日曜日, 10月 03, 2010

20101003_1歴代17_エゼキエル29_ガラテヤ3-4

■1歴代17:16ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。17:17神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。あなたは私を、高い者として見ておられます。
★ダビデが「私が杉材の家に住んでいるのに、あなたの契約の箱は天幕の下にあります。」と語った時、主は彼の息子ソロモンに神殿建築の許可を与えると共に、子々孫々の祝福の約束を下さったのです。それで思わず上のことばを語るのです。昔も今も主の祝福に預かる生き方は変わりません。神様は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを下さいます。何をするかの前に、どんな心で生きているかが、思わぬ所で私たちの生涯をわける事を心に刻みましょう。

■ガラテヤ3:13キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★パウロはガリラヤ地方で主を信じた人々のために、人の救いはキリストの十字架を見あげる信仰によって、ただ恵みとして受け取るべきものであることを語ります。そしてキリストの十字架の根拠は、旧約聖書に既に証しされているものと強調するのです。良き行いによって救いを勝ち取る事ができるなら、キリストが自ら進んで十字架に掛かられる必要はありません。しかもキリストが十字架の上で「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られたのは、旧約聖書の成就を目的としたものでした。「木に掛けられる者は呪われ、血を流すことなしに罪の赦しはあり得ない」と。その旧約聖書の掟の中で主は、罪のない自身の血を示しつつ、父なる神様の前に完全な救いを拓いて下さったのです。この犠牲の中でどうしてあなたが祝福されないはずがあるでしょう。あなたが恵みを保つのではなく、このキリストの恵みがあなたを保ち、あなたを祝福の人生へと導くのです。信じましょう。ヒデ

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