月曜日, 4月 30, 2012

20120430_創世記46-47

■創世記46:30イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」
★息子ヨセフと20数年ぶりに再会した父ヤコブのことばです。アブラハム、イサク、ヤコブの神は再会を与える神であり、親子の絆を深め、兄弟の関係の修復のために助けをお与え下さるお方です。しかもこのお方は、ヤコブがエジプトに向かう前、ヤコブに平安を与えようと46:2神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ」と言って呼ばれた。彼は答えた。「はい。ここにいます。」46:3すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。46:4わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」と励ましてくださるお方です。
 
創世記47:25すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」
★激しい飢饉の中でエジプト人のいのちを守ったヨセフに対する飢饉が終わったあとのエジプト人の言葉です。ヨセフはこの時「私は、今、あなたがたとあなたがたの土地を買い取って、パロのものとしたのだから。さあ、ここにあなたがたへの種がある。これを地に蒔かなければならない。収穫の時になったら、その五分の一はパロに納め、五分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族の者のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧としなければならない。」と励ましたのです。主の憐れみを受けた者として、ヨセフのように憐れみ深い者でありましょう。ヒデ

日曜日, 4月 29, 2012

20120429_創世記43-45

■創世記43:14全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」
★最初に子供達がエジプトに食料を買いに行ったあと、本来ならば更に2回、3回と買いに行かなければ、部族の命が保たれない状況にありました。しかし父ヤコブはなかなか末の息子ベニヤミンを同行させる決心が着きません。やっとのことで決心したヤコブの言葉が上の言葉です。「失うときには、失う」と。しかしこの明け渡しを通してまさかシメオン、ベニヤミンのみならず、ヨセフさえも取り返すことになるとは。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ……」の御言葉は、こうした場面でも真実な神様の言葉として働くことに驚きです。

■創世記44:16 ユダが答えた。「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。今このとおり、私たちも、そして杯を持っているのを見つかった者も、あなたさまの奴隷となりましょう。」
★かつてヨセフをエジプトに売ってしまったことを後悔し、その後家族のもとを離れて住んでいたユダの言葉です。彼はかつてのことを単に後悔したのではなく、悔い、かつ改め、シメオンとベニヤミンのことを悔い改めました。

■創世記45:8だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
★ヨセフの神様への確信のことばです。「今私がここにこうしてあるのは、あなた方によるのではなく神様による」と。ヨセフはどんなことがあっても自分の人生を神様以外に投げ出すことはしませんでした。さてあなたは。ヒデ

土曜日, 4月 28, 2012

20120428_創世記41-42

■創世記41:39パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。41:40あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
★自らが見た夢をヨセフに語ったエジプトの王パロ。そのヨセフの夢の解き明かしに、確かに神様を感じます。それが上のパロの言葉となって現れます。一夜のうちに奴隷から宰相という、思いも寄らない展開をもって、神様はヨセフを高く引き上げられたのです。まさに「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(1ペテ5:10)の実現です。あなたをその所で練り上げ、やがて高くされるのは主です。

■創世記42:21彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」
★飢饉のためカナンの地より食料を買い求めにやってきたヨセフの兄たち。まさか自分たちがかつてエジプトに売ったヨセフが、今や宰相となって穀物の販売の一切を取り仕切っているとは。それを知らない兄たちですが、ヨセフから「あなた方は間者だ」と言われたとき、上のように語るのです。兄弟どうし、それぞれ今までヨセフのことを言葉に出すことはなかったでしょう。しかし重荷としてずっと心の内に抱えていたのです。さて神様はのその重荷をどのように取り除いて下さり、かつイスラエルを救われるのでしょう。明日に続きます。ヒデ

金曜日, 4月 27, 2012

20120427_創世記38-40

■創世記38:1そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、その名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。
★ユダも、父ヤコブのヨセフへの溺愛を妬み、空の井戸にヨセフを放り込んだ一人ですが、他の兄弟達が殺そうと行ったとき、それよりもエジプトに向かう商隊にヨセフを売り渡そうと提案します。父のもとには「獣にかき殺されたのでは」と、引き裂き羊の血を塗ったヨセフの衣を示しますが、そののち上の御言葉の通り、ユダは父と他の兄弟の元を離れ天幕を張ります。父の悲しむ姿を見る度に良心の責めを感じ、共にいることが出来なかったのでしょう。罪は人を孤独にし、孤立化させるという真理がここに浮き上がります。

