月曜日, 8月 31, 2009

20090831_2列王5 哀歌1 1コリント14

■2列王5:14そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
★これは重い皮膚病に冒されていたアラムの王の将軍ナアマンの皮膚を癒した行動です。妻に仕える若い奴隷がイスラエル出身で「イスラエルの預言者エリシャのところに行けばきっと癒して下さるでしょうに」との言葉を受けてナアマンは彼のもとを訪ねます。その時エリシャは使いをやって「ヨルダン川へ行って7度身を洗いなさい」と言うのです。てっきり預言者エリシャが患部見て心を痛め憐れみ、その上で手を動かし直してくれると思ったナアマンは、顔も出さないエリシャに、憤りを感じ預言者の言葉を退け国に帰ろうとするのです。しかし、その時知恵あるナアマンの僕は「もしも、むずかしいことを命じられたら、あなたはそれをなさるに違いありません。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか」と。
そして心を変え、自らのプライドを捨てナアマンが預言者の言葉に従った時、なんと皮膚病は癒されたのです。奇蹟です。不思議です。そうです。神様による癒し、救いの方法はまさに奇蹟です。そして私たちの癒しの為には神の奇蹟が必要です。頭をもたげるプライドに支配される事無く、語られる神の言葉への従順をもって神様の奇蹟を受け取りましょう。

■1コリント14:32預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。14:33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。
★神様の御名による共同体の秩序と平和は何によって築かれるのでしょう。それは神の言葉への従順と聖霊様の導きです。ただよく犯す過ちは隠れた自分の欲求を聖霊様の導きとして受け取ろうとすることでそこに混乱が生じるのです。今日も砕かれ明け渡された心を持って神の言葉に従順しましょう。主はあなたを祝福して下さいます。ヒデ

日曜日, 8月 30, 2009

20090830_2列王4 エレミヤ52 1コリント12-13

■2列王4:2エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」
★エリシャのもとで神様に仕える一人の預言者が召され、彼が残した負債のゆえにその子供が貸し主に奴隷とされようとした時、エリシャがその子の母に語った言葉が上の御言葉です。家には何があるか。彼はその婦人が唯一持っていた壺に油を満たして、彼らを危機から脱出させます。あなたは、まさにこれが神様の方法である事をご存知ですか。人は窮乏に直面するとき、於かれた環境に支配され落胆します。が、見方や発想を変えると問題を解く糸口と祝福が、多くの場合そこに隠されているのです。その為に用いられるのが感謝の心。あなたはどんな時感謝をささげますか。聖書は「いつも喜び、絶えず祈り、全てのことについて感謝しなさい」と。なぜならそれが問題を祝福に変える鍵だから。

■1コリント13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、13:6不正を喜ばずに真理を喜びます。13:7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
★上の御言葉の「愛」の部分に自分の名前を入れてもう一度朗読してみましょう。そうすれば、聖霊様はいかに自分に愛がないことを示して下さる事でしょう。そう、それが、私たちの姿です。愛がない。だからこそ主を仰ぎ、主の憐れみを求めるのです。人間の愛には限界がありますが、主の十字架を仰ぐ者に注がれる神様の愛には限界がなく、それは私たちの限界を取り除き、自分自身から解き放ち、神と人を愛する者へと変えて下さいます。決断を持ってこの愛の中に飛び込みましょう。その時、主の愛があなたを支えて下さいます。ヒデ

土曜日, 8月 29, 2009

20090829_2列王3 エレミヤ51 1コリント11

■2列王3:11ヨシャパテは言った。「ここには主のみこころを求めることのできる主の預言者はいないのですか。」すると、イスラエルの王の家来のひとりが答えて言った。「ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。」
★これはイスラエルに背いたモアブを懲らしめるため、イスラエルの王ヨラムの要請に応じて出陣したユダの王ヨシャパテが語った言葉です。1週間、荒野の旅を続ける中で水を使い果たし、思わぬ劣勢に追い込まれようとする中、預言者を通して神様の助けを求める姿勢を示したのです。その結果、部隊は守られ、そればかりか神様の奇跡的な介入の中、イスラエルに勝利をもたらします。試練や劣勢の中、右往左往する人もあれば、ヨシャパテのように神に心を向ける人も……。あなたは「静まって私こそ神であることを知りなさい」との御言葉をご存知ですか。神様は信じて仰ぐ人を助けて下さるお方です。

■エレミヤ51:36それゆえ、主はこう仰せられる。見よ。わたしはあなたの訴えを取り上げ、あなたのために報復する。わたしはその海を干上がらせ、その泉をからす。
★聖書は真の神様を畏れる者ためには立ち上がって、あなたの為に戦って下さる神様を示します。ゆえに報復は神様に委ねるのです。この正しい裁きをなさるお方に報復を委ねることが出来る魂は幸いです。

■1コリント11:11とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。11:12女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。
★聖書は、優劣ではなく祝福のための秩序を神様が自然界に設けられたことを教えます。あなたの生き方が今日も回りに潤いと命のハーモニーをもたらすものでありますように祝福します。ヒデ

金曜日, 8月 28, 2009

20090828_2列王1-2 エレミヤ50 1コリント10

■2列王2:9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。
★ソロモンは主に願えと命じられたとき、民を正しく裁く知恵を求め、御心に適った願いゆえに豊かに聞き入れられました。そしてここでエリシャは預言者エリヤの継承者となることを求めたのです。難しい注文。この時エリヤは、そのことは最後まで歩みを、生活を共にする中で継承されることを示します。キリストの預言者とされた私たちも、自分を十字架につける生き方の中でキリストに似る者とされて行くのです。あなたは負うべき十字架を避け、あなたの中にキリストのかたちが造り上げられるチャンスを失ってはいませんか。

