が、私に飲めましょうか。彼らはいのちをかけてこれを運んで来たのです。」彼は、それを飲もうとはしなかった。三勇士は、このようなことをしたのである。
★ペリシテ人との激戦の中で思わずダビデ王が「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ。」と語ったとき、王のその願いを受けて、命を懸けてそれを実行したのがこの3勇士です。これ以降さまざまな場面で他の勇士も活躍しますが、その結論は常に「あの3人にはおよばなかった」との記述です。ダビデ王同様、主は命を懸けてその使命を成し遂げようとする人を御自身の胸に刻みつけ、その志を助けて下さるお方です。人の価値と人生の豊かさは、いかに多くを所有し消費したかではなく、いかに貢献したかで計られることを心に刻みましょう。

■ルカ21:33この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★これは有名なキリストの言葉ですが、語られた背景には「そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです」との再臨の強調と「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」との励ましがあるのです。さて、キリスト者の希望はどこにあるのでしょうか。その答えは、事実であるキリストの再臨と、その時なされる公平な神様の審判に備え、そこに立つ備えと励ましを、共にいて下さるイエス様から受ける事ができることです。ゆえにキリストは語られました。「見よ。私は世の終わりまであなたと共にいる」と。さあ、真実を語って下さるこのお方と共に、今日も一日始めましょう。ヒデ

日曜日, 9月 27, 2009

20090927_1歴代10_エゼキエル23_ルカ20

■1歴代10:13このように、サウルは主に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て、10:14主に尋ねなかった。それで、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された。
★このサウルの生涯の結末は「すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」との御言葉を思い出さされます。多くを受けようとする時、その責任も同様に重くなることを覚え、いたずらに人と比較したり立場を求めたりするものではなく、先ずは置かれた所で忠実に生きることの大切さを心に刻みましょう。

■ルカ20:25すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★ここは有名な一節です。キリストを思想犯として陥れるため「あえてカイザルに税を納めるべきか」と質問した相手に対し、主はデナリ銀貨を見せなさいと語り「カイザルの形はカイザルに、キリストにささげるべき神の形は神様の前にささげなさい」と語られたのです。コインには皇帝の形が刻まれていますが、あなたには神のかたちに似せて造られた「神の形」があるのです。そうです。だからこそ、あなたは真心からの礼拝を神様にささげ、祝福の生涯を生きるのです。あなたのうちにあるキリストの血潮によって贖われた神の形は、決して誰にも奪われてはなりません。主の恵みによって守り抜きましょう。ヒデ

土曜日, 9月 26, 2009

20090926_1歴代9_エゼキエル22_ルカ19

■ルカ19:8ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
★人々から嫌われていた取税人ザアカイの悔い改めで、信じがたい光景です。その変化は何によってもたらされたのでしょう。それは主が語られた言葉「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日あなたの家にとまることにしてあるから」との、主の彼への関心と受容の言葉でした。このところから、よく言われることですが、ただ愛だけが人を変化させることが可能なことを覚えましょう。さあ、あなたの心はこの朝、人に安全な居場所を提供できる準備ができているでしょうか。今日もまずキリストの中に隠れ込み「あなたは高価で尊い」とのみ声に預かり、平和を作り出す人としての整えを頂きましょう。主の愛はあなたにも、あなた家族にも友にも必要です。ヒデ

金曜日, 9月 25, 2009

20090925_1歴代8_エゼキエル21_ルカ18

■ルカ18:41彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。
★生まれ付き盲人であった人物は主が自分の町エリコに来たと聞くやいなや、主との出会いを切望し「主よ、私を憐れんで下さい」と叫びました。しかも彼には主がどこにおられるか分からないにも関わらずです。更にそれは弟子や群衆が止めさせようとしてでものことでした。何と感謝でしょう。彼の目に主は見えず、どこに向かって叫んで良いかも分からないにも関わらず、主の目には彼の姿と叫びがハッキリと見えていたのです。そして彼にとって最も適切な言葉「何をして欲しいのか」と、彼の飢え渇きを引き出す質問を投げかけて下さったのです。そしてその主の姿勢はあなたに対しても少しも変わりません。あなたはその質問に何と答えられますか。聖書は心の貧しい者は幸いである。天の御国はその人のものだからと記します。あなたの切なる求めが、あなたの生涯の渇きを、真に潤す飢え渇きでありますように。ヒデ

木曜日, 9月 24, 2009

20090924_1歴代7_エゼキエル20_ルカ17

■ルカ17:18神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」17:19それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
★当時の社会でかかってしまったなら将来の全ての夢を絶ちきられてしまう重い皮膚病「ツァラアト」。何とサマリヤの町の10人の患者たちは、主が来られたとのうわさを聞き付けた時、命がけで「主よ、憐れんで下さい」と叫び主に近づいたのです。その結果、信じがたい事が……。主が命じられたとおりに祭司に身体を見せに行こうとする途中、彼らは全て癒されたのです。その後、彼らはどうしたでしょう。聖書は9人のその後については語らず、一人の人物は癒されたその喜びを胸に、主を礼拝するために帰って来たと言うのです。その時、主が返された応答が上の「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです」でした。
ここから教えられること、それはどれほど多くの人は目に見える癒しや不思議という恵みを頂いたとしても、主ご自身を頂くことなく主の元を過ぎ去ってしまうものかと言うことです。福音の本質とは主ご自身に与ることであることを心に刻みましょう。そして「安心して行きなさい」との安息の中に生きるのです。ヒデ

