木曜日, 9月 02, 2010

20100902_2列王7_哀歌3_1コリント16

■2列王7:9彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
★アラムの全軍に包囲されたイスラエル、結果城壁から一歩も外に出られなくなったイスラエルは極度の食料不足に見舞われ、サマリヤの城壁内では婦人が産み落とした子供を煮て食べるといった悲惨が。そうした中、重い皮膚病にかかりイスラエル社会から締め出された4人はどっちにしても死ぬなら、敵アラムの陣営に行って憐れみを求めよう。ヒョッとすると生かしておいてくれるかもと。ところが行って見ると実際はアラムの全軍はどんな大きな軍隊に襲われたのかと思うほど、着るべき物、食べるべき物もそのままに、慌てふためいて逃げ去っているではありませんか。上の言葉は、腹を満たし、奪えるものは奪おうとする中、我に返った4人が語った言葉です。
しかしこのことについて、誰も信じませんでしたが神様は預言者エリシャを用いて「明日の今頃、全てのものがただで手に入り飢饉は解消されるだろう」と預言していたのです。
困難の中にあればあるほどに神の言葉にこそ耳を傾ける価値を覚えましょう。神の言葉は、語られた通りに事を成し遂げるのです。しかも人々に実質ある希望をもたらす良き知らせは既にキリストによって成し遂げられているのですから。

■哀歌3:22私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。
★それぞれに御言葉そのものを味わいましょう。主の祝福を祈ります。ヒデ

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