火曜日, 1月 31, 2012

20120131_ヨブ1_使徒6

■ヨブ1:21そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」1:22ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。
★次々に試練が臨み、遂には7人の息子と3人の娘が天災で亡くなった時にヨブが語った言葉が上の内容です。十字架に釘付けられた一番苦しいその時、キリストは「父よ彼らをおゆるしください。」と祈られました。人は最も苦しいその時、どんな言葉を語るかでその人の内面を表すことになるのです。そしてヨブは上の言葉を語ります。あなたは「その」試練の中でどんな言葉を語りますか。

■使徒6:8さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。……6:15議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。
★教会でおこった差別の問題の解決のために立ち上がったステパノ。自分の人生を捧げて主と教会に仕えていたら、彼は聖霊に満たされいつの間にか天使の様に輝いていたのです。人は与えることを通して輝き、より祝福されます。何をどれだけ持っているかではなく、持っている者を神と人のためにどれだけ捧げるか、すなわち貢献の人生を選び取るかで人は違った人生を歩みます。「受けるよりは、与える方が幸いである」と語られた主のことばを心に留め、実際の行動に生かしましょう。ヒデ

月曜日, 1月 30, 2012

20120130_詩篇148_マラキ3_使徒5

■詩篇148:13彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。
★「主をほめたたえよ」と全体で勧め、その根拠について最後に「その威光は地と天の上にあるからだ」で締めくくられる詩篇です。あなたは被造物の中に神様の威光感じていますか。

■マラキ3:10十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。─万軍の主は仰せられる─わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。3:11わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。─万軍の主は仰せられる─
★知って下さい主の心を。主は僅かな私たちの財を奪い取りたいわけではありません。むしろさらに多く与え管理させたいのです。しかしどれ程の人が財の祝福を祝福として受け取れるか。「私を試してみよ」と神様が語られる箇所はここだけです。与える心、憐れみの心を自身の民に養いたい父なる神様の心を受け取りましょう。

■使徒5:38そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。5:39しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」彼らは彼に説得され、……釈放した。
★分からないことを先走りして裁かず神様の御手に委ねる。真のパリサイ人ガマリエルの選択です。心に留めましょう。あなたは先走りしていませんか。ヒデ

日曜日, 1月 29, 2012

20120129_マラキ1_使徒4

■マラキ1:7あなたがたは、わたしの祭壇の上に汚れたパンをささげて、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか』と言う。『主の食卓はさげすまれてもよい』とあなたがたは思っている。
★預言者ハガイとゼカリヤの激励を受けてイスラエルはバビロンからの帰還後、神殿再建後に立ち上がります。しかし彼らが期待するような祝福が訪れなかったとき、イスラエルの礼拝は空虚な形式と化し、神様へのささげ物、律法の遵守は軽視されます。そんな時預言者マラキは上の言葉を取り次ぎます。あなたはあなたの思い、期待が願ったように行かない場合どんな反応を神様にあらわしますか。願わくはお互いの霊の目が近視眼から解放されますように。

■使徒4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」4:13彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
★いったいどうした事でしょう。何がこんなに弟子たちを、ことにペテロを強くしたのでしょう。婦人のことばにさえ臆病風をふかせ逃げ出したペテロなのに。答えは主です。主がどんな時にも共にいてくださる。そこに目が開かれる。そして自らもその主と共にいることを願う。決して自分の意志や努力や能力によって強くなるのではありません。あなたはあなたを強くして下さる主によって何事でもできると聖書が語ることをしんじますか。ヒデ

土曜日, 1月 28, 2012

20120128_詩篇1

■詩篇1:1幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
★聖書はしばしは神様によって造られた人を木にたとえますがここもその一つです。真に豊かな結実は、見える部分よりも見えない根がどこに根ざしているかで決まるため、水路のそばに植わった木として譬えられたのです。では、この詩篇の記者の心の中心にあったものとは何でしょう。御言葉です。あなたの心の一番の関心事は何ですか。それは友とお金の使い道をみれば分かります。豊に受け、豊に与える人生を目指しましょう。なぜならそこに幸いと神様の祝福があるからです。主は「受けるより与える方が幸いである」と語られました。ヒデ

金曜日, 1月 27, 2012

20120127_ネヘミヤ9_使徒2

■ネヘミヤ9:36ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。
★同じ過去の失敗を繰り返してはならない。心ある民と共にエルサレムの城壁の再建を完成させた指導者ネヘミヤは、「汚いものには蓋を」と言った過去に対する姿勢ではなく、もう一度民の前に過去の歴史をひもとき、新たな歴史の一歩を刻むために、自分たちの過ちを悔い改めます。その結果イスラエルはどんなことがあっても偶像礼拝をしない民となったのです。それにしてもこの章ほど旧約聖書中のユダヤ人の歴史を簡潔にしかも深く解説している箇所があるでしょうか。是非目を通してください。そして自分のものにして下さい。