水曜日, 9月 23, 2009

20090923_1歴代6_エゼキエル19_ルカ16

■ルカ16:10小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。16:11ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
★十字架の上で命さえも惜しみなく与え尽くして下さった主は、命のみならず、ご自身の持てる全ての祝福を、ご自身の血潮によって贖った民に与えたくてしかたありません。けれども受け取る側の受け取り方によっては、必ずしも、全てのものが祝福となる訳ではないのです。むしろ正しく管理できる以上の恵みが与えられる時、それは私たちの誘惑となり、私たちを滅ぼす事となるのです。そこで主が見られるものに信者の「不正の富み」(この地上の富みの意味)の用い方が。
決してうばうためではなく、より多くのものを管理させたい。祝福を受け取らせたいとの父なる神様のはらわたを知りましょう。ゆえに小事に忠実な者とならせて頂きましょう。今日も主はあなたの動機を見て喜んで下さるお方です。ヒデ

火曜日, 9月 22, 2009

20090922_1歴代5_エゼキエル18_ルカ15

■1歴代誌5:24彼らの一族のかしらたちは次のとおり。エフェル、イシュイ、エリエル、アズリエル、エレミヤ、ホダブヤ、ヤフディエル。この人たちは、勇士であり、名のある人々であって、彼らの一族のかしらであった。5:25ところが、彼らは、その父祖の神に対して不信の罪を犯し、神が彼らの前からぬぐい去って滅ぼされたその地の民の神々を慕って不貞を犯した。
★マナセの半部族の勇士であり、名のある人々。しかし彼らは神々を慕う不貞の罪を犯したと語るのです。聖書は「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」と、時代を越えて私たちにも警告します。弱さのない人は誰もいません。また与えられている賜物がいつの間にかおごりになることのないように主を仰ぎましょう。

■エゼキエル18:31あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。18:32わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。神である主の御告げだから、悔い改めて、生きよ。★主の御心は余りにも明確です。あなたに生きて欲しいのです。霊を殺すのは罪。だから告白によって罪をあなたの心の中から放り出すのです。主はそれを受け止め、あなたの心に赦しと平安を一杯に満たされます。

■ルカ15:8また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。★主のあなたへの愛は「見つけるまで」の愛です。そこには諦め妥協はありません。どんな時にも決してあなたは一人でも孤独でもないのです。主の心の真ん中にはいつもあなたがあるのです。さあこの愛をこの朝も受け取って始めましょう。あなたは当然主の愛の中におるべき大切な人なのですから。ヒデ

月曜日, 9月 21, 2009

20090921_1歴代4_エゼキエル17_ルカ13-14

■1歴代誌4:10ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
★ここでユダ族の系図は、誰か誰を生んだかの紹介に殆ど留まりますが、このヤベツについては、主が彼の願いに答えて下さったことがあえて紹介されています。なぜでしょう。聖書の「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」が心に響きます。あなたは大いに祝福を受け、地上でも成功を収め、試みに合わせず悪よりお救い下さいと祈ってよいのです。主を愛する者が主にあって祝福を受けること、それは御心であることを受け取りましょう。

■エゼキエル17:23わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。17:24 このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行う。」
★あなたは主によって高められる木となるために召し出されました。そして人々はあなたのまわりに憩うのです。誰も留められません。主がそう語られ、主がそうなさるのですから。

■ルカ13:16この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」13:17こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。
★いのちが優先される事が本来の姿である事は分かりつつも闇の力に縛られ身動きが取れない中で必要なのは、キリストにある癒しと解放の宣言です。その実行者として期待され召し出されたのは誰でしょう。あなたです。信じて一歩踏み出すとき、そこにあるのが主の助け。神様の御心に生きるためさあ勇気を振り絞りましょう。ヒデ

日曜日, 9月 20, 2009

20090920_1歴代3_エゼキエル16_ルカ12

■1歴代誌3:1ヘブロンで生まれたダビデの子は次のとおりである。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人アビガイルによるダニエル。
★ダビデは神様がお与え下さるその恵みに「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」と、その感謝を神様にあらわします。しかしそうしたダビデも、王位継承の時期に父としてつらい中を通らされるのです。その原因の全てではないにしてもここには重大な理由が明らかです。それはダビデが愛した女性の多さ。一人の人を生涯愛することの恵みを覚えましょう。そして何より生涯を掛けて一人の主を愛するためにあなたはキリストの血潮によって贖い出されたのです。

