月曜日, 6月 30, 2014

20140630_出エジプト40 ルカ18@18-43

■出エジプト40:38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。
★かつて藁を与えられず煉瓦をつくらなければならなかった奴隷としてのイスラエル。しかし出エジプトの最後は神様の幕屋を持ちはこぶ彼らに。罪の奴隷にはじまり、神様によって買い戻され、神様と共に永遠を生きる者に。私たちもこのように召しだされました。

■ルカ18:26 これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」 18:27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
★人の救いはまさに神様のわざ。人の努力や行いの何物によっても勝ち取ることはできません。人ができないことだからこそ、神様はあわれみ御子をさえ十字架に付けてくださいました。ただ信仰によるのです。ただ「神様、私の罪のために、感謝します。信じます」と告白しましょう。いってらっしゃい。

日曜日, 6月 29, 2014

20140629_出エジプト39 ルカ18@1-17

■出エジプト39:32こうして、会見の天幕である幕屋の、すべての奉仕が終わった。イスラエル人は、すべて、【主】がモーセに命じられたとおりにした。そのようにした。
★宇宙の創造主は幕屋の細部にまで心を配られるお方。マタイ10:30には「また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています」と。それは、あなたにもこのお方は心を配られるお方ということ。自分がどんなにつまらないと思うことでもこのお方の前に心を注ぎ出しましょう。

■ルカ18:17まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
★幼子にも邪悪さがないわけではありません。しかし頼り切る、そんな幼子のような姿勢が天国の道を開きます。今週も自分を見るのではなく、神様を見上げ、信頼して一歩を踏み出しましょう。いってらっしゃい。

土曜日, 6月 28, 2014

20140628_出エジプト38 ルカ17

■出エジプト38:21幕屋、すなわち、あかしの幕屋の記録は、次のとおりである。これは、モーセの命令によって調べたもの、祭司アロンの子イタマルのもとでの、レビ人の奉仕である。
★幕屋の階段部分の建設はイタマルがそのプロジェクトの監督です。神様の選びの民はひとりひとり違う才能や賜物を頂いています。神様はモーセに幕屋を建てよとは語られず、その建築を行う専門家を用いよと語られます。神様があなたにお与えくださった賜物は何ですか。今日もその賜物を用いる機会があれば惜しみなくささげませんか。

■ルカ17:18神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」17:19それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
★「祭司のところに行き、自分の身体を見せなさい」と主によって重い皮膚病ツァラアトを癒していただいた10人。しかし帰って来たのはひとり。主による奇蹟を経験しても、本当の癒やしと祝福は主との交わりの中にあることに目が開かれている人はそう多くはありません。あなたが今日も一日、その恵みをあらわす存在でありますように。いってらっしゃい。

金曜日, 6月 27, 2014

20140627_出エジプト37 ルカ16

■出エジプト37:8一つのケルブを一方の端に、他のケルブを他方の端に。ケルビムを「贖いのふた」の一部として、その両端に作った。37:9ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。
★ケルビムが注目るこの「贖いのふた」は、イエス・キリストの十字架の贖いによって完全な意味において成し遂げられました。旧約時代、主はこの「贖いのふた」より語られましたが、あなたは十字架の上から語りかけられるキリストの言葉に聞かなければなりません。主は語られます。「テデレスタイ。すべては完成した」と。あなたは確かに赦されきよめられました。

■ルカ16:25アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。16:26そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
★神様以外、誰がこんなところに深い淵を置くことができるでしょう。厳粛ですが受けとめなければなりません。永遠の裁きがあるということです。神を畏れ、ここから贖い出されたことを感謝する応答の一日を過ごしましょう。また、滅びに向かう人への憐れみの心があなたの心に満ちあふれ、それが行動となってあらわれる一日となりますように。いってらっしゃい。

