金曜日, 11月 11, 2011

20111111_イザヤ53_2ペテロ2

■イザヤ53:4まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。53:5しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
★イザヤに与えられた主の預言です。キリストが十字架にかけられる750年前の出来事です。しかし、まるで十字架を目の前で見ているような預言です。主は十字架によって私たちの病を引き受け、当然支払うべき罪の代価を払い終わって下さいました。ゆえに癒された、赦され解放されたのです。あなたはこれを自分のこととして受け取る必要があるのです。その時この預言が成就します。

■2ペテロ2:20主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。2:21義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。
★ペテロは主の十字架と復活の福音を受け入れつつも罪を犯し、恵みからそれて行く教会に上の言葉を贈ります。福音とはそもそも恵みです。本来受ける資格のないものにも与えられる恵みです。与えられる福音に価値がないわけではありません。御子の命がかかった福音で、あまりの価値にお金で換算できないので、ただで受けたのです。それを軽んじる魂とは、まさに霊の目が閉ざされているとしか言いようがありません。その当然の結果として彼は滅びを刈り取ることになるのです。知らずに犯す罪よりも、知って犯すあなどりの方が遙かに求められる代償は大きいのです。間違ってはいけません。ヒデ

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