月曜日, 10月 31, 2011

20111031_ヤコブ1

■ヤコブ1:2私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。1:3信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。1:5あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。1:6ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。1:7そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。1:8そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
★マリヤの子であり主の実の弟であるヤコブの手紙です。彼はさらに「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」と続けます。試練と信仰とは何かを彼はテーマとしましたが、試練とは神様が下さったチャンスであり、信仰とはその試練の中で働かせ、神様からの祝福を受け取る手段と紹介します。面白いですね。既に「心に植え付けられている御言葉をもう一度受け入れよ」などと。言葉を換えると御言葉を知っていること、心で「良いなーっ」と思っているレベルと違うと言うことです。信じて受け入れてそこに立ち、それに基づいて行動することが大事なんだと言うのです。信じているのにそれに基づいた行動でなければ二心の者で、その人は神様を祝福を期待できないと語ります。あなたは心に植え付けられている御言葉を素直に受け入れそれに基づいて生活していますか。ヒデ

日曜日, 10月 30, 2011

20111030_イザヤ25_ヘブル13

■イザヤ25:8永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。25:9その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」
★幼い時、信頼していた人から「男のくせに泣くな」と言われ、わいてくる悔しさと悲しみ、また憎しみから「二度と泣くものか」と決心し、結果人は人生に喜びと涙を忘れてしまう事さえあります。すなわち人生の一部分で人であることを自分自身、否定してしまうのです。しかし主は、あなたの涙を受け止めて下さるお方。あなたの良いところはもちろん、欠けたところもありのまま受け止め、あなたの目から涙をぬぐい、あなたの心に喜びと希望を返して下さるお方です。

■ヘブル13:5金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」……13:8イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
★あなたをどんなことがあっても捨てられず、保たれる方があります。そのお方が主キリストの父なる神様です。このお方は変わりません。いつも同じ姿勢と愛をもってあなたに関わって下さいます。父なる神様があなたを裁きの目で見ておられますか。いいえあなたの内に責められるべき罪があるのではないですか。あなたを喜んでおられる父なる神さまを感じますか。ずっと神さまは、あなたのことを誇りの息子、娘と思っておられました。でもよかったですね。あなたの内に父なる神様への感謝と愛が満ちあふれているのですね。キリストは変わりません。常に真実です。ヒデ

土曜日, 10月 29, 2011

20111029_ヘブル12

■ヘブル12:1こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。12:2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。12:3あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。
★まとわりつく罪を捨てて、「信仰の創始者であり完成者であるイエスを仰ぎつつ走ろうではないか」とここは勧めます。聖書はまことの神様を信じる信仰をつくって下さり完成して下さるのはイエス様だと教えます。信仰とは自分の努力で頑張ったり、造り出したりするものではないのです。イエス様を見あげるときに与えられ、うまれるものです。嵐の湖の上を主が歩いて弟子たちの船に近づいたとき、弟子たちは恐れました。しかしそれが主だと分かったとき、ペテロはどうしたでしょう。「私に命じてあなたの御もとに行かせて下さい」と。主は「来なさい」と語られましたが、嵐の中でも主を見続けたペテロはどうなりましたか。おぼれることなく水の上を歩いて主の御もとに近づくことができました。しかし船に向かってイエス様と共に帰るとき、イエス様ではなく嵐の激しさに目を留めるやいなやおぼれそうになりました。あなたの心に信仰をつくり、それを完成して下さるお方は主です。あなたが一心に目を注いでも間違いのないお方は主です。このお方を仰いで進みましょう。その時あなたは生きるのです。仰ぎ見る者は生くべし。ヒデ

金曜日, 10月 28, 2011

20111028_ヘブル11

■ヘブル11:1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。……11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
★信仰によって、信仰によってと繰り返し繰り返し旧約の聖徒たちの信仰が紹介される箇所で、信仰の力の偉大さが余すところなくこのところに紹介されます。あなたは信仰は力であることを知っていらっしゃいますか。しかもそれは神様の力を引き出すパイプ。また神様から与えられる恵みでもありますが、全能者に対して無力である人間が唯一、神様と関係を築かせて頂ける手段でもあります。何も神様に与えるものを持ち合わせない人。しかし神様はそんな人である私たちが、神様の全能と、そのご性質である愛と真実に寄り頼み近づく時、それを喜こび、惜しむことなく命と祝福を注いで下さいます。ゆえに信仰がなくては喜ばれることができません。人間とはギリシャ語で「アンソローポス」。すなわちそれは上を仰ぐ者との意。仰ぎましょう。神様が喜んで下さいます。従いましょう。神様が成し遂げる力を注いで下さいます。そしてそんなあなたを神様はご自身の友と呼んでくださるのです。ヒデ