■使徒2:1五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。2:2すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。2:3また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。2:4すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
★主の昇天10日後、弟子たちは聖霊に触れられました。あなたは聖霊様に触れられたことがありますか。失敗を繰り返していたペテロも14節では「11人と共に立って声をあり上げて……」と紹介され、この後弟子たちは3000人が悔い改め、主を信じる光景を見たのです。私たちが求めるべきは聖霊様です。聖霊様に飢え渇きましょう。そして神様の事業に参加貢献する者とさせて頂きましょう。ヒデ

木曜日, 1月 26, 2012

20120126_使徒1

■使徒1:4彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。1:5ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
★聖霊をこの朝意識しましょう。聖霊とは何でしょう。ルカ11章では「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」と、私たちが神様から受け取るべき最も重要なものであることを教えます。天のお父様は私たちがキリストを信じたとき、聖霊が私たちの心の内に住んで下さるように救いを完成して下さいました。
しかしそこに留まることなく、上から臨む聖霊のバプテスマによって満たされることを計画し、それを願っておられるのです。人が聖霊に満たされる場合の表れはそれぞれで、使徒たちの場合は異言を語り出したのです。いずれにしても求めるべき聖霊のバプテスマがあります。そしてこのバプテスマを受ける時、人は力を受け神様の御心を力強く証しするものとなるのです。求めましょう。そして不思議を体験する生涯を歩み出しましょう。そのために主を待ち望み心を合わせて祈りましょう。どうぞ聖霊様私の上に臨み、私を満たし、私を主の承認とさせて下さい。ヒデ

水曜日, 1月 25, 2012

20120125_ネヘミヤ6_詩篇146_ルカ24

■ネヘミヤ6:6それには次のように書いてあった。「諸国民の間に言いふらされ、また、ゲシェムも言っているが、あなたとユダヤ人たちは反逆をたくらんでおり、そのために、あなたは城壁を建て直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。6:7また、あなたはエルサレムで、自分について宣言させるために、預言者たちを任命して、『ユダに王がいる』と言わせている。今にこのようなことが王に聞こえるであろう。さあ、来なさい。いっしょに相談しよう。」
★エルサレムの城壁再建を目指す指導ネヘミヤに、敵対者は上記の文面の手紙を送りつけネヘミヤの心をくじこうとします。以下に巧妙な誘惑でしょう。ここから言えることは神様の事業に関わろうする時、その動機が探られ、とてもではないけれど不純なものを抱えたまま進むことはできないと言うことです。動機が探られることは神様の恵みです。

■詩篇146:3君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。146:4霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。146:5幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。
★望みは人にではなく神様にあります。

■ルカ24:49さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
★ルカによる福音書の最後の部分です。復活の主は弟子たちを派遣する前に、待ち望むようにと語ります。出て行くだけでもなく、こもるだけでもない。このバランスが大切です。しかし力は上から着せられます。御言葉の確信が力となるのです。聖霊様に満たされるように求めて祈りましょう。ヒデ

火曜日, 1月 24, 2012

20120124_ネヘミヤ4_ルカ23

■ネヘミヤ4:11一方、私たちの敵は言った。「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。」4:12 そこで、彼らの近くに住んでいたユダヤ人たちがやって来て、四方から十回も私たちに言った。「私たちのところに戻って来てほしい。」4:13 そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。
★イスラエルの民がネヘミヤと共に神殿の城壁を半ばまで完了させた時、いよいよ反対する勢力はその働きを阻止するために徒党を組みます。その方法は「彼らの知らないうち、見ないうちに、彼らの中に入り込んで……」でした。これがサタンの方法です。神の民の中に不信と恐れを生じさせ一致を奪い分裂させる。あなたの人生を神様は完成させて下さるためにいかに語っておられますか。恐れに動機づけられてはなりません。信頼できる人と祈り合い乗り越えましょう。

■ルカ23:22しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」23:23ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。
★主はこの後ローマの兵卒達に渡され罪のないまま十字架にかけらることに。永遠のいのちを持ち合わせていなかったピラトは結局、世の力に負けました。聖書は「世に勝つ者は誰か。それはイエスを神のこと信じる者ではないか」と語ります。この戦いと葛藤の場に置かれるのは何もピラトばかりではありません。あなたの決断いかんで歴史がつくられるか否かの時があるのです。その時のために自分の弱さから逃げてはなりません。むしろ主を仰ぎましょう。ヒデ

