水曜日, 10月 13, 2010

20101013_2歴代1-2_エゼキエル39_ヨハネ5

■2歴代1:10 今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」
★これはダビデの後イスラエルの王位を継いだ息子ソロモンが、主の神殿を建て終え、真心からの礼拝を捧げたその夜「あなたに何を与えようか。願え」との主に応答して語った言葉です。その求めは自分の富や名声、長寿ではなく、神を愛し、民を愛するもの故に、彼の願いに添えて、富みも名声も長寿も与えられることになったのです。人の価値とはその人の求めに大きくあらわれ、いざと言うとき本音が出ます。ただこの事を心に留めましょう。主は決して心が狭く出し惜しみなさる方ではありません。むしろ多くを与えたくてしかたがない方。しかし、それを受け取る事のできる人を探しておられるのです。器の備えのない人に多くを与えたなら、むしろそれが誘惑となり、その人を滅ぼすことになるのです。人はその願いによって計られるのです。

■ヨハネ5:39あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。5:40それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
★敵対しようとする宗教家の前で主イエス様が高く差し伸ばした聖書とは、それは旧約聖書。新約はキリスト以降、教会によって編纂され、この時はまだ存在しません。にも関わらず、主はこの旧約聖書は私の事が書かれ「モーセが描いた神とは私だ」と驚きの発言をなさるのです。そう。キリストは、ご自身、歴史を父なる神様と共に導いたお方であり、歴史を貫いて存在し続けた神自身であると語られたのです。キリストはペテン師か神か?けれど信じがたいほどの事ですが事実なら、ここには無限の希望が。だからキリストは招かれます。「いのちを得るために私のもとに来なさい」と。信じましょう。そしてこのお方にあって共に歴史を創りましょう。ヒデ

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