水曜日, 3月 24, 2010

20100324_民数5_箴言2_ルカ16

■民数5:6「イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、5:7自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。
★この規準に対しイエス・キリストの愛と赦しに触れたザアカイは「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と語ります。要は謝罪とは「しなければならないから仕方ない」ではなく「させて頂こう。頂きたい」と、痛めた相手の立場と気持ちに立って、自主的に為すべきものと教えます。その時主は、その関係の中に働き、思わぬ修復、命の通う回復さえ賜物として下さるのです。そのためにはまずあなたが包まれ癒される必要が、赦される必要があるのです。

■箴言2:19彼女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至らない。2:20だから、あなたは良い人々の道に歩み、正しい人々の道を守るがよい。

■ルカ16:10小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。16:11ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
★不正の富とは一時的なものを、まことの富とは永遠のものを意味します。さて最も大きな富とは何でしょう。それはあなたに与えられた「いのち」。あなたが自由に使うことの出来る「時間」と、これまで、その時間を用いて得ることのできた報酬としての、有形無形の財産です。その富を神様から託されたものとして受け取るのです。その時あなたは小事に忠実なものとして神様から大事を託されるのです。我が思いのままの人生ではなく、託された神様の大事を成し遂げる人生をめざしましょう。ヒデ

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