木曜日, 10月 27, 2011

20111027_ヘブル10

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:37「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。10:38わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」10:39私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
★「私たちに必要なものは忍耐です」と、なぜでしょう。それはキリストが「わたしはあなたのみこころを行うことを喜びます」と父なる神様に語られ、みこころに従って、ご自身のからだをただ一度十字架にささげられたことにより、私たちはもはや聖なるものとされているからです。あなたは神様の目には既にきよい者とされています。御子のいのちの代価が払われたからです。あなたを訴える者はもはや外にはないのです。しかし、内なるあなた自身が、まだきよめられていないあなた自身を訴えることがあるでしょう。そのために忍耐が必要です。そのために自分自身に蓋をするのではなく、自分の弱さを認め神様の前にそれを持ち出す勇気が必要です。その作業は自動的かつ機械的なものではなくあなた自身が自由意志を働かせ同意する必要があるのです。神様の恵みはもしあなたが心を開くなら、あなたが信じ切れない領域にまで届く豊かさを持っています。約束のものを頂くために勇気を持ちましょう。聖霊様の語りかけに敏感になりましょう。たがいに励ましあい祈り合いましょう。聖霊様の恵みがあなたの存在の一番深い領域まで豊かに満ちあふれますように。ヒデ

水曜日, 10月 26, 2011

20111026_イザヤ11_イザヤ14_ヘブル9

■イザヤ11:1エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。11:2その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。11:3この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、11:4正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。11:5正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。
★ダビデの子孫として誕生する主キリストの預言です。その見えるところによって裁かず、その聞くところによって判決を下さない。難しい事ですね。あなたは人に関わるとき善意で関わろうとしますか。それともレッテルを貼りたくなりますか。何よりもまず私自身が無意識の中で掛けてしまい、かつ、今も気づかないまま掛けている色眼鏡のある可能性を認めることは大切です。人は思い込みと、自身の内なる傷で反応し、人を裁くことがあるのです。

■イザヤ14:27「万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを戻しえよう。」

■ヘブル9:26……しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。9:27そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
★キリストは必ずあなたの前に立たれます。いえあなたがキリストの前に立つときが来るのです。準備はできていますか。ヒデ

火曜日, 10月 25, 2011

20111025_イザヤ9_ヘブル8

■イザヤ9:6ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。9:7その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
★神たるキリストが受肉なさる預言です。神様は預言者イザヤをとおして救い主に関する多くの預言を人類に与えられましたが、その中でも最も有名なものの一つがこの預言です。みどり子としてうまれるキリスト。しかしそのお方は神ご自身であり、主権者。さらにワンダフルカウンセラー。このお方は傷んだ芦を折ることなく、くすぶる灯心を消すことのないお方。そうあなたの命を守られるお方です。
■ヘブル8:7もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。8:8しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。
★はじめの契約すなわちモーセの律法と、キリストによる新しい契約が対比されている箇所です。キリストの血が、この新しい契約の基礎として十字架の上でながされました。キリスト者はこの契約に仕える者です。今やキリストが十字架上でひらかれた契約の血潮は、全世界に向かって、「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめるのである」と宣言しています。あなたの罪は赦されます。それがたとえ緋のように赤くとも。あなたの傷は癒されます。主はあなたの罪と病をも十字架の上で担われました。その打たれた傷によってあなたが癒されるために。信じ受け取り、新しい命に生きましょう。ヒデ

月曜日, 10月 24, 2011

20111024_ミカ5_ヘブル7

■ミカ5:10その日、主の御告げ──わたしは、あなたのただ中から、あなたの馬を断ち滅ぼし、あなたの戦車を打ちこわし、5:11あなたの国の町々を断ち滅ぼし、要塞をみなくつがえす。5:12わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする。5:13わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。5:14わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。
★あなたの中には除かれるべき誇り(馬・戦車)、決して非を認めない頑なな心(要塞)、真実を誤魔化し責任転嫁しようとする心(呪術師・占い師)、自分を神とし主を認めない心(刻んだ象・石の柱)がありますか。あれば主はそれを取り除かれます。理由は、あなたの人生をそれらはしばり虚しくするからです。

