■エゼキエル22:21わたしはあなたがたをかり集め、あなたがたに向かって激しい怒りの火を吹きつけ、あなたがたを町の中で溶かす。22:22銀が炉の中で溶かされるように、あなたがたも町の中で溶かされる。このとき、あなたがたは、主であるわたしがあなたがたの上に憤りを注いだことを知ろう。」
★主がこのように語らなければならないイスラエル。その状況は偶像礼拝によって人々の心は汚され、愛は倒錯し、幼子を偶像にささげる有様です。主の怒りは、まさにそこに下されました。しかしその怒りも彼らを愛しきよめるため。本当に主が呵責のない怒りを下されたのは十字架のキリストの上。父なる神様は人類のすべての罪をキリストの上に置き、呵責のない裁きと怒りを下されたのです。それは「もはや裁きはおわった」と、全世界に宣言するため。父なる神様は語られます。「私はもはやあなた方の罪を思うことをしない」と。キリストが受けて下さったその傷によって全ての人は救われるのです。
■黙示録9:20これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、9:21その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。
★御使いのラッパによってもたらされた第一の裁きの結果です。聖霊によって教会が地上から取り上げられたのちの艱難時代は、死さえ逃げて行く時代で、真に悔い改め、神様に立ち返るためには殉教以外、道はありません。ここに記された殺されずに残った人とは、罪が完全にその人を覆い、神様が見えなくなっている人。いのちを取られても決して神様だけには頭を下げたくない人々です。この状況に置かれる前に全ての人は主の名を呼ばなければなりません。主の名を呼ぶものは全て救われるのですから。ヒデ
月曜日, 12月 19, 2011
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