■創世記39:2主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
★この章には「主がヨセフとともにおられたので」が2回記されます。ポテパルの家の僕とされた時と投獄された時です。共通点はどちらも濡れ衣のためです。果たして主がヨセフと共におられたのでしょうか。もちろんです。しかしそれ以上に忘れてはならない事は、ヨセフが主と共にあったのです。主は必ずあなたといつも共にいて下さいます。あなたはどうでしょう。

■創世記40:8ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」
★のちにパロが見た夢を解き明かすことを通して、奴隷らか一夜のうちに宰相に召し出されるヨセフ。唯一濡れ衣を晴らせる献酌官長から忘れられる悔しいところも通ります。しかし神様は夢見る者にその将来を託します。あなたは主にある者として、どんな夢を将来に見ますか。それとも無いものを数え呟くでしょうか。ヒデ

木曜日, 4月 26, 2012

20120426_創世記35-37

■創世記35:3そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」
★降りかかった災いを通して、かつて神様と約束した地へと、出で立つことになったヤコブ。そのことを通して部族全体に聖別が与えられることに。あなたは留まるべき所でない所に留まっていることはありませんか。御使いが天より上り下りし、あなたに語り、あなたを助けるその所であゆむ人は幸いです。

■創世記36:6エサウは、その妻たち、息子、娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へ行った。
★兄エソウの弟ヤコブへの思いやりを感じます。エソウは争うことなくヤコブにカナンの地を譲るのです。そんなエソウをヤコブ同様、神様は覚えておられます。あなたはゆずれる人ですか。押しのける人ですか。多くの人の隠れた善意によって今日ある恵みを感謝しましょう。

■創世記37:3イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
★エジプトで宰相となったヨセフ物語の始まりです。イスラエルとなった父ヤコブのヨセフへの溺愛が他の兄弟たちに憎しみをもたらし、家族に思わぬ災いをもたらします。どこまでも神様の恵みと憐れみなくしては、どうにもならない自分の姿とだぶります。完全なのでイスラエルとされたヤコブなのか。そうではなく神様の選びと恵みによってイスラエルとされるヤコブなのか。なお完成に向けたヤコブの人生は続きます。ヒデ

水曜日, 4月 25, 2012

20120425_創世記32-34


■創世記32:27その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
★いよいよ兄エソウの待つ生まれ故郷に向かうヤコブ。どれほどの財を蓄えたかを誇り、僕の数の多さでエソウを威圧し、その口を塞ごうとします。しかしエソウは、昔から変わらないそのヤコブの横柄さに触れ激怒し、迎え撃とうと備えます。恐れたヤコブは、どんなことが起こっても自分は助かるようにと、自らを隊列の一番最後としますが、不安を拭うことができません。そんなヤコブに主が触れられ、はじめて自分の口で「ヤコブ」、「私は押しのけるものです」と彼は語るのです。自我の砕きです。ここからヤコブの生涯がイスラエル(神の皇太子)のそれへと変えられます。あなたは自分の横柄さ罪深さを素直に認めることができますか。

■創世記33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。33:4エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
★砕かれたヤコブは隊列の先頭に立ち、エソウの前に遜ります。変えられたヤコブです。それを受けたエソウの姿が上の御言葉です。エソウのわだかまりがヤコブの遜りによって取り除かれました。仲のよい兄弟の姿はいつの時代も麗しいものです。

■創世記34:2すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕らえ、これと寝てはずかしめた。
★本来留まるべき所でない所に留まったヤコブ家族に災いが。ヤコブの娘ディナが先住民の族長の息子によって辱められたのです。怒りに駆られたヤコブの息子たちは男たちを皆殺しに。しかし周りの部族の憎まれ、結局その地に留まることができず、出で立ちます。ヤコブに対する神様の憐れみ、配剤を感じます。ヒデ

火曜日, 4月 24, 2012

20120424_創世記30-31


■創世記30:1ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見て、姉を嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます。」
★ヤコブの妻となったルベン伯父さんの娘たちレアとラケル。いつのまにか夫不在の戦いが。本来子供は、夫と共に神様の恵みを感謝し、将来のために、更に心を合わせて祈る機会を与え、夫婦の絆を深めるもの。ところがレアとラケルは子供も夫もそっちのけで、自分たち二人だけに関心を向けさせられ、醜い女の戦いを展開させます。
では本来リーダーシップをとるべき夫ヤコブもアダムの子孫として、問題解決のために行動するかというならそうではなく、無関心を装い、むしろ不正をしてもルベン叔父さんの家畜よりも自分の家畜の数を増やそうと功績主義に走ります。神様の選びのヤコブファミリー、しかし確かにおかしいです。さて神様はこの家族をどのように祝福を受け継ぐ基となさるのでしょう。これからの展開が楽しみです。