■ヘブル7:24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。7:25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
★神たるキリストがなぜ人となり、祭司として父なる神様への献げ物をしなさければならなかったのか。理由は人間の場合、たとえ祭司といえども不完全で、ゆえに年々献げ物を繰り返さざるを得ず、また罪の贖いをなすことができないゆえでした。しかしキリストは十字架の上にご自身をささげることによって、ただ一度で罪の贖いを成し遂げられたのです。だからキリストはご自分によって神様に近づくあなたを完全に救うことができます。キリストは永遠に存在される神様ご自身であなたのために愛と真実をもって執り成しをしておられます。ヒデ

日曜日, 10月 23, 2011

20111023_ミカ4_ヘブル6

■ミカ4:1終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。4:2多くの異邦の民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
★そうです。主はご自身の道をあなたにも示して下さいます。あなたは迷うことはありません。また主はあなたの歩幅に合わせて共に歩いて下さるお方です。「あしあと」と言う詩はごぞんじですよね。ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出されていた。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」
■ヘブル6:10 神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。
★持ち運んで下さるお方に従いましょう。ヒデ

土曜日, 10月 22, 2011

20111022_詩篇100_ホセア13_ヘブル5

■詩篇100:1全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。100:2喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。100:3知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。100:4感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
★「喜びをもって感謝しつつ御前に近づけ」と勧められますが、あなたは何を根拠に主を喜び、また感謝しますか。この朝立ち止まって考えてみませんか。今日あなたがしなければならない大切な決断があるなら、立ち止まることはそれを助けることになるでしょう。

■ホセア13:2彼らは今も罪を重ね、銀で鋳物の像を造り、自分の考えで偶像を造った。これはみな、職人の造った物。彼らはこれについて言う。「いけにえをささげる者は子牛に口づけせよ」と。13:3それゆえ、彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露のように、打ち場から吹き散らされるもみがらのように、また、窓から出て行く煙のようになる。
★ここに偶像礼拝者の愚かさと結末が警告されます。何より偶像は自分のために刻み、やがてそれに取り憑かれ、心が無感覚になり、命を失い、滅びます。そう断固止めなければならないのです。

■ヘブル5:8キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、5:9完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、5:10神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
★キリストは私たちの弱さを思いやることのできない方ではありません。いつも生きていてあなたを救うことができます。あなたは求めたことがありますか。このお方を。ヒデ

金曜日, 10月 21, 2011

20111021_詩篇73_ホセア10_ヘブル4

■詩篇73:21私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、73:22私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。73:23しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。73:24あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。73:25天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。
★これを新約聖書で表現すれば「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)でしょう。「我がまま」な思いを主の恵みのゆえに十字架につける。ここからこそが祝福のクリスチャンライフのスタートです。

■ホセア10:12あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。
★贖われた者としての託された人生と賜物、それは収穫に備えて種を蒔く人生です。もはやあなただけの人生と賜物ではありません。勤しみましょう悔いのない人生に向けて。

■ヘブル4:15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
★あなた自身とあなたの置かれた環境を理解し思いやって下さるためにキリストはおとめマリヤのお腹を借りて受肉されました。感謝。ヒデ

木曜日, 10月 20, 2011

20111020_ホセア6_ヘブル3

■ホセア6:1「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。6:2主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。6:3私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」
★主は引き裂かれるお方。なぜでしょう。主はまた「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」(マタイ10:34)とも語られます。そう主は問題の本質を隠したまま触れないで、結局のところその人にとって何の解決にも祝福にもならなかったと言うような関わりを方を願われないのです。あなたを本当に愛しておられるのです。思わぬ主が裂かれたならば、何故なのか、その理由を静まって主に聞いてみましょう。

■ヘブル3:12兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。3:13「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。3:14もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。3:15「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。
★どんな人が主の祝福を損なうのでしょう。託された時間を無駄に使い、心を頑なにし、信仰を失う人です。私たちは勇気を持たなくてはなりません。ことの本質に向き合い、その解決を主以外にではなく、主に求め近づく勇気を。ヒデ