■エレミヤ50:34彼らを贖う方は強く、その名は万軍の主。主は、確かに彼らの訴えを支持し、この国をいこわせるが、バビロンの住民を震え上がらせる。
★あなたを解放されるお方は主です。

■1コリント10:13あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。10:14ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
★ここには試練の時に避けるべきことが明確です。何ですか。偶像礼拝です。試練の時にこそ私たちの内面は明らかにされ、弱さも露わにされますが、そこでこそ心を主に向け、主の脱出の奇蹟を見るのです。自分や偶像にではなく主にこそより頼み、神として崇めましょう。たとえ回りは八方塞がりでも主に向かうあなたの天は常に開かれています。ヒデ

木曜日, 8月 27, 2009

20090827_1列王22 エレミヤ49 1コリント8-9

■1列王22:34ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」
★これは妻イゼベルによってイスラエルに偶像礼拝を持ち込み民を苦しめたアハブ王の最後です。彼は戦いに出るとき。「私は変装して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてください。」とユダの王ヨシャパテに語りますが、敵国アラムの王の目は誤魔化せても主の目は誤魔化せませんでした。国を滅ぼすほどの罪とは偶像礼拝を他にしてありません。しかし主は既にこの偶像礼拝の罪のためにもキリストを私たちの罪の身代わりに十字架に付け、救いの道を開いて下さっいました。いかに偶像礼拝から離れるか。まさにこれそこが人生の命題です。キリストを仰ぎましょう。

■1コリント9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
★パウロは、「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建て、人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです」と語ります。そして全世界の異邦人の救いの為に生涯をささげたパウロの実際は、まさに幾人かであり、目の前の一人でした。私の話に耳を傾けてくれる人が三千人いたら、いや百人、五十人いたらではありません。まさに目の前の一人のために自分の命を注ぎ出そうとしたのです。それが主ご自身の生き方であり、パウロはそれを自らの生き方としたのです。一人の為にとは、それをしたあなたが公にしなければ、ほとんど明らかになることはない愛のわざです。即ちパウロは人々の関心を自分に向けさせるためではなく、ただキリストに仕えたのです。あなたは与えられた今日一日をいかに生きますか。ヒデ

水曜日, 8月 26, 2009

20090826_1列王21 エレミヤ48 1コリント7

■1列王21:25アハブのように、裏切って主の目の前に悪を行った者はだれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたからである。
★アハブ王の幼児性には驚くべきものがあります。彼はイスラエルの王でありながら、宮殿のそばにあった民、ナボテのブドウ畑が欲しくなり、それ相当の代価で購入したいと申し出ますが、それがかなわなかった時、なんとふて寝をしていたと言うのです。そこに関わったのが過干渉で、全く神を畏れない悪妻イゼベル。あなた、どうしたのですか。アハブはこうこうしかじか、その理由を伝えます。ならば私があなたの為にそのブドウ畑を手に入れてあげましょうと、よこしまな者たちを雇ってナボテを殺し、さあナボテは死んだので、ぶどう園をあなたのものとするために出かけなさいとイゼベルは語るのです。そしてここにはそれを喜んで出かけるアハブの姿があるのです。なんと言う幼児性。夫と妻の関係ではなく、子供の事しか目にない愚かな母と幼稚な息子の関係です。王が男として立たなければ国は滅び、夫が男として立たなければ家は滅んでしまいます。幼児性を自らの中に温存するものではなく、主の前に差し出し癒しを受けることは幸いです。

■1コリント7:35ですが、私がこう言っているのは、あなたがた自身の益のためであって、あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろあなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです。
★パウロはこの章で、主にある夫婦の有りよう、親子の有りよう、奴隷と主人の有りよう等を取り上げ、クリスチャンの生き方についてのアドバイスを書き送ります。が、その書き方は、……してはいけません。……が良いと思います。……のほうがもっと幸いです。私も神の御霊を頂いていると思います。と自分の分を弁えたもので、聖霊様よりも先んじることはありませんでした。人は慎み深いクリスチャンの発言と行動によって始めて慰め生かされます。逃げないで人と関わろうとしたパウロを温かみのある人格者として造り上げた主は、あなたもそのような温かみある人へと導いて下さるお方です。主を仰ぎましょう。ヒデ

火曜日, 8月 25, 2009

20090825_1列王20 エレミヤ47 1コリント6

■1列王20:34ベン・ハダデは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」「では、契約を結んであなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。
★主はイゼベルを妻とし、イスラエルをバアルの預言者によって悩ました優柔不断なアハブ王のもとにある民をあわれんで、アラムの王ベン・ハダデの剣から奇蹟をもって救われます。その時、主は勝利を収めたアハブ王にベン・ハダデを打てと命じますが、どうでしょう。アハブは彼と同盟を結んで帰すのです。結局のところいつも神を畏れず、優柔不断をもって自分の思いを優先させるアハブ。聖書はそのつけがやがて彼の子孫に及ぶことを語ります。優柔不断。それは神様に忌み嫌われるものであることを心に刻みましょう。

■エレミヤ47:6「ああ。主の剣よ。いつまで、おまえは休まないのか。さやに納まり、静かに休め。」
★剣は自分をも、相手をも共に傷付けるもの、ゆえにキリストにあって、あなたの剣をサヤに収めよと主は語られるお方です。剣ではなく神の前に湧きあがる思いを留めていた栓を抜き、その心を主の前に注ぎ出すのです。その時、主はあなたの心に神にある平安を創って下さるお方です。

