土曜日, 11月 26, 2011

20111126_エレミヤ10_ヨハネ14

■エレミヤ10:23主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。10:24主よ。御怒りによらず、ただ公義によって、私を懲らしてください。そうでないと、私は無に帰してしまうでしょう。10:25あなたを知らない諸国の民の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって、これを絶滅させ、その住まいを荒らしたからです。
★自分の弱さを認め、神様の憐れみを求め、裁きは主に訴え、ゆだねる。これが人のあるべき姿です。この生き方をするなら誰に知られなくても神様が尊んで下さいます。反対に自分を過信し、神様を侮り、自ら裁き主としておごり振る舞うなら、もうし滅びしかありません。当然です。しかし罪に霊が支配されると、この当然のことが分からなくなるのです。

■ヨハネ14:1「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。14:2わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。14:3わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
★感謝ですね。主によってあなたのための永遠の住まいが備えられるとは。でも考えてみるとそもそもそれが神様の全ての面における人への配慮だったのですよ。人を造られ主はただ身勝手に人を創造し、どうにもこうにも住めない場所に人を置いたわけではありませんでした。ただ人の罪が人を住み難くさせたのです。キリストにあっては将来に対して思い煩う必要はありません。委ねましょう。神様が最善をなして下さいます。ヒデ

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