月曜日, 1月 23, 2012

20120123_ネヘミヤ1_詩篇133

■ネヘミヤ1:3すると、彼らは私に答えた。「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。」1:4私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、1:5言った。
★ペルシャ帝国で王の献酌官として仕えるネヘミヤ。捕囚から逃れた母国の民からエルサレムの痛んだ状況を聞かされたとき、彼は我が事のように心を痛め、神様の前にとりなします。しかし、そこで終わる人も多いでしょう。けれども彼は遂にその城壁の再建のために母国に帰り✔それを成し遂げます。その一連の出来事が記されたこのネヘミヤ記です。あなたはこの書から何を学ぶでしょう。まずは痛み憂い神様の前にとりなす尊さを覚えましょう。

■詩篇133:1見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。133:2それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。133:3それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
★私の仕えさせて頂いている御影福音教会では昨日新会堂建築のための昼食と食品バサーがありました。みなが作った商品を求め、そのあとカレーを焼きそばを、喫茶でコーヒーをと、皆の楽しそうな雰囲気。私もその場にいて、どれ程心和み楽しんだことか。むすめ達も楽しかったことを夕食後笑顔満面に次から次へと話してくれました。神の教会の豊かさ、兄弟がお互いを認め、いたわり合い、お互いの賜物を惜しみなくささげて、一つになって生きること、これこそがまさに天国と思わされました。ヒデ

日曜日, 1月 22, 2012

20120122_エズラ10_詩篇131_ルカ21

■エズラ10:2そのとき、エラムの子孫のひとりエヒエルの子シェカヌヤが、エズラに答えて言った。「私たちは、私たちの神に対して不信の罪を犯し、この地の民である外国の女をめとりました。しかし、このことについては、イスラエルに、今なお望みがあります。
★イスラエルはこの前に明確に「外国の娘をめとるのはさけなさい」と神様から語られていたにも関わらずそれに背きました。その結果彼らは良心の呵責に苦しみますが、そこでシェカヌヤは神様の憐れみにすがって民に希望のメッセージを語ります。悔い改めるなら神様は必ず救いの道を開いて下さるお方。あなたもこのメッセージが託されています。

■詩篇131:1主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。
★この作者ダビデは自分の力で物事を思い通りに動かそうとする時、その代償はいかに大きなものになるかをバテシェバへの過ちを通して肌身で知る人となりました。その結果が上の告白です。しかりをしかり、いいえをいいえとする人生の尊さを覚えましょう。

■ルカ21:27そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。21:28これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」…… 21:33この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★これらのことと記されている内容が、まさに今世界を驚かす様々な天変地異や紛争、あるいは目を覆いたくなるような出来事と言うことができるでしょうか。私たちは襟を正す必要があります。主は明日来られるかも知れません。そして間違いなく言えることは私たちは主の前に立つのです。ヒデ

土曜日, 1月 21, 2012

20120121_エズラ7-8_ルカ20

■エズラ7:20その他、あなたの神の宮のために必要なもので、どうしても調達しなければならないものは、王の宝物倉からそれを調達してよい。7:21私、アルタシャスタ王は、川向こうの宝庫係全員に命令を下す。天の神の律法の学者である祭司エズラが、あなたがたに求めることは何でも、心してそれを行え。
★ペルシャの王アルタシャスタが神の預言者エズラのため、宝庫係全員に下した命令が上の言葉です。こうしてイスラエルのは捕囚後エルサレムに帰還し神殿の再建に取りかかることができたのです。イエス様もまたあなたのために、御使いに命じて、彼にどうしても必要なものは用意せよと命じてくださるお方です。あなたは自身のうちにキリストの形ができることのために、飢え渇いて神様に求めることがありますか。

■ルカ20:22ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」20:23イエスはそのたくらみを見抜いて彼らに言われた。20:24「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。20:25すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★ローマの属国とされていた当時のイスラエルはカイザルの配下にあり、当時の社会のコインにはカイザルの碑がが刻まれていました。上の言葉はそんな中、イエス様を陥れようと妬みに駆られる宗教家が、主に尋ねた質問ですが、主は大切な価値観をここで明らかにされました。カイザルのものはカイザルに。社会的責任は責任として果たし、「神の形」に似せて造られたあなたは、あなた自身を神様に返しなさいと。神様と交わることのできる「神の形」、これこそがあなたを永遠に導く宝です。ヒデ