■1コリント6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
★聖書は「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」と、全てが許されていることを教えますが、その中にあっても贖われた者としての歩みの尊さを教えます。即ちどんな時にも神様に愛されている存在であることを覚えていなさいと言うのです。それがあなたが生きるための規準です。ヒデ

月曜日, 8月 24, 2009

20090824_1列王19 エレミヤ45-46 1コリント4-5

■1列王19:4自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
★アハブ王に仕えるバアルの預言者450人と戦い、みごと彼らを討ち滅ぼしたエリヤ。しかしそのことゆえ、「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたの命をあの人たちのひとりの命のようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」と、怒りと憎しみをあらわに、アハブの妻イゼベルが告げたとき、たとえエリヤであっても上の言葉のように意気消沈し、40日間人の前に立てないほどの鬱症状に見舞われるのです。
バアルの預言者450人を一人で滅ぼした大預言エリヤの姿はどこに?しかし、これが人間の現実です。しかし、神様はエリヤを責められません。ゆっくりと彼の回復を見守り、やさしく声を掛けられるのです。しかも神様はエリヤにバアルにひざを屈めない7千人の預言者を残して下さっていましたが「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。彼らは私のいのちを取ろうとねらっています」と、エリヤは自分に囚われた言葉を語るのです。人間とは極度の緊張とそれに続く恐怖に、何と弱いものでしょう。しかもそれは一人の婦人から発せられた言葉に過ぎないのです。
ですから人は自分を過大評価することは禁物です。むしろ主は弱くて良い、弱いままで良い。と、しかし、その弱さの中にこそ私は働き「私の恵みはあなたに対して十分である」と主は告げられるのです。自らの弱さを知った者だけが、主を仰ぐことができ、そこら「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と再び、この方の力によって立ち上がれる世界があることを受け止めましょう。あなたの弱さは既に主に受け止められていますか。それとも一人で頑張っていますか。さあ今日も主に自らを明け渡し、祈りをもって始めましょう。主はあなたを豊かに支えて下さるお方です。ヒデ

日曜日, 8月 23, 2009

20090823_1列王18 エレミヤ44 1コリント3

■1列王18:36ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。
18:38すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。
★神様を畏れないアハブ王と彼に仕えるバアルの預言者450人と正面から戦う預言者エリヤ。彼はアハブ王に翻弄されるイスラエルの民に「火をもって答える神を神としなさい」。「あなたがたはいつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であればそれに従い、もしバアルが神ならそれに従え」と決断を迫ります。この所から主とはあなたの純粋な愛を求めるお方であることを知って下さい。そして神様に純粋に愛を返す者に、かつて火を下された主は、今やキリストの十字架の救いを通して、信じる者の心に聖霊の火を下して下さるお方です。決断のない信仰は二心の信仰、混ざった信仰で、神様の不思議を見ることが出来ません。どちらに転んでも大丈夫なように安全策を講じるのは人のすべき事ではありません。あなたのすべきは、ただ神様を信じ、神様の救いの不思議を見ることです。主は今も御言葉を通し、変わることなく「もし、主が神であればそれに従い、もしバアルが神ならそれに従え」と語られます。

■1コリント3:13その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。3:14もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。3:15もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
★キリストを信じるあなたの永遠は既に保証されています。だから、主の酬いに預かれる真心と良き行いは感謝の応答です。主はそこに生きるあなたの歩みを今週も喜び祝福して下さいます。ハレルヤ。ヒデ

土曜日, 8月 22, 2009

20090822_1列王17 エレミヤ43 1コリント1-2

■1列王17:3「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。17:4そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
★この御言葉は、神様を畏れないアハブに対して「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」と、主から賜った言葉をエリヤが語った時、主が彼に語られた言葉です。神様は預言者の従順と存在を通して御自身が生けるお方であることを示されます。そして神様はこの時代の預言者としてあなたを召し出されたのです。主が語られる言葉への従順の大切さを心に留めましょう。

■1コリント1:18十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
★十字架とは何でしょう。それは罪の赦しであり、人間の罪の現実の現れです。律法主義や道徳教はいつの時代にも興っては消え興っては消えの繰り返しですが、そこには罪の明確な赦しがないのです。この世は十字架を愚かとし、それを退けようとしますが、何をそんなに恐れるのでしょう。主は既に全ての人のために命を捨てて下さったのに。解決のない戦いではありません。ゆえに自らの罪の内面を誤魔化すことなく、向き合うことを選び取り、主にある十字架の勝利を世に証詞しましょう。神の力は信じる者うちに豊かに働くのですから。ヒデ

金曜日, 8月 21, 2009

20090821_1列王16 エレミヤ42 マルコ16

■1列王16:25オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。16:26彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。
★この章は「ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ」と王位を受け継いだ王たちに4回連続で用いています。そして極めつけはオムリの子アハブで「彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであり、それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ」とさえ記します。真の神様が見えなくなるとき、人は愚かとなり混乱、殺戮、権威争いの歴史を繰り返します。その上で「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」との主の御声を聞くあなたはいかに幸いな人でしょう。知って下さい。永遠の光を得たあなたは既に勝利者です。

■エレミヤ42:11あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼をこわがるな。「主の御告げ」わたしはあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、彼の手からあなたがたを救い出すからだ。

■マルコ16:6青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
★そう主は確かに甦られました。そして主の救いを信じたあなたの中にも確かに生きておられます。そして今朝も「これは私の愛する子、私の心にかなう者である」と主は、あなたに対して語られるのです。ヒデ

