水曜日, 8月 01, 2012

20120801_1列王記21-22

■1列王記21:7妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権をとっているのでしょう。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑をあなたのために手に入れてあげましょう。」
★イスラエルの王アハブは自分の宮殿近くにブドウ畑を持つナボテに、野菜畑にしたいので更によい地とその土地を交換してもらえないかと持ちかけます。しかし「無理です。」との返事が返ってきたとき、不機嫌になり、食事も取らす寝台でふて寝します。その姿に「私が手に入れてあげましょう」と語ったのが妻のイゼベルです。なんたるアハブ王の幼児性。まるで妻イゼベルに妻と言うより母親役を願っているのです。頭の一つも撫でて欲しかったのでしょうか。殺戮に次ぐ殺戮の北イスラエルの歴史の中で、王ヤラベアムの家系の王子たちは父に関わられることなく育ち、父性が育まれる機会が無かったのです。男が男として立てない家系と国はやがて滅びます。父なる神様の中には完全な父性があります。キリストを通して大胆に「アバ父」と近づき、父の愛によって養われましょう。

■1列王記22:34ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」
アハブ王の最期です。預言者ミカヤの預言の通り、彼はアラムの王との戦いで息を引き取ります。彼は戦場に変装して出かけ、敵がアハブを探しても見つからない状況でした。しかしアラムの兵が何気なく放った矢によって息を引き取ることに。罪を隠し持つあなたに、主が弓を放たれるとき、それは恵みで偶然ではありません。心に主の語りかけが刺さったとき、隠すことなく告白し、キリストの血潮を仰ぎましょう。主はその罪のためにこそ、ご自身の命を十字架上で注ぎだして下さったお方なのですから。あなたは自分の罪のために滅んではなりません。告白して生きるのです。ヒデ

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