■創世記31:53どうかアブラハムの神、ナホルの神─彼らの父祖の神─が、われわれの間をさばかれますように。」ヤコブも父イサクの恐れる方にかけて誓った。31:55翌朝早く、ラバンは子どもたちと娘たちに口づけして、彼らを祝福した。それからラバンは去って、自分の家へ帰った。
★生まれ故郷に帰ろうとするヤコブ。そこに恨み辛みの思いが違いに残るヤコブと伯父ラバン。しかし神様は別れの際に互いに祝福し合えるように恵みをもって導きます。ラバンへの「私はあなたがたに害を加える力を持っているが、昨夜、あなたがたの父の神が私に告げて、『あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ』と言われた。」とは、まさに隠れたところで働く神様の恵み。この恵みに支えられ今日も生かされているお互いです。ヒデ

月曜日, 4月 23, 2012

20120423_創世記27-29


■創世記27:13 母は彼に言った。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」
★夫イサクが長男エソウを祝福すると語ったとき、妻リベカは次男ヤコブにその祝福を受けさせようと策略します。恐れを抱くヤコブに母が語った言葉が上の言葉です。家族が一つでないこと、これこそが呪いを世に生み出す苗床です。目指す目標は正しくても、間違った方法でそれを得ようとすると、憎しみが憎しみを呼びます。まず一つとなれる様にお祈りしましょう。

■創世記28:15見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
★兄エソウの怒りを避けて、母の生まれ故郷に逃げようとするヤコブが途中、荒野で見た夢です。ただ驚くべきは「神様の選び」。神様がヤコブを祝福すると宣言なさったのです。そこにはその祝福を受け取るに相応しい者に練り上げて下さる計画もセットです。その恵みの中で彼は、ヤコブ(押しのける者)からイスラエル(神様の皇太子)へと、呼ばれるに相応しく整えられるのです。あなたもその為に神様によって選ばれ召し出されました。

■創世記29:25朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。」
★母リベカの生まれ故郷の叔父さんの家に養われることになったヤコブ。ことの次第を知って受け入れられたヤコブですが、ラバン叔父さんにだまされます。人はこうした形をもっても蒔いたものを刈り取るのですね。心砕かれ、悪から離れ、遜った人生を歩む人は幸いです。ヒデ

日曜日, 4月 22, 2012

20120422_創世記25-26

■創世記25:28イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。

★この後イサクとリベカの二人の息子エソウとヤコブの間には悲しい溝が生まれてしまいます。二人の息子の個性の違いを喜び、それを肯定的に評価していたならば……。しかしそれが出来ないことが人間の性、罪深さです。その結果をこのイサク・ファミリーはこれから刈り取って行くことに。しかしその中にも神様の憐れみの御手は鮮やかで、かつこの家庭から離れることはありません。自らの内に巣くう原罪、罪深さに涙し神様に憐れみを求める人は幸いです。しかし現実、多くの人は、その強さの中で、立ち止まることなく押し切って行ってしまうのです。残念です。



■創世記26:6イサクがゲラルに住んでいるとき、26:7その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は、「あれは私の妻です」と言うのを恐れて、「あれは私の妹です」と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。

★あらあら不思議、どこかで同じような話を聞いたことがありませんか。そう、イサクの父であるアブラハムが、自己保身のためにエジプトに下るとき(12:11-)と、ゲラルの王アビメレク(20:2)前で妻サラのことを妹と偽った態度と同じです。罪は侮るべきではありません。家系の人格的弱さ、罪深さは残念ながら、こうした形となって流れます。流される愛に偽りが混じり込んでいるからです。だから救いが必要なのです。蒔かれた家系の呪いをせき止め、祝福の命を流すためにキリストはあなたのために十字架の上で命を捨てて下さいました。さあ躊躇するこの愛の中に飛び込み、キリストの愛と血潮によって洗い清めて頂くのです。ヒデ

土曜日, 4月 21, 2012

20120421_創世記22-24

■創世記22:2神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
★祝福として与えた約束の子イサク。しかしあまりの溺愛の為、イサクがアブラハム夫妻にとって祝福となっていないことを見てとった神様は、上のようにイサクを献げよと語られます。神様は愛において盲目になる私たちに聖別を与え、本来の祝福へとかえて下さるお方です。

■創世記23:12アブラハムは、その土地の人々におじぎをし、23:13その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げて言った。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」
★妻サラが召された時のアブラハムの態度です。偉大な族長アブラハムゆえにヘテ人は、どうぞお好きな所を自由に墓地として使って下さいと語ります。しかしアブラハムは相当な代価を払いました。信仰がいつの間にか他者の尊厳を尊ぶ畏敬の念を忘れ、甘えになったとしたら……。恐いことです。