木曜日, 8月 20, 2009

20090820_1列王15 エレミヤ41 マルコ15

■1列王15:4しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。15:5それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。
★レハベアム王のあと南ユダ王国を治める事となったアビヤム。しかし聖書は彼の事を「彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」と記録します。にも関わらず受けるに相応しくない憐れみを彼は受けたのです。まさにそれが「ダビデに免じて」との恩寵でした。そして私たちは「キリストに免じて」との恩寵の中に迎え入れられたのです。主はあなたの犯した罪の量りに従って、計ることを決してなさらな事実を受け止め生きましょう。

■マルコ15:34そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
★マルコによる福音書のゴールデンテキストとも言うべき言葉がこの御言葉で、ここにはキリストの贖いの根拠が明確です。キリストは確かにここで父なる神様に捨てられました。今まで「父」と呼んでいたお方を「父」と呼び得ず「神」と呼ばざるを得なかったのです。捨てられる根拠のないお方が捨てられたのは、まさに自らの犯した罪のために捨てられて当然の私たちが捨てられなくても済むようになるためでした。キリストは神様の前に「神様、罪のない私がこうして血を流しつつ彼等のために血を流していますから、この私の血に免じて彼等を赦して下さい」と、取りなして下さったのです。聖書には「血をながすことなしには罪の赦しはあり得ない」とありますが、キリストは御自身の命を懸けてこの律法を全うされたのです。信じましょう。そして生きるのです。ヒデ

水曜日, 8月 19, 2009

20090819_1列王14 エレミヤ40 マルコ14

■1列王14:6アヒヤは戸口に入って来る彼女の足音を聞いて言った。「お入りなさい。ヤロブアムの奥さん。なぜ、ほかの女のようなふりをしているのですか。私はあなたにきびしいことを伝えなければなりません。
★サマリヤに自らの為、礼拝所を設けたヤロブアム王は、息子アビヤの病を案じて預言者アヒヤのもとに送ります。変装していたヤロブアム王の妻でしたが、神様は預言者に上の言葉を語らせたのです。主はなんでもお見通しであられる方であるこを覚えましょう。全てをご存知の上で赦される主。だからこそ、そこに救いがあるのです。あなたは自分を隠す必要がないのです。

■エレミヤ40:9そこで、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤは、彼らとその部下たちに誓って言った。「カルデヤ人に仕えることを恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。
★主がエレミヤに語られた言葉。まさにこれは新約の宣教方策以外の何ものでもありません。遣わされたこの世においてあなたは輝くのです。世を恐れてはなりません。むしろ世に生きる一人一人を愛するのです。

■マルコ14:36またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
★有名なゲッセマネの祈りです。確かにこの時、父なる神様に向かってささげるキリストの祈りは叶えられました。祈りの叶えられかたとは、そのまま願いが聞かれることもあるでしょう。しかし祈りを祈る側の存在が変えられることもあるのです。あなたは祈りを通して自分自身が変えられて行く恵みの世界を知っていますか。まさに真の神様のみがなし得る奇蹟です。主はあなたの生涯に介入し、力を注いて下さるお方であることを感謝しましょう。ヒデ

火曜日, 8月 18, 2009

20090818_1列王13 エレミヤ39 マルコ13

■1列王13:33このことがあって後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることもせず、引き続いて、一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にした。13:34このことによって、ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった。
★真の神様に礼拝をささげたいとの民の思いを偶像礼拝へと向かわせたヤロブアムの罪は重すぎます。なにゆえそんなことにと、その動機を探るときに、自らが王で居続けたいとの願望の為でした。偶像礼拝者のスピリットは見える形は違っても自ずと大切な人々を偶像礼拝へと導きます。神様以外のものを断固神としてはならないのです。

■エレミヤ39:17しかしその日、わたしはあなたを救い出す。主の御告げ あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。39:18わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。」
★リンカーンは神を信頼し、神の側に立ち続けることによって勝利を獲得しました。目に見える状況ではなく、御言葉と内なる聖霊様の声に従いましょう。

■マルコ13:30まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。13:31この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★永遠に変わることのない主の言葉だからこそ、この言葉に信頼する私たちの人生は滅びることの無いものとして建て上げられることができるのです。知って下さい。神の言葉を心と霊で受け止めるあなたは、すでに永遠の存在とされているのです。今日も目先のことに右往左往するものではなく、神の言葉に基づいて判断する一日となりますように。ヒデ

月曜日, 8月 17, 2009

20090817_1列王12 エレミヤ38 マルコ12

■1列王12:26ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。12:27この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」12:28そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」12:29それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。
★なんと言うイスラエルの悲しい歴史。このヤロブアム王の決断ゆえにイスラエルの礼拝に関する混迷の歴史が始まってしまいました。エルサレムかサマリヤか。しかし、そもそもの原因はこのヤラベアム王ではなくソロモンの息子レハベアム王の民への荒々しい言葉です。「私の父はおまえたちのくびきを重くしたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」と。それに伴いイスラエル12部族は分裂したのです。しかし民を偶像礼拝へと導いたヤラベアムの罪が帳消しにされる訳ではありません。将来に向けて悔いの無い決断の大切さを覚えましょう。

■エレミヤ38:20エレミヤは言った。「彼らはあなたを渡しません。どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです
★主に降伏するのはよいことです。奴隷ではなく罪から解放するために命を懸けて救いを成し遂げて下さったお方ですから。

■マルコ12:17するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
★あなたの中には「神のかたち」が刻まれています。神様に向かって生きるためです。ささげましょう。輝くために。ヒデ