木曜日, 6月 26, 2014

20140626_出エジプト36 ルカ15

■出エジプト36:6それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。36:7手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。
★主の幕屋を建てるためにおしみない心でささげものをする民の姿が描かれます。あまりのささげものの豊かさのゆえに、もう持って来なくてもよいとは、どれほどの量だったことでしょう。驚きです。しかし、「よい」と言われれば、「では次は何をしたら良いのでしょう」と言うのが民の思いです。その答えは、目に見えない神殿、あなた自身を神の宮として用いる事業に、自らをささげなさいと言うことです。そう、あなたが遣わされている「そこ」を泉わくところとするために自らをささげるのです。

■ルカ15:31父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
★これは神様の前に失われているすべての人に対するイエス様からのメッセージです。「全部おまえのものだ」。神様は世界中のすべての人を愛しておられます。このことを一人でも多くの人に知って欲しいですね。そのためにあなたが今日も置かれた所で豊かに輝き、用いられますように。いってらっしゃい。

水曜日, 6月 25, 2014

20140625_出エジプト35 ルカ14

■出エジプト35:2六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目には、【主】の聖なる全き休みの安息を守らなければならない。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。
★たとえそれが良き仕事であったとしても、仕事の奴隷になってはならない。仕事さえも人生の中心にすえるべきものでないことを教えます。なぜならあなたが心の中心に置くことをゆるしたものがあなたの人生をコントロールするからです。

■ルカ14:4しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いていやし、帰された。14:5それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」
★何を人生の最優先とするか。イエス様はそこに常に光を当てられます。さばきではなく憐れみ。業績ではなく関係。ものではなく命。パリサイ派の指導者はこのことに答えを持ち合わせていませんでしたが、あなたにはしっかりと持って欲しいと主は願っておられます。

火曜日, 6月 24, 2014

20140624_出エジプト34 ルカ13

■出エジプト34:2朝までに準備をし、朝シナイ山に登って、その山の頂でわたしの前に立て。★再びご自身の言葉である十戒をモーセに授けようとしたときに、神様がモーセに語られた内容です。私以外に依存することができない状況のなかで、ひとり静まって私の前に出なさい。そのご自身の言葉に従順する者への報いは、神の言葉にあずかれることです。受け取るべき言葉があることに感謝しましょう。

■ルカ13:7そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』13:8番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
★イエス様は今日もこうして、自制や忠実、愛と御霊の実を結ぶことに困難を覚える私たちのためにとりなして下さるお方、何よりその執り成しは、主があなたを花嫁として迎えるために再び来られるその日の朝まで変わることがありません。あなたは愛されています。

月曜日, 6月 23, 2014

20140623_出エジプト33 ルカ12@22-59

■出エジプト33:14すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」
★神様から託された使命を全うする人生において最大の保証は神様ご自身がともにいてくださること。イエス様もあなたに「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。……見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ2818-20)と語られました。

■ルカ12:29何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。12:31何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。
★「何はともあれ」とは、納得がいっても、いかなくても「まずは」と、あなたにも信仰を求めるキリストの言葉です。みのらせたい実があり、見てみたい花があるなら、信じてその種をまくことなしに実を花を得ることはできません。神の国を願う思いがあなたの中に満ち溢れますように。いってらっしゃい。

日曜日, 6月 22, 2014

20140622_出エジプト32 ルカ12@1-21

■出エジプト32:31そこでモーセは【主】のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。32:32今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」
★執り成しとは愛を動機とし、自らのいのちをかけてなすもの。いかに勇気が求められ、その働きが尊いかをこの箇所は教えます。主は文字通りそのことをあなたのためになしてくださいました。「父よ。彼らをおゆるしください」と。

■ルカ12:6五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。12:7それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
★2羽で100円だけど、4羽の200円にするなら一匹おまけで付けてあげるよ。その一羽さえ神様は覚えておられるとするなら、ご自身のかたちに似せ、ご自身の霊を吹き入れて創られた人であるあなたをどうして神様が顧みられないはずがありましょう。あなたは神様に愛されています。

土曜日, 6月 21, 2014

20140621_出エジプト31 ルカ11@27-54

■出エジプト31:18 こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた。
★神様は語られ、記されるお方です。この時はご自身の指を使われましたが、新約聖書の場合、弟子たちを用いられました。

