日曜日, 2月 28, 2010

20100228_レビ3-4_詩篇104_1コリント12-13

■レビ3:1もしそのささげ物が和解のいけにえの場合、牛をささげようとするなら、雄でも雌でも傷のないものを主の前にささげなければならない。3:2その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。
★人が、犯した罪のためにあがないのそなえものをささげる原則とは傷のないもの。そしてそのささげものの上に手を置きつつ、罪を告白したのです。それはまさに私たちの罪の身代わりとなって十字架の上で命を捨てて下さったイエス・キリストの予表です。告白し、ほふられる小羊の上に罪を転嫁しつつ、神様の赦しを求めたのです。汚れたものは人の何かを負うどころか、自分の汚れのために代価が求められます。そこに傷のないの意味があります。もう一度あなたのために命を惜しみなく捨てて下さったイエス・キリストの恵みを覚えましょう。

■詩篇104:30あなたが御霊を送られると、彼らは造られます。また、あなたは地の面を新しくされます。

■1コリント13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、13:6不正を喜ばずに真理を喜びます。13:7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。13:8愛は決して絶えることがありません。
★こんな愛を希望を心にたたえた人があるでしょうか。ひとりもありません。だからこそ仰ぎ、あなたのものでではない、上からの主のものを頂くのです。しかし主はここに記された通りの眼差しをもってあなたを見つめ関わって下さるお方でたす。感謝しましょう。ヒデ

土曜日, 2月 27, 2010

20100227_レビ1-2_詩篇103_1コリント11

■レビ1:1主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。1:2「イスラエル人に告げて言え。もし、あなたがたが主にささげ物をささげるときは、だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。
★今日からレビ記です。この書はシナイ山に幕屋を張り広げた時からシナイ山を出発するまでの間に主がモーセに示された内容です。要約すると、「罪ある人間が聖い神様に近づくためにはいけにえが必要である」ということで、以下の5つの供え物についての解説がなされます。全焼の、穀物の、和解の、罪のための、罪過のためのいけにえ。しかし主のものとされた私たちは何という感謝でしょう。十字架の上でご自身をささげられたいけにえ、すなわちキリストの血によって、はばかることなく神様に近づける道が開かれたのです。
差し控えることなく、ためらうことなくです。あなたはこのめぐみに生きていますか。

■詩篇103:9主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。103:10私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。103:11天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

■1コリント11:17ところで、聞いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。11:18まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。11:19というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。
★キリストのみ身体である教会、共同体の中でこそ気づける自分があり、そのことを通して明け渡し、十字架に付け、いのちを注いで頂き、結果キリストに似るものとされる恵みがあることは何と言う感謝でしょう。聖霊もけがれた霊も「関係」の中に働きくことを弁え、神様を畏れて歩めることは幸いです。ヒデ

金曜日, 2月 26, 2010

20100226_出エ39-40_詩篇102_1コリント10

■出エジプト40:36イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。
★これは出エジプト記最後の記述です。この前には「モーセはその仕事を終えた。そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。」と幕屋完成も伝えます。神様の臨在と共に歩むイスラエルの民、それが奴隷生活を脱出した神の民の姿です。またその生活の規準は「それは神様に対する従順です」。神様の導きよりも先走ることなく、また遅れることなく、イスラエルは主の臨在の中に留まりつつ歩んだのです。天国、神の国とはどこかの場所を指すのではありません。神様の臨在が満ちる所、それが天国、神の国です。その広がりが今日も一日あなたの心から始まり、満ち溢れ、周りに祝福をもたらすものとなりますように。

■詩篇102:12しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御名は代々に及びます。102:13あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。

■1コリント10:12ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。10:13あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。10:14ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
★避けるべきは「何」とパウロは諭すでしょう。偶像礼拝です。あなたの生涯がただ神様のみを崇めるものであり、神様からの酬いで満ち足りるものでありますように。脱出の道を備えて下さる主を仰いで、偶像礼拝の誘惑を打ち砕きましょう。ヒデ

木曜日, 2月 25, 2010

20100225_出エ38_詩篇100-101_1コリント8-9

■出エジプト38:22ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行った。38:23彼とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍をする者であった。
★聖書は幕屋の建設のために「彼とともに」と記します。一人の人の従順ではなく、そこには、心同じくする人があったのです。あなたの従順と献身が求められている箇所はどこでしょう。そこで喜びをもって自らをささげるあなたが、神様の恵みによって光り輝きますように。

■詩篇101:2私は、全き道に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。

■9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
★キリストの救いを体験し主の弟子となったパウロ。主の恵みを伝え、生きることを通して世界を変えた人物の証しです。当時の最高の学問をもおさめた彼が弱さにも甘んじます。何の為でしょう。愛に生きるためです。彼が心砕いたのは、どれほど多くの人や当時の体制に影響をあたえ、自らの名を歴史に刻もうとする為だったでしょうか。いいえ自らの野心を満たすためでも、名誉を得ようとするためでもなく、幾人かでも私の存在を通して救われる人が起こされて欲しいとの動機です。パウロの心は常に一人の人に向かいます。あなたは一度に多く、全体に影響を与えてと願う願いが叶えられず挫折感を味わってはいませんか。しかし愛は目の前のひとり、ひとつのことにどう関わるかです。そこにこそあなたがどんな人かが表れるのです。勇気と愛を抱き、関われる人をめざしましょう。ヒデ