水曜日, 10月 19, 2011

20111019_ホセア2_ヘブル2

■ホセア2:14それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。2:15わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。
★淫行の罪を犯した妻ゴメルを受け入れよと語られる主の御声に基づいて預言者ホセアは彼女を迎えます。妻ゴメルは夫ホセアをとおして示される主の愛にふれて「アコル」すなわち「苦悩」の谷を望みの門とします。われたガラスを風呂敷で包めばガラスは風呂敷を確かにかき裂きます。しかしそのようなホセアの愛によってゴメルは変えられ、私たちは主の愛によって癒されました。その打たれた傷によってあなたがたは癒されたとは真実です。

■ヘブル2:16主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。2:17そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。2:18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
★単に助けて下さるだけではありません。その弱さ、苦しみ、悲しみ、痛みを理解して下さってその上で助けて下さるのです。その上聖書は「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(7:25)と「いつも完全に」救って下さる事が付け加えられます。このお方を仰ぐことが信仰です。感謝しましょう。信じましょう。そして従いましょう。ヒデ

火曜日, 10月 18, 2011

20111018_ヘブル1

■ヘブル1:1神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、1:2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。1:3御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
★御子とはもちろんイエス・キリストです。このお方が「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」(詩篇40:7-8)と、子なる神ご自身でありながら、父なる神様の心を知った者としておとめマリヤのお腹をかりて受肉なさったのです。目的は御心を成し遂げるために。しかしそもそもこのお方は永遠のはじめから父なる神様と共に存在しておられた方であり、天地創造の時には父なる神様の傍らにあって「光あれ」と命じられ、光を創造なさった神様ご自身でした。そのことを明らかにするためにヘブル人の手紙の著者は冒頭の御言葉のように手紙を書き始めたのです。あなたはご存じですか。イエス・キリストが父なる神様と世の始まる前から共におられた神様ご自身であることを。
ヒデ

月曜日, 10月 17, 2011

20111017_2歴代26_イザヤ6_ピレモン1

■2歴代26:18彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。「ウジヤよ。主に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。あなたには神である主の誉れは与えられません。」
★祭司たちに上の様に言われたイザヤは怒ったと聖書に記されていますが、どうして怒る必要があったのでしょうか。宗教改革まで断行したウジヤなのに。彼はその勢力が増し加わったとき高ぶったのです。託された力を管理するとは何と難しい事でしょう。あなたにはどんな力が託されていますか。

■イザヤ6:5そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
★主を見た預言者イザヤの告白です。この後神様は彼を恵みによってきよめ大きく用いられます。神の臨在に触れることこそが人を高慢、滅びから救います。ウジヤ王が高慢ゆえ主に打たれ亡くなった年、国の衰退を憂い主の前に近づくイザヤにおこったことでした。

■ピレモン1:10獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。1:11彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。1:12そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
★「彼は私の心そのもの」。このパウロの憐れみに満ちた告白に父なる神様の心を見ます。父なる神様は同じ心を持ってあなたをこの世に送り出されました。あなたは主の心そのものの誇りの存在です。ヒデ

日曜日, 10月 16, 2011

20111016_詩篇115_イザ5_ユダ1

■詩篇115:2なぜ、国々は言うのか。「彼らの神は、いったいどこにいるのか」と。115:3私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。115:4彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。115:5口があっても語れず、目があっても見えない。115:6耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。115:7手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。115:8これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。
★結局偶像とは罪人が自分のやりたいことを肯定するための言い訳としてつくるもの。その腹は貪欲と汚れで、結局のところ自分を神とするためです。やめましょう偶像礼拝は。

■イザヤ5:7まことに、万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。5:8ああ。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている。
★主はイスラエルにどれ程の夢を見、愛情を注ぎ込まれたことか。あなたに対しても同様です。偶然ではなく意図をもってそこにあなたを植え付けられたのです。仰ぎましょう。

■ユダ1:19この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。1:20しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
あなたは生まれつきのままの人ですか、それとも御霊の人ですか。ヒデ