■ルカ12:6五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。12:7それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
★あなたは他の何ものとも較べることのできない私にとっての特別な存在なんだ。これが神様のあなたへのメッセージ。思い煩うことを止めましょう。その思いはあなたの後ろに投げ捨てるのです。そして主の愛を真っ直ぐに受け取りましょう。そう「私は神様にとって誇りの存在。喜びの存在なんだ」と。そして立ち上がるのです。事実そうなのですから。キリストはそれを示すため十字架の上でいのちを注ぎだし取りなして下さったのです。このキリストの愛を信じ、仰いで受け取り、あなたは生きるのです。ハレルヤ!ヒデ

土曜日, 9月 19, 2009

20090919_1歴代2_エゼキエル15_ルカ11

■1歴代誌2:1イスラエルの子は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、……2:3ユダの子は、エル、オナン、シェラ。この三人は、カナンの女シュアの娘から彼に生まれた。しかし、ユダの長子エルは主の目の前に悪を行ったため、主が彼を殺された。
★2章から4章まではイスラエルの系図の中でも特にユダ族について語られます。ダビデを生み出し、ダビデの子孫としてキリストを生み出したユダ族。その特徴は讃美にありました。あなたはどんな時、讃美をささげますか。彼らはどんな時にも12部族の中でまず先頭に立って神を誉め讃えたのです。状況に支配されるものではなく、神様への讃美は状況を変える事を可能にします。その良き信仰に倣いましょう。

■ルカ11:26そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」
★なぜ偶像礼拝や占いをしてはならないのでしょうか。それは人を祝福では無く滅びに向かわせ、最終的には自ら行くことが既に決まっている地獄に、偶像礼拝や占いに心を開いた人々を引きずり込もうとする汚れた霊とそのリーダーサタンが存在するからです。これは事実です。認めなければなりません。ゆえにそうした者と結んだ関係と契約をキリストの御名によって断ち切るのです。神様の前に具体的に言葉に出して告白し、その罪を認め悔い改め、キリストをあなたの心に迎えるのです。その時御子イエスの血はすべての罪からあなたを聖め、あなたの生涯はそれ以降、内側おられるキリストの霊によって守られ、祝福の人生へと導かれるのです。いたずらに恐れる必要はありません。キリストは既に悪魔の業を打ち砕かれたのです。ヒデ

金曜日, 9月 18, 2009

20090918_1歴代1_エゼキエル14_ルカ10

■1歴代誌1:1アダム、セツ、エノシュ、1:2ケナン、マハラルエル、エレデ、1:3エノク、メトシェラ、レメク、1:4ノア、セム、ハム、それにヤペテ。
★歴代誌に入りました。1-9章までは淡々とイスラエルの系図が紹介されます。が、今日の私たちには無味乾燥で退屈なもののようにも思われます。しかし、このアダムから始められた系図を通し、神の選びと召しは変わることがないことを改めて教えられ、一羽のすずめも神様のみゆるしなしには地に落ちることはないと言われる中、私たちの生涯の歩みについても、神様の前にはしっかりと記録されていることを感じます。そう、あなたは神様の御計画に基づき、御旨のよしとされるところに基づいて創造されたのです。もう一度、神様にとってあなたのスペアーはどこにもないことを心に刻みましょう。

■エゼキエル14:3「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。
★偶像を顔の前に置いては主が見えません。うしろに投げすてるのです。そして栄光から栄光へと変えられて行きましょう。

■ルカ10:42しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
★主から、直々の弁護を受けたマリヤ。何と幸せなことでしょう。主は御自身につけるものをとことんまで弁護して下さるお方です。それは死の川並を渡る時さえも。良いほうとは、何をしたかというよりも、いかなる思いでそれを為したかとの心の姿勢にあることを覚えましょう。そう私たちは生きるにも死ぬにもただキリストの御名が崇められますようにと、主に礼拝を捧げつつ歩むのです。主はあなたの良き動機を受け止め励まして下さるお方です。ヒデ

木曜日, 9月 17, 2009

20090917_2列王24-25_エゼキエル13_ルカ9

■2列王25:27ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、彼とともにいた王たちの位よりも高くした。25:29彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。25:30彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。
★遂に南ユダ王国の滅びです。国は完全にバビロンに捕囚されてしまったのです。サタンがキリストを滅ぼそうと語った、荒野の誘惑の一節が心に浮かびます。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」。確かにユダの王エホヤキンはバビロンの王と共に食事をする特権が。しかし彼は自由を奪われ、夢、使命、誇りを奪われ、バビロンの王の言いなりで、その手の上で踊らされる存在になったのです。これが偶像礼拝者の行き着く終着駅で、その生涯の最後は虚しい奴隷です。間違ってはなりません。あなたはキリストにあって王なる祭司、神の預言者、キリストの花嫁として召し出され、その誇りは誰にも奪われてはならないのです。贖い主なる唯一の主キリストを崇めましょう。

