水曜日, 8月 29, 2012

20120829_エレミヤ10-13

■エレミヤ10:23主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。10:24主よ。御怒りによらず、ただ公義によって、私を懲らしてください。そうでないと、私は無に帰してしまうでしょう。。
★本来神様の前に人はいかに祈るべきか。エレミヤはそのことをユダの民の前に示します。このお方の憐れみによって生かされている私。どうかこの真理があなたの内で大きく大きく広がりますように。

■エレミヤ11:19私は、ほふり場に引かれて行くおとなしい子羊のようでした。彼らが私に敵対して、「木を実とともに滅ぼそう。彼を生ける者の地から断って、その名が二度と思い出されないようにしよう」と計画していたことを、私は知りませんでした。
★バビロンが抱いている計画にユダの人々の目が開かれた時、彼らが祈る祈りです。

■エレミヤ12:1主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。
苦しみの中で主の前に心を開こうとするユダの姿がここに。そう、人が心の一番奥底にある疑問を尋ねるお方は主です。

■エレミヤ13:23クシュ人がその皮膚を、ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行うことができるだろう。
★神様の恵み抜きに、人は自分の力で自分を変え、正しい人として生きることはできません。ゆえに神様は人がご自身により頼むものであって欲しいと願っておられます。ヒデ

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