土曜日, 10月 15, 2011

20111015_イザヤ1_テトス3

■イザヤ1:18「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。1:19もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。1:20しかし、もし拒み、そむくなら、あなたがたは剣にのまれる」と、主の御口が語られたからである。
★神様から言葉を頂き、それを民に取り次ぐべく召された預言者イザヤの言葉です。「雪のように白くなる」とは「罪が完全に消し去られることができる」と言うことです。なんと言う驚くべき恵みでしょう。しかし一体どれ程の人がこの真理を知り、そこに生きていることでしょうか。多くの場合、人々は犯した罪の正しい処理法を知らず、ひた隠しにし、与えられたその尊い人生そのものを腐らせてしまいます。主の前で持ち出すのです。キリストも私のもとに来なさい、休ませてあげようと語られています。

■テトス3:8これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。
★パウロが確信を持って話すように願う有益なこととは何でしょう。神様に背を向けた結果、罪に死ぬものとなった人間、しかしキリストの十字架の贖いをとおして、神様は私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださった。これがいつの時代、どの国に生まれても有効な福音です。この福音を信仰によって受け取る時あなたは救われます。ヒデ

金曜日, 10月 14, 2011

20111014_詩篇104_アモス9_テトス2

■詩篇104:6あなたは、深い水を衣のようにして、地をおおわれました。水は、山々の上にとどまっていました。104:7水は、あなたに叱られて逃げ、あなたの雷の声で急ぎ去りました。104:8山は上がり、谷は沈みました。あなたが定めたその場所へと。104:9あなたは境を定め、水がそれを越えないようにされました。水が再び地をおおうことのないようにされました。
★創世記1:7を思い出して下さい。神様は大空の上の水と下の水を分けられました。ここにもその事が。ノアの洪水を通して山々の上にとどまっている水は40日40夜の雨となって地に降り注がれましたが、ここでは「水はあなたに叱られて逃げ」と詩的に歌われます。神様の壮大な創造のご計画と御力をほめたたえましょう。あなたはこの主の御手によって母の胎に造られたのです。

■アモス9:8見よ。神である主の目が、罪を犯した王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、わたしはヤコブの家を、全く根絶やしにはしない。
★この神様の語りかけをあなたはどう受け取りますか。「もうけ」と取りますか。それとも畏れますか。こののち御言葉は9:10「わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ」と続きます。

■テトス2:11というのは、すべての人を救う神の恵みが現れ、2:12私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、2:13祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。
★神様が私たちに悟らそうとしておられることが上の御言葉です。主に会う備えをしましょう。主は来られます。ヒデ

木曜日, 10月 13, 2011

20111013_詩篇86_アモス5_テトス1

■詩篇86:11主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
★イスラエルの王ダビデの祈りです。敵に命を狙われる時、大きな決断をしなければならないとき、誰かによって陥れられようとする時、彼は上の祈りを祈りました。「私の心を一つにして下さい」とは、きよくして下さいの意味です。二心でない、混ざりけのない心で神様の御心を選び取ろうとしたのです。人生において一番大きな課題は私たちお互いの心です。ダビデの祈りから学びましょう。

■アモス5:4まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」
★預言者アモスを通して主が選びの民に語った言葉です。民は試練の中、ベテル、ギルガル、ベエルシバと祭壇のある地へ行こうとしましたが、ささげられる礼拝は形式的なもので真に神様を求めようとしてのそれではなかったのです。語られたらそこに従う決心をして主の御声を聞くことの尊さを覚えましょう。神様は「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」と語られます。

■テトス1:15きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。1:16彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。
★ただ恵みによって救われました。しかし救われた者として、自らの言動を吟味することは大切です。ヒデ

水曜日, 10月 12, 2011

20111012_詩篇80_アモス3_2テモテ4

■詩篇80:4万軍の神、主よ。いつまで、あなたの民の祈りに怒りを燃やしておられるのでしょう。80:5あなたは彼らに涙のパンを食べさせ、あふれる涙を飲ませられました。80:6あなたは、私たちを隣人らの争いの的とし、私たちの敵は敵で、私たちをあざけっています。80:7万軍の神よ。私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。
★イスラエルの驚くべき良きところ。それは祝福を失った理由を弁えていること。帰るべき神様を知る民の幸いを思います。

■アモス3:7まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。3:8獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。
★牧者であり、農夫であったアモス。彼は職業的預言者集団に属していたわけではありません。神様が直接召し出されたのです。あなたも同様です。新約の預言者として語るべき言葉を民に語り、祭司として神様の前に取りなしましょう。