■エゼキエル13:10実に、彼らは、平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。
★赦しがなければ、人は自分自身の汚れと弱さに向き合うことができず、問題の部分を何もないかの如くに誤魔化し、フタをする以外できません。主はしっくいを塗って問題を誤魔化すのではなく、その問題の部分にあなたが向き合い、キリストの前でその課題を開き、キリストの赦しの血潮を受けるように願われるお方です。どんな時にもキリストの赦しの中であなたは生きるのです。そのために召し出されました。そしてあなたは真実と赦しの中で輝くのです。

■ルカ9:16するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに与えられた。
★問題を祝福に変える方法。それは課題を神様の前に持ち出し感謝することです。神様の御目の中心、そこにあなたがいるのです。ヒデ

水曜日, 9月 16, 2009

20090916_2列王22-23_エゼキエル12_ルカ8

■2列王23:2王は主の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民のすべて、祭司と預言者、および、下の者も上の者も、すべての民が彼とともに行った。そこで彼は、主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。
★主から決定的な滅びの宣告を受けた南ユダ王国。しかし神様はその憤りを思い直されました。一体なにがあったのでしょう。そこには、神殿における神の言葉「モーセの律法の書」の発見があったのです。新たに南ユダの王となったヨシヤ。彼はあれ廃れた神殿の修復工事を命じましたが、その時大祭司ヒルキヤが見つけ、それを聞いたヨシヤは上の御言葉の様に、すべての民の前でその神様の言葉を読み聞かせたのです。そしてイスラエルの滅びの歴史は変えられました。「神の言葉の発見」の持つ意味と力の大きさを心に刻みましょう。あなたは神様による変化を求めますか。それは神の言葉の発見から始まります。神の言葉に飢え渇きましょう。

■ルカ8:18だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
★同じ神の言葉に耳を傾けても、成長する人と成長しない人のあることを主は明確に語られます。なぜでしょう。すべての人が豊かに実を結ぶ生涯を生きることが可能であり、主がそれを望まれるからです。ではその秘訣とは、それは、よい土地に種を蒔くことだと主は語られます。土地とは心をあらわし、種とは神様の御言葉を意味します。ポイントは最初からよい土地はありません。石地の石を取り除き、生い茂るいばらを取り除き、継続的に耕し続ける事でよい土地とされて行くのです。神の言葉を柔らかな心で受け取りましょう。受け取りやすい心となるように主に求めましょう。神様が喜ばれるものは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神様は、それをさげすまれません。ヒデ

火曜日, 9月 15, 2009

20090915_2列王21_エゼキエル11_ルカ7

■2列王21:3彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。
★父ヒゼキヤに変わって南ユダ王国の王に12歳でなったマナセ。彼は何と残念かな、父がなした宗教改革路線を変更し、それまでほとんどの王達がそうした様にバアルとアシュラに仕えるため、その像を築き直すのです。いえ、それだけではありません。自分の子供を人身御供とし、幼児犠牲を求める偶像モレクにさえ仕え、更にはまじない、霊媒、口寄せまでしたのです。イチローは極度のプレッシャーと恐怖の中にあってもバットに向かい9年連続200本安打を達成しました。マナセはそのプレッシャーと恐怖の中で偶像に逃げたのです。私たちが向かう所はどんな時にも主であることを覚えましょう。主は「だれか自分の命をかけてわたしに近づく者があろうか」と語りかけ、それを願い、その人を大きく用い祝福することを願っておられるお方です。

■エゼキエル11:19わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
★人に批判されないようにと動く自己保身の心は内向きで、他者と関係を築くことができません。しかし主は聖霊にあってあなたを肯定し、あなたの心を他者と関係を築き祝福するものに変えると約束されるお方です。十字架からあふれ出るキリストのいのちの豊かさの中に今一度飛び込みましょう。

■ルカ7:47だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」7:48そして女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。
★人々が求めているのは赦しです。あなたの人格と言葉から、今日もキリストにある赦しが溢れ流れ出ますように。いってらっしゃい。ヒデ

月曜日, 9月 14, 2009

20090914_2列王20_エゼキエル10_ルカ6

■2列王20:5「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。20:6わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。』」
★上の御言葉はユダの王ヒゼキヤが病にかかり主に癒しを求めたとき、主が預言者イザヤを通してヒゼキヤに語り返して下さった言葉です。主はあなたの涙と叫びと祈りと願いに応えて下さるお方。その痛みと憂いを理解し慰め、あなたの内側に新たな力を注いで下さるお方です。ヒゼキヤはこの時同時に迫り来るアッシリヤ帝国の脅威の中、バビロンと反アッシリヤ同盟を結び汚点を残しますが、いつまでも、どこまでも心を尽くして私たちが拠り頼むべきは主であることを心に刻みましょう。