金曜日, 1月 20, 2012

20120120_エステル9_ルカ19

■エステル9:24なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、9:25そのことが、王の耳に入ると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。
★3章から一気に9章へと飛びましたが危機一髪の状態から完全な勝利があたえられるユダヤの民の姿がここには紹介されます。神様はご自身を畏れる者のために、要所要所、不思議に働いてくださり助け出して下さいます。まさに八方塞がりでも天は開いているです。また、罪なき者を辱める人に対しては神様からの警告のメッセージがここにはあります。「人は蒔いたものを必ず刈り取るようになる」です。ハマンではなく、主を畏れ主を信頼するモルデカイの人生を歩みましょう。

■ルカ19:45宮に入られたイエスは、商売人たちを追い出し始め、19:46 こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」
★主は公生涯の最初とこの部分すなわち最後に、2度宮きよめをなさり「わたしの家は、祈りの家でなければならない」と語られました。どれほど祈りを通して神の民が心を神様に向け、神様からの語りかけにあずかることを願われたことでしょう。そしてそれを実践するあなた。あなたを主はどれほど喜こんでおられることでしょう。あなたは神様に愛されています。胸を張って今日も一日歩み出しましょう。ヒデ

木曜日, 1月 19, 2012

20120119_エステル3_ルカ18

■エステル3:1この出来事の後、アハシュエロス王は、アガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を、彼とともにいるすべての首長たちの上に置いた。3:2それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。
★神様を真に畏れるモルデカイが、神様を侮り民を辱める大臣ハマンの前でどんなに脅されようと毅然とした態度を保とうとする生き様は主を畏れるクリスチャンにとって大きなチャレンジです。しかし私たちが、私たちに快く接しようとしない全ての人を仮想ハマンにしたてたとしたら要注意です。キリスト者は何より和解の使者として立てられたことを心に覚えることは大切です。

■ルカ18:10「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。18:11パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。18:12私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』18:13ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
★神様はこの二人のうちどちらの祈りをお聞き下さったかあなたはご存じでしょう。ではこの譬えをイエス様は誰に向かって語られたでしょうか。聖書はそれを「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対して」と記します。誰であっても、またどんな時にも注意すべきは高慢です。なぜならこれ以外に一瞬のうちに人生滅ぼすものはそうないのです。ヒデ

水曜日, 1月 18, 2012

20120118_詩篇150_ルカ15

■詩篇150:1ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。150:2その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。150:3角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。150:4タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。150:5音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。150:6 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。
★「主をほめたたえよ」と、勧めとしてではなく、命令形で繰り返されるこの章。あなたはなぜ著者がそのように語るのか納得できますか。ここではその理由、手段、場所と展開し、最後は「息のあるものはみな」と語ります。あなたはこの主によって命与えられました。

■ルカ15:1さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。15:2すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」15:3そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
★以上の背景からこの章ではイエス様が語られた3つの譬えが紹介されます。失われた羊。失われたコイン、放蕩息子のたとえがそれです。テーマは「失われたものの回復」です。失われかたは、いつのまにか迷子になったもの、不可抗力によって、自分から反発して飛び出した者とそれぞれですが、みな等しく失われています。では回復の方法はと言うなら、やはり同様に主人の方が探し出しているのです。なぜでしょう。主人にとって一人一人は他のものによっては代えることのできない大切な存在だから。主はそのことを伝えるたかったのです。あなたにもです。ヒデ

火曜日, 1月 17, 2012

20120117_詩篇138_ルカ16

■詩篇138:6 まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます。138:7私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます。138:8主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。
★昨日はディボーション配信できませんでした。ごめんなさい。ここ3、4年なかったと思うのですが、溜まっていた疲れが一気に出たのか、礼拝後ダウンし、昨日は起き上がれずゆっくりさせて頂きました。ご心配をお掛けしました。でももう大丈夫です。しかし主は私たちがどんな状況でも、私たちお互いにかかわる全てのことを成し遂げてくださるお方なんですよね。

■ルカ16:31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』
★死後の生について、主がある金持ちとラザロとの会話を通して語られた聖書箇所です。結論部分で主は上記の通りアブラハムのことばを引用します。「モーセと預言者」とは、ユダヤ人が聖書を表す一般的な表現ですが、何よりユダヤの人々はみなアブラハムの生き方に尊敬の思いと、そのことばに信頼を置いていたのです。なぜでしょう。言わずとしれた、私たち同様、彼には欠けや罪深さがありましたが、だからと言って自分を見て落胆し、神様への従順を止めることをせず、神様に信頼し続け、ついに神様によって自分自身の生涯を完成に導いて頂いたからです。あなたも、私も誰かにとってアブラハム的存在にならなくてはなりません。それがイエス様の愛にむくいる人生です。ヒデ