■2テモテ4:2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。4:3というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、4:4真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
★まさに終末、今がそうしたときかも知れません。自分の都合で神様の言葉をより分けることがありませんように。ヒデ

火曜日, 10月 11, 2011

20111011_2列王13_2テモテ3

■Ⅱ列王13:18ついでエリシャは、「矢を取りなさい」と言った。彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。13:19神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」
★神の預言者エリシャの死を前にした出来事です。当時のイスラエルの王ヨアシュが敵国アラムの攻撃を憂いエリシャに寄り頼んだとき、エリシャが語った言葉が上の言葉です。「もっと打つべきだった」これは霊の戦いの原則です。祝福と勝利を勝ち取るためには繰り返し繰り返し求め続ける事。大切なことは「大切なことを大切にし続けること。」誰かに言われたからではなく、主を愛する愛ゆえに主体的に熱心に飢え渇く人は幸いです。

■2テモテ3:12確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。……3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。3:16聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。3:17それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
★「聖書とは何か」をここに記されている内容に基づいてあなたの言葉で表現して下さい。そう聖書とはそういうものです。聖霊様によって開かれる書。祈りつつ、聖霊様の語りかけに耳を傾けつつ、心を開いて読みましょう。人の言葉は耳に届きますが、神のことばは聖霊の感動をもって直接心に届きます。ヒデ

月曜日, 10月 10, 2011

20111010_2テモテ2

■2テモテ2:8私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。2:9私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。2:10ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。2:11次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。2:12もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。2:13私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」
★主の弟子パウロの愛弟子テモテに対す勧めです。人となり、贖いを完成し復活なさったキリストの中にこそ人生勝利の秘訣が。パウロはこのキリストをいつも思っていなさいと書き送ります。この時パウロは捕らえられ獄中の身でしたが、このお方キリストにあって自由を得、「私はつながれていても、神のことばはつながれていない」と霊的勝利を歌います。ある人は状況や環境、能力に全く縛られ、それに支配されて夢と機会を失います。しかしパウロは「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである」と彼に懸けた人生を全うします。どちらを選びますか。その選択はあなたに委ねられています。ヒデ

日曜日, 10月 09, 2011

20111009_ヨエル2_2テモテ1

■ヨエル2:28その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。2:29その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。2:30わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。血と火と煙の柱である。2:31主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。2:32しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。
★信じ待ち望む弟子たちの上に聖霊がくだり、教会は誕生しましたが、その時くだった聖霊様は今も少しも変わることなく信じる私たちの心に働きかけ、私たちを導き、ご自身の力強い業を進めて行かれます。もしそれを留めるものがあるとするなら、私たちの心の中に巣くう不信仰です。バプテスマのヨハネは「悔い改めて福音を信ぜよ」と語りました。信じて一歩踏み出す。それが信仰です。

■2テモテ1:12そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。
★主の弟子パウロはなぜこんなにも確信に満ちた歩みができたのでしょう。じつはこの箇所にはその秘訣が。彼はここで自分が信じている方がどんなお方かをよく知っていると語ります。あなたはどうですか。このお方をどのくらい知っているかによってその人の確信は変わります。私たちの信仰はこのお方に掛かっていることを知る人は幸いです。ヒデ

土曜日, 10月 08, 2011

20111008_2歴代24_1テモテ6

■2歴代24:17 エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。24:18彼らはその父祖の神、主の宮を捨て、アシェラと偶像に仕えたので、彼らのこの罪過のため、御怒りがユダとエルサレムの上に下った。24:19主は、彼らを主に立ち返らせようと預言者たちを彼らの中に遣わし、預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった。24:20神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤを捕らえたので、彼は民よりも高い所に立って、彼らにこう言った。「神はこう仰せられる。『あなたがたは、なぜ、主の命令を犯して、繁栄を取り逃がすのか。』あなたがたが主を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた。」24:21ところが、彼らは彼に対して陰謀を企て、主の宮の庭で、王の命令により、彼を石で打ち殺した。
★人にとって最も恐ろしいことがここに。神様の前に罪を犯したヨシュア王の前に預言者が遣わされましたが、彼はそれに耳を貸さず遂に預言者「神の御声」を殺します。それは預言者をではなく、実は自らを殺す自殺行為。この後ヨシュアはわが子を殺し、自ら重病を病み、遂には家来たちに見捨てられ命を落とします。心に語られる神のことばを殺してはなりません。