日曜日, 8月 16, 2009

20090816 1列王11 エレミヤ37 マルコ11

■1列王11:2この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
★なんと言う残念。ついに国が北と南の二つに分かれ、互いに争い合うその時が。聖書はその原因を、ここで「それなのに」と記します。あれほどのソロモンなのに。しかしソロモンとて例外ではありません。神の恵みを軽んじ、神様の戒めを脇に置き、私は大丈夫とおごる時、人は滅びる以外にないのです。馬鹿のようになって神の言葉に従うこと、これ以上に人に祝福をもたらし、勇気ある決断のないことを心に刻みましょう。ソロモンは神様からの警告を聞きつつも離れる決断をしなかったのです。

■エレミヤ37:18エレミヤはゼデキヤ王に言った。「あなたや、あなたの家来たちや、この民に、私が何の罪を犯したというので、私を獄屋に入れたのですか。
★エレミヤによる王への直言です。かつての「ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいか分かりません」とおじ惑うエレミヤの姿はありません。信じましょう。主は従う者を造り上げて下さるのです。

■マルコ11:5すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」11:6弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
★主がエルサレム入場に用いられたのは戦車でも馬でもなく、弱々しげなろばの子でした。持ち主は、主のことばを語ると許してくれたとここは証しします。自らの生涯に「主の用なり」と御声が掛かった時あなたはどうでしょう。それを許しますか。許すとき、あなたが主を運ぶのではなく、主があなたを運んで下さることを信じて従う者でありましょう。ヒデ

土曜日, 8月 15, 2009

20090815 1列王10 エレミヤ36 マルコ10

■1列王10:4シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、10:5その食卓の料理、列席の家来たち従者たちが仕えている態度とその服装、彼の献酌官たち、および、彼が主の宮でささげた全焼のいけにえを見て、息も止まるばかりであった。
★ダビデに変わって王になったソロモンに神様は「何を求めるか。願え」と語られました。さて御心にそった願いをささげたソロモンに与えられた知恵とはいかなる知恵だったでしょう。ここにはそれが明確で、息も止まるばかりのそれでした。神様の真実は昨日も今日も永久までも変わりません。

■エレミヤ36:23エフディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした。36:24王も、彼のすべての家来たちも、これらのすべてのことばを聞きながら、恐れようともせず、衣を裂こうともしなかった。
★心を裂き、悔い改めのうちに赦しを受けるようにと主が下さった御言葉。にも関わらずユダの王エホヤキムは、心ではなく、与えられた神の言葉を小刀で裂き、暖炉の中に投げ込んだのです。その結果彼の生涯から光は消え、結果彼自身が火の中に投げ込まれる者となりました。間違ってはなりません。人は蒔いたものを必ず刈りとることになるのです。

■マルコ10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。
★主に大声で憐れみを求めるこの盲人。しかし人々は黙らせようと取り押さえます。けれど主の耳にはしっかりとこの人の叫びが届いていたのです。あなたの叫びも同様で、主の耳にはしっかり届いています。そして主はあなたに語られます。「私に何をして欲しいのか」。率直に主に申し上げる願いを持つ人は幸いです。ヒデ

金曜日, 8月 14, 2009

20090814 1列王9 エレミヤ35 マルコ9

■1列王9:25ソロモンは、主のために建てた祭壇の上に、一年に三度、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげ、また、主の前にある壇で香をたいた。彼は宮を完成した。
★定期的に、また時々刻々と神様の前に礼拝をささげることは、自らを罪より守り、神様の御心を成し遂げるためになくてはならない秘訣です。主はかつて預言者サムエルに「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊ぶ」と語られたことを思い出しましょう。

■エレミヤ35:19それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」
★レカブ人とは遊牧生活を守り通すことによって,世俗化から身を守り,主に対する忠誠を尽そうとした人々ですが、主はその形のあらわれは様々であっても、忠誠と誠実をもって御自身に近づこうとする人を喜び、真理をもって完成して下さるお方です。

■マルコ9:35イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
★これは道々、誰が一番偉いかと論じ合う弟子たちへの主の答えです。主は影響力を持つリーダーになってはならないとは決して言われません。むしろあなたに真のリーダーになって欲しいと願われるお方です。その秘訣が仕えるリーダーシップです。人が生かされ、その結果自分も生きることができるそんな一日となるように祈りませんか。ヒデ

木曜日, 8月 13, 2009

20090813 1列王8 エレミヤ34 マルコ8

■1列王8:38だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、8:39あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。
★これはソロモンが神殿奉献の際、主にささげた祈りの一部です。そこには隣人への罪、敵との戦い、相続地の祝福、病からの守り、異邦人の祝福と、祈りのテーマは様々です。同様に重要な事は、主は今もソロモン以上にあなたのために、天の御位に座し祈りをささげて下さっている事実です。その為か。黙示録の主は白髪です。(黙示録1:14)主の執り成しの励ましを受け取り、強められましょう。

■エレミヤ34:11しかし、彼らは、そのあとで心を翻した。そして、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻して、彼らを奴隷や女奴隷として使役した。
★主にあって同胞のヘブル人を奴隷としないという契約を交わしながら、欲に着かれた民はそれを覆したのです。主はそれを小さい事とは見ておられません。主はあなたを祝福の基として召し出される為にこそ、命を捨てられたことを心に刻みましょう。

■マルコ8:35いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
★主は命の用い方について内向きに保護すべきものではなく、使命の為に使うものと語ります。私たちが使命の為に命を使うとき、主ご自身がそれを保護し強めて下さるのです。私たちの内に主が下さった永遠の命は、与えても与えも減ることのないことを覚えましょう。ヒデ