■創世記24:14 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
★イサクのお嫁さん探しを申し付けられた最年長の僕の考えです。愛を土台とした価値観はどんな時代にもそこに立つ人を幸せにします。ヒデ

金曜日, 4月 20, 2012

20120419_創世記19-21

■創世記19:17彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
★そこに住む人々の罪と不品行のためソドムとゴモラが滅ぼされようとする時、御使いはアブラハムの甥ロト一家を救おうと、彼らの前にあらわれ、上の御言葉のように語ります。しかしロトの妻は振り返り塩の柱となりました。なぜ彼女は振り返ったのでしょう。神の言葉によって生きるか、欲に動かされて生きるか問われます。

■創世記20:11アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。20:12また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。
★自己保身から同じ失敗を繰り返すアブラハム。この時も妻サラのことを妹と語り、妻サラを犠牲にして、ゲラルの王アビメレクの前を切り抜けようとします。神様は繰り返される失敗、惨めさの中で人に霊的渇きを起こし、また罪深さに気づきを与えようとなさいます。人から言い分けが止み、神様の憐れみをその人が求め始めるとき、それが癒やしの始まりです。

■創世記21:1主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。21:2サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
★アブラハムとサラとの間に交わした約束に忠実な主は、アブラハムの子孫であるあなたにたいしても忠実なお方です。主はご自身が声を掛けられたあなたを決して忘れてはいません。それは今日一日もです。ヒデ

木曜日, 4月 19, 2012

20120419_創世記16-18

■創世記16:2サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。
★「たぶん」に表されたサライの内面。それは確信のなさです。確信がないのにアブラムに女奴隷を与えようとするその動機は「欲」です。子のないサライの辛い気持ちは誰にも分かりません。それでも欲がはらむと罪となるので、聖書は間違ってはならないと警告します。

■創世記17:1アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
★アブラム夫妻が不信仰の罪を犯してから13年間神様は沈黙を保たれます。そして今この時全能者としてご自身を示されます。神様が下さる恵みは余りに大きく信じがたいゆえに、人は時に受け取り損ねます。それでも与えたいと願われる主の思いがこの形となりました。捨てられたと思えるときも、主は決してあなたを捨てることはなさいません。神様の御声に注意深くなるのです。そして語られたら、信じてそれを受け取るのです。あなたに語られるそのお方は全能者です。

■創世記18:14主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
★旅人と思い彼らを親切にもてなすアブラム。しかしそれは人ではく、祝福するためサラに触れようとした主でした。祝福を与えるために主は思わぬ形であなたの前に姿を現されるお方。表面ではなく、目に見えないものを見る、砕かれた心が問われます。ヒデ

水曜日, 4月 18, 2012

20120418_創世記12-15

■創世記12:1主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
★主は祝福の基としたいあなたにも語られるお方。祝福を受け取る秘訣は信仰と従順です。アブラムは主に条件を何一つ付けず、約束の地を見ずして出で立ちました。今の落ち着いた生活にピリオドを打ったのです。

■創世記13:14ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。13:15わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
★神様から祝福を受け取るファーストステップは分離です。神様以外によって祝福を受けたと私たちが言わないためです。次のステップは最初のステップをクリアーした後語られます。

■創世記14:22しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神主に誓う。14:23糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。
★甥ロトの為に連合を組んで勝利した後のアブラムの言葉です。13章で学んだ霊的ステップを彼はここで生かします。心の軸が定まっているかが問われます。

■創世記15:2そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
★神様に従うアブラム、迷いがないわけではありません。あなたと同じです。迷いの中で何を見、何を信頼するかが問われます。ヒデ

火曜日, 4月 17, 2012

20120417_創世記8-11

■創世記8:15そこで、神はノアに告げて仰せられた。8:「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。
★箱舟を造り、入る時も神様の指示に従ったノア。出るときは一日も早く飛び出したいものですが、彼は出るときも神様の指示を待ちました。ここにすべてのことにおける従順があります。

■創世記9:15 わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。
★これが神様が人との契約の印として下さった虹の意味です。虹を見たとき信仰を持って感謝しましょう。願いに更にまさる祝福をあなたの為に備えて下さる神様がおられます。

■創世記10:1これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。
★試練の中を従順をもって耐え抜いたノアに神様は祝福を備えておられました。あなたのためにも神様はそなえておられます。何でしょう。今は分からなくても、やがてあなたは驚き、どうしてここまで私を顧み、祝福して下さるのですかと言うことになるでしょう。