日曜日, 1月 15, 2012

20120115_詩篇126_ルカ14

■詩篇126:4主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。126:5涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。126:6種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
★よく言われることですが私たちは生きて来たように死に、蒔いて来たように刈り取ります。その生涯に何もまかなかったと言うことはないでしょう。よきに付け悪しきに付け、またそれが有益、無益のいかんにかかわらず、人は蒔いたものを刈り取るのです。永遠を見据えて悔いのない種を蒔きましょう。また唯一、このましくない当然の刈り取りの結果を祝福に変更する方法があります。十字架です。刈り取りとあなたの間に十字架を立てる祈りを捧げましょう。主はあなたの呪いを祝福に変えるために十字架で救いを完成して下さいました。

ルカ14:18ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。』14:19もうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。』14:20また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』
■いかにして人は神様の祝福を失うのか。この譬えはそのことを豊に紹介します。神様の招きのことばを軽んじているのです。また自分の事で心がいっぱいとなり、周りが見えていないのです。またこの生き方は神様が与えて下さる恵みのチャンスさえ受け取り損ねます。偶然ではありません。何度チャンスが与えられても、必然として受け取り損ねてしまうことでしょう。あなたは他の人の善意を受け取る心の用意出来ていますか。ヒデ

土曜日, 1月 14, 2012

20120114_ゼカリヤ7_ルカ13

■ゼカリヤ7:10やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな。」7:11それなのに、彼らはこれを聞こうともせず、肩を怒らし、耳をふさいで聞き入れなかった。7:12彼らは心を金剛石のようにして、万軍の主がその御霊により、先の預言者たちを通して送られたおしえとみことばを、聞き入れなかった。そこで、万軍の主から大きな怒りが下った。7:13「呼ばれたときも、彼らは聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない」と万軍の主は仰せられる。
★振り返ればそもそもイスラエルの民はなぜ70年もバビロンに連れ去られ、そこで惨めな生活を送らなければならなかったのか。主は真実なお方、イスラエルは繁栄の中でおごり高ぶり、心頑なにし、やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげ辱めたからです。すなわちイスラエルは蒔いた種を自分で刈り取ったのです。神様をあなどることは出来ません。

■ルカ13:6イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。13:7そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』13:8番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。13:9もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
★毎年毎年、私のためにこうしてとりなして下さっているイエス様があなたにはある。ゆえに支えられて今日まで生かされている。これが救いです。高慢は人の心を暗くさせ、この事実を見えなくさせてしまいます。主の執り成しを感謝しましょう。ヒデ

金曜日, 1月 13, 2012

20120113_ゼカリヤ4_ルカ12

■ゼカリヤ4:6すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。4:7大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」
★バビロン捕囚から帰還したイスラエルの民。彼らは一番に神殿建築を成し遂げようと努力しますが、そこには様々な問題が立ちはだかります。しかしそんな民と、ダビデ王家直系の子孫ゼルバベルに対して、神様はゼカリヤを通して上の様に励まされました。あなたも神様の事業を成し遂げようとする時、必ず様々な問題がおこるでしょう。しかし諦めてはなりません。主はあなたの前にある問題を取り除かれるお方です。集団的な力でも、個人的力によるのでもなく、神様の方法をもって。神様を求めましょう。

■ルカ12:49わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。……12:51あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。
★主がみ位を捨ててまでこの世に来られた理由が、分裂を起こすため出ないことはお分かりでしょう。失われた人を訪ねだして救うためです。しかしそのために、私たちには火(聖霊)を投げ込まれる必要があるのです。その時はじめて罪が示され、本当の自分というものを見せられるのです。聖霊以外に正しく人の心を照らし、それを計るもの差しはありません。その時の反応は人それぞれ、自由意志に委ねられていますが、それで永遠が決定するのです。自分の中におこる葛藤を家族にぶつけ分裂を作り出す者ではなく、罪を十字架につけて御国に入るものでありますように。ヒデ

木曜日, 1月 12, 2012

20120112_ゼカリヤ3_ルカ11

■ゼカリヤ3:7「万軍の主はこう仰せられる。もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたはまた、わたしの宮を治め、わたしの庭を守るようになる。わたしは、あなたをこれらの立っている者たちの間で、宮に出入りする者とする。
★火から取り出した燃えさしのような、バビロン捕囚から解放されたばかりのユダ民族。しかし主は、そんな彼らを、上の語りかけをもって励まします。主こそが私たちの弱さを理解し、どこまでも弁護して下さるお方です。聖書は「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。」(1ヨハネ2:1)と語ります。