■1テモテ6:6しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。6:7私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。6:8衣食があれば、それで満足すべきです……6:11……神の人よ。あなたは、……正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。
★キリストは心を神様の愛と感謝でいっぱいに満たすために来られました。ヒデ

金曜日, 10月 07, 2011

20111007_1テモテ5

■1テモテ5:8もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。
★エペソ書5:22-6:9を見るとキリスト者がどこに遣わされて行くべきものかが紹介されています。妻たちよ……。夫たちよ……。子供たちよ……。父たちよ……。奴隷たちよ……。主人たちよ……と。そう、キリスト信仰とは、教会として皆で集い励まし合うと共に、ひとりびとり神様から「あなたがたは地の塩です。世の光です」と、その使命と責任を果たすべき場所でキリストを生きるために遣わされるものであることが教えられています。そして最も大きなミッションはキリストの愛をもって家族に仕えること。家族を愛すること。あなたが最優先にキリストを生きる様にと紹介されている場所が家族であり、次に職場や学舎等社会です。キリスト者とは決して世捨て人ではありません。キリストによって、その愛に満たされて、遣わされていくべき場所に遣わされるべき存在です。主の弟子パウロが記した手紙の中でこのテモテ5章ほどに気ままなキリスト者に対して厳しい言葉をもって記された書はありません。ここまで記すのかと思う程です。パウロの言葉の裏にある愛を読み取りましょう。そしてそこに生きましょう。やがての日、恐れなく主の前に立ち、主からの冠を得るためです。ヒデ

木曜日, 10月 06, 2011

20111006_1テモテ4

■1テモテ4:12年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。4:13私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。4:14長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。4:15これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。4:16自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。
★神様を信じるとは人の前にではなく、神様の前に生きることなんだとパウロが愛弟子テモテを諭そうとしている箇所です。既にこの時代は「……してはならてい。……しなければ救われない」と、恵みによる信仰からそれて、自らの行いをもって神様の前に出ようとするやからが幅を利かそうとする、そうした中での助言でした。結局その違いは信仰を通して自分を誇る者となるのか、それとも神様を誇る者となるのかの違いとなってあらわれます。隠れているもので現れないものはありません。神様は、人が神様の前に蒔いたものを必ず刈り取らせて下さるお方。そのことを通して信じる者に報いて下さるお方です。人を恐れると罠に陥ります。今日もこれからも神様の前に悔いのない生き方をささげさせて頂きましょう。ヒデ

水曜日, 10月 05, 2011

20111005_2列王6_1テモテ3

■2列王6:5ひとりが材木を倒しているとき、斧の頭を水の中に落としてしまった。彼は叫んで言った。「ああ、わが主。あれは借り物です。」6:6神の人は言った。「どこに落としたのか。」彼がその場所を示すと、エリシャは一本の枝を切って、そこに投げ込み、斧の頭を浮かばせた。
★イソップの金の斧の話しではありませんがエリシャが預言者学校の建築において不思議をなす場面です。人間的には考えられない次元です。主はもとめられた税のために(マタイ17:27)「しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。と語られたことがありました。あなたはここからどんなメッセージを受け取りますか。

■1テモテ3:6また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。
★教会の監督の職につきたいなら、執事になりたいなら、婦人執事になりたい人がいるならと、パウロは愛弟子テモテにあてた手紙を通してその基準を示します。注目したいのはここには悪魔が何故に堕落し、自らの身に裁きを受ける者となったを明らかにしています。原因は高慢です。主に仕え、教会に仕えたいとの思いは尊いこと。しかし悪魔はその動機の中に巧妙に高慢の思いを忍び込ませ、神の人を滅ぼし、その業を無価値なものにしようとします。私に限って大丈夫と思っているその人は最も危険です。私は危ないかもと思う人は更に要注意です。すなわちこの誘惑に無関係な人は一人もないのです。キリストの中に留まり、主の恵みを数えましょう。主への感謝がこの誘惑に対する最大の防御策です。ヒデ

火曜日, 10月 04, 2011

20111004_2列王4_1テモテ2

■2列王4:6器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。4:7彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」
★預言者エリヤの後継者としての霊を受けたエリシャは次々と主の業をなしてゆきます。夫を失った妻と子が生きていけるように油を器いっぱいに満たしたり、閉ざされた胎の夫人の胎を開き、子を産めるように祝福したり、煮物の中の毒を取り除いたりと。なぜそのような事ができたのでしょう。彼ではありません。彼の上に注がれた聖霊の力です。キリストは昇天まえ弟子たちの前で「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(1:8)と約束されました。

