水曜日, 9月 08, 2010

20100908_2列王14_エゼキエル4_2コリント12-13

■2列王14:10あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。」
★エドム人との戦いに勝利を収めたユダの王アマツヤは気を大きくしてイスラエルの王ヨアシュに「さあ、勝敗を決めようではないか」と挑発の言葉をぶつけます。その時イスラエルの王ヨアシュから帰って来た言葉が上の御言葉であり「レバノンのあざみが、レバノンの杉に使者を送って、『あなたの娘を私の息子の嫁にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった」との言葉です。人は何と自分が見えず思い上がりやすく、感謝を忘れやすいものでしょう。そして結局彼は、自ら治める民に愛想つかされ、謀反によって命を絶たれてしまうのです。いつの時代も高ぶる者は退けられ、へりくだる者に恵みが注がれることは真理です。

■2コリント12:9しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
★人が本来の生き方、即ちキリストにあって「生かされている人生の目的」を神様と共に成し遂げようとする時、聖書は弱さは全く問題や障害となることはないと語ります。にも関わらず多くの場合、人はどうして「弱さ」に劣等感を抱いたり負い目を感じたりするのでしょう。聖書はその原因を自分の栄光を求めることにあると語ります。自分を誇る生き方ではなく、私の為に死んで甦って下さったイエス様を誇る価値観にあなたの心が貫かれますように。なぜならそれ以外、人の心に真に満足を与えてくれる価値観はありませんし、主は既にあなたのために、御国においてあなた用の命の冠を用意して下さっているお方なのですから。ヒデ

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