■ルカ11:35 だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。
★高く掲げるべきものを高くしていますか。うしろめたさや、隠れたい気持ちがどこかにあるなら主の前に出ましょう。主はあなたの闇を、ご自身の光と血潮によってきよめてくださいます。いってらっしゃい。

金曜日, 6月 20, 2014

20140620_出エジプト30 ルカ11@1-26

■出エジプト30:37あなたが作る香は、それと同じ割合で自分自身のために作ってはならない。あなたは、それを【主】に対して聖なるものとしなければならない。30:38これと似たものを作って、これをかぐ者はだれでも、その民から断ち切られる。」
★香ばしい香りは神様にささげるもの。キリスト者の香りは、神様を畏れ礼拝する者の生涯に、「キリストの香り」として、神様ご自身が香らせてくださるもの。自分自身を麗しく見せようと宗教的に振る舞うこととは違います。キリストの香りは自分にではなく、一途に主を見つめ主を愛し従おうとする者に与えられるもの。その心が自分に向かっているか、キリストに向かっているかが問われます。

■ルカ11:9わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
★主は「求めよ、捜せ、たたけ。そうすれば与える」と仰ってくださいます。しかし自分に何が必要か、欠乏しているか分からなければ求める渇きが起こりません。主が恵みと憐れみによって与えて下さっているものに感謝することは大切ですが、自分に慢心するよりも、たとえ少しづつであってもキリストに似る者でありたいと謙虚に歩む者でありたいですね。いってらっしゃい。

木曜日, 6月 19, 2014

20140619_出エジプト29 ルカ10@25-42

■出エジプト29:44わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせよう。29:46彼らは、わたしが彼らの神、【主】であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、【主】である。
★なんのために主はあなたを召しだされたのでしょう。あなたを神の宮とし、あなたの内に主か住まわれるため。そして御心が天でなるごとく地でも行うため。主は今日もあなたを祭司として遣わされます。それゆえあなたの祈り、執り成しに耳を傾け、御手を動かしてくださるのです。

■ルカ10:27すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」10:28イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
★「あなたはなぜ聖書を読むのですか。」と質問するなら、ある人は「恵まれるためです。」と回答くださるかも知れません。しかし信仰によって与えられた永遠のいのが、あなたの内側で豊かに満ち溢れるためには「実行しなさい。そうすれば」と主は語られます。神の言葉によって一時的に行動を変えようとする人がいます。また神の言葉によって人生の土台や習慣を変えることにチャレンジする人がいます。その違いは時間の経過とともに明らかになります。いってらっしゃい。

水曜日, 6月 18, 2014

20140618_出エジプト28 ルカ10@1-24

■出エジプト28:29アロンが聖所に入るときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず【主】の前で記念としなければならない。
★イスラエル12部族は祭司がエポデを、こうして身に付けて神様の前に出ることによって常に覚えられ、とりなされていました。イエス様はご自身の血潮によって召しだして下さったあなたをも同様に父なる神様の前にとりなしてくださっています。今日もあなたは、ひとりではありません。

■ルカ10:8どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。10:9そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた』と言いなさい。
★主を愛する者が優先すべきライフスタイルが記されています。こだわるべきことと、臨機応変に対応すべき事。多くの場合この順位が逆転し愛ではなく、自分の居心地の良さに流される場合が。あなたは今日どんな関係を築きますか。いってらっしゃい。

火曜日, 6月 17, 2014

20140617_出エジプト27 ルカ9@37-52

■出エジプト27:1祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。
★天幕の中庭に入ったとき、イスラエルがはじめて見るものがこの全焼のいけにえをささげる祭壇で、ここで、いけにえが継続的にささげられていた。人々はこの祭壇を見て、神様に近づく方法を確認していた。そして、それだけがイスラエルの罪を取り除き、赦しを得る方法であった。しかし、キリストが究極のいけにえとしてささげられたことを通して私たちははばかることなく神様に近づくことができるようになった。ハレルヤ。

