金曜日, 12月 09, 2011

20111209_エレヤミ38_2ヨハネ1

■エレミヤ38:19しかし、ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「私は、カルデヤ人に投降したユダヤ人たちを恐れる。カルデヤ人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするかもしれない。」38:20エレミヤは言った。「彼らはあなたを渡しません。どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです。
★この時までに既に相当のユダヤ人がバビロンに投降していましたが、彼らにとって、ゼデキヤ王のバビロンへの抵抗は不利に働いたので、ゼデキヤ王は自分が降伏するなら、妬みをかった人々にきっと殺されるに違いないと恐れていたのです。そこにはエレミヤをとおして語られた神様の「大丈夫だ」との御声があったにもかかわらずです。私たちも神様に信頼するのか、自分の蒔いた種ゆえにそれに支配され、恐れに支配されるか、いずれを受けるか選択が迫られる時があるのです。神様を畏れ、恐れを打ち砕く決断をする者とさせて頂きましょう。

■2ヨハネ1:9だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
★キリストの教えにとどまるとは、恵みの中にとどまる事で、その人には御父と御子の祝福が流れます。でも、もったいなく、また残念なことが時にあります。はじめは「私ではなく、神様の恵みです。」と謙虚に応える魂が、いつの間にか「私がやった」と、神様にお返しすべき栄光を自分が受ける誘惑に駆られ、せっかくの神様の祝福を失う魂を見ることがあるのです。神様から受ける報いの二重取りは決してありません。しかも神様は高ぶる者を退け、へりくだるものに恵みを与えられるお方です。どんな時にもキリストの内に留まりましょう。それこそが命なのです。ヒデ

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