水曜日, 2月 24, 2010

20100224_出エ37_詩篇96-99_1コリント7

■出エジプト37:7また、槌で打って作った二つの金のケルビムを「贖いのふた」の両端に作った。37:8一つのケルブを一方の端に、他のケルブを他方の端に。ケルビムを「贖いのふた」の一部として、その両端に作った。37:9ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。
★神様の人に対する願いの中心がここに描かれます。神様の御目が注がれる中心は何でしょう。それは贖いであり解放です。アダム以来、罪と死に縛られた人を解き放ちたいのです。にも関わらず人は時に様々な出来事と関係の中で「私なんか……」と死や孤立を選ぶことがあります。しかし闇の力に騙されてはなりません。このお方、主にとってあなたはなくてはならない存在、大切な存在。あなたに代わるスペアーはないのです。あなたは主の贖いと解放の血潮といのちを受けて生きるのです。キリストの御名によって「生きよ!」

■詩篇99:1主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。

■1コリント7:19割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。
★牧師となった森が心の深くで、長らく苦悩し納得と解放が与えられず、人と比較し心を内向きにさせられていたこと。それは学歴コンプレックスでした。しかし、愛すべき対象が明確になり、人が為すべき重要なことが明確になったとき、以前の思いは消えました。あまりにも大きなテーマ「重要なのは神の命令を守ること。」が与えられたのです。大きすぎます。しかし、愛して下さる主への応答として、生ききれなくても、「共に生きることを選び取る」そこに挑戦したいのです。ヒデ

火曜日, 2月 23, 2010

20100223_出エ36_詩篇94-95_1コリント6

■出エジプト36:1ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」
★この主の語りかけに対して、聖書はなんと人々の反応を紹介しているでしょう。「主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。結果は「ありあまるほど」と書き残されるほどでした。あなたはどうでしょう。心が内向きになり、自分とその関係の中に留まってしまいそうな心を覚えることがありませんか。日野原氏は「いのちとは具体的に、今使える時間」と語られます。願わくは与えられた時間とあなたの存在が、この世と共同体の中で世の光として輝きますように。

■詩篇94:14まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。

■1コリント6:12すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
★主を信じるものに与えられる自由とは何と豊かな自由でしょう。あなたはその自由をもって神様と人に仕えることができるのです。そして御言葉は「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」と励まします。ヒデ

月曜日, 2月 22, 2010

20100222_出エ35_詩篇92-93_1コリント4-5

■出エジプト35:29イスラエル人は、男も女もみな、主がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として主に持って来た。
★これは幕屋の完成のためにモーセがその必要を訴えたときのイスラエルの民の姿勢です。ここにまず神様に仕える者の基本の姿を教えられます。強いられてするならそれは神様のための奴隷です。しかし主はそれを願っておられません。むしろ愛の為にあなたを創造しあなたの為に人生の計画を描いて下さっているお方は、あなたとのいのちの関係の中に歩みたいと願っておられるのです。あなたはまず主が与えて下さっていることをお気付きですか。人がどうしても生きていく上で必要なものは、すべて主がただで下さっているもの。そしてそれに加えて主はここで、赦しを与えようとしているのです。それを受け取る方法が自発の心。まず感謝をもって主の前に出ることができることは何という恵みでしょう。

■詩篇92:13彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。92:14彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。92:15こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。

■1コリント5:1あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。5:2それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行いをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。
★恐ろしいことです。信仰を隠れ蓑にした牧師が姦淫で逮捕されることさえある時代です。自分の弱さを誤魔化さないで率直に認めましょう。主を仰ぎましょう。そして信仰の友に祈ってもらいましょう。罪から離れ、癒されるためです。ヒデ

日曜日, 2月 21, 2010

20100221_出エ33-34_詩篇90-91_1コリント3

■出エジプト33:14すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」
★誰も通ったことのない道(紅海の底)を通ってエジプトを脱出したモーセ。そんなモーセであったとしても、主が示して下さる約束に至までにはまだまだ不安材料が。そんな中でモーセは神様に「あなたは誰を私と一緒に遣わして下さるのか今だ、お教え下さらないではないですか」と訴えます。その時の答えが上の御言葉です。「私自身が一緒に行く」これほど力強い言葉がどこにあるでしょう。知って下さい。あなたは一人ではないのです。主の命の代価によって買い取られたあなたには主ご自身が伴って下さるのです。主の愛を感謝し受け取りましょう。

■詩篇91:14彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。91:15彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。91:16わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