■ルカ9:61別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」9:62するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
★主がキリスト者に望んでおられることは全き献身。しかし多くの場合、人は自分の都合に合わせてキリストに従う道を模索しようとするものです。それだけこの世には私たちの心を引きつけるものが多いのです。イエス様を心の内に迎え入れたお互いは、心の王座に座する主を自分とするか、キリストとするか一度立ち止まって考えることは大切です。そして全ての秩序を回復する方法がキリストを主とことであることを覚えましょう。いってらっしゃい。

月曜日, 6月 16, 2014

20140616_出エジプト26 ルカ9@1-36

■出エジプト26:33その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。
★主イエス様の十字架の贖いによって人手によらず上から裂けた幕とはこのことです。至聖所でなければ留まれなかった主の臨在は今や信じるキリスト者の内にも。なんという恵みでしょう。

■ルカ9:23イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。9:24自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。9:25人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。
★自分自身とは、神様がそうゆう者であるようにとあなたの内に抱かれた実現可能な姿であり、実行可能な夢です。本来あれるべきあなたをあなたが失って世俗の虚しい価値観に流されることには、神様は心をいためられます。今日も神様が見てくださっているように自分自身をみることが出来ますように。あなたはどこまで神様の誇りの存在なのです。いってらっしゃい。

日曜日, 6月 15, 2014

20140615_出エジプト25 ルカ8@26-56

■出エジプト25:22わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。
★選びの民に向かって主が語られる場所とは『贖いのふた』の上からです。神様に召しだされたあなたも、かつてのイスラエル同様いろんな誘惑の声を聞くでしょう。お前には価値はない。神様はお前のことなど顧みておられない。能力のあるあなたは神などなくても素晴らしい人生を生きれるはず。神に栄光を帰する生き方など、何の価値があるのか、自分が受ければいいではないか。しかしあなたを生かすのはあなたが生きるためにご自身の命を捨ててまで贖いを完成して下さったイエス様の言葉以外にありません。決してだまされてはなりません。また高ぶってはなりません。

■ルカ8:48そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」
★あなたの人生がキリストにあって回復し輝くために求められるのは他でもないあなたの信仰です。なおかつそれは、自分を信じる信仰ではなく、キリストを信じる信仰です。主は「地の果てのもろもろの人よ。我を仰ぎ見よ。さらば救われん」と語られます。

土曜日, 6月 14, 2014

20140614_出エジプト24 ルカ8@1-25

■出エジプト24:18モーセは雲の中に入って行き、山に登った。そして、モーセは四十日四十夜、山にいた。
★モーセの主の臨在につつまれる経験です。神の人はこうして強められます。主イエス様はゲッセマネの園がいつもの祈りの場所で、そこに向かいました。主の臨在に触れるため、あなたの向かう場所はどこでしょう。

■ルカ8:24そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。
★疲れて休んでいるイエス様をいたわろうとする弟子たち。しかしその思いよりも嵐ゆえの恐れが心の内に広がったとき、弟子たちは「私たちが溺れ死んでもかまわないのですか」と。弟子たちのこの言葉は大切です。なぜなら弟子たち自身がこの言葉を発することを通して、自分を知ることができるからです。主はよそ行きではない、あなたの率直な言葉を待っておられます。今日がそのために用いられますように。いってらっしゃい。tmori

金曜日, 6月 13, 2014

20140613_出エジプト23 ルカ7@31-50

■出エジプト23:29しかし、わたしは彼らを一年のうちに、あなたの前から追い払うのではない。土地が荒れ果て、野の獣が増して、あなたを害することのないためである。 23:30 あなたがふえ広がって、この地を相続地とするようになるまで、わたしは徐々に彼らをあなたの前から追い払おう。
★全ての試練に適用できるものではありません。しかし主を信じる者が「なぜ……許されるのか」との思いを抱くことどもへの、一つの答えがここにあります。主が私たちに向かって下さる一つの目的には確かにあなたの成熟があります。神様は耐えられないような試練にあわせることはなさらないばかりか脱出の道も備えて下さいます。