■創世記11:4そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
★神様に触れさせたくない。私の人生。これがバベルの塔の建設の動機です。たとえ再び洪水が起こっても滅びないように。神様への従順を受け継ぐことの難しさを覚えます。そしてこの後アブラムの生涯が。従順とは何かが開かれます。ヒデ

月曜日, 4月 16, 2012

20120416_創世記4-7

■創世記4:9主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
★神様との交わりのために造られたアダムとエバの長男カインの言葉です。関係・つながり中心の価値観に生きることを願われた神様の御心に対して、罪は人を功績中心の価値観へと誘いました。功績中心は人を殺し、自分を生かすこともできません。

■創世記5:3アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。5:5アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。
★誰を産み、何年生きたのか。アダムの子孫の系譜です。しかし最後はみな「死んだ。」で締めくくられます。人に必ず訪れる死。この死に向かってよき備えをする人は幸いです。

■創世記6:18しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。
★神様がノアに語られた言葉で、これはまた5章の死に対する答えでもあります。箱舟に入りなさい。かつてノアは自分でそれを造りました。しかしあなたの為にはキリストが十字架の救いという箱舟を備えて下さいました。家族と一緒に入りましょう。

■創世記7:16入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。
★世の不義に対し、「主よいつまでですか」と嘆く人がありますか。信頼しましょう。正しい裁きの為に必ず立ち上がられる神様がおられます。ヒデ

日曜日, 4月 15, 2012

20120415_創世記1-3

一年掛けて取り組んできたファーストステップデイリープランによる聖書通読が昨日完了しました。新たに今日からヒストリカル通読プランを用いて今年度も聖書通読にチャレンジします。この通読をご一緒して頂けますと一年で完全に聖書を一度通読できます。可能な方は、この配信メールに目を通して頂くのみならず、実際に聖書の通読にチャレンジなさってみて下さい。このプランの特長は完全とまでは行かないものの、それぞれの聖書の書を古い順に通読することです。ゆえに新約に入ってからは福音書が最初ではなく、手紙からスタートして行きます。このプランを用いることを通して、きっとあなたは今まで見落としていた真理に目が開かれる経験をなさることでしょう。祝福をお祈りします。

20120415_創世記1-3

■創世記1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
★あなたのを創造し、内に命を注がれたのは主です。そして造られた目的は祝福のためです。恐れなく神様に近づきましょう。主はあなたの生涯を完成して下さいます。

■創世記2:18神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
★人が罪を犯す前の僅かの記述の中で唯一よくないことが語られます。一人でいることです。あなたの内にある凸凹。それは欠点ではなく、つながり合うために与えられた個性です。偽りの価値観、功績主義に支配されませんように。

■創世記3:21神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
★罪を犯した人のために、それを被われるお方。そのお方こそが、あなたを愛しておられる神様です。このお方の愛と真実を受けとりましょう。ヒデ

土曜日, 4月 14, 2012

20120414_黙示録15・16・17・21・22

■黙示録15:1 また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。

■黙示録16:2そこで、第一の御使いが出て行き、鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた。
★結果、人々は悔い改めようともせず神様に対して汚しごとを言い、悔い改めることをしなかったと聖書は鉢の裁きについて7回語ります。聖霊様が地上から取り去られるとは恐ろしいものです。人は謙虚になれず、悔い改めることさえできないとは、まさに今日こそが救いの日です。

■黙示録17:14この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」

■黙示録21:27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。
★遂に新天新地の完成です。しかしここには「おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者」は入ることができないのです。

■黙示録22:12「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。 22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
★今日でファーストステップデイリープランの通読を始めてから一年がたちました。明日からhistoricalプランをもって通読にチャレンジします。一年間お付き合いありがとうございました。

金曜日, 4月 13, 2012

20120413_黙示録14

■黙示録14:14また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。14:15すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」
★人のこの様な方とはイエス・キリストです。遂に言われなく虐げられ、いのちを傷つけられた人々が酬われる時が来ます。「主よいつまでですか」との苦しみに終止符が打たれる正しい裁きの時が来るのです。主は「報復は私のすることである」と、人が人を裁きく事を通して裁く人が、自らを神様の立場に置くことを願われませんが、その分ご自身が立ち上がられる時が遂に来たのです。裁きがはじまることはまた、完成の近いことを意味します。その分同じこの14章で語られる「14:6また私は、もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は、地上に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。 14:7 彼は大声で言った。『神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。』」を重く受けとめる人は幸いです。ヒデ