■1コリント3:14もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。3:16あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
★キリストを主と告白した人に与えられる恵みがここでは明確です。それはたとえ火事で持ち物を全部失うと同じような状況だったとしても、永遠の命は必ず守られると言うことです。でも願わくは主の前に立った時、主から賞賛を得ることができるなら、どれほど感謝でしょう。その評価の基準はなんですか。それはいかに愛に、隣人愛に生きたかです。自分の為に使う時間は何の意味もありません。願わくはあなたの人生の目的が神様の愛に対する感謝の応答、貢献と、隣人愛へと的が絞られますように。ヒデ

土曜日, 2月 20, 2010

20100220_出エ31-32_詩篇89_1コリント1-2

■出エジプト32:31そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。32:32今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」
★モーセが民のためにシナイ山に登り神様から十戒を授かっている時、民は何を求めたのでしょう。金の子牛です。「モーセが山に登って早40日になるのに彼が何をしているか分からないのです」と。彼らは戯れるためにアロンに金の子牛を作ることを求めたのです。神様を何か刻んだ像にたとえたり、あるいは偶像を神として礼拝すること、これは恐るべき罪であることを知りましょう。その生涯はやがて混乱と恐れが支配するようになります
けれどモーセはこの時自らの命を懸けて民をとりなします。私たちの主もそして下さり、実際に十字架の上で命を捨てて下さったのです。あなたの失敗は赦されます。あなたの混沌も解決します。あなたは主に愛されています。ですから偶像礼拝を神様の前に悔い改めまことの神様の前に立ち帰るのです。

■1コリント1:10さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。1:11実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、1:12あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。
★主を信じた人の中にさえも根深い所で扱われていない罪の性質が。ですから聖めと癒しが必要です。神の民に求められること、それは自尊心を満足させる優越のために心を内向きに働かせることではなく、むしろひとつになることをめざし、愛のゆえに心が開かれた外向きのものとなるよう、絶えず神様の恵みに投げ出して行くこと。「心の向き」それがその人の人格と永遠を形づくります。ヒデ

金曜日, 2月 19, 2010

20100219_出エ30_詩篇87-88_マルコ15-16

■出エジプト30:7アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびを整えるときに、煙を立ち上らせなければならない。30:8アロンは夕暮れにも、ともしびをともすときに、煙を立ち上らせなければならない。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。
★祭司とされたアロンに対して神様は朝ごとに夕ごとに「香」すなわち祈りをささげるようにと語られます。キリストの血によって贖い出された私たちも祭司であり王であり神の国の民であります。あなたは何と祝福された人でしょう。こうして朝ごとにみことばを受け、神様の前に祈りをささげられるのですから。願わくはその祈りが、あなたが遣わされたその場所に、より多くの平和を作り出すものとして深められますように。

■詩篇88:13しかし、主よ。この私は、あなたに叫んでいます。朝明けに、私の祈りはあなたのところに届きます。

■マルコ16:12その後、彼らのうちのふたりがいなかのほうへ歩いていたおりに、イエスは別の姿でご自分を現された。
★復活の主は落胆する弟子たちに対して印象深い姿をもって出会われました。ご自身が十字架で贖いを成し遂げられた後よみがえられたことを示すためです。そうです。キリストは甦られたのです。私たちの罪と病を担い去るために。復活の主は今日どんな別の姿であなたの前に現れられるでしょう。大切なことは、あなたは一人、孤独ではないと言うことです。たとえあなたが悩みの淵にあろうとも、そこから主に向い、信仰を持ち心を開いて見上げるなら、復活の主が先立ちあなたを導いて下さるのです。どんな闇の力も主を墓の中に留めおくことは出来ないのです。主は甦られました。そしてあなたも必ず主と共に甦るのです。いえ、主があなたの信仰をよろこび甦らせ、立ち上がらせて下さるのです。ヒデ

木曜日, 2月 18, 2010

20100218_出エ29_詩篇85-86_マルコ14

■出エジプト29:43その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。29:44わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせよう。29:45わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。29:46彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。
★主はイスラエルの間だに住み、彼らの神となるために天幕と祭壇を聖別なさいました。祭壇の角は神様の力を象徴し、その角に塗られる小羊の血は契約、命を象徴します。こうしてイスラエルは罪と赦しを神様の恵みによって明らかにされ、どんな時にもアロンを通して、大胆に神様の赦しを求めて近づく道が開かれたのです。そしてその同じ恵みをキリストが受け継がれ、永遠の大祭司となられたのです。近づきましょう。

■詩篇86:14神よ。高ぶる者どもは私に逆らって立ち、横暴な者の群れは私のいのちを求めます。彼らは、あなたを自分の前に置いていません。

■マルコ14:71しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。14:72するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
★人は自分の力で強くなるのではありません。弱さを知らされ、かつそれが赦される時、強くなれるのです。この時ペテロは恐れのために逃げたしました。しかし復活の主から愛を受け取ったペテロは強められ、歴史を変える人となったのです。一人で弱さを抱え込んではなりません。語って下さる主に心を開き、主の愛を受け取り立ち上がりましょう。そしてあなたも歴史をつくる人となるのです。ヒデ

