水曜日, 11月 09, 2011

20111109_イザヤ46_1ペテロ5

■イザヤ46:3わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。46:4あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
★「なお」とは、今までもそうで、これからもそうするということです。何をそうするのでしょう。主があなたを背負われることです。押しのける者ヤコブは決して彼を諦めない神様の恵みと御手によってイスラエル(神の皇太子)とされました。あなたと、その人生に対しても主はヤコブ同様夢見て下さり、担って下さり、そして完成して下さいます。あなたもそんな主に同意して、自分自身とその生涯を生きた備えものとして主の前に差し出すのです。

■1ペテロ5:6ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。5:7あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。5:8身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
★ペテロはこの勧めを、「若い人たちよ」と語ったあとに記します。若い時は横にいるライバルや同年代の人のことが格別気になりやすいからでしょうか。友として励まし合う事は素晴らしいですね。しかし、目の前の相手との競争ばかりに縛られていては、あなたの内にある神様が下さっている宝に気づく時間もないですね。心配は無用です。高くしてくださるのは神様です。思い煩うよりもむしろ、さあ主を見上げ、主に信頼し、み前の直向きな一歩を始めましょう。ヒデ

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