■ヨブ1:21そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
★しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」と。この二つの御言葉は自然災害によって10人の子供を亡くし、更には自分の身に腫瘍を病み、妻から「もう信仰もいい加減にしなさいよ。こんなに苦しい目に合わされているのに。信仰を捨て、神を呪って死になさい」と言われた時、語ったヨブのことばです。真に神様を畏れる正しい人ヨブは、こうしていかなる状況の中においても罪を犯しません。それはまさに神様がヨブに抱いた評価そのものでした。ヨブ記の結末は何でしょう。それは「神様を恐れる人の為には、神様が責任を取って、その生涯を全うし、必ず祝福を回復して下さる」です。そしてヨブは「もし神、我を試み給わば、我燻し銀の如くにいできたらん」と歌うのです。もしあなたが今試練のただ中にあるならば、立ち止まり、主を見上げましょう。そしてヨブの告白を我が告白としてささげましょう。そこから天は開けます。
■ヨナ2:4私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。
★「私を海の中に放り込みなさい。そうすれば嵐は止みます。それでも私は神には従いたくないのです」と語っていたヨブ。そのヨブが嵐に揉まれる試練の中で上の言葉を語るのです。なぜ神様は試練を許されるのか。この箇所はその答えを示します。
■ヘブル9:27そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
■主は必ず再び来られます。今日も主に合う備えとして、心からの一日を主の前に、主と共に生きましょう。ヒデ
水曜日, 12月 02, 2009
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