木曜日, 6月 30, 2011

20110630_申命31_詩篇40_1コリント1

■申命31:7ついでモーセはヨシュアを呼び寄せ、イスラエルのすべての人々の目の前で、彼に言った。「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の先祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。
★約束の地を前に「あなたは、このヨルダンを渡ることができない」と主から言われたモーセはそれで腐ることもなく上の御言葉の通りに行動します。ここから人が最後になすべき重要な働きの一つが何であるかが明らかです。バトンタッチです。皆の前でヨシュアを立て、ヨシュアを励ますモーセとは何と偉大な指導者でしょう。バトンが渡されなければ、その働きはそこで終わります。人を育てることがあなたがなすべき最大の働きです。しかしこれも自我を十字架につけなければ出来ないことで、多くの場合、このところで人は失敗します。

■詩篇40:7そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。40:8わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
★子なる神、イエス様はこの祈りを持って受肉なさいました。

■コリント1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
★にもかかわらず「私はパウロにつく」「私はアポロに」、おまけに私はあなた方とは一段格が違うんだと言わんばかりに「私はキリストにつく」と言う者さえ起こってくるとは。この個人的好みで神様の賜物を選り好みし、それに寄りかかり自己実現を目指そうとする依存体質には終止符が打たれなければなりません。私たちを召し出されたのは他でもない真実な神様ご自身なのですから。ヒデ

水曜日, 6月 29, 2011

20110629_申命28_ガラテヤ6

■申命28:11主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。28:12主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。
★この章では、これから入る約束の地で、主に従う者への祝福と、従わない者への呪いが記されています。その特徴は驚くばかりの祝福か、あるいは恐ろしさゆえに目を覆いたくなるほどの呪いです。と言うことは主に従いつつも試みの中にある人がありますか。その人は格別の主のご愛の御手の中にあると言うことです。いたずらに思い悩み、自分を苦しめるよりも、主の愛に信頼し、主を見あげ、自らなすべきことに力を注ぎましょう。必ず主はあなたを不動の者として練り鍛え、高くあげて下さいます。

■ガラテヤ6:15割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。6:16どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。
★ここで本当の祝福とは何かが明らかにされました。それは変われること。人は命がなければ自分を守るために自分に固執し、変わることは出来ませんし変わりたいとも願いません。それどころかそれをもとめられるなら猛反発の心でいっぱいになります。それが否定し得ないこの世の現実。しかし、主の愛に満たされた者はキリストに似るために変われることが喜びとなるのです。あなたの上に栄光の霊が注がれています。ハレルヤ!ヒデ

火曜日, 6月 28, 2011

20110628_申命26_ガラテヤ5

■申命26:18きょう、主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、26:19主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。
★主がここで命じられた律法は悪いものではなくよいもので、約束の地における当然の基準となるべきものです。しかしそこに自分の力では生きれないのが罪人である人間です。しかしここで驚きは「あなたは主の宝の民」の表現の位置づけです。民が律法を守れば「宝の民」でしょうか。いいえ、守る、守らないの前に、既に主は「あなたは宝の民」とイスラエルに宣言しておられます。同様にあなたは「主の宝の民」とされました。

■ガラテヤ5:1キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。5:2よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。
★今朝の申命記と同じテーマです。良き行いは神様に認めて頂くための条件ではありません。良き行いでご主人様に求められるのは奴隷です。ではイスラエルは、そしてあなたは奴隷でしょうか。いいえ。主はあなたを子とするために召し出されたのです。あなたは神様に愛されています。そして赦されています。これは事実です。受け取りましょう。そして、「……しなければ認めてもらえない。だから頑張らざるを得ない」から解放されましょう。むしろ主の愛に対する感謝の応答として神様と人への貢献の人生を歩むのです。ヒデ

月曜日, 6月 27, 2011

20110627_申命23_ガラテヤ4

■申命23:19金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。23:20外国人から利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない。それは、あなたが、入って行って、所有しようとしている地で、あなたの神、主が、あなたの手のわざのすべてを祝福されるためである。
★ここには「入って行って、所有しようとしている地で祝福されるため」に、神様との関係において、また人との関係において大切なことが何かを告げられます。さけるべき偶像礼拝。衛生面で清潔に保つべきこと。金銭の貸し借りについて等。そして最後に主は「23:24隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。23:25隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない。」と貪欲に警戒すべきを告げられます。お互いの生活を吟味しましょう。