水曜日, 8月 12, 2009

20090812 1列王7 エレミヤ33 マルコ7

■1列王7:1ソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した。
★神殿を七年かけて完成させたソロモンは次いて自らの宮殿を建設に取りかかります。ここに祝福の優先順位があることを覚えましょう。まず神の国とその義です。しかし人間とは弱いもの。こんなソロモンでさえ、いえこのきれるソロモンのゆえかも知れません。貿易の成功を願ってエジプトの王ファラオの娘をめとるのです。神様の栄光の為にとの素晴らしい目的。しかし、どこまでもその手段において純粋性を保つことの何と困難なことか。ただはいをはい、いいえをいいえとする事の尊さを心に刻みましょう。

■エレミヤ33:3わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
★韓国の教会は祈り始める時。大きな声で心から「主よ、主よ、主よ!」と3回叫んでから祈る習慣があるようです。あなたは主の隠された大いなる事を知るためにどんな習慣を持っていらっしゃいますか。

■マルコ7:28しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」
★自分を無にしてでも大切な人を救いたいと願う人は幸せです。では宇宙で一番幸せな人、偉大な人とは誰でしょう。その答えは人類の救いの為には自分を無にして十字架にまでかかられたイエス様です。ですから信仰によってイエス様につながるあなたの心にもその祝福と命と幸せが、豊かに豊かに注ぎ込まれるのです。主を愛しましょう。そしてあなたの助けを必要としている人の隣人になりましょう。ヒデ

火曜日, 8月 11, 2009

20090811 1列王6 エレミヤ32 マルコ6

■1列王6:38第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。
★ここにはソロモンが神殿を建てるために用いた時間が明確です。彼は決してあせって中途半端なことはしませんでした。ましてや主が私たちの内に立てて下さる生ける神殿は永久に関わる神殿です。あなたはいっこうに変わらない自分を見つめて失望落胆していませんか。自分に心縛られることなく、主の恵みと愛に目を留めさせて頂きましょう。ソロモンの父ダビデは「私の救いは天地を造られた主から来る」と詠みました。

■エレミヤ32:40わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。
★あなたの心の中には神様への恐れの気持ちがありますか。それともあなたにとって神など取るに足りない存在ですか。あなたの中に神様への恐れがあるなら感謝しましょう。まさにそこから全ての祝福は始まるのですから。

■マルコ6:10また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。
★キリスト者とは誰ですか。禁酒禁煙、心を内向きに、自らを義とするために内にこもる存在ではありません。むしろ勇気をもって関係を造り出す存在と主は語られます。豊かな関係を築き上げることなくして、どうして一つの家に留まることが出来るでしょう。あなたはその生き方を避けたいですか。それとも勇気を持って一歩踏み出しますか。福音とは信じるあなたが恵みによって変われるからこそ福音です。福音を生きましょう。ヒデ

月曜日, 8月 10, 2009

20090810 1列王4-5 エレミヤ31 マルコ5

■1列王4:29神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。4:30それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。
★注目すべきはソロモンの知恵と広い心の関係で、そこには連動性があるのです。閉鎖的な心、あるは自己実現に集中する心で到達できる知恵には限界が。しかし広い寛容な心には、更なる恵みの知恵が加えられるのです。忘れてならないこと、それは良き知恵は全て上から来ると言うことです。どれほど多くの偉人が、上からのインスピレーションによって事を成し遂げた事でしょう。

■エレミヤ31:3主は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
★主の愛はあなたの人格を最大限信頼し尊重しようとする愛。けれど、ここぞという時は身を乗り出して下さって。さてあなたの愛の距離感はいかがでしょう。過干渉過ぎて煙たがられていませんか。大丈夫。あなたの大切な人は、あなたの祈りと合わせて主の永遠の愛によって支えられているのですから。

■マルコ5:12彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」5:13イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
★あなたに質問させて下さい。主は二千匹の豚と一人の人と、どちらを尊ばれるお方ですか。主がその愛でいつもあなたを愛しておられることを覚えていて下さい。宇宙ひろしと言えどあなたに変わるスペアーはどこにも無いのです。ヒデ

日曜日, 8月 09, 2009

20090809 1列王3 エレミヤ30 マルコ4

■1列王3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
★これはダビデのあとを継いで王となったソロモンに、「あなたに何を与えようか願え」と、主が語られたと時、その応答としてソロモンが願ったものです。願いには、人そのものが表れます。そして主はこのソロモンの願いを喜ばれ、全て添えて与えられる恵みにソロモンは与ることになりました。祝福の秘訣は今も昔も「まず神の国とその義」を求めること。主は語られます。「願え!」と。

■エレミヤ30:21その権力者は、彼らのうちのひとり、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。わたしに近づくためにいのちをかける者は、
いったいだれなのか。主の御告げ。
★これが主の偽らざる思い。命を懸けて成し遂げて下さった福音に、あなたはいかに応えるか。その酬いは30倍60倍100倍に留まることなく1000代の祝福となって酬い返されるのです。

■マルコ4:20良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」
★蒔かれる種とは御言葉で、蒔かれる土地とは私たちの心です。種は自ずと実をならせるものですが、主は聞き方によって、その結果は異なると言うのです。けれど等しく言えること。それは最初から良い地なんて無いないと言うことです。悔いし砕けた心をもって主に近づくあなたの上に主の祝福は豊かです。ヒデ

土曜日, 8月 08, 2009

20090808 1列王2 エレミヤ29 マルコ3

■1列王2:17彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断らないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを私に与えて私の妻にしてください。」
★これはかつて野心を抱き「自分が王になろう」といったダビデ王の3男、ソロモンにとっては異母兄弟の兄、アドニヤの言葉です。アビシャグとはタビデが年老い、身体が温まらなくなった時に、王に仕えるようにと召し出された娘。そして彼は欲のゆえに、「父ダビデ王の妻をこの私の妻に」と、自分が王位に就くべきと主張したのです。父亡き後、ソロモンに最初に訪れたことはこうした家督相続の難題です。しかし聖書はこうしたことについても、主を仰ぎ、主の導きを求めることを教えます。決断すべきは決断し、語るべきは語り、国を確立する力は上から来ることを覚えたいものです。