■ルカ6:37さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。6:38与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
★これは「リンゴは木から落ちる」のニュートンの法則ではありません。霊の法則です。法則とは何でしょう。それは一定の条件のもとで、必ず成立する物事相互の関係です。人は様々な法則を理解し、それを有効利用し豊かさに与りますが、果たして霊の法則はどうでしょう。法則とはこちらが認めず否定しても、なお法則として存在するもの。この事を理解し今日も一日、良き刈り取りを期待して良き種を蒔きましょう。ヒデ

日曜日, 9月 13, 2009

20090913_2列王19_エゼキエル9_ルカ5

■2列王19:20アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』
★神様はヒゼキヤ王の捧げた祈りゆえにアッシリヤからイスラエルを救われました。さてヒゼキヤはどんな祈りを捧げたのでしょうか。聖書は彼が主の前に以下の様に祈ったことを記します。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたアッシリヤの王セナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。しかし、それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。しかし私たちの神であられる、主よ。あなたは生きておられるお方です。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」
即ち主の主権と御力を認め、神様の正面に存在を懸けて立ち、心を注ぎだして祈ったのです。そして主はあなたの祈りも聞かれるのです。

■ルカ5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★ここには主の祝福を受ける秘訣が鮮やかです。「……でした。でもお言葉どおり、……してみましょう。」その時、人はキリストが神であり、キリストの言葉には力があることを体験し、始めて畏れるべき神様を知ることができるのです。またこれ以外信仰生活の原点はありません。キリストと人を競べたり、キリストと自分の考えを競べたりそれは愚かです。まず従いましょう。あなたが今立っているところはすでに全能者の愛の御手の中なのですから。ヒデ

土曜日, 9月 12, 2009

20090912_2列王18_エゼキエル8_ルカ4

■2列王18:29王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを私の手から救い出すことはできない。18:30ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。
★ここには神様に敵対する霊、サタンの働きが明確です。ユダの王の中でヒゼキヤは「彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行い、高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒した」と、神様に従順する姿勢を明確にした数少ない王でした。ですから、それを止めさせようとする霊の働きも人一番強いのは当然で、サタンは大国アッシリヤの王を用いてヒゼキヤに揺さぶりを掛けたのです。主に従順しようとするものは必ず揺さぶられます。しかしその試練の中で動機が試され錬られ不動の者とされるのです。主のあなたへの期待を胸にサタンの業を打ち砕き、神様と共に御心を成し遂げる人になりましょう。

■ルカ4:42朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。4:43しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」
★主の悪霊も黙らせる御力とその麗しいご人格ゆえに多くの人は主と共にいたいと思い、主が自分たちの町から出て行かないよう引き留めました。主と共にあるために何かいい方法はないのでしょうか。あります。自分の所に主を留めようとするのではなく、あなたが自分の心の町囲みを取り除き、主に従うようにするのです。主によって栄光から栄光へと変えられて行く人生ほど祝福に満ちたものはありません。従いましょう。ならばあなたは主によって創られるのです。ヒデ

金曜日, 9月 11, 2009

20090911_2列王17_エゼキエル7_ルカ3

■2列王17:21主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムは、イスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。17:22イスラエルの人々は、ヤロブアムの犯したすべての罪に歩み、それをやめなかったので、17:23ついに、主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。
★ヤロブアムの罪とは人々の心を主に向けさせようとするのではなく、むしろ自分が王であり続けられるようにとの目的で偶像をサマリヤに設置したものでした。その結果として遂にイスラエルはアッシリヤに捕囚の民として捕らえ移されてしまうのです。何と自分の目先の欲やメンツに縛られることは後々の子孫にまで呪いと災いをもたらすことでしょう。偶像礼拝の目的は結局のところ自己保身です。あなたは、あなた自身とあなたの愛する者の将来のため、担ぎ上げ、造りだそうとする偶像礼拝への思いを断固聖別する必要があるのです。

■ルカ3:4「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。3:5すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。3:6こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」
★旧約聖書に預言された救いの招き。まさにこの預言の成就のためにキリストは来られました。このお方によってあなたの生涯の谷間の部分は癒しを受け、曲がった部分はまっすぐに修復され、神様の御力とみ恵みの豊かさを反映する器とされるのです。さあ主を仰ぎましょう。今日ひと日のためにも主はあなたのために既に祝福を備えて下さっているのですから。ヒデ

木曜日, 9月 10, 2009

20090910_2列王16_エゼキエル6_ルカ2

■2列王16:7アハズは使者たちをアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から私を救ってください。」
★主が忌み嫌われる偶像礼拝によって、自分の子供を生け贄として祭壇の上で焼くことまでしたユダの王アハズは、試練の時、結局まことの主に拠り頼むのではなく、人にへつらい、人に頼む者へと堕ちました。ここに偶像礼拝の恐ろしさの本質があるのです。軽い気持ちで始めた偶像礼拝であったとしても、それは人にとって真により頼むべきものを見えなくさせてしまい、まことの救いの道を閉ざすものなのです。主より愛するものを持つこと、それが偶像礼拝です。そして、それはあなたを救うことができません。自分の命を救うため、断じて聖別することが祝福です。