■ガラテヤ4:19私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
★この書のテーマは律法と福音です。そして私たちの内にさえキリストの形を造るものは、お互いの内に「赦された。私は主に愛されている」を実感させる福音であることを明確にします。しかし、どうでしょう。その恵みを避けて、元の奴隷生活に惹かれる人があるとパウロは心痛めるのです。自分の行いに寄り頼む生き方の行き着く先は傲慢と滅び。しかし福音に生かされる場合の行き先は感謝と喜び平安です。福音に生かされましょう。ヒデ

日曜日, 6月 26, 2011

20110626_申命20_ガラテヤ3

■申命20:3彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。20:4共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」
★かつてエジプトを脱出する時も、イスラエルが紅海に面し、後ろからファラオの軍勢が追ってきたとき、主はモーセを通して民に「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」と語られました。ご自身の血潮の代価によってあなたを贖われた主は、あなたのために立ち上がり、あなたを救われるのです。あなたはこれを信じることが出来ますか。できるなら、あなたが今朝やめなければならない肉策、我策はありませんか。

■ガラテヤ3:23信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。3:24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。3:25しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
★罪についての正しい認識がなければ、人は神様がくださる赦しについて飢え乾きさえおこりません。しかし神様が私の脇において下さった律法ゆえに、私たちは罪の指摘を受け、悔い改め、罪の告白、キリストの救いへの信仰、赦しへと今や至りました。すべてが恵みです。もはや律法のもとに帰る必要はありません。この恵み、キリストにとどまり生きましょう。ヒデ

土曜日, 6月 25, 2011

20110625_申命18_詩篇38_ガラテヤ2

■申命18:6もし、ひとりのレビ人が、自分の住んでいたイスラエルのうちのどの町囲みのうちからでも出て、主の選ぶ場所に行きたいなら、望むままに行くことができる。
★レビ部族の祭司たちは約束の地においても相続地は与えられていませんでした。なぜなら彼らの嗣業は主ご自身だからです。しかし、その働き場については自由なことがここに記されます。その理由は、彼らは各部族に仕えるために召し出されたのではなく、主に仕えるため、しかも唯一なる神様に仕えるために召し出されたからです。この視点が失われると部族主義、現代では教派主義、マイチャーチ主義に陥り、心は内向きになり力を失います。心の向きをこの朝点検しましょう。新約の祭司である私たちは皆、この地上に神様の支配をもたらすために、御国の拡大のために召し出されました。

■38:1主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。……38:4私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。
★主のもとに行きましょう。そこには赦しがありますから。

■ガラテヤ2:14しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
★パウロは自分のためではなく、福音が曲げられることに怒りました。あなたは何の為に怒りますか。この章の中心聖句「わたしはキリストと共に十字架に付けられた」が、そこで輝きます。ヒデ

金曜日, 6月 24, 2011

20110624_申命15_ガラテヤ1

■申命15:7あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。……15:9あなたは心に邪念をいだき、「第七年、免除の年が近づいた」と言って、貧しい兄弟に物惜しみして、これに何も与えないことのないように気をつけなさい。その人があなたのことで主に訴えるなら、あなたは有罪となる。
★こうして主はエジプトから脱出したイスラエルの民は、決して孤立した人の寄り集まりではなく、神様によって召し出された共同体であることを示されます。神様の理想は高いです。召し出されたお互いも、この世の誘惑は強いですが、志を高く、主に愛されているものとして、神の民と共に生きる道を選びとり続けましょう。

■ガラテヤ1:6私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。1:7ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。1:8しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
★主の弟子パウロがこの章で2回繰り返す「その者はのろわれるべき」の真意は何でしょう。福音が福音としてその人の生涯を変革し、祝福するものであって欲しい。そのために正しく伝えられ、また受け取られるものであって欲しいとのそれでした。福音理解において、あなたはそれが腹の底までストンと落ちましたか。ヒデ

