■詩篇29:10主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。29:11主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。
★創世記1:7-8に「神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。1:8神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。」とありますが、既にこの時から、いえこれ以前、天地が創られる前から、主はご自身の民、すなわちあなたの祝福の計画を抱いて下さっているお方です。安んじましょう。主の御手の中で憩いましょう。あなたは主の平安を遠慮することなく受け取っていいのです。
■マルコ4:38ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」4:39イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
★主に従う生涯とは必ずしも、嵐のない順風満帆の人生が約束されるわけでは有りませんで、たとえ嵐の中を通ることがあっても、主はそこで、奇跡をもってあなたを救い出して下さるお方であることを体験すると共に、あなたが人であることを教えられる人生です。弟子たちは「私が溺れて死にそうでも何とも思わないのですか」と語ります。それで良いのです。しかし弟子たちはそこに留まらず、主の不思議を拝するために目を上げました。
仰ぎましょう。そして生きましょう。主は語られました。「私を仰ぎ見て生きよ」。ヒデ
0 件のコメント:
コメントを投稿