水曜日, 2月 17, 2010

20100217_出エ28_詩篇83-84_マルコ13

■出エジプト28:29アロンが聖所に入るときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず主の前で記念としなければならない。
★主はイスラエルの名をひとつひとつ彫り付けた12の宝石を胸当てに編み込むよう指示します。そしてアロンはその胸当てを肩に担い聖所において主に仕えます。すなわちイスラエル12部族は神様の前に覚えられ、とりなされていたのです。キリストは今、天において父なる神様の前で永遠の大祭司となって、あなたのためにとりなされます。キリストの胸にあなたの名が刻まれているのです。あなたは決してどうでもよい存在ではないのです。神様の前に覚えられ、とりなされているスペアーのない、かけがえのない存在です。人の尊厳を否定しようとするこの世とサタンにだまされてはなりません。

■詩篇84:11まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。84:12万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。

■マルコ13:5そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。13:6わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
★キリストが裁き主として再び来られる世の終わり終末の特徴について、主ご自身、幾つかの警鐘を鳴らされます。その中で見逃してはならないもの、それが「人に惑わされないように」です。キリストは人を決して騙しません。しかし人は自らキリスト、救い主になろうとし、人を騙し、支配しようとするのです。騙されてはなりません。あなた自身に対しても同様です。あなたは確かに自分を罪から救う力はありませんが、かといってそれであなたに価値がないわけではない、神様に愛されているかけがえのない存在です。人にだまされてはなりません。キリストの言葉に信頼し、主の愛に生かされましょう。ヒデ

火曜日, 2月 16, 2010

20100216_出エ27_詩篇81-82_マルコ12

■出エジプト27:1祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。27:2その四隅の上に角を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。
★幕屋に必要な品々の紹介です。全ての原則は主がモーセにシナイ山で示したとおり。その中でもひときわ上の祭壇は重要です。それは罪の贖いの為には、ほふられた小羊の血をこの祭壇の角にぬり赦しを求めよと、神様が命じられたからです。バプテスマのヨハネはキリストに最初であった時、何と紹介したでしょう。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」です。そうです。キリストは私たちの罪の身代わりとしてほふられ血を流すために、神のみ位を捨てて人となって来て下さいました。
罪のないキリストの血ゆえに全ての罪から私たちをきよめることが出来るのです。

■詩篇81:10わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。

■マルコ12:32そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。12:33また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」12:34イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。
★非常に大切なことが教えられる箇所です。どんな形式的な礼拝式をささげるよりも、具体的な愛を実践することはそれに勝ると主は語られます。形式ではなく命と関係が常に優先する今日一日ととなりますようにキリストの御名によって祝福します。ヒデ

月曜日, 2月 15, 2010

20100215_出エ26_詩篇79-80_マルコ11

■出エジプト26:1幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。
★エジプトを脱出し、十戒を与え、約束の地をめざして進もうとするイスラエルの為に、神様はご自身がそこに臨在することを象徴する幕屋を作るよう指示します。幕屋には聖所と至聖所が設けられ、神様の臨在の象徴である契約の箱は至聖所に置かれます。神様はそこから語られます。さて十字架に掛かられたイエス様が「すべてが完成した」と息を引き取られたとき、この聖所と至聖所を隔てていた幕が人手によらず上から二つに裂けました。その意味は何でしょう。誰でもはばかることなく神様に近づくことができる。キリストの命によって支払われた代価によって、神様と人との隔たりは取り除かれた、の意味でした。時機を得た助けを受けるため神様に大胆に近づきましょう。

■マルコ11:2言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。11:3もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」
★いよいよエルサレム入場、主が十字架に掛かられる受難週の始まりです。その時主はペテロに上の命令を与えます。主は戦車に乗ってではなくロバの子に乗って、平和の君として都に入場されるお方です。主はあなたにも語られていますか「それをほどいて」と。あなたはキリストによって召し出され、キリストによって用いられる主の誇りの存在です。経験がありませか。力が足りませんか。問題ありません。主があなたを愛し、あなたと共におられます。自分で自分を縛ってはなりません。主の恵みによって自らを解き放ち今日も主が語られるままに御心をなしましょう。ヒデ

日曜日, 2月 14, 2010

20100214_出エ24-25_詩篇78_マルコ10

■出エジプト25:22 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。
★シナイ山でモーセが民の為に授かった、十戒の石の板を入れる契約の箱に関する記述です。神様はその箱の上に、ケルビムに見守られるように配置される贖いのふたを設けよと語られます。なぜでしょう。神様がそこから赦しのメッセージをもって民に語ろうとなさるからです。神様の本質はあわれみと愛であることを覚えましょう。たとえあなた自身の内なる声でも、この贖いの蓋から聞こえる御声以上に優先してはなりません。なぜなら人を生かす赦しは、この贖いの蓋の上から語られる御声以外にないからです。