木曜日, 6月 23, 2011

20110623_申命10-11_マルコ16

■申命11:26見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。11:27もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、11:28もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。
★約束の地とはエジプト時代の様に自分で種を蒔かなければならないのではなく、山と谷の地であり、天の雨で潤い、多くの果樹が自然に実る地。そう、それは丁度エデンの園のようなところです。その自由な環境で問われるのは何でしょう。それが主への愛です。アダムは、イスラエルは、その恵みの中で失敗しました。あなたの主への感謝はどうですか。自由の中でこそそれが問われます。

■マルコ16:15それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。16:16信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。16:17信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、16:18蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
★これが復活の主が弟子たちに語られた命令と約束です。教会はこれをお題目にするのではなく、生きることが求められています。そうでなければ主が生けるお方であることを体験することは中中困難です。あなたは主をまだ知らない人に手を置いて、その人の祝福のために祈ったことはありますか。ヒデ

水曜日, 6月 22, 2011

20110622_申命8_マルコ15

■申命8:16あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった8:17あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。
★約束の地を前に主が様々にイスラエルを諭す場面でが、その結論は高ぶるならば滅びる、しかも必ず滅びると警告するのです。「私の力ではありません。主の恵みです。」と告白しましょう。自分しか見えない人は「全部私がやった」と言うのを耳にします。しかし神様とまわりの人の支えによって、今日あるを得ていることを悟る人は「私ではありません」と、主に栄光をお返しします。約束の地とは神様が褒めたたえられる地です。その時、あなたに最大、最高の恵みが注がれます。

■マルコ15:33さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。15:34そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
★いざと言うとき自分の救いを最優先にする人には人は救えません。罪のないイエス様です。そして御使いに命じてこの十字架からさえ降りることの出来た、力あるひとり子なる神イエス様です。罪のないこのお方が人類に変わって神様の罰を受け、その罪を一身に担って神様に捨てられる。捨てられるはずのないお方が捨てられ、捨てられて当然の罪人の救いの道が開かれる。これが聖書の救いのメッセージの土台です。すでに裁きは終わったのです。キリストの十字架のゆえにあなたは赦されました。感謝しこの恵みを受け取りましょう。ヒデ

火曜日, 6月 21, 2011

20110621_申命5_詩篇43_マルコ14

■申命5:32あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。右にも左にもそれてはならない。5:33あなたがたの神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、しあわせになり、あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。
★約束の地を前にしたこの時、主はもう一度イスラエルの民にモーセを通して十戒を示されます。しかもそれは何の為かを明確にして。ただそれはあなたが幸せになるため。人が人として幸せになるためには、人にまさる権威者からの、間違いのない不偏の戒めがあることは幸いです。与えて下さる主の動機は愛です。その愛を受け取って、約束の地で祝福となりましょう。

■詩篇43:5わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。

■マルコ14:36またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
★ゲッセマネの園の祈りです。主がこの祈りで勝利して下さったので、私たちの救いが開かれました。十字架すなわちゴルゴダの前には、霊的ゲッセマネがあります。隠れたところで勝利すれば、公にも勝利できます。主との交わりがいのちです。肝に銘じましょう。ヒデ

月曜日, 6月 20, 2011

20110620_申命4_詩篇36_マルコ13

■申命4:33あなたのように、火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きていた民があっただろうか。4:34あるいは、あなたがたの神、主が、エジプトにおいてあなたの目の前で、あなたがたのためになさったように、試みと、しるしと、不思議と、戦いと、力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力とをもって、一つの国民を他の国民の中から取って、あえてご自身のものとされた神があったであろうか。4:35あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であって、ほかには神はないことを、あなたが知るためであった。
★間違いありません。 あなたは神様の選びによって召し出され、導かれ、祝福されています。不思議をなすことのできる生きておられる主が、あなたを愛しておられます。このお方に聞き従いましょう。

■詩篇36:9いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。36:10注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人に。