木曜日, 4月 12, 2012

20120412_黙示録5・7

■黙示録5:4巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。5:5すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」
★私たちの人生の難問を解き、また目から涙をぬぐって下さるお方は、十字架の上であなたのためにいのちを捨て、罪の贖いを完成し、黄泉より甦って父なる神様の右の座に着かれたイエス・キリスト以外にありません。人の心は一時的なつじつま合わせの解決に往々にして向かうものです。しかしこのお方に心を向けるとき、永遠につながる最善の解決が与えられます。なぜなら神様は、あなたに臨む試練を許されるのみならず、脱出の道も備えて下さるお方だからです。

■黙示録7:2また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。7:3「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
★何によってあなたが打ち倒されず押し流されないようにと、見えないところであなたを支え、あなたを守る事を使命に任命された御使いがいます。この御使いだけではありません。確かに今日まであなたにゆえない敵意を抱く人物もいたことでしょう。しかしそれにもまさる善意の人々の支えによってあなたは歩んできました。この朝感謝の心を大きくしましょう。そしていつもよりさらに心を込めて「ありがとうございます。」を言い表す一日としませんか。神様祝福をお祈りします。ヒデ

水曜日, 4月 11, 2012

20120411_黙示録2-3

■黙示録2:10あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
★主は教会の間を歩かれるお方としてあなたに愛と配慮を注いでくださるお方です。では主のあなたに対する評価の基準はなんでしょう。しかもそれは2000年前にマリヤのお腹をかりて受肉なさった時と少しも変わりません。もうお分かりでしょう。忠実です。主は語られます。「あなたは僅かなものに忠実だったので多くのものを託そう。主人と一緒に喜んでくれ」。人との比較ではない、あなたを尊び、あなたを愛するゆえに託したい祝福があるのです。あなたの目は主人に向けられ、あなたの心は主人の心を重んじようとしていますか。

■黙示録3:12勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。
★1ペテ5:10には「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」とありますが、上の御言葉と共通しています。忠実を持って主に応答しようとするあなたを永遠の次元において主は尊びたいのです。天の父の心を知り、そこに生きましょう。ヒデ

火曜日, 4月 10, 2012

20120410_詩篇117_2ヨハネ1_3ヨハネ1

■詩篇117:1すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。117:2その恵みは私たちに大きく、主のまことはとこしえに。ハレルヤ。
★一番短い詩篇で、これで全部です。勧められていることは主に誉れを帰すこと。自分にではありません。この秩序の奥義を理解し、そこに生きる時、人は癒され思い煩いから解放されます。

■2ヨハネ1:9だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
★行き過ぎをせずキリストのうちにとどまりなさいと勧める使徒ヨハネ。要は真理は両極端のどちらかにではなく恵みの中にあると言うことです。人は一方に傾き走りやすいものです。極度の律法主義や正しい知識に基づかない熱心さ等。そこにはそれを助長させようとする目には見えませんがサタンの働きかけもあります。自分の何かの頑張りに信仰が支えられることがありませんように。また敗北主義に支配された惰性に流されるものでありませんように。むしろ恵みによって支えられる生き方の中に命の泉は湧き上がります。

■3ヨハネ1:2愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
★使徒ヨハネのことばです。同じ思いであなたのことを愛しておられるお方がいます。主です。また森もそう祈ります。あなたは愛されるために主によって息吹きかけられました。主の栄光を反映するために生かされました。あなたには主の期待と信じがたいほどの可能性に満ちています。それを引き出す秘訣は、おごることなくありのまま感謝してです。自分で自分を縛ることのありませんように。ヒデ

月曜日, 4月 09, 2012

20120409_1ヨハネ4-5

■1ヨハネ4:9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。4:10私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。4:11愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
★愛を受けとった者は互いに愛し合うべきと使徒ヨハネは語ります。しかしヨハネがこのように記さなければならない背景に、教会にはそれを留めようとする力が働いていたようです。まさにそれは人の肉性のなせるわざです。さまざまな霊の力が働きます。だからヨハネはすべての霊によって動かされることのないよう、すべての霊を信じるのではなく、それが神様からでたのかどうか試しなさいと語ります。受肉すなわち遜ることを指し示す神様からの霊を信じるのです。

■1ヨハネ5:12御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。5:13私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
★初代教会においても救いの確信を持ち得ない人々があったようです。「果たして私はすでに永遠のいのちを得ているのだろうか」と。それを知る方法です。あなたは既にキリストを心の内に人生の主として迎えていますか。そうであるなら永遠のいのちを持っています。そうでなければ永遠のいのちにあずかれるようにキリストを心の内に迎え入れましょう。キリストはあなたの人生を完成させてくださいます。ヒデ

