■エズラ9:15イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」
★これは指導者エズラの嘆きで、主のあわれみによってバビロンの奴隷状態から、エルサレムに帰ってきた民が、忌み嫌うべき事を行う民と一つとなってはならない、と昔から語られているにも関わらず、現実荒廃の状況の中にある時のものです。彼は語るべき言葉を失い、我が事のように、ただ主の前に執り成します。主を信じた者の歩みとはいかなるものでしょう。それは破れ口に立って、単に人の罪を裁くのではなく、共同体の痛みを共に負いつつ、執り成す者であることを覚えましょう。
■ホセア10:12あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。
★「耕地」とは休耕田とも訳せる言葉。どうでしょう。外ではなく先ずあなた自身の内側で、諦めてしまっていること、投げ出したままになっていることはないでしょうか。主は「開拓せよ」と語られます。かつては自分の力でそれをしようとしたかも知れません。しかし主はここで「私と一緒にそれに当たるんだ」と改めて恵みの励ましを下さいます。主があなたの味方なら一体誰があなたに敵することが出来るでしょう。信じ立ち上がりましょう。
■コロサイ1:6この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
★福音とは理解され受け入れられたときにあなたの生涯を変える力があるとパウロは語ります。十字架による完全な罪の赦しと復活の希望。聖霊なる神様がこの真理を私たちの内に開いて下さいますように。ヒデ
土曜日, 11月 13, 2010
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