火曜日, 4月 26, 2011

20110426_創世25@19-34_ルカ10@25-42

■創世25:34ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。
★猟から帰ってきたイサクの長男エサウ。見ると弟ヤコブが煮物をつくっているではありませんか。「私にそれを食べさせてもらえないか」とエサウ。「なら兄さん、私にこれで長子の権利を売りなさい。」と弟ヤコブ。その時の兄エサウの言葉は「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」でした。ここに霊的祝福の存在に目が開かれていない人の選択が鮮やかです。エサウは軽んじました。しかしあなたはキリストによって神様がお開き下さった霊的祝福に鈍感であってはなりません。祝福には目に見える祝福と、目に見えない霊の祝福があります。しかも、見えるものは一時的であり、見えないものは永遠です。神様を畏れ敬う心で感謝をもって、キリストの十字架の祝福をしっかり受け取りましょう。

■10:37彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
★これは主イエス様が「良きサマリヤ人のたとえ」を語られたのち、律法の専門家になされたコメントです。神様によって造られた人間は、愛することはしても、しなくてもどちらでもよいものとして造られたのではありません。愛する者、あわれみに生きる者、すなわちご自身に似るものとして造られたのです。今あなたは、愛すべきかどうすべきか、悩んでいることがありますか。愛する道を選び取りましょう。そうすればあなたはその人の隣人となることができます。そしてあなたの生涯は神様によって祝福を受けるでしょう。ヒデ

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