■マルコ13:5そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。13:6わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
★戦争に地震、終末の足音を感じます。そこには家庭崩壊も含みます。その時どんな前兆が、との弟子の質問に、主は上のみ言葉を語られます。人に騙されてはなりません。あなたを救いうるのは神たるキリスト以外にないのです。森はかつて無知ゆえ文鮮明に騙されました。どうか愛する人に伝えて下さい。救いは、人となって来られ、その人の為にも十字架にかかって下さったキリスト以外にないことを。お願いします。ヒデ

日曜日, 6月 19, 2011

20110619_申命1_マルコ12

■1:6私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。1:7向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。1:8見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」
★約束の地を前にモーセは、主から民を奮い立たすようにと上の言葉をさずかります。いかがでしょう。「向きを変えて」とは、あなたにも必要な御言葉ですか。チャンスを恵みによって備えて下さるのは主。それを掴むのはあなたです。立ち上がりましょう。その時あなたの前にあるヨルダン川はせき止められます。

■マルコ12:16彼らは持って来た。そこでイエスは彼らに言われた。「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。12:17するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
★ご自身を陥れようとした者たちに、主はこれには誰の肖像が彫られているかと尋ねます。カイザルのかたちです。ならカイザルに返せば良い。ではあなたの内はどんな形に似せて彫られているのか。聖書は『神のかたち』に似せて創られたと語ります。主はそれを神様の御心に従ってささげなさいと言われるのです。なぜでしょう。その時あなたの存在が輝くからです。本来の創造の目的が果たされるから。喜びに満たされるからです。ヒデ

土曜日, 6月 18, 2011

20110618_民数35@33-34_マルコ11

■民数35:33あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。35:34あなたがたは、自分たちの住む土地、すなわち、わたし自身がそのうちに宿る土地を汚してはならない。主であるわたしが、イスラエル人の真ん中に宿るからである。」
★約束の地とは他でもない、主が真ん中にいて下さる地です。そこがたとえ地獄であったとしても主が共にいて下さるなら天国。そこがたとえ天国であっても、主がおられず、自らを神とする人々が集う場所なら、そこは地獄と変わります。誰と人生を共に歩もうと決断するか、それであなたの人生は決まります。祈りましょう。そして間違いのない選択をしましょう。

■マルコ11:3もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」11:4そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。11:5すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」11:6弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
★時満ちた主のエルサレム入場の出来事です。主は戦車にではなく『柔和・平和』の象徴であるロバの子を用いられます。幾人かの主人の所有の子ロバですが、彼らはそれを許します。あなた自身はどうですか。あなたと、あなたの生涯を主の働きのために、喜んで明け渡し、所有権を委ねることができますか。所有権の主張の思いは、内側からも外側からも訪れますが、それを主に許すのです。『貢献』の勝利の人生はそこからがスタートです。ヒデ

金曜日, 6月 17, 2011

20110617_民数32_マルコ10

■民数32:2ガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来て、次のように言った。32:4これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」32:5また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」
★このガド族とルベン族、何と言うことか、親たちの不信仰のゆえに、約束の地をまえに40年荒野に留まることを強いられ、やっと入れると言うこの時に、私たちは約束の地の手前のこの地に留まらせて下さいとは。普通のリーダーならキレルところでしょう。しかしモーセは忍耐深く彼らの考えを聞き、「全ての部族が約束の地で所有を得るまで、私たちは共に戦うことを誓います」のことばに寛容を示します。そりゃ強い信仰に超したことはないでしょう。しかしそれぞれ違うのです。憐れみは裁きに打ち勝ちます。またガド族とルベン族が最後までその責任を果たしたことも省略する訳には行きません。果たしたのです。

■マルコ10:27イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
★聖書は『イエスはじっと見て』と記します。見ていたのは誰ですか。そう弟子たちで、それはあなたです。だから少なくとも自分に関して、自分で自分を見て諦めることはやめましょう。それより立たせて下さり、完成して下さる主を見上げるのです。ヒデ