■1テモテ2:1そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。2:2それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。2:3そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
★過去に権威者から傷つけられた事がある場合(概ね父親からが多いですが)、権威者に従順を示すことが困難です。理屈を越えて反発の感情が先行してしまうのです。あなたは穏やかな気持ちで上に立てられた人の祝福を祈れますか。アーメンなら感謝。難しければ聖霊様に聞いて、傷んだ部分に癒やしといのちを求めましょう。ヒデ

月曜日, 10月 03, 2011

20111003_2列王2_1テモテ1

■2列王2:9渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。2:10エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」
★バアルとアシタロテの預言者450人と戦いイスラエルに勝利をもたらした預言者エリヤの召天間際の出来事です。師の死期を感じていた弟子エリシャはエリヤがどこに行くにも彼のもとを離れません。エリヤはベテルからエリコに、エリコからヨルダンにと進みますが一緒でした。そして神様が、従順をもってエリヤに従おうとするエリシャにエリヤの霊を授けられたのです。あなたは従順をもってキリストに従っていますか。その時キリストの霊があなたにやどります。

■1テモテ1:15「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。1:16しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
★今度は使徒パウロが愛弟子テモテに送った手紙です。パウロの、主から受け取った自己認識と召命観が記されます。そしてテモテもその道に進むのです。不思議ですね。本当に人とは尊敬し従順する人に似るのですね。今私たちの生き方が問われています。ヒデ

日曜日, 10月 02, 2011

20111002_コロサイ4

■コロサイ4:15どうか、ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言ってください。4:16この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラオデキヤから回って来る手紙を読んでください。
★パウロがコロサイ地方で主を信じるクリスチャンに書き送った手紙の最後の部分です。あなたがたのところで読まれたならラオデキヤ人の教会でも……とは、存在する教会はどこにあろうと唯一、キリストの教会であると言うことです。それぞれにキリストに愛され、キリストが語り導かれる教会です。にも関わらず、励まし合い、支え合いではなく、競争、批判、無関心、分裂がおこるとはどうしてでしょう。それがまさに人間の罪。またキリストではなくそれぞれの教会が自分を主としているからではないでしょうか。それぞれ自分の役割を心得ている共同体には調和があり働きも前進します。一人一人が自分の腹にではなく主に聞くことの尊さを思います。さてパウロはここで6回よろしくと語りかけ、4:6「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」と語ります。パウロの持つ価値観と生き様から学びましょう。ヒデ

土曜日, 10月 01, 2011

20111001_1列王21_コロサイ3

■1列王21:27アハブは、これらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し、また、打ちしおれて歩いた。
★ナボデのブドウ畑が欲しくてそれを申し出たイスラエルの王アハブ。「あり得ない」との答えを受けて彼はふて寝してしまいます。それを知った妻イゼベルはどうしたでしょう。ふて寝する夫を諭すのではなく、あなたは「王でしょう」と彼の権威を用いてよこしまな者に「ナボデは神と王を呪った」と言わさせ殺し、「さあナボデは死にました。自分のものにしなさい」と夫に語ります。もちろん悪妻イゼベルは最悪です。しかしそれ以上に幼児性を内に抱えた王アハブも問題です。彼がすべきことは預言者エリヤの指摘で悔い改めるよりもその前に、王として国を守るためにしっかりと立つことでした。結局互いを建て上げる夫婦と言うよりも、利用し合う夫婦だったのです。人はこの自分の内にもつ幼児性に光が当てられ、それに気づき、主による癒やしを受け取る必要があります。

■コロサイ3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
★教会の魅力とは何でしょう。共同体の中で自ら主に赦して頂いた者であることをお互い自覚している故に、愛によって知恵を尽くし、互いに教え、互いに戒め合えることではないでしょうか。比較的相手を受容することは難易度が低いかも知れません。しかし互いに戒めとなるとどうでしょう。遠慮が働き、時を逸してしまうかも知れません。しかし、聖書は互いに戒めです。確かに狭き道、しかし愛が全うされる道を選びましょう。主の愛に応えるために。ヒデ