■ルカ2:49するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
★これはイエス様の少年時代が描かれた唯一の記述です。イエス様が宮もうでで迷子になってしまったと思った両親がイエス様を見つけた時、少年イエスは両親にこう語られたのです。そしてこの後イエス様は両親と共にガリラヤに下り、公生涯に立ち上がる時まで両親に仕えるのです。この時点でさえ、宮の中心で、集う教師達を驚かす知恵を持ったイエス様。ではいったいどうして神の御子たるこのお方が、異邦人のガリラヤと呼ばれる所に下ることを甘んじ、両親に仕えることができたのでしょうか。その秘訣がここにはあるのです。自分は「天の父」から遣わされたとの明確な自覚。それがここの答えです。あなたは遣わされた所においてピースメーカーですか。それともトラブルメーカーですか。「天の父」から遣わされた自覚が、あなたの置かれたところで、あなたをなくてはならない器へと形づくるのです。今日もあなたが遣わされた所に一緒に行って下さる主を意識し、さあ一日を始めましょう。ヒデ

水曜日, 9月 09, 2009

20090909_2列王15_エゼキエル5_ルカ1

■2列王15:24彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
★ソロモン王の後イスラエルは北イスラエル(ヤラベアム王)と南ユダ(レハベアム王)に分かれましたが、ほとんどの王について同様の記述がなされているのは上の御言葉と「その他の業績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている」との表現です。ではここから教えられることは何でしょう。それは王なる祭司として召し出されたあなたの記録も、天で「命の書」に名前が記されているのと同様、その業績、行いが全て記されていると言うことです。そして、普通に生活するならば、先祖の罪に埋没し、私たちは神様の前に事を成し遂げられないと言うことです。列王紀の中で事を為した王はわずかで、彼らはみな置かれた状況で主を見上げことを心に留めましょう。変わる為には、変える為には、主を見上げて上から力を頂く必要があるのです。

■エゼキエル5:12あなたの三分の一はあなたのうちで疫病で死ぬか、あるいは、ききんで滅び、三分の一はあなたの回りで剣に倒れ、残りの三分の一を、わたしは四方に散らし、剣を抜いて彼らのあとを追う。
★神を畏れないイスラエルにエゼキエルを通して語られた言葉が上の言葉です。日本の為に祈りましょう。為政者・国家の様々なリーダーが神を畏れることを。疫病や飢饉や災害で国が打たれることがないように。

■ルカ1:64 すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
★この背後には「その名はヨハネ」と主の御使いが命じた通りに幼子の名を名付けたゼカリヤの姿があることを忘れてはなりません。人ではなく、どんなときにも主が命じられたことを忠実に貫くことが人生の祝福の秘訣です。あなたの今日一日が流されることのない祝福の日となりますように。ヒデ

火曜日, 9月 08, 2009

20090908_2列王14_エゼキエル4_2コリント12-13

■2列王14:10あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。」
★エドム人との戦いに勝利を収めたユダの王アマツヤは気を大きくしてイスラエルの王ヨアシュに「さあ、勝敗を決めようではないか」と挑発の言葉をぶつけます。その時イスラエルの王ヨアシュから帰って来た言葉が上の御言葉であり「レバノンのあざみが、レバノンの杉に使者を送って、『あなたの娘を私の息子の嫁にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった」との言葉です。人は何と自分が見えず思い上がりやすく、感謝を忘れやすいものでしょう。そして結局彼は、自ら治める民に愛想つかされ、謀反によって命を絶たれてしまうのです。いつの時代も高ぶる者は退けられ、へりくだる者に恵みが注がれることは真理です。

■2コリント12:9しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
★人が本来の生き方、即ちキリストにあって「生かされている人生の目的」を神様と共に成し遂げようとする時、聖書は弱さは全く問題や障害となることはないと語ります。にも関わらず人は多くの場合、「弱さ」に劣等感を抱いたり負い目を感じたりするのでしょう。聖書はその原因を自分の栄光を求めることにあると語ります。自分を誇る生き方ではなく、私の為に死んで甦って下さったイエス様を誇る価値観にあなたの心が貫かれますように。なぜならそれ以外、人の心に真に満足を与えてくれる価値観はありませんし、主は既にあなたのために、御国においてあなた用の命の冠を用意して下さっているお方なのですから。ヒデ

月曜日, 9月 07, 2009

20090907_2列王13_エゼキエル3_2コリント10-11

■2列王13:19神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」
★イスラエルの王ヨアシュはアラムとの戦いの導きを求めて神の預言者エリシャのもとに。エリシャは「弓を取り地面を打て」と預言的言葉をヨアシュに語ります。そしてヨアシュが3度地面を打って止めた時、エリシャは上のことばをヨアシュ王に向かって語ったのです。あなたは神様から「せよ」と語られたことを2、3回実行し、それで満足してしまっているとこがありませんか。あるいは成し遂げるべきものを2、3回の挑戦して、それでもうまく行かない時、そのまま諦めてしまっていることはありませんか。主は「更に打て、諦めるな。私があなたを助ける」と語られるお方そして、あなたの信仰を用いて、歴史を変えられるお方です。