■詩篇78:39神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。

■マルコ10:21イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
★あなたが人生の完成について真摯に考えようとするならば、決して共に生きる関係について無視することは出来ないとキリストはここで語られます。それらのことは小さいときから全部守っていますと、たとえ全ての律法を守ったとしても、その動機が内向きで、他者を自分の心に迎えることなく、自分のために、で心が満ちているなら真の満足はないのです。主の愛に信頼し、恐れの壁を取りのぞき、関係の中に生きることを選び取りましょう。その時、永遠のいのちはあなたの中にあるのです。ヒデ

土曜日, 2月 13, 2010

20100213_出エ23_詩篇77_マルコ9

■出エジプト23:27わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に遣わし、あなたがそこに入って行く民のすべてをかき乱し、あなたのすべての敵があなたに背を見せるようにしよう。23:28わたしは、また、くまばちをあなたの先に遣わそう。これが、ヒビ人、カナン人、ヘテ人を、あなたの前から追い払おう。23:29しかし、わたしは彼らを一年のうちに、あなたの前から追い払うのではない。土地が荒れ果て、野の獣が増して、あなたを害することのないためである。23:30あなたがふえ広がって、この地を相続地とするようになるまで、わたしは徐々に彼らをあなたの前から追い払おう。
★あまりの約束の成就の遅さに、主はいつになったら救いを見せて下さるのだろうかと不安に陥りそうなことがありますか。熱心に飢え渇き求め続けましょう。しかし、この箇所からあなたへの主の愛の配慮のあることを学びましょう。願いが即座に叶えられることも感謝です。が、主の御手の中に陥れることは更なる恵み、感謝です。

■詩篇77:11私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。77:12私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。77:13神よ。あなたの道は聖です。

■マルコ9:38ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」9:39しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。9:40わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
★キリストはわずかであっても一致点があれば仲間として、と心を動かされます。しかし弟子たちは何とか違いを見つけて、自分たちの正当性、優位性を強調しようと動きます。一緒になる事よりも、自分を誇ることを優先する思い、それが罪の本質です。ヒデ

金曜日, 2月 12, 2010

20100212_出エ22_詩篇75-76_マルコ8

■出エジプト22:21在留異国人を苦しめてはならない。しいたげてはならない。あなたがたも、かつてはエジプトの国で、在留異国人であったからである。22:22すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない。22:23もしあなたが彼らをひどく悩ませ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶなら、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。22:26もし、隣人の着る物を質に取るようなことをするのなら、日没までにそれを返さなければならない。22:27なぜなら、それは彼のただ一つのおおい、彼の身に着ける着物であるから。彼はほかに何を着て寝ることができよう。彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。
★あなたがあわれみ深く生きる時、主はあなたに対してもあわれみ深いお方。主は語られます。「最も小さい者の一人にしたのは、すなわち私にしたのである。」心に刻みましょう。

■詩篇75:6高く上げることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。75:7それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。
★あおられる競争心に押し流されてはなりません。あなたを高く上げられるのは主です。

■マルコ8:8人々は食べて満腹した。そして余りのパン切れを七つのかごに取り集めた。8:9人々はおよそ四千人であった。それからイエスは、彼らを解散させられた。
★あなたは覚えていらっしゃいますか。主はかつて5つのパンと2匹の魚で5000人の人を養われたことを。主は語られます。「私は選びの民の為に必要があれば、何度でも恵みと不思議を施す」と。あなたもこの神様のあわれみの中に置かれています。確かに厳しい時代です。しかしそれに支配されてはなりません。あくまで心を天に向け、このお方の愛と恵みに心満たされ、今日も一日遣わされて行きましょう。あなたの一日が主の奇蹟に支えられる一日でありますように。ヒデ

木曜日, 2月 11, 2010

20100211_出エ21_詩篇74_マルコ7

■出エジプト21:12人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。21:13ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼ののがれる場所を指定しよう。
★自分の親を打つ者、人をさらった者、策略をめぐらす者。人を石かこぶしで打つ者、奴隷を打つ者、目、歯、手、足、火傷を負わせた者。家畜が他者の家畜、奴隷、子供を突いて傷付けた場合。井戸の蓋を開けっ放しにして他者を事故に巻き込んだ場合等々。聖書は他者に損害を与えた場合、その償いの必要を明確にし、人が罪を犯す誘惑から免れるようにすると共に、それが故意か、過失かと、償いの規準も明らかにします。日毎にみ言葉に触れることを通し、あなたはどれほど誘惑から守られている事でしょう。聖書の持つ力の偉大さを覚えましょう。

■詩篇74:10神よ。いつまで、仇はそしるのでしょうか。敵は、永久に御名を侮るのでしょうか。74:11なぜ、あなたは御手を、右の御手を、引っ込めておられるのですか。その手をふところから出して彼らを滅ぼし尽くしてください。
★自分の心を主の前に注ぎだし、裁きは主に委ねることの幸いがここに。その人は自らを救います。