木曜日, 6月 16, 2011

20110616_民数30_マルコ9

■民数30:2人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。
★この章にはまたこうも記されます。「30:14もし夫が日々、その妻に全く何も言わなければ、夫は彼女のすべての誓願、あるいは、すべての物断ちを有効にする。彼がそれを聞いた日に彼女に何も言わなかったので、彼はそれを有効にしたのである。30:15もし夫がそれを聞いて後、それを破棄してしまうなら、夫が彼女の咎を負う。」と。夫婦も家族も神の家族も、互いに責任を負い合う関係に召されています。かつてアダムの息子カインは弟に「知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」と無関心を告白しましたが、あなたは大切な人たちの願いを知る努力をしていますか。何も言わない無関心、すなわち愛の無さは神の家族にとって罪です。

■マルコ9:38ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」9:39しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。9:40わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
★「やめさせました」の弟子の言葉は、自分たちこそが正統、正しいとの心の現れでしょう。しかし主は、それがあまりに強いと関係を壊し、働きが進まないことを語られます。またその言葉は視野の狭さの表れです。主は弟子たちの内にあるおごりのためにも祈って下さっているのですね。恵みは水と一緒、低いところ、すなわち謙るものに注がれます。ヒデ

水曜日, 6月 15, 2011

20110615_民数29@40_マルコ8

■民数29:40モーセは、主がモーセに命じられたとおりを、イスラエル人に告げた。
★この29章には、いかに礼拝をささげるべきかの規定、罪の赦しを受け取るために必要な様々な規定等が紹介されていますが、それは全て主が語られたことで、モーセはそれを民に忠実に告げたことが紹介されます。鍵の言葉は「主がモーセに命じられたとおりを……告げた」です。畏るべきお方へのピントがずれたり、自分の力が増し加わるとき、人は残念かな、神の言葉に自らの思いを付け加えたり、差し引いたり、裁判においては、力あるものには必要以上に強く当たったり、弱いものには、たとえ弱いものでも加えてはならない憐れみを加えたりと、コントロールの力が働きます。虐待のはじまりもここからでしょう。地上の誰よりも柔和な人と主から呼ばれたモーセの姿勢から学びましょう。

■マルコ8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
★イエス様はここで明確に自分の命とは何かを語られます。それは守るものではなく使うもの。このことがぼかされると人生の目的である「貢献」から離れ、必要以上の健康志向や個人主義に陥り、空しい人生の終わりを迎えます。ろうそくはいのちをすり減らして輝きます。神様は使い残したお互いのいのちは数えられません。貢献の為にあなた自身がすり減らしたいのちを数え、それに酬いを加えて下さるお方です。偽りのこの世の価値観に騙されることなく、決断と信仰をもって世の光として輝きましょう。ヒデ

火曜日, 6月 14, 2011

20110614_民数27@12-23_1コリント13

■民数27:12ついで主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。27:13それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。
★こうして主から、自らの使命の終わりと死期が近づいたことを教えられたモーセは「ひとりの人を会衆の上に定め、彼が、彼らに先立って出て行き、彼らに先立って入り、また彼らを連れ出し、彼らを入らせるようにしてください。主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください。」と、主の前にとりなします。自らの齢がながらえることでも、約束の地まで私をリーダーとして立て続けて下さいとのプライドでもありません。最後に何を求めるか。細かい、あるいは上手な解説がなくても、それでその人の心は明らかです。あなたの願い、あなたの友、それがあなたの心です。そして主の願いは「父よ彼らをお赦し下さい」でした。

■1コリント13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、13:6不正を喜ばずに真理を喜びます。13:7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。13:8愛は決して絶えることがありません。
★上の御言葉でお互いの愛を点検しましょう。あなたの愛はどこに向かっていますか。自分自身ですか。あるいは自分の分身ですか。それとも神様ですか。神の言葉がなければ、人はうぬぼれから自分を救うことが出来ません。しかし私たちはこの神様の言葉で救われます。キリストの内に置かれ、与えられている恵に感謝しましょう。ヒデ

月曜日, 6月 13, 2011

20110613_マルコ6

■マルコ6:2安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。6:3この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
★「つまづいた」とありますが、つまづく人は何を見ているのでしょう。外見です。しかし内側を見る人は、その人の内にある「神のかたち」に感動や畏敬の念さえ覚えます。そして不思議ですが、感動や畏敬の念を覚える人は、たとえそれがどんな人であっても、その人の内側にある神のかたちを探り、目を留め、そこから教えられるのです。結局のところつまずく人は相手「その人自身」ではなく、自分の内側で持つ、その人に対するイメージと実際を比較し、勝手に失望したり、思い込んで喜んだりするだけなんですね。どんな人からも教えられる人生に飢え乾きましょう。その価値観はあなたを豊かにします。ヒデ