■ルカ7:47だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」
★イエス・キリストを通して与えられる赦し。この女性はそれを自発的に受け取りました。その時この女性の心に溢れたものがキリストへの愛でした。このキリストの愛はやがてその人の心から溢れ出し、隣人を潤すことに。つぶやき、不満、愚痴、呪い、それとも赦し、愛、平和。お互いの心からキリストの愛が溢れ流れますように。いってらっしゃい。

木曜日, 6月 12, 2014

20140612_出エジプト22 ルカ7@1-30

■出エジプト22:26もし、隣人の着る物を質に取るようなことをするのなら、日没までにそれを返さなければならない。22:27なぜなら、それは彼のただ一つのおおい、彼の身に着ける着物であるから。彼はほかに何を着て寝ることができよう。彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。
★憐れみ深さ。情け深さはあなたが身に付けるべき大切な人格的要素です。人との比較に生きる人は持てず、神様の愛を受け取らなければわき上がることはありません。

■ルカ7:15 すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。
★やもめの一人息子の死。それが母にとってどんな意味を持つのか。この母の痛みを知り給う主は、あなたの痛みもごぞんじです。。いってらっしゃい。

水曜日, 6月 11, 2014

20140611_出エジプト21 ルカ6@27-49

■出エジプト21:5しかし、もし、その奴隷が、『私は、私の主人と、私の妻と、私の子どもたちを愛しています。自由の身となって去りたくありません』と、はっきり言うなら、21:6その主人は、彼を神のもとに連れて行き、戸または戸口の柱のところに連れて行き、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。彼はいつまでも主人に仕えることができる。
★主人の愛を前提として、いつまでも主人に仕えたい、去りたくないとは、まさにキリストとキリスト者との関係です。これ以降有名な「目には目。歯には歯。手には手。足には足。」と続きますが、これは報復を正当化する基準ではなく、犯罪に対する罰としての裁判の基準です。また主は弱い立場を守るために心を尽くされます。「自分の男奴隷の歯一本、あるいは女奴隷の歯一本を打ち落としたなら、その歯の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。」と言ったこともその一つです。人権を軽んじる者を主は裁かれます。

■ルカ6:41あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
★イエス様は、悪事に対して見ないふりをすべきであるといっておられるのではなく、自分の罪を見落とすほど、他の人の罪を気にするべきではないと言っておられる。私たちはしばしば他の人の同じ過ちを指摘して、自分の罪を正当化する。お互いにとって最も批判しやすい「ちり」は? 批判したくなったとき自分のを梁を認めることのできる人はさいわです。いってらっしゃい。

火曜日, 6月 10, 2014

20140610_出エジプト20 ルカ6@1-26

■出エジプト20:23あなたがたはわたしと並べて、銀の神々を造ってはならない。また、あなたがた自身のために金の神々も造ってはならない。20:24わたしのために土の祭壇を造り、その上で、羊と牛をあなたの全焼のいけにえとし、和解のいけにえとしてささげなければならない。わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福しよう。
★主がモーセを通してイスラエルに十戒を授けた直後に語られた言葉です。私たちは主はご自身と較べることのできるものはないことを認めなければなりません。このお方のみが私たちの人生に祝福の計画を抱き、持ちはこんで下さるお方です。

■ルカ6:12このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。6:13夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。
★この中にはやがて主を裏切るイスカリオテのユダも含まれています。なぜ夜を徹して祈られたのか。その裏切りの可能性も知りつつ、ユダを愛する心を定めるためです。何のために祈りをささげるのでしょう。単なる祈りは自己実現の道具ではありません。感情的な反応の生涯ではなく、断固意志をもって愛を選択する者の生涯にとって祈りは不可欠なもの。あなたは何のために心を主の前に注ぎ出しますか。

月曜日, 6月 09, 2014

20140609_出エジプト19 ルカ5

■出エジプト19:5今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。19:6あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」
★十戒を授ける前に主がイスラエルに語られたことばで、主はイスラエルを祝福することを通してご自身が世界の主であることを現そうとされます。そして今やキリストを主と告白したあなたを祝福することを通して、主はご自身の栄光を世界に現そうとしておられます。