20120409_1ヨハネ4-5

■1ヨハネ4:9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。4:10私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。4:11愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
★愛を受けとった者は互いに愛し合うべきと使徒ヨハネは語ります。しかしヨハネがこのように記さなければならない背景に、教会にはそれを留めようとする力が働いていたようです。まさにそれは人の肉性のなせるわざです。さまざまな霊の力が働きます。だからヨハネはすべての霊によって動かされることのないよう、すべての霊を信じるのではなく、それが神様からでたのかどうか試しなさいと語ります。受肉すなわち遜ることを指し示す神様からの霊を信じるのです。

■1ヨハネ5:12御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。5:13私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
★初代教会においても救いの確信を持ち得ない人々があったようです。「果たして私はすでに永遠のいのちを得ているのだろうか」と。それを知る方法です。あなたは既にキリストを心の内に人生の主として迎えていますか。そうであるなら永遠のいのちを持っています。そうでなければ永遠のいのちにあずかれるようにキリストを心の内に迎え入れましょう。キリストはあなたの人生を完成させてくださいます。ヒデ

日曜日, 4月 08, 2012

20120408_ヨハネ20-21

■ヨハネ20:8そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。20:9彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
★婦人達の報告を聞き、飛び出してキリストの遺体が納めてあった墓に駆けつけたペテロとヨハネ。彼らは空になった墓と、頭に巻いてあった布きれが巻かれたそのまま置かれていたのを確認し、信じたとあります。しかしまだ納得できたわけではありませんでした。あれほど主が十字架に掛かられる前に、自ら十字架にかかっていのちを捨てると語られていたにもかかわらずです。ここから学べる教訓とは?人は霊的納得が与えられなければ、たとえ示される救いについて教理的に訴えかけられても、それを認め心に受けとることはできないと言うことです。神様がお互いの霊の目をお開き下さるように祈りましょう。

■ヨハネ21:17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
★大祭司の邸宅の中庭で十字架に掛かられる主のことを「私はその人を知らない」と、主を否定し裏切ったペテロ。そのペテロを復活の主が訪ねて下さった場面です。裁くためではありません赦すためにです。同様に主があなたに話しかけるとき、それは裁くためではなく赦し解放するためです。「あなたはどこにいるのか」とアダムに主が話しかけた時も同様です。その時の応え方によって人生が変わります。恐れる必要はないのです。正直に罪を認め、へりくだって憐れみを求めましょう。ヒデ

土曜日, 4月 07, 2012

20120407_ヨハネ15-16

■ヨハネ15:16あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
★よく聞かされたことがあります。キリスト者は間違いなく天国に入ることができる。しかし人の心とは、どこかで自分の努力によってそれを勝ち得たとの思いが以外と潜んでいるものだと。しかし天国に入り、門に向かって振り返ったとき、その門には「あなたがたが選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、任命したのです」と書いてあると。そうあなたは自分の努力もさることならが、神様の恵みによって選ばれたのです。ありがたいことです。

■ヨハネ16:33わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
★あなたを世から召し出されたのは主です。ゆえにこのお方はあなたの生涯を責任を持つと語って下さいます。問題は何かあった時、あなたがどこに行くかです。主の元に行きましょう。あなたがささげる信仰の賛美と感謝を用いて、主はあなたの生涯を豊かに飾って下さるお方です。ヒデ

金曜日, 4月 06, 2012

20120406_ヨハネ12-13

■ヨハネ12:24まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。12:25自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
★死ぬと言うのはジェスチャーではありません。本当に死ぬのです。そのとき人は復活します。すなわち死なくして復活はありません。では「死ぬ」とは、それは決して自害することではありません。誤解しないで下さい。自らの意志によって自分の思いを殺す、明け渡すと言う意味です。このことを為した人のことをクリスチャンと呼びます。クリスチャンは一度「この世のいのち」に死んだので、この世にありながら「復活の命」すなわち「頂いた永遠の命」で生きるものです。ガラテヤ2:20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」の通りです。

■ヨハネ13:1さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
★最後の晩餐のはじまりの部分です。明日の朝には捕らえられ十字架につけられることを知りながら、その事を弁えず今なお誰が一番偉いか、誰よりは上かと競い合う弟子たちでした。しかし主はそれを知りつつ弟子たちの足を一人ずつ洗うのです。あなたの罪を洗いきよめることのできるお方は、愛によってご自分の命を捨てた、このお方以外にありません。ヒデ