日曜日, 6月 12, 2011

20110612_詩篇28_マルコ5

■詩篇28:3どうか、悪者どもや不法を行う者どもといっしょに、私をかたづけないでください。彼らは隣人と平和を語りながら、その心には悪があるのです。28:4彼らのすることと、彼らの行う悪にしたがって、彼らに報いてください。その手のしわざにしたがって彼らに報い、その仕打ちに報復してください。
★あなたもダビデ同様、不当にあなたを苦しめる者のために、神様の前に心をぶちまけ、注ぎ出しましょう。しかし報復は主に委ねなければなりません。なぜならそれを間違いなくできるのは主以外にないからです。どんな時にも高慢の霊に支配されないよう、お祈りします。

■マルコ5:34そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
★主はあなたにも「娘よ」と語りかけられるお方です。病のために医者に掛かるはずが、さんざん医者に苦しめられるとはどうしたことでしょう。しかしそれがこの世の現実です。そんなこの婦人のために主は、私の着物を触ったのは誰かと、立ち止まられ、肉体のみならず彼女の霊においても癒やしを与え、更には彼女のために、そこに共同体さえ作り出そうとしたのです。主が留まられるところ、そこに教会は誕生します。そこに奇跡が起こります。そしてあなたが主の御名によって2、3人で集まるとき、主はそこにも立ち止まり、いて下さるお方です。この婦人の個人の生涯の祝福に関心を持ち、あなた個人の生涯の祝福にも関心をもって下さるお方。それが主です。ヒデ

土曜日, 6月 11, 2011

20110611_詩篇29_マルコ4

■詩篇29:10主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。29:11主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。
★創世記1:7-8に「神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。1:8神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。」とありますが、既にこの時から、いえこれ以前、天地が創られる前から、主はご自身の民、すなわちあなたの祝福の計画を抱いて下さっているお方です。安んじましょう。主の御手の中で憩いましょう。あなたは主の平安を遠慮することなく受け取っていいのです。

■マルコ4:38ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」4:39イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
★主に従う生涯とは必ずしも、嵐のない順風満帆の人生が約束されるわけでは有りませんで、たとえ嵐の中を通ることがあっても、主はそこで、奇跡をもってあなたを救い出して下さるお方であることを体験すると共に、あなたが人であることを教えられる人生です。弟子たちは「私が溺れて死にそうでも何とも思わないのですか」と語ります。それで良いのです。しかし弟子たちはそこに留まらず、主の不思議を拝するために目を上げました。
仰ぎましょう。そして生きましょう。主は語られました。「私を仰ぎ見て生きよ」。ヒデ

金曜日, 6月 10, 2011

20110610_民数14

■民数14:1全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。14:2イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。
★昨日の続きの箇所です。ヨシュアとカレブ以外の族長の消極的なことばに支配されたイスラエルの人々は、上の御言葉のように止めどなく呟きます。これが神の言葉から離れた人間の姿です。神様は「与える」と語られました。しかし、サタンは様々な形で人に働きかけ、不信仰と高慢のいずれかを持って、神の言葉から人を引き離そうとするのです。あの創世記3章、サタンがエバを誘惑したときと同じです。覚えましょう。神の言葉から人が離れたら、この世とサタンの誘惑に勝つ術のないことを。ヒデ

木曜日, 6月 09, 2011

20110609_民数13

■民数13:1主はモーセに告げて仰せられた。13:2「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」
★こうして遣わされた族長たちが帰って来てモーセと会衆の前に報告したのが以下の言葉です。13:27彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。13:28しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。」……13:30そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」13:31しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」13:32 彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。……私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
この結果イスラエルは僅か数十日で約束の地カナンに入るはずでしたが、40十年間荒野を放浪することになりました。彼らは自分がイナゴのように感じた、に留まるならいざ知らず、アナク人もそう見たに違いないとさえ語り、無責任な恐れを増幅し、民の心を挫きます。信仰とは何でしょう。不信仰とは何でしょう。神様はこの地を与えると約束下さっていました。あなたはここから何を教訓として学びますか。ヒデ