■マルコ7:28しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」7:29 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」
★主に近づく者に、主が願われることは何でしょう。主への信頼、そして諦めないこと。あなたは、主を人と同様に低く評価し、自ら傷つくことを恐れ、早め早めに抱いた期待を諦め、叶えられなかった場合の失望から自分を守ろうとしていませんか。主は命を懸けて近づく者に必ず応えて下さるお方です。ヒデ

水曜日, 2月 10, 2010

20100210_出エ19-20_詩篇73_マルコ6

■出エジプト20:1それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。20:2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
★イスラエルの民のために主がモーセに語られた十戒の箇所です。主は選びの民のために語られるお方。あなたのためにも語って下さいます。目的は何でしょう。モーセは「恐れてはいけません。神が来られたのはあなたがたを試みるためなのです。また、あなたがたに神への恐れが生じて、あなたがたが罪を犯さないためです。」と語ります。直接神様のみ声にあずかることのできる民のそう多くないことを覚え、召し出されたその光栄に生きるのです。

■詩篇73:27それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。73:28しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。

■マルコ6:21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けたとき、6:22ヘロデヤの娘が入って来て、踊りを踊ったので、ヘロデも列席の人々も喜んだ。そこで王は、この少女に、「何でもほしい物を言いなさい。与えよう」と言った。6:24そこで少女は出て行って、「何を願いましょうか」とその母親に言った。すると母親は、「バプテスマのヨハネの首」と言った。
★「良い機会」とは誰にとってよい機械なのか考えなければなりません。愛に生きるのによい機械をのがしてはなりません。しかし人を訴え、滅ぼそうと歩きまわるサタンにとってよき機会を与えてはなりません。最も注意すべきは聖別されていないプライドです。今日も思いもよらない所に引きずられることの無いように、遜ってイエス様と共に立ち上がりましょう。あなたはキリストと共に悪しき業を打ち砕くためにも召し出されたのです。ヒデ

火曜日, 2月 09, 2010

20100209_出エ17-18_詩篇72_マルコ5

■出エジプト18:21あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。18:22いつもは彼らが民をさばくのです。大きい事件はすべてあなたのところに持って来、小さい事件はみな、彼らがさばかなければなりません。あなたの重荷を軽くしなさい。彼らはあなたとともに重荷をになうのです。
★モーセは200万の民の問題を一手に引き受け疲れ切っていました。自分は「リーダー、逃げる訳には行かない。問題を解決しなければならない」と。しかしそれにも勝るリーダーの大切な働きはビジョンの提示と人を育てること。そうでなければモーセは病み、民には不満が募るのです。あなたはなんでも一人で抱え込んではいませんか。信頼し委ねる心が与えられることは幸いです。

■詩篇72:18ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。72:19とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。

■マルコ5:3この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。5:4彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。5:5それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。
★適切に処置されずじまいの良心の呵責を抱え続けることの怖さを思います。それは人との関係を絶ち、自分を責め、遂には自分自身を傷付け滅ぼすのです。主はそれを承知で彼に近づかれます。二千匹の豚に価値を置くこの世ではなく、一人の人が良心の呵責から解き放たれることに更なる価値を置いて下さる主はあなたの主です。主は語られます。「わたしのもとに来なさい。あなたを休ませてあげよう」と。ヒデ

月曜日, 2月 08, 2010

20100208_出エ16_詩篇70-71_マルコ4

■出エジプト16:3イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
★モーセと共にエジプトを脱出したイスラエルの民にとって、これから起こることは全て初めての経験です。その中で思うような食料を得ることが出来なくなった時、民の多くはどうしたでしょう。それが上の言葉で、彼らはつぶやいたのです。ここに主体性のない群衆の心があぶり出されます。「させられている。……させられる。」あなたは未経験のことに取り組むときどんな心で取り組むでしょう。リーダーの心でしょうか。群衆の心でしょうか。大切なことは主体性を持ち、可能な部分で責任を負い合おうとする姿勢です。そこで一致がもたらす喜びを人は体験し、成熟へと向かうのです。

■詩篇71:3私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。あなたこそ私の巌、私のとりでです。

■マルコ4:8また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」4:9そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
★ここに一つの原則が。種とは自ずと実を結ぶ命を内にたたえたもの。よっていかにその命が自由に動けるようにするかがポイントです。「何を付け加えなければならないのか」ではなく、いかに命の妨げとなっているものを取り除くかの視点です。そして命を覆い隠すものとはなんでしょう。聖書はそれを世の心づかい、富の惑わし、いろいろな欲望と表現します。信じましょう。人と較べなければあなたは既に十分のものを主から受けているのです。なにせキリストがあなたの内に住んで下さっているのですから。ヒデ