■エゼキエル3:17「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。3:18わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。
★厳粛です。主はキリストの血によって贖われた私たちに対して「あなたはこの世の見張り人である」と語られ、責任があると語られるのです。だからこそ私たちは曇りのない神の御心を日毎にしっかり受け取る必要があるのです。

■2コリント10:7あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
★人は自分の以外見え難くなることがあります。しかし、こうした言葉を主から掛けられるあなたは主の期待の中にあると言うことです。今日も世の光、地の塩として、味のある歩みをさせて頂きましょう。あなたは主の誇りの器です。ヒデ

日曜日, 9月 06, 2009

20090906_2列王11-12_エゼキエル2_2コリント8-9

■2列王12:15また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである。
★ヨアシュ王の時代に立てられた祭司達は神の宮の修理についてさえも不忠実で、その働きを取り上げられてしまいます。しかし、実際に仕えた石工や石切り工たちは残高を勘定する必要もないほどに、彼らの忠実さゆえ信頼されたのです。主は「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」と語られ、忠実な人生を生きようとする人の中から人を召し出されるお方です。人の目ではありません、内側を見られる神様の前に呵責のない生き方をこの朝も選び取りましょう。

■エゼキエル2:1その方は私に仰せられた。「人の子よ。立ち上がれ。わたしがあなたに語るから。」
★神の言葉とは聞き従う備えの出来た人の心に豊かに語られます。語られたなら、信仰をもって立ち上がりましょう。必ず主はあなたを支えて下さいます。

■2コリント8:9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
★これが福音の本質です。そう、主はご自身の持てる全てを、持てるもののみならず命さえもおしみなく注ぎだして下さいました。そしてその恵みをあなたは、ただ信仰によって受け取る事が出来るのです。あなたが富む者となるためにとの御心の成就のため、さあ、心を開いて今キリストを心の内にお迎えしましょう。ヒデ

土曜日, 9月 05, 2009

20090905_2列王10_エゼキエル1_2コリント5-7

■2列王10:28このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。10:29ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。
★バアル崇拝によってイスラエルに混乱をもたらしたアハブ王とその妻イゼベル、および彼らの子供達70人には呵責のない裁きを下したエフー。しかしそんな彼であってもサマリヤに祭壇をつくった先祖ヤロブラムの罪、金の子牛礼拝を止めることはできませんでした。あなたは家系に流れる罪を知っていますか。それはそれぞれの家によって異なりますが、一つのパターンのあることを否めません。主はそのためにも十字架の上で救いを完成して下さいました。自分ではどうしようもない罪が示されたなら、それだからこそ必要だった十字架の恵みを覚え、その愛の中に積極的に飛び込み癒しを受け取る者でありましょう。

■2コリント5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。★このところからクリスチャンの人生の価値観とは、どれほど多くのものを獲得し使うことができるかと言う、消費の人生ではなく、与えられた命をいかに神様と人にとって意味あるものとして、注ぎだし貢献できたかにあることを覚えましょう。クリスチャンの「死んで甦った方のために」との人生の目的は明確で、新たに考える必要はないのです。与えられ生かされているあなたの地上の生涯が、迷うことなく御心を成し遂げるものでありますように。ヒデ

金曜日, 9月 04, 2009

20090904_2列王9_哀歌5_2コリント3-4

■2列王9:6エフーは立って、家に入った。そこで若い者は油をエフーの頭にそそいで言った。「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、主の民イスラエルの王とする。9:7あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された主のすべてのしもべたちの血の復讐をする。
★イスラエルに混乱をもたらすバアルに仕える悪妻イゼベルとその夫アハブの悪政に義憤を感じていたエフー。神様はそんなエフーに「アハブの子ヨラム王を打ち殺しなさい」と。その時エフーは即座にヨラム王を討つ計画を実行するのです。神様は御自身の民の内面の汚れや、不道徳な行動について、「それを討ちなさい。明け渡しなさい」と指摘し私たちを罪から解放して下さろうとするお方です。エフーは即座に従い神様の祝福を受けましたが、さてあなたはいかがでしょう。従順をもって神様の備えたもう祝福を受け取るものでありましょう。

■1コリント3:7それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
★パウロは語ります。教会とはどんなところでしょう。それはただ天のお父様と私たちの罪のために死んで甦ってくださったイエス様を心一杯誉めたたえ、希望を神様に向けるところです。ですから高ぶるものは引き下ろされ、謙る者には恵みが主より注がれるのです。さてそこで質問です。あなたが今日一日責任を負うべきお方は誰ですか。聖書は「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」と語ります。主を恐れるあなたの心に主が自由の霊を豊かに注ぎ今日一日を祝福の中に導かれますように。ヒデ