水曜日, 6月 08, 2011

20110608_詩篇27_マルコ1

■詩篇27:1主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。27:2悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。27:3たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
★ダビデはここで「それにも、私は動じない。」と宣言します。なぜでしょう。続いて彼は「私は一つのことを主に願った。」とありますが、それが答えです。人は真に畏れるべきものを畏れるときに、あらゆるすべての恐れから解放されることができるのです。本人もなかなか気づくことはありませんが、人が取る行動の多くは、過去に経験した恐れが、その人の内で隠されたトラウマとなり、それを回避するための行動をするようになり、その原因は恐れです。あなたは真の自由と解放を得るために、一つのものを畏れて歩んでいますか。

■マルコ1:7彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。1:8私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」
★今日からマルコの福音書です。その冒頭の言葉が上の御言葉で、キリストがいかなるお方かを示します。使徒行伝19章でパウロがアポロに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えたとありますが、あなたは聖霊のバプテスマを知っていますか。体験なさったなら理屈抜きでお分かりでしょう。まだならば主に求めませんか。秘訣は祈りと悔い改めと信仰です。恐れが焼かれ、霊の世界が変わります。ヒデ

火曜日, 6月 07, 2011

20110607_民数9@15-23_使徒28

■民数9:15幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。9:17雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立った。そして、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していた。9:23彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。
★出エジプトしたイスラエルが約束の地に向かって歩む時、持ち続けた価値観が上の「どんな時にも主の臨在と共に」でした。私たちが持ち続けるべき価値観は「イエス様ならこの時どうなさるだろうか」との「イエス様中心」です。しかもイスラエルは事実、その基準に生きたのです。「イエス様中心」が絵に描いた餅に終わらないように、主の助けを求めましょう。

■使徒28:30こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、28:31大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
★使徒行伝の最後の章の最後の部分です。不当な訴えゆえに、自らの信仰をカイザルの前で弁明する道を選ばざるを得なくなったパウロ。それゆえ彼は遂にローマに登りました。上の御言葉は、彼のそこでの生活の紹介ですが、置かれた所で、神の国を宣べ伝え、キリストを証しする彼のライフスタイルは変わりません。キリストにある不偏の価値観を自分のものとしましょう。その人は生涯それによって支えられ、約束の御国を手にします。ヒデ

月曜日, 6月 06, 2011

20110606_詩篇23_使徒27

■詩篇23:4たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
★マーガレット・フッラシュバックパワーズ氏の詩「あしあと」を思い出しました。
ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出されていた。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。

■使徒27:23昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、27:24こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
★もしあなたの生涯に超自然的な印やわざが起こっても不思議がってはなりません。それは一人も滅びる事を願われない主の力の現れです。イエス・キリストの名によって吟味し、受け取りましょう。ヒデ

日曜日, 6月 05, 2011

20110605_民数6@24-26_詩篇22@8-11_使徒26

■民数6:24『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。6:25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。6:26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
★主は上の祈りを、祭司アロンとその子孫に促すとき、「あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。」と語られました。そして今や十字架の恵みのゆえに贖われたあなたも、アロン同様、人を祝福する事ができるのですよ。

■詩篇22:8「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」22:9しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。22:10生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。22:11どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。
★叫び祈ってみましょう。「あなたは私の神です。助ける者がないのです」と。

■使徒26:27アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」26:28するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。26:29パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
★アグリッパ王の前に罪状についての弁明の機会がゆるされたパウロの言葉が上の御言葉です。パウロは天国と地獄が見えていた人でした。そして、誰にでも愛を動機として語りかけたのでした。。天国と地獄、あなたにとってそれは現実ですか。ヒデ