■ルカ5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★人生において主から祝福を受け取る秘訣がここにあります。自分の経験や知識を超え、信仰によって神の言葉を信頼し、主が語られたとおりに行動する。その時人は奇蹟を体験し、同時にキリストが主であることを体験します。ペテロはこのあと「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と語りましたが、あなたはこの経験をお持ちですか。いってらっしゃい。

日曜日, 6月 08, 2014

20140608_出エジプト18 ルカ4@31-44

■出エジプト18:25モーセは、イスラエル全体の中から力のある人々を選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民のかしらに任じた。18:26いつもは彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセのところに持って来たが、小さい事件は、みな彼ら自身でさばいた。
★モーセが疲れず、民が疲れないために。しゅうとイテロの進言を受け取るモーセです。「人はそれぞれ負うべき重荷があるのです」とありますが、神の民は主体的に共同体に貢献することが求められています。

■ルカ4:42朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。4:43しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」
★イエス様を内側から動かす動機は決して自分の居心地良さを求めてと言うことではありません。何としても、一人でも多くの人に神の国の福音を伝えたいとのそれでした。その人を動かす内なる動機が何かによって生き方の現れは変わりますね。あなたはどんな動機や原則を軸にぶれることのない人生を生きたいですか。

土曜日, 6月 07, 2014

20140607_出エジプト17 ルカ4@1-30

■出エジプト17:14【主】はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」
★「このことは書き物にせよ」と、主が命じられるほどに大切な事とはなんでしょう。アマレク人との戦いにおいて、実際の戦いの背後でモーセが祈りの手を上げている時にはイスラエルが勝ち、手を下げた時にはアマレクが勝ったということです。執り成しの祈りには力があります。あなたは誰のために、何のために隠れた執り成しの手をあげますか。

■ルカ4:13誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。4:14イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。
★荒野で40日の悪魔の試みに会われた直後のことについて、聖書はここで「イエスは御霊の力を帯びて」と表現します。目に見える力、自信、勇気はどこで培われ湧いてくるのでしょう。それは隠された生活によってです。あなたは、人の前と、誰も見ていない時と、生活の姿勢や価値観に変化が生まれますか。それとも、いつも主を意識し、主と共に歩んでいるので、変わることはありませんか。力が満ちあふれるのは後者です。いってらっしゃい。

金曜日, 6月 06, 2014

20140606_出エジプト16 ルカ3

■出エジプト16:35イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた。
★イスラエルはエジプトをあとにし、約束の地カナンに入るまで、不信仰のゆえに1週間の行程を結果40年かけることになりました。しかしその間荒野において、神様は天よりの食物マナを降り注ぎ続けて下さいました。民がたとえどんな不信仰や反逆、罪を犯してもです。主はなくてはならないものは与えて下さるお方。ここに主の憐れみ、愛、真実といったご人格が表れます。

■ルカ3:7それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。3:8それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
★イエス様の道備えをしたバプテスマのヨハネです。「まむしのすえたち、……悔い改めよ」などと、人に嫌われることをいったい誰が好きこのんで語りたいでしょう。むしろ人受けし、人に好かれることを語りたいものです。しかしあえて前者を選ぶここにヨハネの人格があります。神様を愛し、真に民を愛するヨハネ。あなたはどんな人でもあなたに厳しくする人は嫌いですか。それともその人の動機を探り求め、理解しようとする気持ちをお持ちですか。いってらっしゃい。

木曜日, 6月 05, 2014

20140605_出エジプト15 ルカ2@25-52

■出エジプト15:25モーセは【主】に叫んだ。すると、【主】は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、【主】の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは【主】、あなたをいやす者である。」
★苦くて飲めなかった水が投ぜられた一本の木によって甘いものに変えられました。これはキリストの十字架の予表でもあります。偶像礼拝をしないなら、との契約をもって民を祝そうとする神様ですが、これからどんな展開となるでしょう。「私はある」という主を捨てるわけではありません。しかし他の神々も拝みたいは立派な偶像礼拝です。カギは主のみを拝するならです。

