木曜日, 9月 03, 2009

20090903_2列王8_哀歌4_2コリント1-2

■2列王8:5彼が王に、死人を生き返らせたあのことを話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。そこで、ゲハジは言った。「王さま。これがその女です。これが、エリシャが生き返らせたその子どもです。」8:6王が彼女に尋ねると、彼女は王にそのことを話した。そこで、王は彼女のためにひとりの宦官に命じて言った。「彼女の物は全部返してやりなさい。それに、彼女がこの地を離れた日から、きょうまでの畑の収穫もみな、返してやりなさい。」
★なんと不思議なことでしょう。イスラエルの王がエリシャの功績を語って欲しいとエリシャの僕ゲハジから聞いているとき、まさに今ゲハジが王に語ったその証詞の婦人が自分の家と畑の困窮の解決を求め王の前に訪れたのです。結果。王は特別な計らいをこの婦人に与えます。しかし聖書を見るとこの婦人はかつて神の預言者エリシャに好意を示し、助けた経緯があったのです。主は昔も今も「最も小さい者の一人にしたのはすなわち私にしたのである」とあなたの愛と善意に酬いて下さるお方です。ゆえに聖書は「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」と語るのです。

■2コリント2:10もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
★神様は御自身の僕パウロを通してここで祝福を受ける赦しの法則を明らかにします。赦しとは、赦しを選び取った後は裁きは神様に委ねることですよと、パウロはそれを「キリストの前で赦したのです」と表現します。単に心の思いの中だけでなく、あなたの赦しは、その結果が相手への愛の行動となって証しされるほどとなることが望ましいと語るのです。赦さない者の足もとをサタンは巧妙な策略をもってすくおうとしますが、キリストの御前で赦す者には歯が立ちません。サタンのわざを愛によって打ち砕きましょう。赦しを選び取る人に注がれる神様の酬いは測り知ることが出来ません。ヒデ

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