土曜日, 6月 04, 2011

20110604_使徒25

■使徒2524そこで、フェストはこう言った。「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。25:25私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。25:26ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。25:27囚人を送るのに、その訴えの個条を示さないのは、理に合わないと思うのです。」
★アグリッパ王の機嫌取りと、ユダヤ人の歓心を買おうとするフェストは、主の弟子パウロの無罪であることを知りつつも、自らの出世のための政治の道具として、パウロを利用します。愚かです。霊の目が閉ざされており、必ず蒔いたものの刈り取りは神様が求められるのに、それに気づかないフェストとは。神様は侮られるお方ではなく、そればかりか必ず、つじつまを合わせられるお方です。人の前にではなく主の前に生きましょう。ヒデ

金曜日, 6月 03, 2011

20110603_民数2@34_使徒24

■民数記2:34イスラエル人は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗ごとに宿営し、おのおのその氏族ごとに、父祖の家ごとに進んだ。
★イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から脱出して2年経ったとき、主はモーセに民の総数を調べよと語られますが、それにちなんで名付けられた民数記の始まりです。神様は、命が、機能しない構造に縛られ窒息することを願われないお方ですが、秩序は重んじられるお方です。部族ごとに、父祖の家ごとに進むことが、当時の彼らにとっては益だったのです。命を守るための構造が、構造の維持の為に利用される命か、見分ける目を持たせて頂きましょう。そして、変えてはならないものは断固死守し、変えるべきものは大胆に変え、命を最優先にする生き方をさせて頂きましょう。

■使徒24:14しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。24:15また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。24:16そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
★何と迷いのない主の弟子パウロの明快な答えでしょう。これは自らを訴えるものに対して、その弁明を総督の前に行うパウロの言葉です。信仰のクリアーさはその人の力で、そのクリアーさが祝福の道を開きます。クリアーにするように神様から求められているものを、あなたは今お持ちですか。神様の時を生かして用い、告白と明け渡しをもって、霊におけるクリアーさを保ち続けさせて頂きましょう。ヒデ

木曜日, 6月 02, 2011

20110602_レビ27@30_使徒23

■レビ27:30こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。
★「人がもし、自分の○○を主に聖なるものとして聖別する時は……」で始まるレビ記最後の章ですが、旧約に示された聖別の基準は十分の一でした。ここが曖昧になる時、言葉を換えると神様の言葉より自分の思いが優先される時、聖別は絵に描いた餅となり、その人の生涯に祝福と命をもたらす力は失われます。では新約の基準は、すべては主のもの。そして喜んでささげるならです。遣わされた場所で、祝福の祭司として、その時その時、イエス様中心の価値観で歩ませて頂きましょう。

■使徒23:6しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」23:7彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。23:8サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。
★人の言い伝えを優先するパリサイ人とサドカイ人の特徴を見抜いた知恵によってパウロは身の危険から自らを守ります。結局のところ世を優先する価値観は一枚岩とはなり得ず、勝利を自らのうちに収めることは出来ません。遠回りに見えても、神様を畏れ、神の言葉に立ち続けるところに勝利はあります。「生きるにしても死ぬにしても、キリストが崇められるために」と語ったパウロの生き様と価値観から教えられましょう。ヒデ

水曜日, 6月 01, 2011

20110601_レビ25@17-19_詩篇25_使徒22

■レビ25:17あなたがたは互いに害を与えてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしはあなたがたの神、主である。25:18あなたがたは、わたしのおきてを行い、わたしの定めを守らなければならない。それを行いなさい。安らかにその地に住みなさい。25:19その地が実を結ぶなら、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。
★この章は、人は一生涯中、奴隷とされてはならないし、自ら奴隷で終わってはならない事が繰り返され、さらに土地は主のものであり、人はその地における収穫の回数を売り買いするものであることを教えます。いずれにしても人を滅ぼすものが貪欲であることは間違い有りません。「あなたは隣人の家をむさぼってはならない」との戒めを心に刻みましょう。

■詩篇25:12主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。25:13その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。25:14主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。
★この章に地を継がせる生き方の秘訣があります。主の赦しを受け取り、主に信頼する生き方です。

■使徒22:16さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
★パウロがキリストとの出会いの経験を鮮やかに語ります。たとえ暴動に巻き込まれようが、命の危険にさらされようが、彼の主への姿勢は変わりません。人の人生と、そのあり方を決定的に変える力あるお方に、あなたは既に出会われましたか。ヒデ