土曜日, 12月 03, 2011

20111203_詩篇105_ヨハネ21

■詩篇105:1主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。105:2主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。105:3主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。105:4主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
★神様によって造られた人間は、本来何を中心に生活すべきでしょう。主です。主に歌い、主にほめ歌を歌い、奇しいみわざに思いを潜め、主の名を誇りとし、主ご自身を慕い求めるなら、その人は主から必ず祝福されます。ハマルティアとはヘブル語の罪の意味ですが、語源は的を外すという内容です。そしてソロモンは箴言を最後に「伝12:13結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」と外してはならない的をまとめました。

■ヨハネ21:9こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。
★一時主の復活を喜ぶも、結果的にガリラヤに帰り漁をしている弟子たちに主が現れて下さった場面です。なぜガリラヤにと言うなら、「わたしはその人を知らない」と、3度主を裏切ったことが重荷となっていたペテロの心がそうしたのでしょう。主を裏切ったその時もペテロの前には炭火がおこしてあって、それに当たるふりをして主の弟子であることを彼はかくしていました。そんなペテロの重荷と悲しみを知ってか、主はこのところでも炭火をおこして待ち「あなたは私を愛するか」と尋ねて下さいました。裁くためではありません。愛するため。赦すため。励ますためでした。主はあなたの全ての過ちをしておられます。しかし責めてはおられません。そのための十字架です。ペテロ同様「主よ、あなたは私があなたを愛していることをご存じです」と申し上げましょう。そこから新しい人生が始まります。ヒデ

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