■エレミヤ29:11わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。─主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。29:12あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
★主がこれを語られたのはいつですか。イスラエルが罪の為、バビロンに連れ去られようとする直前です。にも関わらず、イスラエルに対する主の愛と選びは変わることがないのです。まさに不思議。そしてあなたもこのお方の不思議によって支えられているのです。

■マルコ3:14そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、3:15悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
★主はあなたを何の目的の為に選び、召し出されたのでしょう。ここではそれが明確です。認めて頂きたいこと、それは決して偶然ではなく、祝福であり。特権であると言うことです。知っていますか。神様は今日もあなたの神の子としての祈りと宣言を用いて不思議を為そうとしておられるのです。特権を隠すことなく用いましょう。ヒデ

金曜日, 8月 07, 2009

20090807 1列王1 エレミヤ28 マルコ2

■1列王1:30私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」
★いよいよダビデの時代からソロモン王の時代へ。この列王記の概略は王が神様に従うとき、イスラエルは神様の繁栄と祝福を受け、神様に背くとき、罪と悲惨を味わわなければならないと言うものです。あなたもいずれかの領域において王として立てられた存在ではないですか。覚えましょう。あなたが神様に従順することはもちろんあなたの祝福ですが、王としてたてられたあなたの影響は、あなたのもとにある全ての人にもあることを。悪影響もしかりです

■エレミヤ28:15そこで預言者エレミヤは、預言者ハナヌヤに言った。「ハナヌヤ。聞きなさい。主はあなたを遣わされなかった。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。
★偽りに拠り頼ませることは預言者のなすべきことではありません。さらに人はその人の語ることよりも生き様にならうもの。神様の恵み深さへの感謝と、峻厳なる神様を畏れる姿勢の中に歩ませて頂きましょう。

■マルコ2:4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
★中風を患うその人と、4人の友の信仰を主は喜ばれ、中風の人の病を癒されます。群衆は我先にと、ばらばらに主に近づきますが、彼等は心を合わせ、一つの目的のために病める人をキリストの御もとに導くのです。まさにここに教会の本質の姿が。主は、あなたが愛するならその人の友になれると語られました。豊かな人生とは、あなたが主にあって誰かをお助けしたいと願うとき、あなたと共に心を合わせてくれる友を持つことです。あなたにはそんな友がありますか。友のために祈りましょう。ヒデ

木曜日, 8月 06, 2009

20090806 2サムエル24 エレミヤ27 マルコ1

■2サムエル24:10ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」
★側近である将軍ヨアブは「王よ。一体何の為に」とこれを留めさせようとしますが、ダビデ王はこの時それを説き伏せてまで「さあ、イスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」と命じます。さすがのダビデも年老い、自分の影響力に不安を感じはじめた事がこうした形で現れたのか。罪はまさに人間の弱さを足がかりに、人の人生を滅びに向かわせようとするのです。かつての力が誇れない所からくる妬み、寂しさ、不安には注意が必要です。

■エレミヤ27:17彼らに聞くな。バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この町が廃墟となってよかろうか。27:18もし彼らが預言者であり、もし彼らに主のことばがあるのなら、彼らは、主の宮や、ユダの王の家や、エルサレムに残されている器がバビロンに持って行かれないよう、万軍の主にとりなしの祈りをするはずだ。
★預言者と偽預言者を見分ける事は困難です。その違いは罪を曖昧に誤魔化すことをゆるすか、悔い改めて離れるよう、涙の内に訴えるかのどちらかです。耳ざわりのよい言葉だけが神の言葉ではないことを覚えましょう。

■マルコ1:15「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
★主の弟子マルコの記述によるイエス・キリストの第一声がここに。私たちが神様から祝福を受ける手段は単純です。神様から離れようとする方向から、神様に向かう方向へと心の向きを変え、神様の恵みを信じ、ただ受け取るのです。あなたの人生の祝福のための全ては、既に主によって備えられました。さあ主を仰ぎ、今日も感謝して一日遣わされましょう。ヒデ

水曜日, 8月 05, 2009

20090805 2サムエル23 エレミヤ26 ローマ15-16

■2サムエル23:5まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。
★「これはダビデの最後のことばである。」と記されている中に含まれる内容です。ここにはダビデの確信が明確です。神様が私に与えて下さった約束は永遠のもの。神様は信頼をもって近づく私の生涯を育て上げて下さる。そしてその通りとなったのです。ヘブル11:6には「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とありますが、まさにダビデは信仰の人でもあったのです。あなたも事実、永遠の契約に招かれています。あなたの信仰の確信はどうですか。

■エレミヤ26:2「主はこう仰せられる。主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。26:3彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。
★ここには主が民に向かってなぜ叱責するかが明確です。それはひとえに赦しを与えたいから。この父なる神様のはらわたを心深く留めることは大切です。なぜなら父の心を知った者と知らない者の生き方は自ずと変わって来るのです。主は既にあなたを赦しておられます。赦されたものとして生きるのです。

■ローマ16:20平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。
★ここはパウロがローマに宛てて記した手紙の最後の部分です。ここでパウロは「……よろしく」と16回繰り返し、様々な人に向けて感謝をあらわします。真に神に仕えるとは、人を励まし育てる人になることを意味します。パウロのようにあなたは周りの人の良き点を認め評価し感謝と励ましを率直にあらわしていますか。あなたの足でサタンを踏み砕くとはまさにそうした生き方をすることです。ヒデ