■ルカ11:10だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。11:11あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。11:12卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。11:13してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
★弟子たちの求めに従って「主の祈り」を教えられた主は、譬えをもって上のことばを語ります。そしてその結論が「どうして聖霊を……」でした。私たちは神様に求める時、何を求め、切に祈るのでしょうか。神様は「聖霊」すなわち神ご自身を与えて下さる。あなたの内に私自身を与え、宿ると語られます。これこそが神様の答え。聖書の奥義、また栄光の望みです。私たちはこの恵みによって、神にあって自立したものとなり世に貢献できるのです。ヒデ

水曜日, 1月 11, 2012

20120111_ハガイ2_ルカ10

■ハガイ2:23その日、─万軍の主の御告げ─シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。─主の御告げ─わたしはあなたを印形のようにする。わたしがあなたを選んだからだ。─万軍の主の御告げ─」
★ペルシャの王クロスは紀元前539年、バビロンにとらわれていたイスラエルの民を解放し、帰還命令を出します。民は帰国と共に即座に神殿再建に取りかかりますが、預言者ハガイ自ら、民と共に神殿建設工事に携わり、民のよき模範となって労します。そんな預言者が民に語ったことばが上の内容です。神様にとってあなたの変わりとなる存在はありません。神様はあなたに関わり、必ずあなたを回復し、建て上げられます。

■ルカ10:36この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」10:37彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
★主が語られた有名なよきサマリヤ人のたとえです。神様のみ位を捨てて人となり、惜しみなく罪人のために自分自身を注ぐ。主ご自身がよきサマリヤ人でした。世は何といそがしさと失敗の恐怖によって人をしばり、あわれみの心を萎縮させることでしょう。痛んだ人の反対側を通らせ、見て見ぬふりをさせ、足早に通り過ぎさせようとするのです。しかし主は語られます「あなたも行って同じようにしなさい」と。しかしこの道が実はあなたもいかされる道なのです。示されたなら勇気を持って立ち止まり、主を仰ぎましょう。主があなたを励まして下さいます。なぜならあなたはイエス様が「私の友」と呼ばれる道を選び取ろうとしているのですから。ヒデ

火曜日, 1月 10, 2012

20120110_詩篇127_ルカ9

■詩篇127:1主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。127:2あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。
★あなたの誠実な努力を否定しているわけではありません。しかしこの詩篇の記者はそれ以上に人間の努力にまさる神様の配慮について褒めたたえようとしているのです。あなたはこの都上りの歌にアーメンと告白することができるでしょうか。できるなら感謝。もし困難なら「自分」にバイアスが少し掛かりすぎていませんか。そのままでは様々な関係に摩擦が生じてしまいます。さらに神様の前に静まって今までに神様と人から受けた恵みを数えてみませんか。

■ルカ9:57さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」9:58すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
★既に主の弟子とされた身ですから「どこにでもついて行きます」と心で唱えることは比較的容易ですが、いざ実際の生活でその通りにすることは簡単ではないですね。それでも、そこに生きることを願うなら、まず父と母への依存から解き放たれる必要をこの章の後半で主は語られました。「人はその父と母を離れて妻と結び合いひとつとなる」との自立の道は今も昔も変わりませんし、またその自立を妨げてはなりません。ヒデ

月曜日, 1月 09, 2012

20120109_ルカ8

■ルカ8:16あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。8:17隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。8:18だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
★主はここで「聞き方に注意しなさい」と語られます。聞き方。受け取り方はそれぞれ違うと言うのです。もっと言うと、聞くということの背後には皆それぞれ持っている価値観や思いと照らして、同意できるものには同意し、できないものについては「?」を付けて、評価する作業を行っていると言うことです。そうした基準を持っていることが悪い訳ではありません。もっていなければ誰かの言いなりの人生で、自立した生き方は決してできません。ただそれに間違った色眼鏡が掛かっていないか。多くの場合人は偏見なく聞きたいと願いますが、聞き方において失敗するのはこのためです。イエス様が語られることばは、この私たちの偏った色眼鏡に気づかせ、それを取り除くのを助けて下さる神様のことばです。感謝と信頼をもって応答して行きましょう。ヒデ