木曜日, 9月 03, 2009

20090903_2列王8_哀歌4_2コリント1-2

■2列王8:5彼が王に、死人を生き返らせたあのことを話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。そこで、ゲハジは言った。「王さま。これがその女です。これが、エリシャが生き返らせたその子どもです。」8:6王が彼女に尋ねると、彼女は王にそのことを話した。そこで、王は彼女のためにひとりの宦官に命じて言った。「彼女の物は全部返してやりなさい。それに、彼女がこの地を離れた日から、きょうまでの畑の収穫もみな、返してやりなさい。」
★なんと不思議なことでしょう。イスラエルの王がエリシャの功績を語って欲しいとエリシャの僕ゲハジから聞いているとき、まさに今ゲハジが王に語ったその証詞の婦人が自分の家と畑の困窮の解決を求め王の前に訪れたのです。結果。王は特別な計らいをこの婦人に与えます。しかし聖書を見るとこの婦人はかつて神の預言者エリシャに好意を示し、助けた経緯があったのです。主は昔も今も「最も小さい者の一人にしたのはすなわち私にしたのである」とあなたの愛と善意に酬いて下さるお方です。ゆえに聖書は「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」と語るのです。

■2コリント2:10もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
★神様は御自身の僕パウロを通してここで祝福を受ける赦しの法則を明らかにします。赦しとは、赦しを選び取った後は裁きは神様に委ねることですよと、パウロはそれを「キリストの前で赦したのです」と表現します。単に心の思いの中だけでなく、あなたの赦しは、その結果が相手への愛の行動となって証しされるほどとなることが望ましいと語るのです。赦さない者の足もとをサタンは巧妙な策略をもってすくおうとしますが、キリストの御前で赦す者には歯が立ちません。サタンのわざを愛によって打ち砕きましょう。赦しを選び取る人に注がれる神様の酬いは測り知ることが出来ません。ヒデ

水曜日, 9月 02, 2009

20090902_2列王7_哀歌3_1コリント16

■2列王7:9彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
★アラムの全軍に包囲されたイスラエル、結果城壁から一歩も外に出られなくなったイスラエルは極度の食料不足に見舞われ、サマリヤの城壁内では婦人が産み落とした子供を煮て食べるといった悲惨が。そうした中、重い皮膚病にかかりイスラエル社会から締め出された4人はどっちにしても死ぬなら、敵アラムの陣営に行って憐れみを求めよう。ヒョッとすると生かしておいてくれるかも。ところが行って見ると実際はアラムの全軍はどんな大きな軍隊に襲われたのかと思うほど、着るべき物、食べるべき物もそのままに慌てふためいて逃げ去っているではありませんか。上の言葉は、腹を満たし、奪えるものは奪おうとする中、我に返った4人が語った言葉です。
しかし、神様はこのことについて、誰も信じませんでしたが預言者エリシャを用いて「明日の今頃、全てのものがただで手に入り飢饉は解消されるだろう」と預言していたのです。
即ち困難の中にあればあるほどに神の言葉にこそ耳を傾ける価値を覚えましょう。神の言葉は、語られた通りに事を成し遂げるのです。しかも人々に実質ある希望をもたらす良き知らせは既にキリストによって成し遂げられているのですから。

■哀歌3:22私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。
★それぞれに御言葉そのものを味わいましょう。主の祝福を祈ります。ヒデ

火曜日, 9月 01, 2009

20090901_2列王6_哀歌2_1コリント15

■2列王6:16すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。6:17そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
★アラムの王がイスラエルを倒そうと密室で策略を練るにも関わらず、果たしてどうしたことでしょう。立てた計画はことごとくイスラエルの王に筒抜けです。誰かスパイがいるのかと叫ぶアラムの王。何とその時、家来の一人はイスラエルの預言者エリシャの耳にはあなたが寝室で語られることでも筒抜けなのですと語ります。憤ったアラムの王はエリシャを討伐する軍隊をおくり、突然彼らがエリシャの召使の前に明け方あらわれた時、召使いは怖じ恐れますが、その時エリシャが語った言葉が上の御言葉です。あなたは知っていますか。神を畏れ、神を愛し、信頼する人のまわりには神様が御使いを送り、火の馬と戦車を持って、あなたに敵が手を掛ける事の出来ないように守って下さることを。私の霊の目を開いて下さいと祈りましょう。

■1コリント15:9私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。15:10ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
★上の言葉は主の弟子パウノの告白です。そう誰でもその生涯において主に敵対し、主の御心を痛めることもあるのです。しかし、パウロはたとえそれであっても、神の恵みは私を成長させ、私の人生を完成して下さいますと語ります。主に赦されて、主を信じて仰ぐ信仰。これこそがあなたを生かす信仰です。ハレルヤ。ヒデ