日曜日, 2月 07, 2010

20100207_出エ15_詩篇69_マルコ3

■出エジプト15:23彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。15:24民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。15:25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。
★水が苦くて飲むことができない。これは出エジプトしたイスラエルの民に臨んだ最初の試練です。その解決のためモーセが主に叫んだ時主は一本の木を水に投げ込みなさいと語られました。その結果水は甘くなったのです。これはイエス・キリストの十字架の予表です。神様はあなたが試練に巻き込まれたなら「そこに十字架を投げ込みなさい」と語られます。十字架には罪をきよめ、傷を癒す力がり、それゆえ主は「私は主であってあなたを癒すものである」と語られるお方です。

■詩篇69:32心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。69:33主は、貧しい者に耳を傾け、その捕らわれ人らをさげすみなさらないのだから。

■マルコ3:33すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」3:34そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。3:35神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
★そうです。主に招かれ、それを喜び、そこに生きようとするあなたも既に主の兄弟、姉妹、母なのです。そればかりではありません。あなたは既に主の誇りです。だからこそ託されている生涯と存在を持って神様の栄光をあらわそうではありませんか。ヒデ

土曜日, 2月 06, 2010

20100206_出エジプト13-14_詩篇68_マルコ2

■出エジプト14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
★エジプト中が長子と言う長子を失い、パロ自身、長子を失ったとき「もうお前たちはエジプトに留まってはならない。出て行け」と語ったものの、心頑なにしたパロは追い出そうとしたイスラエルの後を追って滅ぼそうとします。ところが上の御言葉をモーセが叫んで手を紅海に差し伸ばしたとき、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされたのです。そしてイスラエルは、彼らのために右と左で壁となった海の中を進みます。神様はご自身の選びの民のためには不思議をなさるお方です。何もなかったところから「ことば」一つで世を創られたお方。それが神様です。自分の思いを優先し、神様を小さくしてはなりません。

■詩篇68:5みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。68:6神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。

■マルコ2:3そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。2:4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
★人の家の屋根を剥がすなんて。しかしこの時主は何と言われたでしょう。主は彼らの信仰を見て「子よ。あなたの罪は赦されました」と、罪の赦しと、床をたたんで帰れるほどの健康の回復を中風の男に与えます。主は共同体の祈り、教会の祈りに耳を傾け、みわざをなして下さるお方です。あなたがいつも主にある友として歩めますように。ヒデ

金曜日, 2月 05, 2010

20100205_出エジプト11-12_詩篇66-67_マルコ1

■出エジプト12:22ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。12:23主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことがないようにされる。
★主の命によって死の使いがエジプト中の長子と言う長子を打つ為に行き巡りました。しかし、モーセを通して神様が命じられた小羊をほふり、その血をかもいに塗ったイスラエルの家は守られたのです。この出来事を通し、430年のエジプトでの奴隷生活に終止符が打たれます。かもいに塗られた小羊の血とは何を意味するでしょう。それは裁き済です。そしてまさにキリストは、このほふられる小羊として、私たちの罪をご自分の身に負い、十字架の上で打たれ、「この血によって彼らをおゆるし下さい」と、執り成されたのです。あなたの為に命を懸けて下さる方はそんなに多くはないでしょう。しかしそこに、このお方、イエス・キリストの名を加えることを忘れてはなりません。

■マルコ1:29イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。1:30ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。1:31イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。
★この直前に主は「わたしについて来なさい」とペテロとアンデレ兄弟に語ります。あなたは主に従うことに困難と恐れを感じますか。しかし主は、従うペテロの姑の熱病を癒して下さるお方。すなわちあなたが抱える問題や困難に解決を下さるお方です。もし御声を聞いたなら、自分の枠の中に留まるのではなく、主の真実と愛に信頼し一歩踏み出すのです。そこに、新たな展開と祝福を主は備えて下さるおかたです。心に満たすのは問題の大きさではありません。主の愛と真実ですよ。ヒデ

木曜日, 2月 04, 2010

20100204_出エジプト10_詩篇64-65_ローマ15-16

■出エジプト10:22モーセが天に向けて手を差し伸ばしたとき、エジプト全土は三日間真っ暗やみとなった。10:23 三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。
★頑ななパロは神様がいなごの大群を送りエジプト中の食料を食い尽くし、エジプト全土を3日間闇で覆い尽くし、エジプトの民と家臣が「もうイスラエルを行かせて下さい」と語っても、なお行かせようとしません。エジプトの3日の闇は、まさにパロの心の暗さを象徴しているかのようです。しかしそうした時にも神様はイスラエルの所には光を注がれたのです。神様を畏れるあなたの為には、主は、どんな時にも光を注いで下さいます。いえ「私は世の光である」と語られたイエス様自身が、あなたの心の内に来て下さって、あなたの心と人生を内側から照らして下さるのです。ですから恐れることはありません。

■詩篇65:2祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。65:3咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