木曜日, 4月 05, 2012

20120405_ヨハネ10-11

■ヨハネ10:27わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。10:28わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
★雇い人の羊飼いは狼が来るのを見ると逃げ去る。羊のことを心に掛けていないから。しかしキリストは羊のために、「私は命を捨てる」と語られ、そうなさいました。そして主の羊は聞き分けるとあります。あなたはついて行っているでしょうか。ペテロはついていこうとしました、でも大祭司の中庭で一人の婦人に「あなたもあの人の弟子だ」と言われ「私はその人を知らない」と否んでしまいます。しかし主はそれを赦されます。すなわちたとえ失敗しても、ついて行かないより、ついて行くことを願われます。なぜなら主はあなたのついて行きたいとの思いを何にもまさって喜んで下さるお方ですから。

■ヨハネ11:39イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」11:40イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」11:41そこで、彼らは石を取りのけた。
★ラザロのよみがえりの場面です。そのために「石を取りのけない」と主は語られますが、私たちが主のみわざにあずかるために取り除くべき石と想定すると何になるでしょう。不信仰です。信じない者にならないで、信じる者になりましょう。ヒデ

水曜日, 4月 04, 2012

20120404_ヨハネ7-8

■ヨハネ7:50彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。7:51「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」
★いじめられている人の側に立ち擁護することは勇気と霊的力がいるものです。ましてや自己保身を最優先にする価値観に立っては誤解されている人、弱い立場の人を擁護することは不可能でしょう。ニコデモはこのあとキリストが十字架につけられたあと、その亡骸を引き取りに行きます。しかもそれは弟子たちでさえ逃げ去ったあとの出来事です。本当の勇気、優しさ、強さ、友といったことを考えさせられます。

■ヨハネ8:10イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」8:11彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
★あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」とはキリストが姦淫の現場でとらえられた婦人の前で語った言葉です。結果、人々は誰もいなくなり、そののち語った言葉が上の内容です。罪に定める資格がない群衆と、「私も罪に定めない。」と語るキリストを同じにしてはなりません。罪ある者に対して「定めない」と語る以上、その者にはその責任が問われます。主はその責任を果たすため、この婦人だけではなく、全人類の罪の責任をも背負って十字架にかかって下さいました。その打たれた傷によってあなたも赦されたのです。ヒデ

火曜日, 4月 03, 2012

20120403_ヨハネ5-6

■ヨハネ5:7病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」5:8イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
★今までのあまりの悔しさ、悲しさ、寂しさゆえに彼はそれに縛られていました。キリストはそんな彼に「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と語られます。なぜでしょう。癒されたからです。周りの人々は、いえそれだけではない自分の中の一部分は、安息日だから取り上げてはならないと語ります。しかし実際は取り上げてよいのです。立ち上がれるのです。さあキリストを信じる信仰によってあなたの心と生活を強めて頂いて立ち上がりましょう。

■ヨハネ6:37父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
★キリストのもとに来たあなたへのイエス・キリストの言葉です。そのまま受け取って下さい。主はあなたを決して拒むことなく、捨てられることがありません。そればかりかあなたを愛し、あなたに関わって下さり、あなたを建てあげようとして下さるのです。心を開いて、キリストに自分自身と生涯を委ねることが大事です。あなたの人生はキリストの御手の中、下から御手に支えられている人生です。まずはそれを受け入れ、天からのパンであるキリストの語りかけに従順しましょう。ヒデ

月曜日, 4月 02, 2012

20120402_ヨハネ4

■ヨハネ4:15女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」4:16イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」4:17女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。4:18あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」
★5回の結婚を通してもその心が満たされることなく、なお新たに6人目ともなる人と同棲中の婦人。どれほど愛に病み、また餓え渇いていたことでしょう。いえそればかりかそこに自分ではどうすることもできない離れられない罪が潜んでいたのです。主はそのことをご存じで、求めて近づく婦人にあえてストレートに「夫を連れてきなさい」と語られます。罪は隠すものではなく、キリストのもとに告白し、そこから離れる力を頂くべきものです。このあと婦人は解放され「私のしたことの全部を言い当てた人がいます」と告白します。全部ではなくただ一つのことにどれほど人は縛られることでしょう。あなたは何かに縛られていませんか。本当の自由を経験するために、その一つのことをキリストのもとに差し出しましょう。ヒデ

日曜日, 4月 01, 2012

20120401_2ペテロ1_ヨハネ1

■2ペテロ1:5こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、1:6知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、1:7敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
★「こういうわけで」とは、主が再び来られるその時のことをペテロは弁えていたからです。受けた恵みを心の中に留めることなく、生活の中に反映するすためにあなたには何ができそうですか。

■ヨハネ1:14ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
★ことばなるお方として来て下さったお方、それは父なる神様のもとを離れて、おとめマリヤのお腹をかりて人となって来て下さった子なる神イエス・キリストです。このお方の中に希望があります。招かれるこのお方の中に歩みましょう。ヒデ