■ルカ2:51それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
★イエス様の12歳の時の宮詣でにおけるエピソードで「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」は有名です。なぜこのあとイエス様は両親に仕えることが出来たのか。それは自分が何者であるかの認識がしっかりとあったからです。もちろんそれは神の命を受けて世に来た御子との自覚です。さてあなたはどんな自覚のうちに今日遣わされますか。いってらっしゃい。

水曜日, 6月 04, 2014

20140604_出エジプト14 ルカ2@1-24

■出エジプト14:29イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。14:30こうして、【主】はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。
★出エジプトのできごとです。神様による救い、みわざを見るために、求められるのは信仰です。背後から追って来るエジプトの軍勢は、イスラエル民族にとっては信仰がためされる試練ですが、パロにとっては命取りとなった誘惑の出来事です。パロは「われわれはいったい何ということをしたのだ。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。」と告白したこの刈り取りを、自らの人生を通してなしたのです。貪欲がいかに人の内面を破壊し、その生涯を滅ぼすか。私たちでは神ではなく、神様から流れる愛を受け取って、感謝の礼拝をささげる存在としてつくられました。

■ルカ2:11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。2:12あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
★救い主キリストの誕生です。王宮や神殿にではなく飼い葉桶の中に。救い主イエス様はどんな立場であっても、本人が望めば誰でも礼拝をささげることができるところに、お生まれ下さいました。もちろん今日あなたがささげるこの礼拝も受けて下さっています。いってらっしゃい。

火曜日, 6月 03, 2014

20140603_出エジプト13 ルカ1@39-80

 ■出エジプト13:21【主】は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
★選びの民とともに歩んで下さるお方。それが主です。

■ルカ1:63すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。1:64すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
★バプテスマのヨハネの父となるザカリヤが、子の名をヨハネと記したとき、彼の口は解かれ、しゃべることができるようになりました。神様が御心を行われるとき物事を連動させて導かれます。ゆえに私たちは「つじつまを合わせて下さるのは主」と告白しましょう。いってらっしゃい。

月曜日, 6月 02, 2014

20140602_出エジプト12 ルカ1@1-38

■出エジプト12:41四百三十年が終わったとき、ちょうどその日に、【主】の全集団はエジプトの国を出た。12:42この夜、【主】は彼らをエジプトの国から連れ出すために、寝ずの番をされた。この夜こそ、イスラエル人はすべて、代々にわたり、【主】のために寝ずの番をするのである。
★イスラエルが出エジプトを果たすとき寝ずの番を下さる主。選びの民を忘れることなく、その叫びを聞き、心を動かされ、遂には寝ずの番をもってあなたを救い出されるお方。それが主です。死の使いから守られるために、小羊がほふられ、その血が鴨居に塗られましたが、今やキリストを信じるあなたには目には見えないキリストの血が塗られています。

■ルカ1:37神にとって不可能なことは一つもありません。」1:38マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★「神にとって不可能なことはひとつもありません。」と、この言葉を受け取って、自らの生涯を神様の前に差し出した人々によって神の歴史は造られます。あなたでなければ成し遂げることのできない、そこに御国をもたらすためにマリヤ同様「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と、ご自身を差し出しましょう。それを献身と呼びます。おそれることはありません。その様に生きる時、主ご自身がいと高き力をもってあなたを覆い、あなたを守られるのです。いってらっしゃい。

日曜日, 6月 01, 2014

20140601_出エジプト11 マタイ28

■出エジプト11:9【主】はモーセに仰せられた。「パロはあなたがたの言うことを聞き入れないであろう。それはわたしの不思議がエジプトの地で多くなるためである。」
★たとえどんなにパロが心を頑なにしても神様のわざは必ずなります。聖徒に必要なのは信仰と忍耐です。

■マタイ28:17そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
★復活がいかに人間の理解を超えた恵みであるか。人間の弱さと神の恵みがあらわされた言葉です。時に不信仰になるのはあなただけではありません。しかしキリストは甦られたのです。