■ローマ16:5 またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。
★パウロがローマ人への手紙を閉じるにあたっての最後の挨拶の部分です。驚きです。なんとここには17回もパウロ自身がローマの教会の人々に「よろしく」と書きしるしているのです。そしてここから感じて欲しいことは教会の姿です。教会とは会堂ではありません。主を信じるあなた自身です。そして人々は家々に集まり、互いに励まし合い、詩と賛美と霊の詩とによって神様を誉め讃えたのです。関係中心の人生ゆえにパウロの生涯は支えられ、どんな困難なときにも励まされ、満ち足りたのです。いつまでも残るものは神の言葉と関係です。あなたの人生が関係中心に移行できますように。ヒデ

水曜日, 2月 03, 2010

20100203_出エジプト09_詩篇62-63_ローマ13-14

■出エジプト9:34パロは雨と雹と雷がやんだのを見たとき、またも罪を犯し、彼とその家臣たちは強情になった。9:35パロの心はかたくなになり、彼はイスラエル人を行かせなかった。主がモーセを通して言われたとおりである。
★この章の特徴はパロの心の頑なさで「それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった」、「しかし、主はパロの心をかたくなにされ、彼はふたりの言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりである」と記します。人の心を頑なにする原因とは何でしょう。明け渡したくないものがあるのです。自分がすべての面で王であり続けたいのです。しかしそれは間違いで、明け渡すべきは明け渡し、感謝すべきは感謝し、退く時は退くときに本当の王となれるのです。神の言葉を退ける頑なさは人を孤立させ、滅びに向かわせるものであることを覚えましょう。

■詩篇62:8民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

■ローマ14:4あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
■自分を見て、その能力や未熟さに尻込みする人がありますか。しかしあなたは自分で限界を設けたり、「私はダメだ」とのレッテルを貼ってはなりません。またあなたは自分より劣る人を見て「なんで……できないんだ」と裁きの思いに囚われていますか。あなたは強いコンプレックスに支配されていますね。神様はあなたが弱い信仰に留まることを願われませんが、強い信仰で人を裁くことをも願われません。求めておられる信仰とは成熟した信仰。この信仰は一時的な頑張りに基づくものではなく、日々神様を王として信頼し、委ね明け渡し、神様を体験し続ける中で養われて行くのです。その一歩を踏み出すことが大切です。ヒデ

火曜日, 2月 02, 2010

20100202_出エジプト07-08_詩篇60-61_ローマ12

■出エジプト7:20モーセとアロンは主が命じられたとおりに行った。彼はパロとその家臣の目の前で杖を上げ、ナイルの水を打った。すると、ナイルの水はことごとく血に変わった。7:22しかしエジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。それで、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞こうとはしなかった。主の言われたとおりである。
★「イスラエルを去らせよ」との命に頑ななパロに神様はモーセを通して幾つかの不思議を行います。するとどうでしょう。パロはエジプトの秘術をもって対抗し、心頑なにするのです。言うなれば「そんな事くらい。私にだって出来るわ!」と、まさにそれは神様への挑戦です。しかしやがて同じように出来ない時が来ます。それでもパロは心頑なにし、神様の命に従おうとしないのです。なぜ人であるパロが神様に対抗しようとするのでしょう。聖書はそれを罪と指摘し、神様に向かう不従順を警告します。罪は人を最終的に死と滅びに向かわせることを知り、そこから離れる人は幸いです。

■ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
■まさにこれこそが平安の生涯の秘訣であり目標です。そして「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」に信仰によって立つのです。しかし自分の力で立つのではないですよ。そこに立てない痛み、辛さ悲しみを全て主に知って頂いて、その後、主に任せするんですよ。あなたはもう目の涙を主によってぬぐって頂きましたか。まずそこからです。ヒデ

月曜日, 2月 01, 2010

20100201_出エジプト05-06_詩篇58-59_ローマ10-11

■出エジプト5:23私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」
★主が命じられた通りイスラエルをさらせよとパロに命じたモーセ。しかしパロの反応は「お前たちは怠け者だ。今まで与えていたわらは与えないがレンガを作る数は同じだけ作れ」でした。主の御心に従ったばっかりに状況が返って悪くなったのです。しかし目先のことに捕らわれてはなりません。主はやがて200万の民をモーセと共に導き出すお方です。御心に従おうとする者の周りには、自らの不都合のためそれを留めようとする力が必ず働くことを覚えましょう。しかし「光は闇の中に輝いている。そして闇はこれにうちかたなかった」との御言葉の通り勝利は必ずみここを選び取るあなたの側にあるのです。

■詩篇59:16しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。

■ローマ10:9なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10:10人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
■神様が恵みによって備えて下さった、人に永遠の命もたらすイエス・キリストの救いを難しくしてはなりません。あまりに高価で尊く値の付けようがないので、ただ感謝しそれを告白して受け取るのです。神であるキリストの命が懸けられたのです。代価を払いきれる訳がありません。にも関わらずその恵みを行いで得ようとするならば、その価値を引き下げることになりませんか。あなたは愛されているのです。ゆえにただ神であるイエス様感謝しますと受け取りましょう。それによって与えられる平安をあなたから奪えるものは何もありません。ヒデ