火曜日, 8月 04, 2009

20090804 2サムエル22 エレミヤ25 ローマ13-14

■2サムエル22:10 主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。22:31神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。22:32まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神のほかにだれが岩であろうか。22:33この神こそ、私の力強いとりで。私の道を完全に探り出される。22:34彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。22:35戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓でも引けるようにされる。
★この詩はサウルの手より救い出された時ダビデが詠んだもの。主とはどんな方ですか。ダビデは、あなたの腕を強くして下さる方。あなたが事を成し遂げる人となるように助けて下さるお方。その為には天をおし曲げて下り、あなたに関わり助けて下さるお方と語ります。このお方によって彼は強められ国と自らの人生を治めて頂いたのです。

■ローマ14:4あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
★まず知って下さい。キリストを告白したあなたに対して神様はどんな時でもあなたの味方であることを。そして主こそがあなたを完成して下さるお方であることを。主はあなたの人生、人格、存在そして永遠までも完成して下さるお方です。今まで私たちは自分の人生にそこまで関わって下さるお方を経験したことがありません。しかし、このお方は罪の支払う報酬として私たちに求められる命の代価を、御自身の命をもって払い、私たちを買いとって下さったのです。それゆえ今朝も主はあなたに対してハッキリと「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」と語られるのです。周りの「人」の評価にではなく、このお方を意識して歩ませて頂きましょう。そうするならあなたの人生は約束どうり必ず主にあって完成し倒れることはないのです。ヒデ

月曜日, 8月 03, 2009

20090803 2サムエル20-21 エレミヤ24 ローマ12

■2サムエル21:1ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」
★ダビデは飢饉のため、主に御心求めます。その時、主はかつてサウル王が罪のないギブオン人を殺したことを指摘されたのです。聖書は無慈悲な殺戮はその地に呪いをもたらし、家系の祝福を奪うことを教えます。ダビデはそのためギブオン人の心の癒しと和解のために心を砕き、具体的に流された血の恨みを解き、イスラエルの土地に癒しをもたらします。聖書は「家系の罪」の存在を示します。が、同時に私たちの主キリストが十字架の上で救いのみ業を完成させ、呪いを祝福に変えられたことをも示します。あなたはその力ある十字架の癒しと和解の力を家系に流れる罪と家族の間に打ち立てるためにも召し出されたのです。キリストの贖いの完全さを信じ感謝して告白しましょう。主はあなたとあなたの家族を祝福されます。

■ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。12:2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
★人間にとって一番困難なこと。それは自分を変えること。人を変えようとする試みは、たとえ強引であっても、それを成し遂げようとするのに、自分を変える力がないのです。しかしキリスト者には自分を変える希望がある事をここは謳います。自分の命を懸けても惜しくないものを発見した者の特権です。ああ何と感謝でしょう。主はあなたのために命を捨てて下さったのです。今日もこのお方を仰いで一日を始めるあなたの上に神様の祝福は一杯です。ハレルヤ。ヒデ

日曜日, 8月 02, 2009

20090802 2サムエル19 エレミヤ23 ローマ10-11

■2サムエル19:5 ヨアブは王の家に行き、王に言った。「あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。19:6あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。
★民を苦しめた反逆の子アブシャロムを悼むダビデに対する将軍ヨアブの直言です。この直言ゆえにダビデは我を取りもどし、民への感謝を語ります。あなたには直言してくれる友がありますか。それともあえて避けますか。またそれを聞き、受け入れる用意がありますか。

■ローマ11:13そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。11:14そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。
★これは迫害者から主の弟子とされ、当時の世界を福音によって変えたパウロの言葉です。パウロは何と語っているでしょう。「私は私に与えられたこの知恵と能力を用いて全世界を変えるのだ」でしょうか。いいえ。「幾人かでも」です。良き感化を与えたいと願う人は野心によってではなく動機の純粋さが求められるのです。さらに、愛の心、たとえ一人でものスピリットです。まさにそれは主の心。主はたとえ全世界であなただけしか罪を犯さなかったとしても、あなたの為に十字架の上で命を捨てて下さるお方です。今週もこの愛に感動し、ひとりの人との出会いを大切に、遣わされて行きましょう。主の目にあなたはスペシャルな存在です。ヒデ

土曜日, 8月 01, 2009

20090801 2サムエル18 エレミヤ22 ローマ9

■2サムエル18:33すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」
★これは自らに謀反を起こし、民を苦しめた息子アブシャロムが心臓をひと突きにされた伝令を聞いた時のダビデの反応です。王を守る為に命を懸けた兵士達。しかしその兵士達の献身よりも謀反を起こし国を滅ぼそうとしたアブシャロムの死をダビデは悼むのです。ダビデも人の子であることを思います。が、その事を通して兵士の心は、どれほど急速にダビデから離れて行ったことでしょう。危機一髪、ダビデの窮地。しかしそこから彼は立ち直らせたのは……?その顛末は明日の箇所。ただ一つ、人は時に誰でも盲目になりうるもの。その為に真実な助言を与えてくれる友が必要なことを覚えましょう。

■ローマ9:33それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
★確かにイエス・キリストの十字架と復活の福音ほど、愚かに見え、躓き、妨げと感じる人々のあることは否めません。にも関わらず神様はあえてその道を備えられたのです。そんな愚かではなく、もっと知的納得を与える救いをさえ備えて下さったなら……。ではどんな救いなら人は信じるとこができるのでしょう。問題の本質は決して神様の側にではなく、神様を感謝できない人の側にあるのです。神様が備えて下さったものを感謝して受け取ることが全ての始まりであることを知るあなたを、主は今日も祝して用いて下さいます。ハレルヤ。ヒデ