火曜日, 2月 23, 2010

20100223_出エ36_詩篇94-95_1コリント6

■出エジプト36:1ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」
★この主の語りかけに対して、聖書はなんと人々の反応を紹介しているでしょう。「主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。結果は「ありあまるほど」と書き残されるほどでした。あなたはどうでしょう。心が内向きになり、自分とその関係の中に留まってしまいそうな心を覚えることがありませんか。日野原氏は「いのちとは具体的に、今使える時間」と語られます。願わくは与えられた時間とあなたの存在が、この世と共同体の中で世の光として輝きますように。

■詩篇94:14まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。

■1コリント6:12すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
★主を信じるものに与えられる自由とは何と豊かな自由でしょう。あなたはその自由をもって神様と人に仕えることができるのです。そして御言葉は「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」と励まします。ヒデ

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