土曜日, 6月 09, 2012

20120609_民数記33-34

■民数記33:1モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとに、エジプトの地から出て来たイスラエル人の旅程は次のとおりである。33:2モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書きしるした。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。
★ピハヒロテ、シンの荒野、レフィデム、キブロテハッタワ、ツィンの荒野、書き記されたこうした出発点を見て、あなたは何を感じるでしょう。まさにそれはイスラエルの不信仰とつぶやきの歴史でした。人の弱さを思います。と共に神様の憐れみ深さを思います。人は試練の中においてはつぶやき易い者、ゆたかさの中にあっては貪欲と堕落によって道を踏み外しやすい者。
人の成熟とはこの罪深さを自分と受けとめ、神様の憐れみ深さによって今日あるを受けとめること。約束の地に入ることは何処までも神様の恵みによることを感謝しましょう。

■民数記34:2「イスラエル人に命じて、彼らに言え。あなたがたがカナンの地に入るとき、あなたがたの相続地となる国、カナンの地の境界は次のとおりである。
★約束の地を前にした民に、主はモーセを通して勝ち取るべき地の東西南北の境界線を明確にします。その広さは12部族にとって十分なものでした。その上で彼らは自分の足で約束の地を勝ち取ることを求められたのです。では主の者とされ、愛する御子の支配の中に移されたあなたの境界線は何処でしょう。「キリストの内に留まる」です。そこは決して狭い地ではありません。豊かさが埋蔵された地です。サタンはこの支配の中を通り過ぎさせ、自分勝手な地に進ませようとします。人は自分のおるべき境界線を理解してはじめて、他者との関係に自信をもってかかわることが出来ます。境界線の不明確さは幼稚さを意味し、自身の混乱、他者へのわがままを増幅させる要因となります。キリストのもとに留まる。それが自身をつけるべき十字架であり、霊的命の源泉です。ヒデ

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