日曜日, 1月 08, 2012

20120108_詩篇84_ルカ7

■詩篇84:10まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。84:11まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。84:12万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。
★幸いな人とはどんな人でしょう。経済的、あるは健康面においてなんの心配もなく、きれた風船のように、ここあそこと出没し、気楽な人生を送ることでしょうか。いいえ。主の御言葉によるならそうではありません。自分自身への主の愛を疑うことなく、主が自分のために備えて下さったご計画を感謝をもって受け止める人、また主の使命を受け取ってそこにいのちを注ぐ人です。主の宮の破れを繕うために隠れた所で、主しか知らない愛の業をなしえる幸いを感謝しましょう。

■ルカ7:13主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。7:14そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われた。7:15すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。
★主とはどんなお方でしょう。ここから教えられる主の姿とは、人の憂いを憂いで、悲しみを悲しみで終わらせないお方。遅すぎることのないお方。主はやもめとなった母親の息子をその母のもとへ返して下さいました。主の愛を受け取りましょう。信頼し一歩を踏み出しましょう。主があなたに近づかれるのを決して恐れてはなりません。心から歓迎しましょう。主はあなたの生涯を支えて下さいます。ヒデ

土曜日, 1月 07, 2012

20120107_ダニエル12_ルカ6

■ダニエル12:1その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。12:2地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。12:3思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。
★ヨハネ黙示録に預言されている艱難時代の後、千年王国の始まりに関する預言です。ゆえに御使いは艱難時代がいかに困難なものかを長き日数で表しつつ「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。12:10多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行い、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。12:12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。12:13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」と語ります。

■ルカ6:12 このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。6:13夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。
★主は十二弟子の召命のために夜を徹して祈られました。あなたのためにも同様に祈って下さっています。それは誰一人同じ人生を歩む人はないからです。みなそれぞれに主と共にでなければ通れない道を歩みます。主はあなたがたとえ死の影の谷を行く時にもあなたと共にいて下さいます。ヒデ

金曜日, 1月 06, 2012

20120106_ルカ5

■ルカ5:4話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」5:6そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。5:7そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。5:8これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。5:9それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
★主が関わってくださり、御声をかけて下さったペテロとは何と幸いな人物でしょう。天地の主なるお方からの語りかけです。しかしその語りかけはプロの漁師にとって、簡単なものではなくむしろ困難を伴うものでした。それでも「お言葉ですから」と、主の言葉に対する従順をもって応答したペテロは、その告白と行動を通して主の不思議を経験し、自らの人生を祝福へと導くことになったのです。主は意味なく人に語りかけを与えることはなさいません。あなたも既に主の御声を聞いたことがあるのではないですか。あなたはその時ペテロの様に従いましたか、それともあなたの常識と経験の方が優先されてしまいましたか。神様の言葉を優先して歩みましょう。その時あなたは奇跡の生涯を歩みます。ヒデ

木曜日, 1月 05, 2012

20120105_ルカ4

■ルカ4:12するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」4:13誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。4:14イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。
★主が公生涯に立たれる前、40日の断食の中で経験したことがここに。悪魔は何とか公生涯が始まる前にイエスを打ち負かそうと霊的誘惑を仕掛けます。「あなたは神の子なんだから、石に命じてパンになれと言いつけよ」。「もしあなたが私にひれ伏すなら、この世の権力の一切をあなたにあげましょう。これらは私に任されていますから」。「あなたは神の子なんだから、この神殿の頂きから飛び降りてご覧なさい。御使いがあなたの足を支えるから」と。
しかし主はひとつひとつ御言葉によってサタンの誘惑に勝利されます。しかしこの朝、心に留めたいのは「誘惑をし尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間だイエスから離れた」との表現です。これは何を意味するでしょう。それは、「ひとつの試練を乗り越えればもう大丈夫という状況には、人はこの地上の人生にあっては立ち得ない」と言うこと。また確かに霊の戦いを勝利することなくして私たちが御霊の力に満たされることのないことです。だからこそこうして日ごとに神様の御心を求め、そこに従順しようとする生活は大切です。油断することなく、お互いの心を守らせて頂きましょう。いのちの泉はここから流れ出すのですから。ヒデ

水曜日, 1月 04, 2012

20120104_ダニエル6_ルカ3

■ダニエル6:26私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。6:27この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。」
★ダリヨス王からの信任を格別に受けるダニエルに、他の大臣達は妬み憤り策略を練り、ダニエルをライオンの穴に投げ込みます。しかし主がダニエルを助け出された時、ダリヨス王は上のごとく詔を全国に発布します。神様を畏れる者には何の試練も臨まないわけではありません。しかし神様はその人を用いて御業をなされ、さらにその人を試練の中でも辱められることのないように守られます。この一年を信仰の一年とさせて頂きましょう。
■ルカ3:21さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、3:22聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
★今バプテスマを受けることを躊躇していらっしゃる方がおありでしょうか。主もかつて、ご自身としては本来受ける必要のない罪の悔い改めの水のバプテスマでしたが、私たちの模範となるために受けられました。バプテスマは神様の定めた御心です。バプテスマにあずかる時、天に大きな喜びがわき上がります。またあなたはあなたのために祈り続けている教会に愛と感謝をあらわすことができます。何より余すところのない神様の祝福をあなた自身受けることができます。心を定めて、この年バプテスマにあずかりましょう。そんなあなたを心から祝福します。ヒデ

火曜日, 1月 03, 2012

20120103_ルカ2

■ルカ2:48両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」2:49するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
★「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」との御使いの讃美と共に、おとめマリアのお腹を借りて人の姿をとって来られ主の12歳の出来事です。平和をつくりだすためには壊れた関係を修復し、さらにその関係が真実に裏打ちされた愛と信頼によって強められなければなりません。主はそのために来られました。そして既に主はこの12歳の時その自覚をもっておられたのです。年に一度の過越の祭りは村人こぞっての都上りでしたが、上の御言葉はその時の主の母マリアと少年イエス様の会話で、群れからいなくなったイエスが迷子になったのではないかと両親は心配し探しますが、何と神殿で宗教指導者達を相手に質問をしているイエス様の姿を見たのです。そして主は「私が父の家にいるのをごぞんじなかったのですか」と逆に両親に尋ねます。あなたには「天の父のもとから遣わされた」との自覚があるでしょうか。地に平和をもたらす使命を生きるためにはどうしてもその自覚が必要です。自分を十字架にまでつけ、そのためにいのちをささげて下さった主への応答の一年を、この年も歩ませて頂きましょう。ヒデ

月曜日, 1月 02, 2012

20120102_エゼキエル45_ルカ1

■エゼキエル45:9神である主はこう仰せられる。イスラエルの君主たちよ。もうたくさんだ。暴虐と暴行を取り除き、公義と正義とを行え。わたしの民を重税で追い立てることをやめよ。──神である主の御告げ──45:10正しいはかり、正しいエパ、正しいバテを使え。
★主は神の選民であるイスラエル共同体において、社会的な不正と混乱の原因がどこにあるかを見抜き上の御言葉を語られます。まず整えられるべきは正しい計りの基準を確立すべきこと。イスラエルの王、すなわち召し出されたキリスト者にあっては社会的に主の清さを守る責任を負っているのです。今年もあなたの生き様に触れることによって誘惑から守られる人がいます。家庭においても、いずこにおいても世の光、地の塩として歩む道を選ばさせて頂きましょう。あなたの存在がまわりの人の祝福となりますように。

■ルカ1:37神にとって不可能なことは一つもありません。」1:38マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★クリスマスのメッセージです。しかしまた、こうして年始にこそ確認されることの望ましいメッセージですね。神様に語られたことを、信仰によって受け取る事からこそ、神様のみわざはスタートします。いえそれ以外に始まることはありません。さあ新年も二日目になりました。信仰の決断をもってあなたはこの年を歩み始められましたか。いつまでも迷っていては、欲と恐れに縛られていては、あっという間に一年は終わり、流された自分に後悔します。神様が「恵まれた人よ」と語って下さることはチャンスです。神様にとって不可能なことは何一つないのですから。信仰の決断をもって一年を始めるあなたの上に神様の祝福が豊にありますように。ヒデ

日曜日, 1月 01, 2012

20120101_エゼキエル43_黙示録22

■エゼキエル43:4主の栄光が東向きの門を通って宮に入って来た。43:5霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光は神殿に満ちていた。……43:7その方は私に言われた。「人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む所である。イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。
★新年あけましておめでとうございます。主の栄光があなたを照らし、あなたの内で輝いています。あなたの内に住まわれる主はここで「わたしは永遠に住み、民は聖なる名を汚さない」と宣言されます。まさにあなたのこの一年についての預言ではありませんか。感謝しましょう。主はこの年もあなたを恵みによって持ちはこばれます。

■黙示録22:3もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、22:4神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。……22:7「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」
★年の初めにまさか聖書の最終章、黙示録22章とは。どんな時にもゴールを意識しなさいとのメッセージでしょうか。あなたはここに記された新天新地で永遠を生きるために召し出されました。そして主の願いはひとりも滅びないことです。あなたにこの神のことばは託されました。主は来られます。あなたのいのちは既に地上ではなく天にかくされていることを覚え、悔いの残らないようこの一年も使わせて頂きましょう。あなたは